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2005年08月31日(水) 湯けむり劇場

ドイツの土産を渡そうと友人に会ったら、彼女もお盆に旅行に行っていたという。
付き合いはじめて半年になる彼と箱根に二泊してきたらしい。ふだん忙しくしているふたりなので外出は近くの土産物屋をひやかすくらいにして、部屋でのんびり過ごしたのだそう。

それを聞いて、羨ましさで身悶えした私。なにを隠そう、私は過去に恋人と温泉に行ったことがないのだ。
長いこと、温泉は女同士で行くものだと思っていた。温泉旅行の醍醐味はなんといってもお湯に浸かりながらのおしゃべりだ。たいていの旅館には風呂がいくつもあるから、宿に着いたらまずひと浴び、食事の前にも寝る前にも入り、早起きして朝日を見ながらまた入る……という具合に、髪が乾く間がないくらいせっせとお湯をはしごする。これが楽しいのだ。
しかしながら、私には混浴の露天風呂に入る勇気はない。彼と出かけてもばらばらに入るしかないのである。それでは一緒に過ごす時間が少なくなってもったいない。
というわけで、恋人と行く旅行先にわざわざ温泉地を選ぶことはなかった。

そんな私が宗旨変えしたのはここ数年のこと。
混浴には相変わらず入れないが、時間制で貸し切りにできる“家族風呂”のある旅館が増えてきたし、二十代も後半になると自由になるお金もちょっぴり増える。露天風呂付きの部屋を視界に入れられるようになったからだ。
実は湯布院に、以前から「ぜひ一度行ってみたい」と憧れている旅館があるのだ。全室離れで、露天風呂付きという造り。
そう、いつでも好きなときにお湯に浸かれるのである、彼と一緒に。

* * * * *

「足元、お気をつけくださいね」
チェックインを済ませた私たちを仲居さんが案内してくれる。フロントのある本館から離れの部屋へは吊り橋を渡って行くのだ。わー、なんだかお忍びの宿って感じ。
念願叶って、彼と初めての温泉。この二日間は観光になんか出かけないで、ふたりでのんびり過ごすつもり。どうかすてきな部屋でありますように。

こちらでございます、と仲居さんが立ち止まったのは「美月」と札のかかった部屋……というより一軒の日本家屋の前。私たちは顔を見合わせ、感嘆の声をあげる。
「すごいね、完全にプライベートな空間だね!」
中に入ると、い草の香りのする純日本風の部屋。居間と寝室が別になっていて、とても広い。あ、掘りごたつもある!ここなら日常の喧騒を忘れて、うんとくつろげそうだ。

そのとき、「おいで、こっちにお風呂があるよ」と彼の弾んだ声。
部屋の一番奥、坪庭に縁側状にはり出した板の間に小ぶりの檜風呂を発見。ふたりで入るのにちょうどいい大きさだ。
「キャー!すてきすてき!」
明るいうちに由布岳を眺めながらもいいけれど、日が落ちてから飴色の灯りに包まれて虫の音を聞きながらっていうのもムーディーだろうなあ。のぼせても寝椅子があるから大丈夫……。
なんてことを仲居さんがいれてくれたお茶を飲みながら考える。ああ、どうしよう、期待で胸がパンクしそうよ。

夕食はもちろん部屋食だ。海の幸山の幸がテーブルに載りきらないほど並ぶ。その中には私たちが食べたことのない料理も。
「これ、なんのお刺身ですか?酢味噌で食べるってめずらしいですね」
「それは鯉のあらいでございます」
「へえ、これが……。じゃあこっちのたたきみたいなのは?」
「馬刺しでございます」
生の獣肉は食べたことがない。焼肉屋でも生レバーはいつもパスだもの。恐る恐る口に入れると……うん、柔らかくておいしいっ。
自家製の果実酒もございますよ、と仲居さん。へえ、おいしそう。お酒はあんまり飲めないけど、ちょっとだけいただこうかな?
「うん、酔っちゃってもいいよ。今日はどこにも帰らなくていいんだから」
ううっ、幸せ……。

食事の後、渓流のほとりを散歩して戻ってきたら、手前の十畳の和室に布団が敷かれていた。二組の布団がぴったりくっついているのに気づいたけれど、照れ屋の私はなんでもないふり。テーブルの上に見つけたおにぎりに話を持って行く。
「お夜食にどうぞ、だって」
「あは、だけどもうおなかいっぱいだよね」
「うん。……あれ?」

ふと見ると、浴衣があらたに二枚増えている。ふたりなのにどうして四枚もあるんだろう?
「それは寝巻き用だよ。こういうとこ来ると、日の高いうちからお風呂入って浴衣着るでしょ。で、散歩行ったりごはん食べたり。だから寝るときに着る分を別に用意してくれるんだよ」
「なるほどー」
男の人なのによく知ってるなあと感心したあと、ちらっと頭をよぎる。
「もしかして、昔誰かに教えてもらったのかな……」
首を振ってあわててかき消す。バカね、過去にやきもち焼いてどうするの。

