浅間日記

2005年10月31日(月)

Hは山の学校へ。

私は、諸々たまった仕事を仕上げる。


2004年10月31日(日) 広大な国土の閉塞感



2005年10月30日(日) レレレ

家のまわりの落ち葉を掃く。

庭の掃除は、単位時間あたりの達成感が二割増しだ。
柿の木の落葉をガサガサと集めて、袋に詰める。
冬支度を目論んでいた虫達に容赦なく、黒々とした土をむき出しにする。

小さな庭先だけではもの足りず、箒を手に外の駐車場へむかい、
山ほどたまったクヌギをシャッシャッと掃き集める。

ボランタリーな活動をしているように見えるが、そういう動機ではない。

2004年10月30日(土) 都市公園事業



2005年10月29日(土) 宗教的ドーピング

近くの寺にて定期開催される、T住職版「徹子の部屋」を傍聴しにいく。

今日のゲストは三春町の住職、かつ作家の玄侑宗久氏。
「中陰の花」という作品は私も好きで読んでいた。

魂は存在するか?死んだら何処へ行くか?をテーマに、談義。
玄侑氏は、物理学者や脳科学者の言葉を借りて、魂の現象を語っている。

ただ残念ながら、小さじ1杯分ほど、科学的な話の引用が多すぎて、
「宗教者が科学を拠りどころにしてどうするんだ」という後味を残してしまった。

確かに科学と哲学と宗教は、先端のところで不可分になっていくだろう。
しかし、だからといって、
宗教の始祖というものが大昔に会得した壮大な気付きのようなものを、
科学的データを拠りどころに自分のものとするのは、
なんだかそれは、宗教的なドーピングではないかと思うのだ。

それが玄侑氏の本意でないことは、彼の作品を読めば分かるのだけど、
衆生の民へあの世を説くことに向って、何故そんなに邁進するのかが不思議なのである。

それに私は、例え釈尊が「五感が全てではない」と、そう言ったとしても、
超常的な感覚を追い求めたりすることは無意味だと思っている。

なぜ人間には-私には-五感しか備わっていないのか、
犬のように視覚で温度が認識できないのか、
その意味を考えながら生きていくことの方が大切な気がする。

人間が管理不可能なものは、管理不可能なままにしておけばよいのだ。
その状態に耐えられる者にだけ、祈りが存在する。

2004年10月29日(金) 陛下万歳



2005年10月28日(金)

家に戻る。

1年ぶりのKちゃんは元気で、去年より幸せそうに見えた。
その連れ合いも、今の自分は幸せだと言った。

「のりこえたね」と言ったら、嬉しそうに笑った。

よかったと思う。

2004年10月28日(木) 生死への共感



2005年10月25日(火)

Kさんと、山の中にいる。
ここはナラのどんぐりやオニグルミがどっさり積もる林だから、
獣の気配があちらこちらにあって、Kさんは戦々恐々としている。

明日も一日通って、その後は東京で仕事だ。



2005年10月22日(土) 消費者熱狂

Aと一日過ごす。

庭の落ち葉をきれいにし、家の掃除をし、文具やと図書館へ行った。

夜のラジオでは、野球をやっていた。
観衆の応援があまりにサッカーのそれと同じなので、驚いた。

ゲームを熱狂的に鑑賞できれば、何でもよいみたいに見える。

最近はどうも、スポーツ観戦とか音楽会の鑑賞やら、講演会の聴講の類に、
どうも懐疑心を抱いてしまう。

そんな暇があるのなら、例え下手糞でも、そうしたことを
自分自身がやったほうがよいのではないか、という気がしてしまう。

そう思ってしまうのは、これらに共通するのが、とどのつまり
「消費活動」だからなのだと思う。「購買活動」と言ってもいい。

どうも私は、そうした方々が、
「金を出した」という時点で、無責任に批評できる免罪符を手に入れたつもりでいるのではないか、という
意地悪な仮定をしてしまうのである。

2004年10月22日(金) はんらんの話



2005年10月21日(金)

