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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
アークティック・ミッション

東京・東中野の「ポレポレ東中野」という小さな映画館で、1月18日まで「アークティック・ミッション」という海洋記録映画が上映されています。
カナダの海洋調査船セドナ号の北極(アークティック)探検航海(ミッション)を記録したドキュメンタリー。
友人のおすすめで見に行ってきたのですが、私にはとても面白い…というか幸福になれる映画でした。

なにが幸福なのかはちょっと置いて、まずは映画のご紹介。
この映画でとりあげられている海洋調査船セドナ号の北極(アークティック)での任務(ミッション)とは、
(1)地球温暖化の影響調査。
(2)1845年に北極航路開拓のため探検航海に出て行方不明となったサー・ジョン・フランクリンと指揮下の2隻H.M.S.エレバスとH.M.S.テラーの調査
の2点です。

カナダの海洋調査船セドナ号は、十数名のクルーとともに、カナダ大西洋岸のハリファックスを夏の初めに出航、北アメリカ大陸の北(ラブラドル海とクイーンエリザベス諸島を抜けてボーフォート海)をまわり、ベーリング海峡経由で太平洋に向かいます。

途中、融けだした永久凍土や、氷がなく陸続きにならないため海が渡れず餓死したシロクマなど、地球温暖化の明らかな証拠を記録しつつ、流氷の隙間をぬって北極海を進むのですが、地球温暖化が進み気温が上昇したと言われる21世紀に、最先端の科学機器のサポートを受けても、真夏の短い期間に流氷の残る北極海を北まわりで大西洋から太平洋に抜けるのは、容易なことではありません。
レーダーやGPS、気象衛星、さらに航空機による上空支援を受けても、流氷に閉じこめられかねないピンチに再三再四遭遇、閉じこめられたら最後、翌年の夏まで脱出できなくなりますから大変です。

ベテランの船乗りと科学者、男女十数名の混成チームがどのようにこのピンチを乗り切っていくか?
記録映画であると同時に冒険航海ドラマとしての側面も、この映画はもっているというわけ。
それが、昔大好きだったある番組を思い起こさせてくれて、私に楽しいひとときをもたらしてくれました。

昔むかし、まだ私は小学生だったので1970年代の話だと思うんですけど、日本テレビ読売系で「驚異の世界」という紀行番組があって、そこで定期的に「クストーの海底世界」というドキュメンタリーを放映していました。
ジャック・イブ・クストー船長率いるフランスの海洋調査船カリプソ号の冒険ドキュメンタリーです。

クストーは記録映画も幾つか撮影していて、「沈黙の世界」と「太陽の届かぬ世界」は有名。これはビデオでは昔出ていたのですが、今では入手がむずかしいかしら。
TVで放映していたのは、映画ほど大がかりなものではなく、例えばオーストラリアのグレートバリアリーフとか、南極の氷の海とか、ギリシアの沈没古代船の発掘など、カリプソ号が手がけた調査の過程を記録し、紹介する30分番組でした。

最初は海中撮影の物珍しさに惹かれて見ていたのですが、シリーズを何作も見ているうちにカリプソ号の乗組員たちの顔を覚えてしまい、また抜群のチームワークを誇るカリプソ号クルーの独特の雰囲気というか、あの船の持つ空気みたいなもの…を楽しみにするようになりました。

カナダの海洋調査船セドナ号にも、セドナ号独特の空気というかチームワークのようなものがあるのです。それが映画を見ているとつたわってくる。なんだかとても嬉しくなります。
これはフィクション、ノンフィクションを問わず存在する海洋モノの一つの魅力でしょう。
もう一昨年の日記になりますが、オーストラリアにM&Cを見に行って初めて書いた映画感想(2003年12月23日)に「サプライズ一家」のことを書いたと思うのですが、これも同じようなものです。

してみると、私に海洋モノのもう一つの楽しさを教えてくれたのは、あのクストーのカリプソ号だったのでしょうか?
先日、朝日新聞をぱらぱらと見ていたら、活動を停止したクストーのカリプソ号は、カリブ海のバハマで博物館として展示公開されることになった…という記事が出ていました。
あぁ行ってみたいなぁと思ってしまったりして、でもカリブ海遠いなぁ。