部屋の奥から私を呼ぶ声がする。行ってみると、彼がお湯の温度をみているところだった。
その後ろ姿がなんだかとても愛しくて……。きゅっと抱きついたら彼は驚いたように振り返り、そしてちょっぴり照れくさそうに言った。
「いい湯加減だよ。入ろうか」
「うん」

湯けむりに包まれて、ふたりの夜は更けていったのでありました。


恋人と温泉に行ったことがあるという方、だいたいこんなところではなかったでしょうか。けっこういい線いっているのではないかと……えっ、ぜんぜん違う!?もっとアダルトバージョンだって?
そ、そうですか、それはどうも失礼しました(上に書いたのは、かつて私が見た夢です)。


2005年08月29日(月) 異性からもらって一番うれしい褒め言葉

ふと立ち寄った書店で、店頭に平積みされていた『大人力検定DX』という本が目に留まった。
著者によると、「大人力」とは“無難”を選択して世の中をスムーズ、かつスマートに渡っていく力。ビジネスや恋愛のシーンにおける「こういうときはこう対処しましょう、それが大人(=無難)というものです」を指南した、お遊び半分の男性向けマニュアル本だ。
千円も出して読むものではまったくないが、「よくまあこんなしょうもないこと考えつくなあ!」と言いたくなるようなことを大真面目に説いているあたりにシンパシーを感じ(なぜかしら……)、気がつくと平台の前でけっこうな時間を消費していた。

* * * * *

さて、その検定問題の中にこういう設問があった。

付き合って初めてセックスした彼女が終わった後、「私、こんなに感じたの初めて……」と言った。どう受け止めるべきか。

  A. 「フフフ、俺のテクもなかなかのもんだぜ」
  B. 「次は今日以上に頑張らなくっちゃ」
  C. 「いつもこう言ってるのかな」
  D. 「なーんだ、処女じゃなかったのか」



大人力を測るためのテストであることを思えば、正解が「B」であることはすぐにわかる。著者曰く、「お世辞にせよ本音にせよ、彼女の期待を察知してさらに闘志を燃やすのが大人の男の向上心というもの」だそう。
しかし、もし問題文が「どう受け止めるべきか」ではなく「あなたならどう受け止めるか」であったなら、答えは違ってくるという男性は少なくないのではないだろうか。

解説の冒頭が「男と生まれたからには、死ぬまでに一度でいいから女性からこのセリフを言われてみたいものだ」という一文だったのであるが、実はこれ、女の私にとっても「一度くらい言ってみたいものだ」なセリフである。
といっても、「は〜あ、いっぺんくらい言わせてもらいたいもんだわね」といった皮肉な意味ではない。過去にお付き合いした何人かの男性の名誉のために言っておくと、そんなことを囁きたくなったこともなかったわけではない。
ではどうして口にしたことがないか。
「言ったところで信じてもらえるのかなあ?」と考えてしまうからである。


「もっとも望ましいのはB。しかし、夢見る年頃を過ぎた男はCのような思いをよぎらせてしまうかもしれない」
と著者は言う。たしかに、その場面で「リップサービスかも?」をちらっとも思い浮かべない男性はそういないのではないか、と私も思う。「そうか、俺が一番よかったか!」とホクホクできるとしたら、よほどの自信家か能天気な人ではないかしら……。
それよりも、「及第点はもらえたんだな、ホッ」くらいに少し割り引いて受け取る男性のほうがずっと多そうだ。

どうしてそんなに慎重なのか。
人は三十年も生きていると、この世にはそうそう“初めて”や“一番”は存在しないということを知ってしまうから。
「○○なのは、あなたが初めて」とか「君がいままでで一番、○○だ」というのはベッドの上でのことに限らず、恋愛中には時々口にしたくなる言葉であるが、紛れもない事実や本音であっても、額面通りに信じてもらうのはなかなかむずかしい。「そう言いたくなるくらいうれしかったんだな、よかったんだな」とは思ってもらえても。

そんなわけで、そのセリフを思い浮かべることがあっても呑み込んできた私。照れくささや「他の人を引き合いに出して褒めるっていうのもちょっとあれかな……」という思いも手伝って、一度もそれを言ったことがない。
そしてこの先も、きっと言えない。


褒めるといえば、以前ある男性が「私にとって女性に言われて一番うれしい褒め言葉は、『抱いて』ですね」とおっしゃった。それほど男を認めている言葉はない、と。
非常に納得したのであるが、逆パターンは成立しがたいのが面白い。女性が男性に「君を抱きたい」と言われても、褒め言葉であるとは限らない。場合によっては、「バカにしないでよ!」と平手打ちをお見舞いしたくなることもありうる。

では、私にとって最高の褒め言葉は何かというと。
「君が好き」
これほどスケールの大きな褒め言葉を他に知らない。
そういえばしばらく聞いてないなあ……。


2005年08月26日(金) その乳首にもの申す!

