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2014年01月31日(金)
『新春名作狂言の会』

『新春名作狂言の会』@新宿文化センター 大ホール

「もう一月も終わりですが、あけましておめでとうございます。」とまず挨拶。大蔵流『宗論』、和泉流『止動方角』。出家狂言と太郎冠者狂言の傑作、江戸と上方。茂山正邦さんと野村萬斎さんのトークでまず作品解説。そして狂言歌謡『柳の下』舞くらべ。同時に謡い乍ら舞っていくのを見せてくれたのですが、おお、結構違います。大蔵流は腕の振りの手数が多く躍動的、和泉流は足の移動で滑らかさを見せる。同時にやるとどっちかがどっちかにつられそう…なんて思う素人考えをよそに、するりと美しく終了。狂言を始める最初期、まず習うのがこの『柳の下』だそうで、もう身体に染み付いているのでしょうね。「全然違いますね〜」なんて言い合っておりました。

まず『宗論』。浄土僧を茂山七五三(予定だった千五郎さんは我のためお休み。おだいじに)、法華僧を茂山正邦、宿屋を茂山茂。後見は井口竜也。ひとの信仰は信仰なるが故揺らがない、だからこそ違う信仰を許せない。ところがその信仰とやらを、本当にあなたは信じていますか?

序盤の言い合いが結構複雑で、上演前の解説がなかったらかなり厳しかったと思います。助かった〜。50分もある狂言を観たのも初めて。「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華経」、どっちがどっちだったけ…てなくらいですから……これを機に憶えるため書いておこう。

・浄土僧が唱えるのは「南無阿弥陀仏」
・法華僧が唱えるのは「南無妙法蓮華経」

で、すごいざっくり言うと、

・「南無阿弥陀仏」唱える→極楽浄土に生まれ変わって修行→成仏
・「南無妙法蓮華経」唱える→成仏

なんだそうです。俺っちの宗教のがすごいもん!すごいもん!と言い争い、疲れ果てて+ふてくされて寝てしまうふたり。嗚呼、いつの時代にもある風景。人間って変わらない。

休憩をはさみ『止動方角』。太郎冠者を野村萬斎、主を石田幸雄、伯父を野村万作、馬を飯田豪。後見に内藤連、働キに中村修一。解説で萬斎さんが年男と知りました、午年にちなんでの演目。そして狐とかは観たことあったけど、狂言で馬が登場するのは初めて観た。解説で萬斎さんが「狂言の馬は非常に簡素で…覚悟しておいてくださいね。歌舞伎とかだとちゃんとぬいぐるみを被って前脚、後脚とふたりの役者さんが入っていたりしますが、狂言はひとりが演じます。面を被り、たてがみみたいな飾りを付けて、ぬいぐるみではなく毛色の衣裳をそのまま……で、それに太郎冠者が乗ります。正面から見ると正に人馬一体、絶妙のコンビネーションですが、横から見ると……」などと終始ニヤニヤして話す。どんな馬が出るのかわくわくしておりましたよ。登場時にはホール全体に笑いとどよめきが。しばらくざわざわしてた(笑)。事前に解説されていなかったらどんな反応になっていたのかと思うとまたおもろい……。

しかしこのお馬さん、かなり大変だと思います。ずっと四つ足で歩き回るし、腕も足もとても高くあげて元気な様子を表現。ちゃんとひづめの音をさせるけど、それは床を拳で打っているからで…結構長い時間ですし。なんだか感心してしまった……。配役表に名前はありましたが、役者紹介の頁には写真も名前も載っていなかった。お弟子さんが下積みな感じでやるのかな、いやしかし素晴らしいお馬さんでしたよ。

萬斎さんの太郎冠者、うえっとかぬあっとか言う呻きの反応がまるで現代っ子のようでウケるウケる。ダメな上司にこき使われてブツクサぼやいてる辺りもすごく現代的でした。声色をはじめとする型がしっかり伝える狂言なので、今様にアレンジしたものではないと思われます。笑いの普遍に感嘆。

新年に伝統芸能を観るとなんだかシャキッとします。よき一年になりますように(今頃)。



2014年01月30日(木)
『鈴木勝秀(suzukatz.)-140130/ノーホエア・ウーマン』

『鈴木勝秀(suzukatz.)-140130/ノーホエア・ウーマン』@SARAVAH Tokyo

本日もジェイミーを観にオーチャード…ではなく、向かいのサラヴァ東京へ。数百メートル先でジェイミーが今演奏してるのね〜と思い乍らスズカツさんの作品を観に地下へ降りる、何この贅沢と言うか倒錯と言うか。や、しかし被らなくてよかった……。

配役は息子(ヤマモトマサオ)=菅原永二、サトコ(ミヤザキサトコ)=中村中、友人(トミタケンジ)=中山祐一朗、父(ヤマモトマサトシ)=石橋祐。そしてクレジットはなかったけど照明=倉本泰史、音響=鈴木勝秀かな?テキストはこちらからダウンロード出来ます

スズカツさんてんこもり、スズカツさんの宝石箱やーてなつめあわせ。毎回想像力に対する負荷が高い…うーん、負荷って言うと何か違うな。いや、負荷でもいいのか?加圧トレーニングみたいなものと思えばいいのか?長年(それなりに長年だよなあ……)観ていると、あ、このモチーフが出たらこう、この流れで来るとこうか?と網の目を読んでいく作業が楽しくなってきます。書き手が選ぶその分かれ道はどちらか。同じ道を選んだとしても表現の違いがあるか。対話をしている人物によってそれらはどう解釈されるか。それを受け手はどう見るか。

使われている言葉の出典を頭のなかから引っぱり出していく。出典と言うのは過去のスズカツさんの作品でもいいし、そのもととなったテキストでもいい。こういうことが数分、数秒毎に起こる。その刃物はおもちゃか本物か?これは雨音かホワイトノイズか?不毛にすら感じるおしゃべりの後に続くのは犬の物語か?音楽のフレーズは有限だと言うけれど、その前後の展開によって全く違う景色が見えてくる。選ぶ楽器、声質によっても印象は変わる。増してや全く同じプレイヤーはいない。そんなことを思い乍ら記憶を辿ったり検証したり。気付くと木ばかり見て森を見なくなっているので(…)慌てて俯瞰を意識する。

行ったり来たりを繰り返しているうちに、ストーリーがある方向に進みだす。ストレンジャーについていく。そして不在の人物について考える。登場人物たちが話せば話す程、不在の存在は色濃いものになっていく。今作の場合はヤマモトさんちのおかあさんね。母さん、オフクロ、家内、あいつ、奥さま、婦長……彼女の名前は出て来ただろうか?(あとでテキストで確認しよう)実は彼女こそがストレンジャーで、訪問者は彼女の情報のパッセンジャーだったのではないか、などと思う。

個人的にはおのれを振り返りすぎて首がぐるぐる回りましたよね(696)。助けてーーー!!!とピーター@動物園物語のように叫びだしたくもなりました。人生いろいろ。まあひとつ書いとくと私はおかーさんがおとーさんに宛てて病院から送ったハガキ束を実家から持ち出してきてますよ……。以下おぼえがき。

・中村さんベンジャミンバニーシニアみたいだった
・菅原さんと石橋さんがピーターラビットとベンジャミンバニージュニアな
・このたとえ、誰が判るのか
・上にねこの乗っかったざるに閉じ込められて出られなくなってるピーターとジュニアをシニアが助け出しに来るんですよ
・うさぎのくせにねこを追っ払うのな…むちで……強い………
・で、二匹のおしりをむちでひっぱたいておしおきですよ
・とまあこんなことを考える気の狂ったひとの感想なのでそっとしといてください
・こんな自分がいやになる@マリリンマンソン

