2007年06月03日(日)  マタニティオレンジ127 0歳児時代は子どもより自分優先!?

数日前、変な夢を見た。わたしはどうしてもSMAPのコンサートに行きたいのだけれど(なぜSMAPなのか。追っかけでときどき上京する京都のメグさんの影響かもしれない)、子守を頼んでいた大阪の母が「わたしは文楽に行く」と言い張り(これはありうる)、ならば子連れで会場に入ろうとすると渋られ、会場近くの託児所へ行くと、いかにも信用の置けなさそうなスキンヘッドにタトゥーのゲイが出てきて「まかせて」とウィンクするのだけれど、まかせられずに引き返し、コンサートをあきらめた。

そんな夢を見たのは、少し前に読んだ保育園の園便りの影響だと思う。「身近なお出かけスポット」について各クラスから一人ずつ寄稿することになり、0歳児クラスではわたしに声がかかった。わたしはお散歩コースにあるおいしいイタリアンとパティスリーと、子連れで映画を楽しめるママズクラブシアターについて書いたのだが、他のクラスの保護者の方のコメントを読んで、あることに気づいて愕然となった。1歳児クラスのお父さんは「子どもと一緒に遊べる公園」を、2歳児クラスのお母さんは「子どもとじっくり絵本を選べる神保町の本屋さん」を、3歳児クラスのお母さんは「子どもが大好きなコミュニティバスのお出かけコース」を紹介している。わたしのコメントとの明らかな違いは、「自分が楽しむことありき」か「子どもが楽しむことありき」かだ。わたしが紹介したスポットは「自分が楽しいところに子どもをつきあわせる」という発想になっている。この寄稿文に限らず、「子どもと一緒に楽しめる」というとき、自分に子どもをつきあわせているのではないか、と思い至って愕然とした。

そのことが引っかかって夢にも出てきたのだろう。夢の中でもやっぱりわたしは自分の都合に子どもを合わせようとしているのだった。なんとなく後ろめたさを抱えていたので、金曜日に保育園のお迎えの帰りがけに園長先生から「園便りへの寄稿、ありがとうございました」と声をかけられたときに、「わたしだけ、親が楽しむことばかり書いてしまって」と恐縮すると、「いいんですよ。0歳のうちは」と言ってくださる。「まず、親が楽しくあること、それもとても大切なことです」。力強い言葉に、罪悪感がずいぶんぬぐわれ、気持ちが軽くなった。

親が好きな場所に、子どもを連れて行く。親が楽しいと思うことに、子どもを巻き込む。一緒に楽しむという意識はまだないかもしれないけれど、親の楽しい気分が、子どもにも伝われば、一緒に笑うことぐらいはできる。お出かけ日和の日曜日、ベビーカーで日比谷公園へ出かけ、日差しが入り込むテーブルでランチを取った。四人がけのテーブルを夫婦とベビーカーでぜいたくに使わせてもらう。陽気に誘われて、たまはベビーカーの中ですやすや。その間に野菜たっぷりのサラダバーを味わう。デザートが運ばれてくるタイミングで目を覚ましたので、だっこしながらお茶を飲んだ。一緒に食べられる日はまだ先だけれど、今は今の楽しみ方があっていいのかなと思う。

2005年06月03日(金)  劇団浪漫狂『ピカレスクpp行進曲』
2003年06月03日(火)  海南鶏飯食堂(はいなんじーふぁんしょくどう)
2002年06月03日(月)  きる ふぇ ぼん
2000年06月03日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月03日(日)  4年2組日記 先生の家


2007年06月02日(土)  『ベンディングマシンレッド』発進

炭酸が苦手でコカ・コーラが飲めないくせに、飲むコカ・コーラ以外は大好き。10代でアメリカに留学したときに、Coke=アメリカが刷り込まれてしまったのかもしれない。昔のクラシカルな広告を刷ったポストカードを集めたり、コカ・コーラのロゴ入りグッズを部屋に並べたり、わたしにとってコカ・コーラは眺めてうれしいもの。

