せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年10月19日(水) まるで頭の中の霞が晴れないような

ここのところの鼻喉風邪は、殆ど気にならない程度に治まって来た。

こんなものは他人に移してしまえば即時解決とは分かっていたのだが、中々丁度良い相手に出くわさなかったので、結局ひとりでだらだらと抱え込んでしまった。

やはり水を沢山飲んで、オレンジジュースその他でビタミンCを欠かさず摂取し、更に普段余り食べない「ハードコア蛋白質」である動物性のやつをがつんと摂って抵抗力を付ける、というやり方が効果的だったようである。ワタシはベジタリアンには到底なれそうにない。



ところで、最近語学の授業が憂鬱である。

夏に読解中心の講座を受講していた頃は、週三日三時間ずつの拘束が辛かったけれども、しかし久し振りに学生になって授業に行くのはなにやら楽しかった。

この秋に取っている授業は会話が中心なのだが、実際余り身に付いていない気がする。

今回は週に一回三時間なのだが、翌週に授業に行く頃には前にやった事はとりあえずすっかり忘れているし、講師も教科書通りに進めないから準備もし難いし、そもそもその教科書自体も数週間経つまで手元に無かったから勉強のしようも無かったのだけれども、しかしそれで上手く喋れないと講師は怒るし、三時間経つ頃には段々萎縮して居たたまれなくなって来る。

時折、途中でもう帰ってやろうかと思う事もあるが、折角払った授業料が勿体無いので、元を取る為に兎に角座り続けろと自分に言い聞かせる。

水曜日は辛い日である。

半分くらいは、ワタシ自身の時間の使い方が悪い事に端を発する問題である。本来ならもっと予習や復習に時間を割いて万全の体制で授業に臨みたいところなのだが、それ以外の業務や雑事に思いの外時間を取られていて、実際勉強の時間が上手く取れないでいる。

やらねばならない作業はひとつひとつこなしているつもりなのだが、そこは恐らくこのあいだの「満月」プラス「月食」がワタシに余計な作業を幾つももたらしたと見え、未だその後処理に追われているような次第である。ここ数日は兎に角余計な仕事を増やさないように、ひたすら現状維持に努めている。

それに読解の授業で目で見て覚えた単語や文法の知識は、実践的には中々するりと出て来ない。発音もそもそも型通りで無いのが多いから、書いてくれたら知ってたというようなのは意外と多いのだが、何も無いところからいきなり自分で文章を作ってさあ言え、と言われても、会話の中で学んだ言語ではないので、ワタシには無理である。

しかしこの講師も問題である。

ここのところ二三週間続けて授業にやって来ない若者が居るのだが、彼とワタシが恐らくこのクラスの最たる「落ちこぼれ」なので、なんだか寂しい。きっと彼もワタシと同様に居たたまれない思いで居るのだろうと、ワタシは勝手に想像する。

それはさもあらん。何しろこのクラスは「初心者用」でこれまで全く習った事が無い人でも良い、という事になっているのに、この講師が要求しているのは普通の日常会話が滞りなく出来る程度の能力なのだから、それに思うようについていかれないワタシたちのような「本物の初心者」は、まるでお馬鹿さん扱いである。


何故この単語を知らないのだ。

この動詞の変化をもう忘れてしまったのか。

一体何を言いたいのだ。


何度も言葉に詰まりながら、というよりそもそもその言葉自体を知らないのだから何度考えたって出て来る筈も無いのだが、悔しくて涙が零れ落ちそうになる。


今日はこの人々の為にとってもとってもゆっくりと進めるから、他の皆さんは一寸辛抱してくれよ。

ほら、彼女が分かっていないから、皆でもう一度。


数ヶ月前まであんなに楽しかった語学学習が、どうして今ではこのような忌まわしい拷問になってしまったのだろうと、呪わしく歯を食いしばる。

ちなみにこういう時、歯列矯正中で噛み合わせが悪いと、「食いしばる」という行為は大変難しい。



その昔、ワタシが今住んでいる国の現地語を初めて習い始めた頃、当時語学学校で教えていたある講師が言った。

講師と言っても、彼は特別のトレーニングを受けたとか資格を持っているとかいう訳ではなくて、単にその言語を話す国で生まれ育った一般人に過ぎないのだが、しかし彼は外国人に教えるようになって、自らそれに必要な精神を身に付けたと見える。


自分が外国人に教える時には、この人は自分の言葉を上手に喋れないが、しかしだからと言って必ずしも「馬鹿者」ではないのだという事を、常に自分に言い聞かせなくてはならない。相手は立派な大人なのだから、その人なりの経験を持っている。それを表現する手段のひとつが偶々自分のそれと異なるというだけで、その人の尊厳を辱めるような事があってはならない。


だからワタシは、言語なんてものは只の「道具」に過ぎない、と以前から考えている。こんなものはコミュニケーションの「道具」であり、また何かを調べたり勉強したりする為の「道具」でしかない。そんなにご大層なものではハナから無いのである。

ひとつ外国語が出来るからといってそれを大げさに喧伝したり、またはそれ自体で生計を成すのは、ワタシに取ってはある種身を落とした行為である。その言語自体が出来るという事は外国で長らく過ごしていたら半ば当たり前の能力なのだから、そうでない人と比べた言語能力を誇示するのは馬鹿げている。その言語が出来るという事はもう「標準装備」として、ではそれを基にして他に何が出来るのか、他にはどういう能力を持っているのか、といった事で勝負していかねばならない。

