浅間日記

2010年02月26日(金) 土産夜話

帰宅。Aは寝ないで待っていた。

荷物を部屋において、留守中に変わりなかったか聴く。
お母さんは映画を見ながら帰ってきたよとこちらも報告。

ヨーロッパのお屋敷の話で、沢山のメイドさんや執事が出てくるんだよ。
コートを脱ぎながら切り出す。

服を着替え、手と顔を洗い、歯を磨きながら、せがまれるままに続きを話す。

AもHも、この美人で聡明な妻を亡くした男と後妻に入った若い女が遭遇する物語にすっかり引きずり込まれている。

それでその医者は「この方の病気は癌でした」って言ったの。
お茶をすすりながら大どんでん返しのクライマックスに至る。

これで終りじゃないんだよ。最後はね、あの女中が二人がその屋敷で幸せに暮らすことが我慢できなくて、お屋敷に火をつけて燃やしてしまうんだよ、と落ちをつける。

二人そろって、ゴシップニュースでも聞いたような顔をして、へーえと口をあける。

三日も家を空けて帰宅した深夜に、ヒッチコック映画の筋書きなど話しているから途中でおかしくなった。
話すほうも話すほうだし、聴く方も聴く方だ。

2006年02月26日(日) 



2010年02月25日(木) 「物語を話すこともせず、聞くこともせぬ人たちは、その瞬間しか生きぬことになる。」

高橋留美子の漫画から飛び出してきたような人と仕事。

「現在はほんの一瞬ずつだが、過去はひとつの長い物語だ。物語を話すこともせず、聞くこともせぬ人たちは、その瞬間しか生きぬことになる。」

今回の仕事についての複雑な気分をどう言葉にしたらよいかわからなかったが、
ポーランド生まれの作家、アイザック・バシェビス・シンガーの言葉で総括することにした。

そうしてきっちり心の棚に収め、これでよしと手をはたき、家路をたどる。

いずれ再びここへ来ることがあっても、私は大丈夫だと思う。

2007年02月25日(日) 欧風のどじまん
2005年02月25日(金) 嘘からでた病
2004年02月25日(水) マルコおいで



2010年02月24日(水) 自分にはとうていできないやり方で向けられている愛情

信州から上京し、さらに西へ西へ。今回は大移動である。

発熱した息子はぎりぎりセーフで回復し、留守をHに託す。
頑張って行ってらっしゃいと、心遣いの送り出しを受ける。


看病と仕事の慌しい日々で、家族間の空気はささくれ立っていたけれど、
こうした節目には、この人はだいたいいつも温かく、意地を張るということをしない。



私以外の家族は、概ね性根が素直で優しい。私以外の家族は。
最近とみに、そのように思う。

今頃気づいても仕方がないのだが、どうも私が想定する以上に、
HもAも、まっすぐに素直に、私のことを慕い、優しい眼差しをむけているような気がする。

自分にはとうていできないやり方で愛情を向けられているという自覚は、
大変な居心地の悪さと自己嫌悪をもたらす。
愛されて幸せとか、そんな簡単な話ではないのである。

だから、こうして家を飛び出していられることは、今はありがたいし、
温かい眼差しで「お帰りお疲れ様」と迎えられる時どうしようと思う。
お願いだから「あんたがいなくてどれだけ大変だったか!」と嫌味の一つでも言ってくれ、と心底願う。

2008年02月24日(日) 指圧師ポリーニさん



2010年02月22日(月)

冬の抜け口の寒さは、夜明け前の冷え込みに似ている。
何か悪意でもあるかのように、冬という季節は、ずん、と重たい寒さを、
最後にボディーに打ち込んで去っていくのである。

今年はとりわけこたえるのか、毎年そうであるのを忘れているのか、
とにかく、ひどく打ちのめされる。

2007年02月22日(木) 春のすきま風
2004年02月22日(日) 日本海側の話



2010年02月21日(日) ここが迷宮の入り口か

このところのAは、事のほか親に依存している。
度を越して、いささか親を疲弊させるから、うるさいと強く叱ることになる。

今日のあなたは何かおかしいよ、と断言する。

父も母も至らないところがあるかもしれないが、一生懸命やっているのだから、不出来なところだけ指摘して不満を言うのはやめてほしいと、説教をする。

言った口で、それは、この子とて同じ、否、この子こそ、そう言いたいのではないかと気付き、すまなかったなあと思う。

Aは成長の節目なのか、学校教育の不自由さのせいか、
時に自分らしさを見失っているように思うことがある。
解放してあげたいと願うが、その良い方法がみつからない。



ひと遊びした後の夕飯時、子どもがおかしいのは親の責任だと話す。
Hもそうだそうだと同意する姿に、Aは、ああ安心した!と、のんきにおかずに手を伸ばす。

2008年02月21日(木) 自己欺瞞と分析
2007年02月21日(水) 奇妙な加工
2005年02月21日(月) 博覧会と私
2004年02月21日(土) TO PRAY



