せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年09月26日(月) 熱帯低気圧停滞中

今日の日記を書こうとしたら、どういう訳だか昨日の日記が中途半端なまま二日分載っていて、何やら不気味であった。ハロウィーンには未だ早い。

気を取り直して、本日の日記へ。



今日は久し振りに雨が降っている。大型台風が上陸してはらはらしているうち、そいつは何時の間にか熱帯低気圧に減速したようである。

しかしその低気圧が接近中の所為だか何だか知らないが、巷の人々は、というかこれは主に「火の星座」の人々だが、今日は何だか奇妙な言動が頻発していて、こいつら大丈夫かヲイと心配になる。何やら過剰反応というか注意力散漫というか、全体的にそわそわしている感じである。

今日は蟹座の月。天秤座の太陽や木星とは、角度が悪い。それに牡牛座の火星はこの土曜辺りから逆行モードに移るので、今頃その準備の為にほぼ停止状態である。火の星座の皆さんに取っては、微妙な日ではある。

でも明日は獅子座の月だから、もう少しの辛抱。これ以上キレないでね。



それにしても「忙しいから」と言えば何でも済むと思っている馬鹿がワタシの周りには多くて、一々腹立たしい今日この頃である。

忙しいのはお互い様。だからと言って他人に失礼をして許されるという話は無いだろう。こういうところで人間性が窺われるというものである。外交的・社交的術を備えていない社会人というのは、大変扱い難い。

ワタシはもう当の昔に「万人に好かれたい」などという気力をすっかり無くしてしまったので、例えば同僚なりパーティーで知り合う人々なりと会話が弾まないとしても別段驚かない。ワタシ自身が詰まらない人間だからなどと自虐的な事は思わない。寧ろ相手の方が打てども響かない「ニブちん」なのだろうと思う事にしている。


自分で言うのも難だが、ワタシは昔から世代を問わず誰とでも幅広いお喋りが出来る性質の人間である。

だから、ワタシが相手をするのに苦労するような人間というのは、余程甚だしく社交性の欠如した者だったり何やらの心理的事情を抱えており自分を曝け出すのを恐れているとかいう様な拠所の無い事情を持つ者だったりする事が多い。

そんなのに一々振り回されていたらこちらの身が持たないので、パーティーなどだったら、そうさね、五分くらいは付き合って彼是話題を振ってみるかも知れないが、それで手応えが無ければ、時間の無駄だからさっさと次のお喋り相手を探しに行く。人生は長いようで意外と短い。

先日のパーティーでも思ったのだが、頭でっかちなのかそもそも友達がいないのか、どうにも話が繋がって行かない相手が多すぎて、折角新しい友達を作ろうと思ったのに結局いつも見掛ける連中のところへ戻って来てしまうような次第である。

妙にのりが良いなと思って見ると、あの恐ろしい「アニメ・オタク」と呼ばれるような類の不気味な成りをしていたりして、中々気を抜けない。大概そういうのは理科系分野の人々だったりするというのは偏見かも知れないが、しかし薄暗い会場で見る「アニメ・オタク」は、また一段と恐ろしい。

尤もワタシの同僚らの大半はそういったパーティーに足を運ばないので、そういう機会を活かさない奴らの方こそ寧ろダサいとワタシは思っているくらいなのだが。



まあ兎も角、ワタシはこの頃多忙さを言い訳に人々との交流や輪を広げる活動に中々手が回らないでいるのだが、それはいかんという事で、そろそろ何とか時間を見つけて色々な人々と出会うようにしようと思う。

しかしそう思って何か催しを提案してもうんともすんとも言って来ないようなのが同僚に余りにも多いという事実は、折角の気力を削ぐ。こんな奴らと一緒に何かやろうというのが間違っているのだろう。

良き友を求めてさすらう秋。



2005年09月25日(日) 週末の彼是

金曜日には、一通り作業を片付けた後パーティーに出掛けて、そのパーティーでいつも見掛ける「踊り仲間たち」と久し振りに再会して愉しく過ごした。

そこでは「DJ」という音楽職人が三人程雇われていたのだが、これがまたどいつもこいつも下手糞で、素人でも明らかに分かるような酷い「繋ぎ」具合だったので野次が沢山飛んでいたのは難だが、そのうちのひとりがワタシの「踊り仲間たち」のうちのひとりの友人だというので、ワタシは表立って野次らない事にしておいたのは正解であった。


そのパーティーに来ていた同僚のうちの一人が偶々近所に住んでいるという事が分かったのだが、ワタシはこいつが余り好きでは無いので、相当鬱陶しく思いながら生返事をしておいた。請われるまま携帯電話の番号を教えたのだが、しかし実際問題としてもし掛かって来ても出ないだろうと思う。

この同僚はワタシの所属団体が行うパーティーや他の同僚がやるホームパーティーなどの際、必ずガアルフレンドを連れて来る。ところがこの娘は全く愛想が悪いので、折角パーティーに連れて来て貰っておいて逆に自分の男の同僚たちに気を使わせるという、とんでもない馬鹿である。

とワタシは常々思っているのだがそれは兎も角として、今回はその娘が来ていないので、一体どうしたのだとワタシは訪ねる。すると彼は、その話はしたくない、と言うのだが、しかしワタシは、あら、でもそれはどうして、と更に突っ込んでみる。

何しろこいつは友達でも何でもない奴だから、聞いたらそいつが気を悪くするとかいうような配慮をする云われは無い。完全に興味本意丸出しである。

しかし黙って話を聞いてみると、要するにお互い忙し過ぎて時間が取れないのでムカついているとかいう、まあ在り来たりな話であった。あんまり勿体付けるから、「大喧嘩の末別れた」とでも言うのかと思ったのに。

然程親しく無い人間の不幸話またはゴシップというものは、やはりある程度の大仰さがあった方が面白いものである。


しかしそれはこの男に取っては余程堪える事情であるらしく、何を勘違いしたのか女がいない隙にワタシに色目を使い始めたので、困った。

こいつはワタシよりも十くらい若い癖に既に腹が出ていて、身長もワタシと然程変わらないし特に可愛いというような顔立ちでもないような、まあ専らワタシが「ちんちくりん」と呼んでいる類の男なのだが、そんな「ちんちくりん」の癖にこいつは口が減らない。余計な事をぺらぺらといつまでも喋っていて、しかも話には実が無い。時には他人に対して随分失礼な言い草だったりするのだが、それで人を憤慨させておいて「ただの冗談だから気にするな」などと言い訳をする、生意気な「ガキ」である。

そんなのが寄って来て、事ある毎にワタシの身体に触ったり下らない話をしてワタシの邪魔するので、ワタシはその晩何度となく不快な思いをした。しかもこの馬鹿は踊り方を知らない癖に、組で踊るべき音楽が掛かると「一緒に踊ろう」とやって来てはワタシの足を踏んづけたり足を出す方向をすっかり誤ってちぐはぐな踊りをしたりして、ワタシは人前で大変恥ずかしい思いをしたのである。

それでも手を離してくれないので、仕方が無いからワタシはこっちの足を出せとかオイチニイなどと掛け声を掛けながら教えてやったのだが、それでもこの馬鹿は基本的なステップすら一向に習得出来ないでいるので、一曲終わる頃にはワタシの方が疲れてしまい、新しいビールを取りに行く振りをして奴の手を振り払って逃げなければならなかった。

周りの人々、特に「踊り仲間たち」はこの様子を気の毒そうに眺めており、ワタシがこの馬鹿 の仕業に度々苛々して目を回したり眉を顰めたりなどしていると、何処かしらでワタシに同情の眼差しを送る者があった。その度に、嗚呼誰でも良いからこんな 馬鹿を振り解いてさっさとワタシをさらって行って頂戴、と念じるのだが、しかしそういう時に限って良い男というのは中々現れないものである。残念無念。


そうこうしているうちそのパーティーが終了して、ワタシたちはまだ踊り足りないような気がしていたので次に何処かへ行こうと話していたのだが、彼是とお互い取り止めも無い話をしているうち少し酔いが冷めて来て翌日の心配などし始めたので、人々は三々五々帰り始めた。

そのうちその馬鹿な「ちんちくりん」がその減らない口でもって、うちの近所で軽く呑もうというような事を言い出した。しかも奴は家の方角が全く逆の他の同僚まで誘ってしまったので、翌日に早起きの予定があるワタシは一杯だけという約束でそれに応じる事にして、一先ず皆して電車でワタシたちの家の方向へ移動する事にした。

電車を待っている間、「ちんちくりん」は偶々近くで下品な話をして大笑いしていた女性二人組を見つけると、彼女らに話し掛けた。どうやら向かう方向は一緒である。奴は何とかして彼女らも仲間に加えて一緒に呑もうという様な事を考えているらしく、口説き始めた。

しかし向こうさんの方が一枚上手であった。主に下品な事を話して目立っている方の女性はワタシと同年代で、もうひとりは更に年上であったから、こんな若造(しかも馬鹿)の扱いは手馴れたもので、奴が何を言っても上手くかわしている。

とは言え、この女性も特に頭が良いとかいう訳ではなくて、只単に「遊び慣れた年増の酔っ払い」というだけのようであった。電車の中でも大声で下品な話をして人々から注目されたり笑われたりしているので、ワタシは少し距離を置いて座る事にしたくらいである。

そのうち同乗していた警察学校の生徒らしい男性らにも声を掛け始め、良かったらこれから呑みに行くからお兄さんたちもご一緒しない?などと誘い始めたので、おやこれは面白い事になった、既に男が二人一緒に居るのに更に(段違いに体格の良い)「制服男たち」*を誘ったら、一体どういう競争が起こるのだろう、などとワタシはひとりほくそえんだ。


(*そういえば日本で「制服男」と言っても、相当ダサい制服が多いからピンと来ないかも知れないが、この国の制服には軍隊から警官、消防士に宅配便のお兄さんまで、中々格好良いのが多いので、例えばぴしっと折り目の付いたおズボンから垣間見える鍛え上げられた流れるようなお尻のラインなどは、女性たちの溜息を誘う(場合が多い)ものである。)


ところがそうこう言っている彼女の携帯電話に彼女が最近付き合い始めたという「外国人男性」から電話が掛かって来て、あら今日は駄目よ、もっと早く言えば良かったのに、明日だったら来ても良いけど、などと話しているのを聞くにつれ、傍で聞いている警察学校生らの表情が忽ち沈んで行くのを見て、ワタシは更に可笑しくなった。

そうよ、彼女には他にも男が居るのよ。上手い具合にご馳走にあり付けると思ったでしょう。お馬鹿さん。うふふ。世の中そうはイカの金玉。

他人の不幸がこうして手に取るように見れてしまうなんて、今夜は愉快だなあ。


そのうち「ちんちくりん」が、ただ一寸話をしようと思っただけなのだがこんな騒がしい事になってしまって済まないなどと脇で言うので、おおこいつもご馳走を掻っ攫われてがっかりしたのかと思う。身の程知らずな事である。

しかし謝るくらいなら初めから馬鹿な真似をするなとも思う。いつもふらふらしていて、手前の行動には中身が伴っていないという事を自ら宣言しているようなものではないか。だから馬鹿だと言うのだ。相手を見ろ。

尤もこいつも相手も同様に馬鹿という点では、相手を見ろと言ったところで無駄かも知れないが。


電車内のそういった次第もあって、ワタシたちは酔いがすっかり冷めてしまったので、もう後は大人しくお家へ帰ろうというような雰囲気であった。しかしそうすると、呑む積りで付いて来た「全く別の方向に住んでいる同僚」が困ってしまう。

なのに言いだしっぺの「ちんちくりん」は、うちには小さい長椅子ならあるがそこで寝るには一寸小さい云々と、彼の受け入れを事実上拒否する発言を繰り返す。本当にこいつは何処まで馬鹿なのだろう。

ワタシは自分の最寄り駅で電車を降りる。「別方向在住の同僚」も一緒に降りるが、「ちんちくりん」は自分の駅まで乗って行く気らしく降りないので、同僚はややどうしたのだ、呑みに行くのでは無かったのかと言う。ね、だからあいつは馬鹿だと言っているのですよ。あんなのまともに相手をしていたら、貴方もさぞ大変でしょう。


ワタシの家に泊めてやる訳にも行かないので、ワタシはもしもう少し呑みたかったらこの辺りに幾つか店はあるから、一寸歩きますかと言う。どうやら彼ももう余り呑む気は無い様子で、一寸小腹が減ったから、何処か食べられるところを知らないかと言うので、それならもうひとつの電車の駅の近くにあるから行きましょうと案内する。そっちの駅の方が彼にも都合が良いようである。

二十四時間開いている食堂でメニュを開くと、何やらワタシも小腹が減っている事に気付く。朝ご飯のメニュからめんたま焼きにかりかりのベーコンと芋の炒めたの、それに全粒粉トーストが付いたものを選んで食べる。



その時のコーヒーがいけなかったのか、酒が入り過ぎていたのか、ワタシは結局殆ど寝付けないまま翌朝を迎え、公園整備のヴォランティアに出掛ける。

ショベルでコンポストというか殆ど黒土のようなものを掬って、手押し一輪車で移動させて積み下ろす、または熊手で既に落ち葉の落ちた柵内を掃き出して、埃に塗れながらゴミ袋に入れていく、というようなハードコア肉体労働をする場合には、充分な睡眠と朝食をしっかり取ってからでないと都合が悪い、という事を知る。

しかし労働後はいつものように、公園の事務所内に生息する老猫を挨拶がてらなでなでして、彼の長寿と自らの労をねぎらう。


一寸涼しげなるものの、晴天なり。

次のヴォランティア活動先へ向かう道すがら買い物を済ませ、有機物スーパーマーケットでお気に入りのカレーを買って、いつものように公園で昼食にする。犬たちは今日も元気そうに交流している。


良く行くユダヤ教会での食事提供ヴォランティアで、この日は見慣れぬある女性の身の上話を聞く。

この人はラテン系の貧家生まれの下町っ子で、子供の頃から麻薬や犯罪組織との関わりが長く、暫く刑務所にも居たそうである。ところが今ではすっかり改心して、そういったものとは全く無関係でやっていると言う。

「それもこれもユダヤ教に改宗したお陰」と言うので、ワタシも常連のヴォランティアたちも皆、一寸首を傾げる。

右腕にはユダヤ教の者と分かる彫り物も入れたのに、近所のユダヤ教会に通うユダヤ人からは挨拶どころか軽蔑の眼差しで見られるので、このあいだなどは「貴方方の民が受けた仕打ちを思い起こせば私に対してそのような仕打ちは出来ない筈である」と言ってやったそうである。しかし此処のユダヤ教会は女性のラバイ(ラビ)で大変リベラルな人なので、非ユダヤ人でユダヤ教に改宗した彼女のような人々にも門戸開放するから居心地が良い、などと言っている。

ラティーナが「他のキリスト教宗派に改宗」ならワタシも納得が行くのだが、敢えて「ユダヤ教」というのが分からない。西洋人で良く自分は「仏教徒」だと主張するのが居て、あれもワタシなどには一寸気味が悪いけれど、非ユダヤ人が「ユダヤ教」に改宗というのは、元々この宗教はユダヤ民族の為の宗教であるという辺りを考慮すれば、更に不気味である。

