2004年11月20日(土)  高倉台・三原台同窓会

■5か月ぶりに大阪に帰る。今回の目的は同窓会。中学3年のとき同じクラスだったはるちゃんが関空まで迎えに来てくれる。はるちゃんの車でフレール・ド・シャンソニエ(堺市百舌鳥陵南町3-413 TEL072-276-1888)というカフェレストランへ。『泉州のスイーツ&ベーカリー+カフェ』というムックに大きく取り上げられている。泉州のスイーツで一冊できることに驚き。わたしが住んでいた頃はカフェ文化なんてほとんど根付いてなかった。■はるちゃんはわたしの作品の強力なサポーターの一人。『冷凍マイナス18号』のバッジプレゼントに応募して当選したのを、封筒ごと持ち歩いて職場で自慢している。しわしわになった封筒を見て、「これ、わたしがラベル貼ったのよー!」と感激。食事をはじめたところに、はるちゃんの幼馴染の陽子が到着。わたしとは中学・高校の同級生。中学校ではソフトボール部で一緒だったけど、仲良くなったのは高校1・2年で同じクラスになってから。わたしが留学した一年間にいちばんたくさん手紙をくれたのが彼女。最後に会ったのは5、6年前だけど、いつ会っても高校時代から変わってない気がする。■はるちゃん、陽子は夜に先約があり、同窓会は欠席。わたしの実家でお茶を飲んで、陽子に駅まで送ってもらい、同窓会場行きワゴンバス(運転手は幹事の葛ちゃん)に乗り込む。わたしを引き渡すつかの間、陽子は同級生と再会。■同窓会といっても立食のかしこまったものではなく、居酒屋でワイワイのスタイル。小学校から中学校にかけての同級生25人が村さ来に集まった。男子も女子も全体的に若い。女子はますますたくましくなり、男子をアゴでこき使い、男子もぼやきながら楽しんでいる様子。「みんな変わってへんなー」とお世辞を言っていた男子は、酒が回るにつれ、「みんなオバハンになったなー」と本音。座敷なので席を自由に動いて、いろんな子と話せた。ブレーン・ストーミング・ティーンを読んだよ、とか買ったよ、と言ってくれた子が何人もいて感激。同級生っていいなあ。■2次会はカラオケスナック。歌よりもおしゃべりに夢中だった。カウンターに座っているやたら声のいい男性が自慢の喉を鳴らしては、こっちのテーブルをちらちらと見て拍手を求めるそぶり。確かにうまかった。歌手と言えば、同級生の女の子の長女が樋井明日香としてアーティストデビューしていた。美人のお母さんに似て、かなりかわいい。女優としてもドラマ『ピュア・ラブ』にルナ役で出演していたそうで、「坊さんラブ、見てたでー」と昼メロ好き主婦組は大喜び。ドラマや映画の主題歌の仕事が多いようなので、作品で遭遇するチャンスもあるかも。■8時間の同窓会の間にいろんな話をしたけど、普段東京で出てこない話題が多くて新鮮だった。考えてみると、高校、大学、広告会社、脚本の世界と進むにつれて、どんどん似た者同士がまわりに集まってきている。価値観の近い人の中にいる居心地の良さはあるけれど、見落としている感覚や感性もあることを同級生との再会で気づかされた。同い年、同じ町という理由で机を並べ、運動会やお楽しみ会を一緒にやった仲間。誕生日が1年違えば、家が1キロ離れていれば、同級生になれなかった人たち。この不思議で貴重な縁を楽しみたい。最後に、幼なじみの寺岡佳夏へ。佳夏を偲ぶ会でひさしぶりにみんなに会ったとき、せっかく佳夏がつなげてくれたんやから大事にしようなって話して、今日集まることになったんやで。佳夏のおかげで、またみんなに会えて、おもろかったわ。佳夏がおったら、もっとおもろかったやろうけど。

2004年6月20日 日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと
2005年05月08日 佳夏の置き土産、高倉三原同窓会やるでー。

