浅間日記

2007年09月30日(日)

人の頭の中に入り込むような仕事。

私はだんだんとこの作業が嫌になってきて、
早くこの中から抜け出したいと、そのことばかり考えている。

2006年09月30日(土) 贅沢な祭信頼の明日
2005年09月30日(金) 毒入り林檎パイ
2004年09月30日(木) 日記の初日観察日記



2007年09月26日(水) fly me to the moon

「自分はお天道様以外は眼中にない」と突っ張っていた青い稲穂のように、
プライド高く生きたいものだと思ったのも、もう一月以上前の夏のこと。

田んぼの稲は、今はもうその若々しい季節を通り過ぎて、
黄金色の頭を大地に向けて思慮深くなっている。
順々に刈り取りがすすみ、週末のたびに、地があらわになった田が増えていく。
カラスやトビが、おこぼれを拾いにやってくる。
太陽は、日差しというよりもひなたという温かみを帯びてくる。



昨日のこと。
夕飯を済ませ、満月だねと誰かが言うから、
Hはぶどう酒を、私とAはブドウを片手にふらふらと外へ見物に。
土手のススキとコオロギの鳴き声が、準備OKと待ち構えている。

映像ではない、もちろんCG処理などされていない、
この肉眼で眺める月は、蒼白く、しかし煌々と夜空に在る。

太陽は昼を、月は夜を照らすものである。
信州の夜はしっかりと暗いから、そのことがよくわかる。

Hと、映画の「アポロ13号」はどこの映画館で見たんだっけ?と昔の話をする。
手回し計算機しかなかった時代に月へ行ったんだもんなあと、Hが感慨深げに言う。

Aはひとり、どうしても月の中に兎の形がみつけられないでいる。
ぶどうを頬張って頭をさかさにしたりしている。

2006年09月26日(火) 夏に飲み下したもの
2005年09月26日(月) 



2007年09月24日(月) 意地悪じいさん

ラジオで、話の泉なる番組。

立川談志師匠を筆頭に、話し好きなタレントが名を連ねている。
設定されたお題で話を展開させていく、トーク番組である。

秋の虫ときて、江戸の風流や鈴虫の鳴き声などの話題。
ベテラン揃いだから展開も面白いなと、皿を洗いながら聞き入っていたら、
次は「今どきの親と子」というお題。

嫌な予感が的中した。
行儀の悪い親子を悪く言う話が続く。
「親の顔が見たいと言ってもその親も今や非常識」という結末のための噂話が続く。
聞き飽きた話題の展開に、なんだか嫌になってスイッチを切った。



今の時代の親と子を、漫談のネタとしてとりあげるのは、不謹慎だと思う。

親と子の問題は、これまでにないほど根が深く、シリアスである。
また親と子の関係が色々な面で危ういのは、これは行儀の悪い親子に固有の問題ではなく、
親子や家庭の位置づけや、人を育てるという通念を失った社会の、構造的な問題だと私は思うのである。

だから個別の事例を、それも根も葉もない噂話を無責任にあげつらっても、
全くなんの意味もないどころが、害毒である。



もう少し言うと、非常識な親子に憤慨したり唖然とするのは、年寄りの特権ではない。
その親子と同世代を生きる者だって、困惑するのだ。

けれども、排除したり回避して生きていくことはできないから、
共に未来を生きるために、社会を何とかしなければと考える。

そういうことを子育て世代が必死に悩んで考えている時に、年寄り連中が意地悪く世も末と嘆くのは、自分の世が確かに終わろうとしていることへの僻みなんじゃないですかと、こちらも意地悪く問いたくなるのである。

2006年09月24日(日) 
2005年09月24日(土) 生物化学的信仰要求量
2004年09月24日(金) リセエンヌの男料理世界



2007年09月21日(金)

家路を辿る前に時間があったので、
分不相応なディナーを楽しむことにした。

重たいドアが開いて、薄暗いフロアに案内される。
時間が時間なのでまだ客は少なく、天井の高いしんとしたテーブルで、
フォアグラを喰らい、サーモンのソテーとホロホロ鳥のグリルを味わう。
ソースの一滴も残さず胃袋に収め、
使っていない皿のようになって、厨房にもどってもらう。

デザートの蜂蜜のアイスクリームは、懐かしいレンゲ蜜の風味。
紅茶で最後を締め括り、恍惚感に酔いしれる。

久しぶりに美味しいものを食べましたよ、とマネージャーらしき人物に告げると、
業務用の−申し分なく丁寧な−反応で、ありがとうございますと返ってくる。

もうあと5年いや10年は、食事において豪奢な変化球はなくてもよいだろう。
何ならば、あと10年ずっと、白い飯とごま塩だけだとしても、
今日この日の記憶があれば、美食などとは無縁でいられるだろう。

