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2013年10月27日(日)
飴屋法水『302号室より』

飴屋法水『302号室より』@WATARI-UM

今週図らずも飴屋法水ウィーク。まずは寺山修司展『ノック』関連イヴェント。

302号室とは、寺山がネフローゼで入院していた新宿の病室。ワタリウム二階の展示フロアにはベッドが置かれている。会期中である『ノック』展示物は、壁にプリントされているものはそのまま、ケースに入っているものは隅に移動されている。演技エリアはフロアと地続き。椅子等はなく、観客は床にそのまま座る。完売とアナウンスされていて、確認出来た整理番号は80番台迄だった(整理番号が記されたパスが配布され、シール状になっているそれを身体に張って入場していた)が、実際はどのくらい入れたのだろう。一度座ると身動き出来ない密集ぶり。ここから開演、と言うはっきりとした境目はなかった。全員が入場してから飴屋さんが登場する迄30分くらいはあっただろうか。微細ないろいろな音が流れている。いつ始まるのだろう、もう始まっているのだろうか、と思い乍ら、その小さな生活音、自然音、音楽を静かに聴き入る。音響はzAkさんだった。

やがて飴屋さんが登場。ゆっくりと歩き、またはベッドに座り、カットアップした寺山作品の言葉を呟くように語る。何も見ないときもあれば、プリントアウトしてクリップでまとめた紙束から読み上げるところもある。読み上げる部分には蛍光ペンでマークがしてあった。キーワードは『懐かしの我が家』からの引用「僕は不完全な死体として生まれ 何十年かかって 完全な死体となるのである」。実際この言葉は、演技エリアのすぐ後ろの壁側面にプリントされていたものだった。そのうちハーネスを装着し始める。うまく装着出来ず、コロスケさんが手伝おうとするとその手を静かに払いのける。「難しい…」とぼそっと呟き(ちょっと和んだ)しばらくカチャカチャやっている。病室を設定しているであろう場所でハーネス、最初は拘束具を意味するのだろうかと思った。ようやく装着を終えるが、その姿は多少歪である。吹き抜けになっているワタリウムのいちばん上から吊るされたフックをウィンチに引っ掻け、宙づりになる。かなりの高さだ。モーター音とともに浮き上がって行く身体。その姿は、1985年の日航機墜落事故、御巣鷹山の光景を連想させた。ヘリによって救出される乗客。このイメージも共有出来るひとはこれから減る一方なのだろうが、帰宅後検索すると、同じようなイメージを抱いたひとのツイートがいくらか見付かった。

ウィンチのコントローラーは自ら操作していたが、それでもワイアーがねじれたりくるくる回ったりして、自分の身体をコントロールすることは出来ない。降下の際、ベッドの手すりや床に頭を打ち付けることもある。鈍く大きな音をたて、床に頭がぶつかる。他の作品…いや、どの作品でもか、このひとは防御と言う姿勢をとらない。それはパフォーマンス中起こる不測の事態に対して受け身でいる、と決めているからかも知れないが、それにしてもそれがあまりに自然で怖くなる。反射で危険から身を避ける、と言う動きすら見られないのだ。それは生きている人間としては不自然だ。思うように動かない身体を、何度も上下するワイアーが操っている。それは生体のマリオネットのように見える。生体ではあるが自分の意志では動けない。

上手側の壁にいろんなものが映写されていたが、それは座った位置からはよく見えなかった。振り向くにもひと苦労なくらいフロアは密集していた。下手側のイントレ上にスタッフがいたようで、飴屋さんが「○○さん、映してください」とパフォーマンス中と同じ声のトーンで指示を出す。前述のいつからだったか判らない開演や、「難しい…」と言う呟きといい、どこからどこ迄が台詞なのか、演技?なのか、混乱する。

寺山が入院し、退院する迄の時間。ワイアーの昇降とともに飴屋さんが繰り返す「おーい、」「君は人間か?」と言う言葉。読み上げられる入院中の書簡、詩、文献。そこへ谷川俊太郎と交わしたビデオレターの音声が加わる。所持品を、衣服を全て捨て、「私は誰でしょう」と問う谷川。「たぶん、ぽくは青森県人である」「たぶん、ぽくは天井桟敷の演出家である」と応える寺山。まるで三人が対話しているかのように感じる。そのうちひとりは完全な死体、もうひとり(ふたり?)は不完全な死体。

「僕は、ここを出たら、」「……演劇をやろうと思う」。そう言って、飴屋さんは退場していきそのまま戻らなかった。それは寺山の言葉ではあるが、飴屋さんの言葉にも聴こえた。鳥肌がたった。

不安定な姿勢のまま身動き出来ない二時間弱で、かなり身体的には過酷だった。このひとの作品はいつものんびりとは観られないが、飴屋さんが登場する迄の長い待ち時間は演出ではなくハプニングだったように思う。実のところあの待ち時間がいちばんキツかった。裏から慌ただしい様子が伝わってきていたし、パフォーマンスエリア上に小道具が運び込まれたのも随分時間が経ってからだった。その後も音響チェック等が続いていたが、それに関しての説明は皆無だった。それらを「これも作品の一部?」と思わせてしまうあたり寺山マジックかも知れない(…)が、火災や事故の際「逃げろって言われないからまだ大丈夫なんだよな」と留まって逃げ遅れるタイプの人間なので、正直危機感はあった(苦笑)。そう言った会場、制作側のアテンドには疑問が残った。あの身体的苦痛も含めて体感する作品だったと言われてみればそうかも知れないが(御されやすい)。上演中ずっと手話で話しているひとが近くにいて、声を発してはいないのに「うるさい」と感じたのも初めての経験で(呼気やタンギングの音は多少したが、その音ではなく「手話」がうるさいと思ったのだ)これもなかなか興味深かった。

