2007年08月26日(日)  マタニティオレンジ166 お風呂で初U  

お風呂でウンチされたらどうしよう、という不安はベビーバスで沐浴させていた頃からあった。とくに新生児の頃は、おむつを開けるたびにしている感じだったし、今はしないでねと言ったって通じるはずもないから、いつされてもおかしくなかった。お湯のあたたかさに誘われる、という話も聞いたし、一度してしまうと、気持ちがいいのでくせになる、とも聞いた。実際、子育て仲間のK嬢は、「お風呂に入ると、ここでするものだ、と思うらしくて……」入浴のたびにされて困っていた。「それって、どうなるの?」と聞くと、「わたしは『なたね湯』って呼んでる」。コピーライターの先輩でもある彼女は、粋な名前をつけていた。生後一か月を過ぎると、大人と一緒に普通のお風呂に入れるのだけれど、なたね湯が怖いK嬢はなかなかベビーバスを卒業できない、と嘆いていた。被害を最小限に食い止めるべく、まず洗面器におしりをつけて在庫一掃してからベビーバスへ移す、という涙ぐましい対策を取っていた。

「お風呂でウンチ」を恐れて、最初の頃は湯船から早めに引き上げていたのだけれど、だんだん気が大きくなって、長湯をするようになり、なたね湯の憂き目に遭うこともなく、一年が過ぎた。そしたら今夜、「ギャ〜〜〜たま〜〜〜!」というダンナの悲鳴が風呂から聞こえてきた。滑ってタイルに頭でも打ちつけたか、とすっ飛んだら、「ウンチしてる〜〜〜」と情けない声を上げるダンナの傍らに、プカプカと浮かぶ塊が見えた。プールの監視員をしたことのある知人が、プールに浮かぶウンチを見つけると「Uです」と隠語で報告が入る、という話をしてくれたことを思い出した。報告を受けると、早急に網を持って駆けつけ、ささっと掬い取るのだと言う。なたね湯は手ごわいけれど、プカプカUなら手に負える。たまのお風呂おもちゃになっている百円均一の調理小物(卵の白身と黄身を分けるやつ)がU採り網になった。パパとママのあわてぶりを愉快そうに見ていたたまが、常習犯にならないことを願うばかり。

生後一年と四日で初Uのたまがお風呂でUする確率は、一日二度お風呂に入った日もあるから、400分の1以下となるだろうか。それでも、何百分の一が運悪くそのときに重なったら、と怖気づいてしまい、いまだに公衆のお風呂やプールに入れるのをためらっている。一方、K嬢となたね湯が日課だった息子君は、すでに何度か温泉につかり、今のところ、なたね湯は免れているという。

2005年08月26日(金)  『道成寺一幕』→『螢光 TOKYO』
2004年08月26日(木)  土井たか子さんと『ジャンヌ・ダルク』を観る
2003年08月26日(火)  アフロ(A26)
2002年08月26日(月)  『ロシアは今日も荒れ模様』(米原万里)


2007年08月25日(土)  マタニティオレンジ165 誕生日の記念写真

たまの一歳の誕生日記念に家族写真を撮ろう、青山一丁目のスタジオメモア(studio memoir)へ。2月にわたしの誕生日記念に母娘写真を撮って以来、半年ぶり2回目。手づくり感あふれるリフォームを施した居心地のいい一軒家のスタジオで一組一時間かけて撮影し、気に入った写真を一枚2000円で焼いてもらうか、フォトグラファーがセレクトした70枚を収めたCDを29800円で買うというシステム。14枚以上焼くなら買ったほうがお得ですよという料金設定になっている。フォトグラファーは韓国人の女性で、前回とは違う人。定期的に交替で来日されているとのこと。

