浅間日記

2005年09月30日(金) 毒入り林檎パイ

ある不毛な議論のあと、林檎パイに着手。
そういう気分ではなかったが、HとAに約束してしまったから仕方がない。

静かな台所でひとり、材料を計量する。
冷たくしたバターと粉を包丁で切り合わせる。
冷水を加えて、生地状にする。

我が身の保身にはしるから、本質を見失うのだ。
議論の残り火で頭が一杯のまま、生地を半分に切り、重ね合わせ、伸す。

ステークホルダーへの説明責任を放棄してやしないか?
さらに半分に切り、重ね合わせ、伸す。

そんなことじゃ、良くなるわけがない。三菱自動車と同じ運命だ。
さらに半分に切り、重ね合わせ、伸す。



気がついたら、やりきれない気分が幾層にも織り込まれたパイ生地で、立派な毒入り林檎パイができていた。

如何にも美味しくなさそうで、
これは、食材に対して世界いち罪な食べ物だなあと思ったけれど、
がやがやと家に帰ってきたHとAが、そんなことは知る由もなく
ウマイウマイと胃袋に納めてしまったので、後には何も残らなかった。

2004年09月30日(木) 日記の初日観察日記



2005年09月29日(木)

善光寺平へ。

年度末でもないのに、高速道路は工事区間のオンパレードである。
走行車線を右に左に誘導されながら往く。

民営化前の、駆け込み発注なんだろうか。

2004年09月29日(水) ルナティックタイフーン



2005年09月28日(水) あきらめ

気付かないふりをしていたかったが、最早無理というものだ。

朝晩は、確実に冷え込んできている。
暖をとりたい、という雰囲気が漂いはじめている。

お彼岸も過ぎた。あとはじわじわと日が短くなり、
少しずつ、一日ごとに寒さが身にしみてくる。まったくこれは苦行だ。

いっそのこと、明日から一足飛びに氷点下になってくれと思う。
そして毎年毎年この時期になると、
季節の移ろいに向って減らず口をたたく自分にも、いいかげんにあきらめろと思う。

2004年09月28日(火) 声と花



2005年09月26日(月)

散髪。
いつからこんなに結婚相談の広告が増えたのだろう、と思いながら、
備付の女性雑誌を読む。

親と決めた相手と半ば無条件で結婚させられていたその昔と、
コンピューターが自動で送られてくる相手と一緒になるのと、
ひとつも違いはない。
でも、本来結婚とはそういうものなのかもしれない、と思う。



私は想像する。
家族制度が崩壊し、田舎から都会に人口が流出していって、
自由恋愛で結婚するというのは、アイデンティティを確立する
一つの有効な方法だったのだろう。
自分で相手を決めたということは、さぞや誇らしかったのだろう。

だがしかし「家庭を築く」という目的に対して、恋愛というものは
別段寄与するものでもないし、多分必須ではない。
ああいった狂気がかったものはむしろ、安定した家庭運営には不向きであると、そう思う。

この膨大な結婚斡旋広告を見ていると、結婚を志向する人は、
どうもそういうことに気が付き始めているのではないかと思う。

「好いた相手と結婚する権利」でなく「嫌な相手と結婚しない権利」があれば充分と思っているのではないだろうか。

結婚相手を恋愛感情以外から選ぶことは、
相手に愛情をもたないということでも、
長丁場になる結婚生活をおろそかにしているということでもないと思う。


かくして、散髪中の私の、どうでもよい駄考の行く先は、
「カルメンとかアンナ・カレーニナよりも、
見合い結婚したマスオさんと楽しく暮らせるサザエさんのほうが、
実は自立した人生と言えるのではないか」、という結論に達したのであった。



2005年09月24日(土) 生物化学的信仰要求量

Aと1日過ごす。

森の精気漂う朝の公園で、コーヒーを飲みながら新聞を読む。
土曜日のお楽しみである。



「祈り失った現代の労働」という見出しの、内山節の定期連載記事。
今回の彼の論調は、いつになくホットだ。
「私たちの時代は、根本的な何かが間違っている。」という結びは、哲学者という肩書きで表現すべき域を出ているかもしれない。

概要を記録する。

かつて日本の社会には、仕事と結びついて信仰されてきた様々な神様が存在した。
山仕事には山仕事の、漁業には漁業の、商いには商いの、芸事には芸事の神が、
明確な教義や布教の必要性もなくその世界に携わる人々の手で守られてきた。

