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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2002年10月31日(木) --

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『冷暗所保管 テレビ消灯時間4』

以前から私がブツブツ言っていたことを おぼえていて、S編集長が教えてくれた。
「ほら、カラ鼻すすりのことが載ってるよ。 やっと仲間がいたね!」

なんのことか。 ナンシー関がいみじくも言っている、 「何故、木村○哉は鼻をすすりあげるのか」 というコラムのことである。

以前から私がブツブツ言っていた、というのは 日本人男性の一部に見られる 「カラ鼻すすり」という、彼らにとっての 魅力的な所作のことだ。 それなりに間というか、絶妙なタイミングという、 技めいた意識もあるようである。

これは、一般人でも芸能人でもスポーツ選手でも 誰にでもあらわれる不思議な癖であり、 彼らがテレビカメラを前にしたとき顕著である。

ナンシー関も、同じく「カラ鼻をすする」と表現しているとおり、 決して本当に鼻をずるずるすすっているのではない。 鼻など出てこないのに、合いの手を入れるかのように ごく軽く、カラ鼻をすする。 その感じは、どこか、タバコの煙を横に吐く あの感じに似ていなくもない。

私がそれを苦々しく思っているであろうことは この文章のトーンからも察していただけると思う。 が、まあそれはさておいて。

どうでもいいといえばいいのだが、 この所作の出どころが、長年気になっていた。 長年というのは、かれこれ10年くらいである。 いったい誰が最初にはじめたのか。まさか江戸時代から 続いているとも思えない。

世の、カラ鼻をすする男性たちは、 どこからその所作を教わってきたのか知っているのだろうか。 もしやそれは公然たる事実なのか? ただ、私の予想では、頂点にいるらしいKも、 誰かの影響下にあるはずなのである。 この所作を発明した「カッコイイ男の王さま」(追随者にとってのみ)とは、 いったい誰なのか。 Kはそれを定着させたのか、 それともひねりを加えたのか。

わからないから謎である。 でも同じことを考えてる人がいてうれしい。 (マーズ)


『冷暗所保管 テレビ消灯時間4』 著者:ナンシー関 / 出版社:文春文庫

2001年10月31日(水) 『光草-ストラリスコ-』
2000年10月31日(火) ☆ 今日はハロウィーン。

お天気猫や

-- 2002年10月30日(水) --

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『耳袋の怪』

うちの父は緑の布張りに金箔押しの、 箱入りの小さな本を長年愛読しています。 和服の着流しで煙草盆を叩きながら、 猫を傍らに 東洋文庫の『甲子夜話』『和漢三才絵図』『耳嚢』等など、 江戸時代の殿様のエッセイや百科事典を呑気に眺めている姿は ‥‥とても平成の人間には見えない。

とかいいながら私もちらちら覗いて面白がっていたのですが、 こういう類いは常に手近に置いて折々拾い読みして のんびり楽しむものですから借りていくのも悪いし、 東洋文庫は無理でも岩波文庫版の『耳袋』でも買おうかなあ、と 思いつつもいまだに手に入れそびれていました。

そしたら、『耳袋』の中でも人気の「怪異」ものをメインにまとめ 平易な現代訳で語った『耳袋の怪』というお手軽な本が出ました。 とりあえずは、これでいきましょう。

『耳袋(耳嚢)』は南町奉行職も勤め人情奉行と評判の高かった 根岸鎮衛が友人知人から収集した噂話を書き溜めた人気綺談集です。 鬼神悪霊の存在を信じていた中世の人々とは違って、 近世の都会人、江戸の人々は案外と 迷信を信じない合理主義だったようで、 私達と同じく「怪談・奇談」も結構エンターテイメントとして 楽しんでいたようです。

どこそこに幽霊が訪れた、猫が恩を返した、菊虫が出た。 根岸様は「僧侶の加持祈祷なんかを信じて、 重い病人にも薬を飲まなせない愚か者」を嘆いたり、 あまりにも超常的な事件には「こんな事が現実に ある訳はないから伝聞に作為が混じっている」と判断する、 常識的で明晰な優しい御奉行様です。

でも、好きな訳ですよ根岸肥前守様もこういう話が。 「そういう事もないともいえないな〜」とか言って。 私達も大好きなんですよね、こういう話。

宮部みゆきさんは、お江戸のサイコメトラーお初ちゃんを 根岸様の個人捜査官という設定にして、『耳袋』の中の短い一話を 『震える岩』という超能力ミステリ時代劇のネタにしています。