ちなみにワタシは「元々二ホンジンで今はユダヤ教徒」というのにも会った事があるが、そいつは日本で生まれたニホンジンでありながら、いつも白い長袖シャツに黒いおズボンで頭の上には「ヤムルカ(ワタシが「キッパ」と呼んでいた丸い小帽子)」を乗せた、典型的「オーソドックス・ユダヤ人」の格好をしていた。

これについては、オーソドックスでない比較的リベラルなユダヤ系の友人(というか「腐れ縁」のあった「悪霊」の事だが)が気味の悪いニホンジンだと常々言っていたが、正にそういう感じである。


このラティーナは朝からこのユダヤ教会での食事提供活動の為の食事作りを手伝いに来て、その後提供活動も居残って手伝う事にしたそうなのだが、その頃には既に赤ワインを呑み始めており、活動中には二杯目、終わる頃には三杯目を取りに行って、何しろずっと呑み続けていた。その所為か、一通り片付けが済んで皆でお喋りをしている頃には、彼女の話には余り脈絡が無かった。

ワタシたちはその後、下町で行われているという伊太利亜系移民の町での縁日に出掛ける事に なったのだが、彼女もそれに付いて来て、その間街中を歩きながらずっとその赤ワインの入ったカップを手放さないので、公共の場所では飲酒が厳禁という事に なっているこの国でそれを堂々とやる元ヤンキー姉ちゃん世露死苦「お勤め帰り」に、ワタシたちは一寸気が気で無かった。

来週もまた来ると言うので、彼女が帰った後皆してちょっぴり蒼ざめたのは、彼女には内緒である。



そんな訳でワタシはこの日も一日立ち通し・歩き通しで、大変疲労困憊して帰宅した。

伊太利亜街の祭りで焼き蛤とか烏賊の揚げたの、「カノーリ」という揚げたパスタの中にチーズのクリームを入れた菓子などを食べ、また安い癖に妙に美味いコーヒーを飲んで、それはそれで楽しかったのだが、如何せん前日寝てないのは痛い。流石に寄る年波には勝てない、という事実を受け入れる気になる。



おお、伊太利亜で思い出した。

今日は先日半分食べて以来残っている「栄養価を高くしてあるパスタ」を消費してしまうべく、またその他の残り物も始末すべく、そろそろヤバそうな卵を茹でたのを潰してマヨネーズで和えた本来なら「卵サンドウィッチ」になるべくものを鮭の缶詰の残りと和え、そこへオクラの切ったの(が冷凍して売っているの)を一寸茹でて加え、茹でたパスタを入れたところへ大蒜醤油とオリーブオイルを掛けて、全てをぐちゃぐちゃとやって食べる。

これが、伊太利亜の民に言ったら殺されそうだが、意外と美味い。

このパスタがそういう訳でパスタと言うより寧ろ「蕎麦」のような食感でもあるので、こういう微妙に和風な味付けでも都合が良い。不味いものにもそれなりに活用の仕様がある、という事だろうか。


筋肉痛に付き、今日は休息日とする。腹一杯になったところで、テレビを見ながら寝る。


2005年09月22日(木) 格安航空会社とソニーと「リタ」

ワタシは夜遅くに帰宅するまで勿論知らなかったのだが、昨日加州ではとある飛行機の前輪に問題が起きて、その前代未聞の有様が世界中に生中継されたそうである。

というのも、どうやらその前輪がひん曲がったまま離陸しても格納出来なくなってしまったので、急遽長距離飛行の予定を変更して上空を暫く旋回し燃料を消費した後、操縦士はそのひん曲がった前輪のまま果敢に着陸に挑み、一寸ばかし火花は散ったもののほぼ無傷で着陸に成功したそうである。

後で航空専門家という人々が言うのを聞いたら、前輪の着地を出来るだけ遅らせて衝撃を防いだので、損傷が少なくて済んだのだそうである。


ワタシは以前その航空会社の飛行機に乗った事があるのだが、これは実は大変格安な主に国内を飛ぶ航空会社である。どんな時間帯であろうとも、またどんな距離を飛ぼうとも、飯の類のものは一切出ない。

以前その会社のウェブサイトに行ったら書いてあったのだけれど、もしお腹が空きそうだったら、自分でサンドウィッチを持って来てください、などとあって、中々気さくである。「持ち込み可」にするからその分サアビスは切り詰めますよ、と予め言うのである。

こんな割り切りが、資本主義的・物質主義的ビジネスにどっぷり浸かった昨今では、却って心地良いくらいである。こういうやり方をする会社は今では幾つもあるが、ここが先駆けだったので、当時は飯の出ない飛行機なんて誰が乗るのだと話題になったものである。(ワタシのような人間が乗る訳だが。)


しかし今回の一件で、幾らサアビスを最低限に抑えて安くビジネスを提供しているからと言って、操縦士の腕まではケチっていないという事が分かったので、ワタシはこの会社を大いに見直した。


見直したのは恐らくワタシだけではなかろうと思う。

大手航空会社が彼方此方潰れ続ける昨今に、これ程効果的な宣伝は又と無いだろう。しかもその「安心サアビス」振りをお茶の間の皆さんがしかと見届けたのだから、これはすごい事である。

なんだか諸々上手い事行って良かったなあ。



ところでビジネスの話の序でだが、ソニーが営業損益で二百億、当期損益で百億円と十一年振りに赤字転落したとの事である。これにより、内外十五万人のうち一万人の従業員削減予定だそうである。天下のソニー危うし。

ワタシには「ソニーとトヨタは不死身」というような印象が何処かにあったので一寸驚いたが、よくよく考えてみれば近頃は猫も杓子も白いイヤーフォンでもって「ポッド」ばやりなので、これには流石に負けていると言わざるを得ないだろう。

そういえば以前「ロボットの高額室内犬」というのが登場して、ワタシも何とかしてそいつを手に入れられないだろうかと思って友人に尋ねたところ、予約待ちでも中々買えないらしいという話だったのだが、あれはどうなったのだろう。

あれだったら今のワタシの状況でも犬が飼えるのではないか、という夢を与えてくれたのは良かった。



また大型台風が亜米利加南部にやって来るそうである。

さあここいらでそろそろ亜米利加の皆さんも環境問題について真剣に考えてみませんか、とわくわく気味でお薦めしたいのを堪えつつ、天気予報番組に見入る。

それにしてもここ数年この地域には大きな台風が頻発している。去年などはもう少し南のカリブ海沿岸島嶼諸国がこてんぱんに遣られていたのだが、小さい国ばかりだから誰も真剣に話なんか聞いてくれなかった訳である。

しかし今年のは勢力を増しながらもっと北上して、遂に大陸都市を次々と襲撃である。ざまあみやがれと思わない事もない。

尤も今回はブッシュ大統領のお膝元テキサス州を直撃しそうだから、どういう事になるか楽しみ見物である。

ヒューストン市というテキサス州の街が台風の進路に入っているので、その周辺の人々には避難命令が出されているそうである。しかしこのヒューストンという全米第四の都市も実は、エネルギィ産業が集中する割りに雇用は大して増えていないので、貧富の差が広がっている都市の一例でもある。

どうなる事やら。



2005年09月21日(水) 棚から牡丹餅で和やかな夕餉

対人面では瞬間的に苛々とするような出来事も引き続いて起こってはいるが、今日はそれでも差し引きすると充分良い日であった。


今日は語学の授業に行ってワタシでもそれなりに付いて行っている事に気付いたので、大いに楽しみを見出す。またクラスメイトの皆さんも概ね親しみ易く、担当の先生も中々優れているので、これはワタシの現在のレベルにも丁度良いようだから、このような良い語学講座に出会えて良かったと思う。

しかもこの先生ときたら何処から聞きつけたのか、丁度ワタシたちが授業をやっている間に建物内の何処かで会議若しくはパーティーが幾つか開かれており、そこに潜り込んだらタダ飯・タダ呑みが可能であるなどと言う。

そこでワタシたちは授業を一時中断して、食べ物を漁りに行く事にする。

成る程、ひとつ上の階ではチーズとクラッカーにワインといった、簡単な「パーティー食」が供されていた。小皿にそれらを盛り分けて、授業に戻る。

それから教室の隣のスペースではもう少し大き目のパーティーが催されていたのだが、ある男性が出入り口を間違えたらしく、授業中に突如乱入してくる。

先生はその機会を逃さず、恐縮しながら出て行こうとするその乱入者に、ひょっとして私たちもそちらの食べ物に有り付く事は出来ますかね、などと何気無く聞いている。ワタシたち生徒は面食らってくすくす笑いながらその様子を伺っていたのだが、なんとその乱入者氏は、ええ勿論良いですとも、まだ沢山余っていますからいらっしゃい、と言う。

ほらね、と得意気な先生に促されて、ワタシたちはまたしても食べ物を漁りに行く。

どうやらラテンの国の政治家や官僚を招いていたらしく、こちらはもう少し金が掛かった本格的なパーティーである。魚介類を色々入れたパエリャだの、もろこし煎餅に各種の付けダレだの、林檎が沢山入ったサングリアだのと、丁度夕飯時に勉強しているワタシたちには持って来いの「パーティー食」が、なんと未だ沢山余っていたのである。皆もっと美味いものでも喰いに行くのだろうか。

さっき間違って入り込んだ時には、守衛が何しに来たとばかり、一向に中には入れてくれなかったのに、主催者側は結構気前が良くて、さあさあ沢山お上がりなさい、と言ってわざわざ持ち帰り用の入れ物まで手渡してくれるので、ワタシたちはお言葉に甘えてパエリャやもろこし煎餅類を入れ物に詰める。

先生がこのサングリアが美味いから皆飲むが良いと言うので、ワタシものこのことバアカウンターへ出掛けて行ってサングリアを所望する。成る程、タダの赤ワインより断然美味い。

そのうちワタシたちは教室へ戻って、戦利品を食べたり呑んだりしながら授業を再開する。先生も余程気に入ったと見え、今度から皆で持ち回りで食べ物を持って来る事にしましょう、来週は私が赤ワインを持って来るから、と提案する。中々カジュアルな授業である。

それから半時も経った頃、例の先程迷い込んだ男性が戻って来て、まだ食べ物が余っているから良かったら召し上がれ、とわざわざ教えに来てくれる。

先生はすかさず立ち上がり、それでは皆さん再び腹ごしらえに行って来ましょうか、と言うので、ワタシたちはまたしてもパーティー会場に戻る。その頃にはパエリャは持ち帰り容器に詰められていて、幾つでも持っていらっしゃいと言ってくれるので、ワタシたちはまたしてもお言葉に甘えてほかほかのパエリャを片手に、もう片手にはまたもやサングリア、というような調子でにこやかに教室へ戻る。

そういう訳で明日のワタシの夕食は、パエリャに決定。

こんなに遊んでいて良いのかと思うけれど、先生に言わせると、このクラスは初級クラスの割りに経験者が多いので予定より進みが速いとの事である。それに気を良くして、ワタシたちも楽しく和気藹々となる。


ただひとつ問題は、この授業で使う教科書は先生がベルリッツ某有名語学学校の教材を借りて来て使っているので、毎回の授業の後返却しなければならない事になっている点である。

本当なら教科書を持ち帰って自宅でおさらいしたいところだが、それが間々ならないので、ワタシはやはり自分の勉強の為に市販の教材の購入を検討する事にする。テープやCDなども買って、毎日聞く事にしようではないか。


偶々ご近所に住んでいる事が分かった可愛らしいクラスメイト君と一緒に電車に乗る。

彼はラテンの国の出身だそうなので、そんならこの言語の習得も楽ちんだろうと言ったら、意外とそんな事は無いと言うので、一寸不思議に思う。混乱して混ざってしまうので、却って厄介だそうである。成る程。



ラテンな若者のすべすべな肌を眺めながら気分良く帰宅して、それから冷たい水を飲んでいたら、何やら催して来る。朝もしたのに。酒が入った所為だろうか。そんなに若くないのに代謝が良くて、何よりではある。



なんだか昨日停滞していた空気が、今日は回り始めたような気がしてくる。

いや、うんこは昨日もちゃんと出ていたのだけれども。そういう話では無くて。

昨夜曇りに曇っていた銀の指輪を磨いて、それから水晶をふたつばかし流水で清めてから窓辺に置いて「月光浴」をさせたのだが、その所為だろうかと思案する。若しくは、お気に入りの仏像型の蝋燭とその他の水晶各種を乗せた盆の配置を換えてみたのだが、所謂「風水」的に良い具合になったのだろうか、などとも勘繰ってみる。

特に何かの能力があるという訳では無いのだが、それでも周りの「気」というのが流れ始めると、なんとはなしに察知するものである。


不可思議な一日である。


2005年09月20日(火) 不条理色々

このあいだ夏が漸く終わりそうだという頃にやっと食料品の買い物に出掛けて、その際「栄養価を高くしてあるパスタ」というのを面白半分に買って来た。普通の「スパゲッティ」と細い「エンジェルヘアー」というやつである。

最初に細い方を使って「ぺペロンチーノ」を作ってみたのだが、なんだか様子が変である。何故だかいつもと違って異常に不味いのである。

そして今日スパゲッティの方を使って、鮭とほうれん草のソースで食べてみたのだが、これまた途轍も無く不味い。


ご近所にお住まいの皆さんは、黄色い箱の「栄養価を高くしてあるパスタ」シリーズにはご注意を。一体どんな細工をしたのか知らないが、仮に本来腕が立つ筈の料理人であったとしても、出来上がりは極めて不出来になる。特に「ここぞ」という腕の見せ所では、絶対に使ってはならない。


夜遅くなって帰宅したけれど、それでも旨い物が食べたかったから、頑張って大蒜を刻んで一からソースを作ったのに、ワタシは大変悲しい。こんな事なら、何か買って帰ったら良かった。

こんな風に折角の努力が実らないというのは、まるで歯並びが悪い所為でどんなに頑張って歯を磨いても隅っこの茶渋が取れないのと一緒で、何やら人生の不条理を良く表している。



不条理と言えば、先週末の会合の際、ある上役が止むを得ず欠席したのだが、週明けに転送されて来た「議事録」にその人の業績についての言及がすっかり欠落していた事について後にちくりと指摘されたので、立場上ワタシがフォローアップをする事にした。

この界隈では「ケツを舐める」という言い方をするのだが、それはつまり「ご機嫌取りをする」という意味である。

その「ちくりと指摘」が伝達された時、ああこれは誰かがケツを舐めておかないと不味いだろうなあ、と他人事のように思っていたのだが、そのうち、おや、ひょっとしてこれは「最終決定権」を持つ事になったワタシの役目か、という事に漸く気付いた。