2002年11月20日(水)  カタカナ語


2004年11月15日(月)  「トロフィーワイフ」と「破れ鍋に綴じ蓋」

最近知った言葉、トロフィーワイフ。文字通り「トロフィーのように見せびらかす妻」を指すらしく、「あの人の奥さんはトロフィーワイフよね」などと羨望と嫉妬をブレンドした口調で使われていたのだが、今まで聞いたことがなかった。わたし自身は「みっともないから引っ込んでいなさい」と隠されるほうなので、自覚する機会がなかったとも言える。ところがトロフィーワイフの意味をよく調べてみると、もともとは「成功した男が糟糠の妻を捨てた後に手に入れるステータス妻」のことで、決してほめ言葉ではない。美人妻と結婚した男友達に「トロフィーワイフだね」などとからかったら、友情にひびが入るところだった。妻だけじゃあ不公平という声に応えてか「トロフィーハスバンド」という言葉もある。こちらは「バリバリキャリアの妻を支える専業主夫」を指すらしい。ほめてつかわす、ということなのか。

お似合いの二人を指す言葉だと勘違いして使っていたのが、「破れ鍋に綴じ蓋」。そもそも「割れ鍋に閉じ蓋」だと思っていたのだが、その前に「割れ鍋煮閉じ豚」という料理か何かだと思い、「煮閉じ豚っておいしそうですね」と言ったら、「ワレナベニトジブタじゃなくて、ワレナベニ、トジブタですよ」と教えられた経緯がある。「綴じ蓋」は「壊れた部分を修繕した蓋」のことで、「破れ鍋」とは不良品同士のカップル。おめでたいわたしは「運命のように相性ぴったり」の意味だと勘違いしていたのだが、実際は「どんな人でもそれなりの相手(配偶者)が見つかる」というあまり救いのないニュアンス。どちらかと言うと、「蓼食う虫も好き好き」「捨てる神あれば拾う神あり」に近い。ムッとさせてしまった方、ごめんなさい。

2002年11月15日(金)  ストレス食べたる!


2004年11月14日(日)  『バニッシング・ポイント』@ルテアトル銀座

■フィリップ・ジャンティ・カンパニーの『バニッシング・ポイント』を観る。チラシで知って気になっていたのだが、昨日打ち合わせで会ったプロデューサーが「今日観てきたんですよ」と言うまで忘れていた。「日曜までですよ」と言われ、調べてみると、東京公演は今日の14時の部を残すのみ。前売り券は売り切れで当日券は1時間前から発売とある。1時にル テアトル銀座に着くと、エレベーターホールにはすでに行列。一人ずつ受付に呼ばれ、自分で席を決めてチケットを購入する。20分並んで順番が回ってきたときには、最後列か左右の補助椅子席しか残っていなかったが、ここまで待ったからには観る。通路に椅子を置いているので、人が通るたびにぶつかって椅子が動き、肩身の狭い思いをするが、我慢がまん。■幕が開き、いきなり日本語の台詞が出てきたのには驚いた。「あなたが見ているのは私ではなく、あなたの内面かもしれない」といった作品のテーマを告げる。全体的には台詞はほとんどなく、ところどころ入るやりとりは英語だったり日本語だったり。不気味な人形、意志を持ったように躍動する巨大ビニール、首だけの「おじいちゃん」……見たことないものが次々出てくる。チラシからはサーカスのようなものを勝手に期待していたのだが、肉体的というより精神的離れ業という感じ。「バニッシング・ポイント」とは遠近法で言う消失点。重力や遠近感や常識やいろんなものが消える。頭マッシロ状態で『舞台の魔術師』の魔法にかかり、舞台空間を浮遊するパフォーマーのように空想の世界をたゆたうのが、心地よい楽しみ方かもしれない。■いちばん感動したのはカーテンコール。満席の会場から沸き起こる拍手と「ブラボー!」のかけ声は、楽日ということもあり、なかなか鳴り止まない。それを受け止める出演者とスタッフの胸中を想像し、なんて幸せな仕事だろうと思う。そして、何度目かのカーテンコールで見せた、遠近法を覆すとっておきのサプライズ。最後の最後まで遊び心を忘れない姿勢に、いっそう大きな拍手が贈られた。このあと名古屋(11/18 愛知厚生年金会館)、山口(11/20・21 山口情報芸術センター)、大阪(11/23 12:30/17:30 シアター・ドラマシティ)、松本(11/26 まつもと市民芸術館)、新潟(11/28 新潟市民芸術文化会館・劇場)公演が続くそう。