まあとにかく、そのぐらいメモリアルなディナーだったというわけである。
逆に言うと、こういうものは10年に1度ぐらいが丁度いいのかもしれない。

2006年09月21日(木) 火災で発芽促進する植物
2005年09月21日(水) 最期のカード
2004年09月21日(火) それでも地球は回る



2007年09月20日(木) 経験と真実

仏壇の町にて仕事。

久しぶりにテレビを見たら、柔道の谷選手がニコニコ映っていた。

睡眠時間3時間で育児と稽古を両立したと、新聞にあり、その壮絶な努力と選手としてのプライドに、表す言葉も見つからないほどでいた。

支えてくれた皆さんのおかげですと言う彼女の言葉も真実であろうし、真実支えられたという実感が彼女を成長させている。

よい年齢の重ねかたをしているなあと、尊敬する思いで、画面の中の彼女に祝福とエールを送った。

2006年09月20日(水) 任侠の話
2005年09月20日(火) 
2004年09月20日(月) 山からの不労所得



2007年09月17日(月)

冬が来る前に、を合言葉にして、家の掃除。
庭木の剪定をし、来るべき落葉の来襲に備える。
部屋の天井や壁を拭き、床をみがいて、夏の埃を落とす。


信州の大掃除は、やるならば夏か秋が適している。
凍えるような寒い年末にやるのは、
その年の汚れを落とすという形だけなのが精一杯だ。

冬支度も含めて、秋は色々と家の中が忙しい。

2006年09月17日(日) 源流と河口の取扱い
2005年09月17日(土) 
2004年09月17日(金) 気配



2007年09月12日(水) 政治的残渣

安倍総理大臣の、突然の辞任に関する大騒ぎ。

最後までタイミングの悪い方であった。
無責任という批判もあるが、去り行く病人に鞭打つほど私は暇ではない。



私が学んだことは、いくつか。

かつての総理大臣の子とか孫とか、そういう看板は意味がない。
むしろもう世襲の議員先生はたくさんである。偏見かもしれないが実感だ。

国民はもう二度と、総理大臣というものに偶像を求めないだろう。
パフォーマンス型の政治はたくさんである。

例えば中央官庁で政策の実務にあたってきたとか、国際機関で活躍したとか、
そういう現実を知り政策能力のあるような堅実な人が、
政治家として開花できる健全さを、政治の世界は取り戻さねばいけない。
国の舵取りというのは、商店街とか町内会の仕事とは訳が違うんである。

この点で襟を正すのは、政治家というよりむしろ有権者である私達かもしれない。



それからもう一つ。
法案成立の行方というのは、時の総理大臣の志向が多分に反映される。
総理の悲願なのだからという情状酌量に支えられ、法案がつくられ、国会を通過する。

そして「私は今権力の頂点にいる」などと口にするような人が強行採決の上につくったおかしな法律でも、ひとたび可決されてしまえば残渣となって世間に広がり、私達の生活に影響する。

退場するならばその時につくった法律も一緒に退場してもらいたいと思うが、残念ながらそういうわけにはいかない。



変な人が総理大臣になると、大変なことになる。

これは安倍さんだけでなく、その前任者も含まれる。
日本中の雰囲気が暗くなったり、閉塞感が漂ったり、未来に希望を感じられなくなったりする。
当たり前すぎる事実であるが、これもまた実感である。
本当に小泉政権から参院選の結果が出るまでの数年間、
日本は暗く、無力感につつまれていた。


最後に、もう一つ。
そもそもおかしな人が総理大臣になってしまったのは、
手続きとして、国民の信を問うていないからなんである。

大いなる反省点であるべきと思うが、今度も自民党は同じ方法を繰り返そうとしている。

自民党の総裁が変な人でも私の預かり知らぬところであるが、
その人が断りもなく総理大臣になることについては、到底容認できない。

自民党のためにもよくないと進言したいほど、愚行である。

2006年09月12日(火) 
2005年09月12日(月) 僅差
2004年09月12日(日) あるベクトル



2007年09月11日(火) 馬謖を斬れ

次々に明らかになる、年金の着服問題。
身内贔屓にも程がある、と頭から煙を出して新聞を読む。

非常に腹立たしいが、腹を立てるだけでは物事は先へすすまぬ。



職場であれ、家庭であれ、守りたくなる身内があることは、別に悪いことではない。
そういう一体感や支えあう信頼感は、コミュニティを居心地よくするために不可欠である。

守りたくなる身内の不祥事というのは、
反省しているのだし、とか、能力のある人だから、とか、
家庭の事情が事情だし、というように、フォローの道を探りたくなるのが人の常なのかもしれない。

それは、この人を未だ信じたい、という、情け深い気持ちの一種である。
しかし、敢えて意地悪く言えば、それは他者への情けではない。
不祥事を起こしたものと一体的にある、自分自身へのフォローであり、
それまでのコミュニティが崩壊するかもしれない結末に対する「逃げ」である。