・菅原さんの着てたシャツかわいい。あれどこのかすごい気になる
・中村さんの真っ赤なニットもかわいかったなー
・こうやって見ると?菅原さんと中村さんきょうだいみたいね
・中山さんがだんだん職場のひとに似てきている
・石橋さん、このシリーズでは客席でよくお見掛けしていましたが今回は出演者
・それにしても皆さんいい声。ほれぼれ
・中村さんの声がまたな!鎮静効果があるような
・なんだ、あんかっぽい……(また変なたとえを)

・玄関チャイムを鳴らす音等を拍手で表現していたの、面白かったなあ。中村さんの所作がまた美しくて
・途中中村さんがテキストを見失うと言うハプニング。ホンは製本されていない紙の束なのですが、ノンブル通りに重なっていなかったか何かでしばらく該当ページを探し、中断。その仕草がとても自然だったので最初は普通に「間」だと思っていた
・で、その中断も別に止めますとかそういうことは言わないで、皆静かに待ってる感じ
・どう再開するのかな…と思っていたら、石橋さんがその直前の台詞をリピート。このタイミングがとてもよかった
・事故が起こったら石橋さんについていこうと思いました(『ゼロ・グラビティ』におけるコワルスキー・笑)

・退室しているのか判らないおとーさん。どのくらい離れた部屋にいるのか、会話が聴こえない距離だからと家の広さ(間取り)を考える
・駅から遠い家
・ミヤザキさんがお買い物に行く時の画ヅラ。坂道、足元、ふくらはぎ
・天気
・サイン波

・メモ:クリス・コーネルのインタヴュー、“twice as bright but half as long”が意味するところ



2014年01月29日(水)
JAMIE CULLUM JAPAN TOUR 2014

JAMIE CULLUM JAPAN TOUR 2014@オーチャードホール

つ、ついにオーチャードホール。翌日の追加公演もオーチャードときたもんで、ああもう東京ではジェイミーをスタンディングで観られることはないのか…と思っていたのですが、開幕からもうスタンディングでした。言い直そう、もう椅子がない会場で観られることはないのかと(笑)。東京以外ではライヴハウスなんですよね。

あと単純にちっちゃい子だからおっきいとこだとね、ほら…み、見え(略)しかし演奏するとこのひとはホント大きく見える、いや、マジで。

こちらが勝手に構えていたんですね。あののびのびパフォーマンスを普段クラシックを演奏するホールで?と。ジェイミーにはそんなの関係なかった。何せ全身音楽家。一曲目はスネアを叩き乍ら、あっと言う間にピアノにのぼり、弾く、叩く、といつものとおり。マイクから離れたり近付いたり、少しでもPAを通さない音を届けようとしているかのよう。そういえば2010年のフジでも、あんなに広いグリーンステージから生声を届けてくれたなあ。

そしていつものとおりセットリストはなく、ジェイミーのちょっとしたリズムや音程に即反応していくバンドメンバー。みるみる曲が姿を変えていく。スリリングな展開を追うのに必死、手に汗握り乍らも芳醇な音を噛み締める。あの声、あのピアノ、そしてピアノ(のボディ)パーカッション!自己紹介は「ジャスティン・ビーバーです」で大ウケ、対してメンバー紹介は名前の前にきちんとMr.をつけ、丁寧にコメントをつける。カヴァーもやるよ、今日だけのスペシャルを!レディ・ガガ?ん〜違うな……何がいい?とリクエストを募る。フレーミングリップスの「Do You Realize??」をやりました。おおお!そっから「Save Your Soul」へ。「Save〜」は最新アルバム『MOMENTUM』からのナンバーですが、TOYOTAのCMにも使われていたので耳馴染みがあるのか観客もわっと湧きました。どの展開も息をつかせぬもので素晴らしかったんですが、やっぱここはアガッたわー。そうそうこんなふうにどんどん数珠つなぎで曲を続けていくし、ひとつの曲に他の曲をまぜたり挟み込んだりするので、セットリストがどうこう言えない。一夜でひとつの作品なのです。

あとYAMAHAに行った話とか、焼き肉屋に行った話とかしてました(微笑)。何度も合掌して挨拶してた。ジャケットを脱いで、シャツを脱いで、最終的にはTシャツ一枚。自分の部屋で演奏しているみたいなリラックスぶり。

とは言うものの、ステージと客席の距離が気になっていたようで、何度も客席に手を伸ばして最前列のひととハイタッチを交わす。そしてやっぱり客席に降りてきましたねー。ひとりにロックオンして、むっちゃ至近距離て目をじっと見詰めて唄い上げたり。かわいい顔してこういうとこはやりよる!周囲のお客もひゃーとなりつつ俺も私もとならないところもなんかいいな。皆かわいい……。最後の方では投げキッスだけではあきたらず、最前列のお嬢さんの手をとってその甲にキスしてましたよ。やりよる。

本編最後では皆こっちにきてよ、難しい?でも皆同時にわっとくれば大丈夫だよ!なんて言って(笑・しかもなんか淡々と言うのよ)、オッケー出ました!とうずうずしていたファンたちが前へ押し寄せていく。ここでパニックにならないところがまたいい。ジェイミーもファンも、他人に対してのおもいやりが感じられる。年齢層も広く、近くの席では美しい銀髪のおばあさまが終始ニコニコして手を叩いていました。ジェイミーがジャンプ!て言ったらジャンプしてた!そして隣の席のB-BOYぽいファッションの兄ちゃんはすんごいエキサイトしてた。ジェイミーがカモンつったら即前に出てった(笑)。

オーラスはピアノと声のみ。湧いていた場があっと言う間に静まり返る。一度ハケたドラムのひとがあっ、と言う感じで戻ってきて、スネアのスナッピーをオフにする。ビリビリ鳴るからね。しんとしたホールに響いた声とピアノは本当に美しいものでした。生音(特に微弱音)の響きはクラシックホールならではだった。最後に「I'm Jamie Cullum.」と名乗って帰っていきました。

拍手で手がパンパン。終演後客電がともり、上気したような顔で帰っていくひとたちを眺める。この時間、好きなんだなー。幸せそうな表情が沢山見られる。単独初来日のクアトロからずっとそうだ、このひとのライヴはいつもハッピーな気持ちになる。笑顔で、涙が出て。その“いつも”が“いつも”であることの素晴らしさと凄まじさに感じ入った次第です。また来てね。

おまけ:帰り道「誰かに似てるとずっと思ってたんだけど、マイケル・J・フォックスだ〜!」と言う声。あっなんかわかる……。

(追記:setlist.fmにセットリスト出ましたー。流石にフレーズ全部は書かれてないけどこんな感じ)
・Jamie Cullum Concert Setlist at Orchard Hall, Tokyo on January 29, 2014 | setlist.fm



2014年01月26日(日)
『一郎ちゃんがいく。』

『一郎ちゃんがいく。』@青山円形劇場

明治時代のお芝居が続きました。英国留学団のリーダーに選ばれるべく、“日本一の天才”の座を争う男四人!試合ならぬ試験会場は国技館!金儲けの大好きな日本男児・浅井一郎ちゃんは日本一の座を射止めることが出来るか!?

なんだかんだで初見です。今回の再演って、牧野エミさんのことも関係しているのかなあと思いつつ、クローズへとカウントダウンしているのかしていないのか判断つきかねる青山円形劇場へ。クローズしないでください!(念)

争う四人の男たち。キャラクターがくっきりしててバランスよく、それを演じる役者さんの魅力をも堪能出来る。升さんは当て書きなので(いやあホントいい男)納得するけど、他の三人…稀人(粟根まこと)、華族意識高い男爵くん(平野良)、宮さま(土屋裕一)の馴染みっぷりがまた素晴らしくてですね。各々の個人技が光る!特に粟根さんな…どっからどこ迄アドリブなの……泣く子も黙るひとり上手っぷりです。ひとり柔道とか素晴らしかったよ!見える、相手が見えるわ!かと思えば絶叫し乍ら劇場外に出て行く、その声がぐるりと移動していく…ホントに円形外周を走っている。円形ならではの演出?ですヨ!ゼエゼエ言ってた。大丈夫ですか……。あとひとり電話で「今、代々木です。乗馬倶楽部の前です…間に合ってよかった〜」。誰よ…今日来るお友達とかかねえとフツーに笑ってたんですが、カーテンコールでこの電話の相手が土屋さんだったことが判明。寝坊したそうです(笑)間に合ってよかったね!!!

