ケイケイの映画日記
目次過去未来


2005年12月26日(月) 「2005年・年間ベスト10 欧米編」

では欧米編にお付き合い下さいませ。

1  海を飛ぶ夢
2  ミリオンダラー・ベイビー
3  エイプリルの七面鳥
4  エターナル・サンシャイン
5  サイドウェイ
6  キングコング
7  ハリー・ポッターと炎のゴブレッド
8  チャーリーとチョコレート工場
9  イン・ハー・シューズ
10 ダーク・ウォーター

「海を飛ぶ夢」は、主人公ラモンの人間としての知性や魅力を感じるにつれ、彼の境遇を思い生命に対しての人間としての誠意とは?を感じました。ラモンが空を飛ぶ夢想をする場面は圧巻で、寝たきりの障害者を描き、お涙頂戴ではない、人間の尊厳を問うスケールの大きな作品。

「ミリオンダラー・ベイビー」は、オスカー受賞作は疑問符がつく場合が多いですが、文句なしの素晴らしさ。イーストウッドは100才まで生きて映画を撮って欲しいと願った作品。

「エイプリルの七面鳥」は、たった80分ながら見事にストーリーや人物が整理され、見終わったあと家族について深く考える自分がいました。1月に観たのにまだまだしっかり覚えています。

「エターナル・サンシャイン」は、人の記憶を巡り、才人ミッシェル・ゴンドリーの脚本が切なく愛しく冴えた作品。おふざけのないジム・キャリーはとてもハンサムでした。

「サイドウェイ」は、バージニア・マドセンのセリフに、これからの人生を私も味わい深いものにしようと誓った作品。軽く観られるのに深く心に残る作品。

「キングコング」は、ハリウッド大作はこれでなくちゃ、と心底嬉しかった作品。ピーター・ジャクソンは追いかける価値のある監督だと、今更確認。

「炎のゴブレッド」は、シリーズで一番好きな作品。大人の階段を上り始めた3人の今後にも期待させます。

「チャーリーとチョコレート工場」は、変で切ないティム・バートンの華やかな復活が嬉しかったです。

「イン・ハー・シューズ」は、使い古された普遍的なテーマほど難しいのに、作り方でまだまだ感動させてもらえると確認出来た作品。カーチス・ハンソンもやっぱり追いかけたい監督です。

「ダーク・ウォーター」は、ジェニファー・コネリーの好演と監督サレスの思いがぴったり合致し、味わい深いホラー作品となりました。

こうやって並べてみると、自分の好みが一目瞭然ですね。微妙に大作や話題作からはずれていますが、概ね世間一般のベストテ10からは大きく外れていないラインナップかなと思います。やっぱり一般的かな?

今年は子宮筋腫が発覚し手術のドタキャンなど、自分の気持ちを落ち着けるため、日記にアップさせてもらったところ、掲示板やメールでたくさんの方から励ましのお言葉をいただき、本当にありがとうございました。ネットのつながりというと、マスコミなどでもネガティブに扱われることが多いですが、私のように励まされる人も多いはず。映画を通じて自分の視野が広がったのを感じ、これも読んで下さる皆様のおかげと感謝しております。

来年も新作旧作拘らず、でも劇場鑑賞中心で出来るだけ観たいと思っております。今年は102本観て3劇場の年会費4000円を含んで84310円で単価約820円、交通費合計19290円で、合計103600円で映画に使う年間予算12万円は黒字でした。交通費を含む一本単価は1006円と、ちょっと1000円オーバーでした。来年は1000円切るように頑張りたいです!

それでは皆様、良いお年を。来年も「ケイケイの映画日記」どうぞご贔屓にお願い致します。


2005年12月25日(日) 「2005年・年間ベスト10 アジア編」

「キングコング」でどうも今年の映画は見納めっぽいので、今年のベスト10を書かせていただきます。今年は102本、そのうち旧作は2本で、新作だけで100本越えました。これは大阪が旧作の上映機会が少ないだけでなく、純粋に新作の方に期待する作品が多かったからです。気に入った作品も多く、去年以上に猛烈に四苦八苦してしまい、今年は苦肉の作として、アジア映画と欧米その他の作品に分けて、ベスト10を選考しました。たった100本ほどで二つのベスト10は大変不遜なのですが、四苦八苦と言いながら今年の映画鑑賞を振り返る楽しいひと時で、お付き合い願えれば幸いです。うちわけは、

アメリカ映画 49本
日本映画   33本
韓国映画   10本
イギリス映画  4本
香港映画    3本
スペイン映画  2本
フランス映画  1本
イタリア映画  1本

