2007年09月02日(日)  マタニティオレンジ170 せらちゃんのおさがり

半年ぶりに前原星良ちゃんとせらママに会う。『パコダテ人』でぴまわり保°育園ぴよこ組のぷるたまゆちゃんを演じたときは幼稚園年長さんだった星良ちゃんは、いま6年生。小学校最後の夏休みのおまけの週末に、わが家に来てくれた。おとぼけぶりとおどけぶりがおちゃめな星良ちゃんのことをわたしは「小さなコメディエンヌ」と呼んでいたのだけれど、会わない間にぐんと背が伸びてしまっていた。あと数センチで追い抜かれてしまったら、「小さな」とは呼べなくなってしまう。でも、コメディエンヌぶりはあいかわらずで、バレエ仕込の身軽な手足をコミカルに動かし、絵本を読んだり、歌ったり踊ったり。1歳のたまも目が離せない様子。わたしと星良ちゃんよりも、星良ちゃんとたまのほうが年が近いわけで、若い者同士通じるものもあるのかもしれない。

好奇心いっぱいでお話上手できらきらと生きている星良ちゃんみたいなチャーミングな子に育って欲しいなあ、と会うたびに憧れてしまうのだけれど、そんな星良ちゃんが使っていたあれやこれやをどっさりおさがりでいただく。中学生のお姉ちゃんもその前に使っていたのかもしれないけれど、どれもとてもきれい。アルファベットのAからZがポケットになっていて、中にそれぞれのアルファベットで始まる物(APPLE、BALL、CARROTといった具合)が納まっているキルト細工は、26個のポケットの中身が全部揃っていた。「よくどれもなくならなかったものだわ」とせらままも感心していたけれど、大切に扱われていたのがうかがえる。愛子さまご愛用という「ぐりとぐらかるた」は、床一面に札を広げる動きが気に入り、たまは大興奮。小さな手をがちゃがちゃ動かし、歓声を上げて札をかき回していた。麻雀の牌も喜んでかきまぜそう。ぐりとぐらの絵本、原由子さんが歌う「ねこくん」のビデオもいただく。

ビデオといえば、星良ちゃんのバレエの発表会の模様をDVDで拝見。赤と黒のカルメンな衣装にばっちりメイクで大人っぽい星良ちゃんが爪先立ちで足をぴんと上げると、場内からは見事な180度開脚にどよめき。「あ!」と画面を指差すたまも興味津々。「わたしもやりたい!」と訴えていたのかな。パパママゆずりで手足短めずんぐりむっくり体型のたまは、白鳥というよりあひるやヒヨコが似合いそうで、あまりバレエ向きではないかもしれない。でも、わたしに似たのか、体を動かすこと、踊ることは好きなよう。

おさがりのほかに、「これは誕生日プレゼント」といただいたのは、Shinzi Katohというイラストレーターさんの食器とタオル。色使いといいイラストのタッチといい、品のあるかわいらしさに一目惚れしてしまう。「わたしも大好きなの」とせらまま。サイトに行ってみると、ランチョンマットやらマグカップやらこれまた素敵。裁縫は苦手なのに、リネンテープやくるみボタン(てんとう虫が秀逸!)にも魅せられて、抜け出られなくなってしまった。

2004年09月02日(木)  「とめます」と「やめます」
2002年09月02日(月)  My pleasure!(よろこんで!)


2007年09月01日(土)  第2回ユニバーサル映画祭

『風の絨毯』でプロデューサーデビューした魔女田さんこと益田祐美子さんは神出鬼没の人で、「いま○○にいるの〜」と突拍子もなく電話を寄越してくる。たいていはその土地と関係のない用で、たまたま思い出して、忘れないうちに電話をかけた、ということが多いのだけれど、今日の電話は違った。「いま函館なのよ〜。ユニバーサル映画祭に来てて、今井さんの噂してたの」と打ち上げらしき宴会の席からかけてきた。昨年立ち上がったユニバーサル映画祭で『子ぎつねヘレン』がバリアフリー上映(たしか日本語字幕と音声ガイドつき)され、好評を博した、という話を聞いていたのだけれど、その映画祭の第2回に益田さんプロデュース2作目の『平成職人の挑戦』が上映されたのだという。実行委員の方が電話を代わり、少しお話しさせてもらう。「赤ちゃん連れも歓迎と聞いたので、ぜひ子どもと行きたいって思っていたんですよ」と話すと、「うちの映画祭は誰でも楽しめるのが売りなんです」とやけに楽しそうで誇らしそうなお返事。函館港イルミナシオン映画祭に加えて、函館に行きたい理由がふえた。

