2007年04月25日(水)  教え子四人とシナリオ合評会

一昨年の10月から半年間、シナリオ講座の研修科を受け持った。そのときの教え子の男の子四人が出産祝いを贈ってくれたので、内祝い代わりにわたしの家で合評会を開くことになった。四人がときどき居酒屋で合評会を開いていることは聞いていた。最初は真面目に批評していても、途中からは単なる飲み会になるというが、合評会や仲間の存在が書き続ける励みになっているのがうかがえる。独学でコンクールに応募していたわたしは、そういう同級生がいることをうらやましく、微笑ましく思う。

一週間前必着の約束に一人も遅れることなく原稿がそろってから、一週間かけて四人の作品を読んだ。講座を受け持っているときも、わたしは時間の許す限りじっくり読み込み、気づいたことやアドバイスできることをできる限り伝えるように努めた。わたしが脚本家になれたのは、結局会うことが叶わなかった新井一先生が雑誌の誌上シナリオ講座に応募したわたしの作品に目を通し、温かい励ましの言葉をくれたから。書きたいという思いがある人には、書き続け、デビューのチャンスをつかんでもらいたい。新井先生がわたしにしてくれたことを、これからの人たちに返せたらと思っている。だから、そういう機会に恵まれたときは、真剣に読む。その代わり、書く人にも真剣勝負を求める。誤字脱字には厳しい。何度も読み返し、これでどうだ、と自信たっぷりに突き出して欲しい。気の抜けた原稿は、こちらも気が入らない。

四人の原稿には、書き続けてきた時間に値する成長がうかがえた。脚本のスタイルはだいぶ整ってきたし、読みやすくなっている。でも、肝心なのは、中に何を込めるか。この物語はどこへ向かうのか、最後に何を残したいのか、そこがまだ弱い。「モチーフはいいけど、テーマとうまく絡んでない」「主人公のキャラクターが途中で変わってる」「結末に驚きがない」……。出産祝いのお礼のはずなのに、力が入って、つい言葉がきつくなってしまった。だけど、コンクールで勝ち残るには、他の作品より突き抜けた何かを発していないと、埋もれてしまう。それを見つけてほしい。

互いの作品を評する四人の言葉にも成長が見られた。わたしが見落としている作者の意図を汲みとっていたり、そういう解釈もあるのかと気づかされたり。脚本を読む眼がずいぶん肥えている。初稿は勢いで書いてしまうけれど、直しで完成度を上げていく作業が難しい。どこを削り、何を加えるか。見極めを誤ると、改訂が改悪になってしまう。プロの脚本家の場合はプロデューサーや監督とああだこうだ言いながら方針を定めていくけれど、コンクール応募時代は孤独な作業になる。そんなとき、「本を読める」仲間がいるのは、とても心強い。それぞれ仕事を持ちながら、励まし合い、書き続けている四人。この中の誰が最初にデビューしても、自分のことのように喜びを分かち合うのだろう。もちろん同時に焦りやジェラシーも感じるのだろうけれど。お土産のケーキでお茶しながらの休憩をはさんで四時間。コンクールに応募していた頃を思い出して、お礼をするつもりが、元気と刺激をもらった。

2005年04月25日(月)  美保子さんちで桃を愛でる会
2003年04月25日(金)  魔女田本「私、映画のために1億5千万円集めました」完成!
2002年04月25日(木)  田村あゆちの「ニュースカフェ」に演


2007年04月24日(火)  4000人と出会った男、大阪へ。

会社時代の同期のなかじが大阪支社に転勤となり、ひさしぶりに同期で集まる。最後の同期会は昨年の7月。大きなおなかを揺らせての参加だったけれど、そのとき、臨月のわたしのウエストといい勝負をしていたのが、なかじのメタボ腹だった。入社したときから体も声も大きな人だったけれど、近年は横幅の成長が著しい。声と体の大きさに人間の引力は比例するのか、入社研修以来、なかじの話はいつも同期を引き付け、笑わせてくれていた。その調子で、飲み屋でもわたしの本(ブレーン・ストーミング・ティーン)をすすめ回ってくれ、「何人の女の子に贈ったかわからない」と言う。