そうした信仰は、仕事における他者の存在、つまり、すぐれた仕事というのは、自分からの働きかけと自分の外から働きかけられることとの重なり合うなかに成立するという仕事観があったからだ。

そして仕事において技を深めるというのは、外からの働きかけに心を傾け、学ぶということにほかならないものであった。

仕事から神や祈りが消えた現代の労働は、何を失ったのだろうか、と氏は自問する。
以下抜粋すると、こういうわけである。


「働きかけられながら働くことを忘れたとき、仕事のなかから他者がみえなくなった。あるいは、他者は消費者、納入先、発注者というように、自分の側から設定した他者にすぎなくなった。(中略)労働者が自分の働きだけになったからこそ、市場での勝者になることが目的となり、仕事とは自己実現であるなどというような品のない言葉が、大手を振って通用する時代が生まれたのではなかったか。 私たちの時代は、根本的な何かが間違っている。」



「労働」というテーマでつづられているけれど、多分これは、人生の質と同義だろう。
−もっとも、生き様と仕事というのは不可分である場合が多いのだが−。



誰しも実は、他者の存在を感じて祈りたいと、そう思っているのだ。
だからあれほど、結果の見えないものへ、こぞって熱狂する。
ゲームスポーツとか、あろうことか選挙にまで。
あの熱狂は、決して戦略の分析やなんかを楽しんでいるのではないのだ。

そうやって無意識のうちにに求めてしまうぐらい、
人智を超えた他者を意識することは、人生を支えることに不可欠である。
しかし簡単にその欠乏を表現できるものではない。
BOD(生物化学的酸素要求量)みたいに数値化もできない。

不可欠であるのと同時にまた、内山節が言うところのそうした
「祈りや信仰」は、本来カジュアルで自然で、実用的なものだ。
焼き魚の横の大根おろしみたいに、自分の傍にあって然るべきものなのだ。

そういう在りようを捻じ曲げ、暮らしから祈りを欠乏させている一因である
「宗教」というのは、まったく罪だなと思う。

2004年09月24日(金) リセエンヌの男料理世界



2005年09月21日(水) 最期のカード

都内某所で会議。

地下鉄の売店で「後藤田氏死去」の見出しをみつけ新聞を入手。



内務省出身で陸軍に所属したこともある人、
カミソリ後藤田の異名を取った、鋭い政治手腕をもった人、
浅間山荘事件の陣頭指揮に当たった人、
などというように、記事に書かれている。



死亡記事というのは、死んだことよりもむしろ、生きたことを伝えている。
その人の活動や思想が総括され広く伝わる最大のニュースが、死亡記事なのだ。

後藤田さんのことをよく知る人にも、知らなかった人にも、それは等しく伝わる。

「自衛隊派遣は間違い。小泉君は戦争を知らない」と言い切ったことや、

「おかしいよちょっと待て、という政治家がいなくなった。
おかしいことをおかしいと言わなくなったら、その国は危ない」

という氏の発言を、今日多くの人が目にし、耳にするだろう。

そうした思想から新たに気付きを得る人もいるかもしれないし、
自分の意見に後藤田氏の後押しを感じる人もいるかもしれない。

そして繰り返すが、
死亡記事という目の引き方だからこそ、そうした機会がある。



だから、ひどい選挙結果で国民が無力感と不安感ばかりのこの時に、
もう今しかないというタイミングで、
後藤田さんは「死亡記事」という、自分の政治家としての最後のカードを使ったのだ。
私のその思いは、ほとんど確信に近い。

心から、ご冥福を祈る。

2004年09月21日(火) それでも地球は回る



2005年09月20日(火)

明日の仕事の準備が果てしない。
この分野は不向きなのだろうか、どうも要領を得ないんである。

しかし恩有る人の縁あって始めたことだから、
そうそう投げ出す訳にもいかない。
何事も初めの一歩は重たいものだと自分に言い聞かせる。

ぼちぼち冬物も出さなければなどと始終考えが脇道にそれつつ、
秋の虫を夜なべの友に、PCに向う。


2004年09月20日(月) 山からの不労所得



2005年09月19日(月) 収穫物は何か

自宅へ。

中秋の名月も楽しんだ。連休も終了である。



この休みに稲刈りを済ませた田が多い。

新人を「新米」と評すのには意味がある。もちろん褒め言葉ではない。
新米を食すというのは、その年の収穫分しか食べるものがないという意味で、貧しさを表すものだったのらしい。
倉の建つ庄屋などでは、新米を常食などにしなかったそうである。



