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2005年07月29日(金) いったいどんな顔をして

「とうとう二桁に乗ってしまった・・・」
友人が愕然としてつぶやく。彼女は某大手結婚相談所に登録して一年数ヶ月になるのだけれど、なかなか思うような人にめぐり会えず、先日そこで紹介された十人目の男性と会ってきたのだ。

“書類審査”を通過した者同士が初めて顔を合わせる、そのデートはどんな雰囲気になるのだろうか。見合いの経験もない私は彼女が誰かと会ってきたと言うたび、「どんな人やった?なに話したん?」と好奇心むきだしで根掘り葉堀り尋ねてしまうのであるが、その話はいつもとても興味深い。
プロフィールに書かれていなかった項目、女性側であれば転勤や同居の可能性の有無、両親は健在か、会社名、その年まで独身だった理由・・・といったことを漏れなくチェックしなくてはならない。露骨に情報収集するのは憚られるが、かといって遠慮をして訊かずじまいにするわけには互いにいかないので、身も蓋もない会話になることもままあるようだ。

今回の男性とは「子ども」について話したという。
友人には兄弟がいない。実家はどうするのですかと訊かれ、「継がなくてはいけないような財産があるわけでもないですし、親も私にそれを期待していません」と答えたところ、そういうわけにはいかないでしょう、と男性。そして、
「では男の子をふたりつくりましょう。ひとりは私たちの子どもにして、もうひとりはあなたのご実家の養子という形にしたらどうでしょうか」
と提案してきたのだそうだ。
ひええ、話が具体的すぎるー!とのけぞりながら、で、あなたはどう反応したの?と訊いたら、
「そ、そんな、無理ですっ。だって私、四十ですよ、いまからふたりも生まされたら死んでしまいます」
「いまならぎりぎり間に合うでしょう。私もできるかぎりサポートします」
「でも家系的に、私はたぶん女腹ですし・・・」
という展開になったと言うではないか。

初対面でそんな突っ込んだ話までするの!?と仰天。出会って数時間の、ほとんど見ず知らずの他人状態の男女がいったいどんな顔をしてそんな会話をするのだろう。
少々不気味な気もする。だってそれってものすごく生々しい話ではないだろうか。なんせ「ふたりがセックスをする」ということが前提になっているのであるから。
そりゃあ子どもがほしい人といらないと思っている人は結婚できないから、そのあたりの意思確認は必要であろうが、だからといってそういう話を「同居は勘弁してください」「共働きしてくれますか」と条件の刷り合わせをするときのように、ポーカーフェイスでできるものなんだろうか。
私だったら、戸惑いと恥ずかしさでしどろもどろになってしまいそうである。

と言ったら、「小町ちゃんは余計な想像しすぎやねん」とあきれられてしまった。そうなのかしら・・・。


さて、その男性と次回のデートはあるのかと尋ねたところ、
「やっぱりなあ、五十歳の人とっていうのはきびしいわ」
と返ってきた。
思うように成果が上がらないため、最近になって彼女は相手の年齢の上限を五歳引き上げ、「五十歳まで可」にした。そして今回初めて五十路の男性と会ってみたわけであるが、四十五歳と五十歳の差は思いのほか大きかったという。
待ち合わせ場所に現れた男性は写真で見るより若い外見をしていたのでほっとしていたのだけれど、彼が「定年まであと十年ですし・・・」と口にしたときハッとなったらしい。

「そうか、五十歳っていうのはそういう年なんやわ・・・ってずーんときてん。だっていますぐ結婚して妊娠したとしても、子どもが八つのときに定年になるんやで!」

それを聞いて、現在妊娠中の義妹のことを思い出した。おめでたの報告を受けたときは「こないだ結婚したばっかりやのにもう!?」と驚いたのだけれど、考えてみれば義妹の夫は彼女よりふた回り年上である。ぐずぐずしてはいられないと考えたのかもしれないなあ、と私はすぐに思い直したのだった。

「やっぱり上限、四十五歳に戻そ。子どもが小学生のうちに定年になられるんはきついやろ、いくらなんでも・・・」
と彼女がぶつぶつ言うのを聞きながら、子どもをつくるのにリミットがあると言われてきたのはいつも女性だったけれど(私もお節介な友人に「ええ年なんやし、そろそろ考えたら?」としばしば言われる)、実質的には男性にもそれは存在するんだよな、といまごろ思い至った私である。


2005年07月27日(水) 「やばい」の正しい使い方

電車の中で群ようこさんのエッセイを読んでいて、ふきだしそうになった。
書店のベストセラーコーナーに女子大生がふたり。片方が井上靖さんの『孔子』を手に取り、「あたし、これ読んだんだ」と言うと、もう片方がどうだったかと尋ねた。すると、感想を求められた女の子はひとこと、「相当、きてたわよ」。
もうひとりは納得した様子で頷き、『孔子』についてのふたりの会話はそれで終わってしまった。
「きてた」の後に具体的な感想が続くものと思い、耳をそばだてていた群さんはつぶやく。
「いまの若い人は、『この本はきてた』と聞けばすべてがわかってしまうのだろうか」

「きてた」だけではなにがなんやらわからんよなあ……と相槌を打ちつつ私が思い浮かべたのは、最近の若者が多用しているという「やばい」という言葉。
メディアでもよく取り上げられているので、彼らがそれをしばしば本来とは別の意味で使っていることをご存知の方は少なくないだろう。
以前、こんな話を聞いた。ニュージーランドに長く住み、通訳をしている日本人の方が仕事中に困った経験があるという。
日本からやってきた二十代の男の子が食事中に「これ、やばくないですか」「こっちのもすごくやばいですよ」とやばいを連発する。喜んでおいしそうに食べているように見えるのに……とどうしても不可解で、同席していたニュージーランド人に彼の言葉を訳して聞かせることができなかった。
が、帰宅してネット国語辞典で調べてびっくり。若者の間では「すばらしい」「おいしい」「かっこいい」を表現したいときにも「やばい」が用いられる、とあるではないか。そのような意味があるとは夢にも思わなかった------という内容だった。
先日、文化庁の国語世論調査の結果が公表されていたが、それには十六歳以上のティーンエイジャーの七割が「やばい」を肯定的な意味でも使っていると回答した、とあった。

一時期、若い女性が自分が気に入ったもの、好ましく思ったことについて印象を述べるときになんでもかんでも「かわいい」という言葉でまかなっていたことがあった。
誰かになにかを伝えるのにもっともふさわしい言葉を探すという作業をすることなく、「かわいい」で片づける癖をつけてしまったら、自分の中にある感覚や感情を正確に把握したりアウトプットしたりする力をなくしてしまうのではないだろうか。
そんな危なっかしさを感じたものだが、いま「やばい」を使う若者に対しても似たようなことを考える。
若者言葉とされているものの中には、私がふと口にしてしまうものもある。「チョー」や「微妙」であるが、言い訳をさせてもらうと、それらは元の意味からかけ離れてはいない。
「やばい」のようにニュアンスがほとんど逆転していたり、「全然オッケー」のように文法的におかしかったりするものには、やはり違和感を覚えずにいられない。
言葉は変化するものであるという。しかし、褒め言葉としての「やばい」が十年後、二十年後に新しい用法として定着しているとはどうしても思えない。「この料理、やばいよねー」に世代を超えて浸透するだけの説得力やセンス、時代を超えて生き残りそうな生命力はまったく感じない。

