ケイケイの映画日記
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2005年09月17日(土) 「メゾン・ド・ヒミコ」

「運命じゃない人」に続き、梅田ガーデンシネマで鑑賞です。友人といっしょだったので、早めに出てお茶でも飲もうと12時の回の分を11時前に整理券をもらいに行くと、既に10番目。レディースデーでもないのに続々と人が入り、平日お昼ながら超満員に。大阪はここでしか上映がないのがもったいないくらいです。「ジョゼと虎と魚たち」と同じく、監督犬童一心、脚本渡辺あやのコンビが送る、とびきりの美しさと切なさと暖かさに溢れたお話です。

小さな塗装会社の事務員沙織は、亡くなった母の治療費のための借金があり、お金に困っていました。そんな沙織に若くて美しい春彦(オダギリジョー)が訪ねてきます。休日に老人ホームの手伝いをして欲しいと、法外な日給を提示します。そこは母と沙織を捨て、ゲイとなった父卑弥呼(田中泯) が作ったゲイのためのホーム「メゾン・ド・ヒミコ」でした。春彦は父の恋人なのです。そして卑弥呼は今、癌で余命いくばくもない状態です。お金だけではない気持ちを抱きながら、沙織はホームを手伝うことにします。

メゾン・ド・ヒミコの様子が素晴らしいです。フランスの避暑地に出てくるような美しい外観、華やかで品のいい調度品、ダイニングにはみんなで集える大きな木のテーブル、まじかな海を見下ろすウッドデッキ、庭にはプールと、それはそれは素敵。高い美意識を貫く卑弥呼を象徴しているものです。

病の床の卑弥呼の部屋は、点滴の道具や薬がなければ、病んだ人の部屋とは思えぬほどの美しさに溢れています。染められぬ白髪のためか常にターバンを巻き、だらしない部屋着ではなくゆるやかなロングドレスに身を包み、爪には真っ赤なマニュキュアを忘れない卑弥呼は、病であっても決して美への手綱を緩めません。その姿は凛々しく凄みさえ感じさせます。

しかしその生活観の希薄さは、やはり卑弥呼の生きてきた世界をも現しています。死が近い病人は、もっともっとだらしなくても、他人に迷惑をかけてもいいはず。家庭を捨てしがらみを捨て、自分に正直に生きるとは、これほど厳しいことなのかと思い知らされます。
 
そんな彼が自分の美意識から遠く離れたところにいるはずの、自分に罵詈雑言を浴びせる沙織に、「私にも言いたいことがあるの。あなたが好きよ。」の言葉に、私は胸がいっぱいになりました。その一言に、父としての沙織へのありったけの思いが込められていたと思います。演じる田中泯も素晴らしい!「たそがれ清兵衛」のように、舞踏家としての見せ場もなく、ほとんど動きのない演技の中、最後まで気高く生きた卑弥呼を、印象深く感慨深く見せてくれます。

最初は毛嫌いしていたゲイたちの、彼女を包む暖かさに段々心を開いていく沙織の様子が嬉しいです。柴咲コウは、仏頂面でいつも眉間に皺を寄せ、若さも清潔感もなく心までブスの沙織を、ノーメイクで大好演。可愛げなく意固地な沙織を、暖かく幸せになって欲しいと願う気持ちでずっと観られたのは、彼女の好演があってこそです。怒ることはあっても、決して涙を流さなかった彼女が2度泣くのですが、これは女性ならではの涙です。女になった父への反発でしょうか、自分の性を否定していたように思う彼女の心が、痛みとともに女性へと成長していく過程に感じました。

若い頃から男性を捨てて生きてきた人、ずっとゲイであることを隠して生きてきた人、仕事も生き方も様々な人たちが、「ゲイである」という一点で結ばれたホームは、老境に入りしがらみから開放された清々しさを感じさせ、違和感や嫌悪感は全くありませんでした。綺麗に描きすぎている感は残りますが、リアルに描けばいいってもんでもないでしょう。卑弥呼の厳しさと対照的な憐れさや暖かさ、ユーモアを感じさせる彼らも、とても素敵でした。

忘れちゃならないのがオダギリジョー。何作か彼の作品は観ていますが、これが一番良かったです。女の私がゲイの役で一番フェロモンを感じるというもなんですが。常に白いワイシャツを着ていて、貞操観念に欠けるらしいゲイの性衝動を語る春彦を、素直に受け入れられたのは彼の存在あってこそです。ゲイというと女々しい男性と受け取られがちですが、色々な意味でやはり間違いなく男性だというのも、春彦は教えてくれます。

最後の最後で、ホームのみんなは嬉しいプレゼントを沙織に贈ります。それはゲイの父を何故母は愛したか、父はどんな人だったのだろうということを、沙織に教えてくれるだろうと感じる出来事です。自分の親を知ると言うことは自分を知ることにも繋がるわけで。そして沙織と春彦の関係へも受け継がれることでしょう。卑弥呼の残した「あなたが好きよ」という言葉の重みは、きっと彼女の人生で宝物になるはず。良かったね、沙織ちゃん。ピキピキピッキー。


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