2010年02月18日(木) 胃で消化すべきものを腸で消化させよう

 宇宙航空研究開発機構と国立環境研究所などは16日、昨年1月に打ち上げた温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」が観測したデータを、インターネットの専用サイトで18日から一般に提供すると発表した。
 提供データは、地球全体の二酸化炭素(CO2)やメタンの濃度など。これまで地上から観測が行われて来なかったアフリカやオーストラリアなどの濃度分布も分かるようになった、というニュース。



文部科学省が平成10年度から実施している科学技術振興調整費総合研究「炭素循環に関するグローバルマッピングとその高度化に関する国際共同研究」では、第1期(平成10年〜12年)の成果の一つとして、一次生産(生物による二酸化炭素吸収量)の全地球規模のマップの作成が完成した。

海・陸をあわせた生物の二酸化炭素年間吸収量は、化石燃料の燃焼により一年間に放出される炭素量の約20倍に達していると推定されており、正確な吸収量の把握は地球規模の気候変動予測において非常に重要になっている。

しかし、限られた地域や海域、植生ごとの一次生産についての研究はなされてきたものの、海と陸を統合し同一尺度で地球全体の一次生産の図を作った例はこれまでなかった。今回の結果により、海・陸両方について、毎月変化する気温、日射量、降水量などに呼応して、全球レベルで一次生産がどのように変化しているのかが初めて一目瞭然となったほか、「どの時期に地球上のどこが最も盛んに光合成を行っているのか?」「ある地域で森林伐採をすると、全球の一次生産にどの程度の影響を及ぼすのか?」といった疑問にもこたえられるようになった。

文部科学省では、今後、一次生産量データの精度を向上させるとともに、エルニーニョ・南方振動といった周期的な気候変動と一次生産がどのような関係をもっているのかを解析してゆく予定。という過去のニュース。







一つ目の「いぶき」のニュースはつい最近、二つ目は10年前のものである。
ただし、二つ目の研究は現在もすすめられている。

この二つの研究成果を組み合わせると、つまり、排出と吸収が、共に
−精度に違いがあれ−全球レベルで把握できるようになりました、
という理解でよいのかどうか。

よくわからない。



よくわからないけれど、こう思う。

地球は極があり、赤道がある。さらに標高の異なる山脈や海洋がある。
大気は地球を取り巻いて集積したり拡散したりする。自転もすれば公転もする。
地球の条件は常に「変動」している。

件の研究成果によれば、地球上で行われるCO2の吸収固定は、ホットスポットのような場所があり、「どの時期に地球上のどこが最も盛んに光合成を行っているのか?」という視点で把握するのが正しい。

つまり、そうだとすると、「日本で排出された温暖化ガスは地球温暖化のリスクが5、南米コロンビアでは1」というように、排出される位置によってその影響の重みが違ってくるのではないか?

さらに、そうだとすると、ある特定の吸収源と発生源を機械的にバーターしてOKという今の排出権取引は、おそらく相当に原始的なものなのではないか?

?ばかりである。



免罪符のような排出権取引は、当初から胡散臭さがぬぐえない。

自分の精神論からいえば、その場所で出したものはその場所で収拾をつけるのが健全なのじゃないかと思う。

それに、人間の頭で−私の知らない誰かの頭で−行われたおかしなつじつま合わせは、
それが一見どんなにスマートな数式に見えたとしても、破綻する。

人間が発明した金融でさえそうなのだから、自然の摂理はなおさらだ。
そして、破綻の影響はきっと、金融よりも致命的で回復困難だ。



しょせんは「胃で消化すべきものを腸で消化させよう」というようなものだ、と理解するのはいささか乱暴か。

2008年02月18日(月) 桜の春を疑う
2006年02月18日(土) 
2005年02月18日(金) 模倣と社会
2004年02月18日(水) 馬鹿でもないし迷走でもない恐怖