どうやらなかじの巧みな話術は女の子との会話で磨かれたものらしく、今夜の同期会で「これまでに合コンで4000人と出会った」という発言があった。平均して週1回で年約50回、それを十代後半から約20年続けているので、累計1000回。一回に4人に出会うとして、4000人になるという。年を重ねてもペースは落ちず、大阪転勤の辞令が出た数日後も合コンに出かけたところ、ずいぶん前に合コンで会った女の子と再会したのだという。「もう東京は一巡したかなと悟った」そうで、東京を離れる踏ん切りがついたのだとか。満を持して来月から大阪市場を開拓することになったなかじ、突っ込み厳しい大阪の女の子相手に百戦錬磨を続けてほしい。

2002年04月24日(水)  天才息子・西尾真人(にしお・なおと)


2007年04月23日(月)  はちみつ・亜紀ちゃんのお菓子教室でお買い物

先週の金曜日、友人のはちみつ・亜紀ちゃんのお菓子教室へ娘のたまを連れて遊びに行った。亜紀ちゃんの友だちで、わたしも五年ぐらい前に一度会ったことがあるというビーズアクセサリーデザイナーの佐和子ちゃんが、教室のスペースを使って展示会を開くという。

行ってみると、ちょうど亜紀ちゃんのお母さんとそのお友だちが、テーブルに広げたネックレスやブローチを品定め中。突然の赤ちゃん出現に、「まあかわいい」と目を細めてだっこしてくれ、歓迎モードにたまは大喜び。そこに到着した佐和子ちゃんも大の子ども好きで、「甥っ子の面倒をよく見てたの」と慣れた様子でだっこしたりあやしたり。たまは佐和子ちゃんの首からじゃらじゃらぶら下がっているビーズ(大ぶりのもので、玉に近い)のネックレスが気になってしょうがない様子で、手を伸ばしては引っ張る。「ばらばらになっちゃう」と心配するわたしに、「大丈夫。直せますから」と佐和子ちゃんは涼しい顔。子守りをおまかせして、じっくり作品を見せてもらう。見るだけのつもりが、フランスで買ったというアンティークボタンを組み合わせた指輪に一目惚れ。ハートのストーンをぶら下げたネックレスにも惹かれたのだけど、わたしの場合は引っ張られて崩壊しても直せないので、指輪を選ぶ。色はもちろんオレンジ。

亜紀ちゃんが作ってくれたシフォンケーキをいただきながら、しばしおしゃべり。研究熱心でチャレンジ精神旺盛な亜紀ちゃんは、レシピ開発にも余念がないけど、教室のあちこちにも手作りの工夫が見られて、探険しがいがある。カフェでもらう木のスプーンに色を塗ってつなげたのれんや、ワインの空き箱に取っ手をつけた引き出しなど、発想も面白いけれど、それを形にしてしまうところがすごい、えらい。

トイレの前の壁には、ハートをモチーフにしたポップなイラスト。これを描いたイラストレーターのまりまりさんにも、亜紀ちゃんの紹介で会ったことがある。人脈もユニークな亜紀ちゃん、わたしとの出会いは、ウェディングケーキを作ってもらった6年前。友人に紹介された初対面の日から、あまりに楽しい人で、離れられなくなってしまった。

2005年04月23日(土)  根津神社のつつじまつり
2004年04月23日(金)  くりぃむしちゅー初主演作『パローレ』(前田哲監督)
2002年04月23日(火)  プラネット・ハリウッド


2007年04月22日(日)  植物は記憶のスイッチ

清瀬という町に、はじめて行く。待ち合わせより三十分ほど早く着いたので、駅前から伸びる小道を歩いていると、道の両側に露店を広げ、フリーマーケットが開かれていた。「苔玉」の札が目に留まり、しゃがんで品定め。多肉植物や山野草が寄せ植えされ、花も咲いていて、なかなか凝っている。「これは三時になったら咲く花でね」この人が作者なのか、気のいいおじさんが熱心に説明してくれる。「表面が乾いてきたなって思ったら、バケツにどぼんって突っ込んで、泡がぶくぶく出てきたら引き上げてよ」。ひとつ550円、ふたつなら1000円だと言う。二つ買うと、竹を黒く塗った手作りの水切り皿もおまけしてくれる。「あと、これもあげるよ」と差し出された風車を「これはいいです」と断ると、おじさんは悲しそうな顔になった。これから打ち合わせで、風車が鞄から飛び出しちゃうから。おじさん、ごめんなさい。もっと喜んでくれる人に、おまけしてあげてください。

二つの苔玉が潰れないように、崩れないように、封筒に入れて固定。家に帰って取り出すと、球形も頂の植物たちもきれいなままだった。キッチンのシンクの前に飾る。清瀬には三時間ほどしかいなかったけれど、二つの苔玉を見ると、駅前の小道での買い物が旅先での一コマのように思い出されるだろう。