米というのは、日本人に因縁深い農作物だ。
天明の大飢饉は、石高を上げるため米に不向きな土地で無理やり米を作らせたために起きたと言われている。

かように国の財政力指数に使われ、市民が暴動も起こす原因にもなった。
ある特定の植物の特定の部位が、貨幣とほぼ同等の意味を持って流通したとは、つくづく不思議である。


金目としての農作物の存在は、昔の米とは違うけれど、当然存在する。
そしてこれは農業従事者には失礼かもしれないが、換金物として農作物を見ることには、どうしても抵抗がある。

畑や田で実る収穫は、純粋に天と地の恩恵による食糧なのだと思いたい。
幾ら儲かるというように考えたくない。
じゃあもう売らないから自分で作れと言われそうだが、どうしてもそう思う。



過日帯広の宿の箸袋でみた「十勝小唄」なる唄の歌詞は、
小豆で儲けてこの土地に金が降ってくるというようなもので、
農作物から金を連想させる。ついでに政治家の顔も浮かんでくる。
十勝の広大な農地を見て妙な違和感を感じた理由は、多分これだと気付いた。



過剰に収穫された農産物を、生産調整と称して農地で廃棄するのは、
それが知恵のない金目作業であることを象徴する。
今年の夏八ヶ岳周辺では、大量のレタスが捨てられていた。
食糧自給率の低い島国が、天に唾する行為である。

2004年09月19日(日) アフターダーク



2005年09月18日(日) 事始め50歳上限論

引き続き山の家。

父の野良着は昔使っていたスーツで、結構いいものも混じっている。
見ると、名前が入った仕立てたものやなんかも多い。

それがどうしたという感じで父に何の未練もなく泥だらけにされ、
ガラガラと洗濯機で洗われている。

それはそれでよいとして、
この人は自分の仕事を本当に好きだったのだろうか、と最近思う。

社会的に重要でないポジションではなかったし、
何よりも父は自らすすんでその責務を引き受けているように思われた。
でもそれは、間違った認識だったのだろうか。
そう思わせるほど、仕事を軸とした社会との接点を、意図的に断っている節がある。
あるいは、それは私の思い込みであり、
もともと仕事の話を家庭に持ち込む人ではなかった、という気もする。



もうリタイアしつつあるのだから好きなことを好きにすればよいのだが、
それにしても、全く新規の音楽分野に足を突っ込むというのは、
−これは少しでも親の仕事ぶりを見習ってきた者として−
大きな声では言えないが、実は本当にやめて欲しいんである。

頼むから、九官鳥が首を絞められたような声でレクイエムなど歌ったりしないでくれ、と密かに思う。
この人があのように堅実な仕事をした人か、と思うと、結構げんなりするんである。


その年齢になればまた考えが変わるのかもしれないが、
仕事というのは一生続けられるものがよいなと思う。

2004年09月18日(土) 「的」的考察



2005年09月17日(土)

山の家へ。

フィールドワークは懲り懲りだが、自分の山は別腹である。

晴天の下、無心に藪を払い秋の花やきのこを採取。
どの方向に道をつけようかと算段しながら、緩やかな山腹斜面を下る。

山仕事は楽しい。

2004年09月17日(金) 気配



2005年09月16日(金) 人の世で仕事がしたい

件の森の中にて、Kさんと悪戦苦闘。
背丈ほどのササをかきわけながら、地図と高度計とコンパスですすむ。
森の中なのだ、GPSなど何の役にも立たない。
尾根筋を見誤って半日分の仕事がふいになり、うんざりする。
Kさんの助言に従って、斜面を再びまた登り返す。



多くの子を持ったワーキング・ウーマンが実感するように、
大概の仕事というものは、子どもの面倒をみることよりも楽な仕事だと思っている。
PCにひねもす向うことも、ややこしいクライアントを説得することも、
アレに比べれば楽々見通しの立つものだと思っている。

しかし、ここのフィールドワークだけは、育児の方が数段ましだ。
社会性のかけらもない、この残酷なササに囲まれるぐらいなら、
家にいて育児疲れしたい、としみじみ思う。

