2006年02月28日(火)  絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』打ち上げ

絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』完成を祝して、文芸社の宇佐美さんと久次米さん、イラストを描いた田中伸介さん、装丁を手がけた鈴木伸弘さんと新宿のBar Mandarinoにて打ち上げ。絵本は書店さんからの引き合いが良くて、初版一万部はあっという間に全国の書店に配本されたそう。「だったらすぐに増刷を!」とお願いすると、「本は返品がありますから」とのこと。配本されたものがある程度売れた時点で増刷のGOが出るらしい。

田中さんのイラストは松竹でも好評で、絵本で使われた絵がノートなどの関連商品になって発売されるそう。キーホルダーのスケボーも田中さんの絵が使われるとか(→公式サイト グッズ紹介)。サインをお願いしたら、左手で味のある絵を描いてくれた。田中さんの絵本『しあわせのはね』『きんいろのはね』は台湾、中国でも発売されていて、台湾のブックフェアに招待されたときは、羽根をつけた犬が出迎えてくれたとか。今回のヘレン絵本が海外進出する可能性も高いかも。

今回の仕事は終始楽しく和やかで、あったかい雰囲気がそのまま形になったような本に仕上がって、すでにわたしは「おくりもの」をもらった気分。打ち上げもまた楽しくて、2つめのおくりもの。食後は「Happy Birthday ヘレン」ケーキ(詳しくはいまいまさこカフェブログ【birthdaycake】をどうぞ)で絵本の誕生を祝い、成長を願う。わたしたちの愛情を注いで生まれたヘレン絵本が、たくさんの人に愛されて、すくすく育ちますように。

2005年02月28日(月)  フリーの人の確定申告
2004年02月28日(土)  「ブレーン・ストーミング・ティーン」著者贈呈本
2003年02月28日(金)  2003年2月のカフェ日記
2002年02月28日(木)  ヘンな弟よっくん


2006年02月25日(土)  半年ぶりの美容院

会社を辞める直前、一緒に仕事していたミチヨお姉さまに「雅子、辞めたら脚本書く以外に何したい?」と言われて、「そうですねえ。月に一回ぐらいは美容院に行って、エステとかネイルとかにも行ってみたいですね」と答えると「そんな小さいことでいいの?」と驚かれた。でも、平日は残業で土日に脚本を書く生活をしていたわたしにとっては、ささやかな夢だった。ところが、フリーになったらなったで毎日は慌しく過ぎていき、会社を辞めて美容院に行ったのは昨年9月の一回きり。短くした髪もすっかり伸び切ってしまい、半年ぶりの美容院となった。

人に髪を洗われる、普段読まない雑誌に目を通す、自分に似合う髪型について考える、そんな機会を時々持つのはいいことだと思う。月に一度は叶わなくても。そういえば、先日読んだ新聞のコラムに「美容院で自分の前に置かれる雑誌で、自分が何才ぐらいに見られているかがわかる」と書いてあった。若いお兄さんが選んでくれた3冊は『WITH』『オレンジページ』『TITLE』という微妙な組み合わせ。もはやanan世代ではないということだろうか。でも『TITLE』がまじっていたのはいい選択。ミステリー特集を面白く読む。『WITH』と『オレンジページ』の代わりに『CUT』と『散歩の達人』だったら、なおうれしかったけど。

「(髪型は)どうされますか」と聞かれ、「短くしてください」と即答。「もったいない」「いえ、ほっといたら伸びただけなので」とバッサリ切ってもらう。これでまた半年伸ばしても大丈夫!?

