無責任賛歌
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| 2006年11月20日(月) |
まだ今一乗らない日々/舞台『EDDIE』 |
日記を再開して、たくさんの人から激励の言葉を頂いている。 やたら来訪者だけは多い日記だが、Google検索で来られる方ばかりなので、熱心な読者の方などはいないだろうと思っていたので、ありがたい限りである。 辛辣な批評を希望する方が多いのは、「お前らそんなに悪口が好きか」と思わないでもないが、批評が厳しくなるか甘くなるかは、以前も「その時次第」だった。 「ミクシィ癖」がまだ残っている現在は、「甘さ」の方がやや勝りぎみなのは、多少はお許しいただきたいところである。
ましてや今は、ワークショップの余韻で、時々アタマがホワイトアウトしてるし(笑)。
舞台『EDDIE』(劇団ing)。
エディ・タウンゼントを描くのなら、もっと若いころを舞台にすべきではないか、と思った。
晩年は既に功成り名を遂げた後の、誰もがエディを愛していた時代、本人にとってはドラマらしいドラマのない、あえて悪い言い方をするなら、エディの病気以外には盛り上がりようのないころの物語である。 若き日の、「混血」と馬鹿にされつつも無敗を続けていたボクサー時代、トレーナーに転身して力道山に見出され、日本に渡り、初の世界チャンピオンを育て上げるまでの方が、波瀾万丈なことは間違いない。 あえてドラマとして完成形を目指すことを避けて、最晩年のころに視点を絞ったのは、単純に取材が及ばなかっただけなのだろうか。 おそらくはそうではなく、実際にエディに育てられたボクサーたちが一様に感じていた、エディの優しさ――それをこそ舞台化してほしい、という思いに答えたためであろう。
したがって、演劇としては必ずしも賞賛しがたい、ある種の「甘さ」が散見していても――それを直接的に批判することは、いささか憚れてしまうのである。
ボクシングシーンは、役者がみな実際にジムに通い続けただけあって見応えがある。
【STAFF】 作・演出 …………………… 藤井 任 音 響 …………………… 山北舞台音響/今西工/中西梢 照 明 …………………… 梶ライティングデザイン/…アルテ・シェーナ
【CAST】 エディ・タウンゼント …… 藤井つとむ 井岡弘樹 …………………… 黒川進一 津田会長 …………………… 鈴木正勝 タウンゼント百合子 ……… 美奈瀬 杏 小林誠一 …………………… 大仁田 寛 小野一郎 …………………… 程野岳彦 松本 直 …………………… 熊坂欣太郎 津田麻美 …………………… 野口賀代 仲井たけし ………………… 羽田野啓輔 白石知佳 …………………… 錦織 舞
【STORY】 世界の頂点を極めた英雄の影には、彼がいた。 敗北し、肩を落とす勇者の影にも、彼がいた。 ボクシングにすべてを捧げた男、エディ・タウンゼント(藤井つとむ)。 6人の世界チャンピオンを育てた名トレーナー。 ボクシングにより喜び、挫折を知り、ボクシングにより愛を伝えた伝説の男である。 「ここは、サムライのジムじゃないですよ。ボクサー、本当に泣きたい時、本当につらい時、そばにいてくれる人がほしいんだよ」 日系人のエディには、日本人のボクシングジムにある暗黙のルールが理解できなかった。 そんな彼の存在は、少しずつ周りの人間に影響を与え、その人柄と的確なコーチングには人々を呼び寄せる無言の力があった。
エディがその才能を高く評価し、親愛の情を込め「BOY」と呼ぶ青年井岡弘樹(黒川進一)。 今、井岡の初のチャンピオン防衛戦に向け、エディはコーチに明け暮れていた、その最中にエディは病に倒れる。 限界まで走り続けてきた彼の身体は、癌に蝕まれ、入院を余儀なくされる。 一方、世界戦を目前に控え、心の支えでもあったエディを失い、不安を隠せない井岡。その落胆ぶりは誰の目にも明らかだった。 そんな中、エディが井岡の次のチャンピオンだと期待していた青年、松本直(熊坂欣太郎)がジムに戻ってくる。 松本は父の事故死によって家業を継がなければならず、帰省していたが、「ボクシングを忘れたくない。この体に染み込ませておきたい」と井岡とのスパーリングを懇願しにやってきたのだった。 この知らせに、周囲の反対を押し切りジムに駆けつけるエディ。 彼は車椅子に身を委ね、痛々しい姿であらわれるが、「BOYのガッツが見たいですよ」と嬉しそうに話すのであった。 そんな彼等の情熱に井岡は、己の甘えを戒めるかの様に松本と打ち合い、エディに防衛戦での勝利を固く誓う。 井岡のセコンドに就きたいと切望するエディ、しかし病魔は容赦なく襲い掛かり、そして遂にエディは意識を失う。 独りリングへと向かう井岡は、当初苦戦をしいられるがその時、エディのアドバイスが脳裏をかすめる。そして最終ラウンド、鮮やかなKO勝ちを収めた。 エディは自らのトレーナー生命の全てを懸けて育てた、最後のチャンピオンの勝利を確めるかのように、安らかに息をひきとるのであった……。
2004年11月20日(土) ワガママも見て見ぬふり/フィリップ・ジャンティ・カンパニー『バニッシング・ポイント』。 2002年11月20日(水) 爆走��/反戦映画ベスト5/『スパイラルアライブ』1巻(城平京・水野英多)/『新・ゴーマニズム宣言』12巻(小林よしのり)ほか 2001年11月20日(火) オタアミに行くぞオタアミに行くぞオタアミに……/『COMAGOMA』1巻(森下裕美)/『おさんぽ大王』1巻(須藤真澄)ほか 2000年11月20日(月) 通勤だけで力を使い果たしてる日々/『薔薇の木に薔薇の花咲く』(いしかわじゅん)ほか
| 2006年11月19日(日) |