リアリティのあるうわさ話の原則はその情報が正確である(らしい)事。 「どこで」「誰が」といった固有名詞をなるべく記録し、ソースを確定する。 自然、その事件を実際に体験した人物が居る、同時代の話が主になります。 因縁などは作り話っぽいので重視せず、極力起きた事実だけ記す。 ですからその時は怪異に見えても、実は合理的な「謎解き」が 可能な現象も多くあります。

実際、現代では特定の疾患の症状として知られる現象がリアルに伝えられ、 それがまた記述の正確さを証明しています。 だから、他の不可思議極まる出来事だって「本当にある」かも。

いかにも作り話めいた起承転結がなく、加工されていない素材だけの 話のタネというのはぞっとする「現実の手触り」を感じさせるものです。 肌に粟立てながらも、次々聞くのをやめられない。 という訳で、今人気の怪異譚集『新耳袋』もこのテクを踏襲し、 作り込まれた怪談とはまた異なったシンプルな怖さでヒットしています。 「うわさ」は生の形を書き残す事に意義が有る。(ナルシア)


『耳袋』上・中・下 著者:根岸鎮衛 / 訳:長谷川強 / 出版社:岩波文庫
『耳袋』 1・2 著者:根岸鎮衛 / 訳:鈴木棠三 / 出版社:平凡社ライブラリー、東洋文庫
『耳袋の怪』 著者:根岸鎮衛 / 訳:志村有弘 / 出版社:角川ソフィア文庫
『震える岩』霊験お初捕物帳 著者:宮部みゆき / 出版社:講談社文庫
『新耳袋』現代百物語1〜7 著者:木原浩勝、中山市朗 / 出版社:メディアファクトリー、角川文庫

2001年10月30日(火) 『バベル-17』
2000年10月30日(月) 『魔道書ネクロノミコン』

お天気猫や

-- 2002年10月29日(火) --

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『ヨーロッパ ホラー&ファンタジー・ガイド』

なんだか曖昧なタイトルですが、 実はこれがなかなか内容充実ながら読者を選ぶ。

青ひげ公ジル・ド・レーのお城チフォージュ城、 錬金術工房の残るプラハ城、郵便夫シュヴァルの理想宮、 ジャケ=ドロの自動人形、ノイシュワイシュタイン城、 カルナックの巨石列、フィレンツェの解剖鑞人形、 これらのブツにピンとくる向きには見逃せないですよ、お客さん。

何しろ世界的な文学作品に数々取りあげられ、 我々幻想と怪奇を愛するものたちの憧れの的であるこれらの怪奇物件を、 我らがアラマタ先生がじきじきに出かけて行って 実際に見て歩いて直に触って、おススメするツアーなんですから。

多くは澁澤龍彦氏の華麗な文章によって 日本の読者の幻想を掻き立てたこれらの怪奇物件、 昨今の海外旅行事情で実際に訪れる事も割合簡単になりました。

そこで見かけによらず常にフットワークの軽いアラマタ先生、 高名な観光地は言うに及ばず、なかなか普通の旅行では訪れないような 稀代の詐欺師カリオストロが幽閉された城砦都市サンレオや、 『レ・ミゼラブル』で有名なパリの下水道、 ロンドンの有名幽霊屋敷ツアーなどなど、 いろいろ見逃せないコースも紹介しています。

タイトルの「ファンタジー」は文庫化の際出版社が、 折からの『ハリー・ポッター』『ロード・オブ・ザ・リング』の ヒットに便乗して無理矢理追加した様です。

いくら荒俣先生が翻訳ファンタジー界でも第一人者だからって 「へー、”賢者の石”って現実に探してたんだ」なんて思う ファンタジー初心者にはちょっと‥‥ディープ過ぎるかと。 特に「苦手」な人は口絵のカラ−写真を見ちゃ駄目ですよ。

いわく因縁ある建築物等はまだいいですが、 出て来る出て来る。 生けるがごとき人形、生けるがごとき死者、 死せる鑞人形、死してなお生ける異形。

「ヨーロッパ人達が身も凍る恐怖を楽しむという、 罪深い文化を生み出した」

罪深いみなさま、いらっしゃい。(ナルシア)