だから、その割りに翻訳の仕事を食い扶持の足しにしなければならないでいる我が身の現状を、ワタシは多少恥じている。本業でもっと身を立てていかれるようにしなければと、ここ数年焦りながら道を模索している状態である。



そうこうぼやいているうち、トランジスター・ラジオが壊れた。

夜の外国語講座を聞くのに入用なのだが。

またしても余計な出費が嵩むのか。またひとつ機種や値段を調べたりして、検討しなければならない懸案事項がひとつ増えるのか。

しかも直ぐ要るのだから、先延ばしにさせてくれない事項である。


何だか物事が上手く行かない。色々な物事がワタシに楽をさせてくれない。多くを望んでいるつもりは決して無いのだが、しかし思ったように事が進まない。

まるで半月に掛かった霞のように、ぼんやりとした頭で考える。何かが上手く機能していないのだ。それは一体何だ。何なのだ。



2005年10月18日(火) 久し振りに秋晴れの清々しい一日なり

そういえばこのあいだ「どどいつの運命や如何に」などとふざけて占いごっこをしていたら、まんまとメルケル小母さんがどどいつ国の首相になってしまった。結果としてワタシの似非占いは曲りなりに正解という事になるのだが、しかし此処までなんとか収まるまで、どどいつは随分荒れ模様だったらしい。

この件についてはモモリーネさんちの日記に詳しいのでそちらを参照の事、という事にして。

それよりワタシが気になっているのは、今回のどどいつ選挙では国民の皆さんは幾ら現状が気に入らないとは言えども、蓋を開けてみたら左派勢力が随分と票を伸ばし、結局は「左向き」になったではないかという点である。

これはそれまでワタシがぶつぶつ唱えていた「世界的保守化の波」とは随分異なる結末である。流石どどいつの民、何処かの国の人々と違って骨がある。敢えて何処とは言わないが。

しかしその割りに、政権を執るのは保守、ってのは誠に解せない。

保守が暗躍すると途端に失業率が増えたり少数民族や外国人に対する風当たりが強くなったりするのが常だが、しかしそうは言っても例えば亜米利加なんかも内外からの圧力はそれなりにあって、そこへ持って来て大型台風などの自然災害までが圧力を掛けてくれたりなんかして、意外とあちらさんの思う壺にははまらない様にどうやら世の中出来ているようなので、どどいつの行方もそんなに心配する事は無いかも知れないとなんとなく思う。

多少希望的観測が含まれている事は否めないが。



今日はそういう訳で他人の遣り残した仕事を片付けに、予定外だがオフィスへ出掛けてPR関連の作業を片付けて来た。甚だ不愉快である。

当初の予定では、今日は一日掛けて翻訳の仕事の完成と、それから最近舞い込んで来た仕事の話をじっくり調査検討して履歴書その他の書類を揃えて提出する作業に費やすつもりだったのだが、まんまと予定がずれ込んでしまった。

一通り作業が済むまで相当の時間が掛かったのは手間だったが、しかし序でに頼まれていた別件の伝達・交渉などを進めておいたからその一件はワタシの手を離れたし、また合間に同僚らと業務上必要不可欠な交流という名のお喋りをしていざという時の為に絆を深めておいたので、結局一日の大半をオフィスで過ごす羽目になったと言えども、それはそれとて実りの多い一日であったとも言えよう。


ワタシに仕事を押し付けて呑気にヴァケーションに出掛けた例の不届きな同僚は、ワタシがそれでも数段階トーンダウンした「怒りのメール」を送って以来、返事を寄こさない。

あれくらいでビビられたら敵わないが、しかしビビるくらいなら初めから素っ頓狂な時期にヴァケーションなんか取るんじゃねえよとも思う。自業自得である。手前の仕事を遣り残して遊びに行くなんて、全く稀に見るプロ意識の欠如振りだとある意味関心する。


しかしそうして彼女が連絡を寄こさずとも、我々執行部の伝達・メール会議は相変わらず続行していて、彼女を除いた面子間で伝達が飛び交っている。それぞれやる手筈になっていた作業を着々とこなして逐一その状況を報告するので、彼女の居ぬ間に話はどんどん進んでいく。

今月か来月上旬に予定している小規模イベントが現在企画段階にあるのだが、意地悪なワタシはその誰にも言わずにひとりでこっそりヴァケーションを取って現在オフィスをすっかり蛻の殻にしている同僚にわざと水を向けては、連絡を請うてみる。「ヴァケーションから戻り次第この件に付いてご意見を賜りたいと思います」などと言ってみる。知らなかった人も今や、あら彼女は今頃ヴァケーション中なの?と知るところとなる訳である。

しかも「貴方に頼まれていた件は今日このように片付けておきました」と序でに伝達もしておいたから、あら仕事放ったらかしで遊びに行っちゃったの?という旨も暴露した結果になる。意地悪だなあ、ワタシ。

それから、彼女にも必要な機材その他へのフル・アクセスが可能なように近々手配を済ませておくから、彼女が再び総指揮を取る予定の来月のイベント時の準備が滞る事は無かろう、などと付け加えておく。あら今回は何か問題でもあったの?とほのめかした状態だが、これは、今回は多めに見てやるけど、来月は面倒見ないから自分でやってね、の意である。