そういう按配で情け深い態度の皮をいささか意地悪くむいていくと、
「こんな不祥事が外に出ては大変だ」という打算が、心根の芯として現れる。

自分に対してフォローも逃げもしない強さをもったリーダーでなければ、
馬謖を斬るということは難しい。
もちろん、だからできなくてもよい、ということでは全くない。

2006年09月11日(月) 他動詞との戦い
2005年09月11日(日) 生は希望
2004年09月11日(土) 死と悲嘆の必要性



2007年09月10日(月)

よしやるか、と決意をして、数ヶ所に電話。

自分が手にしている仕事上のアドバンテージを放棄する。
すみませんがこの先はできません、と頭を下げる。

諸々わかっているが、ちょっとつらい作業である。

あなたを嫌いなわけでは決してないけれど、
それでもあなたを選ばずにこちらを選びます、さようなら、
と意思表明するのは、ちょっとだけ恋愛沙汰の正念場に似ている。

なるべく早く引導を渡した方がいい、という点でも似ている。

2006年09月10日(日) 
2004年09月10日(金) 雑踏行進



2007年09月08日(土) 伝説と心

恩師の喜寿を祝う。

アーサー王と円卓の騎士に関する記念講義。
イギリスだけでなく、フランスやその他ヨーロッパ全土に
アーサー王生誕の地や墓といわれる場所があるのらしい。

史実と伝説は非なるものである。
しかし、伝説を生み出す人々の願いは、時に史実よりも真実を物語る。



現代社会は、数値化され、視覚化され、願望から想像することをなかなか許されない。
だから、私達にとって伝説や言い伝えとともに生きるというのは、もうそれ自体が昔話のように感じられる。

でも、そういうもの−物語−なしに人間は生きることができない。
そう信じている。

だから、現代がいかにテクノロジーを駆使し、検証可能な事実を積み上げ、
歴史の動かしようのない詳細な記録を残したとしても、何百年、千年という時間スケールのなかで最後に残るのは、人々の心によって時間をかけてスクリーニングされた物語だろうと、私は思うのだ。

2006年09月08日(金) 静かなみずうみ
2005年09月08日(木) スルー投票
2004年09月08日(水) 認識させなければならない



2007年09月05日(水) くくった腹

鯉こく文化圏にて仕事。



最近のわが仕事ぶりは、「命とられる訳じゃなし」がテーマの体たらくである。

本来の自分は、仕事に対して過剰なまでに責任感を感じるタイプである。
よい結果を出すということとは無関係に、そういう職務体質と自覚している。

その重い思い込みを、今の自分は放棄している。
よい評価が得られなくても、最低ラインをクリアすればいいのだし、
それは大抵クリアできるものだと、ハードルを下げている。

2006年09月05日(火) 仲間の喪失
2005年09月05日(月) 
2004年09月05日(日) 道路と自然



2007年09月04日(火) 面倒を背負い合う

子ども達の遠足の弁当を作りに、暗いうちから家を出る。
子ども51人、大人16人分。
同時並行で、朝食もこしらえる。

鶏を焼き、魚を揚げ、リンゴを四つ割りにし、飯を炊く。
野菜を刻み、納豆をまぜ、味噌汁をこしらえる。
弁当箱を広げ、順々に詰める。
色とりどりの可愛らしい水筒それぞれに、麦茶を入れる。

眠れずに暗いうちに起きた子が、カーテンに巻きついて眺めている。

面倒くさいと直前まで不満を言いながら出てきた身としては、
終了後、恥ずかしいぐらい豊かな気持ちになっていた。



大人集団として子どもの育ちに関わることができるのは、幸いである。
ただしそれは、骨のいる作業であることは間違いない。

先生と家庭で信頼関係が絶対に必要であるし、
それぞれの家庭の意見を尊重することも求められる。
堅苦しくてもいけないが緊張に欠けるとトラブルが起きる。
お子様の行事でも事業の規模はお子様サイズではない。大金を扱う重大任務もある。
何よりも日常の時間を割かれることについて、妥協しなければいけない。


しかし、これらのクリアすべき面倒な部分そのものが、
子どもを育てることに他ならないのだろう。

親というのは子どもの面倒を見るもので、
面倒をみるのだから面倒くさいに決まっている。
面倒くささと幸せの折り合いをつけながら、大人も親になっていくのだ。

2004年09月04日(土) もてるものとそうでないもの



2007年09月03日(月) 愚か者と知の欲求

空の高いところを、蜻蛉が飛行している。

科学の発達は、時に知らなくてもすむことを知ってしまう。

知ることができるとわかっている以上、その扉をあけずにはいられない。
自分では選ぶことのできないことを早々と知ったところでどうしようもないのだが、
そういう誘惑に勝てなかった日。

2006年09月03日(日) 
2005年09月03日(土) 
2004年09月03日(金) 屈折した人の話


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