映画で平成職人に光を当てただけでなく、出版や講演やイベントも手がける「平成プロジェクト」なるものを立ち上げ、ますます大忙しの益田さん。その活動にすっかり巻き込まれ、オフィシャルサイトの運営までされているシーボニアメンズクラブの田辺勉社長も函館まで繰り出していた。「僕が作っているサイト見てくださいよ。益田さんと安倍首相の写真もありますから」と言われて見てみると、益田さんが「ものつくり日本大賞」の審査員を務め、首相官邸での授賞式に参加された様子が報告されている。岩波ホールでロングラン上映された『約束の旅路(Va, vis et deviens)』(平成プロジェクトが提供出資)のDVDも10月24日に発売決定。平成プロジェクトも益田さんも、元気、元気。

2004年09月01日(水)  年を取らない誕生日
2003年09月01日(月)  「うんざりがに」普及運動


2007年08月31日(金)  『怪談』より怖い話

子どもの頃、一人で留守番をしていて、コトリと家のどこかで物音がしただけで、そこに潜む最悪なものやそいつがもたらす最悪な展開をいくらでも思い描くことができた。その想像があまりに具体的だったせいで、確かめに行くことも逃げ出すこともできず、日が落ちても電気をつけるために立ち上がることさえできず、暗くなった部屋で膝を抱えて震えていた。今でも怖い本を読むときはつい後ろを振り返ってしまうし、ラジオで怖い話を聴いている最中に電話が鳴っただけで飛び上がってしまう。脚本を手がけたラジオドラマ『アクアリウムの夜』はホラーだったが、自分で書いて自分でびびっていた。打っていたワープロの画面が突然真っ暗になり、部屋も真っ暗になり、辺りの街ごと闇に包まれたときは停電だったのだけれど肝をつぶした。怖がりな性格が、見えない部分、隠れた部分を誇張して恐怖を増幅させてしまうのだけれど、怖さをかきたてる想像力の起爆剤になるのは「余白」なのだと思う。ビル三階分の化け物には度肝を抜かれるものの、驚きも怖さもビル三階分で納まる。けれど、闇に目が光っているだけで全貌が見えない場合、化け物の大きさは底なしの闇のように計り知れなくなる。

公開中の映画『怪談』を観たのだが、原作である三遊亭円朝の古典『真景累ヶ淵』の行間を映像という情報が埋めてしまったような印象を持った。高座の語りを聴いて、余白の部分を各自の想像力で膨らませたほうが怖いのではないか、と。いちばん怖かったのは、橋の板をきしませて「何者か」(死んだ女の幽霊)が近づいてくるのを、追われる男と新しい恋仲の女が橋の下で息を殺して見上げている場面。このときは、凍り付いている男女と同じ恐怖を味わい、別れた男をどこまでも追いかける女の怨念に背筋を震わせた。けれど、全体的には想像する隙もなく怖いものを突きつけ、ここぞとばかりに音楽が恐怖を盛り上げているようなお膳立てが感じられた。蛇を見せられると、ギョッとはするけれど、それ以上は怖くならない。

映画『怪談』といえば、三年前、三百人劇場で観た小林正樹監督の『怪談』(>>>2004年8月9日の日記)は、何かが潜んでいる気配、何かが起こりそうな予感が終始漂っていて、息を詰めてスクリーンを見守った記憶がある。震え上がるような怖さとは違ったけれど、伸びた背筋に汗をかくような緊迫感があった。1965年のカンヌ審査員特別賞受賞作品。日本の怪談ならではのただならぬ妖気に、世界は息を呑み、ひたひたと足元から冷気が忍び寄るような不気味さを味わったのではなかろうか。あの圧倒的に美しい映像には、怖さをかき立てる余白も焼き付けられていたように思う。