そうか、「下っ端の尻拭い」も「上役のご機嫌取り」も、全てワタシの役目になったのか。これは面倒だ。

まるで「中間管理職」という人々のようだな、とふと思う。


結局その他にも抜けていた幾つかの項目を含めて、ワタシは本来業務の合間に「追加議事録」を書き上げ、全体に送付する。夜遅くこの作業に追われながら、この議事録を担当した人間は随分無能だと密かに思う。

しかしその「追加」は思いの外上手く行ったようで、例の上役からは早速「お心遣い有難う」と連絡が入る。

こういうところで火の元は着実に消し止めて置かないと、後々面倒があっては不味いので、兎に角一安心である。



午後になって、同僚と電話会議をする。

実際このあいだの会議にやって来た人間は、まだ多少なりともやる気があるだけ良いのかも知れない。

しかし顔を出しただけで、議論に殆ど参加しない者が大半であった。

発言を促しても口を開かないどころか、自分の関心だとかどういった事を期待しているとかいった様な最低限の「自己紹介的口上」すらも述べない者、こちらが提示するものにただ頷く他力本願な者、中にはこちらの提案に文句だけは一丁前な癖に、では貴方はどうしたいのですかと言ったら途端に無言になるような見掛け倒しの馬鹿もいて、ワタシはそういう如何にも日本的な中途半端な人々に相当がっかりしたのである。

そういう協力的でない人々の利益の為に、我々執行部がタダ働き同然で時間や労力を捻出してやっているという事実を目の当たりにして、ワタシはこれはもう「今期限りのヴォランティア」だと同僚に告げる。

現実的に、この団体で手掛けている内容はワタシ個人の関心とかキャリアなどとは全く関わりが無いものなので、ここでワタシがどれだけ頑張ろうが、結局無意味である。

偶々ワタシの知り合いを講演者として招待する事になったので、それの企画をワタシが担当する次第になったのと、偶々当時この同僚がひとりで一から十までやる羽目になっててんてこ舞いしていたから、誰かが手伝ってやらねば正義は何処に、とお節介を起したのが元である。


ちなみのこの同僚は「がみがみガール」というのだけれども、だからワタシが何も好き好んで彼女の手伝いをしてやりたいと思った訳では無い、という点については、読者の皆さんにもご理解頂けるだろうと思う。


そういう訳でワタシは、先日の会議の印象などについて彼女と意見交換をし、更に当面必要な内容に付いて打ち合わせをする。ワタシは自分の本来業務に支障が出る程には頑張らないからその積りでと念を押して、とりあえず現時点で進行中の企画のみに集中して、後は申告が無い限り余計な仕事は極力増やさないという作戦で申し合わせる。

それから方々へ必要な連絡業務などを、一通り片付ける。


そうこうしているうち、延び延びになっていた翻訳の仕事の依頼主から、様子伺いの連絡が入る。先方も慌しくしているらしく、またこちらは九月の終わりに企画がひとつ入っているので、納入の日程が双方噛み合わず、結局十月に持ち越しという結論に至る。

しかしこれが済まないと、ワタシの方にも金が入って来ないのは痛い。

一頻り財布と相談する。

まあ、あと十日だし。


こうして見ると、人の気も知らないで、よくもまあ何でもかんでも他人に押し付けて、人々は好い気なものだと思う。



しかし今日から水星が天秤座に入った。木曜には太陽も天秤座に入るから、お陰で少しは様子が変わる筈である。天秤座は「フェアプレイ」の星座でもあるから、今不公平なものも数日の後には公平に取り計らわれるだろうと信じる事にする。

そしてそれは、暦の上でも、漸く本格的な秋である。


2005年09月19日(月) 何だよ俺の所為かよ

「どどいつ選挙が失速状態」という報道が入って来る。ワタシの「似非占い予報」は当たったとも外れたとも言い難い微妙な状況なので、とりあえずドレスデン地方の結果が出るという十月二日まで結論を先延ばしする事にする。

まあ少なくとも、(ニホンジンと違って)どどいつ人は現状に不満たっぷりであり、その点が正直に選挙結果に現れた、という事だけは明らかであろう。誰でもいいが、政権を取る者は民の声を聞け。



そんな事はいいのだが、今日は不愉快な出来事があって、一寸むくれている。

同僚の一人に先日、赫々然々の事情で署名を集めているのだが協力して貰えないかと言ったところ、ええ喜んで、いつでも持っていらっしゃい、と言った。

それで今日になって、彼女が他の同僚と世間話をしているところへ丁度出くわしたので、皆さん良かったらこの件で署名して貰えませんかと聞いたところ、例の同僚が真っ先に、あら私はそんなのとは無関係だから出来ないヮ、と言うではないか。

アンタ、話が全然違うじゃないの。

ワタシは一寸混乱しながら、いや確かに貴方の業務などとは無関係かも知れませんが、しかし必ずしも関係がある必要はなくてですね、と説明を始めたのだが、彼女の「自分が今携わっている業務内容の説明」に釣られて同僚一同が、あらそんな事言ったら私だって、というような調子で瞬く間に同意し始めたので、おやおや不味いぞ、とワタシが焦っている間に彼女は、じゃあ電車の時間があるので、などと言ってさっさと退散してしまったのである。

その後残されたある同僚が、それは例のオフィスに提出するやつじゃないのと聞くので、ええその通り、と言うと、じゃあそうはっきり言えば良かったのに!もっとはっきりと言えば誰だって署名したわよ!と言う。

いやだから、説明しかけたじゃないですか、とワタシは言うのだが、あんな言い方じゃなくて、もっとはっきり言わなくては伝わらない、とまるでワタシがいけないみたいな言いっぷりである。

もういいわ、いかなくちゃいけないから、それじゃ。そう言うと、彼女は署名するとも何とも言わずに、ぷいと立ち去って行った。

・・・・・

いや、その勢いに負けたワタシもワタシだけれども。

腑に落ちない。

つまりこの後者の同僚は、ワタシが「最初にはっきりと言わなかった」からという理由で、事情を解した後になっても署名をしない、という「罰」を与えたのである。


何だよ、俺の所為かよ。




その前者の同僚は、実は奇妙な事を良く言うので知られている。

ある会合に一緒に出掛けた同僚談によれば、彼女が日頃慕っているある著名人がたまたまその会合に来ていて、あの人と是非お知り合いになりたいと言うので、たまたま知り合いだったその同僚が著名人を彼女に紹介したのだそうである。

ところが折角お膳立てしてやったのに、彼女ときたら全く口を開かないので、仕方が無いからそのお膳立てした同僚氏が暫く話を繋いでやったのだが、結局当人は口を開かないままで会話が終了してしまったそうである。

しかし後日彼女は別の同僚に、あの誰々氏は先日会合で会ったらもうそれはそれは私の事を気に入ったと見え、あれやこれやと話をし続けて帰してくれないのよ、などと語ったそうである。


更に別の同僚によれば、ある時同僚を集めてどこかで飲み会をしようという話になったので、それをお膳立てする事になった担当者が人々にメールで日時の確認を送ったのだが、彼女は真っ先に自分は行かれないと返事を寄こした。

それで、都合が悪いのか、何時なら良いのか、といったような伺いを立てたところ、自分は「三十六才」であり、翌日仕事があるのにも関わらず、若者みたいに夜遅くまで遊び歩いてなどいられないのだ、と言う。

しかしこのお伺いを立てている「担当者女史」は四十を超えているのだが、そしてその「三十六才女史」と違って所帯持ちでもあるのだが、それでも親しい同僚との飲み会に参加するのは吝かでないと言ってお膳立てまで引き受けてくれているのに、これはどうした訳だろうという事で、「担当者女史」はそれでは時間を早めにしたら来られそうかとか、曜日を変えたらどうだろうとか、親切に更なるお伺いを立ててやったそうである。

すると彼女は、私の住む郊外の家まで皆して来るのなら良い、と言ったそうである。

そこでその「担当者女史」は、既にその「郊外の家」に行った事のあるワタシに、それは一体どの辺りにあるのかと聞く。

ワタシは素直に、それは郊外電車で片道二時間プラス車で三十分程の距離にあり、また彼女はそういう訳で家に人を呼んで持て成すのに慣れていないから、そういう類のサアビスは期待出来ない、という旨を伝える。

「担当者女史」はそれを聞いて面食らい、それは余りに遠過ぎるので平日にわざわざ出掛けていく訳には行かないから、何とか上手く断る事にすると言う。

するとそのやんわりした辞退を聞いた「三十六才女史」は、自分が皆を誘ったのは、こうして日々通って来ている自分の「苦労」を皆に知らしめたかったからである、と言って寄こしたそうである。

・・・何故知らしめる必要があるのだろう。



彼女はそういう訳で「三十六才」で「独身」なのだが、郊外に家を一軒所有しており、そのローンと学費のローンとを払いながら、四匹の猫と一緒に暮らしている。所謂典型的な「独身女性がやってはいけない事」をやっている独身女性である。

その所為で彼女は「外泊」が間々ならない。折角オトコを見繕っても、数時間「滞在」した後猫の世話の為に帰宅しなければならないので、少々都合が悪い。

街中にアパートを借りたら良いのにと幾らワタシなどが勧めても、どんなに税金が高くても自分の住む町が気に入っているのだ、と言い張って、好き好んで遠くの町から通って来ているのである。

それなのに、何故皆に「苦労」を知らしめなければならないのか。

不可解である。



そういえば以前若い同僚と所謂「一晩のつまみ食い」をやって、それを目撃しなかったワタシにその晩のロマンチックな様子を詳しく教えてくれた事がある。

ところが後にそれを目撃していた他の同僚らに言わせると、全然ロマンチックな事は無くて、むしろ「盛り」が付いたみたいで却って気色悪かった、とあからさまな嫌悪を表すのが続出したので、ワタシは拍子抜けしてしまったのである。

しかも相手の若い同僚の方も、あれが一晩限りで終わってくれた事が幸いである、とワタシに言ったのだから、ワタシはつい噴き出してしまったが、どうやらその辺りの「温度差」の所為で彼女は随分彼を毛嫌いするようになってしまったので、その後の業務に差し支えたりして良い迷惑であった。



こうして見ると、昨日「この街で見かける独身女性の中にはお気の毒なのはいない」とつい言ってしまったけれども、実際は意外と身近なところにおりました。


という事をここで一応ご報告しておく事にする。



2005年09月18日(日) おつむと心を刺激するような男は何処へ

どどいつ選挙の集計結果を待ちながら、いつもの日記を書く。やはり大変な接戦になっている模様。



金曜には会合があった。

ワタシはこれまで、某団体の金勘定を担当しながら講演会などの企画・執行委員という幹部のひとりとして活動していたのだが、いよいよそこの金勘定だけではなく、議事最終決定権を持つ幹部に昇格する事になってしまった。何やら憂鬱である。


ワタシには所謂「権力欲」というのが、余り無い。

その昔には、それこそ「学級委員」だとか「なんとか委員長」だとかいうようなのもやったのだが、子供の頃に散々そういう所謂「リーダー」を任され過ぎたのか、大人になってからは進んでやろうという気が起こらない。それより、裏で何かを取り仕切ったり雑務を一切合切引き受けたりというような、表舞台に上がらないものの方が性に有っているように思う。

それに、そもそもこの肩書きの名前が気に入らない。

「総裁」若しくは「会長」

なんと偉そうな響きなのだろう。

ワタシは金勘定をする「会計」という肩書きの方が、余程気に入っていた。職務内容が大変分かり易いし、実務家という印象がある。

それにワタシは「金勘定」自体が、好きである(恐らく読者の皆さんもそうでしょう)。

何とかしてこの名前を変えて貰えないものか、と今代わりになるような上手い肩書き名を検討している。「議長」とか「委員長」とか、そういうので良い。まるでワタシがひとりで権限を行使するような印象のこの肩書きさえ何とかして貰えれば、ワタシは例え薄給でも快くお役目を引き受けようではないか。


しかしそんな物憂い肩書きを他所に、会議後の歓談では、幾人かの同僚らと大いに知的好奇心を刺激し合い、極めて建設的で意義の有る会話を楽しんだ。

ワタシはこういう事をずっとやりたかったのである。同業者ならではの共通理論認識を基にした建設的議論というのは、それぞれが元々持っている知識や力を一とすると、結果は三にも四にも五にもなる。

ワタシの居る業界でこれまでそれが間々ならなかったのは、同業者であっても信じるものが全く違う人々同士だからである。ある物事に対しての認識が、ワタシは「〇」であると思っているのに、相手は「△」とか「☐」だと思っている、というような事態である。話の出発点である大前提がこうも違ってしまっては、話は全く噛み合わない。

しかしこの日ワタシがあれやこれやの議論をした人々は、広い意味では同業だが直接的には別の業界の人々であった。しかしワタシが彼らとは別の業界に居ながら言わんとして来た彼是が、この人々には大変すんなりと受け入れられたようで、話が早かったし、だからどんどん話は進んで行ってあれもこれもに及んで行ったのである。まるで魔法に掛かったようである。

恐らくそこはワタシが道を誤った所為で、本来のワタシの「業界」は彼らのそれであるべきだったのだろうと思う。

またワタシが通じていない分野の説を幾つも紹介されて更なる可能性を見出したりなどして、だからワタシは大いに刺激を受け、全く清々しい心持ちで帰途に着いたのである。

嗚呼楽しかった。


こんな事なら、皆さんと一緒にご飯でも食べて帰る事にすれば良かったかしら、と後で思う。

まあ、お楽しみは後にも少し取っておかないと。人生、生き急いではいけない。



翌土曜には、海岸でゴミ拾いをするヴォランティア活動に出掛けた。

この日はどうやら、ワタシの住む街では「街ぐるみ」でそういう海岸清掃の催しが彼方此方で行われる事になっていたらしい。近所でもそんなのがあって様々の関連イベントも予定されていたが、ワタシはとある波乗り人の団体が主催したやつに少し遠くの海岸まで出掛けて行って、夏の名残を惜しむ事にしたのである。

そこは波乗り人の間では良く知られた海岸で、どうやら台風接近に伴う大波目当ての「丘サーファー」たちまでやって来て、夏の盛りを超えたというのに大変賑っていた。ワタシはこの街でこれ程の波乗り人を見かけようとは想像もしなかったので、驚いた。

ワタシたちは数人の組に分かれて、それぞれ何丁目から何丁目までの海岸のゴミ拾い担当、というような具合に活動をした。

ワタシの居た組での発見物には、煙草の吸殻にペットボトルの蓋や壊れたおもちゃなどのプラスチック製品が最も多かったが、一寸変わったところでは使用済みコンドーム(浜辺でセーフ・セックス万歳!?)、使用済みオムツ・生理用品(出物腫れ物処嫌わず)、布団(南から流れ着いたものか)、などなど。

しかし拾っても拾っても煙草の吸殻が幾らでも出て来るのには、閉口した。


喫煙者の皆さんは、タダでさえ我々の大気を汚染しているのだから、更に海まで汚すのは止して、灰皿を持参するか持ち帰る習慣を。




そうして海岸ゴミ拾い大会が終了し、ワタシたちヴォランティアはピザと飲み物を振舞われ、暫し歓談する。そのうち一緒の組で活動したある女性と連れ立って、近くのピザ屋まで便所を借りに行く。