このうち日本映画は旧作が2本、「阿修羅城の瞳」は二度観ているので、新作は100本です。

アジア映画

1  いつか読書する日
2  パッチギ!
3  マラソン
4  あんにょん・サヨナラ
5  メゾン・ド・ヒミコ
6  運命じゃない人
7  親切なクムジャさん
8  ALWAYS 三丁目の夕日
9  香港国際警察
10 酔画仙    

「いつか読書する日」は、2時間の上映時間無駄なシーンが一つもなく、一つ一つのセリフ、しぐさに全て意味があり、一組の男女の高校生の時から50歳までの心模様を、しっかり感じ取らせてくれます。平凡な市井の人を描いて、ここまで感動させてもらえるのかと、ひたすら感激しました。

「パッチギ!」は、表面的には差別も各段に少なくなった今だからこそ、昔を振り返ることが大切なのだなと感じます。井筒監督としては、「ガキ帝国」「岸和田少年愚連隊」の系譜で、私好みでした。

「マラソン」は、全てのお母さんに贈りたい作品。

「あんにょん・サヨナラ」は、日韓合作として、画期的なドキュメントだと思います。本当の平和の意味を身近に感じさせてくれる作品です。

「メゾン・ド・ヒミコ」は、私の好きな犬堂一心監督らしい切なさと優しさに溢れていました。オダギリジョーの良さが最高に出ていたのが印象的。

「運命じゃない人」は、著名な監督俳優でなくても、これだけ面白いものが観られるというお手本のような作品。下世話な欲の皮のつっぱったお話なのに、インテリジェンスとウィットがすごく香ったコメディでした。

「親切なクムジャさん」は、初めてパク・チャヌクはいい人かも知れないと感じた作品。イ・ヨンエの大熱演が好感度大の母モノでした。

「三丁目の夕日」は昔の風景と、全ての人が持っている少しずつの善意を描いているだけなのに、本当に泣いて笑って楽しかったです。

「香港国際警察」は、老いたりとはいえ、やはりジャッキー・チェンはまだまだ稀有なアクションスターであると感心させられる作品。円熟した分、人間味をすごく感じました。

「酔画仙」は、「大統領の理髪師」とすごく迷いましたが、巨匠イム・グォンテク監督のスケールの大きさと、私が今まで観た中で一番好きなチェ・ミンシクだったので、こちらにしました。

では次は欧米作品のベスト10です。


2005年12月20日(火) 「キングコング」


面白ーい!最高!ハリウッドの娯楽大作と言えば、最近は大味と相場が決まっていますが、それを覆す中身の濃さです。美女と野獣を題材に、伝統的なアメリカ映画の楽しさとヒューマニズムを表現しながら遊び心もしっかり加え、今の時代感もスクリーンから香らせています。やっぱりピーター・ジャクソンはただもんじゃないなぁ。

1930年代ニューヨークの初頭。未だかつて観たこともない冒険映画を取りたいカール・デナム(ジャック・ブラック)は、撮影クルーを連れ危険な航海に出ます。そこには見出した新人女優アン・ダロウ(ナオミ・ワッツ)と、半ばだますようにして連れてきた実力のある脚本家ジャック・ドリスコル(エイドリアン・ブロディ)も加わっていました。デナムの目指す「髑髏島」に着いた一行は、そこで巨大なゴリラのような生物に出くわすのです。

最初長尺の3時間15分と聞き、一瞬ひるみましたが(長い作品は嫌い)何の何の、作品の雰囲気を1時間ずつ変えて、三部構成のように作ってありますので、飽きずに集中力も減りません。

最初のパートでは恐慌のニューヨークの、華やかさと貧しさが混濁した時代をしっかりした撮影と美術で表現し、主要三人のキャラを深く印象付けさせます。ナオミ・ワッツは最初彼女が演じると聞き、アンには少々年がいきすぎ(37歳)ではないかい?と危惧しましたが、申し訳ありませんでした!売れない新進女優のアンには若さが取り得。ハツラツと志高い様子を、快活に時には幼さを見せるなど見事に表現。食わんがためなら何でもする女性ではないというのも、純粋に芝居の舞台に立つことが好きなのだと印象づけます。アンのそういう清らかさと、ワッツの持ち味である美しいだけではない、生身の女性の暖かさが香る部分がマッチして、魅力溢れる女性に仕上がっています。

デナムは、野心家で映画の入場料で誰も観たことのないものを見せるというのが信条の男。自分勝手で良い映画を作るなら、法を犯しても平気であるなど相当困った人なのですが、自分の信条に対する執着は、単に富や名声を求めている以上に、こういったショービジネスの世界に生きる人の業のようなものを感じました。誰よりも自分が世界をアッと言わすのだという野心です。その気持ちが段々と過激で見世物的なショーに目を向けさせてしまうのは当たり前で、監督ジャクソンは、そんなデナムを暗に肯定しているように思えました。観客が求めている以上、デナムのような気概があったればこそ今のハリウッドがあるんだよと、私は受け取りました。コメディ演技の印象が強く愛嬌のあるジャック・ブラックのキャスティングは、観客にデナムを受け入れやすくしていたように感じます。