2004年11月12日(金)  何かと泣ける映画『いま、会いにゆきます』

■渋谷の渋東シネタワーで話題作『いま、会いにゆきます』を観る。「タイトルの意味がわかった瞬間、しびれる」といろんな人が言う意味がやっとわかった。『シックスセンス』よりも驚きと感動があった。映画館を出てから会う人ごとに「よかったですよ。でも中身は言いませんから見てくださいね」と話す。すでに原作を読んでいる人は「泣けるよー」と絶賛。岡田恵和さんの脚本もうまいが、市川拓司さんの原作、着想がすばらしいのだろう。市川さんのデビュー作「Separation」(ドラマ『14ヶ月』原作)は友人・さちよちゃんのダンナさんの運営するサイト、アルファポリスで連載され、出版された。力のある作家さんなんだろうなと想像する。早速、映画の原作も読んでみるつもり。■「何度出会っても惹かれあう二人」という話は大好きで、『楽園』(鈴木光司)や『One』(リチャード・バック)は繰り返し読んだ。ダンナにも『いま、会い〜』をすすめたが、「夫婦がもう一度恋に落ちるんだよ。素敵でしょー」と言っても、現世でババを引いたと思っているフシのあるダンナは乗ってこない。知人男性いわく「30代既婚の男がいちばん泣けるらしいですよ。あんな恋愛したかったなあって」。そういう涙もあったのか。主演の中村獅童さん、竹内結子さんは、何度恋に落ちても初恋に見えるような、しっくりくる組み合わせ。だからこそ観客はすんなり劇中の恋に寄り添えたのかもしれない。ポケットに手をしのばせるシーンが好き。竹内結子さんは今までに観た作品でいちばんキレイだと思った。

2002年11月12日(火)  棗
2000年11月12日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2004年11月10日(水)  トレランス二人芝居『嘘と真実』

■FMシアター『夢の波間』で船問屋『佐野屋』の主・茂右衛門を演じた上杉祥三さんと長野里美さん出演の『嘘と真実』を観る。二人芝居は、お二人が演劇ユニット『トレランス』を立ち上げたときからの夢だったそう。物語の舞台は演劇ホールの楽屋。そこで服毒自殺を図ったとされる大女優の死に疑問を抱いた刑事が、助手に指名した女性刑事とともに事件を検証する。女性刑事の上げた報告書をもとに二人の刑事が容疑者や被害者をかわるがわる演じ、事件の解明という「真実」に演技という「嘘」で迫っていく。笑いあり、サスペンスあり、上杉さん・長野さんのコスプレと芸達者ぶりも堪能できて、素直に楽しめる作品。推理が成立したところで一件落着かと思ったら、さらなる展開があり、伏線が一気につながったラストはお見事。さすが上杉さんの本! 古きよきアメリカの探偵ドラマを思い出させるような音楽は、『夢の波間』でつながった大河内元規さん。打ち上げ以来ごぶさたしていた大河内さんとも劇場のシアタートップスで会えた。上杉さんとも大河内さんとも、またお仕事したいですねと話す。

2002年11月10日(日)  黒川芽以フォトブック


2004年11月05日(金)  『催眠リスニング』1か月

最近わたしのまわりで外人さんが急増した。実際には数が増えたのではなく、気づく機会が増えたのだ。電車に揺られていても、カフェでお茶していても、やたらと英語が耳に飛び込んでくる。理由はひとつ、ひと月前に買った催眠リスニングというCDのせい。買ったばかりのパソコンでうれしがってネットサーフィンしていたら、「催眠英語学習は危険すぎます」という広告が出ていて、「危険って、どういうこと?」と思わずクリックしてしまったら、後は広告主の思うツボ。奥へ奥へと誘い込まれ、気がついたら申し込みボタンをクリックしていた。広告を作る仕事をしていながら、キャッチセールスにはとことん弱い。