前回、途中でおなかを空かせたたまがぐずりだし、授乳に10分ぐらい取られたけれど、今回は腹ごしらえばっちりだから大丈夫、と思ったら、「場所見知り、人見知り」の壁が。半年前に来たことなんかすっかり忘れているたまは、スタジオに入るなりべそをかき、わたしの膝にしがみついて離れない。広告の撮影なんかでも赤ちゃんを一人に絞り込まずに何人かスタジオに呼んで機嫌のいい子で撮影するし、子ぎつねヘレンの撮影でも常時二匹の子ぎつねが待機していた。赤ちゃんと動物相手の撮影は、時間と根気が必要になる。しゃぼん玉で気を紛らわしたり、持参した赤ちゃんせんべいを使ってフォトグラファーの助手さんに餌付けしてもらったり、携帯電話の着メロであやしたり。ようやくたま単独で撮れるようになるまでに20分ほどかかった。

衣装は一目惚れして買ったばかりのアガタルイスの元気色の上下、白い甚平、金魚の浴衣、フリフリレースの上下を持参。アガタルイスと甚平、スタジオおすすめのピンクのチュチュで撮ることに。着替える前に、最初に着ていた普段着(GAPのTシャツとスカート)姿もおさえてもらう。わたしが切った前髪はギザギザで、頬には一昨日いつの間にかどこかに打ち付けた青痣が残り、手足は汗疹で水玉模様なのだけれど、それでもフォトジェニックなのだから恐れ入る。前回撮った写真と半年後の現在のたまのツーショットをリクエストし、スタジオの雰囲気に合ったフォトフレームをお借りする。半年か一年後、ひとまわり大きくなったたまと、このツーショットを撮るのもまた面白いかもしれない。



今日いちばん活躍したのは、最近一家ではまっている近所の白山ベーグルのベーグル。撮影後半、ご機嫌取りのために差し出した一個をたまは手放さず、ベーグル&たまの写真が続いた。ベーグルにかぶりついたまま立ったり歩いたり座ったり。このままお店のポスターに使えるのでは、と親バカなことを考えてしまう。

たまは途中も何度かぐずったので、前回に比べると、撮影時間も枚数も少なく、その中からセレクトした70枚は似た写真が多くなってしまったものの、欲しい写真は14枚にはおさまらず、結局CDを買ってしまう。あくびをしたり、べそをかいたりという表情も、これはこれで捨てがたい。CDの表紙は、前回は70枚の中からこちらの指定した写真に日付を入れたものをサービスで焼いてもらえたのだけど、スタジオ規定の表紙になっていたのが残念。戸棚の見せる収納部分に挿している一枚目はフォトフレームとしても機能していて、わが家を訪ねる人との会話のきっかけにもなっている。自分で日付を入れて焼いて表紙を作ればいいのだろうけれど、前回うれしかっただけに、惜しんだ手間隙が惜しまれた。

2005年08月25日(木)  『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫)
2004年08月25日(水)  アテネオリンピックと今井雅子
2003年08月25日(月)  冷凍マイナス18号
2002年08月25日(日) 1日1万


2007年08月24日(金)  半年ぶりに髪を切る

脚本に専念するため会社を辞めるとき、ああ、これで美容院に行ける、と思ったのに、時間ができたらできたで、その時間を他のことに使ってしまう。子どもが生まれるとなおさらで、よっぽどのことがない限り、髪のことは後回しになる。明日、写真スタジオに家族写真を撮りに行く予約を入れて、ようやく美容院が優先順位のトップに急浮上。誕生日割引のハガキを使って以来、髪を切るのは半年ぶり。

向田邦子さんのエッセイに、美容院を代える気持ちを浮気にたとえたものがあった。とくに不満があるわけでもないけれど、なんとなく美容院を代えてしまう、ということがわたしはよくある。今の町に住んで7年目。一年に数えるほどしか行かないくせに、今日新しく行った美容院で6軒目になる。最後に行った美容院に気が向かないのは、半年もほったらかしにしてたのがみっともないからで、せっかく半年ぶりなんだからと張り切る気持ちもあって、一駅離れたちょっと垢抜けた美容院にちょっかいを出してみることにした。

