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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
Creation

英国から購入したまま、節電騒ぎで見る機会を逸していたポール・ベタニーの映画「Creation」をやっと見ることができました。
ちょうど2年前の9月20日の日記でご紹介した作品ですが、ベタニーはこの映画で「種の起源」を執筆したチャールズ・ダーウィンを演じています。

この「Creation」の原作はランダル・ケインズ(ナルニア国でエドマンドを演じたスキャンダー・ケインズの父で、ダーウィンの息子ジョージのひ孫)の「Annie's Box」、脚本は「M&C」の脚本を手がけたジョン・コリー。

上記の2年前の記事でご紹介した通り、ダーウィンの進化論「人間はサルから進化した」は、キリスト教の教えにある「神が万物を創造しアダムとイブという最初の人間を創り出した」とは異なるものであるため、チャールズ・ダーウィン自身の中にも、チャールズと、信心深い彼の妻エマとの間にも、さまざまな葛藤があります。
映画は彼と妻との、融和と相互理解を通じて、進化論とキリスト教が両立できる道、科学者でありながら同時にキリスト教徒でもありうる道を提示していくのですが、

カトリックの総本山バチカンがダーウィンの進化論を認めたにもかかわらず、アメリカ国内の保守的なキリスト教徒の中には、いまだに進化論を認めない人々もいて、この映画はアメリカで公開できるかどうか問題になりました。結局、公開はされましたが、あまり興行収入は上がらなかったようです。
ちょうど2週間前が9.11から十年に当たり、いろいろな特集を見る機会がありましたが、アメリカが異文化と融和していくのは、いろいろと難しいようですね。
この「Creation」という映画、そういう保守的なアメリカ人こそ見るべき作品だと思うのですが、

2年前の日記で「あれはなに?」と言っていた浜辺に整列する海兵隊は、やはりビーグル号の乗組員でした。
1831年にフィッツロイ艦長の指揮下で南米やガラパゴス諸島をまわったビーグル号2度目の航海にダーウィンは同行しましたが、その時のエピソードが回想の形でところどころに挿入されます。

この映画、ポール・ベタニー演ずるダーウィンは、ビーグル号での回想シーンでは生き生きしていますが、映画の上での現在(1850年代)では常に苦悩していて、かっこいいマチュリンは期待してはいけません、でも上手い役者さんだなぁとつくづく思わされます。

ダーウィンの妻エマを演じるのは、ポールの実生活でもパートナーであるジェニファー・コネリー、信心深い古風な妻に上手くはまっています。実際のポールとの日常生活はこのダーウィン夫妻とは異なるものでしょうけれど、抱擁シーンなど、なんというか…たとえば実際にもご夫婦のフィギュアスケーターのカップルってちょっと演技が違うじゃないですか?あの時に感じるのと同じような…磁石が引き合うような感覚、があってさすがだな、と思いました。

原作のタイトルにもなっている長女アニーはマーサ・ウェスト、イギリスの子役ってほんとうに上手いですよね。
進化論を支持する側の友人科学者たち、トマス・ハクスリー役にトビー・ジョーンズ、ジョゼフ・フッカー役にベネディクト・カンバーバッチ。
この二人は偶然にもヨアン・グリフィスの「アメジング・グレイス」でも、ジョーンズはクラレンス公爵、カンバーバチはピット首相役で共演しています。
進化論に抵抗を示す、地元の善良なるイネス牧師にジェレミー・ノーザム、病に倒れた長女アニーの主治医ホランド医師にロバート・グレニスター。
この二人も上手い。
グレニスターの名字にピンときた貴方は正解です。ロバートは「ホーンブロワー」でホッブス掌砲長を演じたフィリップ・グレニスターのお兄さん。

そして、特別演技賞はロンドン動物園のオランウータンのジェーンに。でもこれ、演技じゃないんですよね、凄いと思います。
自然の万物をありのままに描いた映画なので、ウサギがキツネに襲われたり、うじ虫がうじゃうじゃ出てきたりもします。このあたりは自然映画そのもの。うじ虫は苦手な方は目をつぶっていた方がいいかもです(パソコンの小さな画面で見てよかった、これを映画館で画面いっぱいに見たらちょっと引くかも、と思いました)。

難しいテーマを扱った作品ですし、私はキリスト教徒ではないので、全てを理解できたとは言えないのですが、いろいろ考えさせる見応えのある映画でした。ぜひ日本でも公開してほしい。

ダーウィンとホランド医師の会話の中でダーウィンが「私は神を信じている(believe in God)」と言うのですが、医師は「あなたがfaithを持たなければ娘のアニーは救われない」と言います。このfaithが「信仰」なのか「信念」なのかによって意味が変わってきてしまうので、ずっと考えているのですが、これは兼け言葉なのか?どちらにもとれる。どちらの意味に解釈されたか、ご覧になったことのある方にお尋ねしてみたい点です。


2011年09月25日(日)