最近教えてもらったショートムービー『ベンディングマシンレッド』は、コカ・コーラウォッチャーには見逃せない作品。「第1話 ベンディング マシン レッド発進!」に続いて「第2話 最重要物資を奪え!」をYouTubeで配信中。この先もふえていくと思われる。「ベンディングマシンレッドは突然変異によって現れた自動販売機型ロボットなのだ。行け !ベンディングマシーンレッド!進め!ベンデングマシンレッド!」という勇ましい謳い文句には「コカ・コーラ」の文字はないけれど、あの赤い自動販売機から手足が伸び、赤い顔が乗っかっている。戦隊ヒーローっぽい名前のくせに、強そうには見えない。大きな図体を持て余しているように見える。でかくてごつい上に顔もかわいくないのだけど、その武骨さ、不器用さがいじらしくなってくる。無骨自動販売機でありながら街角の自動販売機のおつり返却口に大きな指を突っ込もうとして往生している姿には、なんともいえない哀愁とおかしみがある。わたしが見ている横からパソコンをのぞきこんだダンナが「これ、バカバカしくて面白い」と受けていた。エッジが立っているようで、意外と間口は広いかもしれない。

ベンディングマシンレッドはmixiにも登場(レッド)。ムービーが気に入った方は、マイミク申請してみては。わたしも、はじめてロボットとマイミクに。日記で近況を綴っているのだけれど、こちらもなんともゆるい。レッド君、ムービーの中だけでなく、街にも出没している様子。目立つだろうなあ。コミュニティ(レッド(自販機ロボ)応援隊)もできていて、じわじわと注目度は上がっている様子。大化けしたら面白いな。

2002年06月02日(日)  お宅訪問
2000年06月02日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月02日(土)  4年2組日記 バレーボール


2007年06月01日(金)  「いしぶみ」という恋文

向田邦子さんの短編とエッセイを集めた『男どき女どき』を読んでいて「いしぶみ」という言葉を知った。「昔、人がまだ文字を知らなかったころ、遠くにいる恋人へ気持ちを伝えるのに石を使った、と聞いたことがある」とある。

石に思いを託すためには、思いにぴったり合う石を探さなくてはならない。中途半端な石で妥協すると、受け取った相手に読み間違えされて、思わぬ誤解を呼ぶかもしれない。相手の顔や好みを思い浮かべながら便箋を選ぶよりも、もっと真剣で慎重な作業が必要になる。その分、今のこの気持ちを表わすためだけにあるような石に遭遇したときの喜びは大きいだろう。地べたに転がっている石ころを手紙という目で見たら、ひとつひとつが違って見えたり、物言わぬ塊が語りかけてくるように感じられたりするかもしれない。今度やってみよう。

「いしぶみ」に想を得て、こんな話を考えてみた。

いしころかぐや姫

その昔、文字をしたためた手紙ではなく、旅先で拾った石を届けて遠くにいる恋人に気持ちを伝える「石文(いしぶみ)」というものがあった。時は流れ、メールで手軽に気持ちを伝え合える21世紀、由緒正しい家柄の跡取り娘、しかも超美人という現代版かぐや姫が結婚相手を決めるにあたって出したお題が「石文」。最も彼女の心をゆさぶった石文の送り主が選ばれるとあって日本中からこれはどうだ、という石が続々と献上された。

中の空洞に水がたまって音がするアンデスの珍しい石、うけ狙いで漬物石、「あなたと食べる一生分のサラダのために」の願いを込めた岩塩……だが、姫のハートを射止める石は現れない。姫は芸術が好き、という噂が流れると、精巧な彫刻をこらした石や石のオブジェといった作品が届くようになる。それでも反応がないとみると、気持ちというのは結局金ではないか、という憶測が流れ、特大ダイヤモンドや世界にひとつしかないレアな宝石が競い合った。

脱落していく者が続出し、いつしか五年の歳月が過ぎ、石文合戦のことを世間が忘れた頃、ようやく姫の結婚相手が決まった。お披露目に現れたのは、貧弱な冴えない男。一体どんな石文で彼女を口説き落としたのかといえば、送ったのは、どこにでもあるような石ころだという。だが、一個ではない。お披露目の会場となったのは、小石が敷き詰められた庭。その庭を満たすだけの石を、五年の歳月をかけて送り続けた誠意が通じたのだった。