道すがら、小さなサーフショップを発見する。

彼女が実は最近波乗りを始めたばかりで、レンタルボードの料金を知りたいと言うので一寸寄り道して、店主からあれやこれやと話を聞く。当然ながら店の親父も波乗り人であり、この界隈の波事情には精通しているので、ふたりして興味深く話を聞く。


実はその昔、ワタシはとある街でたまたま波乗り青年と知り合ったお陰で自分も波乗りを始める事になった、という経験がある。

しかし「一夏の恋」は瞬く間に終わりを告げ、そのうちワタシは大きな街に越して来たので折角の板やその他の小道具は置き場が無く、またワタシの暮らしも前代未聞の大忙し振りで、こうしてわざわざ郊外の浜辺まで出掛けてくる余裕が無く、結局ワタシは一切合財を他人にやってしまう。

もう十年近く前の出来事である。


そんな話を彼女にしながら、例えば初心者に取っての「波乗り」というのは実際99パーセントの「パドリング」と1パーセントの「波乗り」であるとか、上半身の筋肉が少ないワタシのような者には「波乗り」(つまりパドリングとテイク・オフの為に上体を起す作業)は大変な大仕事であったとか、腹が真っ赤に「板焼け」するからビキニではやらない方が良いだとかいった、ほんの少しのワタシの波乗り知識でもって彼女と彼是お喋りをする。

そのうちヴォランティア活動は終了したが、その「初心者波乗り女性」と友人の「一寸小太り君」が、主催者の波乗り人団体リーダー氏と一緒に、もう少し北上したところで開催中の波乗り競技会観戦及びそこで働いている仲間たちと合流する、と言うので、ワタシも序でだから一緒に行く事にする。


行ってみたら競技は既に終了していたが、ワタシとその女性はその競技の開催主旨である、背骨を傷めた所為で車椅子生活を強いられている人々にも波乗りの機会を与えよう、というのの説明文や波乗り人団体の活動内容などを書いた書類を読んだりして、それらの人々とも歓談する。


少し話をしてみたら、例の波乗り人団体のリーダー氏は、大変羨ましい人物であった。

こういう学位を取ってこういう経歴があったら、ワタシのこれから進んで行こうとしている道には最適なのに、ワタシに今それが無いのはなんと残念な事だろう、とワタシが日頃悔やんでいるものを、この人は全て持っていた。

ワタシは少しショックを受けて、本来ならこういう人とは名刺交換などして自分を売り込んでおくべきなのに、「そういえば波乗り人のケリー・スレイターとワタシは誕生日が一緒なので、まるで双子の兄妹なのですよ」などと話題を変えてしまった。

折角チャンスが舞い込んで来ても、それを活かし切れなければ無意味である。星回りも良かったのに。多分これがそのチャンスだったろうに。

とりあえず貰って来た書類に目を通して、今度街中であるという地域集会に顔を出すのが精々だろう。不甲斐無い自分に、嫌気が差す。




それから、競技は終わったもののまだ波乗り人は沖に出ていたので、それらを眺めたりなどして過ごす。


「一寸小太り君」が自分も波乗りをしに行く、と言って着替えてやって来る。

ワタシはあんなに腹の出た波乗り人を初めて見た、と彼女にこっそり告げる。

ワタシの知っている波乗り人は大抵全体に細く締まっていて、無駄な贅肉が一切無い。何かの間違いだろうかと思ったが、彼もやはり最近波乗りを始めた初心者だと言う。

まあ良い。母なる海は太っ腹である。誰もを受け入れてくれるのに違いない。


「一寸小太り君」が波乗りする波と戯れる様子をふたりで眺めながら探しながら、彼女と恋愛や趣味の話などをする。今日初めて会ったというのに、ワタシたちは忽ち打ち解けて、思いがけず幾つもの共通点を見出しているのは不思議な事である。


「一寸小太り君」が漸く海から上がって来た頃には、辺りはすっかり風が強まって寒くなっていた。ビールを一杯飲みに行こうという話になる。

彼女の車の中で、この「一寸小太り君」について話す。

車で三時間程離れたところに住んでいる彼女の恋人はこいつの事が余り好きでないので、こうして彼女が彼の居ないところで一緒に遊んでいるのを快く思わない、という事や、「一寸小太り君」は学位もあるし政府機関で働いているしまた彼方此方を旅した経験があるので、自分は世界中の事を何でも知っていると思っているしまたそういう態度をするので、多くの人々は第一印象が良くない、という事などを聞く。

ワタシも彼は頭もそれなりに良さそうだけれども一寸鼻高々な様子だし、その割りにやる事がダサかったりして、何だか奇妙だと思ったと話す。

バアに着いて三人して他愛も無い話をしているうち、彼もシングルである事が分かる。そしてそれは何故だろうという話になって、彼は自分には金が無いからだと思うと言う。

ワタシはそれは言い訳だと思ったので、仕事や課外活動を取り仕切ったりなどの他に、自分の為に時間を割いていますかと聞く。

彼は一ヶ月に一度くらいは何もしない休日を取る、と言うのだが、例えば定期的にエクササイズをするだとか趣味の何かに取り組んでいるだとかいったような、自分の英気を養う為の事柄が聞かれないので、ワタシは要するに彼は自分の世話に充分時間や神経を割いていないと判断する。


ワタシの周りの多くの男たちがそうである。

三十代になっても仕事やその他の「やらねばならない事」に余りに多くの時間を費やし、それを持ってして自分のアイデンティティを見出す。しかし彼らは「自分の為の事」、「自分にとって気持ちの良い事」、「自分を開放して、心を労わったり成長させたりする為の栄養を与える事」に充分なエネルギィを費やしていない。

だから彼らは決まって「不幸せ」である。そこそこの物質的豊かさはあるのに、それでは何か「足りない」のである。

心が生き生きとしていない男だから、当然女も寄って来ない。それなりの男たちではあるのだけれども、中身が詰まらないので、長期間一緒にいたいと思わせないのである。

そうこうしているうち、独身のまま四十代を迎える。彼らもそれなりに焦ってはいるのだが、しかし自分の現状は変えられないと思い込んでいるから、当分様子を見ようとか言って対策を後回しにする。

以前に何度も述べた例の「腐れ縁」または「悪霊」男も正にその一例だが、ワタシは最近こうした傾向の男たちを周囲で発見する機会が多くなって来るにつれ、いよいよこの街がやはりいけないのだろうかと思うようになる。この街は男たちを甘やかし過ぎる。


それに引き換え、この街の同世代の女性たちは、実に逞しくまた非常に魅力的である。ワタシは未だかつて、良い年をして独身だから「お気の毒」というような現地の女性に出会った事が無い。彼女らは着実に精神的成長を遂げ、様々の困難や挫折や周囲の意地悪な目を肥やしにして、内面の輝きを増している。

同世代の男たちがその輝きはセックスの所為だとか安易に言うけれども、そう言っている男たちはセックス以外に、または数回のディナー以外に、同世代の女たちに太刀打ち出来るような、与えられるようなものを持っていないのである。

いや、寧ろセックスすらも、それらの男たちでは用が足りない場合もまた多い。



……

何だか「セックス・アンド・ザ・シティ」のキャリーみたいになって来てしまった。



そういう訳でワタシは、そろそろ次の「バイブレイター」でも購入しようかしらと思案中である。


2005年09月17日(土) どどいつの運命や如何に!

何やら慌しい週末になってしまったので、投票日になってから漸く日記の草稿を直しているところ。


いやね、「どどいつの行方を探る」などと大きな事を言ってしまったけれども、ワタシがやろうとしているのは実は「占い」なのである。わははは。

だって、どどいつの三割の皆さんだって決められないと言っているのだから、それに六割の皆さんだってもう政治自体どうでも良いよと言っているのだから、こうなったらもう占いにでも頼るしか無いじゃないですか。



という事で…


どどいつ選挙大胆予想!


今週土曜から日曜に掛けては所謂「満月(乙女座の太陽と魚座の月が真反対)」なのだが、丁度同じ頃に、天秤座にいる木星と射手座にいる冥王星がぴったり好角度を形成する。これは満月によって、影響がより強調される事になっているのだが、更に来月の17日は「日食」でもあり、その影響はしばしば一ヶ月前や一ヶ月後にも現れるので、実はこの週末は中々強力な星回りである。

「統一どどいつ」の誕生日は1990年10月3日だそうなので、どどいつは一応「天秤座」である。「統一」するには、中々良い日和を選んだものである。

本当はもっと昔のどどいつの誕生日も分かると良いのだが、それに分裂時(所謂終戦直後)の各惑星の配置なども考慮に入れると尚良いのだが、今のところその辺りの調査が足りないので、もしワタシの予想が外れたら(「もし」だって!)その所為にするので、悪しからず。

天秤座は現在幸運を司る木星を抱えており、これは今年の10月25日まで続く。七月下旬まで蟹座に居た土星の凶角による「カルマ」から解き放たれたので、この9月・10月は非常に良い時期であり、今週などは正に「選挙日和」である。


さて。

ゲルハルト・シュローダーさんは、1944年4月7日生まれの牡羊座。

対するアンゲラ・ドロシィア・メルケルさんは、1954年7月17日生まれの蟹座。

との事。

本当は生まれた時間まで分かると尚良いのだが。これもまた予想が外れた際の言い訳に使うので、良しとする。

「統一どどいつ国」との相性と近頃の木星・冥王星との角度だけを取ったら、断然シュローダーさんに分が有るようである。冥王星は1995年辺りからずっと射手座に陣取っていて、更にもう数年いる事になっているので、例えば長年の苦労の成果がいよいよ実りつつあるとか漸く人から認められるとか、そういう事情が展開中である。

しかし牡牛座に例年よりかなり長めに滞在している火星、これは牡羊座の守護星だが、これとの角度が余り良くないので、彼は今頃相当ストレスを感じている筈(さもあらん)。牡牛座は牡羊座にとっての金関係一般(収入など、直接自分で作った金関係)を司っているのだが、だからそのストレスは基本的に経済問題であるのは、既に我々の知るところでもある。

この傾向は来年二月辺りまで続く事になっているのだが、十月から十二月上旬までは火星が(占星術的な意味において)逆行する予定なので、彼的には更に状況が悪くなる筈である。停滞期というか、過去の(経済的)失敗を責められたり更なる(経済)問題発覚などして、相当大変そうな気配である。

更にヘビーな土星が彼のコミットメントを司る獅子座に入ったところなので、今後二年間は思ったように事が進まず能力・許容範囲以上の仕事の約束をしてしまって苦労する、などの痛い思いをする事になる。


一方メルケルさんの方は、今回の満月との角度が極めて良さそうである。木星・冥王星との関連では、木星のいる天秤座は彼女の金関係(奨学金、宝くじ、その他の自分で稼いだのでないタイプの金)、また冥王星のいる射手座は家族や住宅関係を司っているので、経済政策、特に不動産・住宅・家族の結びつきを重視するような政策などが功を奏しそうである。経済政策を前面に押し出して思い切って売り込む事によって長年の希望が叶う、とかいうような大きな前進を遂げる事が予想される。

それから今週から金星が蠍座に移行したので、これとの角度も大変良い。それにより、彼女の「一般受け」は俄かに良くなった筈である。また土星が蟹座を脱出したところなので、これからエンジンが掛かって来て本来の力を発揮するようになるのだろう。とは言え彼女自身が金を作る、つまりどどいつの自力経済発展という点に関しては、今後二年間は相当厳しい道程である。



という訳で、「似非占い師みぃ」の予想としては、メルケルさんが今回の選挙で勝ってしまうような気がする。ただ、彼女のポテンシャルとしては余り期待出来るような政治家で無いような気もするので、彼女が勝っても一時的なもので終わるかも知れないとも思う。

シュローダーさんの方がどどいつ首相としては適した人物のように思われるのだが、如何せん火星の「長期牡牛座滞在」が痛い。来年二月以降にシュローダー・パワーがぶり返してくる事も予想出来るが、何しろ今回の選挙には間に合わなさそうである。残念無念。

(しかし統一後の経済が長期間低迷しているのも、ひょっとするとこの冥王星の射手座滞在=統一どどいつにとっての通信・輸送などの分野に問題があるのかも?) 




さて、それでは新聞を読みに行こう。どどいつ選挙の結果や如何に。


ワタシの予想が外れていても、苦情などは受け付けませんので、悪しからず。


2005年09月15日(木) 欧州選挙と世界的保守化の波

今日はタダでさえ尋常で無い程に蒸し暑い日だったのだが、ヨガレッスンに行ったら更にどばどばと汗が出て、タオルやら着替えやらを持参しなかった事を後悔した。低気圧の所為でここ数日蒸している。


ところで昨日の日記で「ノルウェーの選挙」について少し触れたが、ついさらりと流してしまったので、少々補足を加えようと思う。


先日行われたノルウェー総選挙では、「中道左派」が健闘して政権を勝ち取ったそうである。それ自体は良いのだが、同時に「極右勢力が躍進」というのが気になっている。

(朝日の記事によると定数169のうち、中道左派連合が88、元与党は44、極右が37という。)

欧州の場合どうしても、EU圏にやってくる移民とそれに伴う労働者・失業率問題などが昨今の選挙の焦点になって来ると思われるのだが、「極右」、つまり外国人流入に警戒感を煽る勢力が今回それなりに認められてしまったのは、ワタシ的には一寸痛いところである。

ノルウェーという国は、過去五年連続で国連開発計画(UNDP)の「世界で最も住みやすい国」に選ばれている程、欧州社会福祉国家の看板国なのに、そこにはそういう社会を維持する為の高い税金と外国人排斥的傾向または警戒感、という大きな壁が立ちはだかっているのが窺える。

しつこく自説を繰り返すが、やはり「余所者」が入り込んでくるというのは、その文化の存続上大いなる脅威となる訳で、欧州は今そういう微妙な時期にあるのだろうかとワタシは憂慮している。

それで「世界的保守化の波」は変えられなさそうだな、となんとなく思った次第である。



尤も、今から十五年くらい前にワタシがかの国を旅した折に知り合った現地の教員という長身の女性は、既に「余所者」問題に関して真剣に議論を吹っかけて来たから、今に始まった話では無いのだが。



そうなると目玉は独逸の選挙である。

ここでもやはり、「二桁の失業率」という痛々しい状況が焦点になっているようである。「東欧からの玄関口」と言っても良いような国だから、移民若しくは先日のモモリーネさんちの日記にもあったような「一寸そこまで荒稼ぎに」やって来る「非EU人」または「新EU人」に対する目も厳しくなっている事だろうと思う。


ところで「チャンセラー(Chancellor)」は日本語では何と訳されているのだろう。「どどいつ首相」で良いのかしら。まぁいいわ。意味は通じますね。


Agence France-Presse (AFP)という通信の写真記事によると、シュローダー(またはシュレーダー)さんの選挙ポスターがびりびりと破かれていて、しかしその脇をベルリン市民の皆さんが見向きもせずに歩く様子、というのが写っていて、ワタシは一寸驚く。これは相当ヤバそうではないか。

