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2013年11月25日(月)
さいたまネクスト・シアター『ザ・ファクトリー4「ヴォルフガング・ボルヒェルトの作品からの九章 ―詩・評論・小説・戯曲より―」』

さいたまネクスト・シアター『ザ・ファクトリー4「ヴォルフガング・ボルヒェルトの作品からの九章 ―詩・評論・小説・戯曲より―」』@さいたま芸術劇場 大稽古場

一ヶ月程前にいきなり発表になり大慌て。無理矢理ねじこんで行きましたよ!蜷川さんが手掛ける短編集は、ベニサン・ピットで『1992・待つ』を観て大衝撃を受けて以来、絶対に逃したくないのです。『待つ』シリーズも『春』も大好き。実験的な試みが多く見られ、フィードバックの場でもある。アトリエ公演と言っていいだろうこれらの公演を観ると、大劇場のプロデュース公演で蜷川さんが何に挑戦しているか、それを持ち帰り若い集団に何を伝えているかを垣間見ることが出来る。そして競争の場を与えられ、しのぎを削る役者の輝きを目撃出来る。無理してでも行ってよかった。観られてよかった。

26歳と言う若さで1947年に亡くなったヴォルフガング・ボルヒェルトのさまざまな作品から構成。命日は11月20日だそうだ。休憩なしの二部構成。

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第一部 第一章 ボルヒェルト
    第二章 別れのないゼネレーション
    第三章 兵隊さんの妻の唄
    第四章 九柱戯
    第五章 イエズスはもうやめた
    第六章 彼女はバラ色のシュミーズをきているかもしれない
    第七章 長い長い路にそって
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第二部 第八章 戸口の外で(三場)
    第九章 別れのないゼネレーション
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前回のザ・ファクトリー同様、上演中移動があると言うアナウンス。メイン会場となる大稽古場の席に座りしばらく待つ。開演初っ端から移動との知らせ(笑)、荷物を置き、稽古場を出る。稽古場を出たところには美しいガレリアがある。前回でも上演に使われていた空間だ。急いで設置したのだろう、入場時にはなかったパイプ椅子と箱状の台がある。台の後ろには蜷川さんがいた。そこにかたまりしばらく待つと、長い廊下の奥からゆっくり歩いてくる集団が見えてきた。観客からちいさな声が漏れる。集団は傷付いた兵士たちだった。脚をひきずる音、苦しそうに喘ぐ声。彼らは徐々に近付いてくる。うっすらとした恐怖感。

幅5m、長さ100mのガレリアは、そこに立つだけでも絵になる。演劇的空間が現われる。わずか数分の出来事。すぐ稽古場に戻ることになって拍子抜けしたものの、あの光景は目に焼き付いた。

ボルヒェルトが生きた1940年代と言えば、ある程度のひとは第二次大戦前後だとピンと来る。その頃のドイツがどんなふうだったかも、なんとなく判断がつく。しかし、これらはいずれ忘れ去られて行く。そのことへの危機感と焦燥感に満ちた舞台だった。戦争によって未来を断ち切られた若者たちが嘆き、怒り、そして消えて行く。

ボルヒェルト役として多くの場面でメインを張った内田健司さんが強く印象に残った。ちいさな声、しかし静かに通る声。痩身、青白い肌。盒桐里気鵑鮖廚そ个靴拭i霎遒気鵑寮椎のイメージを体現する役者だ。青ざめた顔で、ジャックナイフを持ち、「蜷川さん、あなたは希望を語りますか」と訊く青年。彼が作品のイメージを決定づけていた。松田慎也さんはまるでベテランの貫禄。狂気を孕んだ若い兵士、でっぷり太った聯隊長等複数の役を余裕すら感じさせて演じる。声色の使い分けも巧い。

蜷川さんが近作で何度か試み、あまりうまくいっていなかった(…)ラップの導入に成果があった。アンサンブルの足踏みのリズムに乗せ、松田さんがモノローグを刻む。恐らく古い訳(土左衛門なんて言葉が出てくるシーンもあったので)で、韻を踏んではいないテキストにグルーヴが生まれる。57人、57人。繰り返される死者の数。感情の昂りに伴い激しさを増すモノローグは、次第にリズムから離れて行くが…驚いたのは、変則的になったモノローグと、規則的な足踏みのリズムに、新しいグルーヴが生まれたのだ。……これがやりたかったんだな!!!

ああ、文章力がなくて上手く説明出来ないのがもどかしい。DCPRG聴いてるひとはピンとくると思う…そのDCPRGの感想から流用しますが、プレイヤー各々のスキル、リテラシーの共有、テキストアナライズと稽古する時間、手間がいかに重要かと言うことです。複合リズムのどのポイントに乗っかればグルーヴが増殖するか、ネクストのメンバーは体得している。横田さんのツイート引用しますが、訓練の賜物だと思う。短期間のプロデュース公演では実現が難しいところだろう。これを観られたのは収穫だった。ソロイスト松田さんの存在感も素晴らしかった。余談ですが、この場面(「長い長い路にそって」)中、隣のひとが配役表を開いて連れに「このひと?」と確認してました。終演後に見ろよとちょっとイラッとしたが(笑)それ程の迫力だったね……。

群唱、ミュージカル、生演奏と場面作りもバラエティに富んでいて、役者だけが頑張ってんじゃねえんだよ、俺には時間がないんだよとゲキを飛ばす蜷川さんの顔が浮かぶよう。それらの要求にすぐ応えられる役者たち、環境をすぐさま作り上げられるスタッフがいるからこそ出来ることでもある。長い時間をかけ、蜷川さんはそういう集団とシステムを作り上げた。数多くの公演を抱える演出家の理想でもあるが、反面これらは、自分がいつ倒れても公演が中止になることのないようにと対策を講じているようにも思える。それはずっと先のことであってほしい。蜷川作品への欲求は尽きない。



2013年11月24日(日)
木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』

木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』@あうるすぽっと

FESTIVAL/TOKYO参加作品。これは面白かった!あまりに面白かったのでアフタートークも参加して、結果7時間近くあうるすぽっとにいた…空腹。幕見もあるので是非と言いたいが今日が千秋楽だった、フェスものは公演期間が短いのが難ですね。通し上演は大変だと思いますが、再演を期待。

興味深くなおかつ有意義だと思ったのは、現在観られる歌舞伎のイメージ…所作の型や様式を再現すると言ったものではなく、作品が書かれた背景とテキストの構造そのものを現代に持ってくると言う試みがなされているところ。五七調と現代口語が併用されるのは、鶴屋南北が書いたテキストのつくりそのものなのだそうです。つまり当時の舞台では、登場人物たちが武家言葉と(当時の)口語のミクスチャーで会話していたと言うこと。当時の観客が受けた衝撃と困惑を、現代の観客も感じられるのです。歌舞伎の破天荒(無茶苦茶とも言う)なスピリットそのものを甦らせている!しかしこれって現代でもそうですよね。世代の違い、出自の違い。おじいちゃんと孫、お嬢様とヤンキーが話したらこんな感じなのではないか。

お岩やお袖は武家言葉に終始し、町人はくだけた言葉で話す。伊右衛門はどっちつかず。武家の出と言うプライドを捨てきれない彼女たちと、そんなことでは生きていけないとあがく伊右衛門、直助のすれ違いがよりリアルになる。そう考えると、女性は現実的、男性は夢見がちと言う現代とは違う雛形が露になってその辺りも興味深かったなあ。

そして通しで上演することで、忠臣蔵との関係性がよりはっきりする。「小塩田隠れ家の場」は多分初めて観たのですが、小仏小平がどんなにいい子だったか、何故あんなに薬をほしがっていたのかがやっと実感出来た。過去観た印象では薬がそんなホントに効くものだとは思ってなかった(…)ので、小平って健気だけど抜けた子ねくらいの印象でしたよ…ごめんよ!討ち入りを願う主人を元気にしたい一心だったんだね!(泣)で、その主人が結果的に討ち入りのメンバーから外されるってのも今回初めて知り、その報われなさっぷりに涙が出ましたよ…しかし小平は最後の最後迄主人に寄り添ってた。その行く末が観られてよかった……!