しかしこの辺でもう意地悪は止しておこうと思う。こんなところで充分である。

ワタシとしては彼女の性格やら職業上のモラルやらを変えたいと思っている訳では無いので、それならそれで結構なのである。

何しろ元々ワタシたちは全く異なる価値観を持つ個人たちなのだから、仮にワタシだったらこれだけ仕事が詰まっている時期にヴァケーションを取ろうとは十中八九思わないけれど、彼女は敢えて取るというのなら、それは彼女の勝手である。

ただ、ひとたびワタシに災いが降り掛かって来る場合には黙っていないぞ、という事が伝われば、それでワタシの目的は達成される。分かったら行って良し。



という訳でまた遅くに帰宅して、それでもまだ翻訳の推敲作業が終わっていないので手間の掛かる料理は断念して、冷凍のトルテリィニを茹で、オリーブオイルとバジルにパルミジャーノ・チーズをどばと掛けて食べる。

このトルテリィニは「冷凍モノ」とは言え、ご近所の伊太利亜の民が本場伊太利亜から直輸入して、それをまた近所のスーパーマーケットに下ろしている、という代物なので、少なくとも尤もらしい味がする。添加物は入っていない事になっているから、その質素な包装と共に、ワタシは好感を持ってこれを時折購入する。


明日は一日語学の勉強に費やして、授業の後ゆっくり美味い物を作って食べ、それから再び翻訳作業再開としよう。これは出来るだけ明日の晩のうちに終わらせて、さっさと納入してしまおう。

実は先日終わったと思った税金処理の件で、今度は銀行さんがいちゃもんを付けて来たのだが、その件に付いても今は考えずに、週末にゆっくり検討する事にしよう。

それからこのあいだ買おうと一旦決めた後即座に注文を取り消した筈のMP3が、どういう手違いだか今日ワタシの手元に届いているのだが、この件に付いても苦情のメールを送って様子を見る事にしよう。向こうさんの手違いなのに、これを返品する際にワタシが郵送料を取られるのは癪に触るのだから、是非ともあちらさんに出して貰わねばならない。


一つひとつ着実に作業を終わらせている筈なのに、どういう訳だかまた更に問題が増えているのは、一体どうした事だろう。


「三歩進んで二歩下がる。」


正にチーターさまの仰せの通り。



2005年10月17日(月) 「蟹座のがみがみガール」による迷惑再び

風邪がまだ治りきらないのと、溜まった作業がまだ終わらないので、少々ペースを緩めてこの一週間を乗り切ってみようと決める。


と思った矢先に、同僚が余計な仕事を寄こして来た。

例の某団体の「月例講演会」が今週末に予定されているのだが、今回はワタシでなくその同僚が総監督とその他雑務を主に担当する事になっている。だからワタシは今月は一寸ゆっくり出来ると思って、その月例イベントとは別の小イベントの企画に時間を当てる心積もりであった。

ところがこの週末、その同僚がメールを寄こした。週明けにイベントのPR関係の手配を済ませてしまわねばならないのだが、それが出来ないので代わりにやってくれ、と言うのである。

この団体の議事執行総責任を持つワタシの立場上勿論嫌だとは言えないのだが、ワタシの神経を最も逆撫でしたのは、その言い訳である。

「今他所の国に来ているから、出来ない。」

それがヴァケーションなのか仕事絡みの国際会議なのか、ワタシには計り知れないので、怒りを抑えて先ずそれを確認すべくメールを送る。すると返事には、両親が日本から訪ねて来たので、金曜から翌火曜までの予定でこちらで一緒に滞在する、とある。つまり明らかに「ヴァケーション」である。しかも、もしワタシが忙しくて出来なければ他の人に頼むから気にするな、などと結んでいる。


そういう問題じゃねえだろう。


ワタシはぶち切れながらメールの返事を書き始めたのだが、しかし今時分は「満月」であり、しかも部分「月食」という特に災いの多い時でもあるという事実を思い出したので、一通り怒りをぶちまけた辛らつなメールを「草稿」扱いにして、更に二度程書き直して数段階トーンを和らげた内容で返事を送る。



何故そんなに怒っているのか、という点に付いて、以下に説明を加える。

今月と来月の「月例講演会」を彼女が担当する旨については、既に夏の間に話し合って取り決めた内容なので、急に入って来た「号外ニュース」では有り得ない。尤も、ワタシが企画執行に関わる以前は彼女がひとりで手掛けていたのだから、本来なら今月と来月のみならず毎月分が彼女の担当だった訳であり、つまりこれはある程度予想された状況である。

更に、この休暇を取るには随分不自然な時期に、外国人がパスポート携帯を有する更なる国外へ出掛けるのだから、それも急に決まった話ではあるまい。特にニホンジンがまとまった休暇を取るというのは只事では無い筈だから、当然彼女の日本のご両親も数ヶ月前から今回の休暇に付いて計画を立てていたに違いない。

それを何故土壇場になってワタシに言うのだ。何故もっと早くこの事を言わないのだ。

しかも、彼女は本業絡みの別件で、ひとつ大きな会議の世話役をする事になっており、運の悪い事にその会議も今週に予定されている。つまり、彼女はふたつのイベントの為に今週は大変忙しい身の上であり、様々な事態に対応する為に特に此処一週間は常に連絡が取れるような状態にあらねばならない筈なのである。

そこへ持って来て今回のこの「国外旅行」は、ワタシには愚の骨頂としか思えないのだが、しかしそれは個人的な事なので、とやかく言うのは止す。

しかし本来なら、旅に出る前に一通り必要な仕事は片付けてから行くのが筋であろう。しかも自分は遊びに行くから、その間手前のやり残した仕事を、というかこのPRの件に関しては全く手付かずのままで行きやがったのだが、それを他人に押し付けて、後はやっておいてね、では済まされない。それもいきなり事後承諾状態で、「既に外国に来てしまっているから仕事は出来ない」と言うのは、言い訳にならないではないか。

