浅間日記

2009年01月25日(日) 危機と免疫

赤ん坊の看病にかかりきりになって、3日経つ。
Aの相手と家事はHにまかせ、小さな熱い身体に寄り添う。

二人目の子どもというのはどうも粗雑になりがちである。
過剰なまでに自己投影するような一人目との因縁に比べ、どこか冷静である。男の子どもということもその理由にあるのかもしれない。
可愛いという気持ちのどこかに、シャレや笑いを交えてしまうのである。

それはそれで微笑ましく幸せなのであるが、赤ん坊のうちぐらいはもう少し、気持ち悪いぐらいの母子愛をシリアスに噴出させても、罰はあたらないだろうと、少し寂しく思っていた。



発熱が39度を越え、40度に達し、荒い息をする赤ん坊を昼夜抱き続ける。
ふと、このままはかなくなってしまうかも、という気がよぎる。

丈夫で明るい赤ん坊だから、健やかに育つと誰もが−この期に及んで医師まで−言うけれど、
そういう命に限って、ある時ぽろりと火が消えることだってあるだろう。

とたんににわかに怖くなる。が、そうはさせるか、この私の子を、何にも奪われまいとする気持ちを強くする。

そのために、私は確かに、この子が治ればその後の自分などどうでもよいという気持ちで、文字通り命を削って看病するのである。



これからもこの子は、命を北風にさらしながら、次第に免疫をつけ強い身体を手にするだろう。
そして親子の絆も、むき出しになった命を守る中で、より確かに育つだろう。

2007年01月25日(木) 
2006年01月25日(水) 
2004年01月25日(日) 国民総ガス抜き表現者



2009年01月21日(水) 群集への高度順化

都心に仕事で出るのはほぼ一年ぶりである。
都会へ出て行くにあたっての心構えはゼロ、丸腰である。

かくして、繁華街を歩いている様はいかにも勧誘や宗教関係の方々の的である。

12時になって、オフィスビルからはきだされるビジネスマンが店屋に吸い込まれていく。国籍も多様なその人達を、どんな人なのだろうと無遠慮に観察したりする。

狭い店の中で、他人と肩を寄せるようにして、どんな人がこしらえたのか分からない焼き魚定食なんかを食べたりしている。

私も昼食をとらねばならぬが、一人で適当な店屋に入ることができない。
どの店も、気心の知れた誰かと一緒でないと、ひどく消耗しそうな感じがする。こんなことは初めてであるから、驚いた。

なんだか、ださださ、よわよわである。



けれども上手くしたもので、充実した打ち合わせを終えたあとは、すっかりこの、昆虫みたいに群集に溶け込むやり方を思い出した。

空気の薄いところに慣れるには時間をかけるしかない。
お互いに意識から外しあう集団に順化するのも、同様なのである。

これに順化してしまえば、電車の中で化粧するのも、屁の河童である。

皮肉はさておき、人を気にしないでおくというのは、おびただしい数の人間が始終活動しているような都会では、実際のところ必要なことだ。そうしなければ、元気が出ない。すれ違う人全てに挨拶する片田舎とは違うのだ。

2007年01月21日(日) 11人の中の私
2005年01月21日(金) 英語の時間



2009年01月19日(月) 迷惑な忠告

明日は大寒というのに、それにふさわしい寒さがやってこない。
寒いね、などと口にできるうちは、たいしたことないのである。



天気予報士の「…注意が必要です」といったおどかし口調は、いったい何時ごろから、天気予報の決まり文句になったのだろう。

毎朝毎朝、寒さにおびえ、暑さに警戒し、雨を憂い、なんでもない曇りの日ですら、洗濯物が乾かないことをだしにして、視聴者に注意を喚起する。

勘定したことはないが、このいまいましい天気予報によると、私達の暮らしや健康は、365日のうち300日ぐらい、注意が必要ということになっている。

その日の天気の受け入れ方は二極分化し、申し分のない気持ちのよい日−これは極めて稀であるらしい−と、それ以外の「注意を要する日」しかないと言わんばかりである。



私達はそんなに弱い生き物ではない。

雨天を、積雪を、寒さを、暑さを引き受け、多様な現象の変化に折り合いをつけて、
さらにはその力を利用したり、また風情を楽しんだりして、生きる知恵と力強さを備えている。

第一、そんなにビクビクと注意ばかりしていたら、身体に毒である。



おそらく気象予報士は、最高気温、最低気温、気圧の配置といった気象データと、人の暮らしや感性をない交ぜにするから、いけないのだ。
数字だけでモノを言う立場で、よけいなお世話なのである。

2007年01月19日(金) 倫理オセロゲーム
2006年01月19日(木) 
2005年01月19日(水) 草稿



2009年01月12日(月) 精鋭な人々

この連休は、昨年に引き続いてHとJ君が主催する、ちょっとしたクライマーの集まりがあったのである。

悪天候を案じていたけれど、予定通りの工程をこなしたのらしい。
どやどやと帰ってきて、どやどやと片付け荷物が我が家に搬入される。

Hは盛況を喜びながら、Y君やOさんに、まあ、たまにはこうしてクライマーが一同に会して登るのもよいね、などと言っている。

よくわからないけれど、この会合は、前回に増してさらに精鋭的で挑戦的になり、他の会合では代わりのきかないミーティングになったようだ。今回で終わりとHは言っていたけれど、果たして収まりがつくのかわからない。