でも、書かれている内容には妙な説得力があった。中でも惹かれたのが、日本語っぽい発音とネイティブの発音を交互に聞かせる『ブリッジリスニング』という手法。アメリカ留学したときに「カタカナに置き換えていた英語が、繰り返し聞くうちに意味のあるカタマリに聞こえてきた」経験をしたわたしは、あれをCDでやれたら効率いいだろうなと想像、納得。お値段はCD10枚で16800円と、この手の教材にしては破格。ひょっとしたらとんでもない代物かもという思いも一瞬頭をよぎったが、ACTNICHE(アクトニッチ)社の売り込み文句は並々ならぬ気合の入り方で、「これは商品に絶対の自信があるからで、インチキ広告ではない」と思わせた。

代金引換で届いた商品は、予告どおりの超簡易包装。マイバッグ持参派のわたしにとっては、包装コストを抑えて値段を下げるのは大賛成。CD10枚の内訳は、CDプレーヤーで聞く催眠誘導CD2枚と教材CD5枚(日本語の速聴とノーマルスピードの英語が交互に出てくるもの1枚、ブリッジリスニング3枚、おさらい1枚)、パソコンで再生する教材CD(画面に出る例文を見ながら聞ける)3枚。本来は催眠状態に入ってから教材を聞くものらしいが、催眠に誘う男性の声が怖かったのと「元の世界(意識)に戻れなかったらどうしよう」という不安もあって、催眠CDは一度聞いたきり封印してしまった。そのかわり、教材CDを聞く前に「英語が聞き取れますように」と暗示をかけるようにした。ブリッジリスニングの成果は期待以上で、例文がリズムごと頭に入ってくる感じ。例文が自然と口をついて出るようになるし、心なしか発音も良くなっている気がする。難点は、首をかしげたくなる例文が時々登場すること。何度も聞いていると不快な気分になる。何ゆえ殺人? 何ゆえ薬物? アメリカで生き抜く知恵まで授ける意図なのか。映画の名台詞を集めた教材があれば、聞いていて気分がいいのだけど。

グリー(gree)と同じく半信半疑に始めたものなので、ひと月使ってから日記に書くことにした。メール配信のフォローもマメだし、いい買い物をしたと思っている。英語のニュースや社内の英語会議は格段に聞き取りやすくなった。留学時代にできたリスニング耳回路の上に降り積もった歳月の塵が、ブリッジリスニングで振り払われたと思われる。ただし、同じ部屋でなんとなく聞き流しているダンナにはまったく変化がない。リスニング耳が開通していない人は、催眠モードに入ってから聞いたほうがよさそうだけど、わたしのように抵抗がある人は、自分に暗示をかけるだけでもいいかもしれない。大事なのは、毎日数分でも「英語に浸る」時間をつくること。雨水が石に穴を穿っていくように、英語のシャワーがリスニングの壁に風穴を開ける。ダンナもある日突然ペラペラにならないものか。


2004年10月31日(日)  ご近所の会@タンタローバ

■披露宴のためにロンドンから一時帰国したY夫妻をご近所仲間で囲み、小石川のトラットリア『タンタローバ』でランチ。味のレベルは相当高いのだけど、お値段は決して高くはなく、この店で満足しなかった人を未だ知らない。でも、食事を何よりおいしくしてくれるのは、一緒に食べる人たち。ご近所の会の皆さんは話題豊富で気配りもでき(わたしはできているのかは未確認)、この人たちとならパンと葡萄酒だけでも幸せになれるのだが、そこに前菜盛り合わせと熱々のパスタとメインディッシュとデザートが加わると、この上ない口福を味わえるのだった。3時間のゆったりランチを終えても話は尽きず、K夫妻邸に場所を移して、さらに5時間。このメンバーで集まると、時計の針がぐんぐん回り、またたく間に半日が過ぎる。■ちょうど今朝未明に日テレで『ジェネジャン(Generation Jungle)』という討論番組をやっていて(ちらっと見るつもりが面白くて2時間見てしまった)、何十億という金を稼いでいるパネリストたちが「何のために働くのか」「金とは」「夢とは」と語っているのを見ながら、自分の価値観はどこにあるのか問いかけていたのだが、おいしい食事を友人と分かち合う時間が、わたしにとっては何より値打ちのあるものなのだと確認できた。

