2008年08月29日(金)  下手な運転手さん

打ち合わせが終わると、「外、嵐なので車で帰ってください」とタクシーチケットを渡していただいた。雷の轟きは届いていたけれど、会議室には窓がなく、外がどういうことになっているのかわかっていなかった。建物の前にはタクシー待ちの行列。近づいてくるタクシーも明かりしか見えないほどの猛烈な雨。

今日の運転手さんは、よく言えば腕に自信のある職人気質、悪く言えば自慢が鼻につくタイプ。スピードを抑えて慎重に進みながら、「ブレーキにも水が入って、利きが悪くなるんですよ。急ブレーキかけたって間に合わないんです」などと解説しつつ、「下手な運転手につかまってたら危なっかしかったですね」とさりげなく恩着せがましいことをおっしゃる。道路が低くなって水がたまったところに突っ込み、急流滑りのようなしぶきを上げながら走り去ると、「今んとこ、下手な運転手だったら、焦ってふかしすぎてエンジン空回りして動けなくなってたね。そしたら後から後から追突されて大惨事ですよ」。トンネルに入って行くよそのタクシーに目をやり、「トンネルなんか入っちゃいけない。水がたまりやすいし、視界も悪いし、あんなとこで立ち往生したら大変だ」と警告。ラジオをNHKに合わせては「まだナイターやってやがる。こんなときに」と毒づき、TBSに替えて雨情報を収集する間にも水たまりにザブンと突っ込むたびに「下手な運転手だったら……」の名調子が出た。

「よかった。うまい運転手さんで」とわたしが相づちを打ち、「あちこちで事故とか起きてるかもしれませんねえ」と“下手な運転手さん”たちの心配をすると、運転手さんは得意げに「お客さん、帰ったらテレビすごいことになってますよ」。家に帰るなりテレビをつけたけど、雨量以外はすごいことにはなっていなかった。

2007年08月29日(水)  マタニティオレンジ168 「白山ベーグル」参り
2004年08月29日(日)  東京都現代美術館『日本漫画映画の全貌』


2008年08月28日(木)  3年ぶりの健康診断

3年前に会社を辞めて以来、健康診断を受けていない。会社員時代は年に2回、強制的に受けさせられたのだけど、申し込み用紙が回って来て、いつにしますかとせっつかれないと、つい機会を逸してしまう。それでも突然受けようと思い立ったのは、先週から頭痛とだるさが続いていて、健康に不安を覚えたからだった。

保険組合に電話をし、提携している病院施設の一覧をファックスしてもらい、最寄りのクリニックに電話をかけ、「急なんですけど、今週の木曜日はどうですか」と問い合わせると、あっさり予約が取れた。なんだ、こんな簡単なことだったのか、と拍子抜けする。案内と検便用キットはすぐさま速達で発送され、火曜日の午前中に届いた。

人間ドックを最初で最後に受けたのは、10年以上前。一泊二日プランで、宿泊先は赤坂のニューオータニ。同期のママチャリ嬢と金曜日を午後半休し、旅行気分で出かけた。一日目の検診は視力検査と身体測定だけ。さっさと済ませた後は、まわる展望カフェで、ひと駅先に見えるわが会社を見下ろし、優雅にお茶をした。夜はコイバナをし、「今のわたしの人生に男は邪魔」と言い切るママチャリ嬢に驚いた。翌日の検診を終えるとホテル内のレストランでランチをして帰った。

そのときの記憶があるので、今回は日帰りドックといえども半日ぐらいはかかるんだろうなと覚悟していたら、朝9時に始まり、オプションの婦人科検診二つ(子宮がんと乳がん)を終えても10時半。子どもの頃、父親が「お父さんな、明日、人間ドックやねん」と言うたびに、「犬になるん?」「ドッグやなくて、ドックや」「ホットドックの親戚?」のようなやりとりがあった。検査入院を船の点検修理をするドックにたとえたのはうまいけれど、1時間半では通常の検診よりも早いぐらい。スピードの秘密は流れるような連携にあり、ひとつの検査が終わると、「こちらです」と次の検査からお呼びがかかる具合で、持ち歩いた本を読む時間はほとんどなかった。きびきびした中にも血は通っている感じで、戸田恵子似の元助産師だったという看護師さんに採血されながら、「子どもの写真ってのは親のためにあるのよねえ」なんて話をした。