いしぶみについて触れた同じエッセイの中に、もうひとつ、印象的なエピソードが紹介されていた。向田さんが忘れられない手紙として挙げた、「○と×だけの手紙」の話。学童疎開へ向かう向田さんの妹に、父は自分宛の宛名だけを書いたハガキの束を渡し、「元気な時は大きなマルを書いて一日一通必ず出すように」と伝えて送り出した。最初はハガキからはみ出さんばかりだったマルがだんだん小さくなり、細っていき、やがてバツになり、ついにはハガキが来なくなった。疎開先で、妹は百日咳で寝込んでしまっていたのだという。それを読んで、『レ・ミゼラブル』の初版売れ行きを心配したビクトル・ユーゴーと出版社との世界一短い往復書簡「?」「!」や、南極観測隊の夫に日本で留守を守る妻があてたたった三文字の電報「あなた」を思い出した。手紙というのは言葉を費やせばいいというものではなく、端的な表現に思いがぎゅっと詰まったエネルギー効率の高いもののほうが心を打つけれど、発散させるよりも凝縮させるほうが高度な技を要する。沈黙の中に思いを込めるいしぶみは究極の離れ業だといえる。

2005年06月01日(水)  映画『子ぎつねヘレン』撮影中
2004年06月01日(火)  歌人デビュー本『短歌があるじゃないか。』
2002年06月01日(土)  フリマ
2000年06月01日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月01日(金)  4年2組日記 日記のざいりょう


2007年05月30日(水)  マタニティオレンジ126 ピアスを見たり赤ちゃんを見てもらったり

短歌の会「猫又」つながりで知り合い、高円寺阿波踊り仲間にも加えてもらったジュエリーデザイナー・宮崎美保子さんの自宅で新作コレクションを拝見。娘のたまの保育園を午前中だけにして、母娘で美保子さんちへ。おいしいものとおしゃべりが大好きな美保子さんのもとに、おしゃべりな人たちがおいしいものをさげて集まってきて、コレクションはパーティの口実になる。ワインやつまみやおしゃべりの合間に指輪やピアスを見せていただく。人が躍動しているポーズのものと、七色の光る石が連なったもの、2種類のピアスを購入。人は入れ替わりたちかわりやってくるのだけど、急ぐ用のないわたしとたまはずっといて、たまは妙齢のご婦人たちに次々と抱っこされることになった。

1時過ぎに到着して、気がつけば、8時。2、3時間お邪魔するつもりが、倍以上の時間をすごしていた。ここで困ったのが、おむつ。多くても2回替えれば十分、と読んで2枚しかもってこなかったのだけど、替えたばかりの2枚目がまさかの大爆発。ちょうどお客さんが途絶えた時間で、美保子さんが10分ほど出かけてくる間、留守番を頼まれていた。美保子さんの携帯に電話して、おむつを買ってきてもらうべきか、いや、それまで待てない。美保子さんが在宅していたとしても、ドラッグストアへ行く間にますますぐずるたまを見ていてもらうのは申し訳ないし、かといって、爆発のままだっこひもで抱えるのは不可能なので連れても行けない。

とにかく、今この場でことをおさめなくては。さあどうする? とっさに頭をよぎった選択肢は
○タオルで急場しのぎの布オムツ→もれそうだから×
○ウンチをぬぐって履かせ続ける→表面張力級の大量なので×
うーむどちらもダメだあ、と思ってひらめいたのが、「そうだ、さっき替えたおむつをもう一度はかせよう」。比較的汚れの軽いおむつを持ち帰り用ゴミ袋から取り出して再び開き、爆発オムツと交換。肌にあたる部分には駅前でもらったティッシュを敷き、なんとか帰宅するまで持ちこたえた。 まったくもって自慢にならない話だけど、こういう究極の選択に直面するのも子育て期間ならではだなあと思った。そして、わたしには長居の気があるのだから、おむつは余裕を持って用意しなきゃ、と反省。

