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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
ヴァスコ・ダ・ガマの冒険、26日放映

明後日26日(水)NHK教育テレビにて、ヴァスコ・ダ・ガマに関するドイツ製作のドキュメンタリーが放映されます。
詳細はこちらのNHKホームページをご参照ください。

10月26日(水) 19:00〜19:45 地上波NHK教育テレビ
地球ドラマチック「ヴァスコ・ダ・ガマの冒険」

この情報はFさんからいただきました。ありがとうございます。


これだけっていうのも何なので、以下はおしゃべりです。私のトラファルガー・ウィークエンドについて。
と言ってもずっと東京に、そして自宅にいたので、ひたすらHP更新用の、トラファルガーに関連した翻訳にいそしみつつ、でもせっかくだからこの日にちなんでと、ラミジ21巻「トラファルガー残照」をぱらぱらめくったり、青池保子画集「ノルウェイブルーの夢」を引っ張り出してみたり。

1941年のハリウッド名画「美女ありき」のDVDも掘り出し、トラファルガー海戦のシーンから後を見ました。
ローレンス・オリビエのネルソン提督に、ヴィヴィアン・リーのエマ・ハミルトン。
あきらかに模型だということは明らかながら、それでも戦列艦がずらりと並んだシーンは壮観で。
今から65年前の白黒映画だというのに、本当によく出来ています。

昨日の更新にも書きましたが、この映画に描かれたネルソン最期のシーンは、事実とは少々異なります。
映画では、ネルソンが旗艦艦長のハーディに遺言を伝えているところへ、伝令の海尉が駆け下りてきて「敵が降伏しました」と伝え、それを聞いたネルソンが「神よ感謝します。私は義務を果たしました」と言って、ハーディの目の前で息を引き取るという、大変ドラマティックかつ駆け足な展開。
実際は、つまり歴史的事実では、ハーディはネルソンの臨終に立ち会ってはいません。彼は艦長、艦の指揮をとらねばならぬ立場にあり、瀕死の提督を軍医と牧師に託し、自身は艦尾甲板に戻っていきます。

それはともあれ、「美女ありき」で印象的なのは、このシーンの盛り上げは大変ドラマチックなのに、ネルソンの人間的な部分は印象的に残されていることでしょうか?
この映画が製作されたのは1941年のハリウッド、すなわち第二次大戦参戦直前のアメリカであり、既にドイツと2年にわたり戦争状態に陥っていたイギリスにとってはこれは戦意高揚映画にもなりうる、…という事情を考えた時、ネルソンをあくまで人間的に描いた監督アレクサンダー・コルダの思いは何処にあったのか。

ネルソンがハーディに「エマ・ハミルトンのことをよろしく頼む」と遺言したあと、「私にキスをしてくれ」と言ったのは有名な歴史的事実ですが、英国では一時期、この逸話を闇に葬ろうという動きがあったそうです。理由は、救国の英雄が最後に女々しいことを遺言としたのは具合がよくない…と。
「美女ありき」が1941年の製作だと知った時、私は最後のこのシーンは当然カットだろうと思っていました。なにしろ1941年と言えば昭和16年なわけで、当時の日本の常識からすれば、人間的な女々しい救国の英雄なんてありえないですし、ドイツでも映画はゲッペルス宣伝相のもと宣伝広報に利用されてましたし、何より最近の勧善懲悪ハリウッド映画を知る者としては、1941年のハリウッドは当然、戦意高揚映画をばりばり製作しているもの、と思うじゃありませんか。

ところが実際の映画のこのシーンは、歴史的事実その通りに進みます。ネルソンはハーディに「自分を海に放り込まないで(水葬しないで)くれ、エマ・ハミルトンをよろしく」と遺言したあと、キスしてくれと頼むのです。そしてハーディはネルソンの額に軽く接吻してやる。
いや、キスっていったい何?…って最初にこの話を聞いた時には私も思ったんですけど。欧米と違って日本には日常生活にキスの習慣がありませんから、やっぱりぎょっとするでしょう? 何だかすごいイロモノのように響きますけど、そんなことは絶対にありえないので、じゃぁいったい何?と。 でも、これは…、
ハーディのそれは、よく欧米のドラマで見る、お母さんのおやすみなさいのキスだったのだ…と。
その瞬間に思い出したのは、第二次大戦のサイパン陥落だったか、沖縄戦のひめゆり部隊の話だったかで読んだ、16-7才の学徒動員の女学生看護婦を母親と間違えて死んでいく兵隊さんの話でした。
ホーンブロワーの「パナマの死闘」にもありましたよね。看護していたレディ・バーバラを母親と思いこんでうわごとを言いながら死んでいく士官候補生の話が。
ハーディ役の俳優さんは、がっしりしたこわもてタイプの人なのですが、その彼がお母さんの…というよりお父さんがベットに入っている子供にしてやるキス…と言うべきなんでしょうか、まぁいずれにせよ、戦闘中のビクトリー号の、治療中で血の海のようになっている最下甲板にはおよそ不似合いな、優しい行動をとることに、二重の意味で(第二次大戦中に作られた映画なのにという意味も含めて)、私は胸うたれてしまったのでした。

おそらくこのトラファルガー・ウィークエンドにイギリスで主役になっていたのは、英雄としてのネルソンだと思うのです。
そんなところに敢えて、世間が作り出した英雄ではないネルソン像を、ケントとポープの考察を通して紹介してみたいと思った私の深層心理は、この映画の人間ネルソン像にあるのか? 私にもよくわかりませんけれど。


2005年10月24日(月)