話は今年版の『怪談』に戻るが、月刊シナリオに掲載されている脚本とあわせて、脚本家の奥寺佐渡子さんのインタビューを興味深く読んだ。連載インタビュー「脚本家 加藤正人の気になる映画人たち」で加藤さんと対談しているもので、『怪談』は五年前に書いた脚本を映画化にあたって手直ししたそう。ちょうど妊娠中で、人が死ぬシーンを書いていると胎動が激しくなった、という話は面白かった。わたしは手足が吹っ飛ぶような原作もののプロットを書いていたら気分が悪くなり、「書けません」とプロデューサーに告げた後で妊娠がわかった。今思えば、つわりだったのかもしれない。奥寺さんは『お引越し』で93年デビュー。最近の作品ではアニメ版『時をかける少女』や『しゃべれどもしゃべれども』などご活躍目覚しいが、書いたままお蔵入りしている脚本が多数あるといい、「このまえ数えてみたら17、8本ありました」とのこと。デビューが5年遅いわたしも数えてみると7、8本ある。企画が幽霊になってしまうのは、脚本家にとっては怖い話。

2005年08月31日(水)  佳夏の誕生日
2004年08月31日(火)  東京ディズニーランド『ブレイジング・リズム』


2007年08月30日(木)  マタニティオレンジ169 布おむつはエコかエゴか

大阪に住む妹の純子から布おむつとおむつカバーとトレーニングパンツのおさがりがどっさり届いた。5歳の長男と2歳の長女が通う保育園が布おむつ主義だったそうだが、おかげで二人とも早々とおむつが取れ(長女は1歳半!)たという。「ゴミも出ないし、いいこと尽くめよ」と添えられた手紙には書いてあった。

早速、保育園でも紙おむつから布おむつに切り替えることに。「これで4人目です」と保育士さん。10人中4人が布というのは意外と高い比率。働きながら布おむつなんてとんでもない、と逃げ回っていたわたしは、汗疹という止むに止まれぬ事情がなければ、布に手を出すことなんてなかったと思う。汗疹が治まるまでのつなぎぐらいで考えていたのだけれど、「お母さん、よくぞご決断されました」と保育士さんに歓迎され、紙には戻りづらくなってしまった。

ゴミは減るし、それに伴うニオイからも解放される。マンションのゴミ集積場に捨てるとにおいがこもるので「燃えるゴミの日」に早起きして捨てに行く必要もなくなる。重いおむつを買う手間も省けるし、おむつ代も浮く。たしかにいいことは数々あるし、洗濯がちょっと面倒(バケツでつけ置き。ウンチの場合はトイレで洗ってからつけ置き)だけど頑張ってみるか。そう思ったのだけれど、初日から前途多難。「お母さん。おむつは二枚重ねにしないと、すぐ漏れます」。二倍の布おむつが必要になることが発覚。しかも、「おむつカバー、防水機能が取れちゃってて、漏れます」。大阪の甥っ子姪っ子が使い終えて、たまが三代目。その間に何度洗濯したかを考えると、防水機能がくたびれるのも無理はない。さらに、「マジックテープもくっつきにくくて、すぐ落ちちゃうんです」。二枚重ねでも漏れるうえに、履き替えたと思ったらおむつごと外れて漏れる。ズボンの替えが何枚あっても足りず、洗濯物がふえることふえること。

布おむつとカバーのストックを一日で使い果たしてしまうので、二日に一度洗濯機を回していたのが毎日になり、乾燥機まで回すことになる。ところが乾燥機をかけると布おむつはしわしわになるので、アイロンがけが必要になる。紙おむつ代は浮いたが電気代がかさむ。「買い替えたほうがいいかもしれませんね」と保育士さんにやんわり催促された布おむつカバーを新調すると、新たなお金が出て行き、ゴミも出る。シャカシャカした素材の布おむつカバーは、燃やすと黒い煙が出そうだ。布おむつはエコなんだか「いいことやってる」という親のエゴなんだかわからなくなってきたけれど、たまのおしりの汗疹がきれいになっているのは間違いない。


