浅間日記

2008年01月31日(木) テイクノートの日

中村良夫東京工業大学名誉教授による、「風景からの町づくり」というテキスト。
ラジオ第2放送の「NHKこころをよむ」という番組用に書かれたものである。
中村教授は景観工学の専門家、というか大家として知られている。


テキストは、日本の都市風景への嘆きとも思われる、こんな文章で始まる。以下抜粋。

「もはやモデルがない、と言われるこれからの日本のかかえる課題の一つ

が、都市や国土の風景ではないでしょうか。たしかに、明治以来の日本がお

手本としてきた、西欧都市の華麗な姿や清楚な田園の風景には心を打たれま

すが、それは国家の統治機構や工場の制度と違って、民族の歴史や風土が育

てた生活感情の結晶ですから、おいそれと模倣しようとしてできるはずはあ

りません。だからこそ日本は、一心不乱に西欧のあとを追って国家の近代化

には成功しながらも、都市の近代化だけはどうにも思いのままにできず、し

たがってその風景も破れ障子のようになってしまいました。あれこれと日本

の特殊な事情があるにせよ、やはりこの問題への取り組みは不器用だったと

いうほかありません」



風景は、生活感情の結晶なのだそうである。
そういうものは、A=B=Cというように簡単に立証できるものではない。
しかし、そこには間違いなく因果関係が存在する。

中村センセイはそのことについて、南方熊楠という偉大な先達の言葉を引用して、私たちにこう伝えている。

「…人間の文化と生態系との相関はつまるところ物とこころのからみあいに

帰着するはずです。心界の現象が、物象と交差して生ずるところの心物両界

連関作用こそ学問の対象と考えた南方熊楠はこう言いました。

『今日の科学、因果は分かるが(もしくは分かるべき見込みがあるが)、縁

が分からぬ。この縁を研究するがわれわれの任なり。しかして、縁は因果の

錯雑して生ずるものなれば、諸因果総体の一層上の因果を求むるがわれわれ

の任なり』」



知の巨人と言われた熊楠と、日本の国土・都市政策に景観工学という考えを定着させたこの名誉教授の前に、言葉を挟む余地もない。

ただひたすら、テイクノートするのみである。

2004年01月31日(土) 禁じられた…



2008年01月30日(水) 連邦と政府

眠れぬ夜の睡眠薬のようにして、床の中で読んだ「アメリカ50州を読む地図」。

連日報道される予備選挙を意識したわけではないけれど、色々な事情がわかると面白い。
恥ずかしながら、カリフォルニアとアラスカとハワイ、ワシントンぐらいしかその正確な位置を知らなかったことも、明らかになった。



筆者によると、米国というのはどうにも形容することができないのらしい。
人口や産業、資源、歴史、民族分布など、できるだけ客観的なデータの集積から各州の特色を紹介しようと努めている。



ほんの200年前まではメキシコだったりフランスだったりする州もある。
購入して手に入れた土地があるというのも、国家の成り立ちとして特別な感じがする。

当たり前のことだが、アメリカの政府というのは州政府と連邦政府の二つがあって、
州政府の視点と連邦政府はかなり違う、ということも具体的によくわかった。



よくわからないけれど、この本から浮かんでくる印象としては、
連邦政府というのは、国土を治めるという意識が希薄である。
そういう気がする。

州政府が、市民がその地に生きるために必要な機能を果たすのだとすれば、
連邦政府は、連邦政府が機能するために合衆国の適切な土地を-ともすると国民を-利用する、という感じがする。

そうだから、連邦政府からしてみれば、例えば身内のアリゾナ州を管理するために向けられる眼差しとさほど変わらない眼差しを、赤の他人である日本に無遠慮に向けるのも−それが良いか悪いかは別として−いくらか納得できる。