復活ご挨拶(何度目だよ) |
ワークショップ日記を優先したために、復活の挨拶がまだであった。 ミクシィの方には「完全復活」と書きはしたが、果たしてそうなるかどうかは予断を許さない。 何と言っても、こうしてパソコンに向かってまとまった時間が取れるのは、平日は朝の30分から1時間程度しかないのだ。 休日にまとめて書こうとしたところで、用事が入れば余裕はなくなる。 以前も書いたが、日記に取られる時間が多くなると、本を読む時間、映画を見る時間がどんどん削られていくので、一日が24時間しかないことが恨めしくなってしまうのである。 私にとっては、読むことも書くことも車の両輪のようなものなので、どちらか一方に偏るのはひどくバランスを欠いているように感じられてしまうのだ。
博多ワークショップの間は、これに集中することだけを考えていたので、読書も映画も封印していた。日記もまた、本当は書く元気があったとは言えなかったのだが、自分で「書くぞ!」と思い切って、書けるだけ書いた。 日記に書いた通り、便秘と嘔吐に苛まれながらの日記だったのである。
じゃあ、なぜまた長い間放置していた日記を再開したのかと言えば、これはやはりしげ。の変心によるところが大きい。 以前、あれだけ「あんたの日記は読んでてむかつく」と散々にこき下ろしていたくせに、ミクシィとベイリーほかで「やさしめ」な日記を書き始めた途端、「つまんないから『無責任』再開してよ」と言い出したのだ。 SNSに利点があることを否定するつもりはないが、あれはやはりネットでありながら、距離が「近すぎる」。うかつなことは殆ど書けないし、うかつなことを書かなくても、ちょっとでも読み手に「想像力」を要求するような知的な文章を書けば、それだけで拒否反応を起こす人も現れる。 特にベイリーの方は、正直、「こいつら、中学生程度の読解力もないのか」と言いたくなるような異常な人間に絡まれたこともあり(もちろん少数の人間である)、地域性の強いSNSだけあって、恐怖に近いものも感じた。
ミクシィはまだ、まあ、ネット上の関係なんて、切ろうと思えば切れるさ、と鷹揚に構えられもしようが(一般論で、マイミクさんの何人かを切りたいという意味ではない)、ベイリーはどこで誰と会うか分からず、こいつ、鬱陶しいなあと思っても、関係が切りにくい、という事態も生じるのである。 地域SNSの弊害と言うか、たかがネットのことで、何で気を使わなきゃならないんだ、とこちらが憤慨したくなる事態に陥ってしまう。
この『無責任』は、完全に世界に開放されていて、具体的な読者を想定してはいないから、どんなに揶揄やあてこすりを行っても、「これは俺のことだろう」と文句をつけてくる人間に対しては、「あんたの被害妄想だよ」と一蹴することができる。 ところが、SNSでは、読者が限定されているから、一般論であろうと誰かの批判をすると、すぐに「これは自分のことだ」と思い込むやからが現れて、この誤解を解くことが非常に難しいのである。
今日もまた、あるコミュニティで会合を計画していたら、いきなりドタキャンされて、しかも「自分は悪くない」と相手に開き直られてしまったので参った。 相手の言い分はこうだ。 会合が実行されるのかどうか、メールを送って確認したが返事がないので、てっきり中止になったのだと思い込んで、連絡もしないとは、と怒ってコミュニティも退会した。 けれども、メールを送ったというのはその人の勘違いで、送信ボタンを押し忘れていたのである。待ちぼうけをくらわされたのは私の方なので、怒ったら逆ギレされて、退会しているのを確認していないのが悪い、とこう来た。 確かに、コミュは昨日あたりに退会していたようだが、会合への参加リストは削除されてなかったし、退会する旨のメールも送ってきてはいない。これでこちらに気がつけ、というのは無茶な話である。 そもそも、自分がメールを送り忘れて人に待ちぼうけを食らわせる結果になったことについては、まるで反省の色もないのである。 一応、メールに謝罪めいたことは書かれているが、それは「すみませんと謝ったでしょ!」という口調で、これで謝った気になっているというのは、私にはかなり異常な精神状態だとしか判断ができない。 つまりこれを称して、世間では「ヒステリー」と言うのですね(笑)。
こういうのがネット上にはウヨウヨしているので、あまり関わりたいとは思わないのだが、世の中には偶然とか運命とかというものも存在するので、油断がならないのである。
福岡市長選、誰がなろうがたいした変化はなかろうが、あの悪代官顔のオッサンが見事に落ちてくれたことだけは小気味よかった。 いじめ自殺についてもそのうちまとめて書くつもり。 何たって、この国は、文科大臣自ら、自殺を助長する発言を繰り返してるんだから(笑)。
ま、初めてこの日記を読まれる方に。 この程度の毒舌はこちらでは日常茶飯事ですので、気分を害される方は、読まれないことをお勧めします。
2004年11月19日(金) 好きに焼けるから「お好み焼き」って言うんだよ。 2002年11月19日(火) 爆走�─織凜.螢▲鵐函Ε魯譽襯筺�○(^-^)o♪/『スパイラル 推理の絆』4〜7巻(城平京・水野英多)ほか 2001年11月19日(月) 「“ブラック”ユーモア」って言葉も差別表現だってさ/LD『道場寺・火宅』/『Q.E.D. 証明終了』11巻(加藤元浩)ほか 2000年11月19日(日) 約束は果たしたよ、こうたろうくん/『キッド・ピストルズの慢心』(山口雅也)ほか
| 2006年11月18日(土) |
『イッセー尾形のつくり方2006in博多』ワークショップ」九日目/続・発表会本番! LOVE IS FOREVER(笑) |
