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2012年04月27日(金)
『負傷者16人 ―SIXTEEN WOUNDED』

『負傷者16人 ―SIXTEEN WOUNDED』@新国立劇場 小劇場

予想通りとても重い内容で、心にずっしり残るいい作品でした。パレスチナ人とユダヤ人の対立の間に、寛容の象徴としてオランダと言う国、パン屋と言う生活に不可欠な場を置くことで、事態をより複雑に、より考えさせるものになっています。そして、その寛容と言うものが9.11以降試練を迎えつつあることも、解決が見えない大きな問題への思いを強くさせます。演者の力と手練な演出による緊張と緩和のリズムが見事で、体感時間を非常に短く感じた2時間40分でした。

お互いに知らないことがある。前半はパレスチナの青年マフムードの謎を明らかにしていき、後半にオランダのユダヤ人ハンスの謎が明かされる。どちらにも壮絶な過去がある。それを彼らは、どちらも本人の口から聴くことがない。個人対個人として向き合えば愛し合える隣人が、出自と所属によって引き裂かれる。過去はずっとついてまわり、消すことが出来ない。以下ネタバレあります。

「公平なんて贅沢なものを手にしたことがない」マフムードは「親父にユダヤ人を憎めと言われて育てられたことはない」と言い、それでもユダヤ人を憎まずにはいられない。罪のないこどもにさえも「こいつらを生かしておけばいずれ大人になり、パレスチナを迫害する」と思ってしまう。反面ハンスは、それがパレスチナ人であろうとも血まみれで倒れている人間を放っておけない。マフムードに疎まれ、酷い言葉を投げつけられても、ハンスは彼を助けようとする。

マフムードはテロリストとして過去多くのユダヤ人を殺している。新しい“仕事”を兄が持ってくる。ハンスは第二次大戦中、収容所で同朋の死体を焼く仕事をしていた。戦後解放され、ひとりきりになったところをパン職人のオランダ人に助けられ育てられた。そして戦後数十年経った今も、なるべくひとと深く関わらないように、ひっそりと暮らす。ハンスは自分に仕事と店を、いや人生を与えてくれたオランダ人に「借りを作った」と言う思いが大きい。この借りを誰かに返さねば。そんな思いがいつも心の底にある。そこにマフムードが現れたのだ。

ハンスが娼婦ソーニャに自分の過去を打ち明け、プロポーズするシーンが心に残った。ソーニャも一筋縄ではいかない過去があるようなのだ。名前からしてロシア系であろう彼女は、恐らくユダヤ人なのだと言う解釈。弾圧された経験があり、それは決して過去にはなっておらず、しかし時間は止まらず年老いていく。どんなに強く求めてもひとと繋がることの出来ない、祖国を持たない流浪の民。ふたりはどんなにふたりでいてもひとりきりで、ひたすら哀しくせつないシーンだった。

そういう意味ではマフムードはまだ若く、無邪気とも言える純粋さを持っていた。そんな彼がハンスと出会ったことで、ある種の可能性を生み出すのではないか――結末の予想は誰もがうっすらついている。しかしその誰もが、彼らが幸せへの足がかりを掴みかけ、束の間の安らぎと笑顔を得ている姿を目にしたとき、この時間がいつ迄も続けばいいのにと思っただろう。終盤マフムードとハンスが徹底的に話し合う姿に、ひょっとしたら、と思っただろう。この「ひょっとしたら」と言う力が大きければ大きい程、やはり予想通りになった幕切れのショックは大きい。出演者は説得力のある演技で「ひょっとしたら」を強く、そして長く感じさせてくれた。またパン屋での仕事、と言うのがひとびとの日々の暮らしに密着していることだけに、どこか幸せな匂いがあるものなのだ。おいしいパンを焼く、お菓子を焼く、誰かがそれを毎朝買いにくると言う光景。