抱腹絶倒の舞台。ラストシーン、暗転しきる前に拍手が湧いた。じてキンの『ソープオペラ』を思い出した。大団円!もう待てない!って観客の思いが形になったようでした。升さんのお嬢さんとエミさんの姪っ子さんが出演していることも、この作品が長く長く愛されているのだなあと思わせられた。しかも升さんの方は父子役なのね…「全く誰に似たんや!」「お父ちゃんや!」なんてやりとりも微笑ましい。てか升ノゾミさん、すごくいいですね!小劇場界隈における「女優が演じる少年」の愛嬌が、「ああ、これこれ!」と懐かしくもありました。声もいい。

売名行為には間に合わなかったので、升さんとエミさんを観たのはMOTHERからでした(と言うか『現代用語の基礎体力』『ムイミダス』から知った)。カーテンコールでものっそ何か言いたそうな顔をしていた升さん。こういう楽しいお芝居だもの、しんみりさせてはいけないな、と思っていたのかも知れないなと言うのは邪推でしょうか。

そうそう、いぬの鳴き声が真後ろのスピーカーからいきなり聴こえてきたので本気でヒッとなって振り返ってしまった。あ〜こういうサラウンド音響も円形なら!なくならないでください!(再)



2014年01月25日(土)
やなぎみわ×劇団唐ゼミ☆合同公演『パノラマ ――唐ゼミ☆版』

やなぎみわ×劇団唐ゼミ☆合同公演『パノラマ ――唐ゼミ☆版』@入谷各所

『ゼロ・アワー』ですっかりやなぎさんの演劇作品にも魅せられていたところ、唐ゼミ☆と合同公演をやると言う。わー渡りに船(使い方が違う)だわといそいそ入谷へ。

下谷一丁目(旧坂本町)界隈で三日間開催される『パノラマプロジェクト 東京篇』参加作品。同イヴェントに参加している他の作品も観ることが出来る遠足式です。“下谷○丁目”と書かれている街区表示板(こういう呼称だって今回検索して初めて知った。「青くて細長い町名書いてるやつ」て呼んでた…webは雑学が得られますねえ←と今思ってるのも翌日『一郎ちゃんがいく。』を観たからで)を目にして唐さんへ思いを馳せつつ、集合場所である入谷交差点へ向かう道中も楽しかったです。既に芝居の世界ですよ。

と言いつつ地図の読めない典型なので、鴬谷駅から行ったら見事道に迷いましたね。こうなるであろうことは予想出来ていた(まあいつもだからな…)+滅多に行かない町だから散歩もしたかったので、かなり早い時間には行っており、流れ着いたスパゲティ屋さんでごはんを食べてから道を訊きました…おっちゃん親切だった……てか意外と目の前で「店出て左に曲がればそこですよ」と言われて恥ずかしかった……。スパゲティもデザートのアイスも美味しかったよ!交差点の位置が判ればいくら私でももう大丈夫です(…)。迷ったら交差点に戻ればいいんだもんな!集合場所の『やきとりたけうち』を確認して再び散歩へ。とても地域猫とは言い難い、ガビガビなのらねこを三匹も見掛けてほくほくです。いかにも地元!なパン屋さんで買い物もしてうはうはです。おやつもコーヒーも旨かったぜ(どんだけ早く行ったんだ)。

さて時間です、交差点の『やきとりたけうち』前でまず受付。既に演奏会が始まっております。やなぎさんと言えばの受付嬢がいらっしゃいます、きゃー。制服かっわいい!しかしそのなかにひとり太い声の方が…唐ゼミ☆主宰の中野敦之さんであった。前回(『唐版 滝の白糸』)もこういう出会いだったよな……(笑)や、しかし段々かわいらしく見えてきます、ピンクのケープが似合います。と言う訳で第一会場への地図とカイロ(親切)を渡される。自力で行くのか…また迷うかも……と思っていると、案内嬢が連れて行ってくれました。途中京劇のような華やかな衣裳をまとったお嬢さん方が、にっこり笑って道順を示してくれる。慣れているのか、この三日間はこういうひとたちが町にいますよ〜とお知らせがあったのか、通行人はさして気にしている様子もない(笑)。町の日常にえっ?と言う姿形のものがいるこの違和、なかなか楽しい。

第一会場であるスペースアデューで関東大震災前の浅草ジオラマ展示を、シナジーホールで『BEACON 2014 memento』上映を鑑賞。ジオラマで当時の下町の風景を、『BEACON 2014 memento』でパノラマ館を想像。ここで第二会場への地図を渡され、思い思いに散策しつつ開演18時迄に辿り着いてくださいとある。ここで『パノラマ』が上演されるんですな。第一会場を出たひとについていけば大丈夫だよネ!と呑気に考えていた。このときは。行く先々にいる、唐ゼミ☆の役者さん扮するボクサー(上半身裸ですヨ勿論!寒い!)、絵描き、弁士さんたちを賑やかしているうちに気付けばひとり。ちょ、皆どこ行った!なんかふらふらしてるうちにものっそ私道みたいなとこに入り込んでしまいました。日はどんどん暮れていくし、元来た道がどっちだったかも判らなくなるし(どんだけ)マジで焦った。開演に間に合わなかったらどうしようかと思った。数分のことだったと思うけどシュールだったわー、今思うと楽しかったわー。

なんとか辿り着きました。廃校かな?旧小学校と書いてあったけど、校庭ではサッカーの練習してる子もいたので施設としては使われている様子。ロビーには、たけうちにいた音楽隊。劇場は体育館でした。小学校のだからちっちゃめ、バスケットゴールとか低い感じ。体育館ってすごく広いイメージがあったけど、こっちが大きくなるとサイズ感が変わるなあ。ストーブがたかれていて暖かい。FAにフォルマント兄弟・三輪眞弘さんの「6人の当番のための『みんなが好きな給食のおまんじゅう』」初演。給食配膳着を着た男女がおたまを筒型のスティックで叩き、曲を演奏。筒の長さが違うので音程がつきます。気持ちのよい音色です。リズムがカチッと合わないのはご愛嬌…にしても、なんでこうもズレるか?と見ていたら、多分あれだ、利き手でおたまを持ってるからだ。おたまは固定で筒を叩く(=演奏する)手が利き手じゃないからだ。余計なお世話ですが逆のがよかったんじゃ…それともこのズレこそが狙いなのか?気になる!

いつの間にかストーブが消され、底冷えがじわじわ迫ってきました。かわいらしい顔をした青年が露店を背負い登場、洗濯バサミでぶらさげられている紙片を自作の詩だと言って売り始めます。開演です。

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明治23年に輸入され、一世を風靡したパノラマ館。円形の建物中央の展望台から首を出し、360°の風景をぐるりと観ることが出来る。戦争画が主に扱われ、観客は現地の様子をその絵によって窺い知る。映画の台頭により二十年弱で衰退、あっと言う間に姿を消す。萩原朔太郎『日清戦争異聞(原田重吉の夢)』をモチーフに、パノラマ画を描くふたりの絵描き、日清戦争の英雄・原田重吉、その謎を追う詩人が時間を超えて言葉を交わす。

2012年初演の作品の改訂版。当方『ゼロ・アワー』がやなぎさんの演劇作品出発点なので遡って観ていることになりますが、作風と言うか色がうっすら見えてきたような印象です。で、こりゃ大好きだ!と確信。今後は美術作品だけでなく演劇作品も観ていこうと決める。

