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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
アレクサンダー・ケント:ボライソーシリーズ新刊

今週、アレクサンダー・ケントのボライソー・シリーズの27巻「無法のカリブ海」がハヤカワNV文庫から新刊で発売されます。
と書こうとしたら、もう先週末に店頭に出ていたところがあるようで。
あらら、いつもは25日以降だったのに、今月は早いわけですか?
ぬかったわ。週末は家にお籠もりしていたので。
私はこれから本屋に走ります。

さて、気をとりなおして。
私が初めて出会い夢中になった海洋歴史冒険小説は、新刊として平積みになっていたボライソー6巻「コーンウォールの若獅子」で、1984年1月のことでした。
よくよく考えると青くなるものがありますね。なんと21年前ですよ。
ボライソーは、あらゆる本の中で、私が人生でいちばん長いお付き合いをし、新刊を待ち続けているシリーズになってしまいました。
もっともボライソー1巻は、日本では1980年に発行されていますから、このシリーズとは25年のお付き合いという方も大勢いらっしゃることでしょう。

作者アレクサンダー・ケントが英国で第一作を発表したのは1968年。
以来1998年発表の24巻「Sword of Honour(提督ボライソーの最期)」までの30年をかけて、ケントはこの、1756年にコーンウォールのファルマスに生まれ、1815年に地中海でその生涯を閉じたリチャード・ボライソーという海軍士官の一代記を描いてきました。
リチャードの死後は、甥のアダムが主人公となってシリーズは引き継がれ、今月発売になる27巻が、英国、日本とも現在の最新刊となっています。
パトリック・オブライアンのオーブリー&マチュリンの第一作が1970年発表ですから、英本国ではオブライアン以上に長い年月わたって読み継がれている海洋冒険小説です。
ちなみに、次作、最新の28巻ですが、先日からAmazon.ukでは予約が始まっています。
発売予定は2005年10月6日。
う〜ん、ネットで予約してもいいけれど、もし10月に英国旅行が実現できたら、現地で購入…は夢ですね。

海洋小説に何を求めるかは人それぞれ、ゆえに海洋小説の評価も、何を求めて小説を読むかによって異なってくるものです。
そして私の場合はやはり、フォレスターの「ホーンブロワー」よりオブライアンの「オーブリー&マチュリン」より、
ケントのボライソー・シリーズを選んでしまう。
海軍士官の一代記ということであれば、ホーンブロワーの方が有名ですし、オブライアンは確かにキャラクターを描くのが上手い。
でも、じゃぁボライソーの魅力は何なのかと言われたら、それは群像劇、すなわち「人と人とのつながり、複雑な人間関係のドラマ」ではないかと私は答えます。

TVドラマシリーズの「ホーンブロワー」の第2シリーズ(第5話:反乱、第6話:軍法会議)は、原作の「スペイン要塞を撃滅せよ」とは趣が異なりますが、この違いがケントとフォレスターの違いだと私は思っています。
初めて第2シリーズを見た感想は、「これはアレクサンダー・ケントが書いた『スペイン要塞…』だわ」でした。
この第2シリーズを例にして、私が思うところのフォレスターとケントの違いを書いてみたいと思います。

フォレスターのホーンブロワーは基本的にはホーンブロワー視点で描かれていて、視野に入ってくるキャラクターの数が限られます。
唯一「スペイン要塞」のみがブッシュ視点で、ゆえにこの話は面白いのですが、それでも登場人物のすべてに目が行き届いているわけではありません。
TVドラマ化された「スペイン要塞…」の面白いところは、TVドラマゆえに各俳優さんの演技が細部まで豊かで、バックランド副長、ホッブス掌砲長、クライブ軍医といった脇キャラクターと、複雑に張り巡らされた人間関係が隅々まで丁寧に描かれている。これがドラマが原作を補っている点です。
各人が独自の自己主張をして動き回り、それゆえに人間関係の糸がもつれたりほぐれたりしていく、
これがアレクサンダー・ケントの小説に共通する、ストーリー先行になりがちなフォレスターにはない魅力だと私は思っています。