ジャックは才能溢れる劇作家ですが、お金儲けになる作品でなく、自分の納得出来るものを書きたいと言う人。演じるエイドリアン・ブロディはハンサムではありませんが、高貴な雰囲気のある人で尚且つお金にも縁が薄そうに見えるのが役柄にマッチし、ジャックの高潔さを印象深く演じていました。アンを思う一途さも、たった一夜限りでも彼なら納得出来ます。導入部をじっくり描いたことと、ちょっぴり華には欠けるけど実のいっぱい詰まったキャスティングは、観た後上げ底感のない大作であったと感じるポイントだったと思います。

以下はネタバレ(終了後に文章あり)***********










髑髏島に到着してからの中盤は、CGを使って壮大かつ秘境の地のおどろおどろしさを表現しながら、大作感を維持。原住民の踊りや容姿も不気味でリアリティを感じさせ、ちょっとヤコペッティの「世界残酷物語」を彷彿させ本物感満点。それが徐々にお話は「ジュラシック・パーク」へ移行。ここからコングが捕まるまでは、恐竜大暴れです。見飽きたCGのはずですが、新鮮味はないけど手に汗握る場面の連続で、時折ユーモラスな場面を交えながら、まだまだCG活劇も工夫次第で楽しめるのを実感します。何故アンのお化粧が剥げないとか、あんなにジェットコースターのようにコングに振り回されているのに、骨折打撲ゲロ吐きしないのはおかしいではないか?などどは、決して言っちゃぁいけません。ヒロインの美女が何が起こっても美しくあり続けるのがこの手の作品の昔からのお約束。島を出るときのアンはシュミーズ姿だったでしょう?あれはデナムのスポンサーの一人が言った、「冒険モノは、美女が乳房を出してこそ値打ちなのだ。」とかぶると思います。こちらB級ではない健全娯楽大作のため、下着姿までというわけで。こういう遊びの部分も面白かったです。

後編コングがニューヨークを連れて来られてからはダイナミックなコングと人間の攻防戦が始まり、目にはアクションを堪能、心は切なさでいっぱいになります。必死でお互いを守ろうとするコングとアンの姿は、もちろん人間の男女の愛ではないですが、愛の形もそれぞれ。人間と動物、人種差別など色々置き換えて見ることも出来ます。氷の上を楽しく滑るコングの手の平のアンは、ジェットコースターのようだった島の時とは違い、まるでメリーゴーラウンドに乗っているかのような楽しさです。心が打ち解けあった後を対比していたと思います。

軍に追い詰められて、エンパイアステートビルの屋上で雄たけびを上げなら胸を叩くコングには、哀しさが溢れていました。何故生きることを拒まれるのか?密林に生きる自分を勝手に連れて来た文明人に対しての非難を感じます。そしてデナムの業は肯定しても、暴走することを非難しているようにも感じ、やはりコングの姿に、勝手に自分の国を荒らされる人々の哀しさに置き換えられても見えるのです。












ネタバレ終了***********************


船の船長にトーマス・クレッマン。子供の頃船の檻で野生の動物のような姿で見つかり、そのまま船員になった少年にジェイミー・ベル。彼を父のように厳しく暖かく見守る機関士の黒人との交流も、物語に深みを与えています。その他デナムに振り回されるアシスタントにトム・ハンクスの息子のコリン・ハンクス。渋好みのキャスティングで、往年のハリウッド大作へのリスペクトも感じられる、とても立派な「娯楽作」です。是非ご覧あれ。







2005年12月14日(水) 「SAYURI」


日本を舞台に芸者の世界を描き、演じる中国人、日本人は全編英語をしゃべるハリウッド作品。早々に観るつもりでしたが、いつも観る時間帯はなんと吹き替え版。この作品に限っては、吹き替え版の方がしっくり来るでしょうが、どうしてもオリジナルの英語版で鑑賞したかったので、日曜日の夕方無理に時間を作って観て来ました。キャッチコピーは、「日本が嫉妬するジャパン」。なるほどオリエンタルなジャパンで、日本ではありませんでした。でも嫉妬するかな?