2007年08月29日(水)  マタニティオレンジ168 「白山ベーグル」参り

ベーグルという食べ物に出会ったのは20年以上前。アメリカ留学先の蚤の市で売られているローストオニオンをたっぷり練りこんだもちもちしたドーナツ型の塊をひと口食べ、おいしさに目を見張った。チーズやらベリーやらいろんな種類があり、蚤の市に行くたびに、そのお店のベーグルを買い求めるのが楽しみだった。でも、日本で食べるベーグルには「もちもち」よりも「もさもさ」の印象があり、あまりおいしいと思えるものに遭遇したことがなかった。

ところが先日、保育園の役員をご一緒しているYさんがわが家にいらっしゃったときに持ってきたベーグルを食べて、ひさしぶり、それこそ20年ぶりぐらいに「うまい!」と感激。わたしが地球上でいちばん好きな食べ物、大阪名物551の蓬莱の豚まんの皮を彷彿とさせる、もちもち感とほのかな甘みが尾を引き、気がつくと一個平らげてしまっていた。生地の食感だけではなく、持ってきていただいたフレーバーベーグル3種のフレーバーも「抹茶小豆」「エスプレッソキャラメル」「紫芋」とわたし好みのネットリ系。日替わりで常時10種類ほどがお店に並ぶという。わが家から歩いて行ける距離にある白山ベーグルという店のもので、イートインもあるのだが、「いつ行っても空いていて、お店がなくなっちゃうんじゃないか心配なんです」とYさん。以来、わたしの白山ベーグル参りがはじまった。

週に二度ほどお店へ行って買い込み、一日一個ペースで消費しているのだが、わたしに負けず劣らず、たまの食いっぷりがすごい。丸ごとつかんでかぶりつき、上下四本ずつの歯で削るように食べ、トンネルを掘り進むモグラのように、気がつくとドーナツ型の中心部まで食べ進んでいる。蓬莱の豚まんにも驚くべき食欲を見せたが、やはり相通じるものがあるのかもしれない。食べ物の好みが遺伝したようでうれしくなる。生地にすりつぶした野菜を練りこんである紫芋やかぼちゃがお気に入りだが、バジルトマトなどという大人っぽいおかず系も好んで食べる。ベーグルをくわえている間は口封じができておとなしいので、外出時には「持ち歩きベビーシッター」となる。この店がなくなっては大変、とわたしもYさんにならって伝道中。

2004年08月29日(日)  東京都現代美術館『日本漫画映画の全貌』


2007年08月28日(火)  マタニティオレンジ167 ベビーシッター代ぐらいは稼がないと

ジャンルは違うけれど子育てしながら創作の仕事を続けているS嬢と電話。一緒に組みたい仕事があり、相談のメールを送ったところ、「話したほうが早いから」と電話をくださった。朝6時に起きて小学生のお子さんのお弁当を作って送り出し、午後早くに帰って来るまでの6時間足らずが勝負。放課後に打ち合わせが入るときはベビーシッターさんにお願いしているという。保育園に9時間預けているわたしより、はるかに時間のやりくりは大変そう。「時間が限られるから、ひとつひとつの仕事を慎重に選ぶようになったわね」「確実に結果を出さないと、次の仕事が来ないから」という緊張感のある言葉に背筋が伸びる。その道では「女王」と呼ばれた売れっ子なので、営業しなくても仕事はどんどん舞い込むらしいが、「下手な仕事したら、失うものが大きいし、それを取り返す余裕もない」と仰る。

わたしがお願いしようとしていた仕事は、作品のサイズといいギャラといい申し訳ないような内容だったのだけれど、「今井さんとは一度お仕事したいと思っていたから」とS嬢。それがこの仕事を請ける理由になる、とありがたいことを言ってくださる。あいにく今回はスケジュールが合わず断念することになったけれど、「ぜひ何か一緒に作りたいから懲りずに声をかけてよ」と社交辞令ではなく言ってくださった。