この記事の中で、Forsaという機関が今週行った世論調査の結果が出ているのだが、協力した1003人のどどいつ人のうち51パーセントは「今はまだ政権交代の時期ではない」と考えているのだが、45パーセントは「政権交代が必要な時期」であり、それは例のメルケルさんという小難しそうな顔の小母さんが率いる「キリスト教民主党(と訳して良かったのかしら)が担うのが良い」と考えているという。そして、「現在のまま社会民主党(と訳しておきますよ、SPDの事なんだけど)と緑の党の連立でやるのが良い」と考える人は、たったの19パーセントしかいないのだそうである。不満たっぷりである。

つまりこの記事によると、ひょっとするとシュローダーさんが嫌われていると言うよりは、別の組み合わせで連立を組んで欲しいと思っている市民が多いのでは、という話である。緑の党危うし。ワタシは個人的には好きなのだが。

だってどどいつから環境問題を取り上げたら、どどいつの良さは一体何処に?(他にもきっとあるのだろうけれども)

几帳面などどいつ人ならではの徹底した対応が世界環境を救うかも知れない!?というのに、メルケル小母さんに「景気回復の為に経済優先・環境政策は却下」なんてやられたら、目も当てられないではないか。おばちゃん、如何にもやりそうである。

メルケルさんの党は現在のところ42パーセントの得票予想というから、圧倒的多数獲得には至らず、連立の可能性を探る必要がある訳だが、緑の党が7パーセントに社会民主党は34パーセントと言うので、この現連立政権では合わせても41パーセントにしかならない。現政権危うし。

そして問題は、選挙三日前にして実に30パーセント(International Herald Tribuneの記事では20パーセント)がまだどこに投票するか「未決定」というあたりであろう。結構な割合のどどいつの皆さんが、今この瞬間にも迷いに迷っているという訳である。困ったね。

このIHTの記事によれば、アレンスバックという機関の世論調査で69パーセントが、メルケル小母さんの党を持ってしてもどどいつの経済的諸問題を解決する事は不可能だろう、と匙を投げている。

そして不味い事に、60パーセントはもう「政治そのもの」に匙を投げているという。



ライプツィヒで求職中のソースさんという二児の母は、「失業率を改善するって言うから投票してみても、結局どの人も後で失敗の言い訳をするのよね。もう何処に入れても一緒だわ。」とインタビュウに答える。

ハノーバー在住のウェルスさんという57才主婦は、「シュローダーはカメラにはすごく詳しいけど、国政はちっとも駄目ね。メルケルの方が正直者に見えるわ。」と話す。

18才のレイスラーさんは今回初めて選挙権を行使するに当たって、「連立政権がそれぞれの足引張りばかりしてないで、ちゃんと経済回復に取り掛かるように、本当は連立党をセットで投票したいんですよね。」と画期的な事を言う。

しかし「家具引越業」のヴィルヘルムさん48才は、「『東西の壁』を再構築してくれるんだったら、選挙権なんか返上するよ。少なくともあの頃はまだ皆職があったし、スーパーに売ってるものはとりあえず買えたんだから。」と嘆く。「こんな事になるって分かってたら、子供は作らなかったよ。彼らは失業者になる為に大きくなるようなもんさ。例え仕事があっても貧しくて、楽しい事なんか無いんだよ。」




ワタシが個人的に気に入ったのは、極め付けの冗談(だから記事の〆な訳だが)を述べたクルド系のアマングさんという43才タクシー運転手である。

「全ての政治家の血液型はなんだい?」

「それはbetrayer(裏切り者)のBだよ。」




ちなみにワタシもB型なのだが。

一応義理人情には厚いって事で通ってはいるので、誤解されぬよう。



明日もどどいつの行方を探る。


2005年09月14日(水) 純粋なる今日の日記

結局夕べは余り寝ないうちに朝が来た。

ばたばたと支度をして矯正歯科の予約に出掛けたのは良いのだが、そういう急いでいる時に限って電車が途中で止まってしまう。車掌が言うには、トンネルの信号機が故障したので路線変更をするから、一寸待つそうである。お陰で遠回りになってしまって、予約に二十分程遅れる。

行ったら行ったで、今度は窓口の秘書らがなにやら作戦会議を始めてしまって、受付用紙に記入して待っているワタシの事を一向に呼びやしない。これで更に二十分程待たされる。しかしこれで言い訳が出来たので、ワタシの遅刻の所為だけでは無いという事で気持ちに余裕が出来る。

ところがそうにんまりした直後に、これまで数週間の間に取り替えた古い矯正器具の二セットを持って出るのをすっかり忘れた事に気づいて、俄かに慌てる。やはりここのところばたばたしているからいけないのだ、と暫し反省する。

漸く呼ばれて、新しいセットを痛い思いをしながら装着し、更に新たな二セットを貰って、所要時間は約五分で今日の予約は終了である。待つ方が長いのは困り物である。などと遅刻者の分際で文句を垂れる。



そういう訳で眠たい目を擦りながら、オフィスへ向かう。一旦荷物を置いてから、昼飯を買いに外へ出る。今日の飯は鶏肉にサランチョロ(またの名をコリアンダー、パクチー、シャンツァイ)の効いたパニーニと大きなカップに入れたコーヒーである。

この近所の茶店で売っているパニーニは中に入っている具が細かいので、矯正中につき「隙っ歯」であり、更に動かし中につき一寸痛い歯でもって無理矢理硬いものを喰い千切るのが困難なワタシがついつい選んでしまう、「食べ易い飯」のひとつである。

店の親父がここで喰うのか持ち帰るのかと聞くので、持ち帰りにしてくれろと言ったら、何故だ?と真顔で冗談を言う。仕事が沢山あるから、と言うと、働き過ぎだ、ここで喰えと言う。この親父は笑顔を見せずにそういう事を言うので、それが親父なりの社交辞令であろうと受け取って、余り気にせずさっさとオフィスへ戻る。

食べながら伝達その他の業務に勤しむ。夕べクレームを付けて来た同僚は、ワタシが夜なべして書いた解説文を読んで漸く合点が行ったらしく、今日は全く問題無しと言って来たので、一安心する。更に別の同僚も交えて今後の講演会企画執行に関する相談を一頻りやって、大まかな予定が出揃ったので、それなりに安心する。

当初は企画不足かと焦っていたのだが、ここへ来て何故か見る見る増えて来た。特に十月に関しては、どういう訳か講演者側から依頼・打診があったりなど機会が向こうから「ネギ」を背負ってやって来たかの様な具合で、日程の調整に苦労するくらいである。

しかしそれに伴って自動的に増えるワタシの労働分担が超過勤務のまま終わらぬよう、何かしらの見合った報酬が与えられる事を切に希望する。その嫌な予感がじわりじわりと迫って来て、盛り沢山になりつつあるそれぞれの企画内容の検討をしつつも、これ以上増やしたく無いと密かに思う別の冷静な自分が居る。


夕方になってから、更に話を混乱するかの様に、同僚から更なる十月の企画の知らせが入って来て、ワタシは頭を抱える。折角一段落付いて本来業務に戻ろうと思った矢先に、これである。

また本来業務関連の伝達も入って来て、それによるとそちらの方でもなにやら手間の掛かる事をおっぱじめようとしている馬鹿奇特な同僚が居る模様で、というかそれはつまり例のワタシの腐れ縁若しくは悪霊男の事なのだが、何を血迷った事をしているのだろうと暫し呆れる。

見なかった振りをして、企画関係の作業に戻る。

しかしどうするのだ、これ。

ワタシの心は実は結構決まっていて、この作業は要するにワタシの片手間というかほんの「心付け」程度の報酬で持ってワタシの本来業務の合間に関わっているものなので、それに見合っただけの仕事をすれば良いのは一目瞭然である。

そこへ持って来て別の同僚が現在かなり手一杯なので、そうすると必然的にワタシのところに雑務が回って来てしまうのだが、これ以上は無理だと思う手前で止さないと自分の首を絞める結果になるので、その辺りの加減が肝心である。



などと思案しているうち、語学講座の時間が迫って来る。

これは週一回の授業なので、夏場の時のような「集中豪雨的」詰め込み式で無いからと高を括っていたのだが、しかし実際行ってみると、三時間次から次へと不慣れな言語で喋らされて行くのは同様に骨が折れる、という事が分かる。

既に高校や大学でその言語を習った経験者が大半らしく、つまりそれは会話が中心の事が多いので、人々は割合自由に簡単な受け答えが出来るようである。

ワタシは逆に読解を先にやった訳だが、つい二三ヶ月前にあれ程しんどい思いをして終了試験に合格した癖に、文法や動詞の変化などを殆ど忘れているあたりは、我ながら情けないと思う。しかし先生に言われるとああそう言われればそうだった、などと思い出すものも多いので、これはやはり辛抱強く続けて行くのが得策だろう。

言語学習のテープだとかCDだとかを買って毎日聞き流してみようか、と帰りしなふと思い付く。

これでまた、ワタシの生活は忙しくなる。時間の使い方を工夫しなくてはと思う。



道すがら、近所の中国ご飯を買って帰る。

海老の炒飯と鶏の衣を付けて揚げたのを買う。鶏は前菜的扱いの一品らしく何故か甘いソースが付いて来たのだが、そんなのはすっかり無視して、大蒜醤油を掛けて炒飯と共に食べる。炒飯が薄味なので、これは中々好都合である。

食べながら、女性が四人して主にセックスの話をしているテレビドラマを観る。再放送なので観覚えがあるから余り注意を払わず、届いた郵便物などに目を通しながら片耳と片目をテレビに向ける。

しかし、「男が過去の女暦が多くても誰も文句を言わないどころか却って尊敬したり(キス・セックスなどの)腕が良いなどと褒め称えたりするのに対して、女が過去の男暦が多いと淫乱とか売春婦とかあばずれなどと不名誉な事を言われる」と主人公が言うところに反応する。尤もである。解せない話である。


などと思案しているうち、ノルウェーの選挙では革新系が勝ったらしいと知る。とは言え世界的保守化の波を止める程の影響力は無さそうである。


それから、ワタシも飛行距離加算システムの会員になっているノースウェスト某航空会社がまた?倒産したらしいと知る。


方々慌しい一日なり。



2005年09月13日(火) 雑用に追われて苛々す

週末に例によってヴォランティア活動で、毎月恒例のエイズ・HIV患者のホスピスで一緒に映画鑑賞をする、というのをしに出掛けたら、偶々その会場が凍えそうな程の冷風で満たされていたので、そこに三時間も居るうちにまんまと風邪を引いてしまった。

ところが、界隈は名残を惜しむかのような夏日和で、大変蒸し暑い今日この頃である。しかも、貯水池が残り十パーセントを切ったとかで、街は水不足の危機にあるくらいの日照りである。

その中で、ワタシはひとりくしゃみを連発し、鼻をかみ続ける。

あ・・・

しまった。今日は帰りしなにクリネックスの箱を買って来ようと思っていたのに、すっかり忘れていた。うちにはもう「ポケットティシュ」しか無い。


今日は何しろ機嫌が悪くて、自分で自分に苛々しながら帰宅したので、ティシュの事なんかすっかり忘れていた。

半分くらいはPMSの所為にしておくが、もう半分は同僚の中でも特に親しいというか色々と世話を焼いてくれる事の多い先輩が、長年の苦労を見事に実らせ、本日漸く業務上の大きな節目を向かえたという事で、ワタシは自分の身の上を省みながら、一体おのれは何をやっているのだと自己嫌悪的不快感に襲われた所為である。

何しろ今日はあちらこちらへ雑用に走り回る羽目になり、それで半日潰してしまったので、自分の業務上の課題には殆ど手が付けられなかったのである。

だって。

先ずは、オフィスの近所にある郵便局へ出掛ける。そこでふたつ用事を足そうとしたのだがひとつしか足りなかったので、もうひとつを遣り遂げる為にこのクソ暑い中二十分も歩いて中央郵便局へ行く。このサアビスはその小さな局では取り扱いが出来ないと言うのである。

そこで封筒などを売っている売り子の職員に、これは単にポストに入れてしまって良いのか、それとも窓口で並んで手続きをして貰わないといけないのか、と聞いたら、何番窓口へ行って手続きをしろと言うので、本当かしらと不審に思いながらも長い列の後に付いて並んで待つ。

そのうち案内係の小父さんがやって来て、これはこのままポストへ投函するだけで良いのだよとにこやかに言うではないか。

それを早く言え。

お陰ですっかり時間の無駄をする。


ぶつくさ言いながらまたてくてく戻って来て、今度は文具店へ行く。

そこで今週末の催しのポスター用に、桜色の用紙を購入する。これが五百枚入りの束で一寸重たいのだが、汗を掻き掻きオフィスへ持ち運び、そして既に作っておいた原本を五十枚程コピーして、それを今度は全館の要所に張りに出掛ける。一応エレベーターもあるのだが、「要所」のうち三分の一程は各階の出入り口付近にあるので、結局何度か階段を使ったりして、また別のオフィスにも広告を出して貰うので担当者と話をしたりなどして、何やかんやとやっているうちに数時間掛かってしまう。

もうこの時点で定時はすっかり過ぎているのだが、それからまだ書類の作成やらコピー取りやら伝達関係の関連作業が残っていて、一通り終えたら十時である。もう自分の作業なんかやる気力が残っていないので、「整理体操」がてら星占いサイトなどを適当に覗いて、帰宅する。

この雑用一般プラス広報活動はワタシの有給業務では無いので、これだけの働きをひとりでやったのだから、やはり金を貰うべきだと強く思う。若しくは、この働きに見合った金をくれる仕事に就くべきだと思う。

しかし星占いが、もう暫く待っているうちに状況が改善すると言うので、半分当てにして、此処暫くもう一頑張りする事にする。



先日買って来た「トルテリィニ」を茹でて、オリーブオイルを掛けて食べる。

食べながら関連作業の続きを始める。

そのうち同僚からクレームのメールが入って来て、その言い訳というか事情説明に時間を割く。パラノイドも良い加減にすべきだと密かに思う。しかし憂慮は御尤もではあるので、一応理解を示して誠意を見せる。

すっかり夜が更ける。



明日は朝から矯正歯科の予約が入っている事に突然気付く。

更に午後には語学講座の今学期初の授業がある事にも気付く。


……


そろそろ寝るとする。


「明日」という日は、いつもまた新たな仕切り直し。


2005年09月11日(日) God bless America, god bless Japan

うちの界隈は今日は全面的に祈りムードなので、それに倣ってワタシも静かに過ごしている。

四年前と同様、この街は秋晴れの清々しい日を迎えている。窓から見える飛行機雲を眺めては、暫し感慨に耽る。

テレビで米国務長官が、ある詩人の詠んだ詩を取り上げながら澄まし顔でスピーチをしているのを観ながら、「フェラガモ」ならこの街にもありますので、宜しかったらそれが終わったら一寸お立ち寄りになりますか?と朝っぱらから茶々を入れる。