1回目の芝居に何の自信も持てないまま、第2回目の時間が迫ってきた。
セイノさんと入れ替わり、子供役の本キャストのTさんもやってくる。だいたいの流れを説明するくらいしか、時間はない。 「ともかく、思い切り、駄々をこねてください」 それだけだ。
第2回目の出番。
Tさんのハジケぶりは凄かった。 何を買ってほしいのかは分からないが、「買うて買うて!」と、ヒキツケを起こしてるんじゃないかというほどにTさんは舞台の上でのた打ち回った。 そのものすごさは、とても言葉では表現しきれないが、セイノさんの演技が「買うて買うて!」程度だとすれば、Tさんのは「買うて買うて買うてえええええ! 買うてええええええ!」くらいに違う。 彼女の演技だけで客席に笑いが起きるが、それも当然だろう。 それなのに、その後ろで私とKさんの夫婦、おばちゃんのオカダさんはどこ吹く風と関係ない会話や喧嘩を繰り返している。 舞台にいても、この喧嘩が殺伐なものではなく、「この家族のいつもの日常的な風景」であることが分かる。
その時になって、気が付いた。
さっき、セイノさんがバタバタしていた時に、私は思わず立ち上がって夫婦喧嘩を始めた。 けれども、今度は立てない。それくらい、Tさんの駄々は、猛烈なのである。 後ろにいる私が興奮して立ち上がれば、この芝居を壊してしまう。 さっきは、セイノさんの駄々が弱かったので、それを助けるためには立たないことには仕方がなかった。 けれども、同じシチュエーションでありながら、今回は全く別の芝居になっている。主役は喧嘩をしている私たちではなく、完全に駄々をこねているTさんになっているのだ。 喧嘩はしていても、私たちは動いてはいけない。 そう気がついたのだ。
イッセーさんが絡んでくる。 「おたく、布団買った? あれ、事件の証拠品だって」 Kさんが「いいえ」と答える。 Tさんがアドリブで仕掛けた。 「ウソやん、買うたやん」 私が「言うな!」と叫ぶ。 オカダさんが「どうしよう、私、あの上でしかぶったばい」と“おろたえる”。 それで前回とは違った「落ち」がついた。 1回目より、2回目の方が、より面白くなった。 それがはっきりと分かった。
もし私が、自分のために舞台に立とうと考えていたとしたら、この機微はつかめなかったと思う。 イッセーさんが先日のNHKの取材に答えて、「みんな舞台の上では孤独なんだけれど、孤立してはいないんですよ」と仰っていたことが実感できた。 私は今、妻であるKさん、娘であるTさん、おばちゃんであるオカダさんのために、ここにいるのである。
他の出演者の方々のシーンに、全て触れる余裕はないが、いくつかだけ触れておこう。
8番、「都会から来た嫁」は、1回目では声が素に戻りかけていたあきこさんが、見事にキャラクターを取り戻していた。 「前のお年寄りにちょっかいかけてよ」という森田さんのダメ出しに従いはしたが、ここであきこさんはアドリブで「あんたたち誰ね!?」と言い放った。 つまり、誰だか知らないが、どこかのお婆さんたちが、勝手に家に上がりこんだ、という状況に変わってしまったのだ。 森田さんは、「この社宅には知り合いでない人間は誰もいないからね」と言っていたのだが、その前提を覆す発言である。
正直、私はハラハラした。 公演後の最後のダメ出しで(明日の公演がなくてもダメ出しはあるのだ)、森田さんに何を言われるか、あきこさんはもしかしたらこの場で泣きだすのではないかと思った。
公演終了後の「交流会」で、森田さんが口を開いた。
「うまく芝居ができたとかできなかったとか、そんなことは関係なく、ともかく自分が前に出るんだと。ここにいるのはみんな知り合いだという前提を崩してまで『あんた誰ね』と言い放っていると。貶してるように聞こえるかもしれないけれど、これまで引くことしかできなかったこの人が、前に出ようとした、このことがワークショップの成果だと思うのね」
森田さんは芝居の完成度なんて、やはり気にしてはいない。 演劇の意義とは、芝居の出来不出来、役者の演技の上手下手などとは別のところにある。 これはそういう言葉である。
演劇を見て、好きか嫌いかで判断してしまう人間は、実は芸術の本質を何も見てはいない。客が面白がろうがつまらながろうが、何かをそこで感じ、考えることができる演劇が演劇なのである。 劇場を一歩出れば、また日常に返り、舞台上のことなどはきれいサッパリ忘れてしまう演劇に、何か意義らしいものがあるのだとすれば、そういうことなのではないだろうか。
9番、「貧乏神」は、例の貧乏神さん(ひどい呼び方だが、しげ。は更にひねって「死神さん」と呼んでいた。確かに見た目が髪も長くて「貞子」なのである)の出番がある。 ところが彼女は結局、1回目には間に合わず、そのときは「貧乏神」はそこにいる(という設定の)犬の名前であった。
2回目、彼女がようやく到着し、犬の名前は「アントニオ」に変更された(もっとも犬の名前は家族が勝手に呼んでおり、祖母と孫は「ラッキー」と呼んでいるのである)。 そして、貧乏神さんは、「本物の貧乏神」として、妻にしか見えない存在として舞台に立つことになった。
貧乏神さんは、たわいのない世間話を延々と妻役の人に話し続ける。 夫役は、前回の北九州公演で、しげ。の夫役を演じた「草莽の志士」さんだ。 志士さんは、自分には見えない貧乏神に向かって、声をかける。壊れた妻をどうにかしたいと声をかける。しかし貧乏神は無意味な井戸端会議を続けるだけで、妻もまた殆ど無言である。 前では祖母と孫がアントニオと遊んでいる。