私が日本の女性の美点であるなあと思っているのは、「見せてもよいもの」と「見せてはいけないもの」の線引きがきっちりなされていることである。
日本の女性にとって「見せてはいけないもの」とは、ブラジャーのストラップや胸の谷間、ローライズのパンツの腰からのぞくお尻だけではない。
二の腕がぶよぶよしている人はノースリーブを着ないし、ぽっちゃりした女子高生のスカート丈は他の女の子より長めだ。薄着の季節は普段以上にむだ毛の手入れに気を遣うし、パンティーラインを消すためにTバックを履いたりもする。

女性がそういうことを意識するのが当たり前の国に住む私の目に、ドイツの女性がノーブラで堂々と街を歩いている光景はかなり驚きだった。

* * * * *

日本の女性はブラジャーをつけられない服を着るときは「ニップレス」でバストトップを隠すが、あちらの女性にとってそれはなにがなんでも隠さなくてはならないものではないらしい。
ぴったりした服を着て乳首を浮き彫りにしている女性を見かけるたび、私の目は一点に・・・いや、二点に釘づけになったものだ。

「恥ずかしくないんですかああっっ」
と声を大にして訊きたいところであるが、彼女たちが平気な理由が「無頓着」であるとするなら、理解できないことはない。脇の手入れをせずにノースリーブを着られる人たちだもの、きっと細かいことは気にしないのだろう(私たちにとってはちっとも細かいことではないけれど)と解釈しようと思う。
しかし、実際には「それに羞恥を感じない」どころの話でなく、「ニップルエンハンサー」なる“つけ乳首”を装着してさらに目立たせようとする人もいるのだから、私の理解可能な範疇を超えている。
たしかに、




より、




のほうがセクシーではある。だから、マリリン・モンローがブラジャーのカップに小さなボタンを縫いつけていたというエピソードにはなるほどと頷くことができる。
しかし、普通の女性が同じことをしているというのには、ううむと考え込まずにいられない。それって“素敵”か・・・?

突起を強調するだけでは飽き足らず、乳輪まで透かして見せちゃおう!という濃い茶色タイプのものまで売られているが、あちらの男性はここまでする女性をどのように見ているのだろうか。
ノーブラの女性の胸がツンと上を向いているのを見たら、やはりどきっとするのかもしれない。ぱっと見ではその真贋を判別することはできないから。
しかし、ブラジャーをしているのにそういう状態だったら、どう考えてもつけ乳首である。それでも魅力的に感じるものなのだろうか。服の下を想像したら、かなり滑稽な絵だと思うのだけれど・・・。
以前、ブラジャーにパッドを入れて実物より胸を大きく見せようとする女性の心理について日記に書いたら、ある男性が「僕たち男がバストの“水増し”反対を訴えるのは、脱がせたときに失望させられたくないからだ」とおっしゃった。
その論理に則るなら、「男の目をあざむくつけ乳首なんてけしくりからん」ということになるけれど、欧米の男性と日本の男性とでは思考回路が違っていそうな気もする。シャラポワのあれが本物か偽物か知らないが、もし後者だったら、日本の男性は本気でがっかりしそうだ。


ところで、ニップルエンハンサーを装着してデートに臨み、彼といい雰囲気になったとする。私だったらこんなバカバカしい細工をしていることは絶対に知られたくないから、彼の目に触れる前になんとしても取り外さねばと考えるが、欧米の女性たちはどうなんだろう?もし同じくだとしたら、万が一そのタイミングを逸したときは死ぬほど恥ずかしい思いをするのではないだろうか。
自前の乳首の上に装着していたのならまだいい。ブラジャーの上から、しかも見栄を張って本来よりも上めにつけたりなんかしていたら(通販のサイトにはつけ乳首の利点として、“位置”を修正できることが挙げられている)、私ならその場で舌を噛み切ってしまいたくなるだろう。


冒頭に書いたように、日本の女性は「みっともない」「はしたない」に敏感で、欧米の女性に比べたら露出も控えめである。とはいえ、若い人たちのファッションは年々大胆になっている。
「おいっ、おまえパンツ見えてるぞ!」
「いーのいーの、これ、見せパンだから」
という展開はすでにありえるが、近い将来、
「げっ、おまえ乳首透けてるぞ!」
「へーきへーき、これ、ツケチクだから」
なんて会話が成り立つ日がやってくるのではあるまいな。

ダミーであろうが、恥ずかしいもんは恥ずかしい。たとえそんな時代がきても私にはとても無理であるが、あなたはどうだろう。
奥さんや恋人がバストトップを尖らせて街を歩くのを「まあ、生乳首じゃないしな」と理解を示すことはできそうか。


2005年08月24日(水) “So what?”

※ 「恥じらいのポイント」を未読の方はぜひこちらから。

前回のテキストの中で、私はブラジャーにまつわる疑問をふたつ書いた。
ひとつは、巷で大流行している透明のビニールブラ紐について。
「どういう役割を期待して、女性があれをつけるのかがわからない。ストラップを見せたくないという理由であれば、どうしてストラップレスのブラジャーにしないのか。逆に、見えてもかまわないと思っているのであれば、透明などにせず見せブラをつければよいではないか」

すると、こんなメールが届いた。
「私はサイズがあるので、ストラップレスのブラではバストの重みに耐えられないのです」
グラマーな人はホールド力の問題でストラップレスはつけられない、ということだったのである。
なるほど、そうだったのかあ!と膝を打ったあと、うなだれる。そんな可能性、まるで思い浮かばなかったワ・・・。