2010年02月12日(金) 孫返り

母とAを連れて、歌舞伎座へ芝居見物に。

分不相応に高額なチケットは、清水の舞台から飛び降りるつもりで購入した。

かつて月ごとに祖母とでかけた思い出の歌舞伎座は、今年4月には取り壊されてしまう。
最後にどうしてもここでの芝居を一目みておきたかった。



三代でおめかしをして、地下鉄に乗って、銀座四丁目の交差点に出る。
銀座の華やかな街並みを見上げて、Aはわあと声を上げる。



懐かしい歌舞伎座正面入り口には、カウントダウンのプレートがかけられている。人々は記念写真を撮っている。

何もかもが変わらないけれど、外壁の様子などをみるとやはり少しくたびれたのかなと思う。



満を持して開場し、賑やかしく客席につく。場内を改めてぐるっと見回す。
舞台も花道も、桟敷や一幕見席も、記憶に比べてずいぶんこじんまりと近い。

助六はあの辺り、忠臣蔵を通しで見たときはあの席、今は亡き歌右衛門を花道の横で見たことなど、つい先ほどのことのように蘇る。

本日お別れの演目が、好きな役者の一人である中村勘三郎の「高杯」「籠釣瓶花街酔醒」というのも、申し合わせのようである。

福助や三津五郎も、それぞれに年を重ねた。


遊び好きな祖母のお供とはいえ、ずいぶんな贅沢をさせてもらった十代の記憶は、今でも優しい。
何十年ぶりに、孫娘に戻って、歌舞伎座にありがとう、さようならを言う。



晴れ晴れした気持ちで、夜の銀座に出る。

Aはというと、そんなに母の思いがあるのならいいものなのだろう、という気持ち一筋で、難しい演目をけなげにそれなりに楽しんだようである。

2009年02月12日(木) 休日の後
2007年02月12日(月) リスクが顕在化するとき



2010年02月10日(水) 職場放棄

乾かない洗濯物、納めどころの決まらない書類や何か、
大量にこしらえた焼き豚、その他諸々を放り投げ、
子どもの手を引きもう一人を小脇にかかえ、電車に乗り込む。

後は野となれ山となれ、である。後ろ足で砂をかけるのである。

家庭という持ち場を放棄し、実家という名の極楽へ、このたび、
心躍る気持ちで大往生するのである。

2007年02月10日(土) 収束しない話による終息しない法螺
2006年02月10日(金) 低反発人間の希望
2005年02月10日(木) out of order
2004年02月10日(火) プライベートライアン登山隊



2010年02月09日(火) 氷川きよしについて夜更けに考えた

眠れぬままイヤホンで聴く深夜ラジオで、氷川きよし特集。
演歌ね、と聞き流すが、解説を聞くうちに感心する。


きよしファンは中年女性と思っていたが、女子高校生もかなり多いときき、
演歌の業界は、氷川きよしによって今後も磐石であると確信する。

妻となり母となり、子育てを終えるまでのあと30〜40年近く、彼女達はきっと、
まだあげそめし前髪の頃に出会った氷川きよしとともに生きるだろう。
組織票はできあがっているのである。

また別の角度からみると、演歌の業界は、彼を後継者として育成し歌唱技術を継承させるべくデザインしていることが、幅広い歌のラインナップによりわかる。



夜更けに演歌の将来展望について考える義理もないのだが、駄考は続く。

J-POPとよばれる工業製品みたいな歌は、一人称の心情ばかりで情景がない。こうしたオレオレソングばかりが生産・消費されるのは、
社会やその市民が未成熟だからだと、私は思っている。

演歌は全く聴かないが、フェアにジャッジするとすれば、ここには情景をうたう文化が唯一かすかに残っている。

自然の事物に心情を託す精神性や人と人との様々な物語性が、
崩れそうながらも形をとどめている。



でもなあ、演歌だからなあ、と一人ごつ。
好きで聴くというのはちょっとなあ、と、もう一人の自分が付け加える。

この拒否感もまた、これから分析していかなければいけないと結論付けて、
まだ暗いがもう起きることにした。

2008年02月09日(土) 寒気と消耗と自画自賛
2007年02月09日(金) 自家用人生
2006年02月09日(木) 
2005年02月09日(水) ゲームオーバーなのではない