そして残された疑問は、
では連邦政府は何のために機能しているんだろうということだ。

2007年01月30日(火) 女難大臣
2006年01月30日(月) 
2004年01月30日(金) 抽選12万名様に裁判体験



2008年01月29日(火) 越冬辛抱

氷点下10度以下の朝が5日も続くと、どう頑張ってももうだめである。
身体は越冬のための蓄えを使い果たし、なすすべもない。

代謝が下がり、血流の悪くなった胃や腸は動いていない。
茶をすすり、流動食のようなものばかり口にしている。

こういう厳冬期の数日間だけは、手の打ちようがない。
あせらず、何もしないで、熊のようにじっとしているに限る。
気持ちだけそういうことにして、PCに向かう。



寒気が過ぎるあと数日を我慢すれば、気力も戻る。
そのことはわかっている。

こんな寒さの中でも、日の光は少しずつ力を取り戻しているのだから、間違いない。

2007年01月29日(月) 
2005年01月29日(土) sugarな話
2004年01月29日(木) イマジン銃社会



2008年01月27日(日) 財閥温泉

Aと二人、凍った湖を見に出かける。

「湖面にできた氷の隆起は、神の渡ったしるしである」とは、
ギリシア神話に匹敵するような古人の感性ではないだろうか。

凍て付く寒さを堪能した後は、
「歴史的芸術的公衆浴場」とでも言うべき温泉へ。
製糸業で一財を成した財閥の二代目がつくった保養施設である。



重々しいドアや大理石や赤絨毯の休憩室には、
ワカサギの佃煮や野沢菜やみかんが並べられ、日焼けした家族連れがごろ寝してテレビのマラソン中継を見ている。

国会議事堂みたいに贅が尽くされている建築物が、大衆娯楽の場として提供されている。
皆さんゆっくり楽しんでくれ給えという、財閥御曹司の声が今にも聞こえてきそうである。

一財を成した者が、ひとたび地域福祉とか啓蒙を思い立つと、
行政など足元にも及ばない財産を庶民に残すことがあるものだ。

2007年01月27日(土) 
2006年01月27日(金) ビーフとストーブ



2008年01月24日(木) ねがいましては−道路の魔法−

ガソリン税の暫定税率の維持を支持するべきかどうか、
自治体が右往左往している。

ぱちぱちと算盤をはじいて、国からもらえる分が増えるのか減るのか、勘定している。

もちろん、国からの支給額が目減りすることは地域生活での死活問題だから、仕方が無い。
しっかり計算してほしいとも思う。

でもそのこととは別に、暫定と約束された増税を長年にわたって継続する制度そのものについても、自治体の立場でしっかり意見するべきだと思う。




道路というインフラに対する住民の強迫観念は、地方にいけばいくほど強くなる。
地方自治体が血眼になって算盤をはじくのには、そうした理由がある。


広域な道路交通網を前提として、地方はその仕組みを変えてきた。

国道のバイパス沿いに土地利用が広がって、旧市街地の老舗は衰退した。
街の玄関口であった駅前も、新幹線停車駅以外は意味の無い空間になった。
高速道路のインターチェンジ周辺は、新たな産業投資の価値をもった。

小さな集落の中で一生を過ごしていたような人々は、
日々の通勤で何十kmも移動するようになったし、
片田舎にいても都会の真似事のような暮らしができるようになった。

でも結局のところ、こうしたものは全て道路の魔法によるもので、
道路と車がなければ、地方の生活はいとも簡単に−シンデレラの魔法がとける様に−50年前の閉鎖的な農村に戻るのだ。

住民は、多分そのことをひどく恐れていて、
地域が結ばれていること−道を維持すること−に強迫観念をおぼえるのである。

それは、車社会によってすっかり脆弱になった己の足腰と徒歩圏の廃れようでは生活が成り立たない、という実態に加えて、
あの頃には戻りたくない、僻地と呼ばれたくないという心情的な面の両方があるように思う。