このお店に存在する色の9割ぐらいはわたしのワンピースが占めているのでは、というぐらいすっきりとシンプルそしてモダンにまとめられた店内を、白いパリッとしたシャツと黒いスリムなパンツの店員さんたちが広々とした店内を颯爽と動き回っている。このセンスがカットの腕にも反映されることを期待。「いかがいたしますか」と聞く担当の女性美容師さんの髪型もいい感じ。サンプルのヘアスタイル写真を見つつ、「長さはあなたと同じぐらいで」「前髪はあなたみたいに」と目の前の立体見本を指差していたら、「わたしとそっくりな髪になっちゃいますけど」と美容師さん。「はい、じゃあ、そんな感じで」とすっかりおまかせすることに。

「せっかく伸ばしたのに、いいんですか」と気遣ってくださるが、こちらは勝手に伸びたセイタカアワダチソウぐらいにしか思っていないし、次に切るのはまた半年後かもしれないので、遠慮なく行っちゃってください、とお願いする。以前、別な美容院で「刈ってください」と口が滑ったときに、「カットする、という気持ちでやらせてください」とたしなめられ、反省した。広告会社でコピーライターをしていた頃、「捨て案を書いてください」と営業に言われて、「捨てるコピーなんか書けない」と暴れたくせに。「適当にでっちあげてください」という脚本の依頼が来たら、へそを曲げてしまうくせに。プライドを持って仕事をしている人に、敬意を欠いた発注をしてはいけない。

シャンプー係の若いお兄さんに引き渡され、シャンプー台へ。まだ続くか、そこまでやってくださいますか、と感動の洗い上げの仕上げには丁寧なヘッドマッサージ。思わず「今までのシャンプーで最高でした」と告げると、シャンプー係のお兄さんの顔がぱっと明るくなった。このお店はシャンプーにこだわりがあり、厳しく指導されているのだそう。

カット台に戻り、いつものように雑誌占い。わたしの元に運ばれてきた雑誌三冊のいちばん上は「CREA」。あとの2冊はタイトルが半分隠れていたが、アルファベットである。女性自身でなかったことに安心するが、もとより女性自身は置いてなさそうなお店なのだった。CREAの特集はおみやげにおすすめの品をセレクトしたもので、これ読みたい、と思ったのだけれど、結局手を伸ばすタイミングを逸してしまった。あまりに美容院にごぶさたしたため、いつ雑誌を開いていいのか、わからない。かといって、雑誌に視線を落としていないと、鏡の中の自分を見つめ続けることになるのだけど、これも気恥ずかしく、自分と目が合ってどぎまぎする。やっぱり雑誌を読もう、でも今はダメかなまだかなとまごついているうちに髪はすっかり短くなっていた。

「いかがですか」と聞かれて、咄嗟に出た一言が「いいですね。子どもみたいで」。担当さんはボブなんだけど、同じ髪型をわたしの顔にのっけるとおかっぱになるんだ。でも、軽くなってちょっと若く見えるかも……と一瞬の間に考えたことが「子どもみたい」の一言に集約され、美容師さんを絶句させてしまった。他に言いようがなかったのか、慣れない空間ですっかり舞い上がって、素人丸出し。住み慣れたわが家に帰って見慣れた鏡に映してみると、なかなかいいではないか、とようやく口元が緩み、その満足を店から託された感想ハガキに書きこんだ。

2004年08月24日(火)  TOKYO OYSTER BAR 
2002年08月24日(土)  『パコダテ人』ビデオ探しオリエンテーリング


2007年08月23日(木)  マタニティオレンジ164 ついに布おむつの出番

夏風邪の熱が下がったと思ったら、入浴を控えたせいで汗疹がひどくなったので、昨日の夕方、皮膚科へ行った。これがいけなかった。クーラーのきいた待合室で待つこと30分、風邪がぶり返し、今朝熱を測ったら7度9分。昨日は誕生日だったけれど、今日は年に一度のお楽しみ会で、園児も先生も浴衣姿で集まるという。たまも「おうちも飽きたし、そろそろ保育園に行きたいわ」とばかりにぐずるので、ゆかたを着せ、返品覚悟で連れて行くと、8度1分であえなく返品。お楽しみ会でやる予定だったヨーヨーすくいをフライングでさせてもらい、たまが指差したヨーヨーを先生がすくっておみやげに持ち帰らせていただく。