「夢の場」も確か初見。その後の提灯抜け等のおどろおどろしい演出を封印した「蛇山庵室の場」でも明確でしたが、死後のお岩の解釈が見直されていたところにも唸った。実際あの化けて出る場面の描写、どこ迄がト書きにあって、いつからああいう演出になったんでしょうね。最初はなかったけど一度やってみたら観客の反応がよく、次第に定着していったとも考えられ……。徹底的にテキストを読み込んだ結果の今回の演出だと思われます。

そのテキストの読み込みは「髪梳きの場」にも現れており、ここが出色でした。抜け落ちた髪を掴んでむせび泣くお岩の場面にラップと歌が被ってきた。最初ええっ!?となったけど、そのライムと歌詞聴いてたらお岩と伊右衛門の心情が描かれているものですっごいせつないの!実は泣いてしまったさー!その後アフタートークによると、ホンには「流行歌が流れる」とあったそうです。で、演出の杉原邦生さん曰く「今の流行歌って言ったらラップでしょう!」……見事にやられた。当時の観客もポカーンとしたのかも知れないな、と想像出来るのも楽しいものです。

木ノ下歌舞伎は主宰の木ノ下裕一さんのプロフィール以外全く知らず、劇団なのかプロデュース形式なのかも判らないまま出演者もチェックせずの初見だったのですが、いーやーなにこのひと?何に出てるひと?と惹き付けられる役者さんが沢山出ていた。ゴールドシアターの竹居正武さんや国分寺大人倶楽部の後藤剛範さんとか…どういうキャスティングなんだろう、オーディションがあったのかな。中性的な姿と声を持った森田真和さんと盪海里┐澆気鵑皸象に残ったなあ、浮世に生きる儚い人物を体現していました。あとやっぱこの作品、佐藤与茂七がヒーローやで!ってとこで演じた田中佑弥さんがめちゃ格好よかったですね。対して庶民のダークヒーローと呼んでもいいだろう、直助権兵衛!飯塚克之さんの燃え立つような迫力と言ったらなかった。このふたりが最後に会う「深川三角屋敷の場」、素晴らしかった。

そして民谷伊右衛門役、ロロの亀島一徳さん。殆どチャラいDQNDV男でうっわーうっざいわー憎いわーバーカバーカはやく呪い殺されてしまえ、と思ってしまう程のヤな男だったんですが(ごめん)、「夢の場」でその気持ちを改めましたね…戻れなくなった男の悲哀を惨めに体現、よかった。この辺り、南北のロマンティストな要素が木ノ下さんの手により純度を増したようにも思いました。

そして杉原さんってKUNIO主宰の方か!イキウメ大窪くんの出演で太田省吾の『更地』をやったとこですっごい気になってたんだよ!今回観られてよかった。他の作品も観てみたい!



2013年11月23日(土)
『シダの群れ 第三弾 港の女歌手編』

『シダの群れ 第三弾 港の女歌手編』@シアターコクーン

AFP二日目の前にこちらを先に書く。

岩松了任侠シリーズ第三作。第一、二作はこちら↓
・『シダの群れ』
・『シダの群れ 純情巡礼編』

芝居ものの落とし穴。間を空いたシリーズものは、前の話を忘れている…(ガクリ)。単体で観ても面白いのだけど、会話に名前が出てきてなおかつ今回の舞台には登場しない人物のことが気になって仕方がない!あああのひとは確か死んだよなあ、あのひとは今塀の中…ん?もう出所したんだっけ?今って第一話目から何年くらい経ってるんだっけ?と頭ぐるぐるで観ました(とほほ)。有料パンフには相関図が載っていたそうですが、配布用にもあるとよかったかもな〜と甘えたことを考えてしまいました。配役表はロビーに置いてありましたが、折り込みはされていなかったので気付かないまま帰ったひともいるかも。

しーかーしー一話目でよく吠えるちんぴらだった森本(阿部サダヲ)に、得体の知れない凄みが増していてえらい怖かった!格好よかった!もうあの頃には戻れないんだぜってな哀愁が漂っててせつなかった!このシリーズ、客出し曲が毎回トーキングヘッズの「サイコキラー」なんですが、その真意にじわじわ迫ってきているような気がしてきましたよ…訳詞はwebでも探せますんで気になる方は検索してみてください。いんやそれにしても。二話目には阿部さん出ていないのですが、この一話空けたってのがすごい効果的だったようにも思います。森本にも、阿部さん自身にもこの三年間いろいろあったのだろうなあと思わせられる厚みと年輪が……!森本あんなにかわいかったのに!ん?そりゃ阿部さんのことか?なんて混乱してしまうような危うさすら生まれていました。

岩松さんの意向としては、いちチンピラが組長に成り上がる迄を書きたいとのことなので続いてほしいなー。前の話で出てきた人物は同じ役者が演じているので、キャストも変更なしで続くといいなー。組長になった阿部さんがどんなものを見せてくれるのか…その頃に阿部さんは何歳になっているのか……そういう意味でも楽しみなのです。

そしてあたりまえと言えばあたりまえなのだが、死んじゃった役のひとはもう出ないのよね…さびしいわ。しかし第一、二作ではほんとに死んだんだっけ?ってなぼかし方もあったので、これからまた「実は生きていて…」と出てくる可能性もあるか。そこらへんシリーズものならではでもある。

見えない部分で起こる出来事、階段、液体と言った岩松節も堪能。主語述語のない会話の、空白部分を想像する楽しさと怖さもあります。友達の定義についての会話がすごくよかった…ジーンときた……その後にあんなことになるってとこも容赦がなくてよい。岩松さん怖い。あと女性の見せ方がいつもエロくていい!即物的じゃない、匂い立つような妖気がいい!キョンキョンは身長のこともあるのかも知れないが10cmくらいはありそうなピンヒールで(あれルブタンだよね)、立ち姿がキマることと言ったらなかった。伊賀大介による衣裳もすってきだったわー。最後のヴァイオレットのドレスとか、見とれてポワーとかなってしまいましたよ。あれはふふってひとに見せたくなるよね、あのシーンのジーナ、ちょっとこどもみたいなかわいさあったもんね…なのに結城はさー!こういうとこの男女のすれちがいってさー!せつないわー!