シャープペンシルはまったく大した発明だとは思うけれど、
芯が無くなった時だけはそう思えない。
書けない筆記具ほどみじめなものはないのだ。

いまいましいことに、手にするもの片端から芯切れである。
スカスカと情けない空振り音がする。

そこで、家中のシャープペンシルをかき集め−15本に及んだ−、
この際一気に補充してしまうことにした。

日常使いのものから、多分これは使わないだろうというような
何かの景品でもらった携帯用のものまで洩れなく集め、芯をつめる。

それでも、もう二度とあのスカスカに出会うまいとの執念で、
未着手のシャープペンシルがないかと、家の中をうろつきまわって、探す。

2004年10月21日(木) 嵐の後に来るものは



2005年10月20日(木) 毒がまわっている

体調不良。
仕事に追われていないから駄目なのだと思う。

箸一つ持ち上げるのも、億劫になっている。
呪縛を振り切るように、図書館へ資料収集に行く。

長野県の郷土誌やら行政資料やらの棚をごそごそ探し、
コピーの手続きをとり、複写機に向う。

自分でとるのは面倒だなと、また億劫が顔を出す。
素人にやらせると本が傷むだろうし、と屁理屈をこねる。

これが国会図書館だったら、のんびりコーヒーでも飲んで
待っているだけでいいのに、と、ないものねだりをする。



2005年10月19日(水) 嗅覚を失う

体調不良。

咳止めのために数滴たらしたラベンサラの、強烈なはずの芳香が、まったく感知できない。
嗅覚が失われていることに、ようやくそこで気がついた。

視覚ほどには生活に影響を及ぼさないけれど、
聴覚ほどには私の楽しみを奪わないけれど、
嗅覚は、五感の中で一番大切にしている感覚なのだ。

記憶に直結して、今ここに存在する自分の前後の文脈をつけてくれる、
私にとってはそんな大切な感覚器官なのだ。

だから、何だか寂しくて仕方がない。
ずっと何かが損なわれているという気持ちがついてまわる。

2004年10月19日(火) 運転憎悪



2005年10月17日(月) 参拝される日

風邪気味のAと風邪気味の私で、日がなラジオを聴く。

小泉総理が靖国参拝のニュース。
またこれで騒がしいだろうなと思う。
日本国内が、である。

何だかこれは、日本人のナショナリズム高揚のためのパフォーマンスではないかとさえ思ってしまう。

あの変な神社へどこかの「個人」が参拝したと言うことは、
その個人の責任にしておいたらよいのである。
そんなことは預かり知らぬこととして、自分は自分の善行を積めばよいのである。

そして、ナショナリズムを思うのならば、
為政者でない者は、その立場をよくわきまえた方がいい。
自分と為政者が同じテーブルについていると考えないほうがいい。

むやみに「首相が参拝することの何が悪い」などと加担すれば、
いつの間にか自分も英霊とやらにされてしまい、
件の神社に祭られる羽目になる。
そしてその時に参拝しにやってくるのは、為政者なのである。

2004年10月17日(日) 



2005年10月16日(日) 真夜中の引力

季節の変り目で不健康一家なんである。

Aは寝しなにヒューヒューコンコンと変な咳をして苦しそうだった。
七転八倒しながら、深夜に近い頃、疲れて眠りに落ちた。

そして眠りの浅い真夜中に、がばと起きだし、やけに覚醒した調子で、
なぜ人は地球から落ちないのか、と訊ねてくるのだった。

いつかAにしてやった、人や動物は球体の上に住んでいる、という話を、引っ張り出してきたのだということは、すぐにわかった。

察するに、カラ元気を演出しなければと思いをめぐらせたのだろう。
具合が悪い子どもというのは、妙に変に気を回すものである。

そうした配慮には気付かないふりをするのがよいかなと思い、私も
「それは引力があるから」と真夜中に真顔で答えるのだった。

2004年10月16日(土) 前腕部怪奇譚



2005年10月13日(木) 冬支度

小さい頼まれ仕事を一つすませたら、ぽっかりと手があいた。
スケジュールを改めて確認すると、確かに今週はもう何もすることがない。

これは冬支度のためにどこからかやってきたギフトということにした。

体が凍える前に準備をしないとひどいことになってしまうから、
ムーミン谷のトロルのように、冬の前には周到な準備が必要だ。

秋晴れのベランダへ、冬物を虫干しする。
夏のシャツやなんかを、たたんで箪笥にしまう。

床を拭き、断熱材とカーペットを敷く用意をする。
ストーブのフィルタを掃除する。

着々と手を動かすが、それでもやはり、寒くなるのは憂鬱だ。
冬の寒さと暗さを少しでもなぐさめるために、
クリスマスなんて祝祭日があるのではないかと思ってしまう。

2004年10月13日(水) 奴らの足音のバラード・秋冬編



2005年10月09日(日) 貧困救済の役割分担

山の家にAを残し、甲府へ。
N先生とT住職が講師の、ある講演会へ。

曽野綾子氏の基調講演。
「わからないと思いますが、貧困とは、その日の夜食べるものがないということです。」
日本財団理事長時代の、海外援助プログラムの経験から来たコメント。
やはりそうなのだ、と思う。
一方でやはりどうしても、本当にそうなのかな、と思う。