素晴らしい快晴なり。

裏の大家さんちの葡萄棚が、夏の間にたっぷりとお日様を浴びた濃緑の葉をわさわさと生い茂らせて、そよそよと風に吹かれている。

この家には彼是三年程住んでいる。

実家以外で暮らした場所としては、此処が尤も長期間住んだ事になる。彼方此方渡り歩いた末漸く見つけた、取り立てて問題の無い穏やかな住処である。

時折頂く「お裾分け」や小さい孫たちの泣いたり笑ったりする声は、ワタシの暮らしを大いに潤し、「正常化」するのに貢献している。

埃の舞い上がる瓦礫の街で、人々が何とか立ち直って来た様子を目の当たりにしながら暮らして来たワタシは、それまでとその後とでのワタシの人生観や物の見方などの様々な変化を鑑み、月日の流れを感慨深く眺める。

穏やかな秋晴れと、微風にそよぐ葡萄の葉。

こんな日がいつまでも続く事を祈る。



そういえば、裁判所で見掛ける「God we trust」という看板について先日の日記で少し触れたのに関連して、亜米利加では何か大きな事故・災害などが起こると、何処からとも無く「God bless America」と誰かが言い始める事に付いて、少し書いておく。

何しろこれを身勝手な国粋主義か盲目的宗教主義か何かと勘違いして癇癪を起すニホンジンが後を絶たないので、ワタシはいつも苦笑を禁じえないのだが、これはどちらかというと「宗教的」というよりは「慣習的」な意味合いが強く、歴代大統領などはそういう意味で頻繁にこの表現を使って来た。

つまり、大事故・災害後には困難に立ち向かわなければならない市民の一致団結を促す目的で、「神のご加護を信じて頑張ろう!」というような意味で広く使われているに過ぎないのである。

同様に災害の被災地で、または国全土で、自然発生的な国旗掲揚も良く行われるが、それも右翼団体の皆さんだからという訳では無くて、「皆で国旗の下一致団結して頑張って行こう!」というような意味合いのものである。

そういう国旗を持ってして自国の一員として団結して事に立ち向かう、という様な教育を受けていない二ホンジンには中々理解し得ないかも知れないが、「God bless America」も「星条旗掲揚」も、「皆で同朋を励まそう!」、「応援しているから頑張れ!」、「一緒に復興しよう!」というようなメッセージである場合の方が多いのである。

日本だったら「頑張れニッポン!」とかいうような横断幕でも掲げるのだろう。

亜米利加では小学校から「国旗教育(国旗の持つ意味、正式な折り畳み方、国旗掲揚・国歌斉唱時には起立して胸に手を当てて自国文化を敬う事、などを教わる)」を受けるのだが、それがワタシが以前から言わんとしている「文化・宗教・思想的共通観念を持つ共同体構成員」としての最低条件を担っているのである。何しろ多民族国家なので、これをしっかりやらないと統一出来無いのである。

尤も、例えば亜米利加が余所の国へ報復戦争を仕掛けて以来、そのような政策に賛同しない市民においては、折角掲げた国旗を降ろす者も多数出て来たように、政治的な意思表示に使われる事もある。

だから、事故・災害直後に見掛ける国旗掲揚に関しては「皆頑張れ!」的意味合いであり、戦争開始後は「ブッシュ政権万歳!」的意味合い、という風に受け取るのが一般的である。以前にも一寸書いたが、平和集会で星条旗を模ったネクタイを締めて来た二ホンジンの馬鹿については、正に後者の意味で受け取られるので、集会の主催者側としては大変不都合である。

そういう訳なので、ニホンジンの皆さんには、この辺りの事情を理解して一概に過剰反応されない事を希望する。




ところで、どうして寄りによって今日という日に、日本国では選挙をやる事にしたのだろう。

モモリーネさんちの日記でワタシもまんまと在外投票をミスった事を知って、数日前からすっかりがっかりしていたのだけれども、開票結果を見るとどうやら自民党圧勝だそうで、何だよあれだけ大騒ぎしといてつまんないの、とまるで去年の米大統領選挙の時と同じような虚無感に満たされる。

アメ人の事を何だかんだ言ったって、やってる事はニホンジンだって一緒じゃないの。

あ、もしかして、初の「民主主義」選挙という事になっている同時期の「エジプト大統領選挙」と一緒か?(これは一応冗談という事にしておく。)

結局、世界的な再保守化の波は止められないのか。果たして独逸はどうなるのか。



ところで今更なのだが、マニフェスト占いなるものを発見したので試しにやって見たところ、以下のような結果が出た。ええ、ワタシは、こういう人間です。

尤もワタシは、そういう訳で日本国内政治を日々追いかけている訳では無いので、それぞれの政党の政策を熟知した上での結論では無い、という事を一応挙げておかねばなるまいが。

*************

占い結果
あなたにぴったりな政党は.....

共産党・社民党
キモチ47%

弱者・負け組も切り捨てずに大事にしたいあなたにオススメ!

自民党・公明党(2)
民主党(5)
共産党・社民党(8)
国民新党・新党日本(2)

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それにしてもこの「弱者・負け組も切り捨てずに」云々は、流石は「非・社会福祉国家」日本の現状をよくよく表した表現だと思う。つまり、これらの人々は切り捨てるのが当たり前だと思っているらしい、この「占い」の製作者の信念または思い込みが伺える。

外国では日本の事を「社会福祉国家」だと思い込んでいる人が多いので、平均寿命と国家政策は必ずしも比例しないという点に付いて説明するのに苦労する。


資本主義の最たる国の仕業を、それに追随する資本主義国家の人々が嘲り笑う。目糞鼻糞を笑う。


祈開国日本。



2005年09月10日(土) 「日々是決戦」への刺激

金曜日には、久し振りに古い友人と食事に出掛けた。

彼には先日一寸した事で質問をして、忙しい中時間を割いて貰ったので、お礼がてらワタシがご馳走する積りでいたのである。尤も今では彼の方が桁違いに稼いでいるのだが、ここはひとつワタシも義理を立てなくては。

そういった訳で、出張続きの中漸く「定時退社」をもぎ取った彼と待ち合わせて、オフィス街にあるタイ・レストランへ出掛ける。お手頃なのに中々美味い店で大いに堪能し、それから場所を変えて飲みながら、久し振りにあれやこれやと話に花を咲かせる。(結局食事は彼、呑み代はワタシ持ち、という事で、この日の会計は落ち着いた。)


この人は「学生ローンを返す」という事情により一先ず一般企業に勤め出したのだが、いずれは学術業界に戻りたいと言って、日々飛び回って忙しい癖に、それでも通勤電車の中で論文に目を通したり週末の家事の合間に調べ物をしたりと、彼より暇なワタシが大いに見習わなければと恥ずかしくなるくらいの勤勉振りである。

彼の業界は理論の「回転」が速いので、それに追いつくだけでも相当骨が折れるのだが、それらを把握した上で更に自分の研究を進めて発表していくとなると、やはり非学術業界に居ては大変な業である。

久し振りに、自分の業界に対する自分の働きの「貢献度」という事に付いて、一寸ばかり考えさせられた。それ以外の諸雑事に追われて、近頃のワタシは本業的に大した進歩を遂げていない気がする。やらねば。今やらずして、何時やるのだ。

とは言え、潜在的・将来的に有力なパートナーと成り得る人々と出来るだけ関わっておく、つまり「ネットワーキング」をする、というのは重要な作業ではある。どういうところから仕事が転がり込んでくるか分からないのだから、それが例え今は微々たる報酬であったとしても、とりあえず出来る限りの働きをして「歴史」を作っておく事である。

やはりどの業界でも、「コネクション」が第一であるという話になる。友人氏も就職活動などを通してそれを痛感しているらしく、何処へでも出掛けて有力者に顔を売っておくのは良い事だと言う。

しかしそれと同時に「実績」もやはり重要であり、必要な時にバックアップして貰えるだけの材料、例えば学術業界においては学術雑誌・学会等への論文投稿、専門書籍の出版、業界的有力者との共同著作や共同研究の有無、また教授年数(大学・大学院レベルで教えた経験)、など「継続した実績」が物を言う。正に「日々是決戦」である。(懐かしいなあ。)


という様なシビアな現実を生きる友人氏の様子を目の当たりにしながら、大いに刺激を受けて帰途に着く。


一寸ここいらで、スケジュールを今ひとたび見直してみる事にする。ワタシの生活、何かが間違っている。時間を上手く作って活用しなければ。


日々是決戦。

と呪文のように唱える今日この頃。


2005年09月08日(木) 美味いものを求める食欲の秋

先日来鰻が喰いたかったので、昨日の昼に「寿司盛り合わせ」というのを選んでみた。

と言ってもまともな寿司屋に行った訳では無く、そこいらの仕出し弁当のようなものなので、米粒はまんまと押し潰されネタもはみ出し気味の、無残な寿司である。しかし硬いものに齧り付いて噛み切る事が難しい、矯正中のワタシならではの苦肉の策でもある。

それは鰻の巻き寿司、トロ巻き、それに所謂「加州巻き」という三種の巻物が入っていたのだが、困った事にそのどれにもアボカドが巻き込まれていた。

鰻とアボカドは一寸くどい、と知る。



夏の間外食が続いていたので、懐が寂しくなって来た。それで近頃は心掛けて、出来るだけ自炊するようにしているのだけれども、それでもこれはと思うような美味いものに有り付けないでいるので、なにやら口が寂しい。

いや、何も日本のご飯が恋しいという話では無い。

ワタシは比較的外国での暮らしに慣れたと見え、長らく日本ご飯を食べずともそれなりに精神の安定を保つ事が出来る。

それに例えば中国ご飯だとか韓国ご飯、それにタイご飯やインドご飯など、要するに米粒や醤油味はこの界隈の何処かしらで味わえるので、厳密には日本ご飯では無いけれども、まあそれなりにアジアのご飯を楽しんでいる。それで充分である。

それに加えて、例えばイタリアご飯はワタシの大のお気に入りだし、ギリシャご飯もたまたま近所に店があるので手軽である。

序でにアイルランド酒場も近所に数件ある。ビールで腹は一応膨れる。

近所と言えば、アラブの民が良く屋台を出していて、そこで「ハラール」といって宗教的に清められたとされる肉を使った屋台ご飯を売っている。そこの鶏を焼いて生野菜と芋や茄子の揚げたの等と一緒にご飯の上に乗せて、辛いソースだの白いソースだのを掛けた「鶏ご飯」は、ワタシのお気に入りである。

この白いソースは、正式名称は「タヒニ」と言うのだが、マヨネーズの薄まったような成りをしている。これをアラブの民は何にでも掛けて食べているようである。何処の屋台でも日本円にして五百円程で食べられるから、帰りしなに近所のに立ち寄ったり、また昼飯にオフィスの近所で見繕ったりなどして、割合頻繁に食べている。

この屋台はアラブの民だけでなく、インド・パキスタンなどの南アジア系の民も同様に商売をしていて、そういうところのに当たると鶏がカレー風味なので、これもまた美味い。

そういえば先日食べた屋台のはアフリカ系だったような気がする。アフリカは「マグレブ」という地方にしか出掛けた事が無いので、それ以外の黒アフリカ地方で果たしてカレーを食べているのかどうか、ワタシは知らない。

オフィスの近所には実は高いばかりで美味いものが中々見当たらないので、ついついサンドウィッチだとかスープだとかパニーニというこれもまあ広く言えばサンドウィッチのようなものだが、そういった在り来たりなものが多くなってしまうのが難である。

ピザ屋も何処にでもあるのだが、この界隈でピザと言ったら、所謂トマトソースの上にチーズを乗せたシンプルな「マルゲリータ」というものが一般的である。忙しい人々はこのピザを約百五十円程で買って、それをソーダで流し込む、というような乱暴な食事で済ませたりする。しかしここいらのは何しろ油が多いので、流石にワタシはこれを毎昼喰う訳には行かない。



食事の話をしていてふと思い出したのだが、例えば男と食事に出掛けたりして、そいつががつがつと一心不乱に喰っている様を見るのは、辛いものがある。

つまり、喰い物も良いがワタシの方も見ろ、という話なのだが。

そういう食事の仕方なんかで、そいつの心の余裕だとか社交性の有無だとかベッドでのオンナの扱いだとか、そういった諸々が垣間見れてしまうので、だからワタシは付き合うかどうかを決める前にとりあえず食事をしようと誘う。大概はご馳走してくれるので、好都合でもある。

こういう事は二十代の頃には何度かデートを重ねるまで知り得なかったから、そう思うとワタシも多少は大人になったのだなあ、と感慨深い。



ところでワタシの愛する清志郎さまのちゃりんこは、どうやら無事に見つかったようで、何よりである。何処の馬鹿だか知らないが、人のものを盗んではならぬ。



そういう訳で、今日の夕飯は何にしようかと思案した後、結局「捻りパスタ」と大蒜を二三片茹でて、それに缶詰のもろこしとツナ、バジルとマヨネーズを和えて、パスタサラダを作る事にする。保守的な伊太利亜の民が見たら怒るかも知れないが、一部別にして大蒜醤油を加えたのも楽しむ。

明日は何を喰おうか。



2005年09月07日(水) 膝まづいてワタシの足を舐める「モデル」

暫く災害の話に終始したので、つい書きそびれていたのだけれども、そういえば皆さんは初対面の男に足指を舐められた事はありますか?