ワタシは以前からこの会議とかち合っているという旨については聞き及んでいたので、ワタシに出来る事があれば手を貸すから遠慮なく言ってくれと申し出た。しかし彼女は、それは有り難いが自分でやるから結構、と言い放ったので、あらそう、ではお任せするけれど、大変だったら無理せず言ってね、と一応声を掛けておいたのである。

しかしそれきり話が来ないので、差し出がましい真似はすまいと放っておいて、ワタシもワタシで自分の用事を入れて慌しく日々を過ごしていた訳だが、それが此処へ来て自分の予定をやり繰りして彼女の分担分をやらねばならない羽目になってしまったのだから、頭にも来る。

それはワタシに対して、随分失礼ではないか。ワタシの時間は貴方の時間より価値が無いとでも思っているのか。突然変更を告げられて、逐一対応出来る程ワタシが暇だとでも思っているのか。既に国外に居て物理的に仕事が出来ないという人間を相手に、ワタシは立場上嫌とは言えないのだから、それは余りにアンフェアではないか。しかも彼女がミスれば、団体の責任者であるワタシが最終的に責めを負う訳であり、それを考えれば尚更ワタシは嫌とは言えないばかりでなく、彼女のミスすらもカバーしなければ自分の名誉にも傷が付くのである。


ぶ・ち・ぎ・れ。



まぁ尤もこれが、自分の都合や利害関係しか頭に無い例の
「蟹座のがみがみガール」の仕業なのだから、あらかた予測が付く事態ではある。



そういう訳でワタシは相当ぶち切れながら、他人の仕事である筈のPR関係の書類作成をし、それをボスに送って判断を仰ぐ。どこかでボスに「種明かし」をしてしまおうと思うのだが、こういう事はタイミング良くやらないと却って墓穴を掘るからと、今のところは様子を伺っている次第である。

以前のワタシだったら、こういう事は黙ってひとりで引っ被って済ませていたところだが、そういう堅気な性格が災いして馬鹿を見るという事態が相次いで以来、ワタシももう少し自分の身を可愛がって上手く立ち回らねばと思うようになったのである。

しかももっと暇な時に余計な仕事が入って来る分には構わないのだが、今回は本業関連の作業もさることながらワタシの翻訳の仕事も結局まだ済んでいないし、語学の授業の「宿題」もまだ手を付けていないし、また小規模イベントの企画も着々と進行中で手数が掛かって居るところでもあるので、この「つけ」は何処かできっちり払って貰わねばならないだろう。



気を取り直して、本日は純日本風な夕飯にする。

このあいだ買っておいたもやしを味噌汁の具にして、それからシチュー用のブタ肩肉を茄子とオクラともろこしと葱で煮て、玄米とむぎむぎを混ぜた白米で食べる。

仕上げにオレンジジュースを飲んで、ビタミンC補給も怠らない。後一寸で風邪が治りそうなのに、惜しいところである。


明日こそは翻訳の仕事を納入せねば。


2005年10月14日(金) 光陰矢の如し

瞬く間に一週間が再び過ぎてしまった。


日記に書いておきたい事は、それなりに色々と起こっている。


例えばこのところ語学の授業で担当講師の授業の進め方について頭に来ているので、ついぞ出した事の無い「宿題」である日記若しくはエッセイなるものを書いて、序でにそこに文句を絡めて提出してやろうと思っている事。

このところ寒くて寒くて、先日まんまと風邪を引いた事。

語学学習絡みで、いよいよあの忌まわしい「ポッド」を買わねばならなくなりそうだが、如何せん「マック」が嫌いなので気が進まない事。

腐れ縁・悪霊男が、クリエイティブ系でも無い癖に数年前から何故かマックユーザーに成り下がり、今では「パワーブック・ユーザー」であるのも気に入らない事。

奴は相変わらずワタシを見つけては、それこそ飼い主を見つけた仔犬のように尻尾をふりふり寄って来て、まるでワタシに「恋」でもしているかのような紛らわしい態度なのも気に入らない事。

しかも手前の用事が済んでも中々立ち去らないで、ワタシと話をしたそうにそこいらをうろついたりしているのも紛らわしい事。

税金処理が漸く終わったと思ったら、その他の懸案事項が沢山待っていて、少々埋もれ気味な今日この頃な事。

このあいだ安売りで買い溜めしたパスタは、なんと「太いスパゲッティ」という名称で、茹でるとまるで懐かしの「ソフト麺」のような不味さで感慨深い事。

しかし結局ポッド・ユーザーになるのは止して、もっと小さくて軽くて可愛らしいMP3プレイヤーなるものを購入する事に決めた事。

こいつは更なる付属品無しでもFMラジオが聞ける上、ヴォイスレコーダー機能も付いているとかで、ワタシの現状に大変都合が良い事。

というのも、語学学習の為に最近朝晩やっている外国語ラジオ番組を聴き始めたので、出来ればそれを録音して電車の中でも聞けたら良いのにと思っていた矢先だった事。

その上、語学の授業を録音して帰りの電車の中で聞くのも良いと思ったので、実はこの間デジタル・ヴォイスレコーダーというのを購入した事。

しかしこんな事なら、先にこのMP3プレイヤーを買っておけば良かったと実はちょっぴり後悔し始めている事。

更に明かせば、うちはダイヤルアップ回線なのでMP3の為に楽曲をオンライン購入する事は当分無いだろうと思って、先日なんと外国語の「CD」を二三枚購入し、今時クラシックな「CDウォークマン」でもって、人目も気にせず電車の中で聞いている事。