植物は、ゆかりの土地や人の記憶を連れてきてくれる。宮崎で買った、青島の軽石に入った400円の多肉植物は、一度茶色くなって枯れたばかり思ったのだが、土を入れ替えたら、以前よりも鮮やかな緑になった。枝と呼ぶのか葉と呼ぶのか、トカゲのシッポみたいな先細りの緑が元気良く前後左右に飛び出している。広い車道の真ん中にそびえていた椰子の木を連想する。神代植物公園の温室の中で長机の店を広げていたじいちゃんが適当な鉢からハサミでチョキンチョキンと何種類か見繕ってくれた多肉植物の欠片は、うまくいかなくても300円だし、と思っていたら、見事に根づき、育ち、どんどんふえている。その図太い生命力は、じいちゃんの印象に通じる。「土に挿せば伸びるから。あんたでもできる」。今日もどこかの植物園で多肉植物を切り売りしながらお客さんに憎まれ口をきいているのかな、と思い出す。会社で隣の席にいた佐々木君が退社するときにくれたパキラは、佐々木君のあだ名にちなんで「チャチャキ」と呼んでいる。パキラのチャチャキに元気がないと、人間のチャチャキ君のことが気になって、「元気?」とメールしてしまう。

2002年04月22日(月)  ワープロ


2007年04月21日(土)  マタニティオレンジ109 ご近所仲間とたま8/12才

午前中に友人ミヤケマイの個展を見た帰り、8月22日生まれの娘のたまの一日早い8/12才ケーキを求めて、銀座を奔走。まずは大好きなアンリ・シャルパンティエの銀座店へ。重厚感あふれるショーケースはステキだったけれど、ホールケーキはピンと来るものがなく、松屋へ向かうことに。と、通りの向こうにダロワイヨがあるのを思い出し、ショーケースに並んだ春の新作の中に、てんとう虫のケーキを発見。形は最高だけど、ボリュームが足りないかな、とやっぱり松屋へ。スイーツ売場をうろうろしてたら、色とりどりのプチシューが目に飛び込んだ。そうだ、これをてんとう虫のまわりに飾ろう。お店はと見ると、アンリシャルパンティエ。プチシューを8つ買ってダロワイヨへ引き返し、てんとう虫一匹とプチシューの援軍のプチガトー3つを買い、店を出て駅へ向かう途中で思い出した。「肝心のプレートを忘れた!」。急いで引き返し「たま8/12才」と書いてもらう。行ったり来たりのせいで、家に帰りついたときにはプチシューはこぞって逆立ちし、頭のクリームが箱に擦り付いてはげてしまっていた。そんな失敗話もまた、バースデーケーキのトッピングということで。


マンスリーゲストはご近所仲間のK一家と、T氏とM嬢のカップル。食欲と好奇心が旺盛で、気が合い、話が合い、集まるといつも時間を忘れてしまう大好きな人たち。ご近所仲間ではこのところ年に一人女の子がふえていて、たまは「三女」となっている。「次女」は、たまより一年早く生まれたK家のまゆたん。「カマちゃん」とたまのことを呼んで、かわいがってくれている。「長女」はロンドン在住のY家のユキちゃん。一時帰国して三姉妹そろう日が楽しみだねえと話す。親戚の子のような親しみを込めて互いの子どもの成長を楽しみあえるご近所仲間の存在は、とても心強く、ありがたい。

メニューは、毎度の魚屋てっちゃんのお刺身と、定番のまぐろとアボカドのサラダと、近所のお肉屋さん自慢のステーキと、手づくりパン。せっかくいい脂があるんだから、ガーリックライスを作ったら、とK夫人が提案し、作り方を伝授してくれる。ステーキを焼くときの脂と肉の脂身部分をにんにくとともに細かく切って塩コショウし、ごはんと炒めると、脂がたっぷり米にしみこんで、なんともおいしい。「危険だ〜」と言い合いながら、あっという間に平らげる。

たまは終始ごきげんで、愛想をふりまいていた。7か月からの一か月は、保育園に行き始めてからの成長に目を見張るものがあった。離乳食は裏ごししたものから粒々のものに。ハイハイはおしりが上がるようになり、片手ずつ上げて椅子の足やわたしの手をつかむようになった。「バアバア」「パアパア」とハ行の音を発音することが多かったのが、「マアマア」「マンマア」とマ行がふえてきた。次の月例誕生日までには「ママ」と呼んでくれるかもしれない。