飴屋さんと言うと状況劇場のイメージがあるので寺山?と思いはしたが(特にリアルタイムでは知らないので)、このあたりは互いに影響し合ってきているのだよなあと改めて思った。そして先程ふと思い出したが、飴屋さんは小竹信節さんの作品に参加していたな(『ミュンヒハウゼン男爵の大冒険』)。

千駄ヶ谷迄歩いて帰ろうとしたら道に迷う。暗いとわからなくなるね…全身ギシギシで起き、ルー・リードの訃報を知る。



2013年10月20日(日)
NODA・MAP『MIWA』

NODA・MAP『MIWA』@東京芸術劇場 プレイハウス

客入れの音楽がT.REXで、あー「20th Century Boy」でも流すのかな、題材が題材だしと思っていたけど別に関係なかったか。開幕直前の曲は「Get It On」でした。二十世紀はともかく、昭和の色は濃い。美輪明宏の、生まれる前からPARCO劇場迄、と言う感じかな。上手と下手にある扉から出て行くひとたち。最後の扉はPARCO劇場に行っているひとならピンとくるだろう、あの壁紙が張られていた。

ここ数作の舞台を観ている上で感じていることをまた感じる。「当時」を知らない者にとって、その対象が「当時」どのくらいの影響力を持っていたか、世間からどう見られていたか、社会的にどんな扱いをされていたのか。その空気をどうやって感じればいいのか。自分は美輪さんの当時を知らないし、彼(彼女)の交友関係や背負って来た歴史を文献でしか知らない。もっと若いひとにとっては『オーラの泉』に代表されるスピリチュアルな黄色い髪の人物と言う印象だろう。しかし今はそれに「2012年の紅白歌合戦で圧巻の歌を聴かせた人物」と言う印象が加わっている。「ヨイトマケの唄」はいろんなひとがカヴァーしているし、放送禁止歌としても数年毎に話題にあがる楽曲だ。今回の舞台の企画があがったのはいつなのだろう。

作品そのものとしては、とても楽しんだものの「野田さんにしては…?」と言う疑問もちょっと。生まれるときに引き裂かれた片割れであるアンドロギュヌスを現世につれてきてしまい、彼(彼女)と主人公は人生のエポックごとに会話するものの、肝腎なときに彼(彼女)は出てこないと言う設定は非常に面白かった。史実から大ボラを立ち上げる野田さんらしさがあった。しかし……。ひとひとりの人生があまりにも濃厚で、それがまだ途中であろうとも二時間強ではやりきれなかったと言う感じだろうか。もう一段階何かがあったような気がしてならない。ここをとりあげるとあそこを描かない訳にはいかない、それならここは不可欠、と言う迷いがそのまま出ているような印象だった。

個人的に心に残ったのは浦井さんの役に代表される、名もなき人物たち。主人公に絵描きになるのが夢なんだと明るくと語ると同時に赤紙を持たされ軍服を着せられて出征していく青年、美しい衣裳を身につけ輝くような笑顔を湛えた瞬間やってきた家族に否定され首を吊る青年。彼らの行く末は主人公に怒りを呼び起こす。そんなひとたちの無念は夥しい数あるのだ。そこへ光を差す青木さんの演じる役。彼女も、名もなき人物だ。語られる場がないだけで、彼らには皆名前があり、それぞれの人生がある。そこをしっかり掬い上げていたこの作品には愛がある。これがあるとないとではかなり印象も違ったと思う。

楽曲そのものの良さもあるが何よりいちばん強いのは当人の声、そして歌唱法。それがあまりにも唯一無二のものなので、役者が歌を唄わないフックには成程と思った。とは言え口パクに関しては、もうちょっと見せ方があるのではないか…と思ったのも正直な気持ち。しかしあれらの“歌”を唄える役者って、いるだろうか?ただ巧いだけでは勿論ダメだし、独特な歌唱法をコピーするだけでもダメだ(そもそもコピーも難しいだろう)。ひとりの人物(しかもモンスター)の人生を体現出来る役者と言う怪物は、どこかにいるだろうか。

その辺りの演出はともかく、宮沢さんのヴィジュアルはまさにスターのそれで、役者としてのタフさも見応えありました。いい主役。『ロープ』で嗄らして以来、喉が強くなったようにも。凛とした声がよく通ります。所作の美しさにも惹き付けられた。で、今の宮沢さんで『ロープ』の再演観たいなあとふと思った。が、あの役は妖精のような(実際妖精だったか)壊れそうな危うさあってのものだったから、どうかなあ。どちらも兼ね備えるって難しい……。古田さんは最強。一稽古場に一古田とはよく言ったものです。あの扮装で登場してきたときの客席のどよめきっぷり、すごかった(笑)。ワンノートの発声も素晴らしかったよ!そして成志さんが八面六臂の活躍で、そりゃ稽古後や本番後に電車で寝過ごしたりSuicaなくしたりするよね…と思った(twitter参照)。あの声で聴く長崎弁、最高です。この三人はホント見事でした。しかし仕事してないときの成志さんホント心配(苦笑)リアルサザエさん見てる気分だ。