2007年01月24日(水) 釈迦の国に説法
2006年01月24日(火) ALOS!
2005年01月24日(月) 一見にしかず



2008年01月23日(水) ヨーロッパ入り

ラジオで、ロシアで、首都機能の一部を移転するというニュース。
5月に、憲法裁判所を現在のモスクワからサンクトペテルブルグに移すことが決まっている。

サンクトペテルブルグはプーチン大統領の出身地であり、
また次期大統領候補とされるメドベージェフ氏も同地出身である。

だから、移転のねらいはプーチン大統領がそのお膝元を強化するためと言われているが、
興味深かったのはもう一つの理由と解説者が分析する内容。

ロシアという国は、アジアとヨーロッパの両方を向いている国家で、
サンクトペテルブルグはヨーロッパを向いた都市なのだそうである。

つまり、プーチン大統領は、ロシアをヨーロッパの仲間入りさせたいという思惑があるのだ、と解説者は言う。

そして、当のEUの反応はどうかというと、
どこの誰が発した言葉かは明確にしていなかったが、こういう風に言っていた。

「ヨーロッパというのは地理的な概念ではなく、また西洋風の宮殿のことでも通貨や経済のことなく、国民の自由と自立と人権が保障される概念そのものを言うのであって、これが確立されていなければ、外側を真似てもヨーロッパの一員足りえない」

ロシアには自由と自立と人権が保障されていないだろうと、こう言いたいのらしい。
ずいぶん手厳しいし、何だかスノッブなコメントであるが、
プーチン大統領はそんなことないと反論できるのだろうか。

2007年01月23日(火) モテとヤセ
2004年01月23日(金) 英雄がらみの話



2008年01月22日(火) 小さい選択とその行く末

この街は春になると市長選挙があり、
現市長は、「次の峠を目指したい」と、出馬を正式表明した。

この街は今色々な端境期にあって、
政策の舵取りは慎重にすべき時である。

だから、借金を生かす投資上手な市長ではなく、
病後の経過観察や養生の手腕がある市長を望みたい。
これが私の考え。

自分の田に水を引いてくれる首長を望む声は、
この小さい田舎町で未だ健在である。

一方で、バランスのとれた政策を望む自立型の市民も増えてきた。

軍配は、候補者にではなく、
こうした有権者の意識の違いに対して上げられて、
「この街は誰のための街か」という生々しい空気となる。

2007年01月22日(月) 
2004年01月22日(木) 老害図書



2008年01月20日(日)

この冬一番の寒さであろう。凍えながら目を覚ます。
Aにおはようと言うその息が、白く凍っている。

家の中を暖める前に、自分の身体に熱を入れなければいけない。

目覚めて一番に、枕元に用意した白湯を飲む。
熱の塊が腹の底に落ちていき、血流のスイッチが入るのがわかる。

起き上がって暖房に火を入れる。
湯を沸かし、朝食に生姜の効いた暖かいスープをこしらえる。

かくして、皆川達夫さんの番組が始まる時間には、
部屋の中にも身体の中にも暖気がいきわたり、
さあ今日は何をしようか、という楽しい気分に切り替わる。

2007年01月20日(土) チキンハートクライマー
2006年01月20日(金) 茶番劇場の後継者
2005年01月20日(木) マッチポンプ日記
2004年01月20日(火) 芥川賞と私



2008年01月16日(水) それは売り物じゃない

電源開発の筆頭株主の英国系投資ファンド「ザ・チルドレンズ・インベストメント・マスター・ファンド」(TCI)が電源開発株を最大20%まで取得する届け出を政府・日銀に提出していたことが15日、分かった。経済産業省が届け出を審査。許可すれば、買い増しが可能になる、というニュース。

国土交通省が、成田、関西、中部の3国際空港の管理運営会社と国直轄の羽田空港のターミナル会社に対する外国企業の出資比率を3分の1未満に制限することを決めた。
外国資本が、公共性が高い空港経営の決定権を握るのを制限する狙い。18日召集の通常国会に外資規制を盛り込んだ空港法案を提出する、というニュース。




ファンドとマネーが世界中を席巻する今や、
自分や自分達が何を所有、共有しているのかが、
一見では分かりにくくなっている。

自分達が共有する資本と思っている日本の国のあれやこれやは、
既にそのほとんどが−実態としてわからないだけで−、
ガレージセールのように売りに出されてしまっているんじゃないだろうか。

国政も例外ではない。
政治資金規正法が改正になり、外資が50%を越える企業からの献金が可能となった時点で、
国民のためにと党首が演説する政党の「筆頭株主」は、
外国の投資会社になっているかもしれぬ。