2002年10月31日(木)  青年実業家


2004年10月30日(土)  グリー(gree.jp)1か月

映画『パコダテ人』の衣装製作で協力をお願いしたバンタンキャリアスクールの成田さんの紹介でGREE(グリー)なるサイトに登録して、1か月経った。「成田さんがあなたを招待しています」というメールを受け取ったときは正直怪しい匂いがして、「これは何ぞ?」と思ったのだが、興味をそそられてサイトを訪問し、「グリーについて」の説明を読むと、「世界中の全ての人間は、6つの知人の連鎖で繋がっている」という「Six Degrees of Separations」理論がグリー(gree)の名前の由来であり、「世界中の全ての人は、『友達の友達の友達の友達の友達の友達』以内のどこかにいる」「理論上では、自分に10人の友達がいるとして、それぞれがさらに10人の友達を持つとした時、これを6回繰り返すことで、自分には、間接的には1000万人の友達がいる」「自分に20人の知人がいるとして、それぞれがさらに20人の知人を持つとした時、これを6回繰り返すことで、自分には、間接的には12億8000万人の知人がいる」と考えられると書いてある。以前どこかの記事か何かで読んだ記憶が蘇った。この「6人たどればみんな友達」をネット上で実現する実験プロジェクトだとわかり、登録を決める。

サインアップすると、自分のページが与えられ、そこから「友人を紹介」して「友達の友達」につながったり、「興味のあるグループ」に入ったり、「おすすめの本やDVDを紹介」したりできる。自分が関わった作品の宣伝スペースにしようと思い、早速『ブレーン・ストーミング・ティーン』のレビューを書くと、すでにレビューを書いてくれている人がいた。たどってみると、大学時代の応援団の後輩。そっか、こんな風に楽しむのか。他にも同級生や同じ趣味の人を見つけたり、友人が登録しているかどうか検索したりできる。「この人は入っていそうだ」と目星をつけた人がヒットすると、なんだかうれしい。

自分が登録したときもおっかなびっくりだったので、あまり積極的には広めていないし、「友人に登録」するのも見知った人だけに限定している(「誰でもいいからリンクします」という人もいる)。わたしの本を応援してくれているプロデューサーのニック氏には、まずわたしのグリーのページのプリントアウトを見せ、「入ります?」と確かめてから招待メールを送った。そのニック氏に「これはソーシャル・ネットワーキングですか」と聞かれたので、「そういう怪しいものじゃないと思います」と適当に答えていたのだが、怪しいのは『ソーシャル・ネットワーキング』という言葉を知らなかったわたしの知識だった。タイムリーに今日の読売新聞夕刊に載っていた記事によると、ネット上で会員同士が情報交換しながら人脈を広げる仕組みのことらしい。グリーは「知り合い系サイト」と自称している。

2002年10月30日(水)  2002年10月に書いたもの


2004年10月27日(水)  TakashimaKazuakiの服

ファッション雑誌は読まないので、服との出会いは店頭が多いが、たまに新聞で気になる服を見つけることがある。去年出会ったLARAAJI LARAAJI(ララージララージ)がそうだった。多分、ララージララージが紹介されていたのと同じ欄ではと思われるが、先日何気なく開いた読売新聞にTakashimaKazuaki(高島一精)というデザイナーの名前をそのまま冠したブランドが紹介されていて、「プリントもの」「かわいい服」といった惹かれる言葉が並んでいた。ネットで調べてみると、南青山のフロムファーストに今年8月オープンしたばかりとわかり、早速出かける。

デザインは遊び心いっぱいで、色はオレンジ系が多くて、第一印象はわたし好みだけど、期待したプリントものはほとんどない。店員さんに尋ねてみると、「にぎやかなのはSS(スプリングとサマー=春夏)なんですよ」というお返事。わたしが新聞で見たプリントもののワンピースは、今年の夏ものだったとのこと。奥にしまっていたのを出してきてもらうと、写真で見るよりさらに好み。着てみると、ヒラヒラの袖といいギザギザの裾といい、「こういう形のものが欲しかったんです!」という理想のカッティング。