2002年02月25日(月)  信濃デッサン館


2006年02月24日(金)  金曜日の夜の開放感

去年大いに盛り上がった小中学校同窓会の勢いのままに、「東京でもやろうや」と東京に出てきている同級生でミニ同窓会を開く。金曜夜の大手町の居酒屋はネクタイをゆるめたサラリーマンでいっぱい。集まった同級生6人の内訳は男4、女2。うち男3人はスーツ姿。「なんか金曜の夜って感じやなあ」「そうよ、一週間働いて、やっと週末や〜って飲むんや」と話す。会社勤めを離れて半年あまり。この空気、ひさしぶり。

新年がはじまったとき、「うわあ、今年は土曜に重なる祝日が4つもある」と2006年のカレンダーを見て嘆く勤め人を見て、そういう感覚をなくしてしまったことに気づいた。曜日感覚がなくて、休みの日に役所に電話をかけて、「なっとらん!」となることもある。祝日のありがたさ、平日と休日のメリハリ、金曜日の夜の開放感……なくしてしまうと、なんだかうらやましい。

2005年02月24日(木)  だいたい・キラキラ・インドネシア語
2002年02月24日(日)  PPK


2006年02月23日(木)  金メダ○

何度聞いても鳥のビジュアルが浮かんでしまうトリノオリンピックを観ながら、「なんでこうメダル、メダルって騒ぐんだろねー」とテレビに向かって怒る。視聴者をつなぎ留めるためにメダルを連呼しているけれど、その報道と選手の実力に明らかな格差があるように思えてならない。誰よりもメダルが欲しいのは選手だろうし、取れるに越したことはないけれど、過剰な期待は、破られたとき、過剰な落胆に変わる。いたずらに期待をかきたてられては落とされてを繰り返されるうちに、「本当に状況を理解した上で言ってるの?」の疑問が湧いてくる。メダルという結果だけじゃなくて、それを掴み取ろうとする過程である戦いぶりや、さらにさかのぼって出場を決めるまでの練習の積み重ねにドラマを見出してもいいのに。光るものはメダルだけじゃないのに、と思ってしまう。

メダル、メダルって言ってりゃ視聴者はチャンネルを変えないと思ってるのかなあ、なんか間違ってる気がする、とぼやいていると、一緒にテレビを観ていたダンナが突拍子もないことを言い出した。「そういや、金メダルと金目鯛って一字違いだね」。

キンメダル 
  と 
キンメダイ

なるほど、ほんとだ。夏冬あわせていくつものオリンピックを見守りながら、今まで気づかなかった。金メダルを煮付けることもなければ、金目鯛を首からさげることもないせいか。どっちもありがたいけれど、それがすべてじゃない。でも、金メダルを取って、金目鯛でお祝いするのも素敵。

2005年02月23日(水)  飛騨牛パワー合同誕生会
2002年02月23日(土)  連想ゲーム


2006年02月22日(水)  史実の63年後に観る映画『白バラの祈り』

日比谷シャンテの打ち合わせを終えて、そういや友人からすすめられた『白バラの祈り』をシャンテシネでやってたなと思い出し、観る。ヒトラー政権に立ち向かった女子学生ゾフィー・ショルがビラをばらまいた罪で投獄され、処刑されるまでの5日間を描いた作品。『アンネの日記』に多大な影響を受けたわたしにとっては、興味深いテーマ。

ゾフィーを演じるユリア・イェンチの凛とした佇まいが作品の緊張感となって、張り詰めた空気が客席を包む中、観客は背筋を伸ばし、固唾を呑んでゾフィーと取調官のやりとりを見守る。獄中での時間を経るごとにゾフィーに悟りのような落ち着きが生まれ、瞳や言葉に力が宿ってくる。逃れられない死への恐怖から叫ぶ一瞬を除いては、最後まで毅然とした態度を崩さない。誰もが自分を曲げて自分を守ることを迫られたあの時代に信念を貫いた生き方、その潔い美しさには気高さすら漂う。

1943年2月18日に投獄されたゾフィーは22日午後5時に処刑された。63年後の22日午後5時にその人生を描いた映画を観ていた偶然。奇しくも2月22日は母・捷子の誕生日。この人も信念と行動の人で、わたしが小学生の頃、堺市の小学校にプールを作る運動をやっていて、書名や陳情に走り回っていた。そんなことを思い出し、お誕生日おめでとうの電話をかける。

2002年02月22日(金)  生みっぱなしじゃなくて


2006年02月21日(火)  何かとツボにはまった映画『燃ゆるとき』

丸の内TOEIで観る作品は、わたしにはハズレがない。『フライ,ダディ,フライ』『男たちのYAMATO』に続いて、予告を観て興味をそそられた『燃ゆるとき』も大当たり。