市川さんもかなり高いヒールで、脚のラインのエロ美しさがもうたまりませんでした。今のところだいたいの役が二作で退場しているんだけど、彼女は阿部さん同様二作完投しているなあ。今後登場することもありそう。

と言えば、赤堀さんの役が…いや、ごめん、下っ端のちんぴらみたいな役なんだろうなと思っていたので、そうじゃなくて嬉しかったです…だよねえ、年齢からして下っ端ってことはないわね……なんか今年は作家としても役者としても、いろんな赤堀さんが舞台で観られていい一年でした。ほろり。

エミ・エレオノーラ(pf)、佐藤正治(dr)、横山英規(b)、平田直樹(tp)、ロベルト小山(sax)から成るハウスハンドの生演奏もちょう格好よかったです。



2013年11月22日(金)
Atoms For Peace JAPAN TOUR 2013(東京二日目)

Atoms For Peace JAPAN TOUR 2013@STDUIO COAST

本日はフリー(上手)側バルコニーから観ました。

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セットリスト

01. Before Your Very Eyes...(AMOK)
02. Default(AMOK)
03. The Clock(The Eraser)
04. Ingenue(AMOK)
05. Unless(AMOK)
06. And It Rained All Night(The Eraser)
07. Harrowdown Hill(The Eraser)
08. Dropped(AMOK)
09. Cymbal Rush(The Eraser)
--- encore 01
10. Feeling Pulled Apart by Horses(Feeling Pulled Apart by Horses / The Hollow Earth)
11. The Hollow Earth(Feeling Pulled Apart by Horses / The Hollow Earth)
12. Rabbit in Your Headlights(UNKLE: Psyence Fiction)
13. Paperbag Writer(Radiohead: There There)
14. Amok(AMOK)
--- encore 02
15. Atoms for Peace(The Eraser)
16. Black Swan(The Eraser)

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め、めちゃめちゃよかった…全然違った、音響。やっぱり場所だけの問題じゃなかったのかー!でかしたPA!(笑)一曲目、フリーが明らかにスラップで弾いてるのに全然ベースの音が聴こえなくてぜつぼうてきな気分になったが、二曲目から全然音が変わった。

・セットリストもちょっと変わりました。『Feeling Pulled Apart by Horses / The Hollow Earth』から両方やった
・一日目の「Reverse Running」自体がレアだったらしいですね、久し振りにやったとか

・一日目より視界もよく、今更ドラムがツーバスと気付く。サンプリングだと思ってた速いキックは生だったのかと改めてヒーとなる
・そしてジョーイって左利きですね(そこか)
・ビートを刻むと言うより、基本16でリフを叩いている印象で面白かった

・マウロはパーカッションだけでなく二胡とかも演奏してましたね
・前日書いたスカートの話と被るけど、NINも今回の新譜に伴うツアーで二胡使ってるし、流行って(略)
・この手の歩み寄りって、シンクロニシティみたいなものなんでしょうかね。同じ時代で、エレクトロよりで、追究していくと今辿り着くみたいな

・ナイジェル、コーラスでも活躍。うたごころのあるひとなのなと
・あー、あとナイジェルの動きとか脚の長さとか身長とかのシルエットが、なんとなくチャーリー・クロウザーを彷彿させました…
・拍をとりづらい曲のとき、なが〜い脚でバンバン地団駄踏んでリズムとってたのが微笑ましかった(笑)モニタの返りがわるかったのかな
・その流れから連想が数珠つなぎで、トムってテルミンみたいな声を出すなあと思った

・そうそうそれで、ライヴでは基本トムがインプロで出したヴォーカリゼーションから曲がスタートするものが多かった。声を演奏する感じだった
・だからレディオヘッドの初期曲のようなエモいヴォーカルは聴けない。その違いが興味深かったなあ(どちらも好きですよ)

・そして「Rabbit〜」ではフリーのリーディングが聴けると言う…リリースされた十五年後、この曲にフリーが参加するなんて想像もつかなかったよ!
・そもそも二十年前、RHCPとレディオヘッドのメンバーがバンド組むとか誰が想像するかね
・アップライトピアノを楽しそうに弾くトム、それをドラム台にふたり並んで座って聴いているフリーとナイジェル、踊り唄うトム、その後ろで踊るフリーが観られるとか、もう……
・やー、長生きするといいことある

・しかしもう見慣れてしまったので特に気にならなかったが、思い返せばやっぱりフリーの踊りは相当おかしかった。画像探せばいくらでも出てくると思うので、気になる方は検索してみてください
・あの体操みたいな動きとか、何だったの……
・そしてトム、「お勘定お願いします」とかどこで憶えた。呑み屋に連れて行かれた時かな(笑)

・ところで「Amok」イントロのリズムパターンを聴くと山下達郎の「アトムの子」を唄いたくなります
・なんか似てませんか…まあアトム繋がりってことで(笑)

ああ三日目も行きたかった…いやいや二日行けただけでもラッキーでした、いやーよかったー。



2013年11月21日(木)
Atoms For Peace JAPAN TOUR 2013(東京一日目)

Atoms For Peace JAPAN TOUR 2013@STDUIO COAST

初来日のフジから三年、バンド名義のアルバムもリリースされ、初の単独来日公演です。明日も行くので以下おぼえがきをさくっと。ナイジェル(下手)側バルコニーで観ました。

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セットリスト

01. Before Your Very Eyes...(AMOK)
02. Default(AMOK)
03. The Clock(The Eraser)
04. Ingenue(AMOK)
05. Unless(AMOK)
06. And It Rained All Night(The Eraser)
07. Harrowdown Hill(The Eraser)
08. Dropped(AMOK)
09. Cymbal Rush(The Eraser)
--- encore 01
10. Feeling Pulled Apart By Horse(Feeling Pulled Apart by Horses / The Hollow Earth)
11. Reverse Running(AMOK)
12. Rabbit In Your Headlights(UNKLE: Psyence Fiction)
13. Paperbag Writer(Radiohead: There There)
14. Amok(AMOK)
--- encore 02
15. Atoms For Peace(The Eraser)
16. Black Swan(The Eraser)

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ネタバレ回避故最近のセットを知らぬまま観た。自分用に収録アルバムを併記してみたが、レディオヘッドのナンバーが多かったフジからすると、あたりまえだがAFPのナンバーがググっと増えた。と言うかレディオヘッドの曲は一曲だけか。『AMOK』からやらなかったのは「Stuck Together Pieces」「Judge, Jury and Executioner」 の二曲だけですね。

何が嬉しかったかって、「Rabbit In Your Headlights」をやったことだよ!ギャー!



ジョナサン・グレイザーディレクションの名作MV。はねられてるのはドニ・ラヴァンよ!

・毎回思うがトムの日本語発音が完璧。もはやカタカナじゃないもんね。ちゃんと「こんばんは!」てひらがなで聴こえる
・そいえばトム、なんかあんまりちっちゃく見えない…なんで…と思ったが、隣にフリーがいるからだ(笑)サイズ的にもいいコンビ。ふたりとも巻きスカート?の衣裳がお揃い。似合ってた
トレントも最近スカート履いてライヴしてるが、流行ってるのか…?

・フリーに野太い声がとぶとぶ。「I love you, Thom!」と叫んだ女性にトムが「I love you, too」と返したとき歓声がわいたんだけど、間髪入れず「I love you, Flea!」て男性の声がとんで爆笑。フリーとトム、吹き出してました
・それにしてもフリー…いやもう、フリー……
・ベースの音もっと大きくていいです!
・この日はいた場所のせいかベースの抜けが微妙で、終始ベースラインを探しつつ聴いてました
・あーでもピアノの繊細な音とかはすごくいい感じで聴こえたからなあ。ベースをバキバキにすると全体のバランスが難しいのかもな
・しかし意識的にベースを聴くともうすっごい格好いいの、音量はともかくブリブリなの
・RHCPと違ってMCはしないけど、終始踊り乍ら楽しそうに弾いてた
・ギター単音のリフが多い曲でフルシアンテのことを思い出したのは内緒です…
・なかなかね、今のRHCPではああ言うフリーは見られないので。嬉しくもありせつなくもあり
・今のRHCPは、これはこれで好きなのですよ。いいふうに歳とったなあと言う感じで

・しっかしやっぱライヴのが断然いいわ…パーカッションがすごく効果的。ヴィブラフォンも生で演奏してたわー
・ドラムとベースでリズムがすごいしっかりしてる上に載ってくる、細やかなパーカッションがすごくよいの
・マウロはAFPからの縁かRHCPのサポートもやってますね

・ヴォーカルにループかけてエフェクトかけるのも生でやってたなー
・ハンドマイクで唄う曲も多いので、踊るトムも満喫出来ます。格好いい
・トムもフリーもよく踊る
・楽しそう。レディオヘッドでもPHCPでも、こんなトムやフリーはあんまり見られないものね