また、見せブラにせず、あえて透明ストラップを選ぶ理由については「見せブラのストラップはおしゃれなだけに、服とのコーディネートがむずかしい」とのこと。これにもおおいに納得した私。
そうか、目立ちにくいとはいえ下着は下着、迷わずストラップレスを選んできた私はそれについて深く考えたことがなかったけれど、透明ストラップを使っている女性たちはちゃんといろいろ考えていたのね。
これからは街で見かけても「色気のないもんつけちゃって・・・」などと意地の悪いことを思わず、温かい目で見守ることにします、うん。
ちなみに、男性が透明ストラップをどう見ているかというと、パンチラと違って眼福を感じるという方はゼロ、「肩に食い込んでて痛そう」「皮膚がズルッと擦りむけそう」「かぶれそう」とみなさん少々心配そうであった。


そしてもうひとつ、「欧米の女性には、ブラジャーのストラップは隠すものという認識はないのか?」には、男性から「たぶんないと思います」というメールをいただいた。
その方は生まれも育ちもアメリカの帰国子女の女性と付き合っていたとき、彼女からこんな話を聞いたことがあるという。
「日本に来てから、よく友達に『ブラの肩紐、見えてるよ』って言われるけど、私にしたら“So what?”。親切心で教えてくれてるっていうのはわかってるけど、アメリカではとくに隠すものではなかったし、いちいち指摘されるのは鬱陶しい」

この、彼女の“So what?”(「だから何?」)というセリフが前回のテキストに書いたことすべてに見事に答えてくれているではないか。
妙齢の女性までもが下着、ときにはその“中身”を見せて平気な顔をしているのが不可解でならなかったのだが、そういうことだったのである。


ところで、海外で暮らしておられる方からもいくつかメールをいただいたのだけれど、それらに下着丸出しの件以外にもうひとつ、「目のやり場に困ります」「同性として恥ずかしい」と書かれていた事柄があった。
実は私も今回の旅のあいだにそういう女性をそこここで見かけ、「なんだありゃ!」とびっくりしていたのだ。

「文化の違い」というひとことでは片づけがたいそれについては、ちょっと恥ずかしいけど書かぬわけにはいきますまい。私が書かずして誰が書く?(そんなあほな話・・・)
というわけで、次回

【参照過去ログ】 2005年8月22日付 「恥じらいのポイント」


2005年08月22日(月) 恥じらいのポイント

どんな行為を恥ずかしいこと、好ましくないこととしてタブーとするか。作法や行儀の良し悪しの判断は、所変わればずいぶん違う。

先日、テレビを見ていて驚いた。イギリス人の女性報道記者がブレア首相にインタビューをしていたのだけれど、その間ずっと彼女は足を組んでいたのである。
そういえば故ダイアナ妃が公式の場で足を組んでいる姿を何度か見たことがあったなあと思い出す。
日本ではあらたまった席や年齢、立場が上の人と話すときに足を組むのは非常識なこととされているから、部下が足を組んだまま上司の話を聞くことはないし、もしニュース番組のキャスターがそうして原稿を読んだら、視聴者から抗議の電話が殺到するに違いない。雅子さまが公務中に足を組んでいる姿はちょっと想像できない。
イギリスでは、それは相手に対して礼を欠いた行為ではないということだろう。

あるいは。片膝を立て食器を持たずに食事をしている女性がいたら、「なんて行儀の悪い!」とびっくりするが、韓国ではそれがマナーにかなった食べ方である。私たちは右手に箸、左手に茶碗を持って食べなさいと躾られたが、お隣りの国ではそれは無作法であるとみなされる。
同様に、ものを食べながら街を歩いたり公衆の面前でキスをしたりということも、日本では眉をひそめられる行為であるが、欧米ではどうということもないのだろう。
なにを正しい、好ましい、美しいと感じるかは文化や生活習慣に因り、万国共通ではないのだ。

……ということは重々承知しているつもりなのであるが。


前回、「欧米の女性は日焼けを恐れないらしい」と書いたが、そのこととも無関係ではないだろう、この時期に海外に行くと、街行く女性たちの露出度の高さに唖然としてしまう。
からっとしてはいるものの、ヨーロッパの夏も相当暑い。薄着になるのは当然なのであるが、しかしドイツでは「暑けりゃどんな格好してもええんかっ?」と突っ込みを入れたくなることが少なくなかった。

今回の旅であらためて確認したのは、欧米の女性と日本の女性とでは恥じらいを感じるポイントが違うということである。
たとえば、あちらの女性は下着を見られることに対する抵抗がかなり少ないのではないだろうか。
襟ぐりの大きく開いたTシャツやキャミソールを着ているのに、みな普通のブラジャーをしている。見せブラでもなんでもない、ベージュや薄ピンクのブラジャーのストラップをまともに見せており、私はううむと唸る。
「彼女たちには『肩紐は隠すもの』という意識がないのだろうか……」