さて、セドナ号のもう一つの調査対象であるフランクリン探検隊について。
19世紀の半ば、まだパナマ運河の無い時代、イギリスは、ホーン岬まで南下せずカナダの北をまわって太平洋に抜けることのできる航路を開拓しようとしていました。
北極海を木造帆船で航海しようとしたのです。

1845年英国海軍はサー・ジョン・フランクリンの指揮するH.M.S.エレバスとH.M.S.テラーという2隻の軍艦を北極海に派遣しました。
彼らは短い夏を利用して果敢に西をめざすものの、やがて流氷に閉じこめられ、そのまま一冬を越冬します。翌夏航海を続行しますが、結局流氷からは逃れられず、三冬目にその消息は完全に消えました。

極北の島々に残されたわずかな手がかりから、フランクリンは1947年の冬に死亡したこと、1948年までは一部の乗組員が生存していたことが確認されていますが、2隻の艦の運命はいまだに謎のままです。
先日テレビで放映されたシャクルトンのエンデュアランス号のように、氷に押しつぶされ沈没したのではと推測されているようですが。

今回の調査でセドナ号は、この2隻のものと思われる船の肋材や金釘の一部を発見します。
今後の調査が待たれるところです。

このフランクリン探検隊の話を最初に聞いた時には「そんな無茶な」って思ったのですよ。
網走まで流氷が来る日本人の常識からしたら、そんなカナダの北なんてまわれるわけない…って思うでしょう? でもよく考えてみたらヨーロッパの常識って日本の常識とは全く違うんですよね。
ロシアのムルマンスクでも海が凍らない。

それでヨーロッパというか、大西洋の東側の流氷限界を調べてみたら、なんと北緯70〜75度なんです。だからイギリス人たちは「北極海も行ける!」って思ってしまったんでしょうか?
でも実はカナダ…大西洋の西側だと流氷限界は北緯45度で、流氷の来るハリファックスは、日本の稚内とほぼ同緯度。だから日本の常識で「これは無茶」っていうのは、この場合、間違ってないと思うんですけど。

さらに、じゃぁ日本で流氷の来る北緯45度はヨーロッパでは何処になるかというと、イギリス最南端よりさらに南、フランスのボルドー(ビスケー湾)、イタリアのヴェネツィア…が、なんと稚内か網走かって緯度なんですね。ヴェネツィアなんてアドリア海ですよ。うそだぁ〜。

ところで、この悲劇の探検隊の指揮官だったサー・ジョン・フランクリンは1786年生まれでした。
ということはナポレオン戦争の時代に、士官候補生として海軍に入っている筈、1805年に19才だから、M&Cのカラミー候補生くらいの年回りです。
当時の資料(王国海軍士官名簿)をお持ちの方が調べてくださったのですが、

サー・ジョン・フランクリンは1786年4月16日生まれ。1800年14才で海軍に入り、1807年12月に21才で海尉任官試験に合格、翌1808年22才で海尉、この時代が長く、1821年35才で海尉艦長(コマンダー)、翌1822年36才で勅任艦長の地位にたどりついています。ナイトに叙せられたのは1829年、1834年に海軍を引き1845年までヴァン・ディーメン島の総督を務めますが、この探検の指揮をとるために1845年に海軍に戻り、1847年北極海にて死去、61才。死後少将に叙せられる。

これは単に数字だけの記録なのですが、あの時代(19世紀前半)の海洋小説に親しんでいると、この数字記録からも見えてくるものがあります。
一度は現役を引き、総督職にあったフランクリンが何故、このために復帰の決意を固めたのか…、小説家が物語を書きたい!と思うのは、きっとこういう記録に出会った時のことなのでしょう。

話がまわりまわってこんなところまで来てしまいましたが(だから更新が遅いのだろうって? えぇその通りですね)、この映画まだ1週間ほど上映してますので、興味をもたれた方はご覧ください。
映画の詳細は映画館のHP: http://www.mmjp.or.jp/pole2/ にて。

映画を教えてくださったKさん、資料をご提供くださったTさん、ありがとうございました。


2005年01月10日(月)