・アンコールのとき、前の方で具合悪くなっている客をトムが見付け、セキュリティが救助する迄静かに待っていた。フリーも心配そうに見てた
・あたりまえと言えばそうなんだけど、レディオヘッドの事故もあったしこの辺りすごく気を配っているのかもなと思った



2013年11月17日(日)
イキウメ『片鱗』

イキウメ『片鱗』@青山円形劇場

ネタバレあります。

円形劇場にはあと何度行けるかなあ…と思いつつ入場するとこのセット。もはやイキウメと言えば、の土岐研一さんの美術です。この公演、ツアーがあって円形以外での劇場でも上演されるんだけど、随分印象が違いそうだなあ。どう見せて行くのかな。均質な四つの正方形が、均等に配置されている。建売住宅のイメージが浮かぶ。四つの家庭の間にある空間は道路。通りを挟んだご近所さんが四世帯。

ホラーとの事前情報だったので、もう円形でそんな、しかもイキウメで、怖い、どうしようと思っていたらいちばん近くのブロックの床下から手塚さんが這い出てきてここでもうビビッたわ!ひいって言いそうになったわ!“あの”手塚さんの身体の線と身のこなし。そして芝居が進むにつれ、あれ、ひょっとして…と思い始める。そして幕、暗転のなかで唸る。なんと、彼にはひとことの台詞もなかった。呻き声、笑い声、そして表情と身体能力。これであの存在感!

冒頭にはビビりましたが、あとは終始抑制されたシーンづくり。驚かせるていの演出はありませんでした。しかし居心地の悪い緊張感がずっと続く。あれは何なんだ?何故そうなるんだ?その得体の知れなさがキープされる。その気持ちは終演後も続き、今も続いている。

人間の想像力がいちばんホラーだよと言う話でした。台詞に悪魔と言う単語が出てきましたが、その悪魔は実際のところあの男でもなく、あの父、娘でもなく、人間のやましい心とそれを疑う心だなあと思った、しみじみ。このあたりをじわじわと見せる描写が巧い。知っていると思っていた人物の変化に直面したときの反応の見せ方も巧い。

その想像力は、信じる力を内包している。あの父と娘は、彼を信じて(見込んで)選んだようにも映る。それは無意識か、本能からくるものかは判らない。悪意があったとも思えない。娘は彼と出会うことによって「自由」になるが、それは結果的には彼を信じ、利用したからにほかならない。そしてこれも結果的には、だが、彼女の「自由」は彼と一緒にいることではない。父と娘は彼の何を信じたのか。娘を愛する心か、良心か。それとも新しい命を受け入れ、育てていく決意か。どちらにしろ娘にかかった「呪い」は、他者を信じることによってしか解けないものだ。父親が彼を説得する場面を「彼は父にうまく言いくるめられた」と受け取ることも出来るが、その言葉は濁りがなく、心を動かされるものだった。まさに説得力の塊だった。

新しい娘を放棄した場合どうなるかを想像する。得体の知れない恐ろしさがまた生まれる。ひとを、何かを信じるとはどういうことか。この「信じてみる」姿勢は、前川さんの作品にいつもある。信じると決めた者が失うものは、どれだけ計り知れないものか。それを考えることになる。理詰めの視点を配置しているところも特徴的。浜田さん演じるこの人物、ヤな感じではあるものの、父親をいちばん理解しようとしていたように思う。そんな人物の存在も、「信じてみる」。

興味深かったのは、睦み合う娘と彼を見守る父親の表情を、半分の観客しか目に出来ないところ。父親が背中を向けているブロックから、それは見えない。娘と彼が被ったシーツを、父親はとても幸せそうに微笑んで眺めていた。個人的にはこの表情が、父娘に悪意はないのだと信じる根拠になった。

そして十字路で悪魔に遭っちゃうと契約してもしなくてもろくなことがないと言う話でした(違うよ)。ロバート・ジョンソンか。

劇団として見ると、あの声、あの童顔故にこどもの役が多い大窪くんの幅を拡げようとしている印象も。いやーよかったわー、かわいいカップルだったわー。大窪くん今度ブス会でゲスをやるっぽいのですごい気になってる(笑)。



2013年11月16日(土)
KAAT×劇団唐ゼミ☆『唐版 滝の白糸』

KAAT×劇団唐ゼミ☆『唐版 滝の白糸』@KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ

蜷川演出版と両方観られて良かったな。それにしても「手首を切って水芸、流しが宙を舞う」って演出家泣かせのホンですよね…字面だけ読んだらむちゃくちゃだ(笑)最高です。

と言う訳で唐ゼミ☆版。直系だぜ!ってなイキのいい役者さんが揃っておりました。前口上があるのがまたいいですね。終演後、この口上をなさった学ラン姿の方が演出の中野敦之さんだったと知りました。

会場である大スタジオには、KAAT一階の広いロビーからエスカレーターを乗り継いで入場するのですが、その途中に何台かカメラが置いてありました。舞台上手に設置されたスクリーンに、KAATに入ってくるアリダを銀メガネが尾行している様子が映し出される。ふたりはエスカレーターに乗り、大スタジオに入ってくる…と言うオープニング。この辺り、口上と併せ現実から劇世界へと連れて行くぞと言う心意気が感じられてわくわく。

銀メガネのモデルと言われる大久保さん。かなりすっとぼけた感じで、台詞のつんのめりといい、口跡のあやしさといい、序盤はん?ん?何言ってる?と聞き取るのにかなり難儀する。大丈夫なのか…と思わせられる箇所もありました。しかしあのうさんくささ…ちっちゃい子を誘拐していたずらして実刑くらってようやくムショから出てきた感じ!ホントに!近付いちゃダメ何されるかわかんない!って空気のまといっぷり甚だしく、そういう役者がこんなキレイなホールで芝居をしていること自体に違和感が…テント芝居で観たらコワさ倍増であっただろうなあと思ったり。このへんは難しいところです。しかしKAATは面白いプログラム組むなあ。宮本亜門さんが芸術監督を退任されたあとはどうなるだろう。

それにしてもあの脱臼したようなリズムで進むアリダと銀メガネの会話が、聞き取りづらくともすらすら頭に入って来たのは面白かった。先月蜷川版を観たばかりだったからと言うのもあるだろうけど。あと小人さんがちゃんと七人いたのもよかったな。伸びる影法師を見せるあのシーンは、舞台を斜めに使ってうまいこと見せてました。

終盤、水芸を見物するため大久保さんが客席に入って来た。私の斜め前に座った。メガネをひょいと下げ、上目遣いで振り向いた大久保さんとバチッと目が合った。瞬間思った、刺される。しかし当然そんなことは起こらず、一瞬の間を置いてふたりともぶはっと吹き出した。

もうこれだけで充分だった。台詞があやしいとか、ききとりづらいとかどうでもいいや。これが怪優の今の姿なのだ、と思った。

アリダの西村知泰さんは若くしていろいろ抱え込んでしまった鬱屈をあっけらかんと演じていて、そのカラッとした空気がなんとも魅力。銀メガネと戯れる無邪気な表情もかわいらしかった。お甲の禿恵さんはむちゃ気っ風がよい!台詞まわしもキレがよくすっごく格好よかった!羊水屋の安達俊信さんも存在感があり、役回りを明確にしてくれていた。警備員役でさいたまゴールドシアターの北澤雅章さんが出演していました。キャストチェックしてなかったのでおおっとなりました。

屋台崩しも楽しく観られた。そして流しが宙を舞うあれ、やっぱりクレーン!なんかもー重機来る重機来るって変なテンションになりますわ、観てる方も(笑)。端から見ると、そして文字にするとなんじゃそりゃって感じですが、実際その場にいるとこみ上げるものがある。劇場は、そんな不思議な空間です。