ところで、最近日本では肩を出す格好をしている女性が透明のビニールブラ紐をしているのをよく見かけるが、私はつねづね不思議に思っていた。
彼女はストラップを見せたいと思ってそうしているのか、それとも見せまいと思っているのか。あのブラ紐をつけることでどうしたいと考えているのかがまるでわからないのだ。
見せたい、あるいは見えてもいいと思っているのなら、透明にする必要などないだろう。おしゃれな見せブラをつければいい話である。もし見せたくないのであれば、どうしてストラップレスのブラジャーにしないのか。それとも「透明なら見えないだろう」と思っているのだろうか。
あのビニールの肩紐は、見せるためのものにしては安っぽくて色気がないし、隠すためのものだとしたら中途半端。私にとって「ようわからんなあー」な代物である。

しかしながら、海の向こうの女性たちが「いかにも下着です」なブラジャーのストラップを平気で見せている中にいると、見せようとしてであれ見せまいとしてであれ、“下着を見られること”に気を配っているだけ透明ブラ紐を使う女性のほうがずっといいなあと思えてくる。

* * * * *

下着のみならず、その“中身”を見られることに対しても、日本の女性と比べたら羞恥を感じることが少ないのではないかとも思った。
海の向こうでもローライズのパンツが大流行していたが、イスに座ったり自転車に乗ったりしている女性がお尻のかなり深いところまでのぞかせていることがしばしばあった。
また、あちらの女性はたいてい胸が大きいが、その深い谷間を隠そうとはしない。とはいえ、「どう、すごいでしょ」と自慢しているわけでもなさそう。ただ無頓着なだけという感じなのだ。

日本人はあまりに肌を露出したり体の線を強調したりした格好をすることに、はしたなさを感じる。ファッションを見ていると中国や韓国の女性も私たちと近い価値観を持っているのではないかという気がするのだが、欧米の女性にはそういう感覚がないのではないだろうか。

これは文化の違いだから、どちらが好ましい、好ましくないという話ではない……けれど。
先日来日したチェ・ジウが報道陣にお辞儀をするとき、胸元にすっと手を持っていくのを見た。前かがみになって谷間がのぞくのを気にしてのことであろうが、こういう仕草が無意識に出る女性に安心感のようなものを覚える私だ。 (つづく


2005年08月19日(金) 外国人はどうして日傘をささないの?

海外を旅行していて不便だなあと思うことはいろいろあるけれど、私がその筆頭に挙げたいのは「日傘をさしづらいこと」である。

というのは、あちらでは誰もさしていないから。
以前北欧に行ったとき、あまりの暑さに驚いた。熱波がヨーロッパを襲い、一万五千人が亡くなった一昨年の夏のことだ。まさに身の危険を感じるような強烈な日差しで、私はもちろん日傘をさして街を歩いたのだけれど、デンマークでもノルウェーでも、見知らぬ人に「雨が降っているのか?」と声を掛けられたのである。
向こうから歩いてくる人がちらっと空を見やり、すれ違いざまに怪訝な顔をしたことは数えきれない。どうも日光を遮るためにそうしているということがわからないようなのだが、「日傘」は日本だけのものなんだろうか。

そんなわけで、海外ではあまりささないのだけれど、私は不思議でしかたがない。アメリカでもヨーロッパでもオーストラリアでも、街行く女性が日傘をさしているのを見たことがないが、彼女たちはどうしてああも太陽の下で無防備でいられるのだろう?
この時期、日本では日傘をささずに外を歩いている女性のほうが少ない。大阪のオバチャンなんて、「さすべえ」を使ってまでそれを手放そうとしないではないか。
それなのに、メラニン色素が少なく私たちよりずっと紫外線のダメージを受けやすい肌をしている白人女性が、どうしてその対策に頓着しないのだろうか。

私にとって、日焼けは太ることよりずっと怖い。
なぜなら、暴飲暴食をして二、三キロ太ったところでダイエットをすれば元に戻せるが、日焼けはそうはいかない。たとえ十年間完璧に紫外線対策をし、肌を守り抜いてきていても、たった一日の油断やうっかりがいとも簡単にその努力を水の泡にしてしまうからである。できてしまったシミやそばかすはちょっとやそっとのことでは消えてくれないのだ。
だから、私はSPF50のサンスクリーンをつけている日でも無駄に日なたにはいない。外国では夏でもオープンカフェで日光を燦々と浴びながらお茶を飲んだり、芝生に寝転がったりしている人をよく見かけるが、そのたび「そんなことしてて大丈夫なんですかあっ」と心の中で叫ぶ。

十年前、初めてアメリカに行ったとき、街行く女性の剥き出しになった肩や二の腕を見て、「そばかすって顔以外の場所にもできるのか!」とものすごいショックを受けたことを思い出す。
欧米人のように顔は小さくないし腰の位置も高くないけれど、日本人女性の肌の美しさは世界に誇れるものだと思う。