『ヨーロッパ ホラー&ファンタジー・ガイド』 著者:荒俣宏 / 出版社:講談社+α文庫

2001年10月29日(月) 『エスターハージー王子の冒険』
2000年10月29日(日) 『蒲生邸事件』

お天気猫や

-- 2002年10月25日(金) --

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☆日野啓三氏を悼む

月に一回、読売新聞夕刊に掲載されるエッセイが楽しみでした。
芥川賞作家・日野啓三氏の『流砂の遠近法』。 ここ何年かは月一回のペースが途切れると、 長い闘病生活を続けられている日野氏の具合が また悪くなったのか、と心配になりました。 ふっと紙面に作品が載っているのを見つけると、 お加減が良いようだ、と安心しました。

間遠になっていた連載は、 もう二度と紙面に載る事がありません。

連載エッセイのタイトルは日野氏の作品イメージを 端的に表現していたと思います。 「流砂」。さらさらと流れる細かな砂の大地は 作品中度々現れる日野氏の原風景です。 「遠近法」。現に目の前にある世界の奥に、 重なっている別世界を視る日野氏の視線は、 表面的な現実の上にすっすと直線を引いて 別世界の構造を現していきます。

環状八号線の渋滞の奥に沈む夕陽を見ても、 雨に降り込められた病院の待ち合い室の中からでも、 その一枚下の時空を超えた別世界を幻視する 日野氏の遠近法がとても好きでした。

初めて日野氏の叙情的ながら理性的な文章に接した時、 「このひとは何者かな」とちょっと嬉しくなりました。 湿っぽく濃密な人間の内へ内へと身を沈めていくブンガクとは違って 乾いて空虚な世界の外へ外へ広がる静かな視線。 本の見返しのプロフィールには東大から読売新聞入社とあります。 なるほど、もとはジャーナリスト‥‥と 納得しかけて次の履歴を目にして凍り付きました。 ベトナム特派員。

新聞社を辞して文筆生活に入り、 混沌とした文明社会を透かして遠い大地を視ていた日野氏。 私の目は新聞記事の向うに広がる明るい砂丘を 軽々と歩いている日野氏の姿を視ています。 足跡は流れる砂に飲まれていくけれど、 地平線の彼方の消失点に向かってゆく背中は 遠くなりながらも、まだ消えない。(ナルシア)

2001年10月25日(木) 『あやうし、カミナリ山!』
2000年10月25日(水) 『野草・雑草観察図鑑』

お天気猫や

-- 2002年10月23日(水) --

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『魂の伴侶』

「こんど生まれ変わったら、こうなりたい」
「生まれ変わっても、また会おうね」

私たちは、日常的に、こんな会話を交わしている。 生まれ変わり、輪廻転生を信じている人はどのくらいいるのだろう? 本当の数字は調べようがないが、ただ、そういうこと(魂の不滅)を 信じる人の数は、世界的に増えているらしい。

そういう人の割合が非常に低いと言われるアメリカで 精神科医として頂点を極めたのが、著者のワイズ博士。 (余談だが、博士も勤務していた、よく聞くマウント・サイナイという 病院名が「シナイ山」だとやっと気が付いた。たしかに直訳はできない!) その彼がキャリアを捨てるも覚悟で書いた最初の本、 『前世療法1・2』は全米ベストセラーとなっている。

本書では、ワイズ博士が医師として実際に体験した 二人の患者たち、エリザベスとペドロというソウルメイトの出会いと、 さまざまな退行催眠の実例から、 ここに生きるということの意味や、医師としての使命をも理解してゆく。 読みながら、何度も、これはフィクションではないのに、 と思わされるほど、すべてが啓示的である。 (ことに、博士本人が退行催眠でユダヤ教エッセネ派のイエスらしき 人物と出会ったくだりなどは)

主人公である二人は、 長い時を繰り返し寄り添って生きながら、 夫婦にしろ親子にしろ、最後まで寄り添えない悲運に見舞われていた。 それが今生では、人生のなかばで目覚め、 理想的なカップルとなって出会う。 期せずして同時期にワイズ博士の診察を受けた彼らは、 細部まで同じ過去世を、何度も体験していたのだった。

幼児期のトラウマが、いかに意志に反して人生の舵を取ってゆくのか、 今では多くの研究がなされている。 ことによっては、出産前後の状況も大きく影響すると考えられている。 そのトラウマを乗り越えてはじめて、人は自分の人生を生きることができる。 たとえ後半生をそのために費やすことになっても、 この荷物の存在を知り、胸の底から降ろすことは重要だ。

とはいえ、それだけでは癒せない何かが、人間にはある。 それを癒すためには、退行催眠によって 過去の人生でのトラウマを体験することが有効なのだという。 たとえば、子どものころから原因不明で痛かった体の部位が 過去世で受けた致命傷の傷と同じだったり。