出番自体は多くなかったけれど前述の浦井さん、そして瑛太さんの陰ある人物像も素晴らしかった。煌びやかなショウビズの世界と、その裏の闇を浮かび上がらせる光を持ったふたりでした。そこへ「自分の言葉で話せない」通訳、小出くんの陰が加わる。生と死の谷間を覗き込むような瞬間を感じさせてくれました。井上さんはほぼ初舞台とは思えない度胸のよさ。声もいい、またNODA・MAPの舞台で観てみたいです。アンサンブルもよりアグレッシヴになり、各々の顔がより見えてくるようになった。美術の美しさ、小道具の見立ては毎回やっぱりすごい。椅子が飛行機の操縦席になる場面の鮮やかさについては、パンフレットで古川日出男さんも言及されてましたね。あれにはやはりゾクッときた。

主人公と交流のあった作家を、野田さんが演じたことにもグッときた。野田さんはまだ死なないで、と思った。野田さんには書き続けてほしい。愛について、また書いてほしい。そう思うと、前述の「迷い」も愛からくるものなのかな、と思った。だからこの作品を否定する気持ちにはなれない。『オイル』も『ロープ』も『ザ・ダイバー』も、社会的な理不尽を被り打ち捨てられる登場人物たちは、それを声に出来ない弱い者たちばかりだった。怒りは悲しみを呼ぶ。それがハッキリ表に出て来たのは『エッグ』辺りからのような気もする。書くものが、怒りの季節から悲しみの季節へと移行してきた。勿論怒りが消えることはないのだろう。サヴァイヴァーはそれからどうするのか。観ていきたい。



2013年10月19日(土)
『ムサシ』ロンドン・NYバージョン

『ムサシ』ロンドン・NYバージョン@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

蜷川演出作品が続いた。毎月どこかで上演されているなあ…月刊蜷川とはよく言ったもので、そのパワフルな仕事っぷりには頭がさがる。お身体、おだいじに。蜷川さんの作品、沢山観たいのはやまやまですが。

初演を観て、再演は逃しています。今回の小次郎役は溝端順平くん。

実のところ、終盤に謎が明かされる際「彼ら」が言う台詞とその根拠に納得がいかなかったと言うのが再演を見送った理由でもあるのですが、こうド直球で言わずにはおれんくらい井上さんが切羽詰まっていたと言うことだろうか、と今となっては思う。その切迫感は〆切りに依るものか(笑)、自分の死期を予感していたからか。しかし日々の暮らしのちょっとしたことにこそ…と言うのは死期を悟っていようが関係がないだろう。殊に大作家であられた井上さんが気付いていない訳がない。それをわざわざ…敢えて訴えなければならない程の歯痒さを感じていたと言うことか。何に?平易な、判りやすい言葉と言っても、それをあまりにも選んでいないように感じるのだ。

しかしあの場面で大石さんがぽつりと漏らすひとことはとても胸に迫る。これは大石さんの持つ透明感が成せる業。とても貴重な役者さんだと思う。

復讐の連鎖を断ち切ると言って、しかし結局は犠牲者を出す。落とされた腕は蛸の脚のように蠢き、かちかち山のうさぎは胴体から切り離される。やはり納得出来ない。個人的にはこの作品は、役者たちの魅力と、そしてそれを丁寧に引き出している演出に尽きるのだ。コメディパートも蜷川さんの手掛けたものとしてはかなり好き。鋼太郎さんのハジケっぷりも、白石さんのもののけっぷりも好きー。コメディと言えば、この作品での藤原くんの笑いのパートは、彼のコメディ仕事のなかではかなり好きなものです。いやもう面白かった。溝端くんとのやりとりもテンポよく、そして何よりふたりが武蔵と小次郎ってのがね!終盤闘う準備をはじめ、キリリと襷を締めるふたりの格好いいことと言ったら。

カーテンコールで初演にはなかった演出?があった。井上さんの大きな写真パネルが掲げられた。初演時はご存命だったものね…再演のときはどうだったのかな。



2013年10月17日(木)
『唐版 滝の白糸』

『唐版 滝の白糸』@シアターコクーン

はあ〜、こういう一瞬が観たくて芝居通いをしてるんだなあと言う光景。入場とともに朝倉摂さんの美術にシビれ、客席から現れた迷子のこどものようなアリダの佇まいにシビれ、血のりに滑るアリダにシビれ、血まみれで叫ぶアリダにシビれ。銀メガネの声のトーンにシビれ、お甲の登場シーンにシビれ。今では「不謹慎」とか「意味がわからない」なんて言葉で隠蔽されてしまうような、甘美な毒を孕んだ優しい登場人物たち。それが今、渋谷の真ん中に存在している愛おしさ。