2002年04月21日(日)  貧しい昼食


2007年04月20日(金)  マタニティオレンジ108 助産院で赤ちゃん同窓会 

出産した助産院で、同じ頃に出産・入院した人たちを集めた同窓会が開かれる。参加したお母さんは十名ぐらい。それぞれ赤ちゃんを連れていて、さらに、お兄ちゃんお姉ちゃん連れの方が半分ぐらいいるので、かなりにぎやか。自己紹介を聞いていると、第二子出産の人は、「一人目は病院で産んだけど、二人目は自分のやりたいように産みたい」と助産院を選んだ人が多い。わたしが「食べものがおいしいと聞いて、ここにしました」と自己紹介すると、「わたしも」という人が何人かいた。全食完食したのはわたしだけではなかった様子。皆さん、一様に「次もまたここで産みたい」と言っていた。同窓会に来るということは、満足しているあらわれだろうけれど、「いいお産」と言い切るのを聞くのは気持ちがいい。どのお母さんも、はつらつとしたいい顔をしていた。

おおらかな助産院の雰囲気は、わたしにはとても合っていて、近代的でない、どちらかといえばレトロな建物もあたたかみを感じて好きだった。ところが、現在建設中のビルに引っ越すのだという。「次に産むときは新しいビルよ」と助産師さんは声を弾ませていたけれど、わたしは母校の校舎が取り壊されて新校舎に建て替えられるような淋しさを覚えてしまう。自分が入院中に「あなたはこの部屋で生まれたのよ」と子どもを連れて遊びに来ているお母さんたちがいて、ほほえましかったのだけど、あれができないのは残念。

レトロといえば、助産院と提携している産婦人科さんのことが話題になった。助産院での出産でもしものことがあった場合に搬送されるのがその産婦人科なのだが、昭和初期で時間が止まっているような古めかしい建物で、設備も年季が入っている。とても味わいがあって落ち着くのだけれど、緊急時の搬送先として考えると、助産院のほうが設備が充実しているのではと思えてしまう。おかげで、わたしは「何が何でも助産院で産みきろう」と奮い立ったのだけど、同じように思った人もいたようだ。「新しくしたらもっと患者さん来るんじゃないって言ったんだけど、あそこの先生、儲けようっていう欲がないのよねえ」と助産師さん。何度か検診を受けたその産婦人科は、せめてこのままでいて欲しい。

2005年04月20日(水)  東京ハートブレイカーズ公演『黒くやれ』
2002年04月20日(土)  16年ぶりの再会


2007年04月19日(木)  焼きたてのパンのにおい

わたしの書くものには食べものがよく登場する。食べることが好きだから、つい登場人物にも何か食べさせたくなる。好きな食べもの、思い出深い食べものを好んで書く。映画『子ぎつねヘレン』とドラマ『快感職人』第五話で登場させたパンは、とくに思い入れのある食べもの。子どもの頃、母親と一緒にパンをつくるのは、どんな遊びよりも楽しかった。パンだねの手ざわりとあたたかさ、部屋いっぱいに広がる焼きたてのパンのにおい、思い出すだけでしあわせな気持ちになる。『快感職人』では、パンのぬくもりを体温のぬくもりに重ね、リストカットを繰り返していた少女が援助交際をやめ、パン屋でバイトをはじめるストーリーにした。

去年、オーブンレンジを買い換えたとき、決め手になったのは「PAM発酵」「かんたんパン」というボタンがついていたことだった。「パンが手軽に焼けます」とビックカメラの店員さんに言われ、ひさしぶりにパンを焼いてみよう、と思った。そんなことをすっかり忘れるほど、子育てでばたばたしていたのだが、保育園がはじまって少し時間にも気持ちにも余裕ができ、パン焼き機能の出番となった。昔は車の中やらこたつの中やらパンだねの入ったボールをあちこちに運んで発酵させたものだけど、レンジでふくらむとは便利。おまけにレシピもとっても簡単。ビニール袋に強力粉と塩と砂糖とドライイーストをまぜ、溶かしバターに水を加えたものを流し込み、しっかりこねて一次発酵、成形して二次発酵、そのまま「かんたんパン」ボタンを押せば、温度も時間も勝手に調節して、いい感じに焼き上げてくれる。こんなに手抜きでうまくいくのか、とおっかなびっくりだったけど、ちゃんとふっくらもちもちして、思いのほかおいしい。固くなってしまったチーズ、ぜんざいを作る前に冬が終わってしまったゆで小豆など、これどうしましょうな食材をくるんだアレンジパンも、いける。こしょうとごまと松の実とバジルソルトを混ぜ込んだパンは、肉料理のおともにぴったり。オリーブオイルをつけて食べてもおいしい。焼きたてのシズル感と「うちで焼いたパン」という特別感がお客様にも受ける。