「それにしても、このギャラってありえないですよね」。今後のためにも感触をうかがっておくと、「お金は関係ないと言いつつ、これだと赤字になっちゃうかな」。そう言ってS嬢は「せめてベビーシッター代は稼がないとね」と続けた。子どもを預けて働く以上、それにかかる費用はせめて稼がなくては、「仕事」ではなく「趣味」になってしまう。その発想はわたしにはなかった。子どもが生まれると、大黒柱のお父さんは「家族を支えなくては」という使命感が仕事に張り合いをもたらすというが、働くお母さんにも、子どもがいないときにはなかった働き甲斐が生まれるのだ。自分の仕事に値段をつけるとき、相場があってないようなものなので、いつも迷ってしまうのだけれど、「保育料ぐらいは稼がないと」という基準は明快で、いい。

2005年08月28日(日)  高円寺阿波踊り2日目
2004年08月28日(土)  『心は孤独なアトム』と谷川俊太郎


2007年08月27日(月)  ひさびさのおきらくレシピ「野菜いろいろジュレ」

昔読んだ森村桂さんのエッセイに、わたしの記憶では「死に物狂いでカステラを焼く会」なるものが登場していた(ネット検索をかけてもヒットしないので、正解は別な名前だと思われる)。コツをつかんでうまく焼けるようになるまで何度も何度もひたすらカステラを焼く。そうしてカステラ作りに自信をつけた人たちは、何にも自信が持てなかったコンプレックスを乗り越えられる、そんな内容だったと覚えている。最初はうまくいかなくても根気強く繰り返せば要領がよくなるのだ、というメッセージに高校生だったわたしは膝を打った。

そんなことを思い出したのは、たまの12分の10才の誕生日に初挑戦して悲惨な結果に終わった「野菜のテリーヌ」が、度重なる試行錯誤の後に、お客様に出せるまでになったから。新聞で読んだ「野菜のテリーヌが人気」の記事に飛びつき、ネットで入手したレシピで作ってみたもののうまく固まらず、何がしたいんだかわからない野菜瓦礫のような有様になったのが一回目。小さなプリン型なら固まりやすいのでは、と発想を変えた二回目は野菜同士がうまく身を寄せ合って固まってくれた。さらにコンソメスープの濃さやゼラチンとスープの分量を微妙に変えていき、ようやく味と形が安定するようになった。先日、ご近所さんがわが家に集まった折に出してみたら、「今井さんがこんなものを作れるなんて」と驚かれ、「これは写真を撮るべきですよ」とおだてられたので、成果とあわせてレシピをご紹介する。わたしが新婚時代に綴っていた「おきらくレシピ」(日記内検索で読めます)のとほほぶりを知る人たちには、とくに成長を感じていただけるのではないかと思う。


野菜いろいろジュレ
1)スープを作る
鍋に水450ccを煮立て、コンソメ1個半を溶かす。
2)中身を用意する
●塩もみして洗ったオクラ、直径2センチぐらいに小分けにしたブロッコリーの花部分、アスパラ(ミニがきれい)、人参(星型などに抜くとかわいい)さやいんげんなど、色のきれいな野菜をさっと茹でて冷水にとっていく。袋入りヤングコーンや缶入りミックスビーンも、コンソメ味をつけるためにくぐらせる。
●パプリカ(黄や赤がきれい)は8〜10等分ぐらいに縦に切り、魚焼きグリルなどであぶる。皮が焦げたらするっとむいて冷水にとる。
●ミニトマトを熱湯にかけ、湯むきする。
5)野菜を茹でるうちにコンソメスープは350〜400ccぐらいに減っている。400ccにして80度ぐらい(沸騰してやや冷めた頃)に煮立て、水60cc(大さじ4)でふやかしておいた粉ゼラチン10gをよく溶かす。
●海老やカニを入れるのもおすすめ。海老の殻をコンソメスープと一緒に煮立てると、さらに濃厚なスープに(その場合、コンソメは1個で)。ただし、臭み取りのスパイスを忘れると、磯臭くなる。
3)つけこむ
スープの荒熱が取れたら、2)をつけこみ、さらに温度を下げる。水を張ったボウルなどに鍋をつけて冷ましてもよい。
4)つめる
水で濡らしたプリン型(茶碗でもよい)に、型から抜いたときを想像しながら野菜をレイアウトする。側面にミニアスパラやパプリカを貼りつけ、中央に型の天地に合わせて切ったオクラやヤングコーンを立てる。間を埋めるようにトマトやミックスビーンや人参やカットした野菜の切れ端を詰める。
5)かためる
野菜がぎっしり詰まったら、コンソメスープを流し込む。型にラップをかけ、冷やす。数時間では固まらないので、半日ぐらい余裕を見たほうがよい。
6)もりつける
ナイフやスプーンなどを使うとするりと型から抜けるはずだけど、型をぬるま湯であたためると抜けやすいとか。カッテージチーズ(よく合います)を添えて盛り付ける。ゴマドレッシングも合うそう。