貧しさから芸者の置屋に9つの時売られた千代(大後寿々花、のちチャン・ツィイー)。そこにはやり手の女将(桃井かおり)や、売れっ子芸者の初桃(コン・リー)、端目のおカボがいました。下働きの辛さや初桃のいじめにへこたれそうになっていたある日、会長(渡辺謙)と呼ばれる男性と偶然出会い、その優しさに惹かれた千代は、立派な芸者になって会長に会うのだと決心します。置屋から逃げようとして失敗した千代には、花街の掟で一生端目とし生きなければならないはずでしたが、15歳の時、別の置屋の売れっ子芸者豆葉(ミッシェル・ヨー)から、千代を妹芸者として立派に育てたいと申し入れがあります。そして千代は芸者さゆりとなるのです。

予告編を観て危惧していたおかしなところは、やっぱりありました。原作は京都が舞台らしいのですが、京都の香りがほとんどありません。どの地方というのは説明になかったと思うので、別の設定かもしれませんが。もし京都が設定なら水揚げ前は「半玉」ではなく「舞妓」では?だらりの帯も舞妓さんぽかったのですが。そして髪型。お座敷に上がる時もアップでしたが日本髪ではなかったです。踊りのシーンもやたら扇子を放り投げてキャッチするのですが、まぁそれはいいかな。でもツィイーが一人で大舞台で踊りを披露する場面は、綺麗ではあるのですが前衛舞踊のようで、日舞ではありませんでした。彼女はダンサーとしても一流なので、どんな日舞を披露してくれるのか期待していたので、ちょっとがっかり。他にも初桃の昼間のしどけない姿は、芸者というより女郎さんの仕事前の姿みたいでしたし、客と混浴シーンがあったり、セリフで「芸者は芸を売るもの。体を売る女郎とは違う。」と出てくる割には、あまり区別がなかったように思います。

リアクションも「オゥ〜」「ウァオ〜」など、思い切り西洋人でしたし、他にも色々?なところはありますが、これがハリウッドから観た日本の花柳界なのだなぁと、割り切ってしまえばそんなに目くじら立てるほどでもないかもしれません。私がこう思える最大の功労者は、さゆりの幼少を演じた大後寿々花の好演にあります。けなげで可愛く賢い千代の姿は、観客を魅了するに充分。会長と初めて出会うシーンで、氷いちごの蜜を唇につけ、「私も芸者になれる?」というシーンは、本当に初々しくて微笑んでしまうほど愛らしく、千代に幸せになってもらいたいと願わずにはいられません。最初に好印象を持ってしまったので、それが持続して日本が舞台の英語劇も気になりませんでした。彼女は英語のセリフも頑張っていました。

しかしそういう「不思議の国ジャパン」を大目に見ても、お金をかけて壮大に描いている割には中身が薄く、訴えるものがあまりありません。千代は豆葉にしごかれ、普通何年もかかって芸者になるところを数ヶ月でお座敷にあがるのですが、通り一遍の稽古や作法の練習をしても、血の滲むような努力には見えず、千代が天性の芸者なのだと言う風にもツィイーからは感じられません。いくら芸が売り物といっても、処女を捧げる値段で値打ちが決められるなど普通の女性にはない厳しい世界に生きているのに、女性としての哀しさもあまり感じられません。心に決めた相手がいるのに、水揚げの場面でさゆりの心の葛藤が描かれないので、会長を思う心も純粋さより、芸者として生きるには甘いように感じられました。

借金は払い終わっているのに、金のない男を愛したため旦那を持たず、男と禁断の逢引を重ねながら身を立てている憎まれ役の初桃の方が感情移入出来ました。コン・リーはよくこんな憎まれ役を引き受けたなと思いますが、彼女のさすがの好演のおかげで、芸者として生きるやるせなさやが、千代に向かっての八つ当たりなのだと納得させます。幼い時から輝きを放つ千代を今からつぶそうとしている様子に、芸者の世界の厳しさも伺えました。

日本からの出演者は総じて無難に演じています。ベテランの中、一番印象に残ったのはおカボの成長時を演じた工藤夕貴。長年粘って海外で頑張っているだけあって、少ない出番ながら戦前と戦後のおカボの変貌を演じ分けていました。しかしこのおカボという名前、かぼちゃの意味なんです。始終彼女を呼ぶとき「パンプキン」と連呼され、日本が舞台の映画でどうして日本の誇る国際派女優がかぼちゃ呼ばわりされるのだと、すっごーく気分が悪いです。他のチョイ出の芸者もアジア系の人が多いのに、かぼちゃが日本人とはいやみなの?