検査終了から15分ほど待ち時間があり、最後のお医者さんからの聴診と説明がたっぷり30分。「脳梗塞になったとき、最初の10秒が勝負です。10秒で気を失いますから、すぐに携帯で110番してください」。脅すような一般論を言った後に、「おたくは大丈夫のようです」と安心させ、「症状は30ぐらいありますが、覚えきれませんから4つだけ教えます」とお役立ち情報が続く。心筋梗塞や脂肪肝が増えていることに触れてから、「おたく(わたしのこと)の場合、内臓脂肪は少ないので心配はありませんが、脂肪が少なければいいというものではなく、適度についているほうが長生きするんですね。そういえば、あのニュースキャスター、最近見かけませんが、どこか悪いのかもしれませんねえ」……。

どなたにでも懇切丁寧なのか、わたしが聴き入ったせいなのか、話せば話すほど調子が出て来て、いつ終わるのだろうと不安になってくる。今日診た限りでは、わたしの体調不良は先週からの風邪の名残と夜中の授乳による寝不足が原因のよう。「子育てでいちばん大事なのは、あなたの精神が健康であることです。そのためには趣味を何かお持ちなさい」と言われて、「仕事が趣味みたいなものなので、いい息抜きになっています」と答えると、不思議そうな顔をされたが、検診結果をネタに際限なく話を膨らませるお医者様も楽しそうだった。

2007年08月28日(火)  マタニティオレンジ167 ベビーシッター代ぐらいは稼がないと
2005年08月28日(日)  高円寺阿波踊り2日目
2004年08月28日(土)  『心は孤独なアトム』と谷川俊太郎


2008年08月27日(水)  『トウキョウソナタ』『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一髪』

黒沢清監督の『トウキョウソナタ』を試写で観る。カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞した作品。家族のひずみが奏でる不協和音が、再びひとつの響きに合わさる日は来るのだろうか。ソナタは音楽のsonataだけれど、タイトルをつけた人がそこまで意図したかどうか、わたしは「其方」という漢字を思い浮かべた。

親密から始まる家族という単位であってもアナタはソナタになり、やがてドナタになり、とうとうカナタになる。そんな危うさがタイトルからも感じられて、興味深い。

先日観た『歩いても 歩いても』は、とくに何も起こらない家族の一日に生じる微妙なすれ違いを描いていたけれど、『トウキョウソナタ』は次々と大変なことが起こる。そこはもう少し引きずってもいいのでは、と思うような重い出来事がさらっと通り過ぎられたりするのだけれど、いちいち立ち止まってなんかいられないのが人生なんだなあと妙に身につまされる。

アプローチはまったく違うけれど、家族について考えさせられる二本の映画をスクリーンで観られたのは、この夏の大きな収穫。

ちょうどうまい具合に時間が空いたので、試写室と同じ建物内にあるシアターNで『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一髪』を観た。洞爺湖サミットを堂々とパロディーにした調子の良さに惹かれて気になっていた作品だけど、窓口で間違って「『キングギドラ』ください」と伝えてしまった。

中国の不良品衛星が爆発して生じたエネルギーで怪獣が生まれ、洞爺湖サミット開催中の日本に上陸し、サミットは急遽対策会議に変更というストーリー。「ここで活躍すれば支持率が上がる」と各国首脳に逃げるのではなく残ることを要請するアメリカ大統領をはじめ、次々と繰り出される作戦も各国のお国柄を反映した毒が効いていて、ニヤリとさせられる。おなかが痛くて退席したアベならぬイベ首相に代わり、小泉ならぬ大泉元首相が登板するが、彼の正体はサミット乗っ取りを企む某国総書記で、通訳の美女たちも彼の手下だった……という展開。

冒頭のクレジットの文字は無駄にでかく、音楽はとことん派手に盛り上げ、登場人物のネーミングも演技も大真面目にふざけていて、ここまでやるかと呆れながら徹底したB級ぶりを楽しむ。

なんたって、地球の危機を救う全身きんぴかのタケ魔人役は、ビートたけし。日本に向かって打ち込まれた核ミサイルを肛門で受け止め、あわや大惨事を免れるという活躍を見せる。世界の北野武監督のこんな贅沢な使い方があったとは。しかも、タケ魔人を呼ぶ儀式の怪しい踊りは「ネチコマ、ネチコマ」と唱えながら、懐かしのコマネチポーズを繰り返すというもの。

やっぱりこの人美形だなあとあらためて感心したヒロインの加藤夏希も真剣な表情で延々と踊っていた。毒が中途半端に効いてハイになったギララが舞う浮かれた盆踊りも愛らしかった。