20世紀終盤のアメリカにカップラーメンで殴りこみをかける日本企業の奮闘劇。スーパーマーケットの風景やカップラーメンのパッケージが、わたしが西海岸に留学した80年代後半を髣髴とさせて、無性に懐かしい。カップラーメンを作る工場内の様子には、2003年に行った中国冷凍食品工場見学ツアーを思い出す。「物を作る現場」を見るのが大好きなわたしは、社内見学の小学生以上の熱心さで工場内を見回していたけれど、映画の中でも規則正しく機械が動くさまから目を離せなかった。

「東輝水産」という名前から連想した通り、原作(高杉良)では「東洋水産」が実名で登場する。『子ぎつねヘレン』に「赤いきつね」を登場させている東洋水産の実話がベース、ということで親近感がぐんとアップ。加えて、『パコダテ人』で函館スクープ編集長役の木下ほうかさんが開発者役で登場しているのもうれしい。

外国人相手に孤軍奮闘する日本人の姿に、留学時代の自分を重ねた。同じ人間同士なのにわかりあえない焦りやもどかしさ。だけど、向き合うことから逃げなければ、いつかはきっとわかりあえる。同じ人間同士だから。その「和解」のシーンに涙が止まらなかった。

2005年02月21日(月)  『逃亡者の掟』(人見安雄)
2002年02月21日(木)  映画祭


2006年02月17日(金)  学生新聞「キャンパス・スコープ(campus scope)」取材

mixiの今井雅子コミュニティが縁で学生新聞キャンパス・スコープの取材が実現。代表の米盛君がドラマ『ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!』を観て原作『ブレーン・ストーミング・ティーン』のレビューをmixiに書き込み、今井雅子コミュニティにも参加したことからつながって、トントン拍子に今日のインタビューが決まった。その間、わずか二週間。

日比谷シャンテ地下のチャヤマクロビカフェ&デリ(カフェの様子はブログにて)で待ち受けていたのは、米盛君と三人の女子学生、能島さん、小野さん、堀部さん。若い四人に囲まれてのインタビューに、元気と刺激をもらう。みなさん熱意と興味を持って話を聞いてくれ、予習もばっちりで、上手に記憶の引き出しを開けてくれた。

キャンパス・スコープは全国の大学に配布され、発行部数は12万部。年二回の発行で、わたしのインタビューが掲載される次号は四月発行。ちょうど『子ぎつねヘレン』の公開中だし、新学期の学生に『ブレスト』本を宣伝できるのもありがたい。どんな記事になるのか楽しみ。

2005年02月17日(木)  魔女田さんの新作『平成職人の挑戦』
2004年02月17日(火)  オーマイフィッシュ!


2006年02月16日(木)  『WEL-COME to パラダイス』と少年山賊団

NHKオーディオドラマのパーティーで知り合った大先輩の脚本家・吉村ゆうさんが作・演出の『WEL-COME to パラダイス』(劇団たいしゅう小説家第9回公演)を観る。吉村さんの舞台を観るのは3回目だけど、1本目は菊池寛の世界、2本目は熱い男の世界、3本目は歌あり踊りありのワンシチュエーションコメディ。見事にどれもかぶっていない。ドラえもんのポケット並みの引き出しをお持ちなのかも。

今回は日本の片田舎にある「舞網(マイアミ)」という名の海沿いの町が舞台。交通事故の加害者となった野球選手の故郷であるその町で、被害者である伝説のロックスターが療養し、彼のファンであり彼の歌をもう一度聴きたい野球選手の幼なじみたちがリハビリを手伝う。そこに昔の恋や保険金疑惑が絡み、話が二転三転……。次が読めない展開の面白さと絶妙な会話は、さすが。合間に入る生演奏や歌もなかなか聴かせてくれて(音楽・歌は石川よしひろさん)、肩の力を抜いて楽しめるエンターテイメントになっていた。