会長役の渡辺謙は私はそれほど魅力的に思えず、ただいい人にだけ感じ、内面の説明は渡辺謙の演技力と外観に頼った感じです。役所広次も儲け役だと思うのですが、役柄の延という人物の描写がイマイチ甘く、感情移入出来ません。桃井かおりはやり手の女将を、桃井かおりのまま演じており、英語でもいつものセリフ回しなので、やっぱり大物なんですね。

ラストのオチは、私はびっくり。なんじゃこりゃ?でした。今まで何をこんな回りくどいことをしていたのだと思いました。でもハッピーエンドで良かったと思う方もおられるようで、単に私の根性が腐っているだけかも。だから出来を見極めようなどと、不遜な思いを抱いて奇天烈のはずの英語版で観たのかもなぁ。これからご覧になる方は、私のように意地悪く英語版で鑑賞せず、しっくりしそうな吹き替え版が良いかもしれません。日本の役者さんたちは自分で吹き替えているそうです。


2005年12月10日(土) 「イン・ハー・シューズ」


木曜日に観た今年100本目の作品。今年は夏に子宮筋腫が発覚、秋に手術がドタキャンになりましたが体調に不安があり、病気がわかった時はとても今年は100本は無理だなと思っていたので、去年とは違う感慨があります。この作品は大好きなトニ・コレット主演、監督が「LAコンフィデンシャル」「8Mile」のカーチス・ハンソンということで、もっと早くに見たかったのですが、キャメロン・ディアズとトニの姉妹の生い立ちが自分とかぶる部分があり、昔の苦い思い出に直面するかなぁと少々尻込みもしていました。木曜日は母のお骨を永代供養してもらっている一心寺に先にお参りし(12月は母の祥月命日)、それから母と妹と三人で昔良く通った千日前セントラルで観て来ました。そのせいか観ていて必要以上に胸にこみ上げるものがあり、母が選ばせてくれた100本目かなと感じました。

ローズ(トニ・コレット)とマギー(キャメロン・ディアス)姉妹は、幼い時に実母に死なれ、寂しい心を抱えならが父と継母に育てられました。姉ローズは有能な弁護士として自立しながらも、自分に自信が持てずその苦しさから逃げるように仕事に没頭していました。妹ローズももう30歳も近いというのに、定職にもつかず美しい容姿だけが頼りの生活。今日も酔いつぶれて継母の怒りを買い、ローズの家に転がり込みます。やっかいばりかける妹にうんざりしながらも世話を焼いてしまうローズ。しかし留守中に、やっと出来た恋人とマギーのベッドインを見てしまったローズは、大喧嘩の末マギーを追い出します。以前実家で荷物を整理していた時、亡くなったと思っていた母方の祖母エラ(シャーリー・マクレーン)が生きているのを知ったマギーは、老人ホームに暮らす祖母の元へ身を寄せます。

冒頭飲んだくれてだらしなく男にもたれかかるキャメロンのやさぐれぶりにびっくり。内面のだらしなさも感じさせるあばずれっぷりです。演技ではあまり話題になったことがないキャメロンのこの役作りに、一気に期待が高まります。対するトニはいつも外見からも役になりきる七変化の演技派で、この作品でも有能な仕事振りの表と、コンプレックスを抱える寂しいプライベートを難なく演じ分けていました。

マギーには実は難読症という外見からはわかりにくい障害があり、それが彼女の学習の妨げとなり、芳しくない成績、長続きしない仕事につながっていました。彼女が美容やファッションにばかり熱心になり、男性に寄りかかるのも肯けます。親や姉に迷惑ばかりかけている彼女ですが、自分の苦悩を打ち明けることも出来ず、彼女なりに周囲に遠慮して、本来の意味での甘えるということと縁遠かったことを遠まわしに表現していました。そして母親が生きていれば、きっと彼女が障害を克服できるよう熱心に努力したのではないだろうかと、マギーにとっての母の存在の大きさも浮かび上がります。

ローズはマギーに寝どられた恋人を本当に愛していたのでしょうか?女性として潤いのない生活に現れた、分相応以上の相手に有頂天になっていただけだったのではないでしょうか?彼女にアタックする同僚と話す時の方が、ひっつめた髪、眼鏡、ジャージ姿なのに、生き生きしていました。彼女にとってどちらがふさわしいのか、監督の演出に応えたトニの演技が光ります。

エラに促され、老人ホームで働くようになったマギーの変貌ぶりが嬉しいです。人には自分が必要とされる場所が必要なのだと実感します。世話をする老人から、ゆっくり読むことと、内容をしっかり噛み砕くことを教わったマギー。相手の心が開くまで辛抱強く待つ姿勢は、老いた人ならではの導き方で、マギーへの慈愛を感じます。それは祖母のエラも同じです。心を病んでいた娘の時は結果をあせって母として失敗した彼女ですが、年月が彼女を辛抱強くさせ、マギーには同じ過ちを繰り返したくない気持ちを強く感じました。ホームの老人達と接するうちに、見る見る本来の聡明さと明るさを発揮するマギーに、年配の人にはまだまだ私も教えてもらうことがいっぱいだなと、改めて思いました。

エラはローズをひとめ見てすぐわかり、年月を感じさせずすぐ祖母と孫に戻る二人に、いちまつの寂しさを見せるマギー。子供の頃の2〜3歳は大きく、下の子の宿命で自分は覚えてもらっていなかったのにと、哀しかったでしょう。しかしローズはローズで、マギーの知らない辛い思い出を、妹には教えず一人胸にしまっていました。姉妹それぞれの寂しさ哀しさを平等に表現していて、とても胸に染みました。