※中に入れる野菜によってボリュームは変動。オクラ、ヤングコーン、ミニアスパラ各1袋、パプリカ1個、他にミニトマトや人参をちょこちょこという量で、高さ3センチ、直径6センチのプリン型約6個分でスープが少し余る感じ。

2005年08月27日(土)  高円寺阿波踊り1日目
2004年08月27日(金)  汐汲坂(しおくみざか)ガーデン
2002年08月27日(火)  虹の向こう


2007年08月26日(日)  マタニティオレンジ166 お風呂で初U  

お風呂でウンチされたらどうしよう、という不安はベビーバスで沐浴させていた頃からあった。とくに新生児の頃は、おむつを開けるたびにしている感じだったし、今はしないでねと言ったって通じるはずもないから、いつされてもおかしくなかった。お湯のあたたかさに誘われる、という話も聞いたし、一度してしまうと、気持ちがいいのでくせになる、とも聞いた。実際、子育て仲間のK嬢は、「お風呂に入ると、ここでするものだ、と思うらしくて……」入浴のたびにされて困っていた。「それって、どうなるの?」と聞くと、「わたしは『なたね湯』って呼んでる」。コピーライターの先輩でもある彼女は、粋な名前をつけていた。生後一か月を過ぎると、大人と一緒に普通のお風呂に入れるのだけれど、なたね湯が怖いK嬢はなかなかベビーバスを卒業できない、と嘆いていた。被害を最小限に食い止めるべく、まず洗面器におしりをつけて在庫一掃してからベビーバスへ移す、という涙ぐましい対策を取っていた。

「お風呂でウンチ」を恐れて、最初の頃は湯船から早めに引き上げていたのだけれど、だんだん気が大きくなって、長湯をするようになり、なたね湯の憂き目に遭うこともなく、一年が過ぎた。そしたら今夜、「ギャ〜〜〜たま〜〜〜!」というダンナの悲鳴が風呂から聞こえてきた。滑ってタイルに頭でも打ちつけたか、とすっ飛んだら、「ウンチしてる〜〜〜」と情けない声を上げるダンナの傍らに、プカプカと浮かぶ塊が見えた。プールの監視員をしたことのある知人が、プールに浮かぶウンチを見つけると「Uです」と隠語で報告が入る、という話をしてくれたことを思い出した。報告を受けると、早急に網を持って駆けつけ、ささっと掬い取るのだと言う。なたね湯は手ごわいけれど、プカプカUなら手に負える。たまのお風呂おもちゃになっている百円均一の調理小物(卵の白身と黄身を分けるやつ)がU採り網になった。パパとママのあわてぶりを愉快そうに見ていたたまが、常習犯にならないことを願うばかり。

生後一年と四日で初Uのたまがお風呂でUする確率は、一日二度お風呂に入った日もあるから、400分の1以下となるだろうか。それでも、何百分の一が運悪くそのときに重なったら、と怖気づいてしまい、いまだに公衆のお風呂やプールに入れるのをためらっている。一方、K嬢となたね湯が日課だった息子君は、すでに何度か温泉につかり、今のところ、なたね湯は免れているという。

2005年08月26日(金)  『道成寺一幕』→『螢光 TOKYO』
2004年08月26日(木)  土井たか子さんと『ジャンヌ・ダルク』を観る
2003年08月26日(火)  アフロ(A26)
2002年08月26日(月)  『ロシアは今日も荒れ模様』(米原万里)