* * * * *

今回の旅でもうひとつ、あちらの女性との感覚の違いを痛感したことがあったのだけれど、それは次回。


2005年08月18日(木) はしたない妻でごめんなさい

みなさま、楽しいお盆をお過ごしになりましたか?(昨日フライングしたので)あらためて、ただいま帰りました、小町です。
レンタカーでめぐる気ままな旅。昨年のスイスでは九百八十キロ走ったのだけれど、今年は同じ八日間で二千五百キロ。
どうしてこんな距離を走ることができたのかというと、ドイツのアウトバーン(高速道路)には制限速度がないから。二百キロで走っていてもどんどん抜かれてしまうという、この不思議。「あの人たち、いったい何キロ出してるわけ・・・」と何度つぶやいたことか。
そんなところを走りつづけたものだから、旅の終わりにはカーブの手前で百キロくらいに減速するとものすごくスローモーに感じられるくらい、スピードの感覚が狂ってしまった。


さてさて。書きたいことは山ほどあれど、真っ先に報告したいなあと私が思い浮かべるのは、食べ物の話だ。
私は出発前の日記に「ドイツにはじゃがいも料理ばかりで、おいしいものが少ないらしい」と書いた。が、それは大いなる誤解であった。
たとえば、プレッツェル。ひらがなの「め」のような形をしたパンなのだけれど、中はもちもち、皮には岩塩がまぶしてあってとてもおいしい。ミュンヘンで「ホーフブロイハウス」という有名なビアホールに行ったら、客はこのプレッツェルを食べながらジョッキ(一リットル入りだ!)を傾けていた。
えっ、パンとビールを一緒に?とかなり驚いたが、いや、あの塩味は案外合いそうだと思い直す。

そうそう、ドイツの料理は全般的に塩分がかなり強いのだけれど、ビールをおいしく飲むための味つけなのかもしれない。
なんせ国民ひとりあたりの年間ビール消費量が百三十リットルという国なのだ。日本で道端でビールを飲んでいる人がいたら、「酔っ払いか?」とぎょっとするが、かの地ではありふれた風景である。

じゃあさぞかしたくさん飲んできたんでしょうね、って?
そうしたいのは山々だったのだけれど・・・。
見かけによらず私はお酒に弱い。少量で酔ってしまうという意味だけでなく、味がわからないのだ。せっかくここまで来たんだもの、と一応注文はしてみるのだけれど、おいしさというものが実感できない。これにはかなりせつないものがあったなあ。
夫が毎晩本当にうれしそうに飲んでいるのを見て、生まれて初めて、飲めないことを残念に思った。

* * * * *

というわけで、飲むのは夫にまかせ、食べるほうに専念する。
ある日記書きさんから、ケルンの大聖堂の近くのビアレストランにネタになるくらい巨大なソーセージがあるという情報をもらっていたので、さっそく出かけた。
・・・のであるが、ドイツ語は難解でメニューとにらめっこしてもどれがそれなのかわからない。店の人に英語で訊いてみることにした。

「このお店の名物ソーセージはどれですか?」

すると、いかにも“ビール腹”をしたおじさんはしばらく考える素振りを見せてから、ある一行を指差した。
「名物」と言えば即答してくれるだろうと思っていたのに、なんだかちょっと心許ない。ここまで来て、間違ったものを注文するわけにはいかない。ちゃんと確認しておいたほうがよさそうだ。

「それは大きいですか?」

しかし、どういうわけか、おじさんはこんな簡単な質問にも小首を傾げる。
いくら私の発音がひどくったって、このくらい通じそうなものなのに・・・。まどろっこしくなった私は思わず言った。

「この店で一番太くて、長いソーセージをください!」

その露骨な表現がよかったのか、おじさんはようやくわかってくれたらしく、今度は自信ありげにさきほどとは別の欄を指差した。

はたして出てきたソーセージは直径四センチ、長さは三十センチほどもある超ビッグなもの。話に聞いていたのは間違いなくこれだろう。
思わず「まああっ、なんて立派な。こんなの見たことないわ!」と感嘆の声をあげたら、なにを思ったのか、夫はちょっと嫌そうな顔をした。


2005年08月17日(水) 雲の上から更新

「行き帰りの飛行機でタバコを我慢できないから、海外旅行に行けなくなった」なんて話を聞くと、非喫煙者の私は「情けないわね、たかが十何時間の話じゃないの」と思うのだけれど、きっとそれと同じに、ネットに興味のない人は旅行中の私の「ああ、パソコンに触りたいー!」という魂の叫びにも首を傾げるのだろうなあ。

しかし、重症のネット中毒患者にとって二週間近くもパソコンとご無沙汰の状態がつづくというのは、(わかる人にはわかってもらえると思うけれど)精神的にかなり窮屈なものがある。
なにも旅行中にも日記を書きたいと言っているわけではない。ただ、三、四日にいっぺんメールをチェックすることができたらどんなに心安らかに旅ができるだろう、というささやかな願いなのだ。昨日の夜からは禁断症状が出て、手がぶるぶる震えてきたくらいである。

……というのはまあ冗談だけれど、でもネットが恋しかったのは本当なので、「次回の更新は十八日」の予告をフライングして、いまシベリアの上空三万三千フィートのところでこれを書いている。
帰りの飛行機の中にネット環境があるというのは、私にとって機内食で蕎麦や寿司が出るより何十倍もうれしい。水を得た魚状態でキーボードをばちばち叩いている私をどうぞご想像ください。
とはいうものの、周囲に人がいるところではふだんのようにはとても書けそうにないので(しかも夫が隣に座っているのだ、隠密に事を運ばねばならない)、今日は雑談にお付き合いくださいませ。