日本人の私には理解できない貧しさは存在する。
そして、その取り扱いについてはとても難しい。

そして、世界の貧困は、何かそれを自覚していなければ責めを負うような、
そんなものではない。そういう気がする。



2005年10月06日(木) 軍配

木村庄之助という名前が似合いそうな人と、
木村庄之助のような仕事をする。

もうひと方は、あらゆることについてすべからく中途半端に知見をもっており、
その「中途半端」であることよりも、「あらゆること」に軍配が上がり、
私は大層感心したのだった。

2004年10月06日(水) 至福上京



2005年10月03日(月)

今度は地元で奇祭。大変なことである。
そしてここでも危険度外視の炎が、神に奉納される。

見においでと招待したTちゃんは火が嫌いだったことを、うっかり忘れていた。
しまったと思った時にはもう炎をあげた松明がうろうろする参道にいて、
Tちゃんは舞い上がる火の粉に顔をこわばらせていた。
そして小さいAも、危ないコワイと叫んでいた。

家に火が飛び移ったりしないように注意しているし、危なくなったらちゃんと消防士が水をかけたりするんだよ。
Aに説明しているが、心の中では必死にTちゃんに語りかける。

なぜ神に炎を奉納するのか、と少し納得したAが問う。
答えに窮していると、自分で「神様が元気になるから」という答えを出した。
いい答えだねと、松明の炎から目をそらしながらTちゃんが小さい声で言った。

2004年10月03日(日) ナガランド州を探せ



2005年10月02日(日) 大貧民ワールドカップの行方

新聞に連載されている林雄一郎氏の記事を読む。

貧富の差は世界中に広がり、一層グローバル化するだろう。
さらに貧困層が富裕層に成りあがれる可能性は一層低くなっていくだろう。
そうした中で、貧困層によるテロ活動は、今後広がっていく可能性がある。
と、このようにある。



富裕層と貧困層が発生することが、争いの種なのだろうか。
どちらかというと私は、そこにあるアンフェアの存在が問題なのではないかと思う。

大富豪と大貧民が否応なくカードを交換させられるその巧妙なルールがある限り、
林氏の言うとおり、最後の手段はテーブルをひっくり返し、ゲームをご破算にする、ということになるだろう。

そう思う一方で、
社会がフェアであれば金持ちとしての生き方と貧乏人としての生き方があってもよいではないか、というのは甘い勘違いで、
私はただ「貧しい」ということの意味が分かっていないのかもしれない。
そういう風にも思う。

フェリーニの「道」の貧しさを、私は多分とうてい理解できないし、
自尊心を残した貧しさなどというのは、所詮そうしたレベルでの貧しさにすぎないのかもしれない。

わからない。

2004年10月02日(土) アート



2005年10月01日(土) 狂気のオクトーバー・フェスタ

Y君夫妻の家へ。地元の奇祭によばれたのである。

夏の祭りはまったく観光用で、
諸々の収穫後の祭りこそが、ローカルでは本番だ。

手づくり煙筒から吹き出る炎と、火の粉の雨を浴びる奇祭。
見物客のいる場所へも、容赦なくそれはふりかかり、
神社境内の外に及ぶ。



何しろ、尋常ではない。
馬鹿みたいに危険で、馬鹿みたいに意味のないことを、
神事と称してやっている。やることが必要と思っている。

集落ぐるみで日常の憂さを晴らし、コミュニティを持続するには、
子どもが震えあがり、青年が驚き、大人が興奮し、年寄りが喜ぶ、
こういう度肝を抜いたイベントが必要ということなんだろうか。

秋の夜空にドカンドカンと花火や火柱があがり、
それと一緒に里の狂気が空へのぼっていく。


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