2007年08月25日(土)  マタニティオレンジ165 誕生日の記念写真

たまの一歳の誕生日記念に家族写真を撮ろう、青山一丁目のスタジオメモア(studio memoir)へ。2月にわたしの誕生日記念に母娘写真を撮って以来、半年ぶり2回目。手づくり感あふれるリフォームを施した居心地のいい一軒家のスタジオで一組一時間かけて撮影し、気に入った写真を一枚2000円で焼いてもらうか、フォトグラファーがセレクトした70枚を収めたCDを29800円で買うというシステム。14枚以上焼くなら買ったほうがお得ですよという料金設定になっている。フォトグラファーは韓国人の女性で、前回とは違う人。定期的に交替で来日されているとのこと。

前回、途中でおなかを空かせたたまがぐずりだし、授乳に10分ぐらい取られたけれど、今回は腹ごしらえばっちりだから大丈夫、と思ったら、「場所見知り、人見知り」の壁が。半年前に来たことなんかすっかり忘れているたまは、スタジオに入るなりべそをかき、わたしの膝にしがみついて離れない。広告の撮影なんかでも赤ちゃんを一人に絞り込まずに何人かスタジオに呼んで機嫌のいい子で撮影するし、子ぎつねヘレンの撮影でも常時二匹の子ぎつねが待機していた。赤ちゃんと動物相手の撮影は、時間と根気が必要になる。しゃぼん玉で気を紛らわしたり、持参した赤ちゃんせんべいを使ってフォトグラファーの助手さんに餌付けしてもらったり、携帯電話の着メロであやしたり。ようやくたま単独で撮れるようになるまでに20分ほどかかった。

衣装は一目惚れして買ったばかりのアガタルイスの元気色の上下、白い甚平、金魚の浴衣、フリフリレースの上下を持参。アガタルイスと甚平、スタジオおすすめのピンクのチュチュで撮ることに。着替える前に、最初に着ていた普段着(GAPのTシャツとスカート)姿もおさえてもらう。わたしが切った前髪はギザギザで、頬には一昨日いつの間にかどこかに打ち付けた青痣が残り、手足は汗疹で水玉模様なのだけれど、それでもフォトジェニックなのだから恐れ入る。前回撮った写真と半年後の現在のたまのツーショットをリクエストし、スタジオの雰囲気に合ったフォトフレームをお借りする。半年か一年後、ひとまわり大きくなったたまと、このツーショットを撮るのもまた面白いかもしれない。



今日いちばん活躍したのは、最近一家ではまっている近所の白山ベーグルのベーグル。撮影後半、ご機嫌取りのために差し出した一個をたまは手放さず、ベーグル&たまの写真が続いた。ベーグルにかぶりついたまま立ったり歩いたり座ったり。このままお店のポスターに使えるのでは、と親バカなことを考えてしまう。

たまは途中も何度かぐずったので、前回に比べると、撮影時間も枚数も少なく、その中からセレクトした70枚は似た写真が多くなってしまったものの、欲しい写真は14枚にはおさまらず、結局CDを買ってしまう。あくびをしたり、べそをかいたりという表情も、これはこれで捨てがたい。CDの表紙は、前回は70枚の中からこちらの指定した写真に日付を入れたものをサービスで焼いてもらえたのだけど、スタジオ規定の表紙になっていたのが残念。戸棚の見せる収納部分に挿している一枚目はフォトフレームとしても機能していて、わが家を訪ねる人との会話のきっかけにもなっている。自分で日付を入れて焼いて表紙を作ればいいのだろうけれど、前回うれしかっただけに、惜しんだ手間隙が惜しまれた。

2005年08月25日(木)  『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫)
2004年08月25日(水)  アテネオリンピックと今井雅子
2003年08月25日(月)  冷凍マイナス18号
2002年08月25日(日) 1日1万


2007年08月24日(金)  半年ぶりに髪を切る

脚本に専念するため会社を辞めるとき、ああ、これで美容院に行ける、と思ったのに、時間ができたらできたで、その時間を他のことに使ってしまう。子どもが生まれるとなおさらで、よっぽどのことがない限り、髪のことは後回しになる。明日、写真スタジオに家族写真を撮りに行く予約を入れて、ようやく美容院が優先順位のトップに急浮上。誕生日割引のハガキを使って以来、髪を切るのは半年ぶり。