この家族は壊れている。 しかし、壊れてはいるが離れてはいない。 壊れているのに、彼らは一緒にいるのだ。そういう家族のあり方もあるのだ。 志士さんが語る。志士さんは、もう妻に声をかけることはできなくなっていいる。だから、見えない貧乏神に声をかけるしかなくなっているのだ。 「貧乏神さんよ、俺にはお前さんが見えないけどよ、心の声は届いてるよな」 気がつくと、私は、目頭が熱くなるのを感じていた。
イッセーさんがこの家族に「奥さんを社宅祭の女相撲に」と絡んでくる。 壊れた妻はあっさりとこれを引き受け、夫も行事をやると言い出す。やれることがあるなら何でもやる、といった雰囲気が流れる。もちろん、それは観客である私が勝手に感じていることで、舞台上の人々は即興で適当なことを会話しているに過ぎない。 けれども、「そう感じる」ことが大切なことだと、私にはもう分かっている。
イッセーさんが、ここで、「大失敗」した。 貧乏神に「そちらのおきれいな方」と声をかけたのだ。 イッセーさんは、1回目と設定が変わっていることに気付いていなかった。 志士さんが、すかさず「見えるんですか?」と畳み掛けた。 イッセーさんは慌てて「あ、見えない見えない!」と言って退場した。
会場が笑いに包まれる。 失敗ではあるが、逆にこれで落ちが付いた。 イッセーさんは自分のミスを見事に利用したのだ。 交流会でイッセーさんは、「あれ、幽霊だったんですねえ」と笑われていたが、何があっても、「とっさ力」で演劇は成立するのだということを証明したような瞬間だった。
貧乏神さんは、公演のあと、これ以上はない、という笑顔になり、今や弁天様に変貌していた。 森田さんに「貧乏神」呼ばわりされていた時の彼女は、確かにそのようにしか見えなかったのだが、今、改めて見ると、顔立ちの整った紛れもない“べっぴんさん”である。 北九州の時もそうだったが、女性の方はみなさん、ワークショップを終えたあと、泣いたり苦しんだりした人ほど、美しくなっている。 あきこさん、じり子さん、なつさん、眞夢さん、Lisaさん、yucaさん、今だから言えることだが、実はワークショップの最中は、私は殆どたいした印象を持っていなかったのだ。
それは私だけではない。 前回の北九州公演で、森田さんがLisaさんを見て、「こんなきれいな人が去年もいたかな?」と仰っていたが、Lisaさんもこの一年で、見違えるように美しくなっていらっしゃるのである。 これは比喩ではなく、実際、別人ではないかと思うほどなのだ。 女性のみなさんに朗報。イッセー尾形ワークショップは、美容に最も効果的です(笑)。
セイノさんは、最後のダメ出しで、森田さんに「Tさんとの違いは分かるよね」と言われていた。頷いた顔の唇の端に、悔しさがにじんでいた。 交流会のあと、時間の余裕のある人たちが集まって、居酒屋で2次会。 セイノさんはもしかして凹んでいるかと思い、私は「また来るよね」と声をかけた。 彼女は、元気よく「はい!」と答えた。
私と組んだKさんは、私の向かいに座って、一緒にモツ鍋をつついていた。 「今度のワークショップで、夫婦喧嘩は悪いものじゃないって思えました」とKさんは仰る。 「うちの親はよく夜通し喧嘩してましたよ」 「でも、喧嘩はしても、奥さんに手を上げる男だけは、許せませんね」 私は、自分が舞台で席を立った時のことについて、その時の心情を説明した。 「興奮すると、男は一応、手は挙げますけど、しまったと思って、降ろすんですよ。あるいは逃げ出す。あの時に立って座ったのは、ちょうどそんな感じでしたね」 続けて、私は「博多の男は」と一席ぶっていた。 「博多の男は本当は弱虫なんです。自分が本当は女には勝てないと知ってます。けれど痩せ我慢して、強く見せようとする。いつだって逃げ出したいのに、いざというときには自分が逃げ出せないことに気付くんです。逃げ出しても近所の居酒屋止まりですね。私も以前、女の子と一緒の時に、ヤクザに絡まれたことがあったんですけど、本音を言えば逃げ出したくて仕方がなかったです。けれども、逃げられない。かと言って喧嘩をするわけにもいかない。ただひたすらニコニコして、一発殴られてもニコニコしてたら、許して帰ってくれました。私は、森田さんが今度のワークショップで、そんな博多の男の心情を組んで芝居を組み立ててくれたことが一番嬉しかったんです」 まあ、これは私のちょっとした自慢話ではあるが、若いころのことなので、今はとてもこんな勇気が出るかどうかは自信がない。 そのこともちゃんと言ったのだが、Kさんは感動して涙ぐんでいらっしゃった。 「そういう相手を見つけたい」とも言ってくれた。 私のような小心者でも、少しは人の心を動かせたのなら、ありがたい話である。
森田さんに散々へたくそ呼ばわりされたある男性は、「わけが分からん」と憤慨していた。 彼を取り囲んで、みんなで寄ってたかって「森田さんの意図はね」と説明しようとする。 みんな、さっきまで森田さんにクソミソにやられていたのに、その男性に同意するどころか、森田さんを援護しようとしているのがおかしい。 森田マジックにすっかりやられているのだ。 見ようによっては、まるで宗教の折伏のようだが、実際、そういう面もあるのかもしれない。
みんな、何かを掴んでいる。 それは言葉にはできないものではあろうが、確実に存在しているものだ。私はそのことを着実に感じていた。
今回の舞台。 時代を現代に設定しなかったのは、森田さんのアイデアである。 「昔の夫婦喧嘩を再現したい」 森田さんは、そう仰った。
どうして現代人の離婚率が高くなり、家庭が崩壊するようになったか。喧嘩できる夫婦の方が本当は幸せで、一方が怒っても一方が黙り込むような、お互いに会話のない夫婦になってしまったら、あとは離婚するしかなくなる……。 描かれる家族の点景は、すべて四人から五人で構成されている。「大家族」が生き残っていた時代で、夫婦の、あるいは親子の喧嘩は日常茶飯事。そこにいる婆ちゃんや近所のおばさんは、喧嘩を仲裁しようともしない。 『ALWAYS 三丁目の夕日』のような、つまりはこれも一つのノスタルジーではあるのだが、あの映画のような物理的なアイテムに頼るのではなく、今回、森田さんが再現を試みたのは、ほぼ失われつつある「博多弁」の数々だった。