綿密な取材から構築される、確固とした世界。対立あるいは切磋琢磨するふたりの人物、そのきっかけとも、モチベーションとも言えるひとりの人物。複製・増殖し稀薄になっていく存在と、それを追う存在。抹消あるいは捏造された歴史、そして薄れていく記憶。優れたストーリーテラーであるやなぎさんの美術作品で常に感じられるこれらの要素は、生身の人間が動く演劇作品でも観る者の興味と関心を惹き付けていく。ミステリとしても観られる。本当の原田重吉は誰なのか、パノラマ画の玄武門は果たして本当にあったのか。誰もその現場を見ていない。富と名声に惑わされ名乗り出る幾人もの原田がいれば、有名税に押しつぶされ身を滅ぼす原田もいる。メディアはこぞって原田を探し、原田と言う人物をでっちあげる。どの情報を事実として描けばよいのか、絵描きは惑う。葬られていく名もない人物は、暗闇のなかへ消えていく。

勿論ヴィジュアルは申し分なし。今回美術を中野さん、衣裳をやなぎさんが担当したそうですが、くすんだ装置と鮮やかな衣裳の色の対比が目に焼き付きます。蛸の帽子かわいかったわー。新聞屋の男が最後に見た光景はどんなものだったのだろうとふと思う。イキのよい役者たちが躍動する。体育館にパイプ椅子を並べた会場の通路を、大小さまざまな装置を担いで走り回る。皆ツラ構えがよいわー。唐ゼミ☆鑑賞は二回目なれど、あ、こないだアリダ役だったひと(西村知泰さん)だ!とか、お甲(禿恵さん)だ!とか、即ピンとくる。ひとの顔を憶えられない自分からするとこれ、相当です。新聞屋(松田信太郎さん)の声もよかったなあ。そしてアゲハ!椎名裕美子さんの気っ風の良さ!前口上と見せかけて、するりと観客を劇世界に引きずり込んだ詩人を演じた熊野晋也さんもよかったなあ。

そうそう、禿恵さんの役名がブラック・ダリア。舞台の時代は1890〜1930年代、ブラック・ダリア事件は1947年。こういう時間の捻れにもニヤリ。

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書いているのは月曜日。三日間の祭りは終わり、あのひとたちもすいっと消えた。次に入谷に行くのはいつだろう。そのとき名残を見付けられるかな。



2014年01月21日(火)
METROFARCE『Last Time Around 凍結一時解凍LIVE』

METROFARCE『Last Time Around 凍結一時解凍LIVE』@TSUTAYA O-WEST

メリーさんが東京を離れることになった2012年末に凍結ライヴがあったのだが、年末進行ドはまり中で、チケットとってたのに行けなかったのだった。あ、だんだん思い出してきた、その翌日のブンブンにも行けなかったんだ(泣)。

そんなこんなでこのときはもう、今後メトロファルスのライヴはないと覚悟しておかねば…と思っていたのに行けなくて心残りだったのです。そしたら思ったより早く一時解凍ときた。今度は行けた、嬉しかった。でも、より覚悟が必要になる内容でもあった。

メンバーはVo:ヨタロウさん、B:GUNちゃん、key:メリーさん。そしてG:西村さん、SxやらPercやら口琴やらは栗コーダーカルテットから川口さん。腰が限界とのことでBOSSIさんが欠席。かしぶちさんのこともあったので、腰と言われてギョッとする。と言うか、腰がと言って親も知人もそのまま亡くなったので、腰痛と言われると必要以上に不安がる自覚はある。なにごともないといいし、また演奏出来るようになるといい。熊谷さんがPercからDrsにコンバート。Vlnはべちこさん。そしてフライヤーには掲載されていなかったけど、Gにex.SFUの河村さん。カンカラ三線のホールズさんは沖縄から。アンコールで『もっと泣いてよフラッパー』稽古場から、くものすカルテットの片岡さんがVlnで飛び入り。

西村さんは面影は辞めたけどメトロはまだやってくれるようで、京都からわざわざ有難うと言われていた。そもそもメリーさんが山口からだからね…戸川純ちゃんのバンドもあるし、ちょこちょこ出てきてくれれば、そのときにまたやってくれれば、みたいなことを何度もヨタロウさんは言うのだけれど、メリーさんには決心があるようだった。それはメリーさんのサイトを見れば判る。還暦だからスカート履くのもやめるってヨ!衣裳を脱いで置いてくんで、ほしいひとはもらってってと袋に詰めていた。山口百恵が白いマイクをステージに置くようでしたヨ!茶化して書かないとしんみりしちゃうヨ!まあでもね、こういう決心はいつ揺らいでもいいんですよ。気が向いたらまた戻ってくればいいのよ。と無責任ないちファンは思います。

メトローマンスホテルやヨタロウBANDからの面々も入り交じり、バンドと言う枠には収まらない、まさに“さまよえる楽隊”にメトロファルスは姿を変えていく。バンドを長く続けることとはこういうことなのだなあ。メトロはいいともと同期、メリーさんがヨタロウさん、GUNちゃんたちと一緒にいろいろやるようになったのは徹子の部屋と同期だそうです(笑)そりゃいろいろあるよね。バカボンも横川さんも玄一さんも、いつの間にか離れていた。HONZIももうここにはいない。オリジナルメンバーに拘る向きもあろうが、メトロにそれは当てはまらないようだ。プレイヤーが変わると曲の表情も変わる。演奏には位相があると感じる。曲にはいくらでも金脈があり、引き継ぐプレイヤーによってまた新しい顔を見せる。1バンドの楽曲はトラディショナル・ミュージックとなり、世代を超えてリスナーに愛され続ける。

MCでヒヤリとしたところもあるし、正直足並みは揃っていない。ヨタロウさんはまだまだ続けたいようなので、やってくれる限りは観ていきたい。

その他。

・ステージ後ろのカーテン、なんで半分だけ開けてんのかなーと思ったらミラーボールがあるからでした。物干竿に通したみたいなミラーボールがステージ上の木枠(としか言いようがない。おしゃれなスタンドとかではない)に下がってて、そのキラキラを映すため…カーテン開けたところの壁が白いから
・ひとの身長よりちょっと高めの位置に鎮座するミラーボールってのも味がありますわ

・ヨタロウさんの「新しい恋人」ねこの話。そろそろ一ヶ月になるのに50cm以上近付けない。近付くとシャーって言われる。甲斐甲斐しくえさやトイレの世話をしているのが修行のよう、「……抱かせてくれよう!!!!!」と言う叫びが痛々し……や、いつか、布団のなかに入ってくるようになりますよ…きっと……
・と言ってたら先程初めてなでることが出来たらしい。よ、よかったですね……(涙)

・ヨタロウさんの髪、基本ブリーチで白(金)髪なんですが、よくみると根元真っ黒よね。あの、ヤンキーくんの頭がプリンみたいになってるみたいな…実はブリーチやめたら髪真っ黒だったりするんだろうか。白髪なさそう
・若いよねー

・恒例アンコールのソロまわし、好きな歌を唱っていくんですが熊谷さんの歌に皆がキョトンとする。唄い終わった熊谷さんに皆が「何?何?誰(の曲)?」熊谷さん「………僕の大好きな『ナビゲーター』と言ううたです…ブルーハーツの……」。じぇ、ジェネレーションギャップ……
・二世代は軽く違いますもんね(苦笑)

・しかし思うに、ヨタロウさんの若者とのつきあいのよさってのは才能だよなあと思ったりする。慕われるし、本人も好奇心を持ち続けて若い世代の音楽を聴いている。行動力もすごくあるものね
・でも皆、身体だけはだいじにね



2014年01月17日(金)
朗読「東京」『東京ノート』

芸劇+トーク ――東京を読み 東京を語る―― 朗読「東京」『東京ノート』@東京芸術劇場 シアターイースト

三日目は平田オリザ『東京ノート』を菅原永二×佐久間麻由で。演出は江本純子。舞台上にはソファや長椅子、テーブルが数脚。後方に面出しブックスタンド。一冊だけ文庫本が置かれているが、客席からだと何の本か判らない。前方にホワイトボード。登場人物の名前、プロフィール、相関図が書かれている。開演迄それを眺めて予習(笑)こんなにいるのか…数えてみれば18人。これをふたりで!?