向田邦子さんのエッセイに、美容院を代える気持ちを浮気にたとえたものがあった。とくに不満があるわけでもないけれど、なんとなく美容院を代えてしまう、ということがわたしはよくある。今の町に住んで7年目。一年に数えるほどしか行かないくせに、今日新しく行った美容院で6軒目になる。最後に行った美容院に気が向かないのは、半年もほったらかしにしてたのがみっともないからで、せっかく半年ぶりなんだからと張り切る気持ちもあって、一駅離れたちょっと垢抜けた美容院にちょっかいを出してみることにした。

このお店に存在する色の9割ぐらいはわたしのワンピースが占めているのでは、というぐらいすっきりとシンプルそしてモダンにまとめられた店内を、白いパリッとしたシャツと黒いスリムなパンツの店員さんたちが広々とした店内を颯爽と動き回っている。このセンスがカットの腕にも反映されることを期待。「いかがいたしますか」と聞く担当の女性美容師さんの髪型もいい感じ。サンプルのヘアスタイル写真を見つつ、「長さはあなたと同じぐらいで」「前髪はあなたみたいに」と目の前の立体見本を指差していたら、「わたしとそっくりな髪になっちゃいますけど」と美容師さん。「はい、じゃあ、そんな感じで」とすっかりおまかせすることに。

「せっかく伸ばしたのに、いいんですか」と気遣ってくださるが、こちらは勝手に伸びたセイタカアワダチソウぐらいにしか思っていないし、次に切るのはまた半年後かもしれないので、遠慮なく行っちゃってください、とお願いする。以前、別な美容院で「刈ってください」と口が滑ったときに、「カットする、という気持ちでやらせてください」とたしなめられ、反省した。広告会社でコピーライターをしていた頃、「捨て案を書いてください」と営業に言われて、「捨てるコピーなんか書けない」と暴れたくせに。「適当にでっちあげてください」という脚本の依頼が来たら、へそを曲げてしまうくせに。プライドを持って仕事をしている人に、敬意を欠いた発注をしてはいけない。

シャンプー係の若いお兄さんに引き渡され、シャンプー台へ。まだ続くか、そこまでやってくださいますか、と感動の洗い上げの仕上げには丁寧なヘッドマッサージ。思わず「今までのシャンプーで最高でした」と告げると、シャンプー係のお兄さんの顔がぱっと明るくなった。このお店はシャンプーにこだわりがあり、厳しく指導されているのだそう。

カット台に戻り、いつものように雑誌占い。わたしの元に運ばれてきた雑誌三冊のいちばん上は「CREA」。あとの2冊はタイトルが半分隠れていたが、アルファベットである。女性自身でなかったことに安心するが、もとより女性自身は置いてなさそうなお店なのだった。CREAの特集はおみやげにおすすめの品をセレクトしたもので、これ読みたい、と思ったのだけれど、結局手を伸ばすタイミングを逸してしまった。あまりに美容院にごぶさたしたため、いつ雑誌を開いていいのか、わからない。かといって、雑誌に視線を落としていないと、鏡の中の自分を見つめ続けることになるのだけど、これも気恥ずかしく、自分と目が合ってどぎまぎする。やっぱり雑誌を読もう、でも今はダメかなまだかなとまごついているうちに髪はすっかり短くなっていた。

「いかがですか」と聞かれて、咄嗟に出た一言が「いいですね。子どもみたいで」。担当さんはボブなんだけど、同じ髪型をわたしの顔にのっけるとおかっぱになるんだ。でも、軽くなってちょっと若く見えるかも……と一瞬の間に考えたことが「子どもみたい」の一言に集約され、美容師さんを絶句させてしまった。他に言いようがなかったのか、慣れない空間ですっかり舞い上がって、素人丸出し。住み慣れたわが家に帰って見慣れた鏡に映してみると、なかなかいいではないか、とようやく口元が緩み、その満足を店から託された感想ハガキに書きこんだ。

2004年08月24日(火)  TOKYO OYSTER BAR 
2002年08月24日(土)  『パコダテ人』ビデオ探しオリエンテーリング

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