「汗疹がひどくて」と保育園の看護師さんに相談すると、「風邪でもシャワーは浴びさせてあげてください」と言われ、家に帰って早速シャワー。濡れた体を拭き、おむつを履かせようとして、昨日皮膚科の先生に言われた「なるべく裸にしててあげてください。でなければ布おむつを」を思い出す。まったく何も履かせないと家のあちこちに不本意な水溜りを作ることになるのだが、確かに蒸れる紙おむつを履かせるのはかわいそう。いただいたものの一度も使わずに眠っている布おむつのおさがりに、ついに出番が来た。

ところが、布おむつを留めるカバーがない。布おむつの上にズボンを履かせて留めるという強引な手段を取る。うまくいったかに見えたが、おしっこをすると重みでズボンが下がり、今どきの若者のようになってしまった。ヒップハングでずかずか歩くたまは、ふんぞり返ってふてぶてしい。何かマジックテープのようなものはないか、と部屋を見回し、はたと気づいた。そうだ、紙おむつにはテープがついている! 早速試してみると、ぴたりとフィット。紙おむつの中敷感覚だけれど、紙よりは蒸れないし、こまめに替えれば紙オムツの節約にもなる。でも、いつまでも急場しのぎではかわいそうなので、大阪に住む妹の純子に電話し、「前に断った布おむつが急遽いることになって……」とおむつカバーのおさがりを依頼。「紙おむつで布おむつを留めるなんて、聞いたことがない」とあきれられたが、送ってくれることになった。

2005年08月23日(火)  たっぷり3時間『もとの黙阿弥』
2004年08月23日(月)  江戸川乱歩と大衆の20世紀展


2007年08月22日(水)  マタニティオレンジ163 風邪と汗疹と誕生日プレゼント 

一昨日、初の保育園返品となったたまは、昨日の朝、体温を測ると7度6分だった。8度を超えるとお預けできないのだけれど、ぎりぎりセーフ。それでも大事を取って休ませたのは、翌日の誕生日当日は保育園に行かせてあげたい、と思ったからだった。誕生日に学校へ行けばいいことがある、という期待がわたしには刷り込まれている。0歳児クラスの園児たちは、さすがに「おめでとう」を言い合ったりはしないだろうけれど、先生たちは誕生日カードを用意してくださっているらしい。先週、「お父さんお母さんから一言お願いします」と小さな紙を託されたのだが、それを組み込んだカードを仕上げてくださるようで、「どうぞお楽しみに」と言われている。「熱は下がったんですが、今日はゆっくり休ませます」と保育園に電話をすると、「あら、たまちゃん、明日お誕生日なのに」と担任の先生。咄嗟にこんな反応が返ってくると、心の行き届いた保育をしていただいているな、とあらためてうれしくなる。

お盆休みを引きずっていて、今週は打ち合わせもほとんどなく、締め切りにもまだ余裕があるので、保育園を休ませても仕事には響かない。これで元気ならどこかへお出かけもできるのだけれど、家でおとなしくしていなければならないのは、もったいない気がする。その代わり、家にいるおかげで、次々と届く誕生日プレゼントを受け取ることができた。

広告会社時代の得意先であり、元々は前田哲監督に注目されていた縁で『パコダテ人』以来応援してくださっているS氏からは、東京ディズニーランド/東京ディズニーシーのパスポートが届く。こういう贈り物は、受け取ったときと、実際に使うときの二度感激を味わえてうれしい。いつ行こうか、歩けるようになってからがいいだろうか、誰を誘おうか、と思い巡らせるのも楽しい。コピーライター時代、わたしは東京ディズニーランド/東京ディズニーシーのCMや雑誌広告やホームページのコンテンツを書いていた。手がけたコピーを足し上げると、本一冊分ぐらいになるかもしれない。わが子を案内するという視点が加わっていれば、もっと豊かな案内書になっていただろうと思う。

