せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年09月06日(火) カトリナ関連つづき

先日来書いている「大型台風カトリナ」の話のつづきである。


ワタシはその顛末をすっかり忘れていたのだが、FEMAがホームランド・セキュリティ(HS)に組み込まれる際、テロ対策が主と見られるHSと緊急・自然災害対策が主のFEMAでは相当異なる性質を持っているので、FEMAが業務に差し支えるから統合は不本意なりと言って問題になったのだった。

更にブッシュ大統領が新たに任命したFEMA長官(はブッシュの親しいお友達だそうである)は見る見るFEMAの機能低下を進め、それが結局今回のような腕の見せ所というか最も力を発揮して貰わねばならない事態に際して不完全燃焼を起こす要因になったらしい。

というような事がニューヨーク・タイムズ紙のクルグマンさんという人のコラムに書いてあるので、英語が読める読者の皆さんはどうぞ。

それからもひとつ、同じくニューヨーク・タイムズ紙のクリストフさんという人のコラムによると、クリントン政権時に大きく減った筈の亜米利加の貧困層はブッシュ政権時になって大幅に増えているそうである。2004年時の記録では前年と比べて1,100,000人増え、全亜米利加人口の17パーセントに上るそうである。また都市部の乳児死亡率は中国の二倍以上(2002年にワシントンD.C.で1,000人あたり11.5パーセント、北京では4.6パーセント)だそうな。


予断だが、もし将来ワタシが上手い具合にいいオトコを見つけてコドモを産むような展開になったらば、亜米利加のような出産後三日で退院させられちまうような国で産むのは嫌だなあ、と密かに思っている。亜米利加が長年「先進国中最も新生児死亡率の高い国」なのは、高額な医療費問題と妊婦・稚児の産後の扱いが悪いという事実の複合によるものと思われる。と確かWHOかなんかも言っていた筈である。

それからD.C.は首都だけど、全米でも特に治安が悪い街としてその名を轟かせているので、旅行にお出掛けの際は十分お気をつけて。


兎に角、亜米利加都市部での貧富の差は大変広がっており、その底辺の人々は所謂「発展途上国」と呼ばれている国々と大差無いか寧ろ劣る程の生活振りを強いられている、というのが「世界で最も裕福な国」亜米利加の実態、という話である。


ところで一寸興味をそそられたのは、このクリストフさんは神戸の震災のリポートに行ったそうなのだけれども、その際略奪などが殆ど見られなかった事を例に挙げている点である。

つまり、日本という国は異分子もひとつに取りまとめる・同化する努力をして来たのに比べ(それが良いか悪いかはワタシには何とも言えないが)、亜米利加は引き離す・分離したままにしておくというやり方で文化形成をして来たのである、というような事を言っている(大雑把な訳ですいません)。その文化形成様式はブッシュ政権の「金持ち優遇政策」で更に拍車が掛かり、そして資本主義経済原則とも密接に絡み合って、持てる者はより沢山持つけれど、持てない者は全然持てない、予防注射も打てなけりゃ健康保険も無い、落ちこぼれたらこぼれっ放し、というような結果になる。

(まぁそんな事を言ったら、ワタシも健康保険には入っていないのだけれども。) (=貧困層)

だから今回のカトリナ被災で逃げ遅れた人々の中には、例えば所持金$80とか、家族の預貯金かき集めてやっと$200とかいうような、「そんな急に逃げろって言われても対応出来ないんだよ〜」な人々が沢山いた訳である。




ワタシは以前に、世界中何処へ行っても、文化・宗教的共通観念を持つ人々はお互い同じような倫理観に基づいて共同体を形成しているので、それを共有していない「余所者」が進入してくるという事は、その共同体の存続にとって大変な脅威である、というような事を書いた。

日本という「共同体」はある意味(それが必ずしも良いかどうかはワタシには分からないが)あるひとつの倫理観または「常識」という観念を住民(共同体構成員)が理解しそれに基づいて行動するもの、という「暗黙の了解」の下に生活が成り立っているので、それから外れると「村八分」その他の懲罰が与えられるシステムになっている。(プラス「恥の文化」というやつも、治安維持にそれなりに貢献して来たと思われる。) (全ては比較の問題だが。)

それに比べて多民族国家である亜米利加という「共同体」はそういう一本化された倫理感とか「常識」というようなものが(一応)存在しない(事になっている)ので、当然「暗黙の了解」とかいうものも存在し得ない。故に、何かと言うと裁判所に出向かないといけない羽目になるのだが、それはつまり「法の下の平等」以外に目安になるものが無いからである。

(「一応」と断ったのは、宗教(キリスト教)が建国の精神と関わりがあるからなのだが。だから裁判所に行っても、"God we trust"(神の御名の下に、みたいな)と掲げてあるのだが。そして正式な裁判の為に出廷すると、こちらの信仰云々に拘らず、必ず聖書の上に手を載せて「宣誓」というやつをやらされるのだが。)


ただ、だからと言って、彼らに全く倫理観が無いという訳ではない。

今回の件では、お上は中々助けに来てくれなかったけれども、しかし隣近所の助け合いだの、遠方のニュースを見た見ず知らずの人々があれやこれやと手を尽くして被災者を助けようとしているだのといった事実が存在する。無闇矢鱈と略奪や強姦を繰り返す暴徒も確かにあるが、それと同時に被災地ではそれなりの秩序が保たれていたという報告もある。必ずしも皆が皆、理性を失ったり先を省みずに行動した訳では無いのである。

ワタシはそういった辺りの事を鑑みるにつれ、例えばワタシの住む街で数年前に起こった大事故の際の人々の助け合い振りなどを思い出し、人々はまだまだ捨てたものではない、というような事を思う。


一体何が人々を導いているのか。それは必ずしも宗教倫理だけでは無いようである。

これについては、もう暫く考えてみる事にする。


尤も、その一般市民の善意に甘えて、お上がやるべき事をやらないで済んでしまうというような調子では、困ったものではあるが、というような辺りの批判は既に挙げた新聞屋さんとか各団体の皆さんが繰り広げているので、ワタシは今更論じない。



それよりワタシは、ねぇ皆、今回の件で発掘規制緩和になったからって石油(燃料)を使いすぎないようにしようよぅ、と人々に訴えたいところである。

世界的に(というか主に中国という説があるが)需要があるからと言って、がんがん掘っちまえ、というのでは拙いだろう。自然資源はいつか枯渇するのだから、それを早めてどうするのだ。

誰か止めて。


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