無責任賛歌
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| 2004年11月27日(土) |
お客が来ても樽の中。 |
公演が近づいてきたこともあり、週末はお泊り客が増えてきているが、本日は夕方から下村嬢が来訪の予定。深夜にはカトウ君も来るとのことである。それで、また本だのDVDだので散らかりつつある居間を少し整理して行く。 テレビの前に未整理のDVDがひと山になっていたので、ラベルを付けて棚の隙間に詰めこんで行く。その過程で、自然、居間の中央にいったんDVDや本を寄せていくので、一時的に足の踏み場がなくなってしまう。それを見てしげが「何、散らかしよるん!」と怒るのだが、じゃあ、しげが片付けをしてくれるかというと全然そんなことはないのである。やっぱりディオゲネス症候群なのかね(樽のディオゲネスは自分の住んでいる樽の中を散らかしてないと落ちつかなかったそうな)。
だいたい、結婚当初は私もヒマを見つけては本の整理をしていたので、ここまで部屋が腐海化することもなかったのだが、私が片付けるはしからしげが散らかしまくり、その癖あとはほったらかし、読んだ本を適当にあちこち放り出したまま片付けようとはしなかった。いくら叱ってもしげは口先でだけ「ちゃんとする」と言うだけで、一向に改善しようとはしなかったので、私もだんだん徒労感に苛まれくたびれはてて、いつしか整理することを放棄してしまったのである。 以来、本は乱雑に積み重ねられたままである。 これもしげに人並の記憶力がからきしないせいなのだが、あの阿呆はいったん本などを取り出して半日もすると、それがどこにあったかわからなくなり、元に戻せなくなるのである(これが誇張でないことは、以前の日記でしげに「記憶実験」を試みたことがあるのをご存知の方には納得していただけるだろう)。
一事が万事その調子で家事をしないしげだが、それでも客が頻繁に訪ねて来る状況だったりすると、少しは何とかしなきゃなんないなあ、という気持ちにはなっていた。……数年前までは。 以前、よしひと嬢が泊まりに来るときにはあのしげでさえも、かなり気を入れて掃除をしてはいたのである。けれど三十路にさしかかろうかというころから、自分が「素敵な奥さん」になることは永久にムリ、と勝手に悟ってくれたらしい。洗濯ものを溜めまくって風呂場への通路を塞いで、風呂を使えなくても平気、という状態にしておいて平然とするくらいに、だらしなくなってしまっていたのである。 カネを払えば少しは家事をするかと、去年あたりは給料制でしげに家事をさせていた。ところが今度は本人が「家事をした」夢を見て(あるいは錯覚して)、それを現実と取り違えて給料を請求するようになったので、これも結果として効果はなかった。自分がサボれる方向に都合よくアタマがイカレてくれるのだから、全くありがたいことである(←この「ありがたい」は本来の意味での「有り難い」ということね)。 結局、しげに家事をさせるには、いちいち側に付き添ってやって、「あれをしろ、これをしろ」と命令するしかない。でもそれでは家事の分業なんて成り立たない。まっとうな家族関係が送れないどころか、しげと付き合うだけの体力が私にはもうなくなってしまった。自分が綿のように疲れ果てているのを感じるばかりである。
それでもここんとこ、劇団のみんなから(特にカトウ君から)「少しは家事をしたらどうだ」と責められていることもあってか、しげも少しは家事をするようになった。けれどそれも所詮は「少しは」のレベルでしかない。世間では、2、3週間に1回、洗濯をしたり、ゴミを捨てたりするのを「家事」とは言わない。しげは「なんで人んちのことにいちいち口出しされなきゃなんないんだよう」とブー垂れているが、「ウチ」というものが成り立ってないのにそんな口を利く方がよっぽどフザケているのである。
今日は珍しくもお客さんが来るんだからと、昼間から台所を片付けていたしげだったが、それもただ食器を洗っていただけである。しげにとってはそれでも大労働したつもりになれているのだから、能天気なことだ。日頃はこの程度のことも全然やらないで寝てばかりなんだから、これで履歴書に「主婦」と書きこむのは強心臓にも程があろう。 小一時間も働かないうちに気力が尽きて居間で布団にくるまりだしたから、こりゃどうせほかのところには手は回っていないだろうな、と思ってトイレを覗いてみたら案の定であった。ペーパーの芯は散乱しているし、便器の中は具体的に描写したくもない。 「トイレくらい掃除しろよ!」と寝かけたしげを叩き起こしてむりやりもうひと仕事させた。しかし、風呂場までは結局片付けられないままだった。 夕方、下村嬢が来て、「ごめん、風呂は使えないんだ」と告げたら、「そう思って、ちゃんと入って来ました」と言う。こういう気遣いを客にさせるのは全く申し訳なくて、顔から火が出る思いなのだが、胃に穴が空く状況になっている現在、私にはもうしげをフォローする元気も体力もない。勘弁して頂くしかないのである。