「しろしかばい」 「ちゃっちゃくちゃらやな」 「どんこんならん」 「ひっちゃんがっちゃんなってからくさ」 「ふうたんぬるか」 「どこさんでんそうつきなさんな」 「とっとうとね」 「ああもう、ぐらぐらこいた」 「いっちょんすかん」 「なんばしとらすとな」 「すうすうするやん、戸ばせかんね」 「しぇからしかったい」……。
「むかつく」「〜なくねー」「〜だし」文化に一掃されつつある、これら博多弁文化、我々の世代まではごく当たり前の日常語だったものを見つめ直すこと。これが今回のワークショップのテーマになっていた。
博多ネイティブである私も、博多弁を使えない若い人たちばかりの中では、言葉に思いを込められようもない。高校時代に気づいたことだったが、既に私の同世代の人間ですら、博多弁はろくろく使えなくなっていたのだ。 そのころから私は、自分の中から極端な博多弁を封印するようになった。
今に至るまで、私が一番熱心に会話した相手は母に如くものがないが、それは別に私がマザコンだからということではなく、博多弁を喋れる身近な人間が、他にいなかったからだ。 この九日間は、私にとってはそのことを再発見する旅であったと思う。
次は、おそらく五月。
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【ここから18日(土)の日記】
昨日の2次会のあとも、路上で長いことみなさんとお喋りをし、さらにはしげ。とHくんと、深夜の散歩(天神から家まで1時間半かけて歩いて帰っただけだが)までしてしまったので、今日はもう一日ぐったり。
朝方、父を車で迎えに行って、昨日の感想を聞いてみた。 「作品の批評はせん」と父は言った。 身内の出る芝居だから、誉めても貶してもよくない、と考えたのかもしれないが、夫婦喧嘩の話ばかりだから、多少、身につまされたのかもしれない。 「ばってん、イッセーさんに森田さんが、素人を集めて何をしたいのかがよう分からんやったな。別に跡継ぎを育てたいわけじゃなかごたるしなあ」 そのよくワケの分からない雰囲気が、私たちの足を何度もワークショップに向けさせている理由の大きなものなのだろうかと考える。
ほぼ徹夜であったので、それから夕方までは夫婦揃って爆睡。
夕方、出かける用事もあったのだが、どうやら向こうで勝手にキャンセルされたらしい。 メールを送ってもウンともスンとも返事がないのである。 礼儀の通し方を知らないなと思うが、腹が立つほどの元気もない。 しげは、12時間寝て、ちょっと起きて、また寝た。 さすがに今日だけは「起きてちゃんと家事をせんか」とは言えなかった。
夜になって、「ウエスト」でうどんを食う。 ようやく食事が喉に通るようになって来た。 イッセーさんのブログに、コメントを書いた。どうしても「上ずった」表現になってしまうのだが、どうにも興奮を抑えきれないのである。
ワークショップの間、日記を復活させたが、もちろん今後も続けるつもりである。 やっぱり、一番書き応えがあるのは、いくら時間はかかっても、こちらの日記の方なのである。
2004年11月18日(木) 更新遅らせたくないのであっという間に書いた日記(^_^;)。 2002年11月18日(月) 爆走�А人獣量瓦�も……(-_-;)/『エンジェル・ハート』5巻(北条司) 2001年11月18日(日) 休日満喫テレビ三昧/『パワーパフガールズ』第46回/『サイボーグ009』第6話ほか 2000年11月18日(土) 今年はコンサートで眠らなかったぞ/福岡シンフォニック合唱団コンサート
| 2006年11月17日(金) |
『イッセー尾形のつくり方2006in博多』ワークショップ」九日目/発表会本番! |
今回のワークショップ参加、もちろん職場には明かしていない。 興味があって来てくれる人がいるとも思えないし、何かのセミナーみたいなものにかぶれているのかと誤解されようものなら業腹だし、何より、遊ぶ余裕があっていいですねえとか、皮肉を言われるのがいやだったからだ。 そんなことを言いそうな陰険な同僚もいるのである。
仕事をサボっているわけではないが、発表会に出るためには今日は早退するしかなく、そのためにここ数日、勤務中は食事もろくに取らずに仕事に集中していた。 ワークショップでの神経疲労も重なってだろう、もう三日ほど私は便秘で、その上、胃液だけの嘔吐を繰り返している。
とりあえずの仕事を午前中で片付けて、JRに飛び乗ったのが1時56分。 ホームで「電車が10分遅れます」のアナウンスに、一瞬、血が上りそうになった。 冷静に考えれば、通し稽古は3時からだから、電車が10分程度遅れようと、まだ充分時間に余裕はあるのだが、逸る気持ちが、わずか10分の遅れを苛立たせてしまうのである。 こういう心理はよくない、と自分を落ち着かせようと胸をなでる。
博多駅で地下鉄に乗り変えて、天神へ。イムズホールに到着したのが2時25分。 ポスターが貼られていたのに気付いたが、私がかなり大きく写っていたので、思わず引いてしまった。昨年に比べて少しは痩せた気でいたが、そうでもない(笑)。 客観的に自分の姿を見る機会が少ないので、どうもこれが自分だという自覚がしにくい。私の演技が上達しないのも、自分のことがよく分かっていないせいだろう。
喉がいがらっぽくなっていることに気付くが、喉スプレーを持ってくるのを忘れた。無理してあと6時間を通すしかない。