もう二度とフィールドワークはごめんだ、と、本日はそう思う。

2004年09月16日(木) ワークアウト実感



2005年09月14日(水) 予想的中の無責任

不思議なことに、今回の選挙について、
「自分の考えが反映されたよい結果だった」と言う人を周囲に全くみない。

テレビを見ないせいだろうかと思い、週刊誌等を物色したけれど、
諸手をあげて「これでよかった」という意見は、やはり見あたらない。

「圧勝した」と評するのは客観的な事実であって、意見ではない。
税金が大変に上がるだの、このツケは大きいだの、
マスコミは何しろ「この先大変よ」というアジテートばかりだ。
それを受け入れろと言わんばかりに。

大変になるだろうという予想をするのは勝手だが、
それはもうマスコミの使命から遠く離れている。

あたかも先物取引のように、先々の時代の趨勢を
ピタリと予想的中させて悦に入ったとしても、
そんなものは実は全然、社会に関与していないのだ。

大変にならないためにはどうすることが最もよいか、
何が間違っていたのか、これが検証できなくては意味がない。

私たちは意志と未来をもって生きていて、
筋書きは毎日書き換えられていくものなのだから。

2004年09月14日(火) 情報とコミットメントのバランス



2005年09月13日(火) 同じ糠床の中に居る

もう勘弁して!と言いたくなるような、荒れた山の仕事。
今日はHの応援つきなので、少し心強い。

今度雨が降ったら、その後は絶対違う地形になっている沢筋を歩く。
いつ崩れてもおかしくない山腹をトラバースする。

Hは道々、栃の実を拾ったり蛇を見つけたりして遊んで歩く。
この男は状況がやっかいであればあるだけ、息を抜く習性がある。

一日の仕事を終了し、やれやれと家へ。



何しろHとは、だいたい一緒に家にいる。私の繁忙期以外は。
夏の時期は昼になると仕事を終えて帰ってくるし、冬は一日家にいる。
ジムへ出かける日の夜以外は寝る時間も同じで、夕飯はもちろん毎日一緒に食べる。

こうまで一緒にいる時間が長いと、お互いの体内菌を共有しているという実感がある。
私達は、同じ糠床の中で醗酵している野菜みたいなものだ。
多分、古漬けキュウリのように年を重ねていくのだ。

そして天秤棒のもう片方のように、お互い全く関与しないそれぞれの人生もまた存在する。
先月やっと実現した私の大切なお楽しみについても、Hはほとんど何も知らない。
そして彼のクライマーとしての日常も、私のあずかり知らぬところである。
それでいいのだ。

2004年09月13日(月) 厄年センサー



2005年09月12日(月) 僅差

自分が選んだ人や政党が成果をあげなかった選挙というのは、
前向きに言えば腹立たしく、後ろ向きに言えば無力感に包まれる。

誰だあっちに票を入れた奴は、という気持ち。
もう税金を払わないぞ、という気持ち。
選挙など意味がない、という気持ち。

まったく、さもしいものである。
私は確かに、国の将来を案じる気持ちよりも、
選挙結果が自分の思う通りでなかった不満の感情が、僅差で勝っている。



選挙を勝ち負けで評すると、こうなってしまう。
しかし本来それは、「選ばれたか選ばれなかったか」であり、
勝ったり負けたりする筋合いの出来事ではないのだ。
勝たせたことなどにすれば、勝者の論理で動くに決まっている。

もう少しいうと、私たちは君主を選んだわけではない。
総理大臣や議会の国民に対する義務は何ら変わったわけではない。

そういう「選挙の結果の意味」は、
選ばれた者ではなく選んだ方が自覚しなくてはいけないことだ。


2004年09月12日(日) あるベクトル



2005年09月11日(日) 生は希望

甲府のN先生からFAX。
お礼の手紙に添えてカラヤンのCDを入れたつもりが、
私はどうやらY先生用のグールドのと間違えてしまったらしい。



「会場でかかっていた音楽はすぐに『おっ、グレングールド』とわかりました。私も好きです。

亡くなる直前に録ったブランデンブルグを聴くと、青空に向って歩んでいく彼の姿がうかびます。生(死も含まれた)は希望だと感じます。

彼は幸せだったんですね。どんなに他からみるとstrangeなライフスタイルでも…」



在宅ホスピス医として、死の現場に日々寄り添い続けるN先生へ、
日々のリラックスにと思い立ったお礼の品であるのに、
私は逆に、深くて暖かい言葉のギフトをもらってしまった。