しげと下村嬢と、リンガーハットで食事。 しげ、「海鮮かきちゃんぽん」を注文するが、牡蠣を嫌って私のスナックちゃんぽんの上に乗せてくる。しかも食いきれずに残りを私に寄越すのである。だったらどうして最初から「スナックちゃんぽん」を頼まないかな(-_-;)。 食事のあと、3人でカラオケに行こう、という話になる。先日、下村嬢が劇団の掲示板の方に「カラオケ行きたい」旨、書き込んでいたことがあったので、それを思いだしたのである。カトウ君もからだが空いているなら誘おう、ということで、しげと下村嬢、カトウ君にメールを打つ。その返事が、「いやあ、そんなにみんなボクの歌が聞きたいのかい?」という熱気バサラみたいな内容だったので、下村嬢、「なんでコイツ、こんなに自意識過剰なの!?」と激怒する。 確かに言葉だけを見れば「ボクってモテモテさん?」みたいな自意識過剰な態度に見えなくもないが、カトウ君だって気がある相手に対してならこういう返事は寄越さないはずである。だとすれば逆にこの冗談は間接的に「あなたには何の気もありませんからね」と主張していることになるわけである。もちろん、実際に下村嬢に対してカトウ君が全く気がないことはハッキリしているのだから、実に正直な態度ではあるのだが、女性に対して正直過ぎるというのもそれはそれでムズカシイ問題を孕んではいるのである。かと言って、八方美人的な態度を取ったり、いかにも気がありそうな素振りを見せるのはもっと問題をこじらせることにもなりかねない。じゃあどうすりゃいいのかということであるが、男女の間柄は友人どうしだろうが恋人どうしだろうが、何をどうやったってこじれるしかないのだから、悩むだけムダなんだな(^O^)。
結局、カラオケには3人で。 いつもアニソンばかり歌っているので、今日はあえてアニソンを外して選曲するが、そうすると私の知ってる曲は70年代でストップしてしまう。具体的には沢田研二の『危険なふたり』とか、いしだあゆみの『ブルーライト・ヨコハマ』とかになっちゃうのだ。こういうのを小学校の帰り道で口ずさんでたんだから、なんかヤなガキだったのだな、私は。下村嬢、「アニソン歌わないんですか?」と不満そうだったので、それじゃあ、ということで『ケ・セラ・セラ』を歌う。これだって立派にアニソンだからな。 下村嬢は『美しさは罪』を歌ってほしかったみたいだが、それ、もうなん度も歌ったし。あまり同じ歌ばかり歌うと、しげがいやがるんで、仕方がないのである。
帰宅して、カトウ君に「もう帰ってきたから、今からウチに来ていいよ」とメールを打たせる。そしたら「今までどこかに出かけてたんですか?」と返事。下村嬢、「こいつ、自分が来ないとカラオケには出かけないと思ってたのかよ!?」とますます激怒する。 さて、カトウ君がそこまで思い上がっていたとは思いにくいし、ただ単にボケてただけじゃないかとは思うのだが、ともあれ、下村嬢の中におけるカトウ君の株は著しく下落してしまったようである。それはそれでまあ、別の問題は起きずにすみそうだから、安心できる面はあるのだが。
ややあって、カトウ君来訪。「今日はちゃんと明日の練習の準備をします」と宣言して、小道具作りなど始める。DVD鑑賞は公演が終わるまでガマン、ということだが、しげはどうやらいずれ、とっ散らかっているDVDやCD、ゲームなどの整理もカトウ君にさせたい意向のようだ。……だからお前が散らかさなきゃ、整理はちゃんとできるんだってば。 準備を一通り済ませて、しげとカトウ君は、階下に降りてエレベーター前のロビーで演技の練習。もう12時を回ってはいるが、ロビーにはかえって人がいないので、練習にちょうどいいそうな。いや、12時過ぎでも人通りはあると思うけどなあ。うちのマンション、夜の仕事のひとも結構いるし。 けれど、こちらもそれに付き合うだけの体力はない。というか、しげたちが下に降りて行く前に私はもう、椅子の上で舟を漕いでいた。下村嬢はマンガ持って隣室で就寝。結局、しげとカトウ君は半徹夜状態だったようだが、しげもこれだけ体力が続くなら、やっぱりちっとは家事をしてほしいものである。
余談だが、しげは「我修院達也」と「若人あきら」が同一人物だと初めて知ったそうな。 もちろん『ハウル』のパンフレットで我修院達也の写真を見ているのだから、そのとき気がついてもよさそうなものだが、しげはあほだから、「どうしてこの人は、こんなに若人あきらに似ているんだろう」と首を傾げてただけだったそうである。 だから本人なんだって(-_-;)。
2002年11月27日(水) 再爆走��/鬼が笑っちゃってひきつけ起こして寝る話/『燃えよペン』(島本和彦)ほか 2001年11月27日(火) 癒されたいの?(-_-;)/DVD『ウルトラQ』6・7巻/『ギャラクシー・クエスト』 2000年11月27日(月) 活字の本が読み進まない/『カスミ伝△(さんかく)』1巻(唐沢なをき)ほか