* * * * *

飛行機にはちょくちょく乗る機会があるが、いつもとても緊張する。
車や電車と比較すると圧倒的に安全性が高い乗り物だというけれど、いかに少ない確率であってもひとたび事故が起こるとほとんど助からない、というのが怖い。夫は出張で年間八十回飛行機に乗る人だけれど、私はひとりで出かけるときはできるだけ新幹線を使う。このあいだのJRの脱線事故のようなことがあってもやはり、水や空の上より地面に近いところにいたいと思う。

フランクフルトからロンドンへは空路で移動したのだけれど、乗り込むとき、飛行機に異常に詳しい夫が無邪気に言った。
「これ、昨日アテネで墜落したキプロス機と同じ型の飛行機だよ」
「…………。」
以前、マイアミから戻る飛行機に乗り込み離陸を待っていると、若い夫婦が連れた赤ちゃんが火がついたように泣きだしたことがあった。そのとき私は「ウナギが地震を察知するように、この赤ちゃんも動物的な勘で不吉ななにかを予感したのではないか」と本当に恐ろしくなり、赤ちゃんと一緒に泣きたくなった。そのくらい怖がりなのに、まったく余計なことを。
もちろん何事もなくロンドンに到着したから、いまこうして帰国の途につけているわけだけれど、あんなボロくて小さくて、しかも自由席の飛行機なんて初めて乗ったわ。


……とここまで書いたところで、室内の電気が消えました。日本は朝の八時半ですが、いま私がいる場所は消灯時間みたいです。
さっきごはん食べたばかりなのに太るじゃないか。しかたがない、ちょっと寝るか(いまからお仕事の方、すみません)。

そうそう。ラブレター・フロム・ドイツですが、無事すべての方にお送りすることができました。あらためて、リクエストありがとう!
早い時期に投函した方からはもう届いたと報告があり、驚いています。中国から送ったときなんて二週間くらいかかったのもあったのになあ。
今回はホテルのフロントに預けるということをせず、全部郵便局に持って行ったので大丈夫かとは思いますが、もし一週間経っても届かなかったら教えてくださいね。


2005年08月03日(水) メールでよく言われること(其の二)〜イメージのギャップ

日記書きさんからいただいたメールを読みながら、「あれっ」と思うことがある。
そのあとにつづくのは、「○○さんてこんな人だったっけ・・・?」。日記からイメージしていたその人と、メールの文面から伝わってくるその人のキャラがちょっと違うような気がするなあ、ということなのだけれど、かく言う私も人にそう感じさせるタイプであるらしい。「テキストとメールではぜんぜん印象が違う」とよく言われる。

先日、ある人から届いたメールに面白いことが書いてあった。その少し前に私が送ったメールを読んで、ひどく照れてしまったというのだ。
ある事柄を描写した一文が原因らしい。「発想が、その・・・なんか読んでて恥ずかしいようなでして。赤面してしまうような、そんな気持ちになってしまいました」ともごもごおっしゃる。
しかし、べつにエッチな連想をさせるようなことを書いた覚えもない。彼がいったいなにに反応しているのかわからず、尋ねたところ、
「サイトのイメージからは想像できない、女の子的というか乙女チックなものを感じたから」
という答えが返ってきた。
何度読み返しても私にとってはなんということのない表現で、ぴんとこなかったのだけれど、
「たとえるなら、部下を何人も使ってバリバリ仕事をしているキャリアウーマンが、会社帰りにUFOキャッチャーでぬいぐるみを取ろうと一生懸命になっているのを見てしまったときに感じるであろう、恥ずかしさ」
と説明されて、その気分の正体がわかったような気がした。「らしくない顔」をうっかり知ってしまったことからくるバツの悪さというか戸惑いが主成分なのではないだろうか。

* * * * *

「恐る恐るメールしました」とか「最初の頃、男の人が書いていると思ってました」と言われるところを見ると、私が読み手の方から柔和なイメージを持たれていないことは間違いなさそうである。
自分では「このweb日記界に私ほどフレンドリーでサービス精神に満ちあふれた日記書きはいないのではないか」と思っているのだけれど、どうも私の文章にはそういうことが表れにくいみたいだ。実に残念。

よし、せっかくだからこの機会に宣伝しておくか。
こう見えて、私って(意外と)チャーミングなのよ。可愛いところも(いくらかは)あるんですからね。世間にはあんまり知られてないみたいだけどさ・・・(ブツブツ)。


さて、突然話は変わりますが、『われ思ふ ゆえに・・・』はしばらくお休みをいただきます。あさってから旅行に出かけるためです。
昨日、同僚にどこに行くのと訊かれ、「フランクフルトに着いて、帰りはロンドンからってことしか決めてない」と言ったら、ものすごくびっくりされてしまった。