冒頭40分はアリダと銀メガネの淡々とした会話が続くので、蜷川さんお得意の「ツカミ」を使えない戯曲です。その緊張の持続にまたゾクゾクする。詩的で、会話の内容もあちらからこちらへと頻繁に位相が飛ぶので、そのパズルのような言葉たちを頭で組み立て乍ら観ていく。観客の緊張感もビシビシ感じる、気持ちのよい静かな劇場。羊水屋の挙動、それを受けて笑顔を見せるアリダのやりとりはアドリブもあるのだろうか。そう思わせられる程に、窪田くんの笑顔は屈託がない。アリダとその弟(ゴロウ)、ふたりを表裏一体で演じる彼と大空さん演じるお甲、そして銀メガネの平さんはフラットに時間を行き来する。同じトーンの言葉のまま銀メガネはちいさなアリダを誘拐し金をタカリ、その表情と地続きでお甲はアリダの兄と抱き合う。アリダと言う、姓か名か曖昧なこの呼び名は兄弟の区別をも曖昧にする。窪田くんはアリダの兄と弟の記憶―お甲への恋情、銀メガネの性愛―を全身で受け止める。

「虹の彼方に(Somewhere Over The Rainbow)」のメロディ、虹色に塗ろうとしても一色足りない六本指の爪。店を出すんだ!と言う台詞の切実さ、白雪姫と言う連想、売血に出掛けようとする小人たち、彼らの伸びる影法師。この美しさとせつなさに整合性などいるものか。唐さんが紡ぐ情景の欠片を蜷川さんが視覚化する、それを拾い集める至福と言ったら!視覚化と言えば観客の視線を誘導する手腕も毎度乍らお見事で、お甲の登場シーンなんかまんまと上手のカラスに注意を惹かれ、気付いたらお甲がバーン!と下手のタンスの上に立ってましたからね…またヤラれた!と思いましたよ。毎回素直に誘導される自分がもはやかわいいそう。ついこないだも同じような手法を『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』でやられたばっかりだったのにー!好き!

そして「ワルキューレの騎行」の鉄板っぷり…この曲かかるだけでもう持ってかれますよ。クレーン使いはこれでも『王女メディア』でも何度も観ているものだけど、えっクレーン!?て言うポカーンっぷりも含めたあのカオスが大好き!条件反射で泣く。直に身体に訴えられるこの感じがたまらないのです。愛してるわ!

ところで小人プロレス、ウチの地元には昔よく来ていた。70〜80年代。確かに女子プロレスとセットだった。現在この辺りの状況ってどんな感じなのだろう。時代か、東京と言う場所に住んでいるからか、今は巡業と言うものに実感が湧かない。『不道徳教室』では街にいる傷病兵のことを思い出したが、今のこどもたちは見たこともないだろう。このある種のノスタルジーが、実感としてある世代はどこ迄なのだろう。

カーテンコールに現れた大空さんは小柄で、かわいらしく見えた。役者が役を離れた瞬間を見たようで、ハッとした。



2013年10月14日(月)
the artist formerly known as 面影ラッキーホール『O.L.H. is not O.L.H.』

the artist formerly known as 面影ラッキーホール『O.L.H. is not O.L.H.』@Shibuya WWW

面影ラッキーホール改名披露公演でございます。まあどんな名前になろうとも「元面影」とか言っちゃうんだろうなあ…と思いつつ会場へ。あいちトリエンナーレ帰りでへとへとです。昼は東京都写真美術館に『ネコライオン』観に行ってましたし(うふふ楽しかった)。サさんはサさんで瀬戸内国際芸術祭(犬島で維新派!いいなー!)帰りでへとへと。ぼんやり開演を待つ。んが、始まってみれば終始ゲラゲラ。

FAは町あかりさん。DIY精神溢れる?自作のバックトラックに自作の衣裳(一枚布に穴空けて首から被ってベルトしたみたいなの)、バスガイドのおねえさんぽい進行+歌唱で歌詞はオモロい。こてんぱーんの歌がぐるぐる回る…どっから見付けてくる、こういう対バン相手……。aCKy、「転換中にお客さんごっそり入れ替わったらどうしようかと思った。過去Perfumeと対バンしたときそういうことがありましてね」だって。あかりさんの今後の動向も気になります。

オープニングは映像から。思い出ぽろぽろの前口上、何故かaCKyの実父がNHKのど自慢に出演したときの秘蔵映像迄。出たんだ…ちなみに鐘ふたつ。しかし歌巧い。aCKyのルーツに思いを馳せましたね。そして発表された新バンド名はOnly Love Hurts。公募で二名の方が応募してきたそうです。一名じゃないとこがなんとも…「これで言うの恥ずかしくないでしょ?誰とか聴くの?んん〜お、おもかげ…てならないでしょ?Only Love Hurtsって言えていいでしょ?」て。…こっちのが言うの恥ずかしいわ……。これを機に俗なMCもやめてオシャレに!みたいなこと言ってましたが結局話すことはSHABU&ASKAとかです。さもありなん。