でも一寸人目が痛い事。

ところで同僚のうちの既婚者である筈のある女性と未婚者である某男性が妙に親しいのは一寸不気味だと実は前々から思っている事。

ひょっとしてダンナとよりやつと一緒の時間の方が長いって、どうなの?と実は言ってやりたい事。

そうこう言っているうち、手持ちのCDをデジタル化してラップトップのハードドライブ内に収め始めたら、例のMP3プレイヤーの「1ギガバイト」という許容量は軽く越えてしまう事が明らかになったので、慌ててオーダーをキャンセルした事。

やはり「ポッド」でないと駄目か。駄目なのか。

悔しいが、「30ギガバイト」はでかいと流石に思う事。

観念して「ポッド」を購入する事に決めた事。

明日は普段行かない区域に住む友人の「寒くなり過ぎないうちにもう一回だけパティオでバーベキュー・パーティー!」に呼ばれているので、一寸楽しみにしている事。

しかしその前に、例によってヴォランティア活動でエイズ患者の皆さんとの映画鑑賞会のお世話をする事になっているので、辿り着く頃には喰い物は出尽くして居るだろうと思うと一寸残念な事。

でも「30ギガバイト」って、このラップトップのハードドライブと同じ容量だよなあ。

そう考えると、あんな小さな箱に同じ容量のメモリーが入っているという文明的事実に一寸慄く事。

久し振りに聞くビリー・ホリディは、なんとものどかな美声だと思う事。

音楽のある暮らしって悪くないかも、と今更ながら思う事。

ところで明日も雨降りらしいが、それでもバーベキューはやるのかしらん。

そういう出掛ける用事の合間を縫って、翻訳の仕事を今週末中に仕上げなければ大変不味いという事。

本来は仕事を優先すべきだと今更ふと思う事。

ところで本業中の本業の進み具合はどうなっているのだ、と突如蒼くなる事。

何をするのでも金が掛かるのだと今更ながら思う事。

新しい矯正器具が思いの外きついので、これまでに増して歯が痛くて物が食べ難い事。

それでも明日はバターポップコーンをたらふく喰うぞと硬く心に決めた事。




などを書きたかった訳だが、中々時間が取れないで居たので、来週にはもう少し時間の使い様を検討してみる事にする。


2005年10月08日(土) 「ロリータ」と長崎とケイティ

実はこの間、例の「腐れ縁」または「悪霊」男と呼んでいる馬鹿たれがメールを寄こした。

その中で、先日の同僚のパーティーに自分は行かれそうにないので、また別の機会に是非近況など知らせ合いたい、という旨を述べていたのだが、その話の後に続けてナボコフの「ロリータ」についての関連記事を貼り付けつつ引用などして、つまり一寸意味深な事を述べていた。そしてその後更に、「ではまた次の機会に?」ときたので、ワタシはてっきり性的な意味での「次の逢瀬」という意味で誘っているのかと憤慨し、馬鹿も休み休み言え、何時になったら大人になる気でいるのか、とパーティーから帰宅直後のほろ酔い頭でそう返事を出した。

それについては奴は例によって逃げ口上でもって翌朝返事を寄こしたのだが、生憎ワタシは今回の件について自分の主張に大変自信があったので、ふざけるな、もしあれが誘っているので無いと言い訳をするのなら、アンタの文章の書き方に問題がある、このような「誘い(俗に「ブーティー・コール」と言う)」には一切乗らないからそのつもりで、ひとりでワタシの夢でも見ながら「しこしこ」してなさい、大体これからはましな友人になるとか抜かしておいて、実際碌に連絡も寄こさないじゃないか、いい年してこの嘘つきの無責任野郎、舐めんなよ!

と思う存分書いたら、意外と素直に謝って来た。

まあそう言われたら確かにそういう書き方をしていたのだし、また実際連絡を寄こさないのは事実だから、これは「お前が連絡を寄こす時はいつでもブーティー・コールかよ」と疑われても致し方無いと思ったのだろう。

それで昨日の会合で出くわした折も、ちらちらと此方を眺めてはなんとかしてワタシと話をしたがっているような様子だったのだが、ワタシも取り立てて会話をする気が無かったので、結局お互い口を利かぬままで終わってしまった。


何故またあんな馬鹿の話をしているのかと言うと、実は奴が「ロリータ」の話をワタシに書いている丁度その頃、ワタシはロシア系呑み屋にて「ロリータ」という名前のカクテルを、その試験に受かったばかりの同僚に一杯奢りながら自分でも呑んでいたのであった、という事を今ふと思い出したからである。

奇妙な偶然。

こういう事があるとつい「運命の人」だとか「ソウル・メイト」とかいうものなのではないかしら、などと心を許しそうになってしまうのだが、実際こいつとはこうしたまるで以心伝心的な出来事が大変多い。

ついまた落ちないようにしなければと思う。



このあいだ語学の授業で一緒の女学生が、別のクラスメイトが持っていた外国語音楽のCDをコピーしてくれたのだが、ひょっとすると上手くコピー出来ていないかも知れない、と言った通り本当に取れていなかった事が判明して、いよいよ楽しみにそれを聞こうと持参した電車の中でひとり絶句する。