WEL-COME to パラダイス
2006年2月9日(木) 〜 2月19日(日)
東京芸術劇場 小ホール2

【スタッフ】
作・演出=吉村ゆう 美術=土屋茂昭 照明=黒尾芳昭 音響=川口博 舞台監督=深見信生 舞台監督=板垣周作 スタイリスト=片柳利依子 メイク=高森優子 音楽=石川よしひろ プロデューサー=高橋正行 ほか
【キャスト】
モト冬樹/菊池麻衣子/岡田達也(演劇集団キャラメルボックス)/萩野崇/平野勲人(TEAM 発砲・B・ZIN)/首藤健祐(東京ハートブレイカーズ)/芽映はるか/石川よしひろ/岡田薫/鈴木輝美/大木初枝(演劇集団キャラメルボックス)/吉田聡/上南友美/中野幹雄/林部レオナ


この日いちばんの衝撃だったのは、前座に突如現れた少年山賊団というジャグバンド。ジャグバンドとは20世紀初頭のアメリカ南部でお金のない黒人たちが手近にあるものを楽器にして演奏を楽しんだスタイルのことらしい。棒に糸(釣り糸って言ってたっけ?)を張った弦楽器(これがまたいい音)、洗濯板に軽量カップや自転車のベルを貼り付け、スプーンで叩く打楽器などを楽しそうに奏でる三人組に目が釘付け。選曲がまたわたし好みで、『ドナドナ』『グリーン・グリーン』(この歌を聴くと、なぜかとても泣きたくなる)、牛と戦うオレオレオレ!の歌(歌詞で検索したら『トレロ・カモミロ』というタイトルらしい)などなど、胸の奥の懐かし袋をくすぐられるようなレパートリー。上演後はロビーで『パタパタママ』を披露してた。みんなの歌をテープに録って聴いていたわたしには、ほんとにど真ん中。『コンピュータおばあちゃん』も持ち歌なんだろか。話しかける勇気がなかったけど、とても素敵な三人組でした。

2005年4月20日 東京ハートブレイカーズ公演『黒くやれ』
2003年11月23日 通帳で伝える愛 『まばたき』『父帰る2003』

2005年02月16日(水)  不思議なピンクの水、「ナーガ」水。
2002年02月16日(土)  パコダテ人@スガイシネプレックス


2006年02月14日(火)  一度泊まってみたいチョコレートのホテル

バレンタインデーらしく、チョコの話題を。

わが家でいちばんかさばっている(&のさばっている)のは古新聞、古雑誌。ネタになりそうなものを片っ端から切り抜くもののファイルしきれずに放置された紙切れが色あせ、端っこから破れ、みじめな姿をさらしている。どうしても必要なものだけ残して後は捨てよう!と紙の山を掘り出した中に、1999年12月のwinds(JALの機内誌)の15ページがでてきた。タイトルは「チョコのお城で甘い一夜を」。イタリア・ペルージャはサッカーだけでなくチョコでも有名で、この街に世界初のチョコレートをテーマにしたホテルが誕生。内装はチョコがモチーフ、宿泊フロアはミルクチョコ、ジャンドゥイアチョコ、ダークチョコから選べ、世界中のチョコグッズが集まるストアがあり、レストランではチョコ尽くしのメニューを楽しめるとか。

去年イギリスに行ったときにプディングのホテルを指をくわえて通り過ぎたけど、それに匹敵、あるいはそれを上回る誘惑。早速、そのエトルスカン・チョコホテル(ETRUSCAN CHOCOHOTEL)のサイトwww.chocohotel.itを訪ねてみると、トップページからとろけるチョコ。ホテルの外観はおいしそうなチョコレート色。お部屋はけっこうシンプルで、チョコチョコ感はあまりなし。でも、ルームキーは板チョコっぽい。スイミングプールの水はチョコレート……とはさすがにいかず、プールサイドがチョコレート色。ベタになりすぎないところがオシャレなイタリアらしいのかも。