メンバー入れ替えもあり総勢14名、ホーンがTb、Tp、Ts×2の4本!Perc×2+Drsで音ブ厚!前編成から三名がそれぞれ沖縄、京都、NYに移住、ただでさえ停滞しがちなバンド活動がますます滞るってことで今春研究生を募集してましたがその成果は?くるりみたいになるのか?と気になっていましたが蓋を開けてみればGは『代理母』で弾いてた木原宙、出戻りくんです。まっさらの新メンバーはTsのおねえさんとChoのおねえさんだったのですが、彼女たちは研究生出身なのだろうか…そもそも研究生期間もなかったのではなかろうか。ちなみにNYに引っ越した前Tsのカオリさんが今回ご祝儀出演?してくれてまして、それでTs×2だったんですねー。Flのときもツイン、これはスペシャル。

しかし前Gの西村さんは元々京都拠点だったよね?メトロも今あの状態だし、メリィさん同様あんま東京には出てこないことになるってことか。時は過ぎるね……。そもそも面影(結局おもかげと言っている)ってフルメンバー揃ったライヴってあんまりないし、しれっとトラが入っていたりするし、知らないうちにそのひとが正式メンバーになってたりするし、そもそもフルメンバーって誰と誰がいればいいのよみたいなところもあるので流動式でもいいんじゃないかしらと思いますが、そこらへん改名とともにキッチリしたいのですかねえ。

それはともかく新編成と言うこともありアレンジ変わってた曲も多く、リハしっかりやったんだろなあと言う感じでした。ブリブリ。アグレッシヴだったわ!しかし披露公演の緊張感や、物販告知等段取りが多かったせいか珍しくaCKyが巣鴨の歌詞を忘れてグダグダに。二番になっても整わず、「これも違わねえか!?」なんて自分ツッコミをしていたがそこで演奏止めない辺り、バンドのクールさ(冷酷さとも言う)が窺えます。なんやかやでみっちり二時間はやったかな。サービス業の鑑です、最高。ちなみに初のフルハウス!「毎回改名すれば売り切れるのか」だって、閉店セールか。テリー・ジョンソン画伯による新ロゴTシャツもバンバン売れておりましたよー。

それにしてもaCKy痩せてたわ。あのスーツのボタン全部留められるって結構…しかも三つ揃えの。ちなみにスーツもどピンクじゃなくて、黒基調でピンストライプ部分が淡いピンクと言う、どうしてもオシャレ路線で行くんだと言う主張甚だしい。しかし誰からも本気にされてないような…最後は例のごとくパンいちでしたし。素敵でしたし。そういうのが好きですし。ぬらぬらと輝く汗が眩しかったです。



2013年10月12日(土)
『あいちトリエンナーレ 2013』

『あいちトリエンナーレ 2013』

2010年は辛いことが沢山あった年だった。精神的に最悪だったとき出掛けて行った前回のあいちトリエンナーレはとても楽しく、自分にとってある意味癒しや励ましにもなった。それでなんか恩義みたいなものを感じていてですね…(笑)。街に存在するアートと言うものの位置づけにとても好感が持てたことも、また行こうと思った理由です。パフォーミングアーツのプログラムも好み。ボランティアのひとたちとの交流もいい思い出でした。それは今回もそうだった。

前回は日帰りだったので、今回は一泊してゆっくりすることに。実はあいトリとは別に、最近お気に入りで通販もちょこちょこ利用しているロシア雑貨店リャビーナへ行くと言う目的もありました。カフェもあるって言うしー。昼前名古屋に到着、真っ先に向かいます。日曜日は定休日だそうだし、行くなら今日しかない!ウキウキして地図で調べた場所へ辿り着く。おお、古い雑居ビル…ソ連ぽい……(ラブ)急なせまーい階段、落ちないようにとそろそろ三階へ。ドアに張り紙。
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10/11(金)〜16(水)はロシアに仕入れ出張のため、実店舗、商品発送ともお休みをいただきます。
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……………いきなり心が折れた。臨時休業については調べてなかった。

しかし長者町会場のすぐ近くと言うか、エリア内なんですよここ。無理矢理気をとりなおして奈良さんとこへ行くことにする。

■長者町会場
奈良さん率いるTHE WE-LOWS!WE-LOW HOUSEにはカフェも併設されてます。まずはここでお昼ごはん。コシバ食堂とのコラボ、コシバカレー(鶏肉とかぼちゃのココナッツカレー)おいしかったー。ギャラリーへ入り、ボランティアのおっちゃんにいろいろ説明してもらう。奈良さんの恩師の肖像作品が展示されているとのこと…山本容子、有元利夫作品が!有元作品をここで観られるとは…ふいうちで泣きそうになった、やばい。有元作品、大好きなのだ。
さてうろうろ。前回来たとき探検気分だったこのエリア、今回も廃屋や店舗内に展示されている作品を探して歩く。ちっちゃなビルの階段を上っては下り、店舗の階段を上っては下り。う、うんどう……。建物込み、街そのものが作品。楽しい。
アートラボのモニタに映し出されていた、ブーンスィ・タントロンシンの『Superbarbara Saving the World(スーパーバーバラ世界を救う)』に見入る。このときは1エピソードだけだと思っていた。