私の母は2人の息子を連れた父と再婚、のちに私と妹が生まれました。母の親兄弟を養っていた父に気がねする母は、連れ子である兄二人を育てていることを盾にして、その気がねをプラスマイナスにしたかったようです。しかしそんなこと計算どおりには行かず、我が家はいつもけんかばかりで、しわ寄せは当然私と妹に。暗い部屋で二人で手を握り合いながら声を殺して泣いた日もあります。プライドが高かった母は人には家の恥は言えなかったのでしょう、子供には普通言わないようなことも全部私に話します。母を可哀相だと思っていた私ですが、ある日大爆発。鬼のような形相でそれでも母親かと食ってかかった時の「あんたの気持ちが父親のところに行くのが怖かった。」という母の言葉を、昨日のことのように思い出します。私が母に頼んだのは、妹には何も話してくれるなということでした。私は私なりに妹を守ったつもりでしたが、私が21歳で結婚、5才離れた妹は母が亡くなるまで8年間、気がきつくプライドの高い世間知らずの母と二人暮らしで、心細い思いをしたことでしょう。ローズとマギーを見ていて、自分の過去も走馬灯のように浮かんでは消え、泣かないような場面でも涙が浮かんで仕方ありませんでした。

なんと頼りない父親だと観客に思わせる姉妹の父親ですが、娘達を見ると亡き妻を思い出すから、深くはかかわらなかったのではないでしょうか?妻の自殺をエラのせいにしたかっただけで、本当は彼女の病を承知で結婚しながら、理解出来ず守れなかった情けない自分から逃げたかったのではないでしょうか?母が兄たちに辛くあたるのを見て見ないふりをし、外に女を作っては家庭を省みなかった父を持つ私には、そんな気がします。誰にでも人生には触れられたくない部分があるはずで、それが姉妹の父には亡き妻であったのでしょう。その気持ちを慰めてくれたのが、俗人丸出しの後妻だったのでは?尻に敷かれているというより、彼に取って娘より生きて行く上で必要だったのでしょう。

傷ついた男性の心には、女性の愛が必要です。大人になり母に仕返しのような仕打ちをした兄たちを恨んでいた私ですが、心から愛してくれる母親のいなかった兄たちの哀しさ侘しさを、私は息子を生んで初めて思いやったものです。父も5歳の時に母親を亡くしており、子供の理解がなくては愛情のわかりづらい私の父の人生は、ここから始まったのです。ローズやマギーにも、父を理解する場を与えるシーンを用意していたのが嬉しかったです。

「イン・ハー・シューズ」とは、単に靴のことではなく、その人それぞれに合った人生があるという比喩だそうで、同じ親に生まれ同じ環境に育った姉妹が、ゆっくりと地に足をつけて、それぞれ自分なりの人生を歩き始めたことを表す言葉なのですね。「ママの代わりにおばあちゃんに甘えたかった」のマギーの言葉に、日本もアメリカもいっしょなのだなぁと感じます。大人になると個が強く尊重されるように感じるアメリカでも、親子や兄弟、祖父母の情は健在なのだなぁと、違いのなさに嬉しくなります。

それにしてもシャーリー・マクレーンはチャーミング。手や胸に染みが浮き上がろうが、ホームのダンディなおじいちゃんを虜にする魅力がいっぱいでした。老いても女性としての愛らしさは失わず、お手本にしたいです。私も夫が亡くなった後、見初めてくれるおじいちゃんが現れるよう、今から頑張りたいと思います。




2005年12月07日(水) 「Mr.&Mrs. スミス」

誰だ、中身スカスカのおバカ映画なんて言ったのは!信じちゃダメよ、すんごく面白いんですから。華やかでユーモアがあってチャーミングで、これぞハリウッドスター映画というゴージャスさです。荒唐無稽なストーリーの中「真実の瞬間」もチラホラ、さすがは「ボーン」シリーズのダグ・リーマン、アクションシーンはいうに及ばず、倦怠期近い夫婦の様子も楽しく描いていました。予告編を観た時は、「ローズ家の戦争」(ダニー・デビートが監督だよ〜)っぽい話なのかと思っていましたが、あの手のシニカルさはなく、意外と甘やかで良い意味でライトな仕上がりでした。

旅先で運命的な出会いをして結婚したジョン(ブラッド・ピット)とジェーン(アンジェリーナ・ジョリー)。結婚6年目の二人には、しかしお互い知られてはいけない秘密がありました。二人とも別々の組織に属する殺し屋だったのです。ある日知らずに同じターゲットを狙った二人は鉢合わせしてしまい、任務に失敗します。組織から各々48時間以内に相手を殺せとの指令を受け、二人の戦いが始まります。