クリスチャンで医師の余語先生からは、「こどものせかい」の7月号「まいごのミーミ」と9月号「ぼくんちのペット」が届いた。「こどものせかい」は至光社が出している月刊カトリック保育絵本で、「日本カトリック幼稚園連盟」推薦とある。贈られた二冊は文字が活字ではなくカラフルな手描きになっていて、ほんわかとやさしくあったかい雰囲気を醸している。

絵本といえば、先日ご近所仲間でわが家に集まったときに、鉄道マニアで映画ファンのT氏が「今井さんとたまちゃんに」と持ってきてくれたのが、《こどものとも》傑作集『やこうれっしゃ』(西村繁男さく)と『こねこのねる』(ディックブルーナぶん・え 石井桃子やく)。文字がなく、夜行列車のスケッチだけで語られる『やこうれっしゃ』は、絵を指差しながらそれぞれの乗客の物語を子どもと作る楽しみ方ができそう。そんなことができるまでにはもう少し待たなくてはならないけれど。こどものともは子どもの頃にしばらく取っていて、毎月届くのが楽しみだった。その話をT氏にすると、児童文学を手がけられるT氏のお母様はこどものともの作品を書かれたこともあるという。

出会って四半世紀になるドイツのペンフレンド、アンネットからはプレゼントぎっしりの小包が届いた。出産祝いに贈られた服はいまだに大きすぎて袖を通していないけれど、1歳祝いの服もわたしが無理をすれば着られそうな特大サイズ。アンネットは娘を二人育てているから、ドイツの赤ちゃんはこれが標準サイズなのだろうか。たまはようやく身長が70センチを超え、70センチサイズが窮屈になってきたので、80センチサイズを着るようになってきたところ。8月上旬にわが家を訪問されたさのっちさんからも服を贈っていただいた。服は何着あってもうれしいし、着せるたびに贈ってくださった人の顔を思い出せる。

たまの誕生と同時にスタートしたわたしの母親業も今日で一周年で、「お母さんも一歳」である。手探りではじまり、こちらもようやくよちよち歩きといったところ。一歳の誕生日、母娘が一緒に過ごす時間を贈りあえるように
、夏風邪を授かったのかもしれない。しかし、入浴を控えているうちに汗疹がひどくなり、なんとも痛々しい。手足とおしりの水玉模様に引っかき傷のストライプが加わり、にぎやかだけれど、このプレゼントはいただけない。

2006年08月22日(火)  新作誕生
2004年08月22日(日)  H2O+H2=H4O(水素結合水)
2002年08月22日(木)  鼻血で得意先ミーティングに遅刻


2007年08月21日(火)  マタニティオレンジ162 もしもし、たま電話。 

13日の夜、『絶後の記録』映画化をめざすキンガ・ドボッシュさんを囲んでわが家で会食していたときに、「あら、たまちゃん、電話してる」とダンナ母が気づいた。家の電話が鳴り、ダンナ父が応対していたのだが、それを見ていたたまが物真似をするように左手を左耳に当て、「もしもし」のポーズを取っているのだった。教えたつもりはないのに、いつの間に覚えたのか、びっくりするやらうれしいやら。「もういっぺんやってみて。もしもしー」と自らお手本を見せながら、アンコールしたのだが、実際に電話が鳴らないとたま電話のスイッチが入らないらしい。携帯で家の電話にかけ、呼び出し音を鳴らすと、ほら来た!とばかりにもしもしポーズを取る。面白くて、何度も家の電話を鳴らすことになった。

それから一週間、たま電話はさらに進化し、もしもしポーズを取りながら、「ハイッ」と言うようになった。少し緊張感のある歯切れのいい言い方といい、語尾の「ッ」と同時に首が軽く前後するところといい、ダンナが仕事の電話を受けるときの相槌によく似ている。家にいるときもひっきりなしに電話がかかってくるパパを観察して、覚えたのだろう。