2005年02月14日(月)  5年ぶりにケーキを焼く
2002年02月14日(木)  ゆうばり映画祭2日目


2006年02月12日(日)  『子ぎつねヘレン』完成披露試写

有楽町マリオン11階の朝日ホールにて、『子ぎつねヘレン』完成披露親子試写会。一時半の開場とともに、親子が続々入場。あっという間に会場は満席で、立ち見のお客様が出てしまう。

入ってすぐの物販コーナーにはヘレンのぬいぐるみ、原作ノベライズ、14日発売のフォトブック(学習研究社)が並び、けっこうなにぎわい。ここに絵本とストーリーブック(東京ニュース通信社)があったら……。早く仕上げて物販コーナーに加えたい。

2時過ぎ、多数の取材カメラが向けられる中、大沢たかおさん(矢島動物診療所院長 矢島幸次)、松雪泰子さん(カメラマン 大河原律子)、小林涼子ちゃん(矢島美鈴)、深澤嵐君(大河原太一)、河野圭太監督が登場し、舞台挨拶。作品への思いと撮影でのエピソードを披露。

苦労話を聞かれた大沢さんは、「キツネは生まれたときは黒くて、毛が茶色くなったと思うと、鼻がとんがった親ギツネになってしまう。子ぎつねでいる短い時間を狙っての撮影だった」。大物役者合わせのスケジュールよりスタッフ泣かせな「キツネ合わせ」。本物のキツネでよくこれだけ撮りきれたものだなあとしみじみ。作品の中で主人公一家はヘレンとともに成長するけれど、『子ぎつねヘレン』もまた、日一日と成長する子ぎつねとともに大きくなった。スタッフとキャストが一緒に「育てた」という気持ちが強くて、いっそう愛着のある作品に。太一の抱いていた宣伝用の特大へレンは、ずっしり重かった。

大スクリーンで観るのはわたしもはじめてで、ドキドキ。北海道の大自然、葛西さんの野生班が追った野生ギツネの姿は試写室の小さなスクリーンで観るよりずっと美しく力強い。子どもたちの笑い声が何度もはじけて、にぎやかな鑑賞。血統犬ロッシの演技は、アカデミー賞動物部門があったら、助演犬優賞もの。ロッシが出るたびに客席が「何かやってくれるのでは」と待ち受ける。小さな子どもたちが台詞を繰り返したり、画面に向かって動物の名前を言ったり(きっと指差しているのでしょう)するのも微笑ましかった。ぐずる子、泣き出す子もいたけれど、それも親子試写会ならでは。後半はすすり泣きがあちこちから聞こえ、途中から観たプロデューサーは「みんな花粉症なのかと思った」ほど。わたしはいつも同じところで泣いてしまうのだけど、今日はその瞬間、洟をすする合唱になった。

上映後、熱心にアンケート用紙に書き込む親子の姿を見て、母に連れられて舞台を観に行った子ども時代を思い出した。今観て感じたことを感動がさめないうちに自分の言葉にする、その経験が現在のわたしの書く力につながっている。

ひさしぶりに会う関係者たちと「反応よかったですね」「宣伝がんばりましょうね」と声をかけあう。控え室で、インタビューを終えた涼子ちゃんと嵐君に再会。嵐君はあいかわらず小さくてかわいい。涼子ちゃんは会うたびに顔が小さくなっている気がする。一緒に写真撮るときはわたしが一歩下がらないと、とんでもないバランスに。

2005年02月12日(土)  浸った者勝ち映画『ネバーランド』
2004年02月12日(木)  本のお値段
2003年02月12日(水)  ミヤケマイ個展 MAI MIYAKE EXHIBITION2003


2006年02月09日(木)  倉カルミネにて2006年の誕生日

2003年から毎年誕生日を祝ってくれているアートディレクターのE君とCMプランナーのT嬢が、ひと月前から「にくの日、空けといてね」と声をかけてくれ、今年も誕生日を三人で過ごす。広告会社時代に東京ディズニーランド/東京ディズニーシー担当で組んだトリオ。話もノリも合うので、仕事を越えて、しょっちゅうおいしいものを食べに行っていた。残業や休日出勤が苦にならなかったのは、この二人がいたから。おかげでなかなか会社を辞める気になられなかった。