精鋭な人々は、みな爽やかで気持ちがいい。
そして、人生のほとんどをクライミングのためについやしている。
ワークライフバランスは、ガタガタなんである。

どんなに身をやつしても登る明日しか考えない人達の、その情熱は嫌いではないが、そこまで没頭できる天真爛漫さが憎たらしくなるときもある。

まあとにかく、皆さん命を落とさないよう気をつけて、末永くクライミングを楽しんでくれたまえ、と思う。

2007年01月12日(金) 正月おいてけぼり
2006年01月12日(木) 秘境の根拠
2005年01月12日(水) 将軍様は健在



2009年01月10日(土) ぺらぺらな大人の私

地元の子ども達のための、ちょっとした行事。

正月飾りを川原で燃やして無病息災を祈るという趣向。どんど焼きと呼ぶのが比較的一般的かもしれないが、この辺りでは別の呼び方をする。

何しろよそ者であるから色々とやり方がわからない中、この場所で生まれ育った大人達の様子を見よう見まねして、松飾り集めから参加する。

じいさんばあさん達はいちいち出張ってこないけれども、OBとしてお目付け役の貫禄である。あっちの通りの家もまわってくれたかいなどと、要所要所を確認する。



「夕方までに繭玉つくらなくちゃね」と近所のIさんに言われ、曖昧に返事する。
繭玉とは、柳の枝に紅白の団子を飾りつけたもので、これを炎にかざして焼いて食べるのである。

やはりあれは作るものだったのか。
家には柳の枝も上新粉も何も用意していない。繭玉の作り方も知らない。

夕方から始まるこの行事の一切合切に関して丸腰お手上げである。
しかし傍らでAが、我が家でも当然作るよね、という顔をしている。



かくして、夕方の集合時間30分前に材料をかかえて家に戻る。
Aは、もう間に合わない!とすっかり気が動転して半べそをかいている。

まあまて落ち着け、となだめながら、急ごしらえで上新粉をこね、団子にして蒸し、柳の枝にテキトウにくっつけて、通常ならば乾燥する工程を省略し、なんだかベタベタの汚らしいオブジェを制作した。

凍て付く寒さの中不案内の集合場所へ何とかたどり着き、燃え盛る炎に慣れない手つきで団子を炙り、Aにほおばらせ、何とか事を成し遂げた。

おそらく私と同じか少し若いであろうIさんは余裕の表情で、綺麗に炙った繭玉を分けてくれながら、この行事の今昔を色々と話してくれる。あと十数年もすれば、彼女は間違いなくお目付け役に昇格して、この行事を−この地域を−引き継いでいくだろう。

それに引き換え、ギリギリのところで体面を保った自分は、大人としてちょっと恥ずかしい気分である。

団子のなくなった柳の枝を最後の火で燃やしてしまいながら、来年はもっと上手にやれるだろうと自分を励ました。

慌てて恥ずかしい思いをしたけれど、この一連の行事に悪い思いはしない。

大の大人が未来に引き継ぐものを何も背負っていないということが、その通りペラペラに感じられるということは、コミュニティとしては健全で頑丈なことだと思う。

よくわからないけれど、そこには、子どもを一人前の大人に向かわせる動機があるように思う。

2008年01月10日(木) 
2006年01月10日(火) 備蓄すべきものは
2005年01月10日(月) 教育考再び



2009年01月08日(木) 深く根を張って生きる その2

件の内山氏の連載には、こう書いてあったのである。

本来ならば頭から最後までここに記録しておきたいぐらいの、一語も省略できない、研ぎ澄まされた文章である。

「…私たちに求められている未来は、そのようなものではないのである。人

間が経済の道具になり、国家に人間が管理され、自分を守ることに窮々とし

ている社会を変えていけるような未来への想像力を私たちは高めなければな

らない。それは私たちが深く根を張って生きる場所を再創造することからは

じまるだろう。深く根を張るとは、自分がどんな関係のなかで生きているの

かがみえている、ということである。自然とどんな関係のなかで生きている

のか。人々とどんな関係を結びながら生きているのか。どんな関係のなかで

労働が行われ、文化が生まれてくるのか。そういうことがしっかりみえてい

るとき、私たちは深く根を張った生き方をすることができる。私はそこに風

土とともに生きる人間の姿をみいだす。…自分たちの深く根を張って生きる

世界をつくり、矛盾と向き合い、自然とともに生きたのが日本の伝統的な民

衆の姿であった。それを基盤にして、人々は平和で無事な社会をつくりだし

ていた。…」




色々な所見を見事に忘れてしまっているのだけれど、まあまた折にふれて思い出すだろう。

それにしても、内山氏はしんどい仕事をタフにこなしているなと思う。

難しいパズルを解いてゆく人みたいな精神力である。

2008年01月08日(火) 自治再考
2005年01月08日(土) 「ダメ」と「よし」の深呼吸



2009年01月05日(月) 深く根を張って生きる

早々に山の家へ行き、三が日もとうに過ぎて戻る。

なんだかだらしのない年末年始である。



昨年末で連載が終了した、内山節氏の「風土と哲学」について、
早々にまた所感を書いておかなければと思うけれども、なかなかゆっくりPCに向かうことができない。

年末年始にふさわしい、落ち着いたカッコいい文言も浮かんでこない。

何しろ、家族であれやこれやふざけ合っていると、あっという間に一日が過ぎてしまうのである。



2006年01月05日(木) 未来志向な遊び
2005年01月05日(水) 人生の成長曲線


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