夕食後テレビを見ていたら、サッポロビールの低カロリーアルコール飲料「スリムス」のCF(音、出ます)が流れた。
ソファの上で工藤静香さんの真似をして(もちろんうんと色っぽくネ)脇腹をつまみ、例のセリフを言おうとしたら、傍らの夫が一瞬早く言った。
「かなりやば〜い」
……ムッ。わざと間違えたな。
しかし、「やばい」はやっぱりこう使うもんだよなあと不覚にも納得してしまった私である。


2005年07月25日(月) 本音とはいえ

林真理子さんのエッセイに、生きている魚介は料理できないという話があった。
知人から生きた伊勢海老が送られてきたが、怖くてダンボール箱を開けることもできない。結局、友人に頼んで茹でてもらった、という内容である。

それ、わかるなあと相槌を打つ。
私もそうなのだ。スーパーに行くと、蓋に空気穴の開いたパックの中で、車海老がおがくずをガサガサいわせていることがあるけれど、「まっ、活きのいいこと。じゃあ一パック……」ということにはぜったいならない。
実家の母は貝類を料理するとき、いつも「ごめんね」と言ってから火にかけていたが、それもできない私はシジミの味噌汁もアサリの酒蒸しも夫に食べさせたことがない。

ついでに言うと、活け造りもだめである。「体」を器にして刺身が盛られている、あれを見るとなんとも言えず切ない気分になる。
幼稚園くらいのとき、料亭のようなところで親戚の集まりがあった。なにかの祝いの席だったのだろう、豪華な舟盛りが運ばれてきた。大きな鯛の頭に目を丸くしていると、五つ年上の従兄が「これ、生きてるねんぞ」と言って白い身の上でレモンを搾った。すると、それまでぴくりともしなかった鯛の尾が突然、ビクビクッ!と動いた。
「いま、すごく痛かったんだ……!」
当時の私が「傷口に塩」という言葉を知っていたわけはないけれど、転んですりむいた膝にレモン汁をかけられたらどんな具合になるか、くらいのことは想像できた。

そのときのショックは相当のものだったようで、大人になってからも宴会や旅館の夕食で活け造りが出てくると、「ごめんよ」と手を合わせたくなる。いまにもまばたきしそうな魚の目を見ることができない。
そんなわけで、うんうん頷きながらエッセイを読んだ私である。

* * * * *

しかしながら、実は少々心に引っかかった箇所もあった。
送り主からの電話で、間もなく届くダンボール箱の中身が生きていると知ったとたん、林さんはすっかり気が重くなり、誰かにあげようかと思ったという。「(箱を開けることができず)伊勢海老は一日中リビングにほったらかしにした」という記述もあった。

えっと驚いた。「それってちょっと礼に欠けるんじゃないのかなあ」という思いだ。それを贈った人が読んだら気分を害するか、すまないことをしたと恐縮するのではないだろうか。
「もらえるものはなんだってありがたい」という時代ではない。林さんのところには読者からもいろいろな届きものがあるだろうから、なおさらそうかもしれない。だから、苦手なものを贈られて困惑するのも無理はないと思うのであるが、しかしこんなふうに「書く」というのはどうなんだろう。
身内に「困っちゃうわ」とぼやいたり、先方に「今後はこういうものでないほうが助かります」と直接伝えるのは、まったくかまわないと思うのだけれど。

私が送り主に同情せずにいられなかったのは、誰かにものを贈るということがいかにむずかしいかをつくづく感じているからである。
結婚二年目の頃、こんなことがあった。タコの刺身が好物の義父の父の日のプレゼントにしようと、明石の「魚の棚」で生タコを注文したところ、店の手違いで夫の実家に届けられるべきそれが私の家に配達されてしまった。
店に電話をかけると、すぐに発送し直すので届いたものは召し上がってください、とのこと。「わあい、得しちゃった!」とさっそく私はタコを掴んだ……のであるが。
あのスライムのような物体を皿一枚分の刺身にするのに、ゆうに二時間かかったのである。

塩をすり込んでぬめりを取り、墨袋を取り除き、皮を剥き、身を削ぐ。私はそのとき初めて、タコの処理がこんなに手間暇のかかるものであることを知った。
蟹を餌にして育った明石のタコは格別の味だと聞いていた。義父が喜んでくれるだろうとそれまでにも何度か生タコを送っていたのであるが、家事と仕事と介護で多忙な義母には気の利いた贈り物ではなかったに違いない。
早い段階でそのことに気づけたのはよかった。しかし以来、母の日父の日、中元歳暮の時期がやってくるたび、私は頭を悩ませることになった。


昨日の読売新聞の投書欄のテーマは、「お中元」。受け取る側、贈る側の本音が並んでいた。
「毎年ハムを贈ってくれる人がいるが、わが家には食べる者がいない。暗に伝えようとするのだがわかってもらえず、ありがたさを感じなくなってしまった」
「上司の家に引越しの手伝いに行ったら、中元の品が開封もされぬまま山と積まれていた。さほど感謝されることもなく、中元とは心のこもらない贈答の習慣だなと思った」

喜べるものをもらうのも喜ばれるものをあげるのも、本当にむずかしいのだ。


2005年07月23日(土) 返却の理由

「合鍵の行方」からどうぞ。

サイトをお持ちの方には同意していただけるのではないかと思うのだけれど、読み手の方から届くメールの数というのは日によってかなり違う。
私にとっては出来がいいのも悪いのも、テキストはどれも同じだけかわいいのであるが、メールボックスが愛知万博のマンモスラボ並みに賑わう日もあれば、シーズン終わりの海の家のように閑散としている日もある。
そして、前回のテキストは前者だった(ありがとう)。


「思い出のキス、ベストスリーなんてよく選べますねえ。そんなの覚えてませんよ」と感心半分、あきれ半分で何人かに言われたけれど、“とっておき”があるってそんなにめずらしいかな?
もしこれが「よかったエッチ、ベストスリー」だったら身も蓋もないし、私には選ぶことができないけれど、キスならばっちりだ(ベストテンを挙げろと言われたら無理だけれど)。
上手だったとかムード満点だったとか、そんな話ではない。唇のキスもそうでないキスも、思い出すと幸せに包まれるものも胸が苦しくなるものも混じっているけれど、とにかくその三つは特別で、私はたぶん一生忘れない。

で、合鍵の話。
前回、「合鍵を渡したら留守中に部屋を物色されるのでは?なんて考えたことがない」と書いたが、トラブル経験者もやはりおられるようだ。
日記を読まれて大ゲンカをしたというのはまだかわいいほうで、「当時、貯金箱のお金が減ることがあったが、どうしても訊けなかった」といまだにモヤモヤしたものを抱えているという話には胸がきゅっとなった。また、
「(部屋を物色されるかも、と心配するなんて)アホか!と言いたい。そんな相手となぜつきあうのか」
と息巻く、某男性日記書きさん。ほんとそうよねえーと相槌を打ちつつ読み進めたら、「私はそれで浮気がばれました」というオチつきであった。物色されてるがなー!