| 2004年11月26日(金) |
みんなみうらじゅんが大好き/DVD『マダムと泥棒』/『トップをねらえ2!』1巻 |
金曜日は定例のしげの通院の日。 最近は院長先生の勧めで、デイケアにも参加するようになっているので、週に2、3日、多い時には連日通っている。 けれど、デイケアは中身によっては必ずしも楽しくはないらしい。運動が好きだからスポーツの日にはウキウキして出かけているのだが、患者さんどうしでディスカッションしなきゃなんないときは、かなりつらい思いもしているようである。コミュニケーションが取れない人たちばかり集まっているのだから、そこで討論させても話がまるで進まない。それでイライラしてたまらないと言うのだ。けれどしげ自身、コミュニケーションが取れる人間ではないので、その場をなんとかできるわけではないのである。 その場にはもちろん指導する立場の先生も当然いらっしゃるわけで、話が滞りそうになったり、あらぬ方向に向かいそうになったら、適宜リードしては下さってはいるようである。けれどしげの不満は、「やたら仕切ろうってやつがいるんだけど、ウザくて」という発言から察するに、ある患者さんの存在自体にあるようなので(~_~;)、結局そのグループにいるだけで神経が逆撫でされてしまうことになるのである。 「ねえ、教えて。院長先生は、オレに『修行』をさせたいのか?」と私に向かって詰問してくるのだが、そんなこと言われたって私だって返答のしようがない。院長先生は「素の自分にならずに、芝居をするつもりで振る舞いなさい」と助言されているそうだから、その通り「演技」すればいいと思うのだが。つか「素の自分」なんてものがあると考えているとすれば、しげは演技者としてはまだまだ未熟者だということになってしまうのであるが。
今日は通常の通院だったので、院長先生およびカウンセラーの方との面談。 いつもの習慣で、しげは待ち時間に読む本を持っていっていたのだが、それが今日はみうらじゅんの『とんまつりJAPAN』。院長先生、しげが手にしたそれを見るなり、「おっ、みうらじゅんですね」とビビッと反応したとか。そればかりか、カウンセラーの先生も「みうらじゅんですね」、看護婦さんも「みうらじゅんですね」。 しげ、「なんでこの病院、こんなに『みうじゅん度』高いんだ!」と困惑してしまったようだが、ある意味いかにも神経科らしいって気もする。少なくとも病院全員が「見沢知廉」ファンだとか、「相田みつを」ファンだとか、そういうところよりはずっと信頼できそうだと思うが、どうか。 それより私は、しげが「みうらじゅん」を「みうじゅん」と省略する方がなんか許せないけどな。つか、それ、一文字減らしただけじゃん。それで省略になってんのかよって。
帰りは一応しげに迎えに来てはもらったものの、急に仕事関係の本を物色せねばならなくなったので、博多駅で落としてもらうことにする。しげに付き合うかどうか尋ねたのだが、仕事があるので少しでも仮眠を取ると言って一足先に帰った。 本を何冊かと、予約しておいたDVDを何本か購入。先日買ったDVDも含めて、かなり量が溜まってきているので、帰宅して、片っ端から見ることにする。
DVD『マダムと泥棒』。 先ごろトム・ハンクス主演でリメイクされた『レディキラーズ』のオリジナル版である。これまでずっと見る機会を逸していたのだが、ようやく見られた。 旧版と新版、どちらが上かというのは一長一短があって一概にどっちがとは決め付けがたい。キャストだけ見れば、急坂ではピーター・セラーズとハーバート・ロムの“クルーゾー&ドレフュス”コンビの初共演が見られるわけで、その点だけでもどうしてもポイントが高くなってしまうわけだが。 もちろん、「教授」役のアレック・ギネスの怪演は必見。思うにあの不気味なメイク、多分にドラキュラかノスフェラトゥを意識してるんじゃないかな。いや、そのメイクを見て「アッ!」と思ったのだが、これ、『空飛ぶモンティ・パイソン』のオープニング・アニメに登場する三白眼のおっさんなのだ! 念のため、スチールで確認してみたけれど、ほぼ間違いないと思う。本編アニメでもちょくちょく登場しては切られたり踏まれたりしてるんだけど、テリー・ギリアム、ギネス御大をこんな風におちょくっていたとは今更ながらその度胸には感服である。まあ、これは余談。
