浅間日記

2013年12月26日(木) 原子力コーナー

新聞の死亡記事の大きさで、その人の偉大さを計る、
ということをしたのは爆笑問題だ。

新聞の掲載記事の大きさは、確かに意味がある。

昨今では、小さく小さく隅の方に書かれた記事にこそ、
重要で深刻なニュースがある。
そうだから、いつの間にか、小さな記事を注意して読む習慣がついた。



今日も、
「原子力規制委員長、自民と異例の会談」という小さな記事。

「原子力規制委員長が、自民党の原子力規制に関する
プロジェクトチーム座長と会い、チームによる
緊急提言について説明を受けた」、というもの。


原子力規制委員は、独立して意思決定を行うとする理念に基いて、
これまでは政治家と個別に会うことを原則拒否してきたそうである。

しかし、これだけではなんだか解釈のしようがない。

ありがたいことに、この記事を書いた記者は、
解釈の手助けとなる一行を、何とか紙面へはさむことに成功した。

「原発推進の立場から「もっと原発立地自治体や電力会社の意見も聞くべき」とする自民党側の圧力に抗しきれなくなった格好だ。」



錦の御旗も取り返した。
原子力村は、やはり復活しつつある。

それにしても、重大なことを重大とわかるように掲載しないのは、
新聞社の社会的良識にかかわる問題だよなあ、とひとりごつ。

2004年12月26日(日) 子宝に関する仮定法現在



2013年12月25日(水) 聖夜に関する移行措置

クリスマス。

10歳になった女の子のところへは、もうサンタはこない。
だからお母さんが代わりにプレゼントをあげるね。

我ながらよくできた移行措置であるが、
Aにサンタが来なくなってもう2年が過ぎた。

真相を知ってか知らずか、包装紙をといて
目覚まし時計をしげしげ眺めている。

一方、小さい二人には、ちゃんとサンタがやってきた。

Yにはネジまわしセット。
小さいHには、魚釣りのおもちゃ。

こちらは、夜に枕元へ置くのをすっかり失念し、
朝方になって、慌ててガサゴソと手配する始末。

サンタも年を重ねて、夜の配達業務がきつくなってきたんである。

2010年12月25日(土) ゲネラルプローベ
2009年12月25日(金) 絶望と希望と
2007年12月25日(火) サンタと自立



2013年12月18日(水) 知事殿の影法師

電気街にて仕事。もう夜明けだ。

東京都民ではないのであまり関心がないが、
そうはいっても、もう件の知事殿の追求は司法の手に委ねたらどうかと思う。
議会で追及する内容ではない。

ジャーナリストとして官僚腐敗の追求に気勢をあげていた人物が、
どうしてこのような彼岸にたどり着いてしまったのか。

人間として、どう変わってしまったのか。
そのことにこそ、教訓としての意味がきっとあるのだろう。

作家 猪瀬直樹ならばそこのところを鮮明に切り取ることができただろうが、
そんな、生き生きとした文章に筆をはしらせる彼は、もう消えてしまった。



2011年12月18日(日) 
2010年12月18日(土) 絵の語る言葉を語る人
2009年12月18日(金) マニフェストの賞味期限
2008年12月18日(木) 人という光明と限界
2007年12月18日(火) 裁判三話
2006年12月18日(月) 協力か介入か



2013年12月16日(月) 不幸な出会い

朝刊。

「寝ていたアソコが起き上がった! 70過ぎたらほーらあなたも仁王立ち」

大きなフォントで目を引く広告欄をみて、朝からげんなりする。

NIE(Newspaper In Education)という
学校で新聞を読んだりする学習があるそうだが、
こんな見出しの広告が載っている有害図書などを、
本当に学級で広げたりするんだろうか。



性への目覚めは、素晴らしいものだ。
自分の身体の変化と相まって、
不思議で、ちょっと恥ずかしい、何とも言えない感覚だ。

子ども達はためらいつつ大人の世界を横目で見ながら、
少しずつ自分のなかにそれを取り入れていく。

そうだから、70のじい様の回春情報が
「その世界」との最初の出会いだなんて、
あんまりだと思うのである。

しかもそれが学校の授業中なんかだったら、なおさらげんなりだ。

セックスなんて年寄り臭いことはごめんだ、と
そういうことになるかもしれない。

2010年12月16日(木) 
2009年12月16日(水) 暖かい冬
2008年12月16日(火) 陽を拝む/世界の日陰
2007年12月16日(日) 湯福温福
2006年12月16日(土) 信頼できる他人
2005年12月16日(金) 音楽の意味
2004年12月16日(木) 狼もいる、母親ヤギもいる



2013年12月10日(火) はく奪行為は続く

教育委員会制度改革を議論している中央教育審議会教育制度分科会(分科会長=小川正人・東京大名誉教授)は10日、首長を教育行政の決定権限を持つ「執行機関」とする答申案を了承した。

教育長は首長の下で実務を取り仕切る補助機関、教育委員会は首長への勧告権を持つ「特別な付属機関」に再編する。

近く下村博文文部科学相に答申するが、中教審内部に「結果的に首長の権限を強める」と懸念の声があり、与党内にも異論があることから、地方教育行政法などの法改正に向けた党内協議や国会審議で曲折も予想される。

