浅間日記

2004年09月12日(日) あるベクトル

続く話をそっちのけに、日々を記す。
あれは時間がないと書けないのである。

小学生に留年を、というニュース。
教育という分野は、その活動をあるベクトルに向けたくて仕方がないようである。

小学生にあたる5歳から12歳という発達過程にある年齢では、学年があがるということと体と心が成長する、ということは、不可分のことなのだ。
少なくともこれまでの教育を受けてきた自分にとっては。

だからそれは、九九が覚えられなくても漢字がかけなくても、
生命体としての自分は成長し、それは等しく肯定される喜びなのだ。
留年制度というのはそういう自己成長感を否定するような制度に思う。

だったら最初から学校など行かなければいい。



街角で自衛官募集のポスターを見る。
若者へ、言葉巧みに、そこに生きがいがあるかのようなメッセージ。
華氏9.11で、貧困地域を兵隊募集のため徘徊していた米兵が出てきたが、
彼らの言葉と全く同じである。

学校教育で、当然あるべき自己肯定感や生きがいを奪い、
すっからかんになったところへ、「国のため」という媚薬を与える。

あるベクトルというのは、本当に大したものである。


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