DVD『トップをねらえ2!』1巻。 これまでのガイナックスが培ってきたノウハウを全てこの一作に叩き込んだって印象。ガイナファンでなくても、いや、SFファンならばこの一本を見逃しちゃなんねえ、と断言したってかまわないくらいの快作だった。なんとなれば「SF」というのは常識の反転、既成概念の破壊、永遠のアンチテーゼをもって世界を再構築する面白さにこそその真価があるからである。……いやね、「萌え」ってキーワードがSF作品のタームとして機能するとは思いもよりませんでしたよ。って、そこに一番「SFマインド」を感じたんかい(^_^;)。ノノは当然、「回顧趣味」でこの「萌え」って単語を使ってるんだろうなあ。 もちろん、オタク向けのエンタテインメントを作らせたら右に出るもののないガイナ作品であるから、SFファンでなくても楽しめる要素はテンコ盛りである。“お姉さま”ラルクがチビで短髪でソバカスの黒人とはなかなか意表を突いているが、これがまたノノと対比してちゃんと“お姉さま”に見えてくるから、前作の設定を踏襲しつつも裏切る部分もあり、しかしそれが決して的を外しているわけではなく、実にツボを押さえているのである。言わば、「心地よい裏切り」。ラスト10分のスタンピード、もはや呆気に取られるしかない「宇宙空間での“生身の”イナズマキック」のショックと来たら、何をか言わんやの大歓喜である。 ……つて、でもやっぱりこういうのを喜んじゃうのって、オタクだってことなんだろうなあ。
歌手の本田美奈子が実は改名していた、というニュース。 今は「本田美奈子.」になってるんだって。 「え? どこが改名してるの?」と首を傾げた人は、「子」の後ろをよーく見ましょう。ほら、小さく「.」(ドット)が付いてるでしょ? ご本人の弁によれば、「ドットを付けると画数が31画になり、開運のために変えました。いつでも歌手として人として女性として輝いていたいのでドットを付けました」ということらしい。なんだ、やっぱり占いか、とちょっとガッカリした人も多かろう。特にアイドル時代の本田美奈子を知ってる人にとっては。当時、プロダクションの言い付け通りに歌い踊るだけの“お人形さん”ばかりだったアイドル界にあって、自己主張のできるタイプに見られていた本田美奈子にはちょっとカリスマ的な人気があったのである。だから今の彼女が。単純に「迷信に引っかかりやすい女」というだけでなく、自分の意志、判断を放棄したような“他力本願的なもの”に引っかかってしまうとは、幻滅以外のなにものでもないのである 名前そのものを変えるのはよく聞く話であるが、テンやらマルやら、「記号」を付けるってのはあまり例がない。やはりフツーの感覚の持ち主ではないのかなあ、とちょっと腰が引けてしまう。 過去の例を考えてみても、パッと思いつくのは大友柳太朗が「友」に「、」を付けて「大友`柳太郎」にしたり、藤岡弘が「流されないで立ち止まって自分を見つめる、という覚悟と『いまだ完成せず』の意味も込めて」と「藤岡弘、」にしたりと、これくらいしか思いつくものがない(「モーニング娘。」は最初からマルが付いてたから例に挙げない)。あと、それに近い例と言えば「石森章太郎→石ノ森章太郎」くらいか。石森さんはともかく、大友さんも藤岡さんも、発音自体は変わってないので、改名した事実に全く気付いていない人も多く、何のための改名だかよく分からないきらいがある。本田美奈子の改名も、あまり浸透しないんじゃなかろうか。新聞、雑誌の記事やパンフレットなど、印刷物ではしょっちゅう忘れられると思うんだがなあ。 ちなみに、その生命判断、当たってるかどうか、適当な姓名判断のサイトで調べてみた。
〔改名前〕 天格(10) ● 凶 家系的運勢を表します。 人格(14) ● 凶 性格や人柄を表します。 地格(20) ● 凶 個人の運勢を表します。 総格(30) △ 半吉 総合的運勢を表します。 外格(16) ◎ 大吉 その人の印象を表します。 ●総合的な運勢 浮き沈みの激しい面がありますが、たくましく障害を乗り越えて行く底力を持っています。そのために、ひとつひとつの困難に忍耐強くぶつかっていけば、道も開けてきます。心根がやさしい面も持ち合わせているので、努力を続ければ実っていくことでしょう
〔改名後〕 天格(10) ● 凶 家系的運勢を表します。 人格(14) ● 凶 性格や人柄を表します。 地格(21) ○ 吉 個人の運勢を表します。 総格(31) ○ 吉 総合的運勢を表します。 外格(17) △ 半吉 その人の印象を表します。 ●総合的な運勢 先祖からの徳を受けているので、才知に長けていながら、温厚で弱者にやさしい心配りのできる人柄の良さを備えており、周囲からの信用と信頼が絶大です。家庭を大切にして、幸福な人生をおくることでしょう。
まあ、総合的にはちょっとはよくなったって感じか? でも芸能活動を続けていくなら、もとの名前の方がよかったような気も(^_^;)。
2002年11月26日(火) 再爆走�◆森�げなくても広がるリング/『低俗霊DAYDREAM』4巻(奥瀬サキ・目黒三吉) 2001年11月26日(月) そろそろこの日記タイトルにも飽きてきてるんだけど/『社会派くんがゆく!』(唐沢俊一・村崎百郎)ほか 2000年11月26日(日) オタアミが出て来た日/第3回オタクアミーゴス・IN・九州