来週の披露宴に着ていく服を探しに来たのに、先日のソルベリーに続いて、またしても夏物を買ってしまう。冬は着込んで、通年着るぞ。わたしが買う服にしてはちょっと高めで、えいやっという勢いが必要だったけれど、応対してくれた店長さんが感じのいい女性で、会計をしながらしゃべっている時間がとても楽しかった。紙袋もかわいくて注目度抜群。お店を出た後に会った小山理子さんに「いい買い物をして気分がいいんですよー」と話したら、「モノを買っている時間も、買っているんですよね」。まったく同感。


2004年10月26日(火)  ジュアールティー1年分

■同僚の営業・OK氏から作曲家のUZ氏を紹介されて、はや半年。UZ氏が「持ちメロに詞をつけてくれる人いないかなあ」と大学時代からの友人・OK氏に相談したのが出会いのきっかけ。脚本の仕事で『真夜中のアンデルセン』の劇中歌の作詞をディレクターとやったり、コピーライターの仕事で『冷凍マイナス18号』の作詞を手がけたりはしたけど、プロの作詞家とは言えないわたしには、実践で作詞を学べる願ってもないチャンスだった。学生時代からプロでやってきたUZ氏は「レーベルへの売り込み」しか念頭になかったようだけど、コンクールでの受賞を足がかりにコピーライターになり脚本家になったわたしは「チャンスをつかむには、賞に出してみるべし」発想。「公開オーディションみたいなものですよ」とUZを誘い、いまいまさこ作詞・UZ氏作曲でコンクールに応募するようになった。■その受賞第一号となったのが、ジュアールティーの歌。「JUA=太陽」と「ARDHI=大地」を歌詞に入れ込んだ歌、というのがお題で、歌を録音したものを提出しての審査。金賞、銀賞は逃し、入選に引っかかった。入社して数年経ったときに、コピーライターの登竜門と言われる宣伝会議賞に入賞したら、「(金賞銀賞じゃなくて)中途半端な賞を取ってもなあ」と上司に言われた苦い思い出があるので、「取るからには、いちばん大きな賞が欲しかったですね」と言うと、コンクール初挑戦のUZは「素直に嬉しいですよ」。たくさんの応募作から選ばれたことには間違いないし、作詞作曲ユニットを続けていきなさいという励ましとして、ありがたくおめでたく受け止める。■賞品のジュアールティー1年分(1袋で1.5ℓ作れるティーバッグ30袋入り3150円相当を10箱)は3人で山分け。活性酸素の消去単位・スーパーオキシドが140,000単位/g(赤ワインの167倍)だそうで、美容と健康維持に効くという触れ込み。油っこい煮物料理に使うと味がまろやかになり、台所のしつこい油汚れが取れやすくなり、使用後の茶葉は匂い消しになるとのこと。創作活動は健康第一。ジュアールティーを飲んで、まだまだ作りましょうと話す。
ジュアールティーの歌「JUA ARDHI」 作詞・いまいまさこ 作曲・UZ

アフリカの朝陽は 駆け足で空のぼり
光と熱のナイフ 地平線に突き立てる
夜明けに生まれた小さな命は 
自分の足で今地球つかまえた
焼けつく大地にくっきりと 刻まれるその影の雄々しさよ

  JUA ARDHI 太陽と大地に試されて
  JUA ARDHI 生きていくこの場所で

アフリカの夕陽は 燃えて燃えて恋の色
一日ぶりの熱いキス 地平線が頬そめる
夕闇で呼び合う命と命 愛を歌いあたらしい命を宿す
大地を伝う鼓動は魂を揺さぶるリズム そして祈り

  JUA ARDHI 太陽と大地に抱かれて
  JUA ARDHI 生きていく今日も明日も

地平線が闇に溶け
尖った瞳が光る頃
アフリカの太陽は
日付変更線を越える

  JUA ARDHI 太陽と大地に試されて
  JUA ARDHI 生きていくこの場所で
  JUA ARDHI 太陽と大地に抱かれて
  JUA ARDHI 生きていく今日も明日も

2004年5月3日 渋谷川ルネッサンス

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