ゴルフの素振りには傘が、アカペラカラオケにはしゃもじが欲しいように、たま電話も「何か持たなきゃサマになんないわ」ということに気づいたらしく、リモコンやらペットボトルやらを受話器に見立てて耳に当てるようになった。オムロンの電子体温計の先が細いほうを口元にもってくると、インカムっぽくて結構キマる。本人もそれがわかっているのか、体温計を手放さないのだけど、先っぽが目に入ったら、とこちらはハラハラする。「スリッパは無理があるんじゃない?」と突っ込むと、えへへとおどけて笑う。受け狙いなのか、末恐ろしい。

ちょうど手に届くところに家の電話があるので、その受話器を持ち上げることも覚えてしまった。本人は耳に当てたいのだけれど、受話器が重いので肩に担ぐ格好になる。受話器がしょっちゅう外れては、ピーピーと警告音が鳴る。もちろん携帯電話は大好き。赤ちゃんの手にも持ちやすいサイズなので、これでもしもしするのがいちばんしっくり来るらしい。でたらめなボタン操作でも壁紙の写真を変更したりサイトに接続したりリダイヤルしたりしてしまうので、危なっかしい。機種変更で不要になったおさがりを差し出すと、お古にはそっぽを向き、現役を寄越せとねだる。電磁波センサーでもついているのか、親がどちらを大切にしているかを観察しているのか、現役機種と引退機種をちゃんと見分けている。

保育園では週一回の小児科検診を「もしもし」と呼んでいる。聴診器が電話に似ているからなのか、体の声を聴くからなのか、その両方なのか。昨日、夏風邪を診てもらった小児科で胸に聴診器を当てていたら、突然たまが左手を耳に当て、もしもしのポーズを取った。やっぱり電話に見えるんだなあと思ったら、院長先生のデスクの電話が鳴っていた。診察の邪魔にならないように、さりげないメロディと音量に設定されていて、それが電話の音だと気づくのに、わたしは少し時間がかかった。だが、たまは瞬時に「電話だ」と察したらしい。感度良好のたま電話には驚かされることばかり。


2007年08月20日(月)  マタニティオレンジ161 はじめての返品

助産院に入院中、無事出産を終えて、半年一年先のことを考えるどころではなかったわたしに、「保育園に預けるべし!」と熱心にすすめてくれたのは、見舞いに来た二人の先輩ママだった。「仕事のときは自分たちが見るってじいじばあばが言うかもしれないし」とわたしが言うと、「じいじばあばの出番なんか、いくらだってあるわよ。保育園に預けたって、熱やら風邪やらでしょっちゅう返品されるんだから」。発熱なんかで保育園に預けている子どもが返されることを「返品」と呼ぶ言い方があることを、そのとき知った。

0歳児はとくに抵抗力が弱いので、すぐに高熱が出るし、伝染性の病気にもかかりやすい。「最初のうちは病気をもらいに行くようなもので、何しに預けてるんだかわからないよ」と大阪に住む妹・純子にも言われた。ひと月のうち2、3日ぐらいは返される覚悟でいたのだけど、幸いうちのたまは体が丈夫なようで、前夜に熱を出しても翌朝には下がっていたり、ちょっと熱めかなと思いつつ預けたら7度台後半でセーフ(赤ちゃんは平熱が高いので、8度を超えるとアウトとなる)だったり、綱渡りながらも返品ゼロ記録を更新していたのだけれど、ついに今日、その記録が止まってしまった。「たまちゃん、8度1分です」と夕方に保育園から電話があり、迎えに行くと、おでこに冷えピタシートを貼られて待っていた。朝方からやや熱っぽく、お預け時の検温では7度8分だったのだけど、昼過ぎにいったん下がり、ほっとしていたら、また上がったのだと言う。

コンコンと咳も出ているので、保育園の帰りに小児科に連れて行くと、「のどが腫れていますし、夏風邪でしょう」との診断。熱はまだあまり高くないので、咳止めの薬だけ出してもらう。なんとなく小さいうちから薬の力に頼ると、体の自然治癒力がなまけてしまいそうで、いつも少なめに出してもらうようにしている。

