浅間日記

2005年08月29日(月) 言訳無用のボディブロー

昨日は、ちょっとしたお楽しみのイベントの、ついにその日だったんである。
準備の期間の長さに比べて、本番の何と一瞬で断片的であることか。



そして私はなんと、N先生が用意した貴重なフィルムの上映中に機械が故障するという致命的なヘマをやらかして、たくさんの人を心からがっかりさせてしまったのだ。

何とか全体としては成功をおさめたものの、喉に刺さった魚の骨のように、見られなかった映像の続きは、全員の頭の中にあるはずだ。
何よりもN先生に申し訳がたたず、私は重大な約束違反をしてしまった感じだ。

仲間の、お前が一番わかっているだろうから言わないけど、という感じの配慮ある空気に、本当のことを言ってくれ、いや言わないでくれ、と思う。

そういうヘマは、非日常のうかれた気分が落ち着くにつれじわじわと現実味を帯びてきて、今日はもう8ラウンド目のボディーブローのように足にきている。


成功だけでなく失敗も、結果ではなくプロセスに意味がある。
失敗へ至るプロセスをどこかで気づいていながら、
言訳をして何とかなるとないがしろにしたことが問題なんである。
思い当たる節はたくさんあって、ああ馬鹿だったとリフレインする。
だいたいこんな企画すべてが無謀だった、とさえ思ってしまう。

失敗してもいいからチャレンジすることだ、なんて、世迷言でしかない。
少しでも社会性をもつ物事の失敗は、してはいけないのだ。
失敗するぐらいなら、やらないほうがいい。
自分ではない、ちゃんとうまくやれる人がやればいいのだ。


ああ、誰かのせいにしたい。

2004年08月29日(日) 



2005年08月24日(水) 環境省の仕事

環境省地球環境局地球温暖化対策課国民生活対策室による「チーム・マイナス6%」という取り組み。

「6つのアクション」と銘打って、国民に生活の指南をしている。
「チーム員」という位置づけで政治家やタレントとか有名人がならび、まるで芸能人名鑑みたいになっている。



これが民間運営であれば、別に文句はないし大いにやればよいと思うのだけれど、
行政の手にかかる、こういう気持ちの悪い連帯感の強要は、私は本当に苦手なんである。

そして、このチームが主催するというイベント。
何人集めるのか知らないけれど、沖縄まで環境負荷をみすみす持ち込むようなこんなものを主催することのどこが地球環境問題に貢献するのかさっぱりわからない。

もう地球環境問題は環境省の管轄から外してくれと言いたくなる。せっかく庁から省に格上げになったのは、こんなことをするためなのか。



もちろんスガシカオは私にもやめられないし、チャンスがあればライブに行きたい。しかしそれとこれとは別だ。
否、別というよりも、汚い言い方をすれば「私の好きなものを利用しやがったな」という思いが強い。



2005年08月23日(火)

県内を南へ北へ。

Hは風邪でフラフラすると言って寝込んでいる。

外見が屈強な分、身体の調子が悪くてもあまり心配する気になれない。
しかし数年前に、そう思っていたら実は脊髄から髄液が漏れていて即入院、ということがあった。

それは足の手術後だったせいもあるのだけど、最悪な状況の時に私は呑気に彼を蕎麦屋へ連れ出したりしたんである。

だから、この男のことをあまり手放しで健康と思わないよう、最近は自戒している。体調が悪い時に思いやってもらえないのは、それが誰であっても可哀相なことだし。



2005年08月22日(月) 無名で何が悪い

田中康夫が新党結成。派手な報道。嘆息。



何者かになりたい人を祭り上げるマスコミの体質は、市井の人々を幻惑させる害毒だ。

世の中のほとんどの仕事は、そして生きていくという作業は、地味なものであり、特に面白くもなく、注目だってされない。それが本来なんである。

そういう延々と続く孤独で単調な道を、楽しんだり頑張ったり自分なりの見通しをつけて歩くことが、自立した大人になるということだ。そしてそうしたことの積み重ねの中に微量に検出されるのが、成果とよばれるエッセンスであるべきだと私は思う。