2013年11月15日(金)
『鈴木勝秀(suzukatz.)-131115/NAKED』

『鈴木勝秀(suzukatz.)-131115/NAKED』@SARAVAH Tokyo

配役はマサル=山岸門人、スグル=オレノグラフィティ(初演の役名で書いていますが、今回のテキストをまだ見ていないので、実際はどうか判りません)。照明=倉本泰史、音響=鈴木勝秀。テキストはこちらからダウンロード出来ます…って、5月の分もまだ更新されてないけどな(苦笑)。いつの日かアップされるでしょう。
(追記:5月分以降は現在こちらにアップされているとのこと→・Dropbox

今回限定十部でフィジカル版が販売され、それには「三人(鈴木、山岸、オレノ)の描いたジョン・レノンの似顔絵」と言うおまけがついていたとのこと。画像はスズカツさんのtwitter門人くんのtwitterにアップされています。ははは、やっぱレノンとなるとスズカツさんに一日の長があるね(笑)。

1996年、ジァン・ジァンでの初演はマサル=井上慎一郎、スグル=藤本浩二、 演奏=横川タダヒコ、ライオン・メリー、照明=鈴木勝秀でした。初代スグルの藤本さん、いらしてましたね。相変わらず美形であった。井上さんも美形な方だったなあ…初演時、この美形ふたりをして勝秀と言うか!ナルシストめが!と暴言吐いたものですが時効と言うことで(ニッコリ)。

便宜上初演の役名で続けます。マサルとスグル=勝と秀=勝秀くんの脳内会話。反発し合い、お互いの葛藤をぽろりと吐露する。離れられないふたり。どんなに言い争っても、どんなに相手が疎ましくても、同じ部屋にずっといる。何度部屋を出て行っても、帰るところはやっぱり同じ。ヴァージョンアップされた箇所もところどころあり、『LYNX』『CLOUD』と言った具体的な作品名が出てきていたところからも、ふたりは自分であると言うスズカツさんの押し出しがより強くなったように感じました。あと「レノンの似顔絵」だったのが「自画像」になっていたような…何せ十七年も前のことなので記憶に自信がないですが、それならそれでレノン=俺か!このナルシ(略)。
(追記:おおっと公開されたテキスト読んだらレノンの似顔絵のままでした、失礼。自分の記憶がいかにあてにならないかを露呈)

すみません前日分のDCPRGから続けて書いてるのでおかしなテンションでお送りしております。以下おぼえがき。いつもの如く感想とは全く関係ない妄想も書いてますのでご注意を。

・アートとビジネス、インチキとハッタリが見せる真実
・信じたいと決意しているけど、やっぱりときどきその決意は揺らぐ。そのあたりスグルくんの優しい心みたいなのが感じられてよかったな。オレノくんの資質なのだろう
・「思いやり。」って声のトーンもよかったな
・オレノくんの背中側に座ってしまったので、表情が全く見えなかったのは残念!
・対してスグルくんにハッパをかけたり挑発したりして奮起を促すマサルくん。門人くんは野心の塊みたいな造形であり乍ら、スグルくんへのハッパを自分にもかけているような痛々しさが胸に迫る
・現状への苛立ちを抱えつつ、それでも諦めるものかと必死でもがく一途さ
・パリッとした黒の上下、きっちり分けた髪と言う洗練された姿にも拘りが感じられました。どんな状況でも身だしなみはきちんと、と言うマサルくんの美学にも映る
・そうそう、オレノくんは白シャツにブルージーンズでした。ワーキングクラスヒーローな感じ(?)
・ふたりとも大熱演でした。ほろり

・水を呑む、ペットボトルを踏み潰す、といった動作もある。リーディングは読むことが大前提だけど、そこを守ればあとは何してもよかろうもんと言う心意気が爽快です
・こうなるとト書きが気になりますよね。テキスト読むのが楽しみ
・それにしても門人くん、スズカツさんのことだいすきよね…こんなに慕われて、スズカツさんしあわせものね……
・と言う話を帰りにした

・Rolling Stone誌のレノンのインタヴューがベースなんですが、ドラッグ体験のくだりが生々しく、今聴くともうつらくてつらくてヘコむこと甚だしかった
・ええそうですよ、レインのことですよ。八月から90年代グランジシーンを絶賛振り返り中ですよ。昔取った杵柄の威力っておそろしい(使い方が間違ってる)
・Rolling Stoneとレインには、ドラッグを巡って因縁がある。それを思い出してつらかった
・そしてRolling Stoneのインタヴュアーはこういう傾向の質問ばっかすんのかなという偏見が

・先日イギリス人は30過ぎたらドラッグをスパッとやめてヘルシーな生活を心掛け庭作りに精を出したりするが、アメリカ人はどうにもやめられなくて死んじゃったりするのは何故なのだと言う話をしてまして
・薬の質とか配合にもよるんだろう、あと港湾都市シアトルはメキシコルートでドラッグを入手しやすいので底がないと言う話
・あと宗教観
・本当にたくさん死んだ、あの界隈。レインを美化するつもりもないし…彼はデムリ・パロットとマイク・スターも連れて行ってしまったようなものだ
・ODは大ドジの略!@きくちなるよし
・最初に手を出したことがもう大ドジなんだよ!と今は言い切ります
・と言うふうに距離を置いて考えないとやってらんない
・歳取ってよかったなと思うことは、こういう虚勢を張れるようになったところだな!つらい

・あーそういやリヴァプールも港湾だね
・そうそうそれで、リヴァプールもニューヨークも港湾だし、りょうしっつったら漁師なんだろうけど、今羆関連の文献をやたらと読んでるのでどうにも猟師と脳内変換。マタギイズブレイヴ
・すずかつさんてイギリス人気質なんだなと思いました(問題発言)。横浜も港湾だしね!死ななくてよかった、とわかったふうな口をきく
・嘘を嘘と(略)

・で、メキシコ流れでバロウズ。このページ読んでた→・LABRAVA | ウィリアム・バロウズ モンテレイ122番地
・『バロウズの妻』でジョーン・ヴォルマーを演じたのはコートニー・ラヴだったなあ…
・あの「女」はジョーンでもありヨーコでもあり、シンシアなのかも知れないな。そして
・思い当たるフシと言うものは、探せばいくらでもあるもので
・帰宅後押し入れ整理してたら『裸のランチ』のフライヤーが出てきてニヤニヤしました

・あ、そんで前述の「思いやり。」って単語、英語だとempathyなのかなと思ったりしました。カートの遺書にもあった言葉
・Peace, love, empathy
・なんでもかんでもこのシーンに結びつける病気をなんとかしたい
・今かなり重症なので勘弁してください、自覚はある

・選曲は来日記念(違う)かトム・ヨークまつりでヒャッホーって感じでした
・SE、針を落とすような繊細さ。水を注ぐ生音も心地よかったです



2013年11月14日(木)
DCPRG『Tour 2013 / November Marching for KINGDOMOSAKA』

DCPRG『Tour 2013 / November Marching for KINGDOMOSAKA』@LIQUIDROOM ebisu

現編成での大阪初見参、その流れで東京でも対バンなし、ゲストなしのノヴェンヴァー・ステップス。久々のガッツリ三時間セットとのことなので、アミノバイタル呑んで行きました。正解。

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セットリスト

01. Perfect Day for Jungle Cruise
02. Circle/Line
03. PLAYMATE AT HANOI
04. Catch 22
05. 新曲(ゴンドワナ急行)
06. 構造 I
07. Duran
encore
08. Mirror Balls