「もらった合鍵は別れるとき、どうしていましたか?」については、返しそびれていまも持っているという人も何人かおられたけれど、彼らを除くほぼ全員(二十人中十八人)が「返却する」という回答。それを返すことで区切りをつける、と見事に口を揃える。
やっぱりそういうものよね、だって“愛”鍵だもの・・・としみじみ頷く。
前にも書いたように、私は恋人が部屋に残していったものを捨てられない女である。指輪などプレゼントされたものを返したこともない。しかし、もし合鍵をくれた男性がいたなら、それだけは返したのではないかと想像する。

私は別れたら、相手とは一切の連絡を断つ。電話もしないし、メールも送らない。いつもそうだ。
きれいさっぱり吹っ切った・・・というわけではない。むしろその逆だから、中途半端につながっているのがつらいのだ。彼の中の自分が日毎に小さくなっていくのを見るのは耐えられない。別れた恋人とはいい友人になるという人もいるだろうけれど、私にはそんな器用な真似はできない。
だから、私にとって「合鍵を返す」という別れの儀式は形の上でのけじめというより、「もう、これで終わりなんだよ、わかったね?」と自分自身に言い聞かせる、思い知らせる意味で必要そうだ。

* * * * *

いただいたメールの中にはなかなか切ないものがあって、読みながら岡本真夜さんの「サヨナラ」が頭の中を流れた。

別れの手紙と 合カギ入れて
ポストに落とした
勝手にサヨナラ 決めてゴメンね
許してほしいの


その場面を想像しただけで胸がつぶれそうだ。
合鍵、もらったことなくてよかったよ。おかげでこの痛みを味わわずに済んだんだもの。
いや、まあ、私は振られることのほうが多かったけどさ(・・・もっと悲しいじゃないか!)。

ひさしぶりの週末更新なのに、なんか話が暗いな。

【参照過去ログ】 2005年1月26日付 「別れた後、思い出の品をどうするか」


2005年07月21日(木) 合鍵の行方

大学時代の話を書くと、読み手の方から「私もひとり暮らしを経験してみたかったなあ」とちょっぴりうらやましがられることがある。
自宅生だった人には自宅生ならではの思い出があるはずで、楽しさや幸せの総量は変わらないと思うのだけれど、それでもやっぱり、もう一度あの頃に戻れるとしたら私はまたひとり暮らしを選ぶだろう。

あの四年間はまさに「青春」だった。
好きな男の子が私のマンションの近くのガソリンスタンドでアルバイトをしており、帰りによくビールを持ってチャイムを鳴らした。彼には故郷に恋人がいたので私の恋は成就しなかったのだけれど、そのときだけは枝豆をゆでたりしながら、私は“彼女”気分を味わった。
前期終了の打ち上げコンパのあと、送ってくれた同じゼミの男の子にマンションの前で突然キスされたこともあったっけ。彼は勢い余って歯が当たったことを「失敗した!」と思ったらしいが、私にとってあれは人生でベストスリーに入る忘れがたいキスになっている。
『午後の紅茶』のCFで松浦亜弥さんらが演じているああいう青春のひとコマは、ごくごく平凡な大学生だった私の生活の中にもちゃんと用意されていた。

・・・あ、いやいや、今日はそんな昔話をしたいのではないのだ。


先日、悩み相談のサイトで「恋人に合鍵をねだられて困っている」という二十二歳の女性の投稿を読んだ。
彼は好きな人とはいつも一緒にいたいという人。一方、自分は恋人ができてもひとりで過ごす時間は確保しておきたいタイプ。放っておくと毎日部屋にやってくるので、「今日は友達が泊まりに来るから」とときどき嘘をついて断っている。彼のことは好きだけれど、合鍵など渡したらさらに生活に入り込まれそうで不安だ------という内容だった(こちら)。

へええと思った。
私は十八で実家を出て十年ひとり暮らしをしたが、その間にお付き合いした男性には合鍵を渡してきた。渡すのをためらったことは一度もない。
そのほうが会うのに便利だったということもあるが、なにより、私は恋人と始終一緒にいても苦にならないタイプだったのだ。大学時代などは自宅生の彼が三日四日泊まっていくこともしょっちゅうあったが、「そろそろ帰ってくれないかなあ」と思った記憶はない。
いまだったら、ずっと一緒だと日記が書けないなあなんて思うのかもしれないが、当時はとくにしたいことがあるわけでもなかった。ひとりきりの時間はあって困るものではなかったけれど、「確保したい」というほど強く欲するものでもなかったのだ。

しかし、私が驚いたのは「プライベートを大事にしたいから、合鍵は渡したくない」という発言に対してではない。たとえ恋人であっても、ひとりになれる時間や空間がないと息が詰まるという人はいくらでもいるし、むしろ「自分」を持っていてえらいなあ、賢いなあと感心する。
私が怪訝に思ったのは、スレッドについた「合鍵を渡すと、自分がいないときに部屋を物色される危険がありますよ」というコメントに対し、投稿主の女性が「たしかに、その点が心配で渡したくないというのもある」と答えていたからである。

私はいままで一度たりともそんなことを考えたことがない。実際、合鍵を渡したからといってアポなしで部屋にやってきたり、断りなく私の留守中に出入りしたりする男性もいなかった。
「この人と別れるときは大変そうだとも思ってしまいます」という言葉にも少なからず驚く。
恋愛の場面に限らず、また男女を問わず、「この人、敵に回したら怖いかもな・・・」がふと頭をよぎる人に出会うことがときどきあるが、私はそういう相手に対しては問題なくやっているときから用心している。フレンドリーには接するが、関係が破綻したときに厄介なことにならぬよう見せる部分は限定する。
だから、留守中に部屋を探られる可能性を否定できないような人を好きになるなんて、私には考えられないのだ。

* * * * *

以前、鷺沢萌さんのエッセイに「別れるときに合鍵を返してもらうことに意味などない。いくらでも複製できるのだから、回収したからこれで安心、というものじゃない」とあるのを読んだときは、目から鱗が落ちたものだ。
私が「合鍵を返して」と言ったことがないのは、そういう理由からではまったくない。付き合っている間に送った手紙やプレゼントしたものと同じ扱いで、処分するなり思い出の品にするなり、相手の好きにしてくれればいいと思っていたからだ。
「回収しておかなくては別れたあと彼に部屋に侵入されるかもしれない」とか「合鍵の合鍵を作ってるかもしれないんだから、返してもらっても無意味」なんて夢にも考えたことがなかった。
しかし、そういうものでもないのだろうか。


ところで、ここまで書いてきて気づいたのだけれど、私は合鍵をもらったことがないのであった。
お付き合いしていたのは実家住まいの男性が多かった。ひとり暮らしの人もいたけれど、遠距離だったり会社の寮だったり。
みなさん、もらった合鍵は別れるときどうしているんですか? (後日談あります)


2005年07月19日(火) そんなの自慢になりません!