| 2004年11月25日(木) |
ヤクザと一緒の二日間/DVD『CASSHERN』 |
しげの具合があまり芳しくない。 朝、寝起きが悪いのはいつものこととしても、迎えに来るときも、メールを入れただけでは返事がなく、携帯に三度、自宅電話に二度電話を入れて、ようやく電話口に出るのだが、「もひもひ? ふいべ、いべ、あばちゃ」と何言ってんだか全然分からない。 しばらくパートの仕事を休んでた埋め合わせか、昨日から二日続けての8時間労働、多少は疲れてるんだとは思うけれども、それにしたって家事はやっぱり手をつけず、家では殆ど寝て暮らしてるんだから、結局は日頃の運動不足のツケが溜まっているだけである。 助手席に座っていて、機嫌がいいときには白石冬美か横山智佐のような甲高い声で喋りまくられ、機嫌が悪いときには森山周一郎か中田譲治のようなドスの利いた声で、広島ヤクザのように難癖つけられるのだから、どっちにしたってひたすら鬱陶しいだけなのだが、この二日は中田譲治の声しか聞いていないのである。私が暗く沈んだ気分になるのもご理解頂けよう。 「食事はどうする?」と聞いても、機嫌がいい時には優柔不断でなかなか決まらないのだが、今日は「なんか買って帰りたいけど、めんどくせえからガストで食う」とあっさり決まる。いつもの、「どこにしようかなあ、えーとえーと」ってのもイライラさせられるのだが、こう投げやりに決められるのもあまり楽しくない。 しげ、食欲もないのか、ハンバーグを頼んだだけでご飯は食べず。ダイエットしてるつもりなのかもしれないが、だったら肉も避けなきゃならんはずで、しげには珍しく「メシだってどうでもいい」という気分なのだろう。いつもはお喋りしたり本読んだりして長っ尻な我々なのだが、今日はメシを食い終わったらさっさと引き上げた。ぶすくれてるしげと真向かいでメシ食っても、美味くもなんともないのである。
帰宅して、マンガ読んだり、DVDで『CASSHERN』を見たり。マンガの感想は量も多いし書いてたらキリがなくなるので、省略。 紀里谷監督のコメンタリーを聞いていると、前半はかなり無駄なセリフを省き、余計なシーンもカットして、たとえ説明不足になっても映像で見せていこうとする意欲があったことが確認できる。整合性がなくっても、勢いで見せているので退屈はしないのだ。 ところがまあ、後半になるとそういった「刈り込み」がされなくなり、極めて幼児的な「反戦意識」が前面に出てしまうる。もちろん、紀里谷監督の「オトナの事情でこの映画を作ってはいない。今、言わなきゃならないことは子供の気持ちに戻って、『戦争はいやだ』と主張することだ」という気持ちは伝わってくるし、それ自体否定しようとは思わない。「結局、長いものには巻かれなきゃなんないし、日本だって石油欲しいし、某国の問題もあるからねえ」という「オトナの思考」に対して、紀里谷監督が怒りを覚え、そんな単純かつ短絡的な思考に賛同できるかと、異を唱えたくなった気持ちにも充分共感できるのである。 しかし、「大人の理屈」を批判する資格が「純粋な子供」にならある、と紀里谷監督が判断しているのだって、やはり単純思考にほかならない。「ダメだからダメ」ってのは、おもちゃを買ってもらえなかった子供が「ヤだったらヤだ」と駄々をこねてるのと少しも変わりない。そういうピュアな気持ちが届く相手は、同じピュアな人だけなのだ。「反戦」を本気で唱えるのであるなら、ピュアなだけではそれこそ「ダメ」だろう。そこには「戦争屋」どもを翻意させられるだけのエネルギー、そして説得力や駆け引きもなければならないが、『CASSHERN』はそれを「祈り」だけで済ましてしまっている。……結局、オチは『ゴジラ』(1954)ですか(-_-;)。でも、「祈り」も届かず、第2、第3のゴジラが生まれるから『ゴジラ』は名作たりえたんだけど、『CASSHERN』は紀里谷監督の中で自己完結しちゃったからねえ(+_+)。 紀里谷監督の意図に反して、この映画でカッコよく見えるのは、復讐の権化と化したブライキングボスであり、私欲のためにマッドサイエンティストと化した東博士である。「許しあうことが必要だった」なんて言って昇天するCASSHERNなど、はいはい、勝手に逝ってなさい、ってなもんで、イラクの人質レベルの馬鹿にしか見えない。海外版は再編集されるようだけれども、ラスト30分は大巾カットしてほしいなあ。「メッセージ」はドラマ終わらせるための方便として機能してりゃそれで充分、というか、そうしないとこの映画、鬱陶しいばかりで、かえって「好戦的な気分」にさせられちゃうと思うよ。 ……ああ、その点でこれ、『華氏911』によく似てるね(^o^)。