大変がっかりしたので、夜にはしっかりとラジオの外国語放送をたっぷり二時間聞く。じゃぽんの長崎で何か起こった模様ながらも、会話初心者のワタシには何の事やら見当も付かない。

後に新聞で探したら、どうやら「長崎くんち」の話題だった模様。

外国にて更なる外国語で聞く長崎の話題は、何やら不可思議。


そういえば、トム・クルーズの婚約者のケイト・ホルムズちゃんが妊娠したそうである。あいつ、子種は無い筈だったのに。おかしいなあ。

それにしても、婚約してるからってもうやりたい放題っていうのも、なんだかトムくんらしい。

さあこれでケイトちゃんが産後鬱病にでもなったら、果たしてトムくんはPaxilなんか飲まないで、ビタミン剤とエクササイズで直るから大丈夫とか言って本当に直せるかどうか、見物である。頑張れケイティ。

辛くなったらいつでも下界に戻っておいでね。ブルック・シールズもニュージャージー州の州知事夫人も、多分貴方の味方だから大丈夫。それにまだ若いから、多分やり直しも利くし。若いって良いよね。ワタシも結構若いつもりではいるんだけど、如何せん二十代の「若い」とは諸々違うから。あの頃は良かったなあ。


あ。

雨が止んだ。


2005年10月07日(金) 日食がワタシの取り分をちゃんと返してくれるつもりらしい

雨がざばざばと降る、秋の夜長。

今日はどんよりと気圧が低くて、何だか地べたに引きずり込まれそうな気がする重々しい一日だったが、夜になって漸くその低気圧が正体を現したのは、ある意味すっきりして良い。

何だ、降るのか降らないのかはっきりしろ、と文句を言っておいて正解であった。



ところで折角慌しいイベントが終わったというのに、気付いたらそれからまた数日日記を書きそびれてしまった。一体何をしていたのだろう、ワタシときたら。

「日食」だったのですよ、この間の月曜は。

などと先ず言い訳をしてみる。

「日食」とか「月食」というのは、普通の新月や満月に何倍ものパワーを加えるので、色々と摩訶不思議な事が起こりがちである。きっとその所為であろう。



という訳で、言い訳を探しに今週のワタシを振り返ってみる。

月曜は先週末のイベント事後処理関係で、主に金関係の書類作成や送付、それに早くも今後のイベントの為の連絡などに追われた。

火曜は、ここのところあんまり疲れが溜まっていた所為か、つい家で沈没する。

水曜は語学の授業に行くまでのあいだ、彼是と税金の事で調べ物をして、それから授業の後は友人の大きな試験合格祝いと誕生日会を兼ねたパーティーに出掛ける。

しかしパーティーの途中で帰る人々が続出し、後に残された数人のワタシたちは桁違いの勘定書きを手に、思わず顔を見合わせる。

それは日本円に換算して一万円ほども勘定が足りないのである。金を置いて行かなかった奴が何人か居るに違いない。

日本で一万円なんて、一晩呑みに出掛けたら直にすっ飛んでしまうような、大した金額ではないのかも知れないが、この国で「一万円分呑む」というのはえらい事である。この街は確かに物価は高いけれども、こと庶民の口に入るものに関しては、東京と比べたらまあ三分の一くらいで考えたら良いだろうか。

流石にニホンジンの皆さんも飲み屋で「三万円分勘定が足りない」と言われたら、一寸腰が砕けるでしょう。そんな感じです。


尤も、この店はどう贔屓目に見ても「庶民の口に入る」程度の店では無くて、マティーニなんかが一々高く付いて、品書きを見ながらワタシは眉を吊り上げたくらいなのだが。


そういう訳ですっかり腰の砕けたワタシたちは、それぞれに手持ちの現金を出し合うのだが、そのうちそれらを全てかき集めたところで結局足りない、という哀しい現実に気付く。

そのうちある比較的裕福な同僚がクレジットカードで支払うと言い出したので、ワタシなどは(嗚呼これで今週喰いっぱぐれずに済む!)と密かに安心して、兎も角先に帰った連中から後日必要な金額をなんとしても集めるという事で了承した。

日食的な「びっくり事項」としては、恐らくこれが最も適していると思う。

ワタシは遅れて行ったので知らなかったのだが、後で聞いたら酒以外に「つまみ」としてムール貝だの英国風芋の揚げたのだのロシア風サラダ(キャビアが入っていなかった事を祈る)だのを頼んでいたそうで、そんな物を喰っておきながら「つまみ代」をすっかり忘れて酒代だけしか置いて行かなかったのではないか、という話には流石に一寸呆れた。

木曜にはまたしても税金の話で彼是と調べ物に追われて、ヨガレッスンを逃してしまった。


先程から繰り返しているこの税金の話というのは、確かこのあいだも何時だったか税金屋が払いが足りないから罰金を払えと言って手紙を寄こしたという話を書いたと思うのだが、それを去年同様に拒否したら今年は更に手紙を送って来て、貴方の言い分は罰金を免除するに足りないからとっとと払いやがれと言って来たのである。

お陰でこのクソ忙しいのに古い書類を引っ張り出して来て読み直したり、それで埒が開かないから新たに情報を探して読み漁ったりなどして、ワタシは俄かに大忙しである。


以前働いていた部署のボスに、「こんな事言われたんですけどどうしましょう」と泣きを入れてみる。

その「罰金」の額は大した事は無いのだが、これがこの調子で毎年来ると面倒である。此処でしっかり理解しておかねば、またはしっかり反論しておかねば、来年も再来年もまたこんな手間の掛かる「不幸の手紙」を送り付けて来るに違いない。