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改めてポリリズムのリテラシーをあげていると言うことでしたが、実際耳にすると腰が抜けますね…んまー読み書きが一段階あがるだけでこんなになるかね!ビビりまくりました。で、リテラシーが浸透することによって、より教順さん(もう田中ちゃんとは呼べないと何度も言ってますが今回はホントに恐れ入った)のフィクサーっぷりが際立ちました。これがやりたかったんだなー!と言う…いや、新編成になった当初菊地さんにこのヴィジョンがあったか私には判りませんが、実際デキるひとがいれば、それはもう伸ばしますよね先生!若者の吸収力って素晴らしい。傭兵部隊の面目躍如ですわ……。

全体の流れを任されているのは教順さんで、それを指揮しているのが菊地さんと言うところ。「Circle/Line」〜「〜HANOI」のブリッジとか、「Duran」前のCDJとのインプロが顕著でしたが、殆どデュオかと思う程の菊地さんと教順さんのやりとりはもはやクリプトグラム。あのー菊地さん今バレーボールにハマッているとのことなので(笑)人生の四分の三をバレーファンとして過ごしているわたくしが嬉々として例えますが、バレーってサインでフォーメーションをリアルタイムで変えていくのですよ。サーブが来る前にコンビネーションを指サインで伝えて、サーブレシーブの返りによってセッターやアタッカーが自分の入る場所や速さを符号で伝える。これに例えますと!プレーイングマネジャーでありセッターの菊地さんがフォーメーションを指示し、サーブレシーブするひとが教順さんで、あとはもうソリストがバンバン打ちやがれと言う……ああっ誰がうまくないこと言えと!これバレー好きには解るよね!解って!

ちなみにバレーボールは接触のない空中の格闘技と言われます。格闘技と言えば菊地さんでしょ!そうでしょ!!そしてボールをバウンドさせないスポーツ。バウンドさせたら失点です。こういうとこエレガン。エレガンと言えば菊地さんでしょ!!!そうで(いい加減に)ここで私の話をしますと!このバウンドさせないと言う理由でバレーとバドミントンが好きなのです!井上謙もバレーはボールを落とさないから好きって言ってた!井上さんでピンと来るひと、きっと同世代!今アメリカ女子の監督やってるカーチ・キライの現役時代も知ってる…Mr.バレーボール、大ファンでした……。

もひとつちなみにセッター対角(ライト)は左利きがとても有利です。と左利きマニアが付記しておきます(笑)。ぴったりじゃないのー!こんな例え誰が嬉しいか!私だけだーッ!(メンバー表に坪口さんがふたり書かれたsmashのフライヤーを床に叩きつける)

まあそんなこんなで(?)非常にスポーティなスリルがありました。スーパーリッチポリリズムとはよく言ったもんだ。

……なんか力尽きた(バカ)あとはおぼえがきー。

・今回の音源出ないのかな…出てほしい、OTOTOYさんとか録ってないのかな
・新曲もめっさよかった!二億年前に存在したと言われる幻の超大陸ゴンドワナを走るDCPRG急行!アフリカからアジア、南極迄行ってまえ

・髪をきったるいけくんはテニスの王子様の前にもりやまなおたろうにみえました……
・しかし何故ここでテニスの王子様。どこで覚えてきた、しかも今
・このタイミングで言う?てな「髪切った?」、その後自動書記のように流れ出す「夏の扉」の歌詞。最初は笑っておりましたがサビ前までずらずらずらーっと語りだしたので口寄せ来た、とビビる。こういうとこほんとおっかないの……
・小田朋美さん(読み書きばりばりデキるひと)がもーリズムセクションもソロもすごすぎたんですが類家くんが許可しないと入れないとのことなので(笑)類家くんお願いしますよ

・で、素朴な疑問なのですが千住くんだけイヤーモニターしてたっぽいけどあれは何を聴いてるの?理屈としては複合リズムで符割が違うのであって、BPMは皆同じの筈なのでクリック聴いててもおかしくはないんだけど、素人考えだと千住くんがクリック聴くとは思えず…
・とtwitterで書いたら耳栓、クリック聴いてる、とふたつのリプライを頂きました。有難うございますー
・「リズムマスターを通り越して頭のおかしいひと」と言われるくらいのひとなので、耳栓に一票
・しかしクリック聴いてると思ってもおかしくはない複雑さではありますね…特に今回リテラシーの共有と言う課題があったため、ならしの意味でも可能性は全くないとは言えず

・おろしたてのシャツにケチャップつけてしょんぼり出掛けて行ったら、菊地さんの口からケチャップって単語が聴けました。これも何かの縁と思ってニヤニヤしました(こわい)
・菊地さんにケチャップって話しかけたお客さん有難う!(正解はチリソース)
・アメリカのたべもの……いい素材の上にピーナツバター、チリソース、あと何だったっけか

・リキッド、ミラーボール(曲名でなく)がなかった。まわしてなかったんじゃなくて、ミラーボールそのものがなかった
・地震で落下すると危ないからとかって理由で撤去されていたとしたらさびしいな
・「Circle/Line」から「Hardcore Peace」に続かなくなったときくらいさびしいわ
・「Hardcore Peace」、演奏されたのは2011年3月が最後だっけ…?「安寧なピース等ありません、ピースはハードコアなものです」



2013年11月10日(日)
菊地成孔 3DAYS duo with 大友良英

菊地成孔 3DAYS duo with 大友良英@Shinjuk PIT INN

えーと全然レポじゃないですよ。

最近はこのデュオのときしか共演がない、と言っていた。じっくり話すのもステージ上、年に一度。ふたりとも後ろを振り向かないタイプなんだけど、と前置きをしつつ、一緒にバンドをやっていたときの海外ツアーの思い出話に花が咲き、あの店のどの料理が旨かったかと笑い、自分たちの現状に苦笑し、「致命傷にならない程度の」痛烈な皮肉の応酬に悔しがってまた笑う。それが来年へのモチベーションになる、ってね。そして演奏はいつもの通り。勿論その「いつもの通り」は、出会って二十五年、ピットイン3DAYSでの九年を経ての「いつも通り」。

ピアノの連弾が聴けたのは嬉しかったなあ。低音菊地さん、高音大友さん。ふたりのまるまった背中と、凶暴な音のやりとりのギャップは観ていても聴いていても楽しかった。大友さんはプリペアド仕様なもんで弦を切ってしまっていた(ヒー)。これがファーストセットの最後で、セカンドセットの最初で今度はギターの弦を切った。涙を目尻ににじませそうになり乍ら、ゲラゲラ笑う。この疼痛が菊地さんだなあと思うのはいつものこと。

あと書いてよさそーなとこ(個人判断)

・サーキュレーションブリージング(循環呼吸)が出来ない話
・それはほらさ、菊地さん窒息が好きだから!いろんな意味で!
・で、その流れではないけど海女つったら水中に潜る訳で、ほら、それで、もう興奮しちゃって(以下略)

・フィードバッカー!
・き「今年はドレミファソラシドは使えない。皆そのあとに続く音階を想像しちゃうから!」
・き「クドカンさんに似てるって言われたことある。似てないよ!」お「落ち着きがないところが似てるよね」き「ああそうね。でもあのひと身長180cmくらいあるでしょ、おっきくて落ち着きがないって…俺はチビだし軽躁で(略)」お「そんなにちいさくないでしょ?」き「……チビじゃないひとは皆そう言うんだよ!!!おおきいひとには解らないんだよ!!!」お「いや俺だって顔が大きくて、集合写真撮ると遠近感がおかしくなるし合うヘルメットがなくて」き「そうでもないでしょ」お「顔が小さいひとは皆そう言うんだよ!!!解らないんだよ!!!」
・………(微笑)
・しかし「ちいさいからおおきいひとに襲われるんじゃないかって恐怖感が常にある(その後例のトラウマの話に)」って話にはキュンとなりましたね(笑)連弾のときも怖かったんだって、となりにおおきなのがいてガンガンピアノをたたくから
・前田日明と対談したときあまりのおおきさにぼーっとなる