気がついたら大相撲九州場所が始まっていたが(^o^)。 私の相撲への関心は千代の富士で途絶えてしまっているので(古いな)、かつての若貴時代だって土俵外のスキャンダルの方が面白かったし、朝青龍がどうとかいう話題だって、相撲自体には何の興味もない。だってさあ、見ていて心動かされるものがないんだもん。それこそ名横綱と言われる力士たち、大鵬とか北の海とか千代の富士の相撲には、「この強さはいったい何なんだ!」って驚きがあったんだけどなあ。いや、たまに私もニュースで朝青龍の相撲を見かけることあるけどね、今のファンって、あんな腰の座ってない相撲見てワクワクしてるんかね?(私が見た取組がたまたまそんなのだったのかもしれないが) だから今場所も、「ああ、大鵬親方、これで引退かあ」と、昭和30年代、40年代に子供だった世代にしか分からない感慨はあるものの、取組自体を見たいという気は起こらないのである。思い返すと、私は子供のころ(幼稚園のころだと思う)、九州場所の祝賀会に出席して当時現役だった太鵬さんに抱っこしてもらったことがあるのだが、「強いお相撲さんに抱っこしてもらえると、その子は丈夫に育つ」って習わしも、今は廃れてやしないかなあ。自分が子供だったら、あるいは自分の息子を、朝青龍に抱っこしてもらいたいって感覚の持ち主、どれくらいいるんだろう。なんか、「あんな若僧に抱っこしてもらっても、あまりご利益なさそうだ」って気がしないか? そんな寂しさを感じていたところに次のようなニュース。 九州場所名物のちゃんこ鍋と言えば、あの『美味しんぼ』にも紹介されていた「アラ鍋」(「アラ」とは、料理したあとに残った肉の切れ端や骨の「アラ」ではなくて、そういう名前の魚。関東では「クエ」と呼ぶそうな)であるが、各相撲部屋のちゃんこ番の若手はもう包丁裁きも味付けも全然ダメになってしまっていて、アラ鍋が作られなくなっていると言うのである。せっかくタニマチから差し入れされたアラも、豚肉とかとごった煮にされてしまうとか。ともかく今の力士の注文は、自分のカラダを作ることになど興味はなく、ただひたすら「肉、肉、肉」だそうな。ハンバーガーしか食わないからだじゃ、贅肉は付いても筋肉は付かんだろう。今の相撲が全般的にまるで強そうに見えないのは、こうした食生活の変化も原因にあることはまず間違いのない事実だろう。 いやまあ、私だってアラなんて高い魚、自宅で食ったことなんてありゃしないのだが、「九州は魚が美味い」というのは、味ばかりでなくその栄養価も含めて我々の自負でもある。「肉の方がいいよ」なんて言って笑ってる情けない力士など、誰が応援なんてしてやるものか、という気になるのも仕方のないことなのだ。 それでもさすがに朝青龍は、差し入れのアラ鍋を食べて、「こっち(博多)は食べ物がうまいな。力士はやっぱり、食欲だ。体もよく動く」と上機嫌で話していたそうな。なんだかんだで横綱は(つか、高砂部屋は)、相撲取りとしてのからだ作りに注意を払っているということなのだろう。別に私は格別のナショナリストでもなんでもないが、魚料理は少ないであろうモンゴル出身の力士に「味」の意味が理解できていて、日本人力士がそれを忘れてしまっているって事実を突きつけられてしまうと、おまえら国技に従事してるって意識があるんかい、って思いもつい抱いてしまうのである。
2002年11月25日(月) 再爆走� 真深造録燭鹵罅拭悒優海硫Α截慨�(小野敏洋)/『獣星記ギルステイン』4巻(完結/酒井直行・田巻久雄)ほか 2001年11月25日(日) オタアミ承前/『すごいけど変な人×13』(唐沢俊一・ソルボンヌK子)/DVD『金田一耕助の冒険』ほか 2000年11月25日(土) 希ウィッチィズ/安藤希トーク&サイン会
職場の女の子たちに、「『ハウル』もう見た?」と聞いてみる。 その場にいた3人中、2人が「見ましたあ!」「てゆーか、昨日見に行ったばっかりだしい!」と声を上げる。やっぱ、若い子は「てゆーか」に「だしい」ですねえ(^_^;)。 いやもう、若い子のエネルギーにはオジサンは全然付いてけないんだけれども、それでも公開直後に見に行くくらいの情熱はまだまだあるのだ、と内心自分を慰めてみる。……思い出したが、昨日、KBCシネマの窓口で受付のあんちゃんに「ご夫婦でどちらかが50歳以上だと割り引きになりますが」と言われちまったな。白髪が異様に増えちゃってるから、自分でも「老けたなあ」とは思ってるんだけれども。これが「カンロクが付いた」ってんじゃなくて、単に「くたびれた」ってだけなのが情けないのである。 それはそうと、映画の感想を聞いてみると、おおむね満足しているようである。「ああいう終わり方するとは思ってなかったんでビックリしたよ」と言ったら、「そうそう!」とか笑って頷いていたから、別に不満はないようだ。ネットとかでは「あんな終わり方はないぞ!」ってな意見も結構見受けられたのであるが。 実際、貶そうと思えばいくらでも貶せるし、特に持ち上げなきゃならんとも思わないのだが、たとえば物語の整合性の無さなんか、今更指摘したってしょうがないんだよね。そんなの昔からだから。 既に「国民映画」とまで言われているようだけれども、「意味も分からないのに、みんな、ともかく見に行かなきゃならないという気分にさせられている」という点ではまさに国民映画と言えるだろうねえ。前回の『千と千尋』が娼婦の物語だったとすると、今回の『ハウル』は従軍慰安婦か銃後の貞女(正反対に見えて、この二者は男にとっては同質のものである)の物語ってことになりかねないんだけれど、そういう因循な男尊女卑映画を女性のみなさんがこぞって褒め称えててもいいのかねえ。まあ、男が美形ならオシトヤカにお仕えするのもムベなるかなのではあるが。