2007年08月27日(月)  ひさびさのおきらくレシピ「野菜いろいろジュレ」
2005年08月27日(土)  高円寺阿波踊り1日目
2004年08月27日(金)  汐汲坂(しおくみざか)ガーデン
2002年08月27日(火)  虹の向こう


2008年08月26日(火)  ゴ○○リから「テン」を取って「マル」をつけたら

ゴで始まってリで終わる四文字、ゴマスリではなくゴムマリでもなく、茶色い背中に長い触覚の嫌われ者のアイツが我が家を徘徊している。夜中に喉の渇きを訴える娘の手を引き冷蔵庫へ向かうと、流しの辺りでガサゴソ動いている。トイレで出くわすこともある。一匹ずつしか会わないから、一匹があちこちに出没してるのかと思ったら、始末してもどんどん代わりが出てきて、いやはや層が厚い。食べこぼし放題のほったらかし、ゴ○○リの足で三歩あるけば食料に当たるわが家は、そりゃ居心地よかろう。先日の大地震の噂に続いて、またもや大掃除の切実な理由ができた。

ゴ○○リ氏が現れると、どうしてああも大げさに驚き、嫌がり、怖がってしまうのだろう。元同僚でわたしのシナリオのご意見番のアサミちゃんは、「あの濁音がいけない」という意見。濁音を取り、なおかつチャームポイントに撥音を加えて「コキプリ」と呼ぶと、たしかに小粋でポップなフレンチ風の響き。やっぱり愛せないことには変わりはないけれど、名前だけでもかわいげがあったほうがいい。それにしても、単語に撥音(パ行)が入ると、文字通り「撥(は)ねた」感じになる。この発見が、函館を函°館(パコダテ)と呼んだパコダテ語のルーツ。映画『
パコダテ人』の誕生にはゴ○○リも一枚かんでいる。

2007年08月26日(日)  マタニティオレンジ166 お風呂で初U  
2005年08月26日(金)  『道成寺一幕』→『螢光 TOKYO』
2004年08月26日(木)  土井たか子さんと『ジャンヌ・ダルク』を観る
2003年08月26日(火)  アフロ(A26)
2002年08月26日(月)  『ロシアは今日も荒れ模様』(米原万里)


2008年08月25日(月)  新藤兼人監督最新作『石内尋常高等小學校 花は散れども』

96才、新藤兼人監督の最新作『石内尋常高等小學校 花は散れども』を試写で観る。ほとばしる勢いとポップな感覚。「現代のピカソ」という評になるほどとうなずく。個人的には熱血教師が大好きなので、新藤監督の恩師をモデルにしたという柄本明さん演じる先生の人物像をとても好ましく、「こんな先生、見なくなったなあ」というまぶしい思いで見た。父兄やら教育委員会やらの目が厳しくなり、やってはいけないことが多すぎて、先生たちは個性を発揮し辛くなってきている気がする。むちゃくちゃなところが愛せる先生を子どもたちが慕い、親たちがあたたかく見守った、そんな大らかな時代を懐かしんだ。

2007年08月25日(土)  マタニティオレンジ165 誕生日の記念写真
2005年08月25日(木)  『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫)
2004年08月25日(水)  アテネオリンピックと今井雅子
2003年08月25日(月)  冷凍マイナス18号
2002年08月25日(日) 1日1万


2008年08月24日(日)  マタニティオレンジ326 あかちゃんとポポちゃん

大学の応援団時代の後輩カジカジ君とマサコさん夫妻の愛娘ヨウコちゃんは、娘のたまより1年と2日後に生まれ、今日で2才。一家でわが家に来てくれて、ささやかな合同誕生会ランチをする。結婚を機に九州から上京したマサコさんとはカジカジ君のお嫁さんとして知り合ったのだけど、妊娠中に何度か一人で遊びに来てくれ、「一年後はこんな感じなんですね」とたまを見て想像をふくらませていた。マタニティビクスにも励み、おなかの大きな時代をしっかり楽しみながら出産の日を心待ちにするたくましい妊婦さんだった。予想通りの安産で、子育てもマイペースに取り組んでいる様子がメールのやりとりで伝わっていたけれど、なかなか会う機会がなく、生まれて一年経ってようやく再会そしてヨウコちゃんとの初対面となった。

わたしのペンフレンド、ドイツのアンネットから誕生日に贈られた赤ちゃん人形「ポポちゃん」のお世話ごっこに夢中のたまは、本物の赤ちゃんに興味津々。普段は甘えてばかりのくせに、後輩の前ではスプーンで上手に食べるところを見せつけたりする。だけどまだ一緒に遊ぼうと誘うほど気はきかず、むしろ無邪気な一歳児の予測不能な動きに戸惑い気味。たまとヨウコちゃんの顔合わせは交流のない平行線のまま終わった。ところが、一家が家に帰ってから、たまは「あかちゃん またくる?」を連発。そんなに気になるんだったら、うちにいるうちに一緒に遊べばよかったのに。人形と違って思い通りに動いてくれない赤ちゃんは、2歳児の手に追えないらしい。