日記書きの友人A子さんから、「梅田で二日間だけの期間限定カフェをするので来てね」という案内ハガキが届いた。
彼女は会社勤めの傍ら、手作りの洋菓子を雑貨屋さんで販売するという夢のあることをしていて、今回のカフェはそのお店のイベントとのこと。このあいだ訪ねたときに買って帰って食べたバナナケーキの味を思い出し、いてもたってもいられなくなった私、「今日はなにをよばれようかな」とあれこれ思い浮かべながらいそいそと出掛けたら。
「ええええ、うっそー」
店内に見慣れた顔を見つけてびっくり。B子さんが来ているではないの。
彼女も日記書きさんで、私のもっとも古い友人のひとりである。ちょくちょく会ってはいるのだけれど、こんなふうに偶然ばったりというのは初めてだ。へええ、こんなこともあるんだなあ。
思いがけず手に入った賑やかなティータイム。A子さんお手製のレアチーズケーキとアイスティーをいただきながら、以前からしようしようと言っていた浴衣パーティーの計画を立てて三人で盛り上がった。

おかげで、次の約束に遅れそうになる私。心斎橋で別の日記書きさんとごはんを食べに行くことになっていたのだ。
あまりに慌てていたため待ち合わせ場所を素通りしてしまい、びっくり顔で呼び止められる。彼も長い付き合いになる気心の知れた友人である。
食事のあと立ち寄ったショットバーで、バーテンダーが私たちの目の前で二十センチ角くらいの大きな氷の塊をアイスピックで削りはじめた。ロックのグラスにぴったり入る直径六、七センチの真ん丸の氷を一個ずつ手作りしているのだ。
へえ、うまいもんだなあと眺めつつも、ふと考える。だったら最初から球形に凍らせればいいじゃない?
「うち、丸氷作ってるよ。ちょうど真ん中にぐるっと一周、継ぎ目の線が入ってしまうけど」
と言ったら、
「それじゃあだめなんじゃない?こういうお店だし」
と友人。
「それにしたって、あのサイズの丸氷一個作るのにあんな大きな氷使うのもったいなくない?あの半分の塊から作ったら二個取れるのに」
「まあまあ、そんなせこいこと言わないで。夢がないんだからなあ、小町さんは」
ゆ、夢がない!失敬な、どんなことにも疑問や問題意識を持つ、それが日記書きの性なのよ。
それに私に言わせれば、ロマンティックでないことについては彼も人のことはぜんぜん言えないのである。というのは。
「あのね、前から思ってたんだけど、小町さんの腕って……」
といつになく真剣な顔をして言う。
ここで十人中九人の女性は、このあとに「きれいだね」とか「しなやかだね」といった言葉がくるものと期待するのではないだろうか。もちろん私もそうである。聞く前からもう照れながら、私は次の言葉を待った。
すると、彼は感に堪えぬように言ったのだ。
「点滴、しやすそうだなあー」
て……点滴ィィィ!?カウンターのイスから転げ落ちそうになる私。
「ちょっとこうしてみて」
言われたとおり腕の関節あたりを押さえると、青い血管がくっきり浮き上がってきた。それを見て、「これなら誰でも一発で針入れられるよ、うん」と満足げに頷く友人は医者である。
血管が太い上に肌が白くてよく透けて見えるから、どんな下手くそにも失敗されないだろうとお墨付きをもらったが、私は思わず「なんだそりゃ!」。このシチュエーションでは女心をくすぐる褒め言葉がつづく、それが真っ当な展開ではないだろうか。
そりゃあね、私といいムードになってもしかたがないのはわかるけど、もうちょっとほかに言うことはないわけーっ。
もっとも、
「そういえば献血でも失敗されたことないわ。そうそう、比重が軽くて献血できないって女の子がときどきいるけど、私なんかすっごい濃いらしくて、お医者さんに『水で薄めても使えそう』って言われたことあるよ。毎回四百採ってもらうけど、フラッとなったこともいっぺんもないもんね」
と得意げにつづける私も私であるが。そんなの、男の人相手にする自慢じゃないって。

連休中は日記の読み書きは休んだけれど、こんな具合に日記書きさん三昧で過ごしていたのでありました。みなさんの三連休はいかがだったでしょうか。
今日は多くの人にとってBLUE TUESDAYだと思いますが、お互いがんばりましょう。


2005年07月15日(金) 夫婦の寝室事情

先日、六月まで勤めていた会社の同僚たちとの月一の食事会があった。
いまいち体調がよくないのでどうしようかと迷ったのだが、しばらく顔を見ていないしなあと思い直して出掛けたら、会うなりうちのひとりに「風邪?」と言われた。

「うん、喉が痛くて。ゆうべ扇風機つけたまま寝たから」
「そらあかんわ。昔、『扇風機つけたまま寝たら死ぬ』って母親に言われんかった?」

思わずふきだす。どこの家の子どもも親に言われることは同じなんだなあ。
というわけで、それをつけっぱなしにしたのは私ではない。夫がタイマーが切れると無意識のうちにまたスイッチを入れる……を朝方まで繰り返したようなのだ。

彼は異常な暑がりである。太っているわけでもないのにやたら汗かきで、夏場は「暑い」以外の言葉を忘れたんじゃないかと思うくらい、口数が激減する。本当に、しなびた青菜のようになってしまう人なのだ。
私自身も暑いのは大の苦手だけれど、夏が嫌いなのはそのせいだけではない。この時期は夫の機嫌がすこぶる悪くなるからだ。
今朝など、駅で私の電車が先に来たのでじゃあねとちょっと手を握ったところ、即座に「暑いっ!」と振りほどかれてしまった。なにもそんなふうにすることないじゃない!とぷりぷりしながら電車に乗り込む私。
くだらない夫婦ゲンカが増える夏は本当に憂鬱な季節だ。

* * * * *

……という愚痴を中華を食べながらこぼしたところ、「うちはそれで寝室を分けたんよ」と声があがった。
夫がやはり極度の暑がりでクーラーをがんがんに効かせて寝るため、冷え性の彼女は常に体調がすぐれなかった。それで風邪をこじらせた数年前、実験的に別々に寝てみたら、その快適さに感動したらしい。夏のあいだだけのつもりだったのだが、一度知ってしまった快眠は手放しがたく、以来元の寝室には戻っていないそうだ。

夫婦仲に問題がないのに妻と夫が別室で寝るということをいままで考えたことがなかったので、私はかなり驚いた。
しかし、さらにもうひとり、「うちも別。子どもが生まれたときにだんなが隣りの部屋で寝るようになってそれからずっとやから、もう十年以上になる」と言い出したではないか。

「子どもがひとりで寝るようになったらまた一緒に、とは思わんかったん?」
「ぜんぜん。だっていびきうるさいし、だんなトイレ近いから安眠できへんねんもん」

ひとりで眠る快適さは私もよくわかる。夫は出張が多いため、私はウィークデーはたいていひとり寝であるが、夫が隣りにいる週末とは眠りの深さが明らかに違う。
私は神経質な人間ではまったくないが、眠るときだけはちょっぴり注文があって、部屋は電気を完全に消した真っ暗な状態でなくてはならない。そして、枕元に置く目覚まし時計は秒針がコチコチ音をたてないものでないとだめ。カーテンが開いていたりテレビがついていたりすると、なかなか寝つけない。
そんな私なので、夫が寝返りを打ったり扇風機のスイッチを入れるために体を起こしたりするたびに半分目が覚めてしまうのである。夜中に時計を見るようなことは、ひとりで寝ているときにはまずないことだ。

しかしながら、「別々に寝たらどうかしら?」という発想はしたことがなかった。思えば不思議である。六人中ふたりが寝室を分けているというのは、けっこうな確率ではないだろうか。
ここで素朴な疑問が湧く。そんなふうにして、なにかと不都合はないのかしらん?ほら、たとえばさ……。
すると、彼女たちは口を揃えて言った。
「ないない、もうそんなことせえへんしー」
そ、そうですか。