華やかで有名にならなければ、そして一攫千金をつかめなければ、何かをやったことにならない、生きている価値がないなどと思わせるような−特に若い人達に−マスコミの幻惑に、足元をすくわれてはならないと思う。

人生の質において有名無名は関係ない。
向き合うべきは、自分自身でしかないのだ。

「無名」を著した沢木耕太郎さんだって、きっとそう思うだろう。

2004年08月22日(日) fado for climber



2005年08月20日(土) 何者かになりたい症候群 政治編

所用で街へ。久しぶりにテレビを目にする。
自民党から立候補する堀江何某が映っていた。

ナニワの商人はずっと商人でいてほしいと私が願ったこの人は、やはり政治家を志向してしまった。
ブルータスお前もかと、好き嫌い以前の問題としてそう思う。



ある分野を極めたものは、すべからく政治に向う。
マックス・ウェーバーだってそう言っている。

そして今の日本の場合、政治が機能していないから特にそうなる。
何者かになりたい人のために政治家という職域があるのではない。



国民の代表として存在するのが国会議員の本質なのであり、
国民をやたら指導したい人とか、無知な大衆をリードしたい人とか、
ましてや有名になりたい人などではない。

少なくとも私はそのような国会議員を全く求めていないし、
私の素晴らしい平凡な人生に、それは足手まといでしかない。

政権に向おうとする、迷惑な使命感や欲目の道がこれからも拡張されるぐらいなら、国会議員なぞくじ引きで決めた方がましだ。
裁判員制度にならっていっそそうしたらどうか。

2004年08月20日(金) 「うちの社長は駄目社長」と客に言う社員



2005年08月18日(木)

本日は山のリゾート地にて仕事。

少々、否、相当時代遅れの観光施設を抜け、ガスのかかる高山帯へ。
シラベやコメツガの森をてくてく歩く。
光と風は秋の気配10%、残暑90%という感じである。

コケモモの実は、来月上旬には食べ頃になりそうだなと観察しながら、
休憩する登山者をすり抜け、さっさか現場に向う。

こちとら仕事なのであって山登りが好きなわけではないのだ、
という風の気障を装う。



2005年08月17日(水) 何者かになりたい症候群

山を一つ、二つ越え、浅間山文化圏で仕事。
供のいない長距離運転は、腹の足しにもならない雑念が湧いては消える。



「なにがしかの者になりたい」という気持ちは、
今も昔も人の正直な気持ちとして存在する。

気になるのは、最近のそれの多くが
「何か有名な者」とか「何か儲けのある者」であるということ。

無名というのは無意味ではない。
往々にして、無名でいられる勇気と実力のない人が、有名になることを目標にする。そんな気がしてならない。
本当に個人で立つ人というのは、そんなことを考える暇などなく、自分のテーマと対峙しているはずなのだ。

それに−諸々の弊害があったにせよ−個人としては無名でも、組織の中でまじめに働くサラリーマンという集団に支えられてこの国は現在があるのだ。



青色発光ダイオードを発明した中村修二氏の、「研究者個人に得がなくては研究成果は伸びない」という考えににわかには同意できないのも、そういう点。

彼が大した努力をしていないという訳ではなく、才能のない人という訳でもない。彼に何かが欠けているという資格は別に私にはない。
でも考えには違和感を感じるし、彼は人相が悪くなったなという感想を改めるつもりもない。研究者としてスレイブではなくなったのかも知れないが、金の奴隷になってしまった。そういう気がする。



研究者や発明者の第一のモチベーションが、社会貢献でなくてどうするのだろうか。
何者かになろうとする人の研究成果などたかが知れているのではないかと思うのだけれど、私が知らないだけでそうではない現実があるのかもしれない。