2005年05月30日(月)  脱力系映画『イン・ザ・プール』
1979年05月30日(水)  4年2組日記 男子べんじょ


2007年05月29日(火)  マタニティオレンジ125 ちょちちょちあわわ

先日の保育園保護者会で教わった「ちょちちょちあわわ」の歌、わたしは知らなかったのだけど、子守唄の定番らしい。

ちょちちょち あわわ
かいぐりかいぐり とっとのめ
おつむてんてん ひじとんとん


「ちょちちょち」で手をたたき、「あわわ」で手を口に当て、「かいぐりがいぐり」で糸巻きのように両手をぐるぐるまわし、「とっとのめ」で人差し指で反対の手の甲を指差す。「おつむてんてん ひじとんとん」で頭とひじを軽くたたく。「お風呂なんかで歌ってあげてください。喜びますから」と言われ、早速やってみたら、ほんとに大喜び。保育園でも何度も歌ってもらっているはずだけど、わたしが歌うと、また新鮮なんだろうか。「あわわ」を真似してやるようになり、その仕草がなんともかわいい。「あわわわわ〜」とそれだけ延々とやってみせると、たまも懸命に真似する。ちゃんと大人を見て、同じことをやろうとしているけなげな姿に、涙が出そうになる。

そういえば、ずいぶんフライングでどっさり本を借りてきたベビーサインの適齢期はたしか8か月頃だった。6か月頃から使っていると、8か月頃に自分からサインを出すようになるといったことが書かれていたと思う。結局、ベビーサインを意識して使うことはしなかったけれど、「げんこつやまのたぬきさん」のような振りつき歌もベビーサインのひとつだと、これも本に書かれていた。同じ歌を歌って、同じ振りをして、それで十分コミュニケーションになっている。

2005年05月29日(日)  『昭和八十年のラヂオ少年』を祝う会
2004年05月29日(土)  幸せのおすそわけ
2002年05月29日(水)  SESSION9
1979年05月29日(火)  4年2組日記 お母さんのおてつだい


2007年05月28日(月)  高田さんからの招待状

昭和ひとけた生まれの高田さんは、今井雅子ファン長老クラスの一人。ときどき和紙にしたためた丁寧なお便りをよこしてくださる。あじわいのある筆文字に独学の水彩画が添えられて、そのまま額に飾りたくなるような風情がある。味わいのある文体も楽しみで、読んでいると、にこにこ、くすくすと笑顔や笑いを引き出される。

今回のお便りは、高田さんのお宅でわたしを囲んで集まりましょう、というお誘い。高田さんを引き合わせてくださった同級生の余語先生や二人の共通のお友だち四、五人と応接間で語らう会をこれまでにも何度か持った。皆さん、あと数年で80になる。「気楽なパーティであの世行き乗客専用車にまぎれ込んだ面白味もあるかもしれません」。こういうとぼけた表現が便箋のあちこちに見え隠れする。風邪を引いてなかなか治らなかったときの心境を「お棺の中で寝ている様」と綴り、体調が回復したのでまた新たな絵の制作に取りかかろうと思っているが、「『とし』ですので、まあ子ぎつねへレンがミルクをのむ様な気持で自然に自分が楽しめれば」と語る。

高田さんには、生まれて二か月ほどのときに家に遊びに来てもらい、娘のたまにも会ってもらっている。そのときの印象を「小生はただ物珍らしそうにイエス様とお合いした様な気持ちで赤ちゃんを眺めるのみ」と振り返り、「次にお目にかかる時はこのスクスク組とシワシワ組のかわりように驚き世の諸行無常を嘆くことを必ずと覚悟致しております」と手紙は結ばれている。

2005年05月28日(土)  このごろの通販ショッピング
2004年05月28日(金)  日本映画エンジェル大賞授賞式
1979年05月28日(月)  4年2組日記 がっけんのふろく


2007年05月27日(日)  大人計画『ドブの輝き』

下北沢本多劇場にて大人計画公演『ドブの輝き』を観る。おめあては『子ぎつねヘレン』に警官役で出演された阿部サダヲさん。この人は、見ているだけで、おかしい、楽しい、うれしい。顔面も含めて人間の身体ってこんなに面白い動きができるんだ、と感心してしまう。初主演映画『舞妓haaaan!!!』ではどんな怪しい動きを見せてくれるのか、楽しみ。