それが科学的に検証されているかどうかではなく、 そのことによって、患者の苦しい症状が飛躍的に改善される (その後一度も痛みを感じなくなるとか)というのが、 本来、ワイズ博士が退行催眠を治療として用いた理由である。

しかし、それでは事は収まらなかった。 象徴的な二人の出会いに関わったことで、ワイズ博士の霊的炎はみがかれ、 知り得た生命の叡智とでも呼ぶべき情報を、 「魂のレベルで」惜しみなく、美しく表現している。

当事者二人の奇跡的なロマンスは、 じつは誰にも起こりうることなのだと、 だれにもさまざまな役割のソウルメイトがいるのだと 私もやはり思っている。 何十年も生きてきたら、いろいろな縁があり、 そういうことを思わないではいられない。 出会うべくして出会う、そこまでは決まっていると してもおかしくないと思えるのだ。

それぞれの章のはじめに記された 古今東西の賢人たちの言葉には、 不滅のものへの、人類という種族が抱くあこがれ、 というよりも、絶対的な不滅への確信があらわれていて、 本文にまさるともおとらぬインスピレーションを 与えてくれる。(マーズ)


『魂の伴侶』 著者:ブライアン・L・ワイス / 訳:山川紘矢・亜希子 / 出版社:PHP文庫

2001年10月23日(火) ☆点字の絵本という発想。
2000年10月23日(月) 『クリティカル進化論』

お天気猫や

-- 2002年10月21日(月) --

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☆「ワンス・アポンナ・タイム・シリーズ」

-- モダンなクラシック --

1988年から順次、 「ワンス・アポンナ・タイム・シリーズ」という 古典童話の絵本集が西村書店より発刊された。

そのラインナップは、
『リング王子−アイスランドのむかしばなし』
『スノー・クイーン』
『女王バチ』
『ガチョウ番のお姫さま』
『木のはえた花嫁−ノルウェーのむかしばなし』
『白雪と紅ばら』
『ラプンツェル』
『3まいの羽』
『ブタ王子−ル−マニアのむかしばなし』
『漁師とそのおかみさん』
『フィッチャーさんちの鳥』
『3つのことば』
『すずの兵隊』
『赤ずきん』
『眠り姫』
『シンデレラ』
『モミの木』
『美女と野獣』
『ジャックと豆の木−イギリスのむかしばなし』
『ヘンゼルとグレーテル』
の、20冊である。 中には、品切れの物もあるようだが、 大部分の本は今でも手に入る。

絵本というよりはアート。 それは画集であったり写真集であったりと、 非常に大胆で、また贅沢な大人のための絵本シリーズだ。

年は取りたくないものだが、それでも年を重ねることで、 やっと分かってくることもある。 今さらながらに、やっと、物の価値、値打ちに気づくのだ。 「ワンス・アポンナ・タイム・シリーズ」の発刊は、 画期的で、出版界のニュースであったことは知っている。 知っていたが、そんなにすごい事・すごい物だとは 思っていなかった。

何しろ、小さくて薄い絵本で、1冊が1000円前後。 1000円出せば、大判の美しい絵本はいくらでもあったのだ。 だから、私は、中でももっとも大胆かつ少々実験的ともいえる、 イラストではなく、モノクロームの写真で構成された 『赤ずきん』と『もみの木』だけしか持っていない。

『赤ずきん』は、確かに『赤ずきんちゃん』の物語である。 ファッション・フォトグラファーのサラ・ムーンの 写真で構築された物語は、とても淫靡である。 現代に置き換えられた物語の舞台は、暗い影の伸びる路地裏。 狼ではなく、少女につきまとうのは一台の車。 登場人物は少女だけだが、 『赤ずきん』(ペロー版)という物語の危険な匂いが あますことなく表現されている。

マルセル・イムサンドの写真による 『もみの木』もまた、ユニークだ。 なんと、「もみの木」が幼い男の子として 表現されているのだ。だからよけいに切なくて、 ぎゅっと胸をしめつけられる物語になっている。

何度となく読んだことのある物語でも、 アーティストの表現によって、 こんなにも受ける印象が違う。 それが、「ワンス・アポンナ・タイム・シリーズ」の魅力であり、 このシリーズのコンセプトだったのだろう。 美しく、斬新であること。 古典的な物語を、テキストはそのままで、 言葉以外の表現者の手で、 クラシックを、もっともモダンなものに reborn−再生させること。 当時はそんなことを考えもしなかったから、 ただ毛色の変わった絵本シリーズにしか見えなかったのだろう。 「高邁な野心」 そんな言葉がふっと、心をよぎった。