振り返ってみると、お盆の間からひっきりなしに人が家に来たり、人の家に行ったりが続いていた。大人のペースに巻き込まれて、疲れが出てしまったのかもしれない。反省しつつ、ゆっくり体を休めることに。熱があっても子どもは元気なのだけど、いつもよりは甘えたになっていて、片時たりとも床に下ろさせてくれないので、トイレにも抱っこで連れて行く。植物を挿した小瓶をなぎ倒したり、ウォッシュレットのボタンを押したり、壁にピンナップしてある自分の写真を指差して興奮したり、トイレワンダーランド滞在中は楽しげにしてくれている。風邪の間だけの後追いならいいのだけれど、「一人でトイレにも行けない時代」に突入してしまったとしたら困ったものだ。


2007年08月19日(日)  マタニティオレンジ160 ヨチヨチ記念日

夜中に目を覚ましたら、たまが布団の上を飛ぶように駆け回っていた。夢か、と思って寝ぼけ眼をこすると、つんのめって手をついた。その姿勢から立ち直ってまた起き上がり、ととと、とベビーベッドに向かって突進し、ベッドの柵をつかんだ。夢ではなく、本当に歩いていた。目標物に向かって倒れこむように歩くので、前のめりになって加速し、走るような姿になる。

少し前、保育園の先生に「たまちゃん、もう少しで歩きそうですね」と言われ、「いつをもって、歩いたって言えるんでしょうか」と聞くと、「床から一人で立ち上がって、何歩か踏み出せるようになったら、でしょうか」という答えだった。これまでにも、たまは椅子から椅子へ、パパからママへ、綱渡りのようなヨチヨチを披露していたが、立ち上がるまでは椅子や人の手や膝を借りていた。自力で四つんばいの姿勢から二足歩行体勢を取れた瞬間を確認した今日、8月19日を「ヨチヨチ記念日」に認定しよう。ハイハイ(8月18日)から一歩進んだ日、と覚えることにする。

いつも上から見下ろしていると、危なっかしくてつい手を差し伸べてしまうのだけれど、布団に寝転がって頭の上を飛び回るさまを見上げていると、堂々たる迫力がある。まるまると太った立派な大根足はどしんずしんと床を蹴り上げ、なかなか頼もしい。一才目前に歩きだした、たまザウルス。転んでも転んでも自分で起き上がれるのがうれしいのか、何度も起き上がり、歩き出していた。

2004年08月19日(木)  色数はあるけど色気がない
2002年08月19日(月)  大阪は外国!?


2007年08月18日(土)  マタニティオレンジ159 三世代合同誕生会でたま1才

生後1か月から毎月開いてきた月例(齢)誕生会の12回目。記念すべき1歳の誕生日は何やるの、と周囲の期待も高く、「夏だしバーベキュー大会」という計画もあったのだが、8月7日生まれのダンナ父が古希を迎え、ダンナ妹が25日生まれということで、「3人合同の家族誕生会にしよう」と決まった。

古希のお祝いもあるので、外で会食して、わが家で誕生日ケーキを食べることに。近所にある湯豆腐屋なら座敷もあるし、うってつけだ。そのお店が昨日までお盆休みだったので、今朝電話し、予約。「かしこまりました」と告げたお店の人が、「あ、ちょっと待ってください」と急にあわてて、「今日は夜からの営業でした」。豆腐の仕入れが間に合わなかった様子。急遽代案を探すことになり、以前ご近所仲間のK夫人にすすめられた東京ドームホテルの「たん熊北店」に電話。座敷は満室、完全個室ではないが仕切られているテーブル席は一人6000円から、普通のテーブル席なら3500円からと言われ、普通のテーブル席をお願いする。

到着すると、いちばん奥まった広いテーブルに案内される。他のテーブルとは離れていて、個室感覚。活け花を愛でながら、美しい器に盛り付けられたご馳走をいただく。和風パンプキンスープのような「冷やし南瓜すり流し」をたまはいたく気に入り、ほぼ一人前平らげる。いつもの離乳食とは比較にならない食いっぷり。料亭の味がわかるのだろうか。