どのシーンを切り取っても、ブラピとアンジーが素敵すぎ。これぞスターという感じでオーラでまくりです。ブラピはデビュー時、その容姿からレッドフォードの再来のように言われていましたが、どうもそれをなぞった役柄では魅力を感じず、ちょっと捻った役やこの手のコミカルで気のいいあんちゃんの役の方に魅力を感じます。40歳を越えたそうですがまだまだ若々しく、ちょっと女房の尻に敷かれている情けない様子も可愛くてグッド。アクションシーンでもキレの良さをみせてくれます。

ブラピがジュリア・ロバーツと共演した「メキシカン」は、全く食指が動かなかった私ですが、この作品は相手がアンジーと聞き絶対観ようと思いました。ジュリアよりアンジーとのツーショットの方が絵になると思いません?(画像参照)。どのシーンでもセクシーさ満点で、同性の私から見ても惚れ惚れするようなスタイルの良さがどの衣装でも強調されています。ただセクシーなだけではなく、彼女の場合、知性と勝ち気さが感じられるのが、同性にも支持が多いところではないでしょうか?

冒頭カウンセリングの場面でブラピが「結婚して5年」というと、アンジーが「6年よ」と答え、またブラピが「そう5〜6年」と答えます。5年も6年も変わりゃせんの夫に対し、一年違うと大違いの妻。これぞ夫と妻の間に横たわる深ーい川ではございませんか。お互いそのつもりはなかったのに、相手の言い分も聞かず決め付けたりするのは思い当たる方も多いはず。まさか危機一髪の状態に追い込まれたり殺し合いはないですが、夫婦ならよくある話で、こちらの言い分を聞いてくれなきゃ、もう売り言葉に買い言葉、段々エスカレートする様子は若かりし頃の我が家の夫婦げんかのようで、感情移入しまくりです。それをスケールでかくパワーアップして見せてくれるんですから、面白くないわけありません。

自分に愛情がなかったのかと未練がましく問うブラピに、「隠れ蓑にちょうど良かっただけ。」と意地を張って言ってしまった後の、アンジーの後悔の様子がこれまたわかるのですねー。心の底の夫への愛を自覚しながら、こんな男が好きな自分なんて許せんわけですよ。可愛くないけどわかるなぁ。ここで本当のことを言えば可愛いのに言えませんよね。そうよ、妻の気も知らない亭主が悪いのだ。そんな気のキツい彼女が言う、「あなたと一緒ならばどこでもいい」の言葉は、思わずホロッときました。そういえば私も長いことそんなこと言ってないなぁ。

二人が素手で戦う場面、爆破シーン、カーチェイス、それぞれ小技が効いて面白く見られます。特にラストの銃撃戦は華麗で、振り付けの上手さを感じさせて、うっとりしながら観てしまいました。ラブコメとアクションが合体した作品で、これでもかの見せ場がてんこ盛りの割にはくどくなく、尚且つ主役二人の際立った魅力が感じられるのは、リーマン監督の力量ではないかと思います。「ボーン」シリーズも、萌えそうになるほどマット・ディモンがカッコ良かったし、俳優の持つ魅力を引き立たせるのが上手い監督だと思いました。その内俳優から直々に、ご指名がくるかも。

ブラピの友人の殺し屋にヴィンス・ボーン。ブラピの元妻ジェニファー・アニストンの今彼だそうです。どちら様も「別れたら次の人」のようで。前向きで大変よろしいかと思います。ビリー・ボブでもダメだったアンジーなのに、ブラピで大丈夫かなぁと思っていましたが、この作品を観て、案外長続きするんじゃないかと感じるほど、二人はしっくり見えました。年末年始らしい華やかな作品。花丸のお薦めです。


2005年12月01日(木) 「ハリー・ポッターと炎のゴブレッド」


火曜日に観てきました。さすが「ハリポタ」、平日1時15分の回が満員でした。今回は息子と別々に観たので、初めての字幕版鑑賞で嬉しくてワクワク。長い作品は苦手ですが、このシリーズだけは別。3時間半でも喜んで観たいと思う私は、多分巷の映画ファンからは首を傾げられるかもしれないですね。初作から観続けて、私は今回が一番好きです。

無事級友といっしょにボクワーツ魔法学校の四年生に進級したハリー(ダニエル・ラドクリフ)、ロン(ルパート・グリント)、ハーマイオニー(エマ・ワトソン)の三人。しかしハリーは、時々ヴォルデモード卿復活の夢を見るのが気がかりです。登校初日、ランブルドア校長から100年封印しされたきた三大魔法学校対抗試合が、ボクワーツ主催で開催されると発表されます。危険な試合なので年齢は17歳以上、立候補した生徒の中から各学校一人ずつ選ばれることになりました。その選手を選ぶのが「炎のゴブレッド」です。しかし発表当日、立候補していない14歳のハリーの名前が、ゴブレッドから舞い上がってきました。