午前10時からの練習は始まっている。
舞台は、ちょうどしげ。たちのシーンを演じているところだった。 しげ。は、前回北九州ワークショップの時に演じた「キャサリン」と同じ衣装を着ている。チャイハネで買った、アジアのどこの国とも知れないピンクでど派手なシルクっぽいブラウスである。 髪型は私の「森田さんと同じにしてみたら?」という意見で、チョンマゲ風。しげ。は森田さんほどに髪が長くはないので、きちんとしたマゲにはならずに、『げんしけん』のオギウエのようになっている。 着替えるのが面倒くさいしげ。は、この格好のままで電車に乗ってきているのだ。どう言えばいいものか、と思うが、あたまのおかしなやつには何を言ってもムダであることは先刻承知なので、特に何も言わない。
驚いたことに、舞台上でしげ。はまた「キャサリン」と呼ばれている。キャサリンはあくまで前回のキャラクターであって、今回は全く別のキャラだ。出演者たちが打ち合わせてそうしたのかもしれないが、これは明らかに違和感がある。 案の定、森田さんの「キャサリンはやめてね」の声が掛かり、「じゅんこ」に変更になる。 あとで聞いたら、これはしげ。も知らない、相手役のいきなりのアドリブだったそうだ。多分、しげ。が北九州参加者の誰かから「キャサリン、キャサリン」と呼ばれているのを聞いて、ふと思い付いたのだろう。 つまらない駄洒落を飛ばすオヤジのように、つい空気を読めない悪ふざけをしてしまうのも博多人の特徴のようなものだ。 「やりすぎたらちゃんと抑えるから、ともかく引いたりしないで前に出るようにやってみてね」とは森田さんの指示だが、現実にいくらでも前に出たがる博多人が多くて、森田さんは内心、「博多ってどんな土地だ」と驚いていたのではないだろうか。
3時を回る前に、区切れもなく、通し稽古が開始される。 昨日、ようやく上演の組み合わせが決まったばかりで、殆ど練習らしい練習もしていない。 それどころか、われわれのチームなどは、四人のうち、二人が公演時間には間に合わず、6時半からの一回目の公演には代役を立てなければならない事態になっている。 我々が与えられているのは、「家族」という設定、「夫婦喧嘩をすること」という指示くらいのもので、これは殆どぶっつけ本番に等しい。 これはどのグループも同じで、イッセー尾形&森田雄三という意地悪爺さんコンビは、本気で我々シロウトに、ナマの舞台で即興芝居を演じさせようとしているのだ。 これまでにもこのワークショップには二度参加してきているが、一番長い日程を組んでいながら、ここまで全くと言っていいほど直接的な練習をせずに本舞台を迎えるのは初めてである。
「稽古らしい稽古なんてしてないんだからね。お芝居はいりません。声だけがほしいんです。声を作って!」 各グループへのダメ出しは、殆どその点に集中する。 「今回は、二段構えで行きますから。まずは家族で喧嘩をしていると。これは必ず調子が落ちてきますから、そこでイッセーさんがやってきます」 けれども、イッセーさんがどの時点で入ってきて、何をするのかは一切知らされない。 時間はもう、わずか三時間しかなく、イッセーさんはやはり練習には参加せず、各グループの展開をただ眺めているだけである。 いったい何を企んでいるのか。
私たちのチームは全部で四人、親子三人に親戚のおばちゃん(祖母の妹)という構成である。 そのうち、妻役のKさんは、開演に間に合わないはずが、何とか休みを取って駆けつけてくれた。これで代役は一人ですむことになった。 そのTさんの代わりに、一回目の公演に子供役で参加してくれるのは、北九州公演でも一緒だったセイノさん。本気で舞台女優を目指していて、地元の劇団に所属している。 練習の合間にも、「自分が客観的にどう見えるか知りたい」と言って、「私はどんな風に見えますか?」と聞いてきて、メモを取っていた。 「一見、幼いけれども、芯に強そうなものは持っている感じかな。首を前に突き出す癖があるのが、何となく天然キャラっぽい」と、あまり誉めずに(笑)見たまんまの印象を伝える。 こういうときにへたなお世辞が何の意味もないことは私にも分かる。
全体の構成が発表されたが、ここで困った事態が起きた。 セイノさんがもともと出演するシーンだったおばあちゃん役のシーンと、私たちとのシーンと、発表順が連続することになったのだ。着替えの時間が取れない。 急遽、順番を入れ替えることになって、私たちの出番は三番目から四番目にずれることになった。 時間的な問題は解決したが、着替えをどこでするか、ということになって、セイノさんが森田さんに「脇で着替えていいですか?」と聞き、「ダメです。楽屋まで行きなさい」とピシャッと言われる。口調が厳しいので、セイノさん少し堪えてはいないかと心配になった。 声をかけると、「大丈夫です。この役はやりたいと思ってましたから」と元気に答える。
時間がなくて、これまでの日記ではあまり書いては来られなかったが、今回、森田さんにダメ出しをされ、どうしたらいいか分からなくなって、泣いたり逃亡を図ろうとした参加者の方は結構多い。 それを周囲の誰かが励まし、「一緒にやろう」と肩を抱いてきた。それまで殆ど会ったこともない人間同士が、わずか一週間でそういう間柄になってしまっている。
そうなのである。 うまくできなかった時、普通のワークショップや演劇の練習なら、「あいつ、いつまでヘマをやってるんだ」と、非難の目で見られることの方が普通だろう。 その視線の矢が突き刺さるために、失敗が続くと、自分がみなの足を引っ張っているという罪悪感が弥増すことになってしまう。 ところがこのワークショップには、その視線の矢が全くないのだ。セリフが出てこなくて進行が滞っても、溜息一つ漏れはしない。みんなが舞台を見て、心の中で「頑張れ、頑張れ」と応援しているのだ。