ホワイトボードが撤去され開演。私服っぽいダッフルコート(かわいい)姿の菅原さんが入ってくる。ブックスタンドの文庫本をとりあげ、裏表紙のあらすじをぶつぶつと読み始める。あ、これハヤカワ演劇文庫か。そういえば『東京ノート』も刊行されていたっけ。そこへ佐久間さんが入場。一瞬目を交わし、そらし、中央の長椅子の両端に座る。ホンをひろげる。本編が始まる。読了後はまたよそよそしいふたりに戻る。女性はカメラを置き忘れて出て行く。それに気付いた男性は一瞬躊躇するが、カメラをとりあげることもなく、あとを追うこともなく出て行く。終演。

アフタートークで、これは「音読カフェに来た初対面の男女が戯曲を読み始める」設定だったと判明。成程!ホンがないときとホンに入っているときの男女の距離感が面白い。役者の面白さでもあります。

これ初演だか再演だか観てるんだけど導入等すっかり忘れており、菅原さんが読み始めた役が女性だと気付くのにちょっと時間がかかった。そうだよなあ、日常の会話で「〜よ」とか「〜だわ」っていかにもな言葉を使うことって、実のところそんなに頻繁ではないのだ。その人物が男か女か、テキストのみでは判らない。会話の進行によって、その内容から徐々に気付いていく。ジェンダーって曖昧なものですね。

基本ひとり9役くらいですが、担当している役同士が会話する場面が続くと誰が誰だか判らなくなる。そういう場合、演者が役をスウィッチする。実質ひとりあたり11役だったそうです。明確な合図があった訳ではないけれど、あ、さっき菅原さんがやってたこの役は今佐久間さんがやっているのね、と言うのは判るようになっている。平田さんのホンなので同時多発会話もある。相づちや単語のみでの会話が連発されるところもある。にも関わらず、各パートのキモはしっかり前面に出てくる。実質一日くらいの稽古だったそう、すごい……。

ぼーっと聴いているとあっと言う間に誰が誰だか、になってしまうところは確かにあるので、集中力は結構必要。終演後江本さんが「観る方も体力がいったでしょうね」と仰ってたけどホントそうでした。戯曲の登場人物20人を18人に、場面や台詞もブラッシュアップして上演時間も1時間に短縮したものではあったけどかーなーりー濃かったわー。

そうやって聴いていると、当時自分は同時多発会話と言うスタイルにばかり注目して観ていたんだなと気付く。菅原さんも仰ってたけどこれすごくせつないホンだ。家族、職業、学習。登場人物たちが社会にどう関わっているか。関わりに疑問を持ち、その疑問こそが社会に参加していることだと気付きまた悩む。悩んでいても解決にはならず、それはせつなさをもたらす。改めて観る(聴く)機会を持ててよかった。

アフタートークも面白かった、ジュンリー素敵☆ 菅原さんとは初タッグだそうで(『劇団演技者。』の「インテリジェンス」で共演はしており、呑み会で会うこともあったので面識はあった)、江本さん曰く「本谷さんとか岩井さんとか、割と近い世代の演出家の作品に出ていることが多くてずっと気になってて。いいなーって、私のにも出てほしいーって…ひとのもんほしがる子供みたいですけど(笑)」。応えて菅原さん「僕は誰のものでもありません…(半笑)いや、でも光栄です」。あと佐久間さんの「川崎出身なんですけど、そう言うと『へえ〜…(川崎ねえ…)』みたいに返されるから横浜出身ですって言ってます。いや、実際境目で、ちょっと行くともう横浜のところなんですよ!」と言う力説が面白かった。神奈川って言えばいいじゃない!これだから横浜は!@マツコデラックス



2014年01月15日(水)
朗読「東京」『咄も剣も自然体』

芸劇+トーク ――東京を読み 東京を語る―― 朗読「東京」『咄も剣も自然体』@東京芸術劇場 シアターイースト

初日は五代目柳家小さん『咄も剣も自然体』を松重豊×千葉雅子で。演出も千葉さん。いやー、よかった〜…じわりと心に沁み入る一夜。

舞台後方に高座。屏風と座布団に暖色照明が当たっている。その前に椅子とサイドテーブルが二脚ずつ。テーブルにはコップと、上手側のみ急須と湯呑茶碗。一升瓶を持って登場した千葉さんが「へいらっしゃい!」、ひと足早く入場していた松重さんが「寒いねぇ!」。上手に松重さん、下手に千葉さんが座る。「いきなり日本酒かい、とりあえずビールってのはないのかい」「何かあぶりましょうか?」コップに酒を注ぎ、軽口を交わし乍らテキストのページを開く。小さん師匠が軽妙に東京の風景を語りだす……。浮かび上がる大正、昭和の風景。古地図がみるみる立体化していくかのよう。

いやー、この導入、粋でした。アドリブぽかったな。池袋は東口に西武、西口に東武でややこしいねえ、芸劇は東口かい?(芸劇は西口です松重さん…)なんて。千葉さんは目白の居酒屋と想定していたが松重さんは池袋だと思っていたことが後のトークで明らかに(笑)。

小さん師匠のエッセイを再構成したテキスト。初めて知ったことも沢山あった。長野からの上京、関東大震災、浅草から目白への転居、剣道の心得、弟子入り、先代小さんの教え、かみさんとの出会い。陸軍に入隊、演習と言われて出掛けた先は二・二六事件。自分たちがクーデター側だと知ったのは警視庁を占拠してしばらく経ってから。二度の出兵話で語られるのは、戦争の悲惨さではなく暮らしの風景。満州の餃子のおいしさ、ベトナムで見掛けたバカンス中のフランス人。敗戦後の引き揚げ船の様子も内容はかなりヘヴィーなのだが、「それよりも帰れる嬉しさの方が大きかった」。徴兵された噺家の名を幾人か挙げ、「噺家は戦争に行っても死なないんです」。

松重さんの語り口がいいんですわ。穏やかな求心力。賢い飼いいぬ、師匠、喧嘩ばかりしていた妻。彼らは突然いなくなる。散歩から帰ってこなくなる、急死してしまう。淡々と離すその口調の裏に寂しさが滲む。笑いの裏の陰がちらつく。千葉さんは、居酒屋の主人と言う聴き手の役割を担いつつ、場面によっては話のなかの登場人物になる。師匠との思い出を語る主人であったり、生代子夫人であったり。生代子夫人の登場場面面白かったなー。『ニュー・シネマ・パラダイス』のテーマが流れて、白い照明があたって、遠い目をする千葉さん。しばらくして「ガラじゃないっ!!!」、師匠との言い争いに突入。

警視庁に籠城中、命令されて『子ほめ』をやらされ誰も笑わなかった話、名人と言われた蕎麦すすり芸のため、蕎麦屋に入ると「実際はどう食べるのか」と注目されて困ってしまう話も印象的でした。個人的にはお孫さんたち(小林十市、柳家花緑)の活動を観てきているので不思議な気分にもなりました。十市さん、ブログに目白の話よく書いてたなあとか。花緑さんもいらしてました。

おっ、もうこんな時間かい。それじゃあお勘定。釣りはいらねえよ。毎度っ。お寒いんで、気をつけて。あっと言う間に時間は過ぎて。ガラガラと言う引き戸の音が聴こえるようでした。

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終演後、企画監修である川本三郎氏を聴き手に行われたトークも面白かったです。以下おぼえがき。記憶で起こしているのでそのままではありません。

千葉:もともと落語が好きで、東京を描いたものを…と依頼されたときもうこれしかない、と
松重:田舎者ですから小さん師匠の落語を実際に観る機会はありませんでしたが、今はYouTubeで昔の映像がいろいろ観られるんですよね。それを観て…売ってるもの(DVD)買って観ろって話ですが(苦笑)
川本:松重さんは『しゃべれども しゃべれども』で噺家に弟子入りする役を演じてらして