それにしても天気がいい。そして暑い。十月中旬でこんな目に遭うとは。

■白川公園エリア/名古屋市美術館
誘導されて裏口から入場。迷路か。美術館外の公園にも作品が点在、観て歩く。予約制の藤森照信作品『空飛ぶ泥舟』に乗り込んで行くひとを、周りのひとが記念撮影。むちゃ揺れてる、怖い!でも面白そう!こどもも楽しそう!撮影OKのエリアも多かったので、携帯+スマホでバンバン撮られてましたね。しかし撮るだけ撮ってさっさと場を離れて行くひとも多く、ううむと思う。

歩く歩く。灼ける灼ける。帽子持ってくればよかったよおお。

■納屋橋会場
ボーリング跡地をそのまま利用しているこの会場、雰囲気ともども前回来たときすっかり魅了されてしまった場所です。今回もいちばん長い時間いたなあ。映像作品が多く、暗闇が心地よい。
フルで何度かリピートしてしまったのはミハイル・カリキス&ウリエル・オルローの『地底からの音』。閉鎖になった炭鉱の元労働者たちが、その跡地に立つ。サッチャー政権(時期的にそうだろう)により切り捨てられた産業、働いていたひとたちはもう年老いている。しかし彼らのツラ構えの魅力的なこと!数十年も前に出て行った(追い出された)職場の音を、彼らは記憶を頼りに声で再現する。発破、蒸気、警報、機器の轟音。
・Sounds from Beneath a project by Mikhail Karikis | a video by Mikhail Karikis & Uriel Orlow

会場のサウンドシステムから発せられた音の迫力、素晴らしかったです。
音と言えばニラ・ペレグの『安息日 2008』も印象的だった。ひと目でラビと判るこども、おとなたちが安息日に向けて街を閉鎖して行く。そのフェンスを引きずる音。
・Artis Video Series: Nira Pereg(ダイジェスト)

そしてここでフル上映されていました、『Superbarbara Saving the World(スーパーバーバラ世界を救う)』!スーパーバーバラは旧式のダッチワイフ。ひとを救い、鳥を救う。彼女は傷付けられた存在で、それでも地球を救おうと奮闘する。かわいらしい絵柄のアニメーションなので、こどもたちも沢山観ていました。彼女のせつなさを理解する年頃になったとき、この子たちは何を思うのかな。
・公式サイト。映像はこちらで観ることが出来ます
一緒に観た見知らぬひとたちや、その場の雰囲気も作品になる。こうやってweb上で観ることも出来る映像作品だが、やはりその場で、五感をフルに使って観たときの気持ちは何ものにも代え難い。
五感と言えば、名和晃平×京都造形芸術大ウルトラファクトリーの『フォーム』は強烈だった。三階に上がった途端異臭が鼻をつく。暗闇に蠢く巨大な泡!洗剤とも違うあの匂い…薬品ではあるのだろうが何だったんだろう。あの異様な光景には匂いも大きく貢献していた。発泡するときのちいさな音、指に触れたときのたよりない感触。

■栄エリア/愛知芸術文化センター
名古屋テレビ塔に掲げられたオノ・ヨーコの『生きる喜び』を眺める。このアートは英文『JOY OF LIFE』ともに各所に分散しており、街のあちこちで観ることが出来た。ビルボード、ビラ、電光掲示板と形態もさまざま。予想外の場所で目に飛び込んでくるそれは、ハッとするとともにじわりと心があたたかくなる。ゲリラのように愛を配る、ヨーコの真骨頂。
愛知芸術文化センターは質量ともに充実、ざくざく観てまわる。コーネリア・パーカーの『無限カノン』、つぶされた楽器が列をなして宙に浮いている。ここにも(鳴らない)音。今年のテーマは『揺れる大地』。ストレートな震災記録写真もあれば、廃材を利用した作品、失われた思い出を共有するようなものと提示方法もさまざま。アイコンにもなっていたヤノベケンジのサン・チャイルドは、チェルノブイリの原発事故に際しヤノベが発表したアトムスーツを着ている。とてもかわいらしいキャラクターで混乱もする。アトムスーツが発表されたとき、こんなにポジティヴな方向性ではなかったからだ。その混乱は未来を示す。

・ARICA+金氏徹平『しあわせな日々』@愛知県芸術劇場 小ホール
福岡“Yen Calling”ユタカの役者デビューを見届けて来たよ!イトケンによる劇中音楽、エンちゃんの声は全部インプロ+ライヴでした。
ベケットの『Happy Days』新訳初演。ほぼ安藤朋子さんのひとり芝居です。大地に埋められているのか、動けない女性。彼女は思い出を語り、今の気分がよいことを語り、幸せだと言う。童女のような声色のときもあれば、老婆のように達観した声も発する。一幕では上半身が出ているが、二幕になると首だけしか自由に動かない。幕間休憩はなく、音楽とエンちゃんの声で時間の経過が表現される。
エンちゃんは彼女の夫役。金氏さん美術の、さまざまなものが積み上げられた山(頂上に彼女がいる)のそばで新聞を読んだり、着替えたりする。殆ど、いや、一度も客席に顔を向けない。台詞は記号的。終盤、彼は四つん這いで山のふもとに現われる。ここでひとこと発せられる「おまえ」と言う言葉が、それ迄の記号から逸脱して感情を揺さぶられる。
効果音も生演奏で、演出の藤田康城さんを筆頭にスタッフが鳴らしていたそうです。アフタートークも面白かった。
しかしエンちゃん、結構大柄だよね…なんかああいう声の持ち主って小柄なイメージ(人外ぽい)があるので実物見る度ハッとするわ。来年KAATでもやるそうなので、また観(聴き)たいな。