ポポちゃんは妙にリアルで、目は青いし、頭はスキンヘッドだし、子どもには怖いかなと思っていたのだけど、慣れるとかわいげが出て来てきた。たまはおんぶにだっこ、おっぱいをあげたり着せ替えをしたり変なポーズを取らせたり、赤ちゃんのお世話というより子分をおもちゃにしているような感じだけど、仲良く遊んでいる。ポポちゃんというのは保育園にいるお世話人形と同じ名前。保育園のポポちゃんはいかにも日本の赤ちゃんで、黒髪もちゃんとある。

2007年08月24日(金)  半年ぶりに髪を切る
2004年08月24日(火)  TOKYO OYSTER BAR 
2002年08月24日(土)  『パコダテ人』ビデオ探しオリエンテーリング


2008年08月23日(土)  マタニティオレンジ325 じいじばあばあの二度目の子育て

ダンナの実家で娘のたまの2才を祝う。0才の頃は毎月友人を招いて月例(齢)誕生会を開いていたけれど、節目の1才は家族で祝った。2才はどうしよう、ひさしぶりだし友人たちに声かけようかとも考えたけれど、日頃お世話になっているじいじばあばとケーキを分け合うことに。座るとブーと鳴るレトロな赤い子ども椅子に乗ったたまが自ら「ハッピーバースデーディア あまちゃーん」と熱唱した後、2本のろうそくを吹き消した。

長男のダンナを頭に2男1女が育った実家には、三十余年もののおむつもおまるも取ってあり、たまがお下がりを使わせてもらっている。物持ちの良さもさることながら、ダンナ両親(とくに母)の子育て記憶の持ちの良さに驚かされる。成人した子の幼少時代を昨日のことのように覚えていて、目の前の孫と並べて、似ているだのどっちが早いだのと比べている。

孫を見ながら子育ての楽しさや大変さを味わい返しているダンナの両親を見ていると、ロンドンで出産した友人のイズミさんに教えてもらった『If I had my child raise over again』という詩を思い出してしまう。日本語訳をつけて日記で紹介(>>>2005年10月31日(月) もしも、もう一度子育てができるなら)しているのだけど、読んだ人からときどき反響が届く。自分はいま子育ての最中なのに、この詩を読むと、子どもが巣立ってしまうときの気持ちを想像してしまい、涙もろくなる。

2007年08月23日(木)  マタニティオレンジ164 ついに布おむつの出番
2005年08月23日(火)  たっぷり3時間『もとの黙阿弥』
2004年08月23日(月)  江戸川乱歩と大衆の20世紀展


2008年08月22日(金)  マタニティオレンジ324 指2本で「カニ!」たま2才

朝起きて、娘のたまに「2才だね」と指を2本立てて声をかけると、「カニ!」と無邪気な返事。1才から2才になったという実感はないのか。人差し指を立てることはできるけれど中指もとなると難しいらしく、パーの手をして「カニ!」と言う。

チョキを見て「カニ!」を連想するように、この一か月で、何かと何かを比べたり、似ているものを探したりするのが上手になった。それは言葉にも現れて、「おんなじ、おんなじ」と「〜みたい」を連発する。わたしが見ている通販カタログのヒラヒラ下着を指差し、「これ なあに? おむつ? おんなじ おんなじ」といった具合。前原星良ちゃんのうちで仲良くなった大型犬の「ミジュ」(本名の「ミズナ」を略して愛称「ミズ」)と過ごした時間がよほど楽しかったようで、犬とすれ違うたびに「ミジュみたい」。鎌倉文学館で見た「かいけつゾロリ展」も印象に残っていて、へんてこな格好をするときは「ジョロリみたい」とおどける。解説を読まなくたって、ゾロリの精神をちゃんと理解しているところが面白い。