千葉:読んでいくと実感しますけど、東京って軍都だったんですね。今ミッドタウンがあるところは防衛庁だったし…
松重:今娯楽施設になってるところ、だいたい軍の施設跡ですよね。(導入部で話題に出た)巣鴨プリズンもそうだし(サンシャインシティ)、青山劇場も確か……
川本:そう、そう。演習は井の頭公園って出てきましたけど
千葉:井の頭公園から防衛庁跡、つまり六本木迄行軍って、すごい距離ですよね。昔なら普通か……
川本:普通に街の中心に軍の施設があり、兵隊さんがいた。関東大震災で下町を離れたひとたちが西に流れてきて山の手が出来て…
松重:田舎者ですから(松重さんこれ連発してた)わからなくなっちゃうんですけど、山の手と山手線ってどう関係があるんですか?山の手じゃないところにも通ってますよね
(その後話が逸れていったところ、「それで、山の手と山手線は…」と引き戻してウケていた。余程気になっていた様子・笑)

川本:娯楽は下町のものだった。落語、歌舞伎、相撲。おじいちゃんにつれていってもらうとかして、代々引き継がれていった。山の手には官僚や教師、役人が住んでいて、下町文化がない。歌舞伎を観に行くなんて!と言う感じ
松重:小さん師匠が長野から出てきたと言うのは意外でした。落語家は代々江戸っ子なイメージがあったので
川本:いぬを飼うと言うのも山の手から。庭があるお屋敷で。下町はねこですね。長屋だから犬小屋が置ける庭はない、ねこを飼う
松重:飼っているいぬの話、出てきましたね。お父さんが浅草に馴染めなくて目白に引っ越して…下町の芸である落語をやり乍ら山の手に住んでいる。面白いですね

川本:猫のホテルって劇団名、面白いですねえ。どういう由来で?
千葉:演劇仲間が、少女マンガみたいな芝居をやろうってことで、少女マンガによく出てくるモチーフから、猫とホテルを……
松重:(すかさず)ぜんっぜん違うじゃないですか、詐欺じゃないですか!僕が客演したのだって、談合で、買収で…(以下『電界』のあらすじを語る)
川本:(困惑笑)



2014年01月14日(火)
『冬眠する熊に添い寝してごらん』

『冬眠する熊に添い寝してごらん』@シアターコクーン

おも、おも、面白かった…くま、ロシア、寿司って好きなもんばっかり出てくるし情報量多いしもう発狂しそうでした(笑)リピートしたいよ!

古川日出男の作品は数冊しか読んだことがなく演劇作品は初めてでしたが、清水邦夫を連想するモチーフや言葉が散見されました。これは普段からそうなのか、演出が蜷川幸雄と言うことで意識したものなのか気になるところ。大挙する老婆、還ってきたジュリエットたち、そして鳥ではなく昭和を代表する歌手ひばり。対して演出。蜷川幸雄全部のせみたいなとこがありつつ、実は全然全部じゃないってところがまた面白い。かつて採用された演出がクロニクルのように飛び交い、過去の記憶が掘り起こされる。各作品は独立して観られるものではあれど、蜷川幸雄の演出史として観ることも出来、非常に興味深い。中越司の美術をはじめ、スピーディな転換が次の場へと滑らかに連動していくスタッフワークも素晴らしい。そして役者。これだけのボリュームの外枠に拮抗しうる強い座組です。以下ネタバレあります。

個人的には「好きに書いた、これを舞台に載せられるか」と言う作家と、「おう、載せたるわい全部」と言う演出家のバトルを観に行くと言う思いが強かったので、そういう意味では大満足です。日本の失われて行く自然、エネルギー史、戦史と、情報は多い。イメージモチーフも多い。いぬで!大仏で!ドーン!とか、こういうのが観られる舞台ってホント大好きなんですよ…何気にちっちゃい子とか客席にいたんですが、あの犬仏が夢に出てうなされるとよい。反動で演劇こわいだいきらいってなっちゃう子もいるかも知れないけどね…ヴィジュアル的にもそうだけど、こういう、日常でお目にかかることはない(あったら怖いわ)頭おかしいんじゃねえのと言うイメージの洪水をコクーン規模で観られるってのはやはり嬉しいことです。

転換は基本人海戦術。複数の役をこなす役者とスタッフの人力で、物量そのものを凌駕する。しかもそれが美しい。所謂編集の妙でもあるのだが、テクニカルな面としては序盤、バックドロップの白い幕に映し出された般若心経のテキスト映像がスライドし、港湾の風景になる鮮やかさ。そして回転寿司店の巨大ベルトコンベアを担いだスタッフが、入れ替わりでステージに登場する老婆や人夫たちと交差し、石油村の労働風景へと滑らかに紛れて行く撤収手法。この機動力。

歴史の裏で、打ち捨てられた人物たち。冬眠は社会的に葬り去られ、民衆から忘れられて行くことの暗喩だろうか。母親ではないのでこどもは生めない。しかし、超えた時空の先には彼らの子孫がいた…と言うことは。死んではいない、仮死状態でもない。穴蔵のなかで新しい命を育む、そして春を待つ。神話を感じさせ、現代へ鐘を鳴らす、美しい物語。

勝村さんと井上さんの二本柱は強靭でした。こういう役回り(ストーリー上と言うより、座組として)がふたりいると心強いですね。思えば井上さんを初めて観たのは例の『HAMLET』(1回目2回目)で、「いい役者さんだなあ」と思っていたくらいだったのですが、このときめちゃめちゃ苦しんでいたのだと今回のインタヴューで知りました。幸福な再会になってよかったね…また出てほしいなあ。ミュージカルでのファンの方がどう思っているかは判らないが。そして杏ちゃん。鈴を転がすような声で、豪速球を投げてくる。上田くんもよかったです。後半の長い狂乱場面、あの発声でしっかり台詞が聴き取れるところもいい。井上さんと声質が違うので、ふたりの言葉のやりとりが気持ちよく聴けます。そしてキーマン、石井さん。ぞっとするような存在感でした。

存在感と言えばゴールドシアターの女優陣演じるばば友たちも素晴らしかったなー。立石さん(この方の声すっごい好きなんですよー)に率いられ、市井のひとびとの生活をありありと見せつける。やっぱりニナカンはゴールド、ネクスト含めひとつの劇団と考えるのがしっくりくる。

その他。

・すんごいプロポーションのいい、格好いいいぬがいるなあと思ってたんだが…終盤マスクをとったら!新川さんだった!きゃあああ
・もう一匹のいぬはネクストの中西くんでした
・大石さんのキスシーンも観られて満足です(笑)いやん素敵
・あーあの犬仏グッズにして売ってくんないかな。ちょうかわいい
・隣席の女の子は大仏がぐるんと犬仏になったら笑いがとまらなくなり相当苦しそうだった(笑)私もニヤニヤがとまりませんでしたヨ!