今年のお店は表参道・骨董通りのパパスカフェの南を少し入ったところにある倉カルミネ(KURA CARMINE)というイタリアン。倉を改造したお忍びっぽい雰囲気も料理もとても洒落ていて気に入る。もちろん味も盛り付けに負けじとしっかり楽しませてくれた。おいしいパンが、そろそろなくなったなーという頃に足されるのも心憎い。いいお店を教えてもらった。

このE君とT嬢、わたしの知らない間に恋人となり、夫婦となっていた。会社を辞めて二か月ほど経って、「結婚式に来て」と突然言われ、びっくり。つきあっていることすら知らなかったわたしには晴天の霹靂だったけど、同僚によると、気づいてなかったのはわたしだけらしい。互いの誕生日を祝いあって四年の仲。まさか自分がお邪魔虫になっていたとは! そういうわけで、はじめて自分の立場を自覚しての誕生日。でも、とくに何が変わるというわけでもなく、会話の中に「わが家は」という言葉が増えたぐらい。この二人と会っていると、話すことが後から後から出てきて、時間がいくらあっても足りない。倉カルミネの近くにあるこれまた隠れ家風の七面鳥カフェで語るうちに日付を越え、誕生日は過ぎていた。

2003年2月9日(日) 何才になっても祝うのだ
2004年2月9日(月) 今年もハッピーバースデー
2005年4月15日(金)  トンマズィーノでアウグーリ!

2004年02月09日(月)  今年もハッピーバースデー
2003年02月09日(日)  何才になっても祝うのだ
2002年02月09日(土)  シモキタ(下北沢)


2006年02月08日(水)  クリピロ様セネガル行ってらっしゃい会

会社時代のコピーライターの大先輩、クリピロ様が恋人の待つセネガルへ旅立つことになり、中目黒のhuit(ユイット)にて元同僚女子たちで壮行会(行ってらっしゃいのケーキはブログをどうぞ)。セネガルという国、「アフリカのどこか」ぐらいの知識しかなかったけれど、アフリカ大陸の西のいちばん出っ張った辺りに位置し、「パリダカール」の「ダカール」を首都に持ち、面積は日本の約半分、人口は一千万人強。

クリピロ様の恋人の日本での仕事は「ミュージシャン」だったけど、「セネガル人はみんなミュージシャン」(クリピロ様談)。人口の95%がイスラム教徒だけど、顔をすっぽり隠す必要はない。「足は隠すけど、胸はときどき見せる」そうで、男の人をからかうときに「やーい」というノリでシャツをまくり、「これが好きなんだろー」と胸を見せるのだとか。「セネガルの女性は皆たわわだけど、わたしがやったら貧弱さに驚かれるかも」とクリピロ様。「砂埃が激しいので、防塵のパソコンを持っていかないと壊れる」という話も面白い。料理はけっこう日本人の舌に合う味らしく、カレーっぽい煮込みもあるそうで、「ぜひレシピを教えて」とお願いする。

セネガルは一夫多妻を認めていて、クリピロ様の恋人の家も父が一人に母が二人。それぞれがどんどん子どもを産んで、実家は二十人家族。その大家族がまるごと一緒に暮らせる家がクリピロ様の仕送りで建ったとか。わたしたちは勝手に「クリピロパレス」と名づけ、いつかその家(城?)の建つ国を訪ねてみたい、と夢見るのだった。

そんなこんなで、今まで全然縁がなかったけど、にわかに身近で興味をかきたてられる国、セネガル。日本人は二百人程度しかいない(政府系機関や商社関係者が中心)そうで、「クリピロ様、セネガルにいちばん詳しい日本人になるチャンス!」とけしかける。とりあえず、セネガルでの生活をはじめたら、ブログ(タイトルは「クリピロ通信」?)に綴ってくれるそうなので、楽しみ。ブログがオープンしたら、いまいまさこカフェでもお知らせします。

2005年02月08日(火)  映画『不良少年の夢』試写会
2004年02月08日(日)  FRIDAYの亀ちゃん
2002年02月08日(金)  フライングワイン

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