ケントの小説は常に複数視点で進行します。
主人公は一応リチャードとアダムというボライソー家の二人の海軍士官ですが、通常は艦内の様々な持ち場につく数人(その中にリチャードとアダムが含まれるのは言うまでもありません)を視点(副主人公)として、物語は進行します。
視点役は、部下として巻をまたがり同行する場合もありますが、その多くは一巻限りの副主人公です。もっともシリーズそのものが海軍士官の人生一代記である関係上、むかし同じ艦に乗り組んだことのある人間に何十年後に再会することもあり、10巻以上後に再び視点として活躍する復活脇役などもいて、この再会の喜びもシリーズを読み続ける魅力だったりするのです。

そのようなわけなので、もしこれからボライソーを読んでみよう!と思われる方がありましたら、出来ればやはり1巻から順番に手に取られることをおすすめします。
それと…これはオブライアンでも、ラミジのダドリ・ポープでも言えることなんですけど、やはり海洋小説はフリゲート艦時代までが一番面白い。ゆえにボライソーも一桁巻の方が面白い。
提督まで昇進してしまうと、現場主義のリチャードでも陸上の話が多くなってしまうので、16巻以降は15巻より前に比べるとちょっと苦しい部分はあるだろうと思います。

おまけとして、せっかくですからちょっとみぃはぁな話を。
去年の夏にこの日記で映画「キング・アーサー」の感想を書いた時に私は、クライブ・オーウェンを見ていると、とある艦長のことを思い出す、と書きました。
この「ある艦長」とは、リチャード・ボライソーのことです。
私的には、もし今ケントの小説をドラマ化する…という話があったら、リチャードは是非、彼に演じてもらいたいと思っています。

ヨアン・グリフィスにリチャードを、という意見を掲示板で読んだことがありますが、私、ヨアンはむしろ甥のアダム・ボライソーの方だと思うのです。
ヨアンは鋭角的なというか攻撃的な影を表現するのが上手いと思うのですが、リチャードの背負う影はアダムのようにはっきりと表には出ない。
リチャードには兄、アダムには父であるヒュー・ボライソーが、祖国イギリスを捨てアメリカ独立軍に走ったことで、ボライソー家の二人は、「裏切り者の身内」という軍人としては致命的な影を背負って生きていくことになりますが、この影の現れ方が、リチャードとアダムでは微妙に異なっていて、ゆえにヨアンにはアダムを…と私は思うのでした。


最後に、
これからボライソーを読まれる方へ>24巻に関する注意:
ボライソー24巻初版には、翻訳にトラブルがあります。
この点については、出版社である早川書房が第二版を発行し既に対応されていますが、知らずにまだ初版をお持ちの方、それから最近は古本屋が大盛況なため、ここで初版を購入してしまった…という方がいらっしゃると思われます。
今、初版をお持ちの方は、トラブルの拡大を防ぐため、これを誤って古本屋にお出しにならないようにお願いいたします。
また、ご購入前には、その版が初版であるか第二版であるか確認の上、レジにお進みください。

今お持ちの本が初版だった…という方>
トラブルの箇所はこちらの通りです。
削除・移動後のものがオリジナル原文にそった翻訳になります。

作者アレクサンダー・ケントは24巻と同時に発行した「ボライソー・ニュースレター」の中で、本来書くつもりではなかったリチャードの死について敢えて筆をとった理由を、
「私は非常に個人的な理由で、(リチャードの死について)他の誰にも、その人なりの解釈を後になってから書いてもらいたくはなかった。そのようなことになったらぞっとする」と述べています。
リチャードの死がこのようなものに描かれた理由についてケントは、
「往々にしてよくあるように、そして私自身も(自身の第二次大戦での体験で)目にしたように、このようなことは、まったく劇的にではなく、唐突に突然におこるものなのだ」と、記しているのです。

どうか作者ケント氏の願いをくみ取っていただきたく、僭越ながら私からも、初版の古本屋経由の再配布防止など、この場をお借りしてお願いする次第です。


2005年01月24日(月)