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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
England expects

England expects that every man will do his duty
(英国は各員がその義務を果たすことを望む)

これは1805年10月21日に、スペイン・トラファルガー岬沖の海域でフランス艦隊を前にしたネルソン提督が、全艦隊に発した信号です。
「England Expects」というダドリ・ポープのノンフィクションのタイトルは、ここに由来します。

ラミジ・シリーズの作者であり、と同時に17世紀から第二次大戦までのヨーク家の物語を残したダドリ・ポープは、海運を家業して十代続くコーンウォールの旧家に生まれ、第二次大戦には商船士官として輸送船団に従軍、輸送船が大西洋で雷撃を受け重傷を負い、その後遺症を一生抱えていたと言います。
戦後はロンドン・イブニング・スタンダード紙で記事を書く一方、海事研究家としても知られ、11冊の海事ノンフィクション作品を発表しています。
このうちの2冊「ラプラタ沖海戦」「バレンツ海海戦」は翻訳され、ハヤカワ文庫NFから日本語版が出版されています。

「England Expects」は1959年に発表された、トラファルガー海戦を扱ったフィクションです。
本文中の作者まえがきによると、ポープがこのノンフィクションを手がけた理由は、この歴史上大変有名な海戦について、客観的かつ実際的に記録した歴史書が、当時は無かったからとのこと。
ポープは、イギリス、フランス、スペインの関係者、提督から下士官・水兵まで、海戦に関わったあらゆる関係者の記録:航海日誌、公文書、手紙、個人の日記などを検証し、全てを目撃者当人の言葉を用いて記録すべくこのノンフィクションを執筆しました。
この手法は他のポープ著作ノンフィクションにも共通する手法なので、ハヤカワNF文庫の2作品をお読みいただければ、雰囲気は掴めると思います。

そのような訳で記述はたいへん細かく、英文で約350ページにわたる本文の全てを読み切る根性はちょっと私にはなく、このノンフィクション、私も必要箇所のみ拾い読みという、大変勿体ない読み方をしてしまっているのは本当に残念なのですが。
リタイアしたらきちんと読みたい本の一つです。 なんと言っても、密度の高い作品なので、小説と違って流し読み出来ない…というか小説とて流しているわけではないのですが、ただ小説だと平時とか会話の部分とかはちょっと気が抜けるじゃないですか、それが、この本は何と言っても全編トラファルガー海戦なので、まったく気を抜ける部分がない…というのが今よめない理由(いいわけ)。

ダドリ・ポープの著作は当初、ノンフィクションのみで小説は書いていませんでした。
そのポープに小説を書くことを薦めたのは、ホーンブロワー・シリーズの作者セシル・スコット・フォレスターだったと言います。
フォレスターの薦めによって誕生したのがニコラス・ラミジ・シリーズの第一巻「イタリアの海」だったのです。

フォレスターがどのような理由から、ポープに小説の執筆を薦めたのか、その理由はわかりません。
が、でも何となく想像がつくような気がしないでもないのは…、ポープはノンフィクションを書いていても、人間を描き出すのが上手いですよね。
当時の記録から、当時の人の発言と行動を、そのまま再現(描写)しているにすぎないんですけれど、その光景が芝居のように鮮やかによみがえる。

「England Expects」には、何カ所か芝居の脚本のような記述部分が存在します。
当時の文献に記録された、歴史上の人物の発言と行動を、芝居のセリフとト書きのように客観的に描写してある部分なんですが、これが実際の芝居以上に感動的で。
狙撃兵に撃たれ、下層甲板の治療所に運ばれたネルソン提督を旗艦艦長のハーディが見舞い、遺言に似た言葉を受ける場面。

私はこのシーン、ネルソン=ローレンス・オリビエの映画「美女ありき」で見ているんですけど、映画のこのシーン…も大変印象的なのですが、それよりさらにポープの描いたノンフィクションの方がざくりと胸に残る。
これはもっとも、映画は何時間かのシーンを10分程度に煮詰め、劇的な英雄譚として、音楽など感動的に盛り上げようという演出が見えてしまっているのに対し、ポープのノンフィクションは何の飾りもなく、死にゆく提督の事実だけを淡々と描写していて、
その事実の重みがまぎれもなく実際にあったこととして読む人の胸を打つ…わけですから、これは不公平な比較なのかもしれません。

今年に入って日本でも、何冊かネルソン関連のハードカバー書籍が出版されました。
その中の一冊にこのダドリ・ポープの「England Expects」が入ることを、私はずっと願っていたのですが。

10月21日、英国ではこの200年前の英雄ホレイショ・ネルソンを称える行事が美々しく勇壮に行われていたことでしょう。
それはローレンス・オリビエが映画で演じた、英雄としてのネルソン提督像に近いものなのでしょうけれども。
このノンフィクションで、一人の人間としてのネルソンの事実を描いたダドリ・ポープは、最終章の最終節で、同じ時代を生きたある人物の言葉を紹介してこのノンフィクションの最後としています。

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ネルソンの葬儀後まもなく、ネルソンの死について最も賢明な考察を残したのは一人の女性。当時の戦争大臣カッスルリー卿の継母にあたるロンドンデリー侯爵夫人だった。

トラファルガーの戦いほど、イングランドにとって重要な勝利をもたらし、またイングランドを悲しみの淵に沈めた戦いは他にないでしょう。
個々人が、勝利を喜ぶよりも哀悼の情を示したことから、イングランドに住む人々の人間愛と、提督が人々に愛されていたことがわかります。
しかし、人々がこのような分別と熟考を示したのは、これが大勝利であったからこそのこだわりに他なりません。おそらく今後将来においても、これ以上に栄光に満ちた死はないからです。

そして彼女はこう付記する。おそらくは論理と直感の両方に突き動かされて、この勝利が遠い未来に何を意味し、晶化されるかを。

もしネルソン提督が生還したとしても、人々は彼をもう二度と遠征に送り込むことはなかったでしょう。彼の健康状態は、再度の遠征に耐えうるものではなかった。彼にはより通常の、多少は楽で世俗的な名誉が与えられることになったでしょう。
けれども今や提督は、不滅の軍歴を身につけてしまった。この世にもはや達成すべきことはなく、英国艦隊には彼ら自らが改良すべき遺産を残して。
もし私がネルソン提督の妻や母の立場にあったならば、栄光を失い生気を失った姿を見るより、その死に涙するでしょう。その死には何の棘もなく、その墓には栄光のみが刻まれるのですから。


2005年10月23日(日)