これからも年を重ねることで、 時には、こんな風に、若い頃に見落とした 大切なことに気づくのだろうか。 それなら、まあ、 年を取るだけのことは、あるのかもしれない。(シィアル)


「ワンス・アポンナ・タイム・シリーズ」 / 出版社:西村書店

2000年10月21日(土) 『神秘学マニア』

お天気猫や

-- 2002年10月15日(火) --

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秋休みのお知らせ。

いつも夢の図書館をおたずねくださって、 ありがとうございます。 特にこのところ、感想メールをいただくことが増え、 とても励みになっております。

ふと、そういえば、今年は夏休みもお彼岸休みも(?) 取らなかったではないだろうか。 ということで、 今日からちょっと、季節外れのお休みをもらうことにしました。 一週間くらいで戻ってきます。

再開は、10月21日(月)の予定です。

再び扉が開くまで、 新しい本が入るまで、どなた様もどうぞお変わりなく。 秋の夜長の本読みをお楽しみください。

2001年10月15日(月) 『ハロウィーンがやってきた』
2000年10月15日(日) ☆ 女王に薔薇を。

お天気猫や

-- 2002年10月11日(金) --

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☆オオヤケの本棚。

先日、仕事の資料に買った本やら、 大昔に買ったビジュアル系の本やらを、 行きつけの町の、小規模な図書館に寄贈した。

前回寄贈のコツが多少わかったので、 今回は全部パス(?)して、わりと喜んでもらえた。 寄贈者の名前も入れないようにお願いできたし。 もし必要になっても、ここにあれば、借りに来ることができる。 といってもおそらく、必要にはならないと思うし、 公共の場にあるほうが、家で死蔵するより役に立つ 本ばかりである。

この図書館は開館して3年くらいだと思う。 私が仕事でよく行く町にある関係で、住んでいる町の 図書館よりもずっと利用している。 棚にもまだ空きスペースがあるし、 どこでもたくさんある小説系より、 寄贈するなら新しい実用書や価値の定まったビジュアル系のほうが 喜ばれるのだろう。

なにぶん小さい図書館だから、調べ物にはあまり役立たない。 でも、なにより、児童文学が充実しているし、大人と子供の くっきりとした線引きがないので、私には宝の山となっている。 この図書館との出会いがなければ、これほど 児童文学を読み、感想を書くという作業もできなかった。

その後、ビジュアル系の本を見たくて、 あらためて県立の大きい図書館に行った。 が、アート本や写真集なども、社会派の作品が選択されていて、 ある種偏っている。 美術全集などはあっても、アートの本は本当に少ない。 新しい本が増えていない。 予算がないのだなぁ。こういうことにつぎ込む予算は 無駄と思われているのだろうか。 オンライン化に予算を取られたのだろうか?

そしていつもそうだが、館内で相談する声や床の鳴るのが気になって、 ゆっくりうろうろできない(神経質すぎ?)。 書架の通路が狭すぎるのも、利用者どうしの遠慮を生む。

オンライン化も遅れていて、やっと稼働始めているが、 移転して整備されるという計画は頓挫したままらしい。 公立図書館には、どこでも買えるベストセラーを何冊もそろえるよりも、 片田舎で普通に生活していたら、知ることも見ることも できないような知や美の極致をこそ、置いて欲しい。

なにかのきっかけで、その本を手にとったことで、 その人の人生が変わることを信じる者の一人として、 公共の本棚の充実を願っている。 (マーズ)

2001年10月11日(木) 『コレリ大尉のマンドリン』
2000年10月11日(水) 『君について行こう』

お天気猫や

-- 2002年10月09日(水) --

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『調理場という戦場』

タイトルから伝わってくる、 専門的な殻に固まったようなきな臭さに、 さて読むべきかどうかとためらったが、 読んでみるとむしろ「調理場という天国」なのだった。

こういう本が好きなのだ。 ひとつの仕事をきわめた人が、謙虚な世界観を語っている。 その人の成長に関わった人々との、 けっして偶然とは思われない縁への想いも含めて。

現在、東京の三田で「コート・ドール」の オーナーシェフとなった斉須さん。 右も左もない若さだけの時代、フランスへ渡って、 6店で修行をかさね、12年後、帰国した。