みんな大きくなってー!実はこのシリーズの私の最大の楽しみは、一作ごとに成長ぶりがくっきり感じられる三人を見ることです。悪役のドラゴだって、ロンの双子のお兄ちゃんたちだってそう。こうやって将来有望の子役達が順調に成長していくことを見守れるなんて、映画ファンとしてすごーく幸せなことだなと毎回思います。私は原作は未読ですが、それに合わせ内容も今回は学園モノの側面が強く感じられます。

思春期に入り、三人の友情も微妙に抱いている感情に違いが出てきます。ロンのハリーに対する嫉妬は、常に注目され続けるハリーの側にいるのですから、遠からず起きて当然の話です。しかし両親のいないハリーにとって、ロンとハーマイオニーは友達以上の存在で、ロンの誤解に失望し怒るハリーの気持ちもとってもわかります。二人にとって真の親友になるには避けては通れない道だなと、納得しながら観ていました。

学校で行われるダンスパーティで、相手校の代表からエスコートされるハーマイオニーは、敵なんだからやめろと、いつまでも子供のような悪ふざけで接っしながら言うロンに、「だったら何で私を真っ先に誘わなかったの!」と食ってかかります。その「女心」もわからぬロン。男の子二人が好きな女の子に声もかけられない幼い少年心を見せるのに対し、ハーマイオニーは完全に子供から少女への階段を上っていて、この辺の男女の心の成長の違いも気持ちよく演出していて、あぁ三人とも青春しているなぁと、私はニコニコ。ハーマイオニーはケンカする二人を見て「男の子って・・・」とつぶやくのですが、その言葉の後はきっとあの言葉なのでしょうね。この辺も大人っぽいです。そんな思春期の子供に、いつまでも子供のようなピラピラの服を送ってくるロンのママの様子も挿入し、親にはいつまでも子供を印象付け、これまた気の効いた演出でした。

ダンスパーティーのシーンでは、ハーマイオニーの可憐な美しさにびっくり!花がほころんだとはこのことで、本当に綺麗でした。演じるエマは、このシリーズの撮影のため休みがなく、BFも作れないとこぼしているそうですが、こりゃ当たり前だなと納得。本当に綺麗なので、楽しみにして下さい。話題になっている(?)ハリーの入浴シーンは、ボグワーツの「トイレの花子さん」マートルと”混浴”ですが、ハリーが一生懸命体に泡をたぐり寄せ、裸を隠そうとするのが笑えます。

対抗試合は三試合行われます。CGを使って壮大に、そしてファンタジー色いっぱいに見せてくれ、さすが魔法の世界と堪能させてくれます。それぞれどんな試合かはお楽しみに。しかし内容は子供達には過酷なもので、それを通り越して残酷な面も感じさせるものです。ハリーにはいつもいつも、彼の身の丈以上の困難が待ち受けていますが、それを一生懸命いつも乗り越えてきました。それは確実に彼の心を強くしてきたはず。今作が一番好きだと感じたのは、ハリーが今までのことをしっかり肥やしにして、男として成長している姿をきちんと映していたからかも知れません。

ボグワーツ代表のセドリック役のロバート・パティンソンは、容姿端麗で性格も文句なしのセドリックをいやみなく演じて有望株。役柄以上に彼が印象深く、今後きっと出てくる子だと思うので、注目して下さい。このシリーズは若い子を見つけるのが本当に上手いです。他にあんな格好でゲイリー・オールドマンやレイフ・ファインズも登場。おらが国(原作イギリス、映画はアメリカ)の国民的作品だから、きっと楽しんでいるんでしょう。コメディ・リリーフ的に登場はミランダ・リチャードソンでした。「アスガバンの囚人」のジュリー・クリスティよりは印象に残りました。そういえば今回監督のマイク・ニューエルの名前を初めて知ったのは、ミランダが主演した「ダンス・ウィズ・ア・ストレンジャー」だったなぁと思い出し(良い作品だった)、二人とも演技派女優と名監督に出世したんだなぁと、ちょっと嬉しくなりました。

学園一の美女にしてハリーがほのかな恋心を持つチョウにアジア系のケイティ・リューング。インド系の美少女、フランスから来たフラー、ロシア(かな?)のクラム、黒人の生徒も目につき、世界各国の子供たちが楽しみにしている作品だということに気配りしていて、それもグッド。私の大好きなハグリッド(ロビー・コルトレーン)のコイバナにも嬉しくなったり、私には大満足の作品。どうぞ大人の方一人でも、恥ずかしがらずに観て下さい(私も一人で鑑賞)。


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