ファンドやマネーの世界で何が起こっているのか、話はよくわからない。
ぼんやりとした不安な気持ちしかわいてこないけれど、これだけは思う。

どんなに食い詰めても歯を食いしばって
「それはお売りできません」といえるものが本当の財産だし、
自らを維持するため、絶対に市場の手に渡してはいけないものが、
個人なり、企業なり、国なりで、必ずあるはずと思う。

そう、空港ターミナル会社以外にも、きっとあるだろう。

2007年01月16日(火) 大人的パフォーマンス
2006年01月16日(月) マサヤ画伯への手紙
2005年01月16日(日) 枯れ木残らず花が咲く
2004年01月16日(金) 赤塚不二夫



2008年01月14日(月) 参拝考

Hが山にでかけない、極めて珍しい連休。
近くの山寺の厄除け祭りにでかける。

日本の社寺仏閣は、宗教施設であると同時に娯楽施設である。

本堂はもちろん、池や山門のしつらえ、鐘突堂は、どんなテーマパークの施設にも見劣りせず人目をひきつける。
薬師如来などの仏像群は、人の心に癒しをもたらす愛すべきキャラクターである。

長い参道を歩いた後、サービスのお茶とともに販売される厄除け饅頭に手が伸びないはずがない。
もちろん、破魔矢やお守りなどのグッズも充実している。
鐘突きやおみくじといったアクティビティも、人を引き付ける。

加えて、様々なしかけ。
寺の一隅で小さな餅の一片を、厄除け餅と称して無料配布していた。
何かと思えば、ご利益があったと思えば次の年に倍の量の餅を奉納する、というルールだそうである。
このしゃれた小さな約束は、リピーターをよぶしかけである。

ご開帳と称してご本尊を数年に一度だけ公開するのは、マンネリ化を防ぐ装置である。




人々の心躍る気持ちをつかむというのは、集客施設に欠かせないことであり、
日本においてそのヒントは、確かに社寺仏閣にある。

無一文で参拝する人も持てる人と等しいホスピタリティで迎えられ、かつ、
対価を伴う魅力ある付加価値が準備されることの、どちらも両方あるのがよい。

2007年01月14日(日) 同じリンクの中にいる
2005年01月14日(金) 腹ふくるるわざなり
2004年01月14日(水) 今日から日記はじめます



2008年01月13日(日) 消えていく理由

朝刊で、医師不足に関する特集記事。医療関係者が意見を寄せている。

安易に医療サービスを求める医療消費者が原因だ、という意見。
訴訟リスクも怖いし嫌だ、という意見。
診療報酬を何とかしてくれなければ、という訴え。

どれももっともだ。
しかしこれでは、何だか医師の労働争議みたいである。

信州大学付属病院院長のコメント。

平成12年の医師法、医療法の改正に伴う医師臨床研修制度の変更は、
現在の大学病院の医師不足の引金になっている、と言う。

臨床研修の場について、それまで大学病院のみであったのを、
一定の条件を満たした指定医療機関であれば実施できるようにしたのが、
この医師臨床研修制度のおもな変更点である。

だから大学に医師が少ない、というのは理解できる。
でも、医師全体が少ないことの理由としては、理屈があわぬ。

いったい、ハーメルンの笛吹き男に連れ去られた子ども達は、どこにいるのだ?



医師不足の問題は、もう少し構造的なポイントを知りたいと思う。

医師達が激務に晒されるのは、医師不足の原因ではなく、
政策の誤りにより引き起こされた結果と理解するのが妥当なのだ。

思惟的であるないに関わらず、政策の誤りがあったはずである。
もしくは、制度が変わった端境期としての現象なのかもしれない。
とにかく、その原因を知らなければ、話にならぬ。

2007年01月13日(土) 凍み上がり



2008年01月11日(金) 高所と札束

エベレストを初登頂した、エドモンド・ヒラリー卿逝去、のニュース。
登山が探検たり得た時代の、最後の登山家の一人である。
ご冥福を祈る。



今や、エベレスト登山は巨大なビジネスなのである。
登山用の酸素ボンベだけでも、円にして兆単位の市場である。
それに登山料やガイド料なども続く。

エベレストは今や、行列のできる店ならぬ行列のできる山となり、
アルピニズムとはまったく関係のない、
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」みたいな世界になっている。