・オリンピックへ出場する選手を送り出すと言うヴィジュアルは確かに出征と重なる。『エッグ』でもそうだったけど、'90年代、いや2000年代迄は(あるところには常にあったのだろうが、こういうメジャーどころで)あまり目にすることのなかった、この'10年代のモチーフについていろいろ思うことはある

・パッヘルベルの「カノン」と戸川純「蛹化の女」は有名だけど、「カノン」と「大阪で生まれた女」マッシュアップは初めて聴いた。驚いて調べたら坂本冬美さんだった


・「蛹化の女」も使われてましたね。カーテンコールは「諦念プシガンガ」

・ロビーに回転寿司協力店『すし 台所家』半券割引チラシが置いてあってウケた
・お寿司食べたい……



2014年01月12日(日)
『ゼロ・グラビティ』二回目、『お正月だよ!元気?パール兄弟』

『ゼロ・グラビティ』@TOHOシネマズ六本木 スクリーン2

二回目、3D。前回観たときよりちょっと前、センターの席。そしたらまー3Dっぷりがすごかった。デブリがビュンビュン飛んでくる…映画黎明期、向かってくる機関車に驚愕して映画館から逃げ出した観客がいたって話を思い出しましたね。席の位置でこんなに違うとは。3Dに限らず画面酔いしやすいので基本後方下手側(字幕は下か上手側に入るのが常なので、視線を固定しやすい)の席をとることが多いのですが、これはセンターで観た方がいいわと思った……。リピートだった今回は字幕を見ないようにして、画面と音声に集中しました。何せあの映像、音響ですので没入も比較的容易です。初見じゃないのになんでこんなにドキドキハラハラするのー!ここでこうなるって判っててもヒー!てなるよ!

まずオープニングの音響が素晴らしいよね…あの大音量のサウンドを断ち切る静寂。あっと言う間に宇宙空間へつれていかれる。前回聴き逃していたコワルスキーの「アイガッチュ」もキャッチ出来て満足。ああ言われたときの安堵感…コワルスキー最高!彼のような人間になりたいものです。理想です。一緒にいた時間はとても短かったであろう(何せお互いの瞳の色も憶えていないのだ)のに、あのときストーンがコワルスキーの幻影(と言っておく)を見たのも納得。いやもうこの作品、ホンも素晴らしい。

このシーン、後ろの席のふたりづれがちいさく「生きてた!」「帰ってきたよ!」と囁き合ってるのが聴こえました。わかる!わかるぞ!これには「ここはお茶の間じゃありません、私語を慎んで!」とか言えないしイラッともこない!それくらいわあっとなるよ…それだけの力があるシーンだよ。心情的には隣のひとと手を取り合って喜びたいくらいだよね。しかしその「帰ってきたあああ!」と言う歓喜と「いや、これは…」と冷静になったときの絶望の落差半端ないです。ああ、コワルスキー……安らかでありますようにと祈るばかり。

彼がしょっちゅう聴いていた曲は何だろうと気になっていた。コワルスキーと言う苗字からしてポーランド系であろう彼が、アメリカから生まれた音楽であるカントリーを聴く…『欲望という名の電車』で「俺はアメリカ人だ」と叫ぶスタンリー・コワルスキーが思い出される。エンドロールを探す。「Angels Are Hard To Find」と言うタイトル。これは意味深…歌詞を検索したらこちらが出てきました。

・Hank Williams, Jr.「Angels Are Hard To Find」

ライアンの娘のことを思うとこれまたグッとくる。

そうそう、ライアンとその娘について。回想シーンが全くなかったのも素晴らしかったな。スピンオフとしてweb上に公開されている(前回の感想参照)アニンガのシーンも、本編に加えなかったのは賢明な選択。映像を体感し、ストーリーを噛み締める。行ったことのない宇宙空間を体験し、見えない筈の登場人物たちの心情を探る。

あと気になっていること。あと何度か観て、その辺りもじわりと考えたい。

・コワルスキーのあの行動を自殺と解釈するかどうか
・ストーンを助けるための自己犠牲ととるか、宇宙遊泳最長記録へのチャレンジととるか
・『生徒諸君!』の沖田くんを思い出すのは世代ですか(…)

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『お正月だよ!元気?パール兄弟』@高円寺ShowBoat

客入れ、休憩時のBGMがかしぶちさん(ライダーズ)と大瀧さん。渡辺有三さんの話も出た。窪田さんはFBで青山純さんのことを書いていた。ほんの一ヶ月の間に、どうしてこんなことがと思うような出来事が続いた。バンドとも縁が深いひとたちのことを、観客の殆どが知っているだろう。フロアを流れるそれらの音楽に聴き入る。

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Vo:サエキけんぞう、G:窪田晴男、B:バカボン鈴木、Drs:松永俊弥、Key:矢代恒彦
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前回から結構セットリスト変えてきた!矢代さんも改めて正式加入したとのこと。これは確実に再始動ととっていいかな。“盆暮れのパール”だし、活動ペースももはや通常。今後も楽しみ。だからこそ、皆元気でと思う。

それにしても終演後話してたんだが、もうグレードが違うよね…特にリズム隊。バカボン当時から巧いひとだったけど、やっぱり毎日のようにライヴ、本番やってるひとの地力…積んでるエンジンが違うとはこのことだ。「一曲毎に全く世界感が違うものをやるのでその都度セッティングを変えねばならず、つなぎのため曲間に必ずMCが入る」とサエキさん自ら茶化してたけど、終盤のロックナンバー三曲は曲間空けず矢継ぎ早、間合いが見事。ニコニコ笑って演奏してた窪田さんがちょう真顔、あまりの演奏の凄まじさにニコニコ聴いてたこちらも真顔。目が、耳が離せない!悠長に聴いてられるか!「ヨーコ分解」「プルプル通り」辺りはバカボンマジすげえ、窪田さん押されてる?がんばれ!なんて失礼乍ら思ってしまう程の緊迫感。探究心と鍛錬旺盛な窪田さんですからやはり自己評価も厳しく、サエキさん曰く「マイク通ってないところで『はあ〜』『ヒー!』て言ってる」「袖入って来て『ダメだあ〜っ!』って叫んでた」。いろいろと納得いかない部分もあったようで「もう今度やるときは楽器買ってきます!」だって。そこからか。

それにしてもこのグルーヴにはそうそうお目にかかれない。道楽でやってられるかとでも言いたげな、勢いに軽々と追いつく技量を持ち得る、知命を過ぎた大人の本気。この演奏が聴けることの至福といったらない!

セットリスト(暫定。やった曲は全部出てると思うんだけど、順番忘れた)
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1st set
洪水デート(バカボンvo)、世界はGO NEXT、ゴム男、記憶のドアー、風にさようなら、TRON岬、アニマル銀行、ライ・ライ・ライ、快楽の季節
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2nd set
焼ソバ老人、タンポポの微笑み、まちがいだらけのラブソング(新曲)、○。○○○娘、鉄カブトの女、ヨーコ分解、プルプル通り、ハレ・はれ、ZOO・ZOO・ZOO
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encore
バカヤロウは愛の言葉
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以下おぼえがき。

・「大げさな言い方ではなく命の恩人。パール兄弟とメトロファルスやり乍らGSでバイトしてたとき、かしぶちさんが梓みちよさんの仕事を紹介してくれた。音楽で食べて行ける道を開いてくれた」(バカボン)
・「大瀧さん本人がいちばんビックリしてると思う。思い出すのがいちばんいいと思いますね。そして対話をする。道をきくとかそんなんじゃないですよ、作品を通して。そういうのが、亡くなったひとはいちばん喜んでくれるんじゃないかな」「大瀧さんはエルヴィス・プレスリーともロイ・オービソンとも対話してるって言ってた、多くのことを教えてもらったって」(サエキ)
・真言宗僧侶とクリスチャンがいるパール兄弟ですが、悼む心は同じだね
・そして黙祷
・大瀧さんとかしぶちさんに「記憶のドアー」「風にさようなら」。「風に〜」は岡田有希子への歌と言うのはファンの間では有名な話
・その流れで「花のイマージュ」の話に。かしぶちさんの作詞・曲・編曲。お蔵入りになったのは本当に残念だったと言う話(最近になってボックスに収録、発表された)

・「洪水デート」の歌詞は一番しかなかったんだけど、最近バカボンが自分のライヴで唄ってて、「二番ないの?」と言われたので今回作った(サエキ)

・千葉在住vs東京在住
・千葉出身のひとの話。ジャガーさんの名は出ますよね当然!
・西荻から千葉へ電車で帰るとき、東京の夕焼けがすごく綺麗に見えるって話。千葉の夕焼けは汚い。こういうと詩的だけど、理由に気付いたらああって感じ、言わなきゃいいんだけどね。つまり、千葉の夕焼けは東京の汚い空気を通して見るから汚く見えるんだよ。逆に千葉から見る朝焼けは綺麗なんだとサエキさん
・いい話