2010年02月08日(月) 感覚的な問題の因果関係

トヨタ自動車の新型プリウスのブレーキに関するニュース。
アメリカでの大規模リコールに続く大打撃である。

何でもブレーキの効きが悪いのは、故障ではなく感覚的な問題だということである。

さはされども、リコールを回避した対応について、企業の姿勢を問う、と解説している。



ブレーキの効きが悪く感じる。故障ではない。
そのことの、何と気味の悪いことか。

これはきっと、この不況で解雇された従業員の怨念に違いない。
下世話な私は、真っ先にそう思い、勝手に確信する。



いずれにしても世界のトヨタは、予測不可能な事態で販売台数を大幅に減らし、
雇用調整もエコカー減税の恩恵も、みなふっとんだというわけである。

トヨタほどの大企業の失敗であるから、
日本全体の経済に及ぼす影響も、いくらかあるだろう。
銀行や関連会社の人も頭を抱えるだろうし、私の財布の中味も千円ぐらいは減るかもしれない。

もしそうだとしてもやはり、心の中で「因果応報」とつぶやいてしまう。

2007年02月08日(木) トリコロールか、茶色か
2006年02月08日(水) 低減の提言
2004年02月08日(日) 



2010年02月05日(金) 兵役拒否した昭和の男は平成で裁かれるか

横浜事件は冤罪である、という横浜地裁決定についてのニュース。

よくわからぬ。戦時中に起きた言論弾圧事件と冤罪の関係が。

何に対して冤罪だったのか。
どうも、日本共産党再建準備とされた会合が当時の治安維持法に違反するという点が冤罪だった。では具体的に何条の何に違反したのか?

さらに、その治安維持法は、ポツダム宣言の受諾と同時に廃止され、失効している。つまり、間違った国家による間違った法律の、間違った事実に基づく検挙、判決なのらしい。

冤罪でもそうでなくても、「間違った国家による」という点で何もかもアウトなのだ。



拷問を受け、身に覚えのない罪をきせられた人のご遺族の気持ちはさぞやと思う。

けれども、申し訳ないが、私たちが問題にしなければいけないことは、横浜事件を世に知らしめている「戦時中の言論弾圧が行われた」という事実であり、それ以上のことはない。

今回のニュースはそのことを変にぼやかしてしまって、私たち市民が本当に怒り、繰り返さないよう戒めとして肝に銘ずべき点や治安維持法の本性がフォーカスされなくなることを心配する。


法律なら何でも正しい、ということはないのだ。

2008年02月05日(火) 毒と人間
2007年02月05日(月) 図々しさのプロデュース
2006年02月05日(日) アナログ的現在
2004年02月05日(木) 粗末にされる男と粗末にされる女



2010年02月02日(火)

夜のうちに雪が降って、朝はすっかり、春の雪である。

雪化粧は、不思議である。

日ごろ存在を主張する工作物や建築物は、すっかり覆い隠してしまうのに、

樹木の幹の先端の小枝のような些細なオブジェクトは、輪郭をくっきりと美しく形どる。

雪は、ただただ降り積もるだけなのに、私にはとても不思議だ。

2009年02月02日(月) 
2006年02月02日(木) 老賢人はどこへいった
2004年02月02日(月) 何が無事なものか



2010年02月01日(月) 燃焼温度の制御

ドサ回りのレポートを書いて、親方にメールで投げつけて、日が暮れた。
山の向こうで、お寺の鐘が鳴っている。



少しずつ仕事の波が引いていく。

残りの仕事はアレとアレ、という風に勘定できるぐらいになってきた。


正月以来ずいぶん無理を重ねてきたから、それも最も寒さの厳しい時に不夜城をやってしまったから、体も心もこたえているはずなのだ。

自分にかかった負荷をなめてはいけない。

すっかり解放されて、バーンアウトしてしまわないように、
自分の燃焼温度を制御せねばならぬ。

廃棄物の焼却炉みたいに、これを間違うとダイオキシンみたいなものが発生するんである。

2009年02月01日(日) 断れない理由
2008年02月01日(金) 冬将軍教室
2007年02月01日(木) 
2006年02月01日(水) 
2005年02月01日(火) 真贋の話
2004年02月01日(日) 春と氷


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