今日も9時まで残業。 当然帰宅は10時過ぎになってしまうわけで、日記なんか書くヒマはない……つか、すぐに寝たのでネタは無いのである。悪しからず。
2002年11月24日(日) サベツとの長き闘い……はまだまだ続くよ(-_-;)/DVD『アクション仮面VSハイグレ魔王』/DVD『あずまんが大王【2年生】ほか 2001年11月24日(土) オタクアミーゴス in 九州 2001 2000年11月24日(金) ハートブレイク/舞台『人間風車』
| 2004年11月23日(火) |
ヒミツのハカセちゃん/映画『父、帰る』 |
記憶が既にさだかではないが、確か『オバケのQ太郎』かなんかのエピソードで、正ちゃんが「今日は『勤労感謝の日』だから、ママのお手伝いもしなくていいんだ」とか言って、サボろうとして叱れる、って話があった気がする。 もともとこの祝日は戦前の「新嘗祭」を引き継いだもので、つまりは五穀豊穣を神に感謝するわけだから、別に働かなくていいという日ではないわけだ。 労働も特にしてないガキンチョどもは、今、こうして毎日メシが食える喜びを感謝して、今日くらいはお父さんお母さんの代わりに家事を手伝ってやるくらいのことはしてもいいと思うんだけど、昔はいくらでもいたそういう健気な子供って、現代じゃもう絶滅してないかね。 ウチの仕事に家事にサボりまくりの被保護者は今日が何の日かも全然知らんと思う。期待したところで仕方がないと思いながらも、奇跡が起こって「あなた、今日のおかずは○○よ♪」とか言って、料理運んできてくれたらなあとか夢想したりもするのだが、まあ、夢想どころか妄想だろう。ううう(T∇T)。
休日でゆっくり出来るかと思っていたら、昼からしげがハカセ(穂稀嬢)を連れて来た。 芝居の小道具の製作の手伝いをさせるためなのだが、だから人を家に呼ぶ前に部屋は片付けておけよって(-_-;)。居間いっぱいに模造紙広げたりするもんだから、脇を通ることも至難の技、あまつさえトイレの前にシーツを広げてその上に絵の具塗ったくって、「踏むと付くよ」って、おまえらはトイレに全然行かんつもりか(+_+)。こっちは最近また血糖値が上がって来て、頻尿になりつつあるってのによう。 それでも3時くらいには作業もひと区切りついて、穂稀嬢を車で送っていく。 今度の芝居には「黒子」が多数登場するのだが、その衣裳用の端ギレを買いに布屋に寄る。もっとも私は眼が悪いので見立てはできない。ただ付き添ってるだけなので、ちと寂しい。 そのあと、用事があるという穂稀嬢を某所まで送る。 「今日はこれから○○○○○○○んだね」とからかったら、穂稀嬢、「いえ、あの、その」としどろもどろになった。うら若いムスメを冷やかして喜ぶとは、中年オヤジはこれだからいけない。でも、困ったことに穂稀嬢って、非常識を寒天で固めて脳ミソとすげ替えたような天然キャラなので、いくらイジッても全然罪悪感を覚えないのである。そうかー、ここが穂稀嬢の○○○が○○○○○○○○○かあ。なんと○○○○○○○○○○○○○○○○○じゃん! まあねー、別に悪いことしてる訳じゃなし、どこで誰と会うのか、別に隠さんでもよかろうとは思うのだが、こういうことは温かく見守るのがよろしかろうと思うので、あえてヒトと場所は秘するのである。……ってバレバレやがな(#^_^#)。
そのあと天神に回って、KBCシネマで映画『父、帰る』。 しげがやたら見たがっていたけれども、一日一回の上映で、しかも早朝興行が多かったので、これまで見る機会を逸していた。それが今週になって夕方5時からの上映に切り替わったので、ようやく見に行けるようになったのである。 ロシア映画を見ることはそうそうないので(これまで見た映画の中でパッと思いつくのは『戦艦ポチョムキン』『イワン雷帝』『惑星ソラリス』くらいのものである)、日本映画などとはかなり肌触りが違うだろうなあ、もしかしたらすごくつまんないんじゃないかなあ、と心配していたのだが、それは杞憂であった。それどころかこれ、脳天をぶん殴られたと感じるくらいにトンデモナイ映画であったのである。 描写は実にリアルであり、凝ったアングルもなければコケオドシのモンタージュやフラッシュバックもない。もちろんCGなんかも一切使っていない。カメラは淡々と出来事を追いかけていくだけである。