するとその旧ボスは、驚くべき新事実を知らせてくれる。

何という事だろう。ワタシの手落ちで知らなかっただけなのだが、話を総合するとどうやらこれまで律儀に払い詰めて来た税金の一部が実は不必要な支払いであり、手続きを取ればそれがそっくり帰って来るかも知れないというのである。そしてその手続きによってこの「罰金」についても対象外になるので、この「とっとと払いやがれ」の期限(ちなみにそれは昨日だったのだが)を気にする必要は無くなるのである。

それを聞くや否や、ワタシはすぐさま電卓を手にすると、早速これまで多く払った分の計算に掛かる。遡って要求出来るのは一般には過去三年分までらしいが、それだけでも随分な金額になる。これまで散々な思いをしながら倹しく暮らして来たワタシに、漸く神は見返りをくれる気になったらしい。今更だが、しかし無いよりは断然ましである。

まあ平たく言うと、時期外れの「確定申告その二」をやろうという話。これはこれで手間である。



という訳で、ワタシは今日も引き続き「税金対策」に付いてのお勉強に勤しむ。

会合が二三あったので仕方無く外出したが、そこでワインを少しとチーズやクラッカーなどの簡単なパーティー食を頂いて、新しい同僚らと歓談し、某「腐れ縁」または「悪霊」男とワタシがここのところ呼んでいる馬鹿たれ不届き者がワタシと話をしたそうにちらちらと此方を眺めているのを視界に数秒収めた後、オフィスで少し作業をしてから帰宅して、また税金のお勉強である。


ふむ。成る程。どうしてこれまで誰もこんな事教えてくれなかったのだろう。「からくり」が分かると、何やら簡単な話である。これまで長らくすっかり騙されていたのは、どうした事だろう。


嗚呼そうか、これもまた、「日食効果」なのだ。これまで知らなかった事を、ある日突然「ほらよ」と投げて寄こす。目をぱちくりさせているワタシの事などお構い無しで、日食は対応を迫る。

これが日食だから未だ良いようなものの、もう十日もしたらやって来る「月食」には、感情的な所謂「ドラマ」が付随してやって来るから、始末が悪い。

その辺りの占星術的「からくり」を知っているワタシなどは、出来るだけそういう「ドラマ」に巻き込まれないように、そろりそろりとその「月食」周辺時期をやり過ごす事にしているのだが、今月の月食は牡羊座の満月なので、例の馬鹿たれ不届き者が目一杯絡んで来そうで、今から警戒注意報発令中である。


と合点が行ったところで、さあ最終的にワタシは幾らくらい返して貰えるのだろうかという点に付いて、再び検討作業に取り掛かるとする。



2005年10月03日(月) もう寝るよ

結局休日にも働いているワタシ。


仕事が好きだからとかいう訳では無くても、何だかんだ言いつつ休日にも仕事しちゃってる、という人は、実は多いのじゃないかと思う。

業種によっては、オフとオンの切れ目がはっきりしないものもある。

それに例えば音楽家だとか絵描きだとか研究者だとかのように、いつも練習し続けなければならないようなもの、いつも創作し続けなければならないようなもの、いつも勉強し続けなければならないようなもの、というのもある。

「終わりが無い」というのは、中々辛い。

気が付くと、結局いつも作業している。



このところのワタシは、休日という休日は日曜だけという事が多いのだが、その日曜でさえボスがわりかし伝達に対応してくれちゃってるので、仕方無くこちらもそれにお答えして話を進める事になる。

そこにコンピューターと回線がある限り、ワタシの作業は止まらない。

伝達の「時差」の間だけ、ワタシは自分の本来業務や内職に精を出す。

更にその合間に、ワタシは自分の生活維持の為に必要な、電気代を払ったりだとか国勢調査の用紙に書き込んだりだとかの家事関連雑務をする。

そうしてもうそろそろ、明日辺りには、いよいよ「大洗濯大会」開催予定である。

(そろそろパンツが無いからである。)



そうこう言っているうちに「時差」が終了して、同僚から確認伝達が舞い込んで来る。それに対応して、書類作成に取り掛かる。

日曜の深夜にまで働く同僚と、それに答えるワタシ。


ワタシたち、働き過ぎ。



これを送り付けたところで、ワタシは寝てしまう事にする。

まにやーな、まにやーな。



2005年10月02日(日) 自らの働き振りにお疲れ様と言う日

日記とも一週間振りのご無沙汰。

去る金曜日に大きなイベントがあった関係で、このところてんやわんやの大騒ぎであった。


以前から日記でもぼちぼちまだらに書いていたのだが、ワタシは今回のイベントの「総監督者」であった。

と言っても人手不足という事情から、各方面への伝達・連絡・手配作業から広報、また実際に仕出し物(飲み物や食べ物)を引き取りに同僚と走り回ったり、会場の設営の指揮を取ったりなど、多岐に渡る細々した作業に従事していたので、ここ数日間はその準備で特に神経を費やした。

それでも前日にヨガレッスンに行った自分を褒めてやりたい。

「洗濯」に行くか「ヨガ」に行くか、という選択のうちヨガを取ったのは、それだけストレスフルな日々だった所為もある。パンツさえあれば、洗濯物は暫く待たしておける。

一部筋肉痛が残るにも関わらず精一杯勤め上げ、漸くそれが終わったら同僚らも大成功であると褒め称えてくれたりしたので、ワタシはついうっかり「打ち上げ」でワインを呑み過ぎてしまって、翌日のヴォランティア活動には頭痛を堪えながら出掛けたのは、ご愛嬌というものである。