あ、そういう趣味が元々あったり、割り切ったカラダのお付き合いなどされてる方は除きます。

健全なごく普通の性的趣味(ってどんな?)を持つ三十代女子の身の上に起こったお話です。


**************

ワタシは先週、例によってヨガレッスンに出掛けて、そのまま駅ひとつ分歩きながら汗を引かそうと、所謂「整理体操」のような事をしていた訳だが、その道すがらに声を掛けられた。

べたべたと汗の染み込んだ袖無しにジャージというかトレパンというかを穿いて、更にヨガマット(滑り止めの為に下に敷くゴム製のマット)を背負っていたのだから、ヨガレッスン帰りという事は一目瞭然なのだが、それで確か、流石はヨガのお陰で締まってますね、とか何とかいう様な事を言われたのだと思う。

ワタシは振り返って、それはどうもありがとう、と疲れた顔で一応お礼を言う。この街の人々は知らない人同士でも互いに良く声を掛け合うので、ワタシも別段不審に思わず、その声の主と歩きながら少し会話をしたのである。

その振り返ったところに居たのは、ふたりの黒い男性だったのだが、どうやらふたりとも「モデル」をしているとかで、今日は仲良く一緒にジムで一汗流した帰りだそうである。

話し掛けて来なかった方の男性は、所謂エチオピア系というのか、独特の彫りの美しい顔立ちだったので、モデルと言われればそれはそうかも知れないと納得が行ったのだが、余り話す機会が無かったのは残念である。

しかしもうひとりの、そのワタシを褒めたてる方の男性は、こうはっきり言っては難だが、ワタシには特別美しいとは思われなかった。

強いて挙げれば、確かにジムに通い詰めているらしくそれなりに締まった身体ではあるし、身体の線や筋肉の盛り上がりを誇示するような袖無し服を着ているところは、如何にも「モデル」という人々に有りがちな自己顕示欲の塊的なものは伺えた。

序でにこれ見よがしにはめた派手な「ローレックス」某高級時計を、これをしていると世界中何処へ行っても自分がこの国の出身だという事が一目瞭然なのだよ、と自慢したところなども、正にワタシの嫌いな物欲主義者的で、それが「モデル」という人々なのだと言われればそうかなとは思われた。

しかしそんな彼の運動用具を入れた鞄は、「モデル」様の持ち物にしては相当安っぽい、古ぼけた無名の革製で、その中途半端な対比がこれまたワタシの嫌いな種類の人間的であった。

要するに、そうと言われなければ「モデル」とは思い当たらなかったくらいの、まあそこいらで良く見掛ける「ちんぴら」的黒い青年にしか見えないのである。

その彼が、仕事で近いうち日本に行くから日本語を教えて欲しい、とこれまた在り来たりな「軟派口上」を述べるので、女から習うと女言葉を覚えてしまって不都合があるといけないから、男から習った方が良いですよと断ったのだが、しかし多くのニホンジンは現地語が上手くないので、そもそも意思疎通に問題があると言う。それはそうかもと思案していると、まるでワタシにも仕事が舞いこんで来そうな勢いで美味しそうな話をするので、とりあえず連絡先を交換する事にする。


話を端折るけれども、その後彼が余りにしつこくお茶に誘うので、ワタシは矯正器具が入っているので茶は飲めないが水なら飲む、と言って、一緒に公園に腰掛けて暫く話に付き合う事にしたのである。

更に話を端折ると、こいつはまあ兎に角ぺらぺらぺらぺらと、口が止まらない男であった。

彼はワタシの事を大いに気に入ったらしく、しかも偶々年齢が近い上星座まで一緒という事もあって、ワタシたちはきっと「ベストカップル」になろうから是非とも付き合うべきである、と言い、更に相手を取替え引換えするような付き合いにはうんざりしているし、また所謂「パパラッツィ」などにそういう様子を抑えられては職業的にも影響が甚大であり、一人の女と真剣に付き合いたいのであるから、これはワタシにとっても良い話であろう、と言うのであった。

え?御免、何処がどのように「良い話」なの?

ワタシは貴方の事は未だ良く知らないし、(一目惚れなどのような)特別な思いも抱いていないので、付き合いたいとは思っていないから、とりあえず友達として一緒に出掛けるのはどうだろうと提案する。

しかし彼は、では僕の何を知りたいのだと言って、川向こうの住処の話やら仕事の経歴やら趣味やら今後の人生設計やら、まるで履歴書を諳んじる様に述べ立てる。しかしあれやこれやと自分の事を捲くし立てているばかりで、所謂「会話」というものは成立していない。そしてどうやったら君と付き合えるのだ、どうして欲しいのか言ってくれ、と繰り返す。

お陰でワタシは更に疑心暗鬼になる。こいつは何故こんなにして自分を売り込もうとしているのだろう。

そのうちなんと彼は、自分は「マッサージ師」の資格を持っている、と言いながら地べたに座り込むと、公園のベンチに腰掛けているワタシの足を取り、ビーチサンダルを取り上げては汗と埃に塗れたワタシの足を取って揉み始めた。

うわ。そんな事してくれなくて、結構です。

しかし彼は止めない。

そして更に、君はなんて可愛らしい足指をしているのだ、と言いながら、事もあろうにワタシの足指に口付けた。

ぎゃー!止めて〜!

彼は、何故嫌がるのだ、全然汚くなんか無い、と言い張って、暫くマッサージと口付けとを繰り返すのだが、ワタシはもうその段階でどうにも気味が悪いので、何とかして早急に切り上げて帰る事にしようと決める。

ワタシは先程も述べたような事を、再び繰り返す。


貴方がワタシに対して感じていそうな感情を、ワタシは貴方に対して感じているとは思えないですし、それに貴方に肉体的な興味も全く無いから、こういう事をされても気分悪いです。


結構はっきり言ったと思うのだが、それでも懲りずに口説いている様子を見ると、どうやらこいつは人の話を全く聞いていないらしい。ワタシは同じ主張を何度も繰り返すのだが、彼も懲りずに口説き続ける。


ワタシが中々折れないので、向こうさんも必死になって来たのだろう。とうとうそのうちボロが出た。



僕はこれ程に美しいので、ニホンジンの女なんて直ぐ寄って来て付き合いたがるのに、君は何だ。

僕は仕事で美しい女に囲まれているから、そういうのと付き合おうと思ったら引く手数多であるのにも関わらず、君のようなごく普通の、何の変哲も無い平凡な女を選んで付き合おうと言っているのに、何が気に入らないのだ。 

僕と一緒に出掛けたら、誰もが皆君に注目する。それは僕がこれだけのカラダを持っていて美しいから、そういう目立つ男と一緒に歩いている君にも人々は注目するのだ。そしてそういう(大した事ない)君と付き合っている僕に対する人々の見方も変わる筈だから、そういう評判が業界に知れ渡って、僕も更に有名になる。これはお互いにとって、「上手い話」なのだ。



ワタシの眉がみるみる顰まる。

舐めてんのか、こいつ。いや、さっき足舐めてたけどね。


ワタシはいよいよ心を決める。

あはははは!アンタ、な〜に言っちゃってんの?もしかして、自分が格好良いとか思ってる?その顔で?なに、「モデル」?「ポルノ男優」とかじゃなくて?アンタなんか、全然見た事ないよ!ホントはなに?あ、もしかして、アタシもちやほやしてやんないといけない事になってた?あ、そう?ごめーん!全然分かんなかった!だって、アンタなんかより数倍カッコ良い奴知ってるけど、そういう事わざわざ言わないもん。だって、モテモテだから!言わなくても!放っといても、オンナが寄って来るから!あははー!つーか、アンタそもそも、喋り過ぎ!黙れ!あははー!


・・・ってな事を言ってやろうかなと一瞬思ったのだけれど、下種と同レベルの争いはワタシの主義で無いので、止す。


では先程から何度も言ってますように、ワタシはいきなり貴方と付き合う気はありませんので、お友達にだったらなってあげます。でも今日のところは遅くなってしまったので、そろそろ帰りたいから、この辺でさようなら。


と言って一緒に駅まで歩いて来たのだが、辿り着いても彼はワタシを引き止めて中々帰してくれない。

何とか振り切って家路に着く。

しかし帰宅するのを見計らっていたかのように、携帯電話が鳴る。川向こうの携帯番号だから、「足舐め君」に違いない(というか、それ以外にワタシは川向こうの電話友達がいない)。

聞こえなかった振りをして、ワタシは一風呂浴びる。舐められた足の辺りは、念入りに石鹸で擦っておく。その辺りに靴擦れなどの傷が無かったのは、幸いである。

風呂から上がった頃を見計らっていたかのように、またしても携帯電話が鳴る。

聞こえなかった振りをして、ワタシは夕食の仕度に掛かる。今日は残り物野菜を取り混ぜて、パスタにぶち込んでしまおう。

漸く夕食が出来上がって、テレビの前に座ったのを見計らっていたかのように、またもや携帯電話が鳴る。もう相手の確認すらせず、喰らい付く。


翌日にも、朝っぱらから何度か電話があったが、結局ワタシはどれも取らずに過ごす。メッセージがひとつ入っていたが、気味が悪いのでさっさと消す。




というか、そもそもワタシは「足を舐められる」という行為自体が、余り好きではない。これでうひょひょとなる人もあるそうだけれども、こればかりはワタシの得意種目でない。

ましてやカラダの付き合いも無い(し、そそられもしない)相手では、妙な病気を移されやしないかという方に神経が行ってしまって、楽しめる(かも知れない)ものも楽しめない。



ところで、自称「モデル」ってのは、皆こんなんですかね。

いや、でも彼は自分で言う程「美しい」とか「背が高い」とか、そういう素材では全然無かったのだが、あの過剰な自意識は一体何処から湧いて来たのだろう。

男で身長180cmなんて、全然普通じゃないか。うちの界隈だったらそんなの道端にごろごろしているから、わざわざ「モデル」である必要が無い。鼻もでかくて一寸へちゃ潰れた感じだし、あれでオッケーなんだったらワタシだって「パリコレ」出てやる、てなくらいなものである。


まあしかし、同世代で此処まで馬鹿が居るとは、一寸驚きである。しかも水瓶座は本来もう一寸まともな筈なのに、彼は余程痛ましい経験でもあって精神を病んでしまったのだろう。全くお気の毒。



2005年09月06日(火) カトリナ関連つづき

先日来書いている「大型台風カトリナ」の話のつづきである。


ワタシはその顛末をすっかり忘れていたのだが、FEMAがホームランド・セキュリティ(HS)に組み込まれる際、テロ対策が主と見られるHSと緊急・自然災害対策が主のFEMAでは相当異なる性質を持っているので、FEMAが業務に差し支えるから統合は不本意なりと言って問題になったのだった。

更にブッシュ大統領が新たに任命したFEMA長官(はブッシュの親しいお友達だそうである)は見る見るFEMAの機能低下を進め、それが結局今回のような腕の見せ所というか最も力を発揮して貰わねばならない事態に際して不完全燃焼を起こす要因になったらしい。

というような事がニューヨーク・タイムズ紙のクルグマンさんという人のコラムに書いてあるので、英語が読める読者の皆さんはどうぞ。

それからもひとつ、同じくニューヨーク・タイムズ紙のクリストフさんという人のコラムによると、クリントン政権時に大きく減った筈の亜米利加の貧困層はブッシュ政権時になって大幅に増えているそうである。2004年時の記録では前年と比べて1,100,000人増え、全亜米利加人口の17パーセントに上るそうである。また都市部の乳児死亡率は中国の二倍以上(2002年にワシントンD.C.で1,000人あたり11.5パーセント、北京では4.6パーセント)だそうな。


予断だが、もし将来ワタシが上手い具合にいいオトコを見つけてコドモを産むような展開になったらば、亜米利加のような出産後三日で退院させられちまうような国で産むのは嫌だなあ、と密かに思っている。亜米利加が長年「先進国中最も新生児死亡率の高い国」なのは、高額な医療費問題と妊婦・稚児の産後の扱いが悪いという事実の複合によるものと思われる。と確かWHOかなんかも言っていた筈である。

それからD.C.は首都だけど、全米でも特に治安が悪い街としてその名を轟かせているので、旅行にお出掛けの際は十分お気をつけて。


兎に角、亜米利加都市部での貧富の差は大変広がっており、その底辺の人々は所謂「発展途上国」と呼ばれている国々と大差無いか寧ろ劣る程の生活振りを強いられている、というのが「世界で最も裕福な国」亜米利加の実態、という話である。


ところで一寸興味をそそられたのは、このクリストフさんは神戸の震災のリポートに行ったそうなのだけれども、その際略奪などが殆ど見られなかった事を例に挙げている点である。

つまり、日本という国は異分子もひとつに取りまとめる・同化する努力をして来たのに比べ(それが良いか悪いかはワタシには何とも言えないが)、亜米利加は引き離す・分離したままにしておくというやり方で文化形成をして来たのである、というような事を言っている(大雑把な訳ですいません)。その文化形成様式はブッシュ政権の「金持ち優遇政策」で更に拍車が掛かり、そして資本主義経済原則とも密接に絡み合って、持てる者はより沢山持つけれど、持てない者は全然持てない、予防注射も打てなけりゃ健康保険も無い、落ちこぼれたらこぼれっ放し、というような結果になる。

(まぁそんな事を言ったら、ワタシも健康保険には入っていないのだけれども。) (=貧困層)

だから今回のカトリナ被災で逃げ遅れた人々の中には、例えば所持金$80とか、家族の預貯金かき集めてやっと$200とかいうような、「そんな急に逃げろって言われても対応出来ないんだよ〜」な人々が沢山いた訳である。




ワタシは以前に、世界中何処へ行っても、文化・宗教的共通観念を持つ人々はお互い同じような倫理観に基づいて共同体を形成しているので、それを共有していない「余所者」が進入してくるという事は、その共同体の存続にとって大変な脅威である、というような事を書いた。

日本という「共同体」はある意味(それが必ずしも良いかどうかはワタシには分からないが)あるひとつの倫理観または「常識」という観念を住民(共同体構成員)が理解しそれに基づいて行動するもの、という「暗黙の了解」の下に生活が成り立っているので、それから外れると「村八分」その他の懲罰が与えられるシステムになっている。(プラス「恥の文化」というやつも、治安維持にそれなりに貢献して来たと思われる。) (全ては比較の問題だが。)

それに比べて多民族国家である亜米利加という「共同体」はそういう一本化された倫理感とか「常識」というようなものが(一応)存在しない(事になっている)ので、当然「暗黙の了解」とかいうものも存在し得ない。故に、何かと言うと裁判所に出向かないといけない羽目になるのだが、それはつまり「法の下の平等」以外に目安になるものが無いからである。

(「一応」と断ったのは、宗教(キリスト教)が建国の精神と関わりがあるからなのだが。だから裁判所に行っても、"God we trust"(神の御名の下に、みたいな)と掲げてあるのだが。そして正式な裁判の為に出廷すると、こちらの信仰云々に拘らず、必ず聖書の上に手を載せて「宣誓」というやつをやらされるのだが。)


ただ、だからと言って、彼らに全く倫理観が無いという訳ではない。

今回の件では、お上は中々助けに来てくれなかったけれども、しかし隣近所の助け合いだの、遠方のニュースを見た見ず知らずの人々があれやこれやと手を尽くして被災者を助けようとしているだのといった事実が存在する。無闇矢鱈と略奪や強姦を繰り返す暴徒も確かにあるが、それと同時に被災地ではそれなりの秩序が保たれていたという報告もある。必ずしも皆が皆、理性を失ったり先を省みずに行動した訳では無いのである。

ワタシはそういった辺りの事を鑑みるにつれ、例えばワタシの住む街で数年前に起こった大事故の際の人々の助け合い振りなどを思い出し、人々はまだまだ捨てたものではない、というような事を思う。


一体何が人々を導いているのか。それは必ずしも宗教倫理だけでは無いようである。

これについては、もう暫く考えてみる事にする。


尤も、その一般市民の善意に甘えて、お上がやるべき事をやらないで済んでしまうというような調子では、困ったものではあるが、というような辺りの批判は既に挙げた新聞屋さんとか各団体の皆さんが繰り広げているので、ワタシは今更論じない。



それよりワタシは、ねぇ皆、今回の件で発掘規制緩和になったからって石油(燃料)を使いすぎないようにしようよぅ、と人々に訴えたいところである。

世界的に(というか主に中国という説があるが)需要があるからと言って、がんがん掘っちまえ、というのでは拙いだろう。自然資源はいつか枯渇するのだから、それを早めてどうするのだ。

