ケイケイの映画日記
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2005年05月30日(月) 「ミリオンダラー・ベイビー」

本年度アカデミー賞、作品・監督・主演女優・助演男優受賞作。
常に一定の水準以上の作品を送り出すイーストウッド監督は、もちろん俳優としても大スターで、今作品にも主演しています。多分今のハリウッドで一番リスペクトされている人ではないかと思います。予告編を観て、勘のいい人ならわかるオチにがっかりしている方も多いでしょうが、そのがっかりから後が、真骨頂の作品です。私は観終わってしばらく涙が止まらず、椅子から立てませんでした。感動しまくったので長いです、すみません。

ロスのダウンタウンで小さなボクシングジムを営むフランキー・ダン(クリント・イーストウッド)。トレーナーとしての彼の腕を疑う者はいませんでしたが、成功を急ぐ優秀なボクサーは、彼の元から去っていきます。名トレーナーであっても、彼は試合に勝つことよりもボクサーを大切に思うため、優秀なマネージャーではなかったのです。今日もチャンピオン戦目前に、ビッグ・ウィリーがフランキーの元を去って行きました。
そんな時入れ替わるように、マギー・フィッツジェラルド(ヒラリー・スワンク)が現れ、フランキーにトレーナーになって欲しいと頼みます。即座に「女はトレーニングしない」と断りますが、元ボクサーで今はジムの雑役係のフランキーの親友スクラップ(モーガン・フリーマン)の力添えもあり、彼女の熱意にほだされたフランキーはトレーナーを引き受けます。出ればワンラウンドKO勝ちで無敵の強さを誇るようになるマギー。同じアイリッシュ系の血が流れるマギーに、「モ・クシュラ」と刺繍した緑色のガウンをプレゼントするフランキー。彼女の愛称となった「モ・クシュラ」の意味を、イギリスチャンピオンとの試合に勝った後聞くはずのマギーでしたが、この試合が、フランキーとマギーの人生を大きく狂わせるのです。

私はスワンクがオスカーを取った「ボーイズ・ドント・クライ」が作品的にイマイチだったのと、その時対抗馬だった「アメリカン・ビューティー」のアネット・ベニングのあまりの素晴らしさに、その受賞は異議ありでした。しかしこの作品のスワンクの輝きぶりはどうでしょう。31歳で最貧民層の白人であるマギーは、成り上がるためにボクサーになったのではありません。年齢を理由にトレーナーを断るフランキーに、彼女は「ただボクシングが好きなだけなの。」と答えます。客の残り物をこそっとくすねて食費を浮かそうが、テレビのない部屋に住もうが、自分の大切なもののためにお金を節約するマギー。好きだから強くなりたい、必死でトレーニングする姿とともにその純粋な心はむしろ羨ましくさえ見え、決して年も考えぬバカ者には見えません。

出会った当初から「あなたは父に似ている」とフランキーにいうマギーは、彼を自分の最愛だった父親に重ねているのは明らかです。何度でも彼女の口から出てくる父の良きエピソードは、彼女が父以外から愛を受けたことがないのを浮き彫りにします。出番を知らせる男性から「LOVE(可愛い子ちゃん)」と呼ばれたマギーは、「父以外の男の人から、あんな言われ方したの初めてよ。勝ったら結婚を申し込まれるかしら?」とはしゃぎます。「その時は俺が結婚を申し込むよ」と答えるフランキー。私はこのシーンが大好きです。彼女はファイトマネーを細々貯金し、貧乏暮らしの母親に家を買いますが、それは早くに亡くなった父が、そのために自分たちはこんな貧乏暮らしをと、家族たちから恨まれるのがいやだったのではないでしょうか?父の代わりに家族を愛し、良い生活をさせたい、それが彼女の願いだったように感じます。しかしそんな彼女の気持ちを踏みにじるような家族で、しっかり自立しお金を仕送りまでする娘の職業を「世間の笑いものだ」と嘲笑する姿に激怒しつつ、「モンスター」でも同じような親を見た私は、これは貧困が生む無教養と言うアメリカの病巣の一つなのかと思いました。