・炎上マーケティングをサエキさんにけしかける松永さん
・以下それこそ炎上するから詳しくは書けない。クローズドの話こそ面白い
・密造酒
・「変態」とか「頭おかしい」がほめ言葉
・某アーティストのサポートは白玉しか弾けない話
・キース・エマーソンの奥さまの話からイギー・ポップ、ジョン・レノンの奥さまの話
・空海かっけー!苗字はサエキ(なんですって)
・前回からの空海ブームは継続中のようです

・1st Setは白いシャツ、2nd Setは各自午を描いた白Tシャツで統一
・干支Tシャツを提案したのは松永さん。いいだしっぺだけに絵が上手い

次回は夏頃とのこと。待ってます。



2014年01月11日(土)
『恋するリベラーチェ』『マジック・マイク』

『恋するリベラーチェ』『マジック・マイク』@早稲田松竹

『石のような水』→『惑星ソラリス』→『ゼロ・グラビティ』→『ソラリス』ときてソダばぁ熱再燃のところ、いいタイミングで観はぐっていた二本がかかった。どちらも瑞々しい青春映画。人生は長い。どう送る?どう終える?どんなことがあっても、人生は素晴らしいと言えるか。命が消えるときに、人生は素晴らしかったと言えるか。

愛を求め続け、欲求をとめられない。お互いを大切にしている筈なのにそれをうまく伝えられなくて、身体と心は離れていって。美しいものが好き、音楽が好き、いぬ(どうぶつ)が好き、ママが大好き。料理上手、情に厚く、屈託のない性欲は底がない。ラインストーンをびっしり飾り付けた超重量級の衣裳を着て、軽妙なトークを交え、にこやかに軽やかにピアノを弾くどプロフェッショナル。実在のエンターテイナーをマイケル・ダグラスがチャーミングに演じます。『トラフィック』くらいからの枯れたダグラスが大好きなんですが、この作品でのかわいらしさはもはや年齢も性別も関係ない!ホントこのひと巧いわ……。問題だらけの人物だけど、それでも愛さずにはいられないリベラーチェの魅力が満開です。スコットを演じた聖子ちゃんカットみたいなマット・デーモンもキュートだった。若い頃のぷりぷりな感じ(リベラーチェが天使て言うのも納得)も、酸いも甘いも通過したあとのちょっとくたびれた感じも、どちらもかわいかった……。もうこのキャスティングがまず素晴らしい。

スコット本人による原作は、ある意味暴露本なのかも知れません。しかしこの映画は、死人に鞭打つような印象はなかった。ふたりの出会い、蜜月、別れ、死の床での和解を、丁寧にエピソードを積み重ねて描く。ふたりとも弱い人間だったことが正直に描かれている。そこには生活がある。いちばんグッときたのは、年老いたママが家に設置されたスロットで遊ぶシーン。大当たりを出して喜ぶが、自家用なのでコインが入っていない。「コインは?」と言うママ、慌ててリベラーチェを呼びにいくスコット。音符柄のエプロン姿でキッチンにいたリベラーチェは手持ちの小銭を探すが、そんなに沢山は出て来ない。「大当たりなのにこれだけ?」と言うママ。華やかなステージの裏に、激情を交わす間に、彼らはこんな日々をも過ごしていた。それはきっと、走馬灯に必ず出てくる時間。

字幕訳もいちいちかわいかったです。「もうオキャンな僕じゃないの」とか(微笑)。AIDS禍の時代、ゲイが迫害されていた時代。セルロイド・クローゼットは増える一方か、それとも?

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宣伝では観客の七割が女性と書かれていた『マジック・マイク』、むしろおっちゃんのが多かったのは何故だ…あれかなあ、公開時は女性が多い劇場に行きづらかったのかな(笑)。そしてそのおっちゃんら、ドッカンドッカンウケていた。そんな陽性の時間が過ぎ去り、主人公が直面する現実に客席が静まり返る。彼を見守り、彼が選んだ道にエールを送る。青春だけが持ち得る、期間限定の特権はいつか色褪せる。しかしその特権は、確かにそのときにしか掴まえられない。逃すな、今を。そしてそこにしがみついていてはダメだ。

アダムのお姉さんのキャラクターがよかったなあ、弟を心配しているけど、彼のやることを否定しない。理解しよう、偏見を持たないでいようと努力してる。そして実際、マイクのショウは彼女を魅了する。彼女はマイクを認めたうえで、譲れない自分の考えを持っている。そしてそれを臆さず放つ。一瞬のタイミングを逃さずに。

チャンスの神さまは前髪しかないって話はホントだなと思ったわー。そしてその前髪を掴むには、勇気がいる。

ショウのシーンの数々が素晴らしかったなー。ヘルシーなのにいかがわしい。狂乱のなかにあるクール。音楽とダンスの迫力。めまぐるしいカットとその速さ。そして役者たちの鋼の肉体。マシュー・マコノヒー(怪演)ってあんなにマッチョだったって知らなかった…『コンタクト』で印象がとまってた(浦島)。最新作では余命わずかなひとの役ですっごい減量したんですよね、も、もったいない(…)。

キラーラインは「いい=ヤバいこともやり過ぎればワンダフルだ」。

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それにしてもソダばぁの撮る「ヤクにはまってダメになる」ひとの描写はホントうすらさむいわ…こわいわ……ヘタなヤク中出すよりよっぽどヤクはあかん!ホントあかん!て思わされますよ。ヤク喰ってるところより、その前後の言動が怖いんだよね…あ、このひと依存症になってる自覚がない、と言う。こうやってずるずる行っちゃって、気付いたら戻れなくなってるんだよ。ODになったアダムのゲロをミニぶたちゃんが食べてたのとか、もうガーンてなもんですよ。この描写!しかしペットのぶたちゃんと言うとジョージ・クルーニーを思い出しますよね(笑)。

フォントおたくっぷり(以前自分で言ってた)も堪能しました。隅々迄行き届いたエディット、デザイン。長期休暇か引退か、と言われていますが、それでも気長に新作を待っていたい監督です。



2014年01月03日(金)
『映画 中村勘三郎』

『映画 中村勘三郎』@東劇

昨年からの「喪ったものを愛でる傾向」を継続している…訳ではないが、期間限定上映だと言うので。昨年末の特番も観ておらず、と言うかまだ日常生活の流れで観る覚悟がないのですね。映画館、と言うか外出先でなら気も張っているし、家に帰る気力も残さねばならないのでその辺り一歩ひいて観られるかなと思い。

フジテレビが保存している貴重で膨大な映像アーカイヴを、時系列で辿り乍らじっくりと見せる。平成中村座のスタート、NY公演、襲名披露、地方巡業。舞台と舞台裏、そして芝居小屋を離れたときの姿。これ迄のオンエアで観たものも、初めて観る映像もあった。泣かせの演出はない。ナレーションが全くなかったのもよかった。

死の床にある源左衛門さんを見舞い、ご家族が気丈に「(先代のところに)一番乗りだね」と言った途端声を詰まらせる勘三郎さん。これは当時も観たものだが、今ではご本人もあちらへ行って、先代と源左衛門さんに早過ぎると怒られているかも知れないななどと思わないではやってられない。芝翫さんも映っているし、この数年であまりにも沢山の方がいなくなってしまったのだと改めて思う。

「七十になったら勘三郎をやめて好きなことをやろうと思ってるんだ」と言う言葉に呆然とする。本当に、短期間で、あっと言う間に状況が変わった。五年後にこんなことになるとは誰も想像していなかっただろう。「ウチには団体のお客さんがいない。芸を磨き続けないと、お客さんたちはすぐいなくなってしまう。有難いことでもある」。観客を愛し観客に愛された、当代随一の歌舞伎役者。