2005年08月16日(火) 開演前

百日紅の全ての花芽が開花して盆を迎え、送り火で夏が終わる。

今年の夏の毎日は、あっという間に私を通り過ぎて行ってしまった。
まるで高校生の夏休みみたいに。

そうだからきっと、一生忘れないでいられることだろう。
何しろ私達は文化祭のようにはしゃぎ、高校球児のように緊張している。

あと数日間こんな慌しい日を送ったら、本当の本当に、
三年前からリズムを刻み続けている私のボレロが、クライマックスにたどりつく。

2004年08月16日(月) 戦没ということ



2005年08月06日(土) 慰霊考

山の家へ。

朝の畑仕事の合間、黙祷する父に慌てて倣う。



世界ではいつもどこかで戦争が起きている。

にもかかわらず実際に使われたのは唯一日本へのそれだけで、
60年間も封印されて続けている。60年間もだ。

原子爆弾というのはそれだけ破壊力のある兵器なのだ。



広島の平和祈念式典。



誤解を恐れずに思う。
被爆者の慰霊と核廃絶の取り組みは、まったく別のものである。

被ばく後30年目ぐらいに明確に分けておくべきだったのではないかと思う。



慰霊の主役は、広島や長崎の人々であるべきだ。
土地の記憶、先祖の記憶とともに永続的になされるべきと思う。
静かに人々に語り継がれ、祈りが成されてほしいとおもう。
だから、市長が象徴的に発言したり代表を務めることには意味がある。

しかし、核廃絶に向けた取り組みに必要なのは祈りではない。戦略だ。
被ばくの当事者世代と次世代以降の課題が同じではいけない。
10年目、20年目、60年目では、やらねばならないことは異なるはずだ。
もし同じであれば、志を継ぐというよりも形骸化に近い。
広島や長崎の「ご当地発言」になってしまってはいけないのだ。



私たちは自分の時代の苦しみや複雑さで手一杯であって、その中で生きている。
一方で情報化は世界中を縮め、ものごとを共有する時代になっている。

その条件の下で私たちは「核兵器をなくす」ということに責任をもたなければならない。
「繰り返してはいけない過ち」をもたらすものは、60年前と同じではない。
それが何なのか検証し、どうすればいいのか考え続けなければいけない。

現代の核廃絶というスローガンの下に、そうした戦略とプログラムが展開されているのか、疑問である。

そしてまた、そうしたプロジェクトを被ばく当事者である広島長崎が背負うのは難しい。
土地と血に痛みと悲しみを持つ彼ら彼女らに、それは酷と思うのだ。

2004年08月06日(金) 後付日記



2005年08月05日(金) 生き残った者

近くの寺で、原爆忌のイベント。

屋外ステージで、チベットの僧侶による声明。
暗闇に浮かぶ木々の梢が、呼応するように風に揺れる。



件の僧侶は、
「釈迦の時代に原子爆弾はなかったから、そうした被害で死んだ人の魂がどうなるかの教えはない。」と明言。

私たちにできることは、祈りをささげ、功徳を積む事だけだ、とも。

シンプルだがその通りだと思う。

私たちは皆「戦争を生き残った者」として生きているのだから、
今を一生懸命生きることが、戦没者への最大の供養だ。

2004年08月05日(木) 合体ロボットの歴史



2005年08月01日(月) 情報公開

夏至もとうに過ぎ、土用も過ぎ、
一年で今この瞬間こそが夏であるという日。

梅を干す。
PCに向う。
布団を干す。洗濯機のスイッチを入れる。
PCに向う。
洗濯の終わった洗濯物を干す。
PCに向う。
米を炊く、糠をかき回し大根を漬ける。
PCに向う。
昼飯をとる。皿を洗う。
PCに向う。
糠漬の大根をあげる、梅をしまう。
PCに向う。



この仕事のアウトプットがこんな工程でつくられていると知ったら、
クライアントもさぞや仰天するだろう。

無菌室で生産せよとか100坪以上のオフィスで生産せよとか、
そういう指定がある訳ではないので、中味さえよければ、
−報告書が糠臭くならないかだけ細心の注意を払うにせよ−
これでいいのだということにする。

2004年08月01日(日) 水難事故多発


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