焼きたてのパンのにおいに包まれていると、学生時代にバイトしていた老舗のパン屋さんのことを思い出した。休憩で出されるパン目当てにバイトをはじめたのだけど、一日に菓子パンを6個食べたこともあり、食べすぎで一気に太った。バイトは若い子たちばかりで和気藹々としていて、妙に楽しかった。何より、メロンパン(その店では「サンライズ」と呼んだ)やフランスパンやホテルブレッド(MKタクシーがホテルへ届けるパンをお迎えに来ていた)やドーナツ、いろんなパンのにおいが混じりあった中で調理パンを袋に詰めたり、レジを打ったりする時間は、時給に換えられないぜいたくを味わわせてくれた。できることなら卒業するまで働かせてもらいたかったのだけど、「また応援団の合宿で一週間休みます」と告げたら、「その後もずっと休んでいいよ」とクビを言い渡された。応援団活動を優先させるくせに、食い意地だけは人一倍なわたしは、雇い主にとっては手の焼けるバイトだったと思う。今もあるのかな、京都の山田ベーカリー。

2005年04月19日(火)  ありがとうの映画『村の写真集』
2002年04月19日(金)  金一封ならぬ金1g


2007年04月18日(水)  マタニティオレンジ107 子どもの世界の中心でいられる時間 

ここ数日の大きな変化。保育園に通い出した娘のたまが、人の顔をじーっと見て、知っている人と知らない人を区別するようになった。毎日会う保育士さんには「知ってる知ってる」という顔をし、初めての保育士さんには「知らない」という目を向ける。そろそろ人見知りが始まったのかもしれない。そして、わたしのことも、はっきりと認識し、他の人たちと差別化している。保育園へ迎えに行っても知らんぷりでおもちゃに夢中になっていたのが、わたしの姿を見つけると、ぱっと目を輝かせるようになった。まだ言葉を話せない子どもが、瞳を見開き、両手を広げ、「ママ!」とまっすぐに訴えてくる。この子に母親として認められつつあるんだ、とうれしさと誇らしさがこみあげる。一日中離れていても、ちゃんと覚えていて、とびきりの笑顔を見せてくれる。なんてけなげな、愛しいヤツ。「やっぱりママがいちばんなのねえ」と言いながら、保育士さんが引き渡してくれる。

思い出したのは、数週間前に読んだ新聞記事。4才と1才になる幼い兄弟を置き去りにして、交際相手の家へ向かった女性がいた。1才の弟は餓死してしまったけれど、4才の兄は生ゴミや冷蔵庫の調味料で飢えをしのいで生き延びた。そして、ひと月ぶりに姿を見せた女性に飛びつき、抱きついたのだという。このくだりを読んで、わたしは「えっ」と不意打ちを食らった。同じシチュエーションを脚本に描いた場合、「ぐったりと弱りきって動けない男の子」や「心を閉ざし、母親に背を向ける男の子」を思い浮かべただろうが、「抱きつく」は思いつかない。死んだ弟と二人きりの閉ざされた家の中で命をつないでいた兄は、そんな状況にあっても、なのか、そんな状況だからこそ、なのか、母親を待ち続けていた。母親にとっては子どもが世界のすべてではないけれど、幼い子どもにとっては母親が世界なのだ。置き去りにした女性は、それが重かったり煩わしかったりしたのかもしれない。彼女が家に戻ったのは、子どもが心配になったからではなく、荷物を取りに帰るといった個人的な理由だった。とっくに死んでいると思っていた息子が生きていたことに、彼女は驚いたそうだ。記事にはそこまでしか記されていなかったけれど、抱きついた子どものあたたかみと重みを受け止めた彼女の中で、眠っていた「母親」が目を覚ましたかどうか、気になっている。

間もなく8か月になるたまは、これから言葉を獲得し、歩くようになる。「ママ、ママ」とつきまとい、追い回すようになる。だっこさえしていればごきげんな今とは違い、「やだ、やだ」とだだをこねたり、あれしたいこれしたいと主張したり、やっかいな生き物になっていく。そうなったとき、わたしにも、娘を煩く思うことがあるかもしれない。娘が生きている小さな世界に占める母親の大きさを忘れないようにしたい。子どもの世界が広がるにつれ、お母さんの存在感はどんどん小さくなっていく。全身で、全力で頼られるのは、とても短い時間のことなのだと思う。