自分は臆病者だから所謂“敵”に対して寛容なのか、そしてその寛容は忍耐と言うことなのか、“借り”と言う思いがなければ自分はマフムードにこんなにかまっただろうか?と言う揺れを終始滲ませ続けたハンスを演じた益岡徹さん。頑だった心がやわらぎ、次第にハンスを実の父親のように慕い、同時に強い思いをぶつけるマフムードを演じた井上芳雄さん。耳慣れない単語が頻発し、それに説明的な台詞がつかなかったとしても、彼らふたりの身体を通して語られた言葉たちには「ああ、あちらではこういうしきたりがあるんだな」「今はこの言葉の意味は解らないけど、何度か出てくるうちにニュアンスは判ってくるだろう」と感じられる安心感がありました。信仰、歴史が絡む習慣から、サッカーチームアヤックスが「ユダヤ人」と呼ばれる所以(劇中はっきりとは語られませんが、オランダから収容所につれていかれたユダヤ人たちが何をしたか、と言うことはうっすら伝わるようになっている)等、日本人にはあまり縁のない情報を多く含む会話をぐいぐい聴かせる力は素晴らしかったです。

益岡さんはアラブ系でもイケそうな顔立ち、井上さんは東洋系の涼しい顔立ちなので序盤ちょっとだけ「うーん、井上さんがパレスチナの…」と思ったのですが、あっと言う間に気にならなくなりました。芝居の力と言うものは重箱の隅をつつく余地を与えない強さがあるものですね。会話劇の醍醐味を見た思いがしました。そして思えば井上さんをミュージカルで観たことがないのですが、今回は歌ではないけど歌のようなもので美声を聴くことが出来ました。アザーンのシーンはもう発声が違った(笑)。

歴史を感じさせるパン屋のセット、時間経過や状況を知らせる映像演出も心に残るものでした。骨太な海外現代戯曲の上演を観る機会に出会えて幸運でした。

憎悪と暴力、復讐の連鎖についての作品を一週間で二本観ることになりました。来週観る予定の『THE BEE』について、26日の新聞記事での野田さんの言葉を最後に。

「俺にも答えは一つじゃない。救いのない芝居だが破滅につながらぬ道を我々は選べる、少なくとも見終えてすぐ暴力に走らないだろう。それが希望だと思います」。

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■芝居のチケットをとる基準はいろいろあれど
出演者や演出家、作家から興味がわく、観に行きたくなる舞台は勿論沢山ありますが、自分にとって宣美によるそれもかなり大きいものです。特にストーリーを知らない海外戯曲の日本初演を観たい場合、宣美から受け取るイメージにはとても左右されます。
『負傷者16人』のチケットを買ったのは宣美が決め手でした。新国立劇場レパートリーの宣美をgood design company(水野学さん)が手掛けるようになってから、大量に渡されるチラシ束をめくるとき、確実に手がとまるようになりました。新国立のブランディングを示しつつ、なおかつ他とは一線を画すデザイン。小林賢太郎さんとの仕事でも知られる水野さんですが、毎回独特の美学が貫かれています
・good design company | 新国立劇場

■関連メニューとかあったのだろうか
終演後ロビーに、お皿に盛られたパンが置かれているのに気付きました。「ビュッフェで販売しています」らしきことが書かれていたのですが、何かあったのかなあ。休憩時ちゃんと見ておけばよかったー。
それはともかく、目にしたパンのせつなかったこと。パンとかお菓子とか、食べものってひとを笑顔にするものであり続けてほしいものです
追記:やっぱあったんだー。そして劇中登場人物がこねた生地は焼かれて展示されていたそうです。気付かなかった……(泣)
・新国立劇場演劇『「負傷者16人 −SIXTEEN WOUNDED−」が初日を迎えました』
中日には「中日」のパンが追加展示
・新国立劇場演劇『「負傷者16人 -SIXTEEN WOUNDED-」中日(なかび)を迎えました』