阿部さんだけでなく、出演者は皆、体を張っているというか、体当たりというか、体をめいっぱい使ってエネルギーを発散させて、舞台のお祭り騒ぎを加熱し、加速させている。演技していると言うより体現しているという感じ。受け止める側の観客にも相当なパワーとスタミナが要で、寝不足や二日酔いでは力負けして迎え撃ちできない。キャラクターは強烈だしネタは過激だし、大人計画の舞台は、わたしにとっては食べなれない食材や香辛料をふんだんに使った珍味のようなもので、体調不良のときには胃もたれや胸やけや消化不良を起こす。二、三日前から体調を整え、体力を蓄えて劇場に乗り込まねばならない。気合十分な観客たちの「かかってこい」オーラが結集して、開幕前の客席の高揚感になる。

おしりは痛くなったけれど、最後まで振り落とされずに済んだ三時間に迫る長大作は、「涙事件」(作・演出:宮藤官九郎)、「えっくす」 (映像演出:井口昇)、「アイドルを探せ」(作・演出:松尾スズキ )のお芝居二本と映像一本の三本立て。書き手としては遠慮してしまうような大胆不敵な台詞を、客席は遠慮なく笑い飛ばす。茶化したり笑いのめしたりしているなかに、ドキッとさせられる真理が顔をのぞかせるので油断はできない。ドブの輝きというタイトルは、大人計画らしさを言い当てているように思った。

2005年05月27日(金)  『シンデレラストーリー』@ル テアトル銀座
1979年05月27日(日)  4年2組日記 みんないっしょに


2007年05月26日(土)  マタニティオレンジ124 役員仕切りのクラス会

一昨日の園主催の保護者会とは別に、今日は保護者だけが親睦を深める目的で開催するクラス会。各クラス2名いる役員が取り仕切ることになっており、くじ引きで当たりを引いたYさんとともにメールをやりとりしながら準備を進めた。送り迎えのときにお母さんをつかまえては連絡先を聞き出し、お店を見つければ、あとは携帯メールで出欠確認もお知らせの配信も楽々。当日のキャンセルの読みだけは神経を使った。0歳児は体調が不安定だし、折しも麻疹がはやっていたし、子育て中のお母さんも体調を崩しやすい。座敷を予約した都合上、店にはあらかじめメニューを伝えることになっていたが、減らすよりは増やすほうが対応してもらいやすいだろうと、数を一人分少なくしておいた。それでも前日に一人、当日に一人キャンセルが出て、一人分余ってしまうことに。当日キャンセルはきかないことになっていたけれど、応対してくれたお店の人が親切で、応じてもらえた。さらにグルメウォーカーの5%引きクーポンも使えて、助かった。お店はチェーン店の「かごの屋」にしたのだが、別々に「文京区 座敷」のお店を検索していたわたしとYさんがほぼ同時に見つけて、行き違う形で「かごの屋はどう?」とメールしあった。

酔ってゴロンと横になれた応援団時代以来、子どもを持って座敷のありがたみを感じているのだけれど、通された部屋は貸切の座敷で、ハイハイだけでなくワイワイも遠慮なくできてよかった。あわただしい朝夕の送り迎えでは挨拶ぐらいしかできないけれど、約二時間ゆっくり話せて、お互いを知るいい機会になった。わが家も含め三人参加したお父さんたちにもいい刺激になった様子。また秋ぐらいにやりましょうと話す。そのときには、子どもたちもハイハイからヨチヨチになっているのだろう。帰り道、方向が同じお母さんたちと図書館の前を通りがかって、「ここ、ビデオも借りれるんですよ」と言ったら、「わたし、よく借りてますよ」「ほんと? 借りてみようかな」といった返事。秋には映画の話もできるかもしれない。

2004年05月26日(水)  ニヤニヤ本『言いまつがい』
1979年05月26日(土)  4年2組日記 かみなり


2007年05月25日(金)  車椅子専用クッションのすわり心地

産後の戻りは順調というのは幻想で、産後に調子に乗って無茶したばかりに首から腰にかけてひどい凝りと痛みに悩まされている。座職の身には、死活問題。治療と並行して、仕事道具を見直してみた。食事をするダイニングテーブルにパソコンを置いて打っているのだけど、椅子もダイニングチェア。長い時間据わりっぱなしには向かないし、当然姿勢も不自然になり、背骨にはよろしくない気がする。ダイニングテーブルと椅子のセットは10年ほど前に会社時代のコピーライターの先輩からただ同然の格安で譲り受けたものだが、そのとき以来張り替えもしていなので、すわり心地も相当悪い。中のウレタンクッションは相当くたっていると思われる。