生は希望。死もまた希望。
バッハもグールドももう居ないけれど、その音楽は今でも生き続けている。

存在が有限であるということは、こんなにも無限のものを生み出すことができるのだ。

2004年09月11日(土) 死と悲嘆の必要性



2005年09月08日(木) スルー投票

Aを連れて、不在者投票へ。
大人が、皆の代表になる人を選ぶのだよ、と説明。

立会人に軽く目で挨拶し、事務員に用紙を渡す。
小選挙区の投票用紙を受け取り、投票箱へ。
再び投票用紙−比例代表と最高裁判所裁判官国民審査用のやつだ−を受け取り、投票。

立会人にご苦労様と小声で言い、退室。



何だスルーじゃないか、とやはり思う。

投票制度は、本人確認が甘すぎる。今どきレンタルビデオショップでさえ当たり前のように求めてくるのに。
どこをどう検証しても、投票行為の客観性、透明性は保障されていない。



庶民が選挙権を得て、そのことを皆が真に大切にした時代であれば、その熱意と善意を前提とした選挙管理でよかったのだろう。
被選挙人が不正を働かないかだけウォッチしていればよかったんである。

しかし国民が有権者であるという意識は今や、すっかり損なわれてしまった。
そして私たち選挙人も様々であり、世の中のモラルはモノラルではなくなっている。
だからこれは残念なことだけれど、選挙人の不正行為ということも可能性として考えなければ、選挙の客観性は確実にならない。



本人を騙る「振り込め詐欺」なる犯罪が存在する。

「ネットオークション」なるものは、価値のあるものは何でも金に替える習慣を庶民に植え付けた。

過去において不正投票は発覚しているのに、予防措置がとられていない。

これだけの事実でも、もう私は投票行為というものに対して心配なのである。
この心配が解消されなければ、憲法改正にかかる国民投票などもっての他だと思っている。

杞憂だと思うが、アメリカの大統領選挙のようなお粗末なことになってはいけないと思うんである。
政治に関する不信感は、同時代的に解消しなくてはいけない。100年後の歴史研究で真偽が明かされるなど、私はまっぴらだ。


少なくともあの、自動改札を抜けた後までうるさく追い掛け回すJRの検札ぐらいには、念入りにやるべきだと思う。やればできるのだから。

2004年09月08日(水) 認識させなければならない



2005年09月07日(水) 残念

断腸の思いで旅程を延期。

子に同じ名をつけたMちゃんとの邂逅は、しばしのおあずけ。
次は白い冬の北海道で、というのも悪くない。
彼女のことだからきっと、楽しい話を沢山きかせてくれるだろう。
私もそれまでに、土産話を沢山蓄えておこう。

2004年09月07日(火) 待ったなしの経営判断



2005年09月06日(火)

もう少し早めにチェックしておくべきだった。
私はいつもそうだ。

まともに気持ちよく、飛行機というものに乗れたことがない。
いつだって気を持たされ、待ちくたびれ、そしてあきらめる。

私の楽しみを邪魔する台風14号め、と一瞬思ったが、
土砂災害の危険がある九州四国地方の人達を思い自粛。

2004年09月06日(月) スポーツマンのスーツ



2005年09月05日(月)

大雨。
外へ調査に行かれない。
今回のあのフィールドはとにかく晴天に恵まれなくて、
本当に参ってしまう。
Hも同様に仕事は休み。

大阪からわざわざ来てくれたKさんと、
いい大人が3人して雨模様を眺めるばかりの1日。

2004年09月05日(日) 道路と自然



2005年09月03日(土)

山の家へ。

冬の薪の準備をしなくては、と思いながらも
Aの相手に始終する。

田はいつのまにか黄金色になっていて、稲穂の先を重そうに垂らしている。

2004年09月03日(金) 屈折した人の話



2005年09月01日(木) 男ジャム

私の持ち芸のジャム作りを、昨今はHがやっている。
山のように洋ナシを仕入れてしまった責任もあるのらしい。

図書館で「ジャムの本」なるものを借りてきて、熟読の末着手。
このあたりが、男と女で−否、Hと私で−やり方の違うところである。

ジャムなど適当に作ればよいではないかと本を読むHに冷笑を浴びせていたが、
色よく、香りよく仕上げるにはそれなりにコツがあるのらしい。

何よりも、Hがその本に書いてあったという「ジャムとは長時間グツグツ煮るものではない」ということが私には発見であり、
何でも目見当の匙加減でやる自分の性根を、少しだけ反省したのだった。

2004年09月01日(水) 転籍日記


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