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2005年07月04日(月) 人形を愛した男(後編)

※ 前編はこちら

「彼女ができたらあんなことしたい、こんなことしたい」を頭蓋骨からはみ出さんばかりに抱えた思春期の男の子が、その日を夢見て人知れずどのような修行を積んでいるのか。女の子は想像もしないけれど、いろいろとあるみたいだ。
十数年前、私が大学生の頃に『Bバージン』という恋愛漫画が流行った。女の子にまったく相手にされないデブで生物オタクの男の子が憧れの彼女に振り向いてもらおうとひたむきにがんばる様を描いた、男の成長譚とも言えるストーリーなのであるが、私の周囲には「あれで女心の掴み方を学んだ」「青春時代のバイブルだった」と証言する同年代の男性が何人かいる。

また、先日ある男性から届いたメールの中には「若かりし頃、テディベアに姉貴のブラを装着させて(エッチのときの)練習をしていました」という一文があった。
えっ、ぬいぐるみでいったいなんの練習をするの?
ブラジャーをスマートに外すための練習だと聞かされたときは目から鱗が落ちた。
女の子が“その場”に備えてシミュレーションをするという話は聞いたことがない。せいぜい、枕相手にキスの練習をするくらいのものだろう(え、私だけ?)。
その代わり、ダイエットに励むとか勝負下着を準備するといったことに心を砕くわけだけれど。

“キムスコ”であった頃に、非モテでヤラハタ(=やらぬうちに二十歳になっちゃった)の主人公が苦悩しながら男になっていく過程に感動したり、ブラ外しの技をマスターせんとぬいぐるみとたわむれたりしていたのかと思うと、「男の人ってなんて可愛いんだろう!」と笑みがこぼれてしまう。

* * * * *

しかしながら、さすがに「Xデーに向けて、僕はラブドール相手に研鑽を積んでいます」というのは、明るくカミングアウトできることではないようだ。
前編の中で紹介したブログの書き手の男性は、ひとり暮らしをしている部屋に人が来るたび、「菜々ちゃん」を押し入れに隠す。
同僚に「実は○○さん、等身大の女の子の人形とか持ってたりして」と冗談を言われたときは、つい「それじゃ僕、変態じゃないですか。そんな気持ち悪いもん持ってないですよ」と言ってしまった。そして心の中でつぶやく。
「・・・ごめん菜々タン。体裁の為にひどいことを口走った俺を許して・・・」

ラブドールと暮らしていることを人に知られるのをそれほど恐怖している男性なのであるが、しかし菜々ちゃんへの愛ゆえに決死の大胆行動に出ることもある。
たとえば、「部屋の中にいるばかりでは飽きてしまうだろう」と彼女をドライブに連れ出すのだ。


AM 4:35
菜々タンを抱えて玄関を出る。通路に顔だけ出して、人がいない事を確認。小走りでエレベータに乗り込む。途中、人が乗り込んでこない事を必死に祈る。

AM 4:40
無事誰にも会わずに駐車場に到着。助手席のドアから菜々タンを座らせる。シートベルトを付けてあげて、エンジンをかける。出発。

AM 5:00
途中、何台かの車とすれ違う。菜々タンに気付かれていないかドキドキ。なんだか運転も不自然になってしまう。・・・でも、助手席に女の子が座ってる感覚って、かなり(*´∀`*)ムフーッ



歩いていて、ふと道端に停まっている車に目をやるとシートに人形が座っていた・・・なんてことがあったら、そりゃあびっくりする。私は運転席の男性の顔を確かめずにはいられないだろう。
とは思うものの、隣人に目撃されるリスクを冒してまで「好きな女の子とのドライブ」を実現しようとするところにいじらしさを感じてしまう。

ダッチワイフを買う男っていったいどんなのよ、と珍獣でも眺めるような気分で読みはじめた日記だったが、いつしか「この男性、幸せになるといいけどな」と思うようになっていた。


ラブドールを注文した日からはじまったこのブログは丸一年で、驚くべき結末で幕を閉じる。
私は題材がかなりキワモノであるにもかかわらず、どうしてすがすがしく読み通すことができたのかを考えてみた。

それは、「あちらの世界の住人」が書いたものでなかったからだ。
「ラブドールと“暮らして”いる時点ですでにイッちゃってるじゃないか」と見る向きもあろうが、私は彼は「人間の世界」と「人形の世界」の境界に立っているのだと感じた。
自分をまともではないと思っていて、「僕はこのままでいい」と開き直ることができない。「ダメ人間が人形と悶々してるだけなんだ」といった自虐的なフレーズもしばしば登場する。「彼女と添い遂げることができるなら、僕が人形になりたい」とまで思いながらも、心の中にはやはり普通の恋がしたい、生身の女性に愛されたいという思いがあるのだ。
『電車男』を読んだことを後悔し、涙するくだりがある。

「二十代のキモヲタ、彼女いない歴=年齢の童貞。あなたは俺ですか?っていうくらい境遇も性格もそっくりなのに、この違いはなんなのだろう。読まずにいたら、『自分にもいつか好きだと言ってくれる女の子が現れるかもしれない』なんて無駄な希望を抱かないで済んだのに・・・」

こういう苦悩や葛藤がちゃんと存在していたから、私は蔑みの目を持たずに読むことができたのだと思う。


男性と菜々ちゃんの愛の日々がどうなったのか。
電車男も真っ青なハッピーエンドである・・・とだけ言っておこう。興味がおありの方は最終回をどうぞ。