ここからは観てから。ネタバレです。(終了後にレスあり。読んでね)












イギリスチャンピオンの汚い反則で、マギーはふいうちのパンチを食らい、頚椎と脊髄を損傷し、首から下が麻痺します。医者からの宣告を聞いた彼女は「フランキーがこれを聞いて立ち直れるかどうか。彼の期待に添えなくて申し訳ない」。自分の体よりまずフランクの気持ちをおもんばかる彼女。これが娘の心でなくてなんでしょう。しかし「フランクが立ち直れるかどうか。」というのは、冷静に彼は自分のことを愛弟子であっても、娘同様には思っていないと分をわきまえているのです。だからもうボクシングの出来ない自分に落胆するだろうと。このけなげさ、聡明さに私は涙が止まらず。

しかし対するフランキーは、「お前のせいだ、お前があの子の面倒を見ろといったんだ!」とスクラップに逆恨みめいたことを言います。決してフランキーが理不尽なことを言うわけのない人だと知る観客は、ボクサーとしてではなく、マギー・フィッツジェラルドのこれからの人生をはかなんでの動揺だとわかります。しかしろくでなしのマギーの家族の前では、一歩も二歩も下がります。彼もまた父に重ねられても、マギーにとっては良いトレーナー以上には思われていないと思っているようです。

床ずれからの壊疽のため、マギーは足を切断します。微かな奇跡の望みを持っていた彼女は、これでボクサーとしての再起の夢を絶たれ、フランキーに安楽死を頼みます。ボクサーとして死んでしまった自分を、師の彼ならわかってくれると思ったのでしょう。悩みながらも応じるフランキー。しかしこれはトレーナーとしてだからではありません。フランキーは実の娘と彼のせいで長く確執があり音信不通です。そのため23年間反発しながらもミサに通っています。安楽死に手を貸すなど大罪だとわかっているでしょう。これは自分にとって実の娘以上になったマギーの願いを叶えることが出来るなら、地獄に落ちてもいいという、「父親」の思いではなかったのか?

安楽死の場面で、「モ・クシュラ」の意味をマギーに話すフランキー。その意味は「私の可愛い子、私の血」でした。聡明なマギーの心にはまた申し訳なさがたったでしょう。娘と思ってくれる人になんて事を頼んだのと。「海を飛ぶ夢」のラモンは、決して父の前では死にたいと言いませんでした。やっとお互いの本当の心が通じ合えた二人のキスシーンに、私はまた号泣。

そういうシーンは挿入されていませんが、フランキーは自らの命を絶ったのではと思います。自殺もまた大罪。二つの罪を犯すことで、フランキーは安楽死という自殺を望んだマギーの罪も背負いたかったのではないでしょうか?ミリオンダラー・ベイビーとは、タイトルマッチのファイトマネーが100万ドルという意味でしょうが、フランキーにとっては、マギーは100万ドル以上に輝く「俺の娘」だったのではないでしょうか?











ネタバレ終了

その他モーガン・フリーマンと言う俳優は、彼が目を凝らして見るだけで、それだけで意味のあるシーンになるという、ほとんど神様のような存在なのだと再確認できるし、フランキーの元を離れるウィリーには妻子の存在をちらつかせ、彼が成功を急ぐ姿に情けを与えます。悪役女性ボクサーにも、娼婦あがりという、二度と元の仕事にはもどりたくないのであろうと、観客が彼女を憎む心をちょっぴりひるませる隙を与えています。そしてジムのお荷物デンジャーの姿が、切なく辛い物語に光明を射します。私には完璧な脚本の完璧な演出の作品。オスカー受賞作でこれだけ感激したのは、「アメリカン・ビューティー」以来のような気がします。どうぞ皆さん、是非是非ご覧になって下さい。


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