しかし、映画を見終わって気付くことは、物語が何も語ってはいないという衝撃の事実なのだ。 母子家庭の兄弟のところに、ある日突然、父が帰ってくる。父は兄弟を旅に連れだし、ある無人島へ渡る。兄弟は突然の闖入者である父の存在をどう受け入れてよいか分らず困惑するが、父は島で事故にあって死んでしまう。 ……で。物語は終わりである。「呆気に取られる」とはこういうことを言うのだろう。父は失踪していた間、どこで何をしてきたのか、今、家族のもとに帰ってきたのには何か訳があるのか、いや、そもそもこの男は本当に兄弟の父だったのか、全て説明されないまま映画は終わる。そこに「出来事」はあるが、「意味」や「説明」は一切ない。普通そういう映画は「不条理劇」と呼ばれるものだが、描写がリアルなだけに、監督が観客を翻弄するためにそんなことをしたとは感じられないのだ。おかげで、我々はこの映画をどう受けとっていいか、困惑の中に置かれたまま、映画館の外に放り出されてしまうことになるのである。 けれど、やたら過剰な説明ばかり語られて「この映画はこう受けとってください、それ以外の解釈は困ります!」と言った類の押しつけがましい映画が多い中で、この「潔さ」はむしろ小気味よい。「なんじゃこりゃ?」と腹を立てるお客さんもいるだろうが、私やしげはこういう映画の方が好きである。 ……だからなんだろうなあ、自分たちで作る芝居がやたら説明不足になるのは(役者が文句つけるんで、改稿するとすぐ説明的になっちゃうんだけど)。
帰りに「ヤマダ電器」に寄ってパソコンコーナーに。 私もそろそろノートパソコンを買わないと、仕事にかなり支障を来たしつつある。一応、職場にもパソコン置いてあるんだけど、これが方が古いのかメンテまるでやってないのか、ともかくやたらフリーズしまくってるのだ。けれど、デジタルテレビ買っちゃったこともあって、今すぐには買えない。つか、ヘタすりゃ来年の夏まで買えない。DVDボックスとか買うの、少し控えりゃなんとかなるんだけど、今見とかないとなあというのが最近やたら出まくってるし。『風と共に去りぬ』ボックスとか、『ザッツ・エンタテインメント』ボックスとか、私に死ねと言ってるようなものである。
昨22日、『華氏911』のマイケル・ムーア監督が、オンライン映画雑誌 “Film Threat. Com”の「Frigid 50(寒い50人)」でトップに選ばれたというニュース。 もともとこのサイトは、エンターテインメント業界に対して批判的なところだそうだが、この「Frigid 50」の主旨は、「面白みに欠け、興ざめの著名人」を挙げることにあるという。だとすると、ムーア監督がワーストに選ばれた理由は、政治的な批判というより、その「人間的な態度」にありそうだ。選考理由が「あまりに巨大なエゴ」というのも、納得できることである。 おそらくは、お上品な映画を作ったって世間の注目は浴びない、とにもかくにも自分の主張を聞いてもらうためには「宣伝」が先だとムーアは判断しているのだろう。そのこと自体は必ずしも間違いとは言いきれない。しかし、『ボウリング・フォー・コロンバイン』のチャールトン・ヘストンへの失礼極まりないアポなし取材や、『華氏』での我田引水かつ恣意的な情報操作はあまりに度を越している。こうなると世間の見方は「反発」の方が強くなってしまう。選挙後のムーアの奇異かつ余裕のない発言を聞くだにつけ、からかいの対象になっているのはブッシュよりもむしろムーアの方になりつつあるようにすら思える。ムーアはさらに『華氏911・2』を企画しているそうだけれども、ひとり、山のてっぺんでヒステリックにアジ演説ぶつような、お寒い映画になっちまわないだろうか。ミシマかい(-_-;)。ギャグって「高踏派」じゃなきゃ作れないものだと思うんだけどね。 ちなみに第2位は、ハル・ベリー。アカデミー賞女優だってのに、『ゴシカ』『キャットウーマン』がなんだかなあ、な出来だったからだそうだが、それと『Xメン3』のストーム役を蹴ったことも理由になってるんじゃないかな。ステイタスが上がったと思って天狗になってんじゃねえ。それで出た映画があれかよ、という反発。いまからでもおそくないから、『3』にもちゃんと出ます、ギャラ低くてもいいから、とはっきり表明したらどうかねえ。それだけでも「株」はかなり上がると思うけど。
2002年11月23日(土) 江川卓>○○○/CD『ちょんまげ天国』/DVD『ハレのちグゥ』4巻/『ほしのこえ』/『オトナ帝国の逆襲』 2001年11月23日(金) 純情エロさん/オタクアミーゴス前夜祭 2000年11月23日(木) 勤労感謝の日スペシャル/『超オタク』(岡田斗司夫)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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