「小町ちゃんも寝室分けたら?そりゃあ熟睡できるでー」

ふたりから、「快眠友の会」への入会を勧められる。
うん、そうだろうなあ。それに、ひとりで寝るようになったら都合がよいことは他にもある。
私はかなり早起きなので、毎朝ベッドを出るのにひと苦労している。揺らさないようきしませないよう、何分もかけてゆっくりゆっくり抜け出す。それでも時々信じられないようなところに足があって、踏んづけたりしてしまうのだけれど、寝室が別だったらそんな気を遣うこともない。

……とは思うものの。
たしかに眠りはプライベートなものなのであるが、そこまで実(じつ)を取るのも少々寂しいなあという気がする私。布団に入ったらとくに何を話すでもなく寝てしまうけれど、同じ空間で眠る、それだけでも共有できるものがきっとあると思う。
ただ、顔の上に鉄拳が振り下ろされたり寝返りを打った彼の下敷きにされるたび、
「だけどベッドは別々にしておくべきだった……」
とは本気で思うけれども。


2005年07月13日(水) ハプニング・バー、その後

半月前に書いた「私の二十年を返して!」というテキストの中で、『婦人公論』に連載中の工藤美代子さんのエッセイを紹介したことを覚えておられるだろうか(こちら)。
内容をかいつまんで書くと、親戚の四十五歳の女性が突然上京、工藤さんの自宅にやってきて衝撃的な告白をした。
結婚二十年になる夫とは新婚時代からセックスがない。その問題を除けば気楽な家庭生活だったため別れようと考えたことはなかったが、最近になって夫が同性愛者であることが発覚。体裁のためだけに結婚し、二十年間自分に指一本触れなかった夫が許せない。
そして、彼女は工藤さんにこんな頼み事をしたのである。
「このままセックスもしないで生涯を終えるのは嫌です。東京には見知らぬ男女が出会ってセックスできるバーがあると聞いています。そこに私を連れて行ってください」

困り果てた工藤さんが「考える時間をちょうだい」と彼女を説き伏せ、とりあえず家に帰したところでエッセイは終わっていたのであるが、先日その続きを読むことができた。

* * * * *

上の日記を書いたとき、「ハプニング・バーってどんなところなんですか」というメールをいただいたが、いやいや、私に訊かれましても。そういう店があるのを知っていたのは、昨年六本木のハプニング・バーで有名なAV男優が公然わいせつ罪で逮捕された事件があったからであり、行ったことがあるからではない。

というわけで、その質問はこちらがしたいくらいだワと思っていたのだけれど、今回のエッセイにかなり詳しく書かれてあった。
工藤さんの知り合いで行ったことがあるという三十代の男性によると、一組のカップルがソファの上ではじめ、他の客はそれを眺めている。終わると、男のほうが“ギャラリー”に向かって手招きし、次は三人の男性客が加わって・・・ということがあったという。
驚く工藤さんに彼は言う。
「見られて喜びを感じる人は平気でやっていますね。何人もの男性とプレイしたその女性も、終わったあとはそのへんのOLさんと変わらない地味なスーツに着替えて、すっきりした顔で帰って行きましたよ」


こういう話を聞くと、一口に「セックス」と言ってもいろいろな種類のものがあるんだなあと思う。
私自身は好きな人とのそれしか経験がないし、いまのところ宗旨変えする予定もないから、付き合っている男性に「君がほかの男としているところを見てみたい」なんて言われたら、目の前が真っ暗になるだろう。「この人は私を愛していないんだわ」と絶望するに違いない。
というのは、以前温泉の混浴風呂について書いたとき、「彼女とふたりで入っていたらあとから男性客が入ってきて、自分だけの宝物が人に見られたようで悔しかった」というメッセージをいただいたのだが、ふつうはそういうものだろうと思っているからだ。
それをより楽しむためにマニア化していくのは結構なことなのだけれど、それはあくまで「ふたりの世界で」という条件下での話。「第三者」という要素を取り入れることによる刺激の得方、セックスの幅の広げ方というのは、私にはちょっとついていけないものがある。

とはいうものの、パートナーが自分以外の異性と絡んでいるのを平然と見ていられる、それどころか見ていると興奮できるという人が存在すること自体にはまったく驚かない。
もし自分がセックスフレンドなるものを持つくらいそちらの欲求が旺盛、かつ開放的な考えの持ち主であったなら、そういう経験に興味を持った可能性は十分あるだろうと思うから。体だけの関係の彼に今度行ってみないかと誘われても、ショックなど受けないような気がする。

つまり、そういう店に出入りするのは遊びのカップルだろうと思いながら読み進めたわけだ。
・・・が、途中で「夫婦の客もめずらしくない」というマスターの弁が。えっ、そ、そうなの?だったら私の理解可能な範疇を超えているわ・・・。


すっかり話がそれてしまった。で、その後どうなったかというと。
「ところで、もしあなたがそこで四、五十代の女性と出会ったとして、相手しようっていう気になる?」
工藤さんは男性に尋ねた。そういう場所とはいえ、体型の崩れた熟年女性が裸になっても男性たちは困るだけではないかと思ったからであるが、彼はきっぱり、「もちろん大丈夫。僕は六十歳くらいでもちゃんとできると思います」と答えた。

それを聞いて、いっそのこと目の前の男性に彼女の相手をお願いできないものかと考えた工藤さん、親戚の女性に電話をかけた。すると、受話器の向こうから弾んだ声が返ってきた。

「私、やりました。あれ、やったんです」

なんでも、高校時代に好きだった先輩と再会したら、彼も当時彼女のことが好きだったことがわかり、自然とそういうことになったらしい。
工藤さんの元を訪ねたときに「誰か男の人とセックスできたら、ふんぎりがつくと思うんです」と言っていたとおり、彼女は離婚して人生をやり直すことにしたそうだ。


私はこのあいだ、「愛抜きでかまわないなら、ハプニング・バーでなくともそれを手に入れる方法はいくらでもある」と書いたが、そのとき思い浮かべたどれよりもすてきな“調達”の仕方だ。
二十年間抱えてきた満たされない思いをたった一回のそれで昇華したんだものなあ。やはりぞんざいに扱うようなものではないのだということ、それの持つ底力のようなものをあらためて思い知った私。

【参照過去ログ】 2005年6月20日付 「私の二十年を返して!」


2005年07月11日(月) 待ちぼうけの結果

夫が私に一枚のメモを渡す。
「はい、これが小町さんの番号とアドレスだからね」
“携帯持たず”としてここまで生きてきたが、ついにそれを持つことになってしまった。

事の顛末はこうだ。
先日、夫と食事に行くために外で待ち合わせをした。私のほうが先に着くことがわかっていたので、「○○ってカフェでお茶しながら待ってるから、来てね」と伝えていた。が、待てど暮らせど夫は現れない。週末の夕方のこととて店はだんだん混みはじめ、私は入口の前で待つことにした。
時計を見ると、このくらいには着けると思うと彼が言っていた時刻を三十分も過ぎている。いつになるとも知れぬまま待っているのはしんどい。私は駅の公衆電話に走った。
すると、聞こえてきたのは「電波の届かない場所にいるか電源が入っていないため……」のアナウンス。いったいどうなってるのよー。ぷりぷりしながら店に戻ると、夫の姿があった。
「いままでどこにいたの!」
と腹立たしげな声をあげたのは私ではなく、夫だ。ちょっとちょっと、なんで私が怒られるわけ?待たされたのはこちらなのに……と憤慨したら、夫は何十分も前に着いてテーブルのあいだを歩いて探したが、私はいなかったと言うのである。
「そんなわけないやん。ついさっきまでお茶飲んでたもん」
「でも、ほんとにいなかったんだ」
「それは『いなかった』じゃなくて、『見つけられんかった』って言うの」
「だけど、どのへんに座ってるって教えててくれなきゃ見つけられないよ!」
特別広いわけでもないその店でそんなことがあるだろうか。私はしばしば友人とそこで待ち合わせをするが、会えなかったことなど一度もない。ついでに言えば、彼女たちを見つけるのに苦労したこともない。
しかし夫は納得せず、そのうち私が携帯を持っていないことに対してぶつぶつ言いはじめた。「もしもし、どこにいる?」「壁際のテーブルだよ」ができたら互いに無駄な時間を過ごすことはなかった、というわけだ。