この本は、たぐいまれな料理人の自叙伝としてだけでなく、 何かをなしとげるという生き方の本でもある。 共感することが多かった。

その世界できちんと生きていくためには、 料理(この場合は)に関しては独創的であるべきでも、 存在としてはアクをもたず透明になれ、と、 斉須さんは、ことあるごとに強調する。 めだたず地味で、普通の人のようにふるまっている鷹。 仲間と同じことを見聞きしていても、内側で考えていることに、 まねのできないユニークさがある。 まるで、名編集者のように。

そういう人物が、いざというときは力を発揮する。 「いざというとき」は、いつなんどきあるかしれない。 しかも、現場では少なくはないだろうと想像する。 それを訴える人物が、山のような現場体験をものしてきた 人なのだから説得力がある。

彼は本を読むのが好きだという。 ことばを大切にしている。 本書は聞き書きをまとめるという形で、いわば、語りかけに近い。 順を追ってまるで階段を登るように、彼の体験が語られ、 私たちも一緒に階段を登っていく。 ときに階段はらせんになったりもするけれど、 無駄な回り道とはとうてい思えない。

苦しいとき、「もう、だめかもしれない」 と何度も思ったという。 でも、やめることはしないと決めている。 皆そう思うのだと、未熟者は励まされた。

その日そのときの、 「瞬間瞬間で手が伸びてとにかく作ったというようなもの」(本文より)、 そこに料理人の真価があらわれる、ということも言っている。 いわば私たちのやっているエンピツ書評にも通じる のではないかと思うと、これも励まされたのだった。

良い人生だと思う。
それがすべてだと思う。
自分の仕事をまっとうし、なりたいと願った理想の人間性を獲得し、 両手のなかで若い才能を育て、独立させてゆく。

思い込みのはげしい人間だから、こういう本を読むと、 すぐに、弟子入りして第二の人生を、とか思ってしまうのだった。

※本書の一部は、糸井重里のウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』で発表され、 後に「ほぼ日ブックス」として出版された。 (マーズ)


『調理場という戦場』 著者:斉須政雄 / 出版社:朝日出版社

2001年10月09日(火) ☆古本屋巡りをしても、読みたい。
2000年10月09日(月) 『血のごとく赤く』

お天気猫や

-- 2002年10月08日(火) --

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『ミス・マナーズのほんとうのマナー』

☆ぱらぱらと、めくって楽しい本。

ときどき思い出したように、ぱらぱらとめくっています。 マナー本といっても、堅苦しい礼儀作法ではなくて、 私たちの日常生活の中で出くわす、ちょっと困ったことを ミス・マナーズに質問したもの。 そしてその答えも、軽妙でユーモラスだけれど、的を射ている。 たとえば。

Q.バスに乗って、座席に座っていると、通路を歩く女性に ショルダーバッグを頭にぶつけられます。 この女性にどういったらいいでしょうか。

A.この女性に、「バッグを持ってあげましょう」といってごらんなさい。 とたんに彼女は、バッグをぎゅっとつかみあなたから離れていくに ちがいありませんよ。

という感じ。

アメリカでは、このミス・マナーズのコラムは大人気だそうです。 私の使っているPC用のアームレスト。 スヌーピーのマンガの場面が印刷されているのですが、 ウッドストックに鼻先にとまられてタイプのじゃまをされている スヌーピーが 「Dear Miss Manners,」とミス・マナーズに相談をしています。 アームレストを見ながら、なるほど、大人気だと、私も納得をしました。

日常生活の中の、対人関係のトラブルはユーモアと正直であることで ずいぶん避けられそうです。ただし、正直であるだけでは、 こじれてしまう問題もたくさんあるでしょう。 「ユーモア」のスパイスが大切なのです。 「ユーモア」を楽しむ心の余裕。 余裕があれば、相手の立場や心を思いやることもできるのだし。 周りの人を思いやれる心の余裕が、ほんとうのマナーなのだと、 ちょと納得しました。

分別くさいことを抜きにしても、さまざまなミス・マナーズへの質問は、 (質問者はもちろん真面目なのでしょうが、)質問も何だかユーモラスで ついつい、口元がゆるんできます。 あるいは、なるほど、そうかと、膝を打ったり。 (Q.友だちから離婚をするのと告げられたら。 A.「うまくいくといいですね」と、私は答えています。)

元の原書は、とても分厚い本だそうですが、 ホワイトハウス関係や宗教をめぐる問題以外で、 日本人の生活に関係のあるものをチョイスしてあるそうです。 ぱらぱらと、めくっているだけで、 欧米の文化の違い(Q.エレベーターから降りる順番)や 国は違っても普遍的な事柄(Q.プレゼントをしてもお礼を言わない嫁への 対処法などの、嫁姑問題)など、おもしろい発見もあり楽しめます。 もちろん、知ってて役に立つこともたくさんあります。(シィアル)


『ミス・マナーズのほんとうのマナー』 著者:ジュディス・マーティン / 出版社:暮らしの手帖社

2001年10月08日(月) 『トラフィック』
2000年10月08日(日) ☆ どちらの“ライス”?