前回の山川冬樹『Pneumonia』、そして今回のやなぎみわ『ゼロ・アワー』、『しあわせな日々』。パフォーミングアーツにしろ展示作品にしろ、音が印象に残るあいちトリエンナーレ。それは自分の興味によるものだろうか。今年も行けてよかったな。三年後、また行きたいな。

いんやそれにしても文字通り脚が棒、そして日灼け。宿で泥のように寝た。日帰り用の体力残さないで歩き倒したからな!翌日は名古屋駅周辺を散歩して、コンパルのエビフライサンドも買えてご満悦。鉄板ナポリタンも食べたー。やっぱ九州の鉄板ナポリタンとは違う…敷いてある薄焼き玉子、だしが入ってる?

帰りの新幹線、後ろの席の家族づれ。おとうさんが停車駅毎にホームに出てキオスクでご当地お菓子を買う、と言うスリリングな遊びをしていて面白い…と微笑ましく見ていたら、静岡駅のキオスクにCATS…こっこ……?劇団四季とのコラボこっこが!!!ギャー私もそれほしい!思ったときには発車ベル。無念。楽しい一泊二日でございました。



2013年10月05日(土)
小林建樹『Waltz 〜秋の夜長に〜』

小林建樹『Waltz 〜秋の夜長に〜』@cinécafé soto

Vo、Key:小林建樹、B:千ヶ崎学、Drs:宮川剛。バンド de ワンマン十年振り!待った…どれだけ待ったことか。取りこぼしなければ(もう記憶の彼方だよ…)都内でのワンマンはこれ以来、バンド(トリオ編成)はこれ以来かと。

いやはや凄かった…眠れる獅子が目覚めたと言うか寝た子を起こすと恐ろしいと言うか、はあああ凄かった。聴く集中力を使い果たした、ヘトヘトになった…疲れ果てて帰宅して文字通りバタンキューでしたよ。聴いてる方がこうなるって、なんなんだ。プレイヤーの熱にあてられたかのよう。ホント、小林さんの奏でる音楽の熱量は凄まじい。このひとのライヴ観たあとって凄い、凄まじいって言葉ばっかり出て来てしまう。本人は楽しそうに演奏しているし、凄絶なんて言葉は似合わないような美しいメロディの曲ばかりなのにな。

プレイヤーを扇形にぐるりと囲む客席配置。めちゃ近い。最前列のひとは1.5mもないんじゃないだろうか…千ヶ崎さんのところなんて、手を軽く伸ばせば触れちゃいそう。ドラムのすぐ近くに座ったので音のバランスはどうなる?と不安でしたがいやいや全く問題なかったです。むしろ生音をこれだけ至近距離で聴けるってのがいい。楽器や声は勿論、キータッチの音やペダルを踏む音もしっかり聴こえる。小林さんの声にスネアのスナッピーが共鳴してビリビリ言いそうになると宮川さんが即ストレーナーをオフにしたり、そういう細かいところも見られて楽しかった。この客席配置はcinécafé soto出演常連の千ヶ崎さんのアイディアだそうで、「千ヶ崎くん『僕が考えたんや〜』て言ってた」と小林さん。しかし一度ライヴエリアに入ってしまうと出入りが大変、MC中チューニングキーをとりに行かせて…と席を立った宮川さん、客席の間を縫ってもたもたしていたら千ヶ崎さんに「どこ迄行かはるの」なんてつっこまれてました。

十年振りに集ったトリオは、ときを埋める音楽と言う共通言語を持っていました。しかも各々の腕はますます上がっている訳で(当時から凄かったが)、こういうプレイヤーが演奏するとホント音楽が生きものになる。そしてバンドでしか聴けないサウンドと言うものがある訳で、それは例えば小林さんがキーから両手を離し、歌の感情とともに腕を動かしたい!と言うとき、ベースラインがちゃんとある。リズムが刻まれている。「前世は黒人、その前世も黒人、としか思えないようなビートを叩く」と紹介されていた宮川さんは、小林さんが近年興味を持っていると思われるアフロポリからMCにも影響が見られた(笑)昭和歌謡、そしてここ何度かの演奏で聴けた「B.B.B」のアレンジに顕著なスウィング、シャッフルなリズムを自在に繰り出していた。それにぐいぐい絡む千ヶ崎さんのベース、このグルーヴ!