たしかに、私がそれを持っていたらもっと早く会えたに違いない。……でもね。
私がその店にいることは確実なのだから、私が携帯を持っていようがいまいが、本来は会えるはずなのだ。「見つかるまで探す」という基本的なことをやりきらなかったことを脇に押しやったまま、「君が携帯を持っていなかったからうんぬん」と言うのは違うと思う。だから携帯を持て、なんていうのは「痴漢がいるから女性専用車両を作りましょう」というのと同じで、対症療法に過ぎない。根本的な問題解決にはまったくなっていないのだ。
携帯を持っている相手とだって地下で待ち合わせることはあるだろう。相手のそれが電池切れしていないとも限らない。いまのままでは、そういうときにも待ちぼうけが発生してしまうではないか。
財布を忘れただの寝坊しただのといって遅刻してきた友人にクレームをつけると、「遅れるって連絡しようにも、あんた携帯持ってへんねんもん」と開き直られることがあるが、「指定の時間に指定の場所にいる」といういまも昔も当たり前であるはずのことをしない人に、どうしてこちらが文句を言われたり迷惑がられたりしなくちゃならないんだろうといつも思う。
不可抗力な理由で遅刻せざるを得ない、つまり家を出る直前、あるいは場所に向かう途中で突発的なことが起こって時間に間に合わなくなる……なんてことはそうめったにあるものではない。「待ち合わせ」という名の約束を守ることに両者がごくふつうレベルの責任と緊張を感じていれば、まず間違いなく会えるのだ。

とは思えど、最近はもうそういうのが面倒くさくなっていた。
レストランを予約しようとすれば店員に携帯の番号を教えろと迫られ、結婚式の二次会に行けば出し物に参加できないという憂き目に遭う(過去ログ参照)。友人からは「携帯くらい持ってよ」と責められ、夫には「もう小町さんとは外で待ち合わせしない」と言われる始末。
私は観念して言った。
「わかったわよ、持ちますよ、持てばいいんでしょ」



夫がいま使っている携帯の家族割引にするとかで、手配は全部彼がしてくれた。その新しい電話機が週末に届いたのであるが、軽くてピカピカ、最新機種でいろいろ便利な機能がついているらしい。
こんなの使いこなせるかなーと言ったら、夫は「違うよ、小町さんのはこっち」と自分の携帯を指差した。新品のそれは夫が使い、私は“お下がり”を使うらしい。ええー。

そんなわけで、昨日から暇を見つけては(年季の入った)説明書をぱらぱらやっているのだけれど、その操作のややこしいことといったら。半日かけてマスターしたのは、「マナーモードの設定の仕方」と「自分の電話番号の表示の仕方」だけだ。
自分がこんなに鈍くさい人間だったとは。旧機種で十分である。メールを送ったりカメラを使ったりくらいはできるようになりたいけれど、もうしばらくかかりそうだ。

【参照過去ログ】 2003年11月25日付 「携帯持たず者の苦悩」


2005年07月08日(金) 「嫁」という職業

中村うさぎさんのエッセイに、元夫の母親に初めて会ったときの話があった。
結婚報告のために山陰地方にある夫の実家を訪ねたところ、夕食に出てきたのはいかにもまずそうなスーパーのパック寿司。
中村さんは考え込んだ。夫によると、ふだんはもっとまともな食事だという。じゃあどうして姑は息子が初めて嫁を連れてきた夜にわざわざこんなものを出したのだろう?
翌朝、朝食のテーブルに並んだ献立はご飯と味噌汁だけ。海苔や漬物すらない。夫が怒ると、姑は渋々冷蔵庫から皿を取り出した。
「しゃあないなあ、そんなら昼ごはんに用意しとったおかず、出すわ」
中身はチクワの輪切りだったそうな。

* * * * *

少し前の日記に「婚前交渉なしで結婚するなんてオソロシイ」という話を書いたが、相手の親に一度も会わずに結婚するのもかなりの冒険だと思う。
式の二ヶ月前に婚約を解消した経験を持つ友人がいる。招待状の準備も整い、明日にも投函しようと思っているときに夫になる男性の父親から封書が届いた。
開けてみると、なにやら箇条書きされた項目が並んでいる。「大学に行かなかった理由」「その年まで独身だった理由」「何度も仕事を変わっている理由」といった事項に回答して返信するよう書かれてあった。
友人はそのときすでに三十五を超えていたため、なんとしても結婚したかった。が、父親がその手紙を出すことを見合い相手の男性もその母親も事前に知っていたと知って、すべてを白紙に戻した。
彼女はいまも独身だが、「あんなとこに嫁に行ってたら、いまごろどんな苦労してたか……。考えただけでぞっとする」と振り返る。
まったく賢明だったと思う。知り合いにバツイチの女性が何人かいるが、うちの二人は義父母との折り合いの悪さが原因だ。つい先日の新聞にも、三十代の主婦の「夫はよきパパで優しい人だが、非常識な義父母に何も言ってくれないのでだんだん嫌いになってきた」という相談が載っていた。
結婚生活というのは、思うよりもずっと多面的な代物である。夫とさえうまくいっていれば続けられるというものではないのだ。

以前、上沼恵美子さんが番組の中で「夫の実家とはスープが冷めて冷めて凍りつくくらいの距離に住んでちょうどええんや!」と唾を飛ばさん勢いで語っていたが(上沼さんは同居嫁)、仲良しの同僚は激しくそれに同意する。
彼女は四年前、結婚と同時に夫の実家と目と鼻の先に家を建てたのだが、悔やんでいることがあるという。
新婚旅行から帰った夜、夢のマイホームのドアを開け、わが目を疑った。下駄箱の上に木彫りの熊の置き物がどーんと飾られてあったのだ。そう、北海道の民芸品の、鮭を咥えたあれだ。
「な、なによ、これ……」
玄関の上がり口に敷かれた、見覚えのないペルシャ絨緞柄のマットを踏んづけて部屋に入ると、まだ夫婦が一晩も泊まっていない真っさらの部屋になぜか生活感が漂っている。ダイニングテーブルには安っぽいビニールクロスが掛けられ、キッチンには三本足のふきん掛けが取り付けられているではないか。
夫が実家に電話をかけると、義母は「ああ、あんたらが留守してる間に親戚を招いて新居のお披露目パーティーをしたんよ。そのときあんまり部屋が殺風景だったから、適当にみつくろっておいたよ」と悪びれなく言った。
合鍵を持たれていることを知らなかった彼女はすぐに回収しようとしたが、「資金を援助したんだから当然でしょ。それに何かあったときに便利じゃない」と言って返してくれない。以来、彼女がトイレにいたり洗濯物を干したりしていてインターホンに出るのが少しでも遅れると、義母はさっさと鍵を開けて入ってくるという。
「盗んででも取り返したいわ。こんなことなら援助なんかしてもらうんじゃなかった……」