アンコール曲におろっとなる。たまたま二日前にカラックスが出たEテレフランス語講座の録画を見直してたところだった(番組内の歌のコーナーでこの曲が課題だった)。日本語詞で唄われました。今年の夏に思いを馳せる。

あっあと六本木ピットインを「ろっぴ」て略すんだって今回初めて知った!と言っても六本木店はもうないので使う機会はあるまい(こういうのがまたせつない)。



2013年11月09日(土)
『ショーシャンクの空に』

『ショーシャンクの空に』@サンシャイン劇場

おお、これはすごくよかった。映画にはなかった原作のとある要素をこう使ったか!と言う仕掛けがとても効果的。流石の河原演出、手際の良さが鮮やかです。以下ネタバレあります。

その仕掛けと言うのは、原作のタイトルにも出てくる女優たち(リタ・ヘイワース、マリリン・モンロー、ラクエル・ウェルチ)。牢獄の壁に貼られているポスター、と言うアイテムとして描かれていた彼女たちが、ショーシャンク刑務所に降り立ち、登場人物たちと抱擁しあいダンスをする。彼女たちにしか知り得ない秘密を目撃し、彼女たちしか聞けない会話を聞いている。怒り、恐れ、過酷な現実の前に立ちすくむ登場人物たちの傍に寄り添い語りかける。

観客にそうと了解させる流れも巧い。壁に貼られているポスターには、背景と女優の名前しか描かれていません。自己紹介をして語り始める彼女たちはポスターから抜け出してきたのだと瞬時に解る。同様に、慰問映画会のスクリーンのなかから飛び出してきたかのようなリタやラクエルが、囚人たちの周りを蠱惑的な表情で練り歩くシーンにも唸らされました。この鮮やかな展開、このスピード感!三世代の女優たちが語り合う場面も、その時代を実感させるいいアクセントになっています。それだけ長い間、アンディやレッドが監獄のなかにいたのだと解る。

そして再び唸ったのは、その三人の女優たちが、レッドの殺した三人の女性として現れる終盤。三幕迄明かされなかったレッドの罪の重さを、短時間で衝撃的に提示するつくりです。この構成は見事。観客の想像力を刺激し、舞台に立つ人物たちと共犯関係を築ける、これぞ演劇の醍醐味。こういうのに遭うと演劇を好きで本当によかったと思う。

その大きな役割を演じる女優三人がまたよかった。それぞれの色を持っていて、その振る舞い、プロポーションも時代を象徴する。リタの高橋由美子さんは小柄でエレガント、マリリンの新良エツ子さんは肉感的でセクシュアル、ラクエルの宇野まり絵さんは野性的でスポーティ。そしてとにかく皆がいきいきとしている(この辺りにも河原さんの手腕が光る)。そんな彼女たちは、アンディが何度も語る「希望」そのものです。放送室に忍び込んだアンディがかけるレコードの「誰も寝てはならぬ」を唄う新良さんも素晴らしかった!その場にいる誰もが釘付けになるような歌唱力でした。

舞台版オリジナルの設定はもうひとつあって、それは出所したレッドになつく少年の存在。彼とレッドの交流は、苦くも甘い思い出を残します。外に出たレッドの絶望と、そしてそこにやはり残るちいさな希望。それらを炙り出す少年とその兄の存在は、レッドの救済にもなるのです。で、この少年を、作・演出でずっと気になっていた悪い芝居の山崎彬さんが演じており、これがまたよくて…ぎゃー、いきなり役者で観てしまった。ホントにアホの子に見える!(ほめてるのかこれ)根はいい子なんだけど心に闇を抱えていて、ちょっとしたアクシデントであっと言う間に暗黒面に転がり落ちてしまうような危うさ…やー、よかった。

アンディを演じる成河くん、レッドを演じる益岡徹さんのコンビネーションも素晴らしい。台詞にも出てくる黒曜石のようなキラッキラな瞳を持つ成河くんはもーアンディ、アンディだよ!小柄なところも原作に合っていて、これなら脱獄出来る〜と思う(笑・いや映画のティム・ロビンスも素晴らしかったし大好きですよ!)。ストーリーを追う毎に明らかになっていきますが、アンディは天使と悪魔の両面を持つ人物でもある。自分をレイプした相手に手酷い仕返しをするし、“洗濯”した金を自分の口座に落とし込む狡猾さも持ち合わせている。それでも彼には…いや、その複雑さこそが彼の魅力なのだ。そんな彼の魅力が、自分の罪の重さを痛い程自覚し、決して許されてはいけないと言う信念すら持っているレッドが一歩踏み出すきっかけになる。宗教的な要素も沢山含むこの物語ですが、罪を抱えた人物にも決して希望は失われないと言うひとつの指針を見せてくれます。

舞台で前回観た『負傷者16人』でも、益岡さんはとある罪と秘密を抱えた人物を演じていた。陰が色気になる役者さんです。小説を書くと言う形で、レッドはアンディに語りかける。益岡さんの魅力ある声によるその語り口は、説得力のあるものでした。はあうっとり。て言うか実は(?)私、益岡さんのことすごく好きなんだわと今回自覚したね……。そもそも『巌流島』の代役出演以来この方のやることには全幅の信頼を置いてしまっているのですが、それが!今!信頼だけでない何かを!感じている!(笑)やだもう好きになっちゃう!てかはい、好きだわー!素敵だわー!

欲を言えば全体的に芝居が大きかった感じがしました。劇場のサイズに合わせてのことでしょうし、こちらの席が三列目ド真ん中と言う至近距離だったこともあると思います。歌やダンスはこの劇場には丁度いいな!と思える華やかさ、賑やかさだったのでバランスって難しいなあと…いやでもこれは贅沢な話ですね。

その他。

・壁のセットが薄くて、山崎さんがよじのぼるときグラグラしててドキドキしました…アクションも激しいし、皆さん事故や怪我なく千秋楽を迎えられますように

・今回このタイトルの原題を初めて知ったんですが(『Rita Hayworth and Shawshank Redemption』)この“Redemption”が「補償」「救済」のダブルミーニング、なおかつ「買い戻し」と言う銀行用語でもあるそうで、訳って奥深い…と改めて思いました

・『L.A.コンフィデンシャル』でもそうだったけど、特定の世代におけるリタ・ヘイワースと言う女優は特別なものであるのだなあとしみじみ

・後ろの列に盲導(介助?)犬がいて、三幕三時間の長丁場だったにも関わらずとてもおとなしくしていて感心しきり。ときどき鼻息がブーて聴こえたのはご愛嬌、かわいかった

初日開く迄に割引やおまけつき割引が出まくっており、ちょっとしょぼんとしたりも。こんなにいい出来なのに!…口コミで動員増えていくといいな、リピーター割引もあるでよ!