お天気猫や

-- 2002年10月07日(月) --

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『花日記]』

現代の日本をして、 中国文化に幻惑されて本来の感性を忘れかけていた 平安時代と似ている、という白州正子。

十代でアメリカに留学し、 大陸的ニューハンプシャーの「秋」と出会い、 そこに「経緯」のないことに気づき、 日本の秋の風情を懐かしんだという。

1998年発行というと、不思議な気がする。 この花を器にいけ終え、 その年の暮れに他界した人を思うにつけ、 年齢ゆえの枯れ方というような常識も、 世間の思い込みに過ぎないのかと。

この写真集は、暮らしのなかでおりおりに 季節を告げる植物、その「緑」を分かちがたいものとして 暮らしに取り入れてきた日本人の 「想い」そのものをテーマとしている。

あるじ亡き現在は、一般にも開放されている白州邸。 農家の趣を残すふるびた空間で 思いつくまま「いけられた」花と器。 そして白州正子の言葉が、歳月をものがたる。

すべての器に背景があり、 それを生みだし、育てた手がある。 そういう器が、花と出会うとき、 花は意味をもって「いかされる」のである。 野に咲く花は花のまま、それはそれでよい。 花をいけることは、花が「花に成る」ことなのだと。

どのような知識よりも、 最終的に真善美を見きわめるのは、 あなたというひとりの魂なのだと。

白州正子という名をみるたびに、 思いは同じところをめぐる。 「こんな人は日本にもう現れない」と。
(マーズ)


『花日記』 著者:白州正子 / 写真:藤森武 / 出版社:世界文化社

2001年10月07日(日) ☆SFの佳品リスト
2000年10月07日(土) 『陰陽師』

お天気猫や

-- 2002年10月03日(木) --

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『ボストン夫人のパッチワーク』

『グリーン・ノウ』シリーズの作家として知られるL・M・ボストン。 英国でもっとも古いといわれる 12世紀の重厚な石づくりの屋敷、 グリーン・ノウのモデル、「マナー・ハウス」に 暮らした女流作家。

その彼女が、パッチワークの達人でもあったとは。 この本をまとめたのは、息子の嫁、ダイアナ・ボストン。 日本語訳は、かのマナー・ハウスに寄宿したという 稀有な日々を持つ林望さんである。

マナーハウスのパッチワークに没頭していたボストン夫人の姿は、 たしかに、いわれれば納得できる。 彼女の本を読んで感じていたが、 何をやるにしても、徹底的にやるタイプのはずだから。

どの一枚をとっても、深く考え、愛情をこまやかに縫いこめた
─使う人への、そして布きれへの─
その結果、ひとつの人格を与えられた布のあつまりである。 1938年に最初の作品を「つなぎあわせて」以来、 1990年に98歳で亡くなるまで、 ときに著作との関わりも感じさせながら縫い上げていった 数々のインスピレーションに満ちた宇宙の「きれ」。

ことに、『グリーン・ノウの魔女』の構想を練りながら 仕上げたという『ハイ・マジック・パッチワーク』は、 グリーン・ノウシリーズのなかでも異質なほどの 影のある魔術的雰囲気を、たっぷり吸い込んでいる。 あるいは、この布のなかから、魔法は忍び出して来たのだろうか。

いうまでもなく、パッチワークには器用さだけでなく 数学の才能が必要で、 それに加えて、取り合わせの「ひらめき」、 貴重な布との出会い運があれば、その作品は、 日常品でありながら芸術品となるのだろう。

この写真集のおかげで、キルトの作品だけでなく、 ボストン夫人の日常や、キルトづくりへの思い、 そして彼女が代々マナーハウスに生まれたのではなく、 あるとき偶然の導きに従って、運命の家と出会ったという事実を 知りえたことにも感謝したい。 (マーズ)