「椅子の張替え」を検索した流れで、「生地のみの張替え」「ウレタンクッションの取替え」といった言葉を見つけ、「ウレタンクッション」で再検索すると、セラピーショップ
というお店の「車椅子専用クッション」が見つかった。一日中座りっぱなしの車椅子の人の床ずれを予防するよう開発されたものが一般向けにも販売されている。床ずれ防止マットレスに使われる低反発ウレタンが体圧を分散し、長時間座っていても疲れにくいのだという。一枚7000円という0ひとつ多い強気の価格設定にも自信がうかがえ、二枚購入。おしりの下に一枚、背中に一枚。袋状の枕カバーに二枚並べて入れ、L字に折って使っている。おしりや背中が痛くて集中力が切れることはなくなった。元を取るぐらいは仕事がはかどりそうだ。

2005年05月25日(水)  オペラに恋して〜愛ラブ3テノール
2003年05月25日(日)  レトルトカレーの底なし沼
2002年05月25日(土)  イージーオーダー
1979年05月25日(金)  4年2組日記 おかあさんが帰ってこれるか


2007年05月24日(木)  マタニティオレンジ123 モンスター親とアリガター親

保育園で保護者会があった。保護者懇談会と参観日をクラス単位で行うもので、まずは職員室に集まり、「ちょちちょちあわわ」「げんこつやまのたぬきさん」をみんなで振りつきで歌い、先生方のご挨拶と保護者の自己紹介と質疑応答(きょうだいがいる人の「朝の支度で大変なときに下の子にかまいっきりで上の子をつい忘れてしまう」という質問には「下の子をおんぶしては」と提案)を終えて教室に移動。離乳食を食べさせ(まわりのコモも食べていると、家よりよく食べる)、園医の先生の問診を見学、という盛りだくさんな内容。

自己紹介のとき、わたしは「朝は出かけようとしたらウンチをされるし、夕方は遅刻ぎりぎりお叱りを受けています」となかなか時間通りに送り迎えできない言い訳のような話をしてしまったが、他のお母さんたち(平日の昼間ということもあってか、夫婦での参加一組以外は出席者はお母さんばかり)の話を聞くと、「保育園に預けられたおかげで無事職場復帰でき、ありがたく思っています」「親だけでなく、他のお子さんのお父さんお母さんや保育士さん、たくさんの目に見守られて子育てできることを心強く思います」「子どもは保育園が気に入ったようで、保育園に入ってからの成長に驚き、喜んでいます」「いろんな保育園を見て回りましたが、ここはとくに環境も良く、先生方も熱心で、いい保育園に入れてよかったです」と保育園への感謝の言葉が続々。自己紹介をやり直したくなった。

わたしは保育園に預ける前から少しずつ仕事を受けていたので、四月から復帰、という区切りがなかった。そのせいか、「自由な時間がふえた」「まとまった時間ができて仕事がはかどる」という変化は感じたけれど、「保育園のおかげで仕事ができる」という意識は薄かった。だけど、保育園に申し込んだ1月の時点では、「どこにも入れなかったら仕事はだいぶ断ることになるんだろうな」という覚悟と不安があった。9時から6時まで安心して子どもを預けられる場所があるから仕事ができる、そのありがたみを忘れていた。

入れてよかった、という気持ちが大きいからか、どのお母さんの口から出てくるのも保育園への不満ではなく感謝や感激だ。近頃話題の学校に文句をつけて先生方を閉口させるモンスター親とは逆のアリガター親。ありがたいという気持ちには伝染力があるようで、わたしもあらためて「いい保育園に入れた」「いい人たちと同じクラスになれた」とうれしくなった。アリガター親がふえると、先生たちもはりきるし、そこから生まれるやる気や工夫が結果的には子どもたちに還元されるのだと思う。

親といえば、上京してきた大阪の父イマセンから早めに駅に着いたと電話があり、いい機会なので保育園を見てもらおうと思いついた。園長先生に相談すると、どうぞ、と快いお返事。突然の訪問にもかかわらず、保育士さんから「お父さん」と気さくに声をかけてもらって父も喜び、わたしはますますアリガター親になった。

2002年05月24日(金)  清川虹子さん
1979年05月24日(木)  4年2組日記 しゅうじで「ビル」

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