この姑は息子夫婦の家をノックひとつで出入りできた子ども部屋と同じように認識しているのではないだろうか。
一事が万事。趣味に合わない木彫りの熊やテーブルクロスを我慢すればすむ話ではないから厄介なのだ。どんなことにも無邪気に立ち入ってきて、しかもそれが“干渉”と呼ばれるものであるという自覚はまるでない。そのうち、「子どもはまだ?あなたたち、ちゃんとしてるんでしょうね」なんてことまで言い出しかねないのである(実際に言われた友人がいる)。


『婦人公論』最新号の特集テーマは、「実家という重荷」。
幸いここまでに書いたようなことはいまの私には他人事であるが、読んでいると、世の中にはあてにならない夫がなんと多いことかと愕然とする。
「妻」はそうではないが、「嫁」はれっきとした職業なのだ、とつくづく思う。


2005年07月06日(水) 「それ以上、我慢しないでください」

このところ、見るたびどきっとするCFがある。
「いつからですか?いつから我慢してるんですか?」
という、製薬会社グラクソ・スミスクラインのうつ病啓発活動のCFだ。つけっぱなしにしているテレビから木村多江さんが淡々と問い掛けるあの声が聞こえてくると、つい手を止め、じっと画面に見入ってしまう。

数日前、学生時代の友人A子に会ったときのこと。「こないだ、B子のとこに行ってきたわ」と彼女が話しはじめた。
B子というのは共通の友人で、この四月に転勤になったため、現在地方でひとり暮らしをしている。私は壮行会で会ったときに彼女が実家を離れることを本気で嫌がっていたことを思い出し、元気にしていたかと尋ねた。

「それがなあ、うつ病になってしもたらしいねん」
「え・・・ええーっ!?」
「会うなり、『抗うつ薬を飲んでるから眠くなったりだるくなったりして無口になることがあるかもしれんけど、そのときは放っといてくれたらいいから』って言われて、もうびっくりして」

私も驚いた。だって、あの勝気で誰にでもぽんぽんと物を言う彼女が・・・?
しかしふと、少し前にやはりA子から聞いていた話を思い出した。
引越してから毎週末片道四時間かけて帰省している、ゴールデンウィークは飛び石連休だったため三回往復した、とB子が言うので、「寂しいのはわかるけど、そっちの生活にも早く慣れるようにせんと」と言ったところ、「そんなこと言うA子はキライ!」とガチャンと電話を切られてしまったというのだ。
私は思わず「子どもみたいなリアクションやなあ」と笑ってしまったのだけれど、そのときすでにB子は心配から出たA子の言葉を理解する余裕をなくしていたのかもしれない。

ひとりの知り合いもいない土地での初めてのひとり暮らし、職場の人間関係が良好でないこと、仕事量の多さ。それらからくるストレスが原因ということだが、それにしても転勤して三ヶ月である。
これほど短い期間でもなってしまう病気なのか・・・とショックを受けた。「うつは一ヶ月。一ヶ月つらかったら、お医者さんへ」というCFの呼びかけは、まったくおおげさではなかったのだ。


長年ファンをしている歌手のコンサートのチケットが取れたとB子が話すのを聞いて、A子がよかったねと言うと、
「うん、これで私、十月まで生きてられるわ」
と返ってきた。A子は冗談だと知りつつも笑えなかったという。

「あの子に限ってとは思うけど、でもうつで自殺する人は多いって言うやん?自分の体と仕事とどっちが大事か、よう考えやって言ってきた」
「そしたらなんて?」
「『来たばっかりやのに、しばらく休ませてとか大阪に戻してなんてぜったい言えん』って」

原因の所在がはっきりしているにもかかわらず、B子がそれをなんとかしようとしないのが、A子は歯がゆくてしかたがないようだった。その気持ちは私にもある。
しかし一方で、現実はそういうものなのかもしれないなとも思った。医者にしばらく会社を休むよう言われ、すぐにそうできるくらいなら、そもそも病気になるほど追いつめられた状態でいることはなかっただろう。
恋愛に興味がないB子は、学生時代から「私は結婚しない。一生仕事をして、親と暮らす」と公言していた。そのために彼女は公務員という職業を選んだのだ。
自宅療養をして病気を治したはいいが、そのときには机がなくなっているかもしれない。それは彼女にとってものすごい恐怖だろう。
いまから民間で定年まで勤められる会社を見つけられるだろうか。彼女がぎりぎりまでいまの仕事を手放せないと考えるのも無理はない気がする。

しかし、それでも。
私やA子は病気になった時点で「限界がきている」とみなすが、B子はそうは判断していないことを思ったとき、「心の病は怪我と違って傷口が見えないから、その苦痛が周囲の人に理解されにくい」という話をよく聞くけれど、それは案外当人にも当てはまることなのではないか?が頭をよぎった。
「まだだいじょうぶ」「そのうちよくなる」と、そのつらさや深刻さを実際より小さく見積もってしまうところはないんだろうか。

「それ以上、我慢しないでください」
彼女の“それ”が、私たちが思うよりもずっと先にありそうだから、こんなに心配なのだ。


2005年07月04日(月) 人形を愛した男(後編)

※ 前編はこちら

「彼女ができたらあんなことしたい、こんなことしたい」を頭蓋骨からはみ出さんばかりに抱えた思春期の男の子が、その日を夢見て人知れずどのような修行を積んでいるのか。女の子は想像もしないけれど、いろいろとあるみたいだ。
十数年前、私が大学生の頃に『Bバージン』という恋愛漫画が流行った。女の子にまったく相手にされないデブで生物オタクの男の子が憧れの彼女に振り向いてもらおうとひたむきにがんばる様を描いた、男の成長譚とも言えるストーリーなのであるが、私の周囲には「あれで女心の掴み方を学んだ」「青春時代のバイブルだった」と証言する同年代の男性が何人かいる。

また、先日ある男性から届いたメールの中には「若かりし頃、テディベアに姉貴のブラを装着させて(エッチのときの)練習をしていました」という一文があった。
えっ、ぬいぐるみでいったいなんの練習をするの?
ブラジャーをスマートに外すための練習だと聞かされたときは目から鱗が落ちた。
女の子が“その場”に備えてシミュレーションをするという話は聞いたことがない。せいぜい、枕相手にキスの練習をするくらいのものだろう(え、私だけ?)。
その代わり、ダイエットに励むとか勝負下着を準備するといったことに心を砕くわけだけれど。

“キムスコ”であった頃に、非モテでヤラハタ(=やらぬうちに二十歳になっちゃった)の主人公が苦悩しながら男になっていく過程に感動したり、ブラ外しの技をマスターせんとぬいぐるみとたわむれたりしていたのかと思うと、「男の人ってなんて可愛いんだろう!」と笑みがこぼれてしまう。