逗子と鎌倉の海で遊んだ夏休み。普段と違う体験をしたりすると、言葉が一気に溢れ出して、たま語銀行への預け入れが追いつかない。新しい刺激のおかげでバーニーやテレタビーズのことを忘れてくれ、ビデオ漬けの生活から抜け出して、絵本やふれあい遊びを楽しむ機会が増えた。お気に入りの絵本は『はっぱのおうち』やたべものやのりものの図鑑。パパとママと手をつないでくるくる回る「くるくるまわれ」が好きで、布団の上や電車の中でつきあわされている。「はんたーい」「ちゅいさくなあれ」(小さくなあれ)「ぶらんぶらん」(手をぶらぶらさせる)など、たまの指示に大人が従うのが愉快な様子。お風呂の壁に描けるクレヨンで絵を描く通称「おふろでじじ」が遊びのレパートリーに加わったけれど、描くよりも消すのが楽しくて、「消すために色を塗る」遊びに変身。

卒乳の兆しはいまだになく、あいかわらず「トントン」と催促してくる。ただ、「(おっぱい)はいってますか?」の口調がくだけて、「はいってるか?」になった。好きな食べ物はもっぱら炭水化物と魚と納豆。野菜はブロッコリーとトマトをときどき。おせんべいを食べだしたら止まらない。トイレトレーニングはまだまだで、おまるで小さいのと大きいのを偶然一回ずつ出したっきり。おむつ離れどころか好みがどんどん口うるさくなり、ワンワンでなきゃイヤだとごねたり、やっぱりパンダだと言い出したり、コッコのおむつをはきかけてニャーンにはきかえたり、リスにキリンを重ねばきしたり。その足を上げて「バレリーナ」の一発芸は、磨きがかかって、足がだいぶ高く上がるようになってきた。親のストレッチを真似して寝る前に「じゅうなん」しているのが効いたのかも。

2007年08月22日(水)  マタニティオレンジ163 風邪と汗疹と誕生日プレゼント 
2006年08月22日(火)  新作誕生
2004年08月22日(日)  H2O+H2=H4O(水素結合水)
2002年08月22日(木)  鼻血で得意先ミーティングに遅刻


2008年08月21日(木)  「まとめ食い危険」なROYCE’のナッティバー

チョコレートが有名な北海道のお菓子やさん、ROYCE’(ロイス)。通販で一度買い物して以来、お中元やお歳暮の季節になるとカタログが送られてくる。写真と商品コピーを眺めているだけで片っ端から食べたくなるのだけど、中でもNutty Bar(ナッティバー)という商品が気になっていた。ザクザクのナッツをチョコで固めたもので、クランチ系チョコ好きなわたしにはストライクの予感。北海道土産にリクエストして買って来てもらったところ予感的中で、そんなに急いじゃダメと思いつつ、あっという間にひと箱10本をたいらげてしまった。

通販で買うべきか、ひと箱のために送料を払うのはもったいない、かといってまとめ買いするとまとめ食いの危険……などと思いながら有楽町を歩いていたら、「北海道どさんこプラザ」が目に留まる。もしやここにと入ってみると、ナッティバーと目が合った。ひと箱買って、家の冷蔵庫へ。冷やすと歯ごたえカッシリで、これまた格別。

2007年08月21日(火)  マタニティオレンジ162 もしもし、たま電話。 


2008年08月20日(水)  映画『歩いても 歩いても』

有楽町シネカノンで是枝裕和監督の『歩いても 歩いても』を観る。「何も起こらない、だけど、ずっとドキドキする」という批評を見かけて、とても気になっていたのだけど、本当にそんな作品だった。大げさな事件も仕掛けもない。けれど、一瞬先がどうなるのか、目が離せない。家族といういちばん身近な存在の頭の中ほどわからないものはなくて、わかりあえるだろうという前提があるから余計にややこしい。家族だからわかってほしいこととか、家族だから言われたくないこととか、その食い違いに苛立ったり傷ついたりする。その瞬間は心がざわついても時間が経てば忘れてしまうような些細だけど芯のある実感を是枝監督の脚本は実にうまくすくいとっていて、台詞のひとつひとつに「あるある」とうなずいてしまった。

脚本も演技も嘘を上手につくには技術が必要だとよく言われる。作り物であることを忘れさせるほどの自然なたたずまいは、緻密な計算を重ねて実現したのだろう。帰省した息子夫婦と娘夫婦のために母親がこしらえる枝豆ごはんひとつ取っても、しゃもじでまぜる手つきから、映画の外の時間で何度も作ってきた歴史を想像させてしまう。使い込まれた家具同様、家族の会話の距離感からも、流れた時間を見て取れる。高等だなあとしみじみ感心した。

声高にメッセージを念押しして感情を押しつけるのでもなく、身につまされた観客に自分なりの何かを持ち帰らせる。映画らしい余韻が残る作品だった。

2007年08月20日(月)  マタニティオレンジ161 はじめての返品

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