ケイケイの映画日記
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2005年11月08日(火) 「ALWAYS 三丁目の夕日」

わぁ〜良かった!いっぱい笑っていっぱい泣いて、今とても暖かくてすっきりした気分です。この作品を観たラインシネマは、数年前10スクリーンのシネコンになりまして、上映していたのは南館の方です。でも近所の人は誰も南館なんて呼びません。旧称の「昭栄座」の方です。未だ布施の商店街の中心部に鎮座まします映画館で、ラインシネマになってから中身は綺麗になったものの、暖かい雰囲気はそのままです。この作品を観るのに絶好の環境で観る事が出来ました。わかってんなぁー、ラインシネマのえらいさん!

昭和33年の東京の下町。星野六子(ムツコ・堀北真希)は、青森から希望を胸に抱いて集団就職に出てきました。しかし住み込みの就職先の「鈴木モータース」は小さな自動車修理工場でがっくり。しかし瞬間湯沸かし器のように怒りっぽいけど根は優しい社長の則文(堤真一)と優しい妻のトモエ(薬師丸ひろこ)の元で頑張ろうと決心します。お向かいは売れない小説家の茶川竜之介が駄菓子屋を営んでいます。竜之介はストリッパーあがりの居酒屋の女将・ヒロミ(小雪)から、知り合いの子供古行淳之介を預かって欲しいと頼まれます。

私は昭和36年生まれなので、この作品の風景はタッチの差でずれていますが、まだ名残のある時代は覚えていますので、あぁ懐かしいなぁと自然と感じます。夫は28年生まれなので、氷で冷やす冷蔵庫、近所にテレビを見に行った話、夏は下着のランニング姿で出歩く男の子たちなど、聞いたことがあります。特に子供の顔が皆すすけているのが笑えます。今は見かけぬ鼻垂れ小僧も、この時代にはたくさん居たでしょう。昔の風景はCGだそうですが、CGというとアクションや大掛かりな仕掛けを連想しがちなので、こんな素朴で懐かしい風景を描くのにも使えるのね、とちょっと感激。近所付き合いの深い、暖かな人との心の触れ合いも、役者さんたちから絶妙に匂い立ちます。

あの時代に自動車修理工に女の子を雇ったり、ワンマン父さんが自分の非を認めて素直に謝ったり、親戚でもない人のところにいるのに、淳之介がちゃんと学校に行けるのはちょっとおかしいです。でも娯楽の少ない時代一生懸命少年小説を読む淳之介たち、自らあばずれと言いながら、やっと裸を見せる仕事から這い上がり、でもとてもまともな結婚なんかと思っていたのに、堅気の竜之介からのプロポーズに女心のこもった涙を見せたヒロミ、戦災のため妻子を亡くした宅間先生の姿などの「当時の誠」に比べると、それはとってもちっぽけなことです。むしろ現代がちょっと顔をのぞかせ、それがただの懐古趣味にしなかったかも知れません。

六ちゃんに誤解を謝る鈴木のセリフは、当時が頑張ればきっと願いが叶うと言う希望に満ちた時代だったと感じられます。三種の神器と言われた冷蔵庫、テレビ、自動車など羽振り良さげな物が鈴木の家に一番に来るのも、生業が自動車関係と言うのがそののちの時代を予感させます。寂しげな目で捨てられた氷入れを見つめる氷屋さんに、いつか時代の衰勢で鈴木家も、という気もしますが、きっとこの夫婦なら、本当にもっと大きな会社にしているでしょう。

うちの実家はメッキ業で、六ちゃんたちのように集団就職でたくさんの人が働きに来ました。家は1階が工場と事務所、2階が自宅と従業員さんたちの食堂になっており、三軒隣には、やはり1階が工場で2階は若い人たちの寮になっていました。うちに来たお兄ちゃんたちも、六ちゃんのように何も知らずに来たのでしょうね。社長が韓国人でびっくりしたかも。みんながお盆やお正月になると実家に帰るのに、何年もずっと寮に居たままの人もいました。きっと事情があったのでしょう。私には休みがないと愚痴っていた母ですが、表は笑顔で一年中世話をしていた姿を、薬師丸ひろこを見て思い出しました。

六ちゃんのように心を鬼にして帰ってくるなと言う親御さんもいたのでしょう。その気持ちが我が家に溢れていたお国の名産品だったのですね。お陰で六ちゃんも鈴木モータースを飛び出さず、上野駅で悪い男に売り飛ばされずに済んだのですから、親とはありがたいものです。

この作品では触れられていませんでしたが、常に他人と寝食を過ごすと言うのはすごくストレスが溜まることで、うちの親は夫婦仲が悪かったこともあり、子供の頃にあまり良い思い出はありません。しかし、ミゼットの荷台に乗った鈴木母子に、働いているお兄ちゃんにねだり、軽トラの荷台に妹と乗って走ってもらったことを思い出し、いっしょにお正月を迎えお年玉をもらったり、会社の慰安旅行についていき、泳ぎを教えてもらったり、この作品は不思議と私に楽しい思い出ばかりを浮かばせます。そういえば物が飛び交うすごい夫婦喧嘩をする両親を止めようと、妹が寮に助けを求めに行ったのを、家の恥だと私が妹を連れ戻しに行けと母に言われ、泣きながら寮に行ったこともあります。あの時のこと、Nさんは覚えているかなぁ。

時代が進み、家と工場が完全に離れて、我が家がちょっとした邸宅になった時、派手な大喧嘩をしていた時はまだましだったと思える、底冷えのする関係に両親が突入したのを覚えている私は、何でも買ってもらえる本当の親が現れた時の淳之介の選択は、すごく正しいと思えるのです。一番大切なものはお金や地位では買えないのですから。今も昔も変わらぬ「良き心」を観客に伝えるのは、この希望に満ちた時代が良いと選択されたのでしょう。常識は時代と共に変わっても、良識は普遍なのではないでしょうか?韓流ブームと相反する嫌韓ブームもチラホラ聞こえる今、庶民が一つになって朝鮮半島出身の力道山を応援する姿を挿入したのも、もしかしたら意味が込められているのかも知れません。


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