どうしてそんな状況が生まれるのだろう。 理由は多分こうだ。 みんながシロウトで、みんなが下手糞で、みんながダメ人間で、みんなが同じ立場だから、誰も誰かを傷つけようとはしないのだ。 すぐに喋りだせる人、時間のかかる人、多少の能力差はあるかもしれないが、それは人としての差では決してない。そのことに、みんなが気付いているのだ。
怒鳴られ貶され、散々罵倒されているのに、逆にそれが人と人との絆を深めていっている。 不思議な光景だが、これが森田さんの計算し意図していることなのだろうと思う。
舞台に森田さんの怒声が響く。 本番直前となって、去年のように椅子を叩きこそしないものの、森田さんのダメ出しは辛辣さを増していく。
「はい、そこで立つ!」 「喋るな! あんたのセリフはつまらないんだから、黙ってればいいの」 「動かない! ……もういい。椅子に座ってられないなら、もう、あんたは前に出てなさい」 「声を作って!」
これだけのことを言われながら、どうしてみな、腹を立て、逃げ出そうとはしないのだろう。
通し稽古を見ながら、私は昨日のある風景を思い出していた。 やはり参加者のある女性が、辛さのあまりだろう、「本番は来ません」と言いだした。 その女性はもう何度もこのワークショップに参加してきているのだが、声が小さく、なかなかキャラクターを作ることができない。一見、暗めな外見なので、練習中に森田さんに「貧乏神」とあだ名をつけられてしまった。 若い女性にしてみれば、とても耐えられないと感じてもおかしくない言われようだ。 昨日の練習にも遅れてきていたので、彼女はまだ組み合わせも決まっていなかった。 「もう出てもみなさんの足を引っ張るだけだから」とか細い声で言う。それを私や周囲のみんなで「何言ってんの!」と叱咤する。 やはり何度も泣いて、一日バックレたこともあるオチ婦長ことあきこさんが、「私はどうなるのよ!」とどやしつける。 私は私で、「今を逃したら来年はないかもよ! 森田の爺さん、死んでるかもしれないし、イッセーさん、撃たれてるかもしれないから」ととんでもないことを言う(とんでもないことを言われてるんだから、これくらい言い返してもよかろう。でも、聞かれてないことを祈る)。
彼女は結局、最後のシーンに出演することになった。 今日作られたばかりのチラシに、そのシーンのタイトルが書かれてあったが、それは『貧乏神』だった。
通し稽古の最後のころには、早いお客さんもやってきている。 その中に、父もいた。父が私が舞台に立っているのを見に来たのは、多分、小学生のころ、学校で落語をやった時以来のことだろう。 「何も食べとらん」と言うので、しげ。がおにぎりを無理やり持たせた。 練習中、おにぎりや弁当などの差し入れが結構あったのは、このワークショップが今年から、「芸術文化振興金助成事業」の一つに選ばれたからかもしれない。
本番第一回目の時間が近づき、稽古は終了、みんながメイクを始める。 私は特に森田さんから何も言われなかったので、スッピンだ。けれども、日曜日という設定なので、髪に寝癖くらいはつけようと髪を掻き上げたら、水木しげるの『悪魔くん』みたいになった。 これは舞台で相方のKさんから「キューピー頭」と呼ばれることになる。若い方であるから、当然、『悪魔くん』なんて知らないのだろう。 しげ。を稽古で「キャサリン」と呼んだ件の男性の方は、眉を〔クレヨンしんちゃん〕のように太くして、イッセーさんに「やりすぎ」とダメ出しをされた。 この時点でも、イッセーさんが我々にどう絡むのか、全く分からない。 入場の仕方の練習すらしていないのである。
そして、時間が来た。 客席はもともと少なめであったが、ちょっと覗いてみると集まっているのは五、六十人ほどだろうか。イッセーさんの一人芝居ほどに宣伝はしていないので、こんなものだろうと思う(あとで森田清子さんが「もっと人に見てもらいたかったのに申し訳ない」と謝られていたが、充分だと思う)。 スタッフの岡田さん作曲の、軽快だけれど少しばかり切なさの混じるテーマソングが流れ始め、何の段取りもなく、我々は舞台の前にズラリと並び、座った。
前説で、イッセーさんが、「『社宅祭り』の参加者を募集します」と挨拶する。 ここは、三池炭鉱・華やかなりしころの長屋式の社宅で(イメージが湧かない人は映画『フラガール』を思い浮かべてください)、今は高度経済成長真っ只中、「わが野間産業も社名がなんたらコーポレーションと変わりまして、これからはチャックのこともファスナーと言わねばなりません」と調子よく時代背景を説明する。
イッセーさんが退場し、舞台は暗転。 最初の「家族」が、「縁側」から「家の中」に上がって行く。 この時必ず、客席側、遠くを見るようにと指示を出していた。社宅の向こうではバーベキューパーティーを開いていて、その家を社宅のみんなは羨ましがっているという設定である。
プログラムをざっと紹介しよう。 今回の発表会は、以下の「家族九景」から成り立っている(●はイッセーさん出演。解説はみな森田さん執筆)。
1、インテリ母さん● 年寄りのわがままに付き合う子供達
2、馬耳東風● ほろ酔い加減のお父さんは奥さんの暴言もBGM 3、怒るが勝ち● お祭りだけが楽しみなお父さん 博多に買い物に出るのが楽しみな子供達
4、買うて買うて!● 子供のわがまま声だけが響いて山河あり
5、不登校兼暴力息子 わがままを通り越した仲の良さ
6、隣の奥さん ばあちゃんの泣き笑いが一家の平和
7、お祭り好きなお父さん● 女達の金遣いの荒さにお父さんは否応なく小市民となる
8、都会から来た嫁● 夫婦喧嘩に口出ししない年寄りの知恵
9、貧乏神● バラバラ万歳!