2005年04月18日(月)  日比谷界隈お散歩コース


2007年04月17日(火)  作詞をしませんか

「作詞を引き受けていただけますか」と音楽制作を請け負う会社より問い合わせがあり、会うことになった。食品ソングなどを手がけている会社で、『冷凍マイナス18号』からわたしにたどり着いたそう。具体的な話はまだなく、何か動きがあれば声をかけます、ということで、今日は顔合わせのみ。食べることは大好きだし、作詞ももっとやっていきたいので、食品ソングだったらよろこんで、と答える。歌詞の開発のためにはまず味を知ってから、なんて言って、おいしいものにありつけたりするんだろうか。楽曲はJASRAC登録し、著作権使用料を保証してくれるという。PRソングの類はCDを無料で配るケースが多いが、「無料配布CDでも著作権使用料が支払われる」ケースがあることをはじめて知る。有料の場合とは違う計算法があるらしい。

自分のサイトを持っていると、脚本だけでなく、作詞の仕事まで向こうからやってくる。せっかくだから、これまでに作詞を手がけた作品をまとめておこう、といまいまさこカフェにページを作った。メニューバーのwordsからどうぞ。

2005年04月17日(日)  ティッシュちりぢり映画『コーラス』


2007年04月16日(月)  祖師ヶ谷大蔵で小さな旅

聞いたことはあるけど、行ったことはなかった街、祖師ヶ谷大蔵へ仕事で行く用ができた。昨日鎌倉で感じたことだけど、日常を過ごしている街から出て他の街を訪ねることは、それだけで立派な旅になる。行ったことのない街ならなおさらだ。

待ち合わせより一時間ちょっと早めに駅に着き、「キヨビスカ」という自然食レストランでランチ。素朴というか質素というか、素材勝負の野菜中心のおかずが並ぶ。華はないけれど体には良さそうだ。200円プラスでごはんを「アドボ丼」に変更。持ち前の思い込みで「アドボ丼=アボカド丼」だと決め込んでいたのだけど、肉を煮込んだようなもので、これまた茶色く、地味。アボカドをわざわざアドボと呼んだりするわけないか。でも、アドボって何だ? 隣のテーブルでは大学生のカップルが就職活動の話。彼女が面接用の自己紹介を彼氏に聞かせると、「バカっぽくね?」と彼氏。でもわたしは、「わたしはわたしが大好きです!」という謙遜のないバカ正直さに好感。店を出るとき、ベーコンとチーズの入った手作りイングリッシュマフィンを買う。

お昼を食べ終わっても、まだ40分ほど時間が余っている。キヨビスカの向かいに雰囲気のいいティールームを見つける。店の前に出た看板は紅茶とスコーンに自信ありと語っている。明日の朝食用にスコーンを買って帰ろう、と店をのぞくと、「これから焼くので17分ほど待ってもらえます?」とカウンターの奥の女主人。それなら自慢の紅茶を飲みながら待たせていただきましょう。小さなお店には、先客の女性が一人。「あら、面白い服」と裾に鍋敷きみたいな刺繍の花をぶら下げたわたしのスパッツに目を留める。「近くで見せていただいていい?」と席を立ち、わたしの足元まで来てかがみ込み、手を伸ばして興味津々。「ご自分でなさったの?」「いえいえ。買ったときにはついてました」「へえー。初めて見たわ」「大阪の人がデザインしてバリで作っているという服なんです」「わたし、刺繍やるの。今度、自分の服にやってみようかしら」。そんな会話を交わすうちに打ち解けて、女主人も加わって三人で話が弾み、「この街もずいぶん変わったのよ」「この店はできて8年になるの」「向かいのお好み焼き屋がおいしいのよ」などと地元話を聞いているうちにスコーンが焼きあがった。せっかくなので、持ち帰り用とは別に焼きたてをいただくことに。粒々した食感で、添えられたクリームとロイヤルミルクティーによく合う。「人の縁って面白いわね。わたしがあなたの服を見て声をかけなかったら、どういう人だか知らずにすれ違っていたんだものね」と先客の女性。看板が気になってドアを開けたのは、出会いが待ち受けている予感があったせいかもしれない。お店の名前はティーベル(Tea Belle)といった。

2005年04月16日(土)  オーディオドラマ『アクアリウムの夜』再放送中
2002年04月16日(火)  イカすでしょ。『パコダテ人』英語字幕

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