というニュース。



愛国心「強要」教育と一体的な改革であることは、疑いの余地もない。
戦前に逆戻り、がまた一つ増えた。



子どもがいないから関係ない、我が子はすでに教育委員会と無縁だから関係ない、と考えるのは早計だ。

現代の教育はすべからく、社会への適応をゴールとしている。
子どもの幸福とか、ましてや教養などに寄与すると思ったら大間違いだ。

今の自民党は、何かを変えるために誰かの権限をはく奪する、という
首のすげ替えが大好きで、この答申案もそれに準拠するものだ。

この教育制度改革は、次世代のものの考え方、価値観を大きく揺さぶるだろう。

2010年12月10日(金) ドイツグラモフォン症候群
2007年12月10日(月) 永遠の金曜日
2004年12月10日(金) もう鳩は飛ばさなくていい



2013年12月09日(月) 因縁の科学的根拠

身の危険を感じるなどの体験は遺伝子に変化を引き起こし、次の世代に受け継がれることがあるという研究報告をアメリカの研究チームが発表した。

アメリカのエモリー大学の研究チームは、オスのマウスにサクランボに似たにおいを嗅がせながら足に電気ショックを与え、このにおいを恐れるように訓練した。
そして、このマウスをメスのマウスと交配させ、生まれた子どものマウスに同じにおいを嗅がせたところ、子どものマウスは、電気ショックは与えていないのに、においを恐れる行動を示した。

これらのマウスを調べたところ、精子の遺伝子に変化が起きていたということで、研究グループでは、特定の体験は遺伝子の変化を引き起こし、生殖細胞などを通じて次の世代に受け継がれるとしている。

研究グループによると、こうした現象の研究を進めれば、さまざまな恐怖症やPTSD=心的外傷後ストレス障害などの解明につながる可能性があるということです。

というニュース。



日常に紛れ込んで報道されているが、重大な研究結果と思う。

特定の体験は遺伝子の変化を引き起こす。

それらは、生殖細胞などを通じて次の世代に受け継がれる。



しかしこれは、
科学的な裏付けなどなくても、昔の人はわかっていた事だと思う。

そうだから、末代まで祟るぞ、などという脅し文句が成り立つのだ。



件の研究成果では、恐怖の体験について発表しているが、
私は、極度に強い感情をもたらしたものは、他の体験であっても
引き継がれるのではないかと推察する。

例えば、罪悪感。
例えば、強迫的に固執するもの。
例えば、幸福の追求。

そうした気質が積み重なって、お国柄になったりもする、と思う。

2008年12月09日(火) お金しかもっていない貧しさ
2006年12月09日(土) 
2005年12月09日(金) 
2004年12月09日(木) 宮崎監督のゲルニカ



2013年12月06日(金) 大らかな保留のポケット

数日前のラジオで、年末の大掃除は不要だ、という開き直りの話題。

これは聞き捨てならない。
師走の大掃除に異変が起きている。

例え自分はできなくても、ラジオから
「今日は頑張って障子を張り替えました」とか、
「窓をふきあげたらピカピカになって気持ちいい」という
報告が伝えられるのを、毎年清々する気持ちで聞いていた。




「無理してやらなくても大丈夫」という主張に、
自分のことを棚にあげて、なんだそれは!と鼻息を荒くする。

「大掃除表彰者」みたいな人と較べて、できていない自分を責めすぎるから、
やらなくてもよいのでは、という開き直りになるのだ。

今は駄目だが、いつかやるならあんな風に、というふうに、
どうして大らかな保留のポケットに入れておけないんだろうか。

締め切りの長い宿題と思っておけばよいのだ。

2009年12月06日(日) 君のものは私のもの
2006年12月06日(水) 白雪五人男
2005年12月06日(火) 
2004年12月06日(月) 充実感は自分だけ



2013年12月05日(木) 甘美夜明け前

フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」を題材にした絵本を、Yを膝にのせて読む。

「…ワイナモイネンの歌とカンテレのしらべは、、あまく、せつなく、風に乗ってながれていきます。」

というくだりで、Yが、あまくせつないとはどういうことか、と尋ねる。

そうだねえ、としばし考えるが、難しい。

まだちょっと、分からないかもねと説くが、納得できないらしい。

説明してくれれば分かるはずだと譲らない。

そして、あまいというからにはたぶん、
何か美味しい要素があるはずだと思っている。


2004年12月05日(日) 



2013年12月03日(火) わが身にふりかかるとみるや なりふり構わず ―マスメディア編ー

特定秘密保護法案に反対する市民のデモが行われた、との記事。

昨日も、そのまた前日も、たぶんその前も、
紙面を大幅にさいて掲載している。
有名人のコメントも、じゃんじゃか載せている。


メディア権力の、市民への大盤振る舞いである。

去年か一昨年の原発反対デモをすっかり黙殺した、
そんなことはすっかり棚に上げて、
何か良識があるようなふりをしている。




メディアは、第4の権力としての危機だから、かように騒ぐのだ。

民主主義の危機をうたっている訳ではない。

2009年12月03日(木) 
2006年12月03日(日) 映像の1日
2004年12月03日(金) 義援金の配分


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