「えっ、ホテルは?」
「取ってない。でもレンタカーの予約はしてるからだいじょうぶ」
「車で寝るの!?」
「・・・んなあほな。行った先々でどっか見つけて泊まるよ」

うちの旅行はいつもこう、行けばなんとでもなるものだ。

というわけで、例のアレ、今年もやります。
・・・と言って、いま何人の方が「ああ、アレね」と相槌を打ってくださったかわかりませんが、絵ハガキ企画第五弾となる今回は(一応)ドイツです。
古城のある風景をたっぷり見てこよう、じゃがいも料理ばかりで美味しいものが少ないと聞くけれど、村上春樹さんのエッセイに出てきた「ウィンナ・シュニッツェル」(付け合わせはもちろんヌードル)は食べてくるぞ、あ、せっかくだからビールも、なんて思っています。

「旅のレポート、読んでやってもいいぞ」というあなた、どうぞメールで必要事項をお知らせください!あちらからあなたのご自宅のポストにラブレターをお届けいたします。
寝る前に毎日四、五枚ずつ書こうと思っていますので、掛けることの日数分のリクエストをいただいた時点で受け付けおしまい、です。

これが出発前の最後の更新になるかもしれないので、あいさつしておこうかな。
みなさまもどうぞ楽しい夏休みを。十八日に元気にお会いしましょう!

(絵ハガキの受け付けは終了しました。たくさんのリクエスト、本当にありがとうございました!)


2005年08月01日(月) メールでよく言われること(其の一)〜日記書きの所要時間

自分で言うのもなんだけれど、読み手の方からわりとメールをいただける。
サイトにコメント機能がないからというのもあるだろうし、確実に返事が届くので、それを楽しみにしてくれている人もいらっしゃるかもしれない。なんにせよ、うれしい。

さて、それらのメールの中でよく言われることがいくつかある。今回と次回はそれについて。


ひとつは、「いつもどのくらいの時間をかけて書いているんですか?」というもの。
「同じ日記書きとして興味があります」「よくその頻度でそれだけの長文が書けますね」といったことをしばしば言われ、苦笑してしまう。
というのは、日記リンク集の更新報告リストを眺めていると、複数の日記を持っていたり一日に何度も更新したりしている人が少なくない。私にも「あなたのその生活のいったいどこにそんな時間があるんですかっ」と問い詰めたい衝動に駆られる書き手が何人かいるのであるが、それは必ずしも感嘆のニュアンスではない。むしろ、「この人、まじめに仕事してんのかな」「家庭生活に支障きたしていそう」といったものである場合が多いのだ。
が、どうやらこの私も「仕事や家事そっちのけでパソコンしてるんじゃないの」と読み手に思わせる日記書きのひとりであるらしい。

この話は過去に一度したことがある。一年以上前のことであるが、覚えておいでの方は・・・ハイ、もちろんいませんね(たまに恐るべき記憶力をお持ちの方がいて、驚愕することがあるけれど)。
あれから読み手もずいぶん入れ替わっているであろうし、何食わぬ顔をして書いちゃおう。

「どうやってその時間を捻出しているんですか」と言われると、「仕事の関係で夫が留守がちなので、自分のために使える時間はけっこうあるんです。それに毎日更新じゃないですし」と答えるのであるが、つづいて具体的な所要時間を訊かれると、ぐっと歯切れが悪くなる。
それは私にとって非常に答えづらい質問なのだ。なぜって?恥ずかしいから。
「遅筆」「神経質」「長文しか書けない」という三重苦のため、やたら時間がかかる。だから日常生活を侵食せぬよう、更新は週三回と決めている。
そして時間をたっぷり使わないと書けないことは、私にとってささやかなコンプレックスなのである。だから太っている女性が体重を秘密にしたがるように、私もまたそれを教えることができない。

しかしながら、この問いにまともに答えられないのは私だけではなさそうだ。
そう私が思うのは、これまで何人もの日記書きさんに所要時間を訊いてきたけれど、彼らの答えがいつも私の目算の半分以下だからである。
日記の読み書きというのは料理と同じで、食べるのはあっという間だが、作るのにはその何倍もの時間がかかる。私も“料理人”の端くれだから、他の人が作った料理を食べても、食材の調達や調理にかかった労力がどれほどのものであるか、だいたいの見当はつく。
しかし、どう少なく見積もっても一時間はかかるだろうと思われるテキストを、人は「三十分くらいかな」と言うのである。とても信じられない。

女性は化粧にかける時間を訊かれると、つい短めに答えてしまうものだ。「キレイですね」とは言われたいが、抜かりなく化粧していることは知られたくない。どうせなら素材の良さだと思わせたいし、万が一にも「ふうん、でもそれだけ念を入れているわりには・・・」とは思われたくないから。
日記書きの所要時間についても同じ心理が働いて、さばを読んでしまうのではないだろうか。同じ成果なら「ねじりハチマキして書きました」というより、「さらっと書き上げました」な顔をしていたほうが文才があるみたいでかっこいいもの。

* * * * *

というふうに分析しているのだけれど、どうだろうか。
まあそれはともかく、「日記書きさんに100の質問」の回答を見ると、十五分とか二十分と答えている人が多いが、その時間では推敲もできない私みたいなのは本当にスマートじゃない(こんなところで勘弁して・・・)。