FILL-CREATIVE [フィルクリエイティヴ]掌編創作物

   
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CREATIVE特選品
★作者お気に入り
そよそよ よそ着
ティアーズ・ランゲージ
眠らない、朝の旋律
一緒にいよう
海岸線の空の向こう
夜行歩行
逃げた文鳥
幸福のウサギ人間
僕は待ち人
乾杯の美酒
大切なもの
夏の娘
カフェ・スト−リ−
カフェ・モカな日々
占い師と娘と女と
フォアモーメントオブムーン
創作物:眠らない、朝の旋律

 いつも、朝早くから鍵盤の音は響いた。あの音で目覚めるようになって、何ヶ月くらい経つのだろう。最初に流れたのは、雨が深くずっしりと重い日だった。

 まだ未完成なフレーズが空気の中を舞う。幾度も、幾度も。雨に打たれて音は消えそうに、途切れてしまいそうになりながら響く。俺の耳まで届いた時、朝はもうすっかり活動を開始しているのだと知らせた。

 そんな時間に起きたのも随分と久しぶりで、カーテンをめくって外の光を確かめる。雨の日でよかった。もしも眩しい日ざしに目をやられていたら、音の行方はわからなかったかもしれない。

 向いの古い屋敷からだった。
 ここら辺は古くからの住宅地で随分と豪勢な家、屋敷が並んでいる。向いの家も築30年くらいはしていそうな重厚な建物だった。ところどころに手の凝った細工がされている洋館風な外観は、格調が高くモダンな感じを装っていた。
 海外へ行った友人の留守番を頼まれ、去年から俺はここに移り住んでいる。一時の仮住まいの俺には、近所づきあいをする必要もなく、向いの洋館に気を留めたことなどなかった。帰宅が深夜だったから住人と会う機会もなかったわけだし。

 雨の日も、風の日も、嵐の日も、雪の日も。止むことなく毎日違うメロディは鳴る。サビのようなフレーズが幾度か修正を重ねて続いて、最後に完成された透き通るピアノ曲が、起きたての景色に奏でられる。朝露が似合うもの悲しい切ない旋律ばかりだった。

 しばらくすると向いからは白っぽい服装の女がでてくる。通勤に行くようないでたちだ。彼女があの曲を弾いていたのだろうか。そこから俺が出勤するまでの時間は2時間以上もある。何をするでもなく余韻を楽しんですっかり早起きが板についた。

 誰かの曲を練習しているのだと思っていたピアノ曲はすべて創作だった。毎日、毎日、彼女は創作を続ける。二日酔いにだるい朝も、失恋した虚しい朝も、徹夜明けのむさ苦しい朝も。彼女の旋律だけはいつもと変わらずに続く。何のために、誰のために。眠らない才能が堰をきって流れ出す様。俺は聴き続ける。証人のごとく。

 前ぶれもなく突然3日の間、曲は止まった。俺は向いのポストにメッセージを残した。体の具合が悪いなら大事にしてくださいと。朝の楽しみがなくなってしまうのは残念です…でも毎日のことだから少し心配ですと。それから、送り名をおせっかいな向いの住人よりと加えた。

 深夜、戻ってきた家には返事の手紙があった。

『毎朝、お騒がせしていて心苦しかったのです。この3日間でご近所の方たくさんに、また続けてほしいと頼まれました。ただ、ただ、生まれでてくるメロディを紡いでいただけなのに、待っていてくれる人がいて、嬉しかった。また明日から弾きます。お気使いありがとう。体は元気です。お向かいさんも、いつもご帰宅が遅いようでお気をつけて。』

 丁寧にきれいな文字で書かれていた手紙。手書きをもらったのは何年ぶりだろう。窓辺の棚に飾って朝の風景に溶け込ませておいた。彼女がだんだんとリアルに近付いてくるようで、自然に胸は弾んだ。翌朝、メロディはまた流れ続ける。

 それから時々、俺は曲の感想を書いてポストにいれておくようになった。子供の頃の両親との想い出が浮かんだとか。初恋のほろ苦さが引き出されたとか。がんばってみようと元気がでたとか。その都度、彼女からも丁寧なお礼の返事が投函された。

 彼女の創作が200も超える頃、友人が日本に帰ってくるとの知らせを受け取る。1ヶ月後には俺はここを立ち退く予定が組まれた。

 あと1週間に迫った朝、俺は彼女にお礼かたがた食事に誘う手紙を入れた。返事は快く3日後にデートが決まる。駅前の洋食屋に予約をとって、ワインを準備して待った。でも、彼女は俺の前に姿を現さなかった。
 
 翌朝もまたその翌朝も、メロディは止まない。心を切り詰めるように切なく響いて、俺は引っ越しを進めた。

 1年後、聴き覚えのあるフレーズを耳にしてCD屋で立ち止まる。彼女だった。白いドレスを着てうっとりと前方を眺めて朝日を浴びている。店頭を埋め尽くしてフレームに収まる彼女が並んでいた。

『奇才な音楽の湧水は止まることを知らない。死までの1年間に弾き続けた300曲の魂。厳選の20曲。』

 毎朝、毎朝、聴いた曲だった。どれも胸をついて放さなかったメロディ。淡い恋の切なさが胸を痛める。数千円で想い出を買って帰った。

『ありがとう。ただそれだけが伝えたかった。お向かいさんにも、隣の犬にも。』

 後書きにあった彼女のコメント。

 オートリバースさえも途切れる夜明け頃、ようやく俺は静寂な朝を招きいれた。
 今も、あの屋敷で弾き続けてほしいと願った。いや、弾いているのだと信じた。才能は取り留めなく、湧き出る魂は限りなく、彼女はきっと創作を止めていない。果てなく続くメロディは世界の朝が尽きるまで奏でられ、目覚めを誘う。俺は彼女の才能に嫉妬し、焦がれ、胸を熱くする。1年前も今も。

 一雫の涙が頬をつたって、また朝は訪れた。俺は力強く玄関の扉を開ける。陽光は痛いほどに行く道を照らす。踏み出した一歩はとても。そう、とても軽いようなそんな気がした。





※とあるサイトに感じて… 2002.5.12 FILL書き下ろし 5.16修正

収納場所:2002年05月12日(日)


 
 
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