『ボストン夫人のパッチワーク』 著者:ダイアナ・ボストン / 訳:林望 / 出版社:平凡社

2001年10月03日(水) 『星を継ぐもの』
2000年10月03日(火) 『恋愛的瞬間』

お天気猫や

-- 2002年10月02日(水) --

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『on reading』

なにものかを読む人々や読まれる人々、 生きものたちの姿をもからめて 京都の街を舞台に撮った写真集。

撮影時期は、1975-1997年。
長い。
22年の歳月をかけて、読むということに こだわったモノクロの風景が並ぶ。

どの写真にも、独特の匂いがあって、 京都だからなのか、背後に隠れているという「強烈な物語」の ゆえんなのか、その匂いが、 読むものの背後にある匂いを呼び起こす。

読むという特権は、読書好きだけのものではない。 書店のなかで、あるいは外で、 何かを熱心に読んでいるらしい薄汚れたオジサンたち。 彼らの異様に集中する姿、それが写真に写った事実であることを 不思議に思わずにはいられないし、 おそらくは偶然に彼らを撮った写真師の目にも 捨て置けない瞬間だったのだろう。

猫も読む。
赤んぼうも読む。
猫を読む。
赤んぼうを読む。

巻末のプロフィールを読むまで 作者のことは何も知らなかった。 が、私の知る京都人も被写体として収まっていたので、 この人と京都との関係は深かろうとは思っていた。

写真に添えられたコピーは、あっても なくても良いのかもしれないが(笑)、 そこにコピーを添えた詩的感性が この普遍的テーマの一冊を、日本のオリジナリティーに つくり変えたともいえる。 (マーズ)


『on reading』 著者:甲斐扶佐義 / 出版社:光村推古書院株式会社

2001年10月02日(火) 『快眠力』
2000年10月02日(月) 『養生訓』

お天気猫や

-- 2002年10月01日(火) --

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『DIVE!!(4)−コンクリート・ドラゴン』

☆オリンピックより、遙かその先へ。

涼やかに水をたたえる青いプール。 プールサイド特有の臭いや音の響き。 少年たちの緊張感。 固唾をのむギャラリー。 この物語はそれぞれのシーンが、くっきりと瞼に浮かぶ。 『DIVE!!』は、今時の少年たちの汗くささのない、 さらっとしたスポ根小説である。

第一巻では、ダイヤモンドの瞳を持つ坂井知季、 第二巻では、幻の天才ダイバーの血をひく沖津飛沫、 第三巻では、努力家のサラブレット富士谷要一、 それぞれ、主人公を変えながら、 高飛び込みに打ち込む少年たちの姿が描かれている。

そしてこの最終巻には、 三人の少年たちのオリンピック代表権をかけた選考会が。 いつのまにか、高飛び込みでオリンピックを 目指すことになった三人の少年たち。

それぞれ高飛び込みを始めたきっかけも、 高飛び込みへの思いもスタイルもそれぞれ違ったけれど コーチ麻木夏陽子のもと、 やがてシドニーオリンピックのために真剣に練習を重ねるようになった。 オリンピック出場権を獲得するのはいったい誰なのか?

物語は、まるで試合を見ているように進んでいく。 1章から10章まで各章末に、 競技の第一巡から第十巡までの彼らの得点と順位が示される。 本をめくりながら、彼らの気持ちを追いながら、 早く早く、彼らの得点を知りたいと、どきどきしながらページをめくる。

どの少年にも、葛藤の物語があり、 一筋縄でここまできたわけではない。 つまずきながら、もがきながら、時に高飛び込みに背を向け、 そして、お互いをさりげなく気づかい、 励まし合って、オリンピックの選考会まで進んできたのだ。

少年たちの心の揺れに、心を痛めたり、 彼らの活躍に、ただただ歓声を送ったり。 読んでいるこちらも、誰が選ばれるのか、 誰が落選してしまうのか、複雑な思いを彼らと重ね合わせる。

勝っても負けても、 若い彼らにとっては、オリンピックは一つの通過点。 彼らは、もっともっと先の自分の姿を見つめ、 それを越えるために練習を重ね、大きく飛躍していくのだろう。 これが最終巻ではあるが、本を閉じた途端、 今度は、その後の彼らの活躍も是非知りたいと、 ついつい欲張った思いが湧き上がる。

高飛び込みは、繊細で、シンプルな競技だ。 これらの物語も、シンプルかつ繊細で、 ただのスポ根小説ではなく、カタルシスのある、 「癒し系」の物語といえるかもしれない。(シィアル)


『DIVE!!(4)−コンクリート・ドラゴン』 / 著者:森絵都 / 出版社:講談社

2001年10月01日(月) 『老人力』
2000年10月01日(日) 『クロスファイア』

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