ひとりきりではないので若干リラックスしていたのか、この日の小林さんはよくフロアを見渡していました。あとなんて言うか…今は体力がある?感じ。以前はライヴの度に風邪ひいたり唄うの苦しそうだったりしてましたもんね。なんか、よかったなあと思ったり。

新旧織り交ぜたセットリスト。MySpaceでしか聴けなかった曲やお蔵出しナンバーもあってとても貴重でした。雑誌に載っていた種ともこさんの「悲しいほど自由」の歌詞(検索してみたら、作詞は森雪之丞さんのようです)を見て、それに曲をつけたと言う超初期のものも。キー低!「ミモザ」より低!これは新鮮でした。低音の声もよいですよね、ほんとギフトな声。「歌詞に興味がない」と言うMCが興味深かった。「詞も曲の一部だと思っているので歌詞単体には興味がなくて、歌詞から曲を作ることもないんです。でも、この詞は読んだときに『あっ、これに曲をつけたい』と思ったんですよね…そう思ったことなんてこれが初めてで、その後もない」。個性的な言葉選びで詞を書くひとがこんなこと言う…そうそう、今回「歳ヲとること」をとても久々に聴けて嬉しかったんだけど(アレンジが変わっていて、何だっけ…と思っていたらこの曲のコード展開が始まったので一瞬「うぇ」とかヘンな声出そうになりましたね嬉しくて)こんなタイトル、こんな歌詞の曲をデビューアルバムで発表しているその老練さに改めて恐れ入りました。

先月頭に発表された「Waltz」では、演奏前に衝撃の事実が明かされました。「アップした音源、実は僕弾いてないんです」。

えええ!?とどよめくフロア。「コンピュータに打ち込んだやつです」。ウケた。「難しいわー」とか言ってたわ(笑)。頭の中ではさまざまな音楽が鳴っているのだろうな。それこそ指が追いつかない、声が追いつかない程に。リスナーはそれを直接聴くことは出来ない。ライヴはミュージックマンの頭の中の音楽をお裾分けしてもらえる場だなあ。

ひとに提供したけれど世に出なかった曲も。「Breath」は「十四歳の女の子に提供したけど日の目を見なかった曲」、「夜光虫」は「誰に提供したか言いましょか?……いや、やめとこ」。聴ける機会に立ち会えてよかったなあ。「こうしてね、数々の曲の屍があるんです。でも僕は屍と思ってないんで」。「やりたい曲もたまってきたし、曲がたまったらアルバムも出したいし」「皆さんが買ってくれた『Rope』の売上、口座は別にしてあるんで。生活に困ったら使っちゃうかも知れないけど(笑)今のとこ一切手をつけていません!これを資金に次のアルバムを作ります」だって(笑)「そしてアルバムが出たらまたライヴをやりたい」。待ってるー。あとワークショップをやってみたいとも言っていました。おお、楽しそう。

次にバンドでやるときはギターを弾く姿も観たいです(欲)。十年前に使ってた「やっすい、ヘンな音のする」エフェクター、まだ持ってるのかな?

セットリストは以下(暫定11月22日追記:小林さんの日記にセットリストがアップされたので更新しました)。あんなに集中して聴いてたのに曲順ごちゃごちゃなのな…自分にガッカリだ!木を見て森を見てない!ツアー終了後、小林さんご自身が解説とともにセットリストをアップしてくださることをひっそり期待しております。

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01. ヘキサムーン
02. B.B.B
03. 満月
04. 赤目のJack
05. Sweet Rendez-Vous
06. few(インスト。インプロ部分もかなりあったと思われる)
07. Waltz
08. 果実
09. 悲しいほど自由
10. Air
11. 祈り
12. sOnGwRiTeR(Song Writer)
13. 花
14. Spider
15. 禁園
16. キャベツ
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encore 1
17. ぶれす(Breath)
18. 歳ヲとること
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encore 2
19. 夜光虫

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最初の方で勢いで寝た子と書きましたが小林さんは休んでいた訳ではない(作曲やサポートの仕事はいろいろしてるしね)。「音楽に関する行為」はいろいろある。曲作りであったり、演奏の腕を磨くことであったり、アレンジの探求であったり、ひとの曲を聴いて研究することであったり。その数多の「音楽に関する行為」のなかで、ライヴの優先順位が小林さんにとっては低いだけなのだろう。ライヴって、ハコを決めたりチケット代を決めたりその他諸々制作と言う労力が必要になる訳で、それは音楽ではなく興行の守備範囲だ。ただただ音楽をやりたいと言うひとにとっては、その労力すら音楽に費やしたいのではないだろうか……だからこうやってライヴをやろうと思い至った小林さんには、リスナーとしてはただただ感謝しかないのです。

そうそうこの日のライヴ、最初確保出来なかったんですよ!そりゃそうだ、待ってたひと沢山いただろうしね…キャンセル待ちの手続きをお願いして、そしたら名古屋、京都、浜松公演が発表されたので(ツアーも何年振りなんだろう)そっちに行こうか、しかしこの週他のライヴを複数本入れてしまっていて仕事との兼ね合いを考えるとどうにもこうにも不可能、もう、どうすればいいの!とモヤモヤし続けること一ヶ月強。当日迄一週間を切った月曜日にキャンセル出ましたよとメールが来たときはホント冗談でなく返事の手が震えました。あの場にいることが出来て本当によかった。

cinécafé sotoはいい雰囲気のお店でした、普通にカフェタイムにも行ってみたいな。小林さんが熱く語る程(カレーに裏切られっぱなし、インスタントだったときのあの悲しさ!恐怖症になるくらい。でもここのカレーはめちゃめちゃおいしい!粉(スパイスと言わず粉と言うあたり・笑)から作っているそうなんですよ!)のカレーを食べてみたい。キッシュはお持ち帰り出来たと帰宅後知りウキー。