誰か止めて。


2005年09月05日(月) ハリケーン・カトリーナ

そういう訳で連休なので、今日は月曜だがお休み。

休みなのだが、ワタシの所属団体では、メールを通じた活発な議論が進行中である。昨日も書いた例の大型台風被災関連で、被害拡大の根本要因や今後の政治的変動などについて、同僚らがあれやこれやと道筋を探っているという訳である。

やはり先ず問われなければならないのは、「連邦制度(Federalism)」というこの国の政治体系の「不機能」という事態だろうと思う。

ネットを見ていると、この辺りのシステムを誤解した人々が、連邦政府と州・市(郡)政府の役目を混同して一律にブッシュ大統領批判をしているようである。しかしこの連邦制度下での「分権」という重要事項を加味すると、市当局と連邦政府双方に非が認められる。

昨日の日記にも一寸書いたけれど、更に情報が入って来たので、少し補足を加えるとする。

先ず「ニューオリンズ市」という世界的にも有名な水没の危機にある街にとっては、治水事業と関連した災害対策が最重要課題の筈である。これには誰が何と言おうとも、しっかり金をつぎ込まなければならない筈である。

何しろそれをやらなければ市はいずれ水没してしまうのだから、市民の安全確保の為に、行政はあらゆる手を尽くさねばならないのである。そして、その為の税金徴収である。

亜米利加式民主主義制度(連邦制民主主義)下においては、市予算の使い道は(大統領ではなく)その市議会に決定権限があるので、「予算不足で治水事業に手が回らなかった」という言い訳は、つまり市民の安全対策を怠ったという事で、基本的にその市議会と市議員らに対する批難として反映されなければならない。

しかし今回は規模が規模なので、実際被害が起こった時点で市当局の手には負えないという事が判明した場合、州政府や連邦政府が介入する事になる。今回連邦政府はその介入時期を大幅に見誤ったという「かど」で、現在のところ大いなる批難を浴びせられているという訳である。

例えば大統領・副大統領共に被災直後にもヴァケーションを続行していただとか、国務大臣(外務担当長官)は某フェラガモへ$7,000も掛けたお靴のショッピングに出掛けていただとか、そういう下世話な報道もされているような次第である。

(この辺りは、日本でも例えばつい先日の列車脱線事故の際などのように、同様のマスコミ報道が幾らもあるから、馴染み深いところではある。)

しかし今回の件では、ルイジアナ州の州知事が連邦政府からの指揮権代行の申し出を、それは「戒厳令」と同様の措置であるから、という理由で「拒否」した、という報道もあるので、ワタシは現段階では何とも判断しかねているのだけれども、既に出回っている報道や体験手記などを総合すると、要するに被災直後のニューオリンズ市・ルイジアナ州では連邦政府と市・州政府間において権限執行の加減というか分担に関する衝突・混乱があった為、実際の避難誘導やら救助活動などが大幅に遅れた、というのが大方の見方である。


とは言え、ワタシは更に言うけれども、例えば市の大きな運動施設は大勢の市民の避難場所になった訳だが、その割りに水や食料などのストックは一切無かったとの事であるから、今回の件で市当局が如何に「後手後手」だったかという有様が窺えるではないか。大きな台風が来るぞ来るぞと言っておきながら、市としてその為の準備は一切していないというのは、言語道断である。

また殆どの学校の送迎バス(所謂黄色い「スクールバス」)は水に浸かって無用の長物と化した訳だが、例えばそれらを動員して低所得者や寝たきり老人などの、避難するにもその手段が無かった100,000もの人々を市外の安全(と思われる)場所へ移動させる事だって出来た筈である。

やろうと思ったら事前に出来た事は恐らく他にも沢山あるだろう。これらを危機管理・対策の大いなる欠如と言わずして、何と言う。一般人のワタシですら思いつく事なのだから、市の危機管理対策専門家なら当然やっておいてくれなければ、困るではないか。

それからもうひとつ。昨日も一寸書いたけれども、この国には「連邦緊急管理局(Federal Emergency Management Agency - FEMA) 連邦緊急事態管理庁」という独立した専門機関がある。災害時には出来るだけ早急に必要な人員や物資が召集・配備され、迅速な救助活動を展開する事が求められる訳だが、このFEMAというのはその為の専門機関である。確かその昔、犬と一緒に神戸にも行った筈だから、ニホンジンにとっては馴染み深いかも知れない。

これに加えて、この国には「国家安全省(Department of Homeland Security) 国土安全保障省」と言って、例の同時多発テロ後に設けられた機関がある。こいつは既存の関連機関を統合したものだが、結果はビザ・出入国手続きなどを不必要に難しくしたりその人の人種・宗教・出身国などによっては有無を言わさずしょっ引いたりなどして、外国人に対する謂れの無い人権侵害を合法化したとんでもない機関なのだが、しかしその割りに宣伝した程の目ぼしい効果を挙げていないという正に「税金の無駄遣い」的機関でもある。

これらの連邦機関は一体何処で何をやっていたのか。このふたつは重複する職務が有りそうなのだが、ホームランド・セキュリティがどれ程国内の災害に対応しているのか不明である。しかし主にFEMAが(数日遅れて)どうやら「治安確保」の目的で一部の被災地に投入された以外報道を見ない。

しかも災害時に威力を発揮する州兵(National Guard)のうち三分の二程はイラクに派遣されてしまっていて、土地勘のある有能な兵士たちが不足しているという事態に至っては、いよいよもってして大統領のお粗末な国際政策に再び議論の焦点が戻ってくるという訳である。

(後日補足: FEMAは旧移民局などと共にホームランド・セキュリティ傘下の模様。どのみち機能していない事には違いない。)


兎に角、まぁ「対岸の火事」を眺めている立場のワタシもそうだったのだが、被災直後の三日程の間、政府や関係組織の人々は基本的に「原油価格の上昇」(若しくはフェラガモの靴)に大いなる関心を示しており、一国の主としてのパフォーマンスの必要性は認めるとしても、とりあえずこの災害が亜米利加経済及び世界経済に与える影響は「僅か」である、と実際に視察する前から宣言してしまったところに、ワタシは今回の一件がこの政権にとって国内政治的に相当のダメージを及ぼしたと思う次第である。


尤も実際の経済効果の方はどうかと言うと、今回被災した町はどれもそう大きくないというか、亜米利加経済的に然したる影響を及ぼしそうな程度の規模では無いので、町自体の復興は大変な道のりが待っているけれども、しかしそれによる新たな雇用とか起爆剤的影響を考慮すると、国内経済的にはそれ程問題では無さそうである。

ただ「原油価格」に関しては既に世界的に影響が出ているところだから、その辺りはやはり注目すべき事項である。


ところで一般人であるワタシの目下の注目事項としては、この冬はそういう訳で暖房用のオイルが高いから、そうするとワタシの住処も暫く寒い訳だな、という事である。

・・・ふむ。

近いうち、羽毛の掛け布団を丸洗いしておこうと思う。



2005年09月04日(日) 秋晴れの空を仰ぎながら気候変動とバルサミック酢に思いを馳せる

この週末は、連休である。

巷の人々にとっては、これが夏の終わりを告げる連休という事になっているので、「夏と言ったら庭先でバーベキュー」がモットーのこの国の人々は、恐らく今頃今年最後の「家族団らん庭先パーティー」に精を出している頃である。

長かった猛暑も去り、秋晴れの大変清々しい日和が続いているので、ワタシも漸く自宅で料理をする気力が湧いて来た。そこで今日は「バッファロー・ウィング」という名の、鶏の手羽先の唐揚げを辛くしたやつを製作中である。

本来これにはブルーチーズとマヨネーズを混ぜたようなソースとセロリのスティック状に切ったのを用意する事になっているのだが、生憎気まぐれに作り始めたものだから、今日のところはマヨと小赤蕪で容赦する事にする。


嗚呼、こんな天気が一年中続けば良いのに。

さらりとしているのに、でも袖無し服で充分過ごせるのだから、これは正に戸外で何かをするのに最適な日和である。例えばバーベキューとか。例えば洗濯とか。

おおそうだ、洗濯にも行かなくてはならなかった。まぁ明日、明日。まにや〜な、まにや〜な。



しかし例の大型台風の直撃に見舞われた地域では、清々しいなどと呑気な事を言っている場合では無くて、元々沼地の多く蒸し暑い亜熱帯性気候の土地へ持って来てインフラが全てやられてしまっていると来ているのだから、正にとんでもない事態になっている。

ワタシも真夏に電気の無い生活というのは経験したが、それでも水は出たからまだ良かった。陸の孤島となったかの地の人々は風呂さえ間々ならないまま、既に数日間自国内での難民生活を強いられているという。

これは大量の資源を湯水の如くに消費するのにすっかり慣れた不届きなこの国の人々にとっても、大いなる脅威的大事件として日夜報道されている訳だが、しかし国の災害対策の不手際(それ専門の独立組織の存在にも関わらず)に加えて市の治水・緊急時対策への主に予算不足(この街にとって治水は最重要課題である筈なのにも関わらず)など、諸々諸事情が重なった上の「人災」と言わざるを得ないような有様である。

加えてそこにはこの国が長らく抱える「人種・貧困問題」という、更なる要素が深く関わっているので、所謂「社会的弱者が痛い目を見る」という、在り来たりの結末である。

だから市当局が予め逃げておけと言ったところで、実際それに必要な金や車、頼れる縁故者などを持たない人々は、そこがどんなに危険であろうとも留まらざるを得ない。

ワタシが憂慮したのは、家を持たない所謂「ホームレス」と呼ばれる人々や一人暮らしの老人らの成り行きである。ホームレス・シェルターなどに辿り着いていてくれれば良いが、しかしそのシェルターすらも今回の大嵐では無意味だったかも知れない。ワタシの住む街であんな事態になったら、日頃ヴォランティア活動で馴染みのあの人々は、一体どこへ逃げたら良いのだろう。

逆に逃げようと思えば逃げる事も出来たのに、まあそんな大げさなと高を括って留まった輩というのに関しては、他人の迷惑になるのだから次からはもう一寸考えろ、と言わざるを得ないが。

また被災直後のインフラ壊滅また援助の遅れなど、かの地の人々が生活必需品の略奪を働かねばならなかった止むを得ない事情というのもある。

しかしその脇で、テレビだとかDVDマシーンなどの高額娯楽品を商店やら空き家になった他人の家などから早速盗み出している「武装した暴徒」というのもまたあり、しかしその水に浸った街で水に浸った電化製品を盗んだところで、どうやってそれを利用するのだろうか、という疑問もまた湧いてくる。

何しろ現代社会において、インフラ無しで人間の文明的生活というのは、全く立ち行かない。格好の良い高級品をどれだけ持っていようとも、無意味なのである。

暴徒も恐らく、被災以前の感覚を持って行為に及んだのだろうところが、哀れなり。




ちなみに地球レベルでの気候変動に関わる専門家の間では、水没の危機にある都市として、ロンドン、ヴェネツィア、アムステルダム、など欧州の都市に加えてニューヨーク、ニュー・オリンズなど亜米利加の都市名も挙げられている。

尤もどこの国の都市でも、地下水を汲み上げたりなどして地盤沈下というのが問題になっている訳で、例えば上海や北京などでもここ数年その傾向が顕著だというから、これは先進国に限った問題では無い。

また水没の危機という事で言えば、インドネシアなども以前から問題になっているし、また世界地図に埋もれるような小さな島嶼諸国の皆さんにとっては、一寸した低気圧の襲来などでも死活問題なのだから、これを機に世界中の皆さんが地球の気候変動*または環境問題一般というものに対してもう少し配慮をする事にしてみてはどうかと思う。

(*「地球温暖化」という表現もあるが、必ずしも気温が上がっているのではなく一部地域では下がっているという報告と、また非人為的・長期的自然作用による気候変動の可能性も捨てきれないとする諸説があるので、今のところ業界的には「地球温暖化」という表現は避け、「地球規模の気候変動」という表現が好まれているので、参考まで。)

まずは亜米利加と濠太剌利の民にこの点を少し理解して貰って、手始めに「気候変動枠組み条約」の「京都議定書」に再度参加するという方向で国際社会の団結を図る、というのはどうだろう。

亜米利加の「金魚のうんこ」または「真似っ子乞食」濠人の働きに関しては良く存じ上げないのだが、米人に関しては国はさて置いて、地域や市町村レベルでの環境政策への試みは、ここ近年大変活発化している。

例えば北東部の州が連合して、発電所や焼却場などからの二酸化炭素排出を減らす為の取り決めについての最終審議調整が進んでいるし、同様の取り組みが、大陸の反対側の端っこの州らでも進められている。また中西部の幾つかの市でも、環境対策に特別の配慮をする事にして、活発な活動を展開し効果を挙げているのがある。それに環境に配慮する世界の市長さんたちの連合には米人市長も数人名を連ねている筈であるから、そう言う程頭の悪い輩ばかりでは無い。

とは言え、一般市民レベルでも事を始めなければ、実際問題として例えばゴミやエネルギィ消費は減らないのだから、この日記をご覧の皆さんもさあ今日からひとつ腰を上げて、環境対策を始めて見ませんか。


尤もワタシは環境云々よりもまず自分の身の安全という、非常に自分本位な観念から、純石鹸やらお手製化粧水などの使用、それに添加物を出来るだけ取らないというような生活態度に切り替えたのだから、つまり自分の身体に害が少ない=環境にも負担が少ないという事を念頭に置いて、それぞれが出来るところから始めたら良いのである。





などと考えているうちに鶏が出来上がったので、味見の積りで食べ始めたら、これが貴方、止まらないじゃありませんか。

はぐはぐと辛い鶏に喰らい付いているうちに2.5パウンド(というのは大体1kg強)のうち半分ほどを喰い尽くす。流石にこれは拙いという事で、今日のところは鶏は此れにて終了とし、代わりにサラダを用意する。

実は昨日買って来た「バルサミック・ヴィネガー(aceto balsamico)」という伊太利亜はモデナ(の筈なのだが何故か「アルゼンチン産」と書いてある)の醸造酢が予想外に美味かったので、感動して夕食にサラダを二皿食べたくらいなのだが、それをまた今日も作る事にする。

トマトと小赤蕪を適当に切り、それにほうれん草をざっと掻き毟ったのを、このバルサミック酢と例によって先日購入して以来お気に入りのシチリアの海の塩とかき割ったばかりの黒胡椒でもって和える。

一寸置いておく。

なんだ、こんな事なら、ケチらずに大きいボトルで買ってくれば良かった。以前他人の家で食べた時に途轍もなく不味い酢だと思ったものだから、つい苦手意識があったが、あれは料理人の腕が悪かったのだろう。

そうに違いない。その証拠にワタシが作ったサラダは、この世の物とも思えぬ程に美味ではないか。

・・・・・・

そろそろ良いかな。喰ってみる。

旨い!



いや、そうは言っても、バルサミック酢にも色々と種類があるので、これはやはり自分の舌で試してみて、気に入るのを探し出さねばなるまい。オリーブオイルなどもそうだが、それぞれの舌と用途に合うものと合わぬものとがある。


旨い物探求の道は、果てしなく続く。



快食快便。


昨日翌日
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