遭難した先行パーティを発見しても、
救助するどころかそれを追い越して頂上をふむような輩もいる。

ヒラリー氏には何の手向けにもならない話で申し訳ないのだが。





パイオニアワークは、輝きをもっている。
人間としての使命感や覚悟やチャレンジ精神が純度の高い光を放ち、
人を感動させる。

でも、次に続くものが同じように輝くとは限らない。
リスクが目減りする分、何かが色あせるのかもしれない。

さらに「普及」という段階に至ると、
往々にしてそれは金目の異臭を放ちはじめる。

2006年01月11日(水) 楽園へ向う道



2008年01月10日(木)

昨晩のだらしない走り書きに、我ながら嫌気がさす。
だらしないついでに、事の顛末を記す。

何のことはない。
税理士事務所の丁稚小僧から、今年の所得税は昨年の40倍になるという恐ろしい話を、まったくのすまし顔でされたので、血の気が引いたと言うわけである。

結局それは丁稚の早とちりであり、朝一番で謝罪と訂正を入れてきた。

けれども、ひどく消耗したことへの恨み節はそう簡単に消えない。
私は、彼の間違っていた点を事細かくあげていきたい衝動に支配されており、
この出来事を「軽々しく物事を口にすべきではない」とか、「クライアントの立場に立った誠意ある職務遂行」という自戒として転調するまで、まだもう少し時間がかかる。

若い所長と丁稚君を応援する気持ちでいたが、まったく本末転倒である。
残念だが、こういう良くない縁は早めに解消した方がよいのかもしれない。

2006年01月10日(火) 備蓄すべきものは
2005年01月10日(月) 教育考再び



2008年01月09日(水)

今年は早めに確定申告の準備を、と段取りしていたら、
気付薬をくれ!といいたくなるような出来事。

どうしよう。
税務にくらいから人に頼んでいたというのに、挙句この始末だ。

2006年01月09日(月) 犬の報い
2005年01月09日(日) 真正正月



2008年01月08日(火) 自治再考

年末から、長野県の社会経済には色々と激震がはしっている。

鉄道やバス、スーパーストアなどを経営する県内でも有数のグループ企業の経営破たんが明らかになった。
倒産ではなく、金融機関へ借入金返済を一時停止するよう申し入れた、という建前である。

助け舟を出す銀行業界も安泰ではない。
地元の銀行がひとつ、今期赤字を出し自社ビルをたたむことになった。

そしてこれは、もはや慢性的な問題になりつつあるけれど、
病院は医師がいよいよ不足して、特に産科は深刻である。
このままでは、全ての出産を帝王切開にしないとまわらないと医師が嘆く。
この土地で産む女は、水産試験場の魚みたいに腹を開けられることを覚悟しなければいけない。



最近の地方紙の内容は、こんなことばかりである。
客観的にみれば、とても普通に暮らせる土地ではない。

この破綻ぶりは、地方格差を生み出した昨今の国政だけが原因ではない。

件のグループ企業の破綻などは、むしろ長年にわたり「格差の上位であること」に足をすくわれて、こうなったきらいがあり、あまり同情の余地が無い。

地域医療がおろそかになったのも、大学病院のせいだけではない。
大学病院が医師を引き上げることについては、別に思いがないでもないが、
医療が破綻することに対して行政がなすすべもないというのは一体どういうことか。わからない。



でもしかし、破綻しているということは、再生の兆しともいえる。
地方自治とは何か、まじめに考えるチャンスなのだ。

生きていくために必要なのに欠けてゆくものや足りないものは、冒険ダン吉みたいに、
それを必要とするものの手で、一からつくればよいのである。

2005年01月08日(土) 「ダメ」と「よし」の深呼吸



2008年01月06日(日) 蔵出し年頭所感

年頭所感を整理する暇もなく、
あと数日で松の内も明ける。

年の初めに思うことは、昨年のうちから仕込がすんでいる。

だから、心躍る気持ちと物事へ誠意を尽くすことの二つを、
今年の行動指針として大切にしたいと、私はとうに決めていた。

新年という満を持して、それを心の奥座敷に額装してみたけれど、
なかなか悪くない。

2006年01月06日(金) 綱吉公の生き様
2005年01月06日(木) コドモ銀行券の品格


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