2013年11月01日(金)
スガダイロー VS 飴屋法水『瞬か』

スガダイロー 五夜公演『瞬か』@あうるすぽっと

飴屋法水ウィーク、二本目。一週間で飴屋さんの作品を二本観ると言うのは相当消耗する。嬉しくもあり、苦しくもあり、そしてやっぱり嬉しい。それにしてもこの異種格闘技っぷり…と思えば、BOYCOTT RHYTHM MACHINEの方が絡んでいたのだった。と言う訳でデュオとか×とか&ではなくVersusと表記したい、スガダイロー VS 飴屋法水。

全五公演の対戦相手はダンサーが主、と言うか活動の基点がダンスの方ばかり。このラインナップで飴屋さんの存在は異質だ。彼の活動が身体表現と切り離せないことは周知の通り。しかしいちばん予想がつかなくもあった。この日しか観られなかったので、他の組み合わせはどんなものになったのか気になっている。特にcontact Gonzo、観たかった。

リハも別、顔を合わせたのも当日で、初対面だったらしい。ゲストが提案をし、本番でそれに初めて接したスガさんが反応する、と言うスタートラインはあった。その後は完全ガチンコのインプロ。ステージ上の下手にスガさんが演奏するグランドピアノ、中央から上手にかけてピアノが五台(アップライト×3、グランド×1、電子ピアノ?×1)+ちいさなおもちゃのピアノが二台。これらには布が被せられていた。

マントを羽織ったスガさんと、普段の佇まいの飴屋さんが登場。スガさんの髪はモヒカンに近いツーブロックになっていた。長髪をまとめ、激しくピアノを弾く印象があったのではっとする。飴屋さんのマイクパフォーマンスが始まる。マイクパフォーマンスと言う用語とは程遠いちいさな声で、ボソボソと話し始める。ピアノの歴史、名前の由来。日本に伝わった年代、YAMAHAとKAWAIの関係。鍵盤の数。ピアノフォルテと言う名前から何故フォルテだけが消えたのか。何故ピアノだけが残ったのか。ピアノは弱い、フォルテは強い、ピアノは強い音も出せるのに。「ピアノ、弱く。フォルテ、強く。僕は何故ピアノと言うのか解らない」「だって、ピアノは強い」。スガさんを指し「彼はピアノを弾く。僕はピアノを弾かない」。知ってましたか、保育士や小学校の先生になるには、ピアノが弾ける資格がいるそうです。僕は保育士、先生にはなれない。「彼、ピアノ弾く。僕、弾かない」。いつの間にかスガさんの演奏が始まっていた。

やがてマイクを置いた飴屋さんが、ピアノを覆っていた布を取り払い始める。そのなかの一台にふわりと飛び乗る。身が軽い。着地の音が全くしなかった。柔術のようにピアノに身体を接触させ、或いは軽快に飛び移って、五台のピアノ上を移動して行く。ぴったりとピアノに張り付き、鍵盤上の蓋を開けたり閉じたりし始めた頃から音に強弱がつき始める。勢い余って手を挟んでしまったところもあった。開閉のバン!と言う音は連続しては鳴らされず、一定のリズムは多分本人にしか把握出来ていない。ピアノから離れてまたマイクを持ち「彼はピアノを弾く。僕はピアノを弾かない」。そしておもちゃのピアノの鍵盤を軽く叩く。これは飴屋さんにとって、弾くと言う行為ではないのだろう。次の行動が、直前になる迄読めない。スガさんが激しい演奏をしているときにいきなり飴屋さんが話し始めたりするので、PAのバランスをとるのは難しかっただろう。音響はzAkさんだったが、その辺りの対応は見事だった。

飴屋さんがピアノの寿命について話し始めた辺りから、なんとなくこれらのピアノの行く末が感じられてきた。ピアノの寿命は百年。ここに置かれている五台のピアノは、寿命を迎えたものたちなのだ。或いは役割を終え、演奏者から必要とされなくなったもの。上手袖に一瞬入った飴屋さんが、ハンマーを持って帰ってきた。やはり、か。

あれだけのピアノが破壊されていくのを見るのは初めてで、構えていたにも関わらずインパクトは相当なものだった。しかし音はところどころ派手ではあるものの、とても静かに感じられた。ひとひとりがハンマーで打ちのめすには、あまりにもピアノは丈夫に出来ている。一度の打撃で木っ端微塵になることは決してないのだ。百年現役でいられるものの強靭さと言おうか、そのボディはタフだ。終演後に知ったのだが、これらのピアノは制作側からの呼びかけで集められたものだった(『お疲れ様ピアノ』大募集!)。他の日にも使用されたのだろう。どう使用されたかはそれぞれだろう。しかし、この日ステージにあった五台のピアノは、葬られるためにやってきたものだった。

それは破壊と言うより、解体を見ているようだった。解剖実習を見ているようでもあった。力任せでは壊れないものを、どこが外れやすいか、割れやすいかを探り乍ら、確実にバラバラにしていく。その過程で、ボディの構造を理解して行く。この板の向こう側にはこんな器官があったのか、それはどんな機能を持っていたのか。飴屋さんはバールも持ち出して来た。ハンマーで割り、バールで剥がす。初めて目にしたそれは、見たことがないものを見せられると言う怖さだけでなく、好奇心をも刺激する。ピアノはその機能を失って行く。

いつの間にかスガさんの身体からマントが落ちていた。いつの間にそうなったのか、全く気付かなかった。耳は不思議とスガさんの演奏を捉えていたが、視線は飴屋さんに釘付けになっていたからだ。聴覚はスガさん、視覚は飴屋さんにロックオンされた状態だった。飴屋さんがおもちゃのピアノから数音鳴らし、スガさんがそれを追って耳コピしていくところがあり、そこではちょっとリラックス出来た。どうしても一音一致しない。それはおもちゃのピアノにしか出せない(=調律したピアノの音階にはない)音だ。スガさんはそれを調律された音にトリートメントしたのだ。演奏家と身体表現家のちいさな裂け目を見た気がした。スガさんは意図を持ってピアノを傷付けることはしないが、あの激しい演奏を見てのとおりピアノに優しい訳ではない。飴屋さんも傷付けるためにピアノを解体している訳ではない。スガさんはピアノの命を全うさせ、飴屋さんはピアノを葬る。どちらもピアノを弔う行為には違いない。

その様子は怖いものだった。破壊行為が、ではない。演奏や行動の激しさが、でもない。引導を渡し、同時に悼む。恐怖感は死に対してのものだったのだと終演後思い至った。怖いのだが、嫌悪感はない。畏怖、と言う言葉がいちばんしっくりくる。

ステージ上からバトンが降りて来た。飴屋さんが解体したピアノのパーツを紐でくくりつけていく。スタッフに合図を送り、バトンが上がって行く。鳥葬のために吊るされた死体のようにも見えた。飴屋さんが退場し、スガさんが演奏を続ける。それはとても美しいメロディで、この壮麗な葬送曲で終演を迎えるか…と思ったが、そうは問屋がおろさねえ。次第に演奏は熱を帯び、激しい音が繰り出された。それはひとりきりになった開放感にも、自身の表現方法に欠かせない楽器を目の前で破壊されたことに対する激情(怒り、憤りとは言い切れない複雑な印象を受けた)にも、ピアノの生命力を確認する作業にも聴こえた。ふと気付く。スガさん、登場してから殆ど指を休めていない。ピアノの破壊音が大きい時は激しい音を、そうでないときも滑らかな運指を。すごい体力と気力。しかも前述のとおりメロディがとても美しいのだ。バトンの昇降や、美しいリフレインの音楽は『転校生』を思い出した。死はどんなものにも訪れる。生きることと死ぬことは決して、絶対に切り離せない。そして死には、身体が不可欠だ。

ふたりとも挨拶なしに退場して行き、カーテンコールの拍手にも応えることはなかった。困惑、放心したような観客席。やがて我に返ったように、バラバラな行動をとる。立ち上がってステージを見詰める者、会場を見渡す者、ステージに近付き、ピアノの残骸を携帯やスマホで撮影する者。それら思い思いな生態は、見ていて自然で心地よいものだった。ひとは同じ行動をとる必要はない。強制されることもない。生きるさまも、死ぬさまも、それぞれでいいのだ。

・スガダイロー 五夜公演『瞬か』| あうるすぽっとプロデュース[N/R]プロジェクト
・スガダイロー 五夜公演『瞬か』まとめ| Togetter