いや、何しろ終わって本当に良かった。

二時間の「講演」プラス「質疑応答」プラス「飲み食いしながらご歓談」という予定だったのだが、「講演」と「質疑応答」だけでたっぷり二時間を越えてしまった。

一応司会者として途中で止めようとしたのだが、この講演者が中々気前の良い人で、質問のある限りずっとそれに答え続けてくれるから、折角だからそれじゃ、とワタシも出尽くすまでやって貰う事にして、それで結局予定時間を越えてしまったのである。ワタシの所為じゃありません。


つーか、小父さん、予定の時間を過ぎても現れないから、ワタシ実は気が気じゃありませんでした。

しかも、講演会の音声録音をする事になっていて、その担当部署から機材を運んで来る小父さんもぎりぎり五分前とかに来やがるから、それもワタシ気が気じゃありませんでした。

なんなの、皆?ワタシを困らせようとしてるわけ?


そこへ持って来て、本来業務的同僚のひとりが早めに来て手伝ってくれる手筈だったのに、こいつもまたぎりぎりに来やがって、しかも既に来て手伝ってくれている同僚らとは顔見知りで無いからと混ざらず、専らワタシのところに話し掛けて来るので、忙しい最中に面倒であった。

そのうち藪から棒に、ある同僚の電話番号を知っているか、と聞いて来て、知ってるけど何故?と聞いたら、先程彼を見掛けたから今誘えば講演会に来るだろうから電話してみろ、と盛んに言うので、悪いけど今のワタシにはそんな事に構っている暇は無い、と半ばぶち切れ気味に言って人前で蹴散らす羽目になってしまったのは、残念である。

しかし「公の顔」で慌しく働いているワタシにいきなり「個人的な事」を頼まれても、全く間が悪いとしか言い様が無い。

彼方此方目を配りながら指示を与えているワタシを捕まえて、いきなり「ねえ誰某に電話しなよ」とは、何を言い出すのだ。ワタシの携帯電話は今、未だ到着しない大事な講演者からの電話待ちで、そんな下らない事で回線を塞ぐ訳には行かないのである。

しかもその誘えと勧められた同僚は、この講演会の内容には全く関心が無さそうなので、確かに来場者が多いに越した事は無いが、だからと言って無関心な奴をひとり誘ったところで、お互い迷惑なだけである。

結局その間の悪い同僚は、講演が終わったら歓談もせずさっさと帰ってしまったようなので、気を悪くしたのかも知れない。こんな事で「アフターケア」の心配までしなくてはならないのは全く面倒極まり無いが、恐らくワタシの事だからすっかり放置して、自然の成り行きに任せる事にするだろう。皆大人なんだから。



兎も角、多少苛々するような場面もあったものの、全体としては上手い具合に運んで、大変良かった。


後に協力者の名前などを挙げて全体に報告する予定で居るのだが、それによって人々がこうした言わば「勝ち組」というか「成功を収めたチーム」に自分も加わって、自分も成功者の一員になりたい、というような考えを起してくれたら好都合である。

普通は誰でも「負けが見えているチーム」よりは「成功を収めたチーム・今後も勝ちそうなチーム」に加わりたいと思っている筈である。

これまでのこの団体の執行部は、言わば「負け組」であった。リーダーシップを取る人間がひとりで全てをお膳立てして、殆ど「タダ働き」で馬車馬の如く働かされて、それでも誰も手伝わないし感謝もしない、というような状況であった。そんなチームに、誰が加わりたいと思うだろうか。

ワタシはそれではこの団体の企画執行は成立しないのだから、人々の協力を促し、何とかして「こちら側」に組み込まなければならないと主張して、「参加型執行」の体制を作り始めたのである。

それはつまり、連絡を密にして、こちらの訴えに反応を示してくれる人々には一々感謝を表明し、彼らの配慮は確実に感謝されているという事を知らしめるように心掛けたのである。その結果、彼らは更にこちらの要望に答えようと尽力してくれた訳である。

今回それが上手い具合に機能したので、ワタシはこの機会を有効利用して更なる「参加型体制」を整えようという算段である。より多くの人間を「仲間」にしてしまえば、少数の人間が雑務を含めた諸々の作業を全てやらずとも、大人数で手分けしてやった方が早いし、また一人一人の負担も少なくて済む。チームワークの良さはその効率性にある。

そうしてそろりそろりとこの執行部から足を洗って、ワタシは漸く自らのあるべき別の道を歩み進んで行こう、という目論みである。元々「負け組」であるものを、「勝ち組」または「参加するに値する魅力的なもの」のように見せ掛ける事で、ワタシが足を洗い易くする、という意味もある。



そうして気が付いたら、図書館から借り出していた本来業務の為の調べ物用の本が期限を過ぎているからとっとと返しやがれ、という連絡が入っていた。

嗚呼そうだ、すっかり忘れていた。しかも本来業務に加えて、翻訳の仕事も直ぐ仕上げなければならない事になっていた。



ワタシの場合はそういう訳で仕事関係だが、読者の皆さんの暮らしの中でも特に此処数ヶ月何だか知らんが妙に立て込んで来たなというような分野があったら、それは来年二月まで続くので、お楽しみに。


昨日翌日
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