* * * * *

しかしながら、さすがに「Xデーに向けて、僕はラブドール相手に研鑽を積んでいます」というのは、明るくカミングアウトできることではないようだ。
前編の中で紹介したブログの書き手の男性は、ひとり暮らしをしている部屋に人が来るたび、「菜々ちゃん」を押し入れに隠す。
同僚に「実は○○さん、等身大の女の子の人形とか持ってたりして」と冗談を言われたときは、つい「それじゃ僕、変態じゃないですか。そんな気持ち悪いもん持ってないですよ」と言ってしまった。そして心の中でつぶやく。
「・・・ごめん菜々タン。体裁の為にひどいことを口走った俺を許して・・・」

ラブドールと暮らしていることを人に知られるのをそれほど恐怖している男性なのであるが、しかし菜々ちゃんへの愛ゆえに決死の大胆行動に出ることもある。
たとえば、「部屋の中にいるばかりでは飽きてしまうだろう」と彼女をドライブに連れ出すのだ。


AM 4:35
菜々タンを抱えて玄関を出る。通路に顔だけ出して、人がいない事を確認。小走りでエレベータに乗り込む。途中、人が乗り込んでこない事を必死に祈る。

AM 4:40
無事誰にも会わずに駐車場に到着。助手席のドアから菜々タンを座らせる。シートベルトを付けてあげて、エンジンをかける。出発。

AM 5:00
途中、何台かの車とすれ違う。菜々タンに気付かれていないかドキドキ。なんだか運転も不自然になってしまう。・・・でも、助手席に女の子が座ってる感覚って、かなり(*´∀`*)ムフーッ



歩いていて、ふと道端に停まっている車に目をやるとシートに人形が座っていた・・・なんてことがあったら、そりゃあびっくりする。私は運転席の男性の顔を確かめずにはいられないだろう。
とは思うものの、隣人に目撃されるリスクを冒してまで「好きな女の子とのドライブ」を実現しようとするところにいじらしさを感じてしまう。

ダッチワイフを買う男っていったいどんなのよ、と珍獣でも眺めるような気分で読みはじめた日記だったが、いつしか「この男性、幸せになるといいけどな」と思うようになっていた。


ラブドールを注文した日からはじまったこのブログは丸一年で、驚くべき結末で幕を閉じる。
私は題材がかなりキワモノであるにもかかわらず、どうしてすがすがしく読み通すことができたのかを考えてみた。

それは、「あちらの世界の住人」が書いたものでなかったからだ。
「ラブドールと“暮らして”いる時点ですでにイッちゃってるじゃないか」と見る向きもあろうが、私は彼は「人間の世界」と「人形の世界」の境界に立っているのだと感じた。
自分をまともではないと思っていて、「僕はこのままでいい」と開き直ることができない。「ダメ人間が人形と悶々してるだけなんだ」といった自虐的なフレーズもしばしば登場する。「彼女と添い遂げることができるなら、僕が人形になりたい」とまで思いながらも、心の中にはやはり普通の恋がしたい、生身の女性に愛されたいという思いがあるのだ。
『電車男』を読んだことを後悔し、涙するくだりがある。

「二十代のキモヲタ、彼女いない歴=年齢の童貞。あなたは俺ですか?っていうくらい境遇も性格もそっくりなのに、この違いはなんなのだろう。読まずにいたら、『自分にもいつか好きだと言ってくれる女の子が現れるかもしれない』なんて無駄な希望を抱かないで済んだのに・・・」

こういう苦悩や葛藤がちゃんと存在していたから、私は蔑みの目を持たずに読むことができたのだと思う。


男性と菜々ちゃんの愛の日々がどうなったのか。
電車男も真っ青なハッピーエンドである・・・とだけ言っておこう。興味がおありの方は最終回をどうぞ。


2005年07月01日(金) 人形を愛した男(前編)

ところで、アクトロイド・さくらさんと話したあと(前回の日記はこちら)、
「それにしてもうまいことできてたなあ」
「浜崎あゆみのほうがよっぽど人工的な顔してるで」
なんて話を友人としながら、私はふと思った。

「あんなロボットが家にいたら、寂しくなくなるひとり暮らしの人もいるんじゃないかしら・・・」

仕事から疲れて帰宅すれば、「おかえり。今日はどんな一日だった?」とにっこり笑顔で迎えてくれる。話が長くなっても愚痴っぽくなっても嫌な顔ひとつせずに聞いてくれるだけでなく、アドバイスをしたり励ましたりもしてくれるに違いない。あのくらい言葉が通じたら、十分話し相手になる。
友人は「いくら会話ができても心がないから、所詮は動く人形や」と言うけれど、そうとも限らないのではないかなあと思う私。「心」を持たせる持たせないは、つまり彼女を「人形」にするか「人間」にするかはこちら次第、という気がするから。

以前いた会社でAIBOを飼っていたが、彼の近くを通るとき、多くの社員が頭をなでたり名前を呼んだりした。誰かがふざけて頭をコツンとやると、「やめなよ、かわいそうやん」という声が必ずあがった。歌を歌っているのを見て思わずこぼれた「おまえはのんきでいいねえ・・・」に、部屋中が笑いに包まれたこともある。
もちろん、あのAIBOを本物のライオンの子だなんて誰も思っちゃいない。しかし、壊れたからといってゴミ袋に投げ込むことができる者はいなかったのではないかと思う。

命ある生身の動物ではないから、心を持たないのはわかっている。が、その「ないもの」をあるかのように錯覚することはある。「アクトロイドがいたら、寂しさがまぎれる人もいるかも・・・」というのも、あれだけ表情や仕草にリアリティーがあったら、そういうことが起こりやすいのではないかという意味だ。
それにしても、こんなとりとめのないことを考えたのは、以前読んだあるブログを思い出したからである。


実は前回の日記をアップしてから、一通くらいは届くのではないかと期待していたコメントがある。どんな内容かというと、
「アクトロイドってラブドールと似てますね」
というものだ(ラブドール?なんじゃそりゃ?な方はこちら。・・・あ、職場のパソコンでご覧になっている方は注意)。

私はアクトロイドをひと目見て、「ややっ!」と思った。しかし、どなたのメールにもラブドールの「ラ」の字も入っていなかったということは、そんなことを思い浮かべるのは私くらいのものなのだろうか。

アクトロイド・さら菜々

(きわめて自然な連想だと思うんだけど・・・)

さて、日記読みをしていると、世の中にはいろいろな人がいるのだなあと思い知らされることがあるが、このラブドールと暮らす男性の日記を読んだときもかなりのショックを受けた。
いまの時代、セックスにタブーというものはほとんど存在しないような気がしている私だけれど、それはあくまで人間同士の行為の場合。人形相手となると話は別だ。ダッチワイフを購入する男性、なんて聞くと鳥肌を立てつつ、「アブナイ人」の烙印を十個も二十個も押したものである。
それなのに、どういうわけかその日記の書き手に対しては「うへえ、気色悪う!」という気持ちは起こらなかった。最初こそ「な、な、なんじゃこりゃあ・・・」と絶句したが、読み進めるうちに彼のけなげさに胸がきゅっとなることさえあったのだ。

「年齢=彼女いない歴」の二十代の男性がセックスの練習をするためにラブドールを購入したところから日記は始まる。
「菜々」と名づけたそれを当初はその目的で“使用”していたのであるが、ひとつ屋根の下で過ごすうち、男性の中で彼女が性処理人形から本物の女の子になっていく------という驚くべきストーリーなのだけれど、長くなったのでつづきは次回

【参考URL】 「正気ですかーッ 正気であればなんでもできる!(しょぼーん)」