ワークショップ当初、「発表会まで出られる参加者は20人くらい」と言われていたのだが、テレビでの効果もあったのだろう。 最終的に舞台に立ったのは38人に上った。 練習に参加しただけの人も含めれば、50人は優に越えていたと思う。
私の出番は4番、しげ。は7番だ。 イッセーさんがこれだけたくさん芝居に絡んでくるのも珍しい。北九州では前説以外には一切絡まなかった。 そこにどういう違いがあるのかは私にはよく分からない。案外理由は「適当」だったりするのかもしれない。 けれども、北九州の時とはっきりした違いは、お客さんの反応の方にあった。 一つ一つのシーンが終わるたびに、かなり大きな拍手が起きるのだ。
それがシーンとシーンとの間がはっきり分かれているためであることは分かる。 北九州のときはそれが曖昧な部分が多く、暗転そのものが少なかったので、「拍手のしどころ」がなかった。 しかし、博多での拍手は、暗転による機会的な拍手だけではないように私には感じられた。暗転してもつまらなければ拍手する必要もないはずだからである。
即興芝居を行うに当たって、「『とっさ力』を発揮してよ、相撲を取ってよ」と森田さんは仰った。 しかし、本番の舞台になっても、それがうまく発揮できているとは言いがたい局面が多々現れる。
イッセーさんが乱入した途端に、「沈黙」が舞台に流れてしまう。舞台上のシロウト集団は、何の準備もしていないのだ。 それが「緊急事態」であることは、お客さんにも伝わったことだろう。 演劇を「完成度」で見るならば、これは既に演劇ではない。けれども、お客さんは確実に舞台の上で何が起きるのかと引き込まれている。上手いか下手かを越えた緊張感が漂う。 こんな緊張感は、どんなに名演技を披露しようとも、劇団四季には絶対に出せないものだ。自画自賛ではなく、客観的に他の仲間たちの舞台を見てそう思う。
そこにあるのは、仮構された芝居ではなく、本当に見知らぬ人間がいきなり闖入してきた時に我々が感じる「現実」なのだ。
「ここから先が大事なんだよ、困ったあと、沈黙するか、前に出るか、ただ引くか、いったん引いてもう一度、同じことを繰り返すか」 森田さんの声が脳裏を去来した。
1番の家族は沈黙した。 2番の家族は巻き返そうとしていじられた。 3番の家族は果敢に前に出た。 そして4番の家族である我々は……。
みんな、対応が違う。 それがよかったのか悪かったのか。
1回めの公演が終了して、わずか30分の合間にホールの隅で森田さんのダメ出しが始まる。 心臓がまだ早鐘のように鳴っていて、落ち着かない。 椅子に座る時、手もたれに思い切り尻をぶつけた。隣にいた高校生の女の子に笑われた。 正直、森田さんがどんなことを喋っていたのか、あまり耳には入っていない。 「セリフが重なりすぎていて、間が悪かった」とは言われた。もちろん、セリフを途中でやめるのがもっといけないのは散々言われてきているので、それだけはしなかった結果である。ベターではあったが、もう少しベストに近づけろ、ということだろう。 段取りの段階では立つつもりはなかったのに、思わず立ってしまったことについては、何も言われなかった。
よかったのか悪かったのか。
(翌日に続く)
2004年11月17日(水) Everybody "moe"Somebody 2002年11月17日(日) 爆走�Α秦管堯崗錙弩従櫃世辰�(^_^;)/『柳生十兵衛死す』4・5巻(山田風太郎・石川賢)/『巨人獣』1・2巻(石川球太)ほか 2001年11月17日(土) 多分愛してるんだろう/『料理少年Kタロー』第7話/『カスミン』第7話 2000年11月17日(金) 一日一ドジ女房/東野英心死す。
| 2006年11月16日(木) |
『イッセー尾形のつくり方2006in博多』ワークショップ」八日目/明日は本番! |
ワークショップ8日目、本番1日前。
当初の話では、今日は「稽古場公演」ということで、昨日の組み合わせで上演をする予定だったはずなのだが、実際にイムズスタジオに来てみると、昼間のうちに組み合わせが全て入れ替わっていた。 夜の部になって参加したメンバーが前に出されて、博多弁で喋らされる。 それを聞いて、イッセーさんがまたメンバーを組み替える。私も昨日のメンバーとは全く違う人たちと四人で家族を演じることになった。 どうも、森田さんもイッセーさんも、「昨日やったことは今日はもうやりたくない」嫌いがあるようだ。 「稽古らしい稽古なんてやってないんだから、名優に見せるためには考えないでやるしかないのよ」 つまりは「全てアドリブ」ということだ。 森田さんと言いイッセーさんと言い、この人たちは素人ばかりの集団に何と言う重い課題を科すことか。 「本番になればやれると思いますから」 とはシロウトをなんてこんなに簡単に信じられることなのか。
設定らしい設定も決めず、ともかく四人組に演技をさせる。 「ダメだよあんた! なんでそこで喋らないの!」 「え? 昼間はこんな感じでしたから、これでいいのかと……」 「昼間どうだったかなんて覚えてないよ! 今、喋んなきゃなんない時に喋ってないから、喋ろって言ってるの!」 怒鳴られて混乱した女性が、立ち往生する。 周りの何人かが、「あれ言いなよ」「練習の時のあれ……」と声をかけてあげて、ようやく女性は口を開けるようになる。 あとで、森田さんは「こんな稽古が何の役に立つのかってことなんだけど、見も知らない人間がたった八日間練習しただけで、あんなふうに声をかけてあげられるようになったってこと、これが大事なことなんじゃないかな」と仰る。 イッセーさんも同じことを仰って、「頑張らないように」と励まし。
疲労はそろそろピーク(苦笑)。 短いけれど、このへんで。
2004年11月16日(火) 麗しのナターシャ r(^^;) 2002年11月16日(土) バカとバカによるバカ論/舞台『WAHAHA本舗全体公演・大福祭』 2001年11月16日(金) 若葉マークはどこへ行く/歌劇『さまよえるオランダ人』(ドイツ・ザクセン=アンハルト歌劇場)ほか 2000年11月16日(木) 風邪がまだ治らんがな
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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