用意していただいたベビーチェアにはベルトがなくて危なっかしいので、たまはベビーカーに座らせたり、だっこしたり。たまが退屈すると、じいじとばあばが交代で外へ連れ出し、電話ボックスでもしもしごっこなどをさせてあやしたので、最後まで派手にぐずられることはなく、食事を楽しめた。料理は思った以上にボリュームがあり、それでいて、京風の上品な味付けで箸が進み、わたしは御飯をしっかりお代わり。デザートも果物だけかと思ったら、ゼリーとアイスクリームもついてうれしい限り。サービスも至れりつくせりで、お祝いにふさわしい会食となった。ホテルの中のレストランには割高なイメージを抱いていたけれど、ここのお昼はお値打ちだと満足した。








たん熊北店「光悦」

前菜 鱧押し寿し 
   串差し 蛸 おくら 玉蒟蒻
   鯛胡瓜生姜酢
   蛇龍山桃 枝豆

吸物 冷やし南瓜すり流し 
    白玉 星おくら じゅんさい

造り 鱸(すずき)洗い 
    酢味噌かけ 
     あしらい

焼物 鮎風干し 
    蓼酢焼き 半熟玉子 花蓮根

焚合 飛龍頭 
    楓麩 青菜 水辛子

揚物 鱧ゆかり揚げ 
    夏野菜夫婦羅 
     賀茂茄子 茗荷 ヤングコーン 
      冷やし天出汁卸し

止椀 田舎味噌
御飯 枝豆御飯
香物 京漬物
水物 旬の物


わが家に戻ってケーキタイム。ダンナ妹のケイコチンが用意してくれた新宿高野のいちごぎっしりケーキに3人分のプレートを強引に貼り付ける(すべって大変)。サービスのプレートを3枚も書かせた上に、ペンが太くてにじんでいるからと言って書き直しをお願いしたそうで、店員さんにとっては迷惑な客だっただろう。そういえば、2/12才のケーキも高野のものだったけれど、やはり字がにじんでいた。細ペンを採用されたほうがいいかもしれない。ロウソクは数字の1をかたどった1本。これまで「見てるだけ」だったたまは、満を持して誕生日ケーキにありつく。ちょっとだけね、とスポンジをひと口食べさせたら、目を輝かせた。母親に似てスイーツには目がないよう。

たまは最近覚えた「もしもし」(耳に手を当てて電話しているつもり)や、「うちわパタパタ」(ヘロヘロな仰ぎ方ながらも、それなりに風を送れる)や「どうぞ、どうも」(物を差し出したり受け取ったり)を披露して、じいじばあばは手をたたいて大喜び。古希のじいじには、孫と過ごす時間が何よりのプレゼントだし、たまにとっても、じいじばあばやケイコチンにたっぷり遊んでもらえるのが、おもちゃより楽しいことだと思う。

2004年08月18日(水)  スチームボーイと津嘉山正種さん
2002年08月18日(日)  24時間テレビ


2007年08月17日(金)  年に一度だけ思い出されても

今年も24時間テレビの季節がやってきて、新聞でもテレビでもネットでも番宣記事を連日見かける。そのたびに、少し前に会った方に言われた言葉を思い出す。「年に一度、24時間テレビの日だけ思い出されて、あとの日は忘れられてもなあ」とその脳性麻痺の男性は言った。日本中が注目し、共感し、涙するその24時間の前にも後にも続いている日常がある。その日だけ、思い出したように思い出すことより、意識の片隅に意識して置いておくことのほうが意味がある。それはわかっているけれど、流されるように、追い立てられるように生きていると、きっかけでもなければ、立ち止まることを忘れてしまう。

花火のように派手でパーッと盛り上がって散るものは目を引くし、人を集めやすい。それに引き換え、燃え盛った火の名残を小さく灯し続けることはずっと地味だけれど、ずっと難しく、根気を要する。少し前に戦争関係の記念日が続いたこともあり、原爆の火を受け継ぐ人々のことを思ったりしながら、「年に一度だけ思い出されても」という一言が頭から離れなくなっている。

2004年08月17日(火)  サービスって?
2002年08月17日(土)  浴衣・花火・箏・まが玉

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