DiaryINDEXpastwill


2006年03月31日(金) 366日目。

午前中は、部屋の整理に追われてた。
いつからか隣の部屋に移った妹が使わなくなった机の周り。
(妹は私の部屋と隣の部屋に両方机がある)
埋もれてる机を発掘、って状態だったな……。

私はやることが遅いんで、母を怒らせっぱなし。
元々自分の手に余ってた部屋だったのに、更に荷物がこの数日で
どっと増えてしまって、途方に暮れている。

片付け中の風景を撮ってみた。
http://messouvenir.seesaa.net/article/15919865.html

バイトの前に、たまってきてた写真を現像しようと思ったけど。
……財布を家に忘れてきた!!(-_-;)

電車に乗ってから気付いて、どうにもならなかった。
サザエさんか私は、と自分にツッコミを入れつつ。

バイトは割と忙しかったなぁ。
着いて最初にロッカールームの机にお菓子と簡単な手紙を置いといた。

最初に、主婦のパート(バイト?)のMさんから帰り際に、
「お菓子ご馳走様でした。長い間お疲れ様でした」との言葉を。

次に、休憩から戻ってきた店長からもお礼の言葉を言われつつ、
「用意したものがあるから、後で受け取ってな」と言われた。

「えっ!?」と驚いたなぁ。
私には何もないと思ってたんで、思いがけなくて。
「何だろう〜♪」とあれこれ考えてた。

店長は用事があるそうで早めに帰り(元々遅番の日じゃないし)、
次に社員のKさんが帰り際に「裏に花束があるから、持って帰ってね」と。

あ、花束かぁ。
花束をもらうのは、何年ぶりだろうなぁ。
大学の卒業式では受け取ることがなかったから、高校の卒業式以来?
(あの時はもらったんだっけか……?)

途中で裏に行く用事があって、見に行ったら思った以上に大きかった。
こんな感じ。http://messouvenir.seesaa.net/article/15920289.html

遅番のNさんには、途中で「今日ってもう○○やりました?」
と気になって尋ねたら「あ……。」と。仕事を1つ忘れてたらしい(笑)
気付けて良かった♪

前に頼んでた本が届いてたのだけど、財布がないんで買えず。
また明日にでも引き取りに来るか。辞めて早々、だけど。
届いたのは15日だったのに、誰も何も言わないんで気付かなかった……。

お財布忘れたことをNさんに告げたら呆れられたけど。
定期はあったんで、帰りは別に困らない。
一文無しというわけじゃなくて、今日はたまたま郵便局の通帳が
入ってたんで、いざという時は何とかなる……のかな?

Nさんには初めて、大学の近くに引っ越すことを言ってみたら、
「一人暮らしだからって、悪いことはするなよ〜(笑)」
「な、何ですか悪いことって」
「いろいろ(笑)」
……かつて学生時代は一人暮らしをしてたというNさん。

「奥さんに知られたらマズイようなことですか?(笑)」
「マズイマズイ(笑)」
……一体何をしてたんでしょうね、まったく(笑)
おかげで何となく、それ以上のことは言えなかったけど。
誰かさんの家との距離とか。

でも面白くて気さくで良い人でしたね、Nさんは。
最後に明かす新事実(?)。実は誰かさんの父上と同じ名前。
私にとってはNさんの方が古いんで、名前を知った時に
(宅急便の送り主の名前に書かれてて「あ、お父さん?」と思った)
「あー、Nさんと同じだな……」と思ったのだけど。

そんなこんなで、5年間のバイトを終えました。
2001年4月19日、と今でも日付だけはしっかり覚えてるなぁ。

初日に偶然HIROちゃんが来たことは、今でも印象に残ってる。
(バイト中に会ったのはその日だけだった)
あの時は初めてのレジに慣れなくて、大変だったなぁ。

私に接客業なんて務まるんだろうか?と始める前はすごく不安だったけど、
気付いたら5年も続けてしまった。長かった……。

でも、その間に何を得たのかは、イマイチわからない。
進歩してる感覚があまり得られない仕事ではあったけれど、
いろんな人やいろんな本に接することができるのは楽しかったな。
……というのが、5年間を終えた感想。


そして、本日は。
誰かさん、もとい、Yu君と付き合い始めて1年が経ちました。
「いやー、遂に1年か」、って感じですかね。

バイトと同じで、始める前は自分にできるものなのかわからなかったな。
それでも何とか、ここまで来られた、のかなぁ。
「何とか」という表現が妥当なのかはわからないけど、何となく気分的に。

1年前のあの日は。
午前中が仕事だったけど、3月末日ということで、文子さんを誘って
これでお別れになる掛長とAさんにプレゼントを15時過ぎに持ってった。

その後、Yu君と待ち合わせてたんだった。
実はその前に、携帯のストラップの勾玉を落としてしまったことに気付き、
文学部と図書館の間の道を探そうと思ってたらYu君が現れて、
そのままになってたらしい。
Yu君が現れたことで「まぁいっか」という感じで。

そのことは今の今まで忘れてたけど、自分専用の日記を読み返して、
「あ、そういえばそんなこともあったっけ」と思い出した。

文子さんにYu君を紹介(or垣間見?)しようという案(?)も密かにあったけど、
言い出せずにそれもしないままに終わってしまってたりした。
(あの時は放置してしまって申し訳なかったです……>私信)

まだあの時は、今ほどは自分のペースというのを保てないでいたからなぁ。
緊張してたというか、自己主張の仕方がわからなかったというか。


25日の卒業式の後、自分の気持ちを伝えて、辛うじてフラレることはなく、
でも保留というか「前向きに善処する方向で」的な返事をもらい。
(実際に受け取った言葉は全然違うけど、ニュアンス的にはそんな感じ)
29日にフレ南でお昼を食べた後、覚王山のスタバでお茶。

そして、卒業式後に会うのは2度目だった31日。
どこで、どういうシチュエーションで、だったのかはナイショ。

それは今まで誰にも話してないこと、かな。
結構いろんなことを日記に書いてしまっているけれど、1つくらい、
誰にも言わないことがあっても良いかなぁ、ということで。

とりあえず、正式な返事を受け取った直後の私は。
……頭真っ白で固まってました(笑)

そこで返事をしてくれるとは、全っ然予想してなかったしなー。
あの場所で告白や告白の返事をしたカップルは他にいるのかしら(笑)
というのは今もちょっと思う。
でも振り返ると、それなりにいい雰囲気ではあったのだと思う。

一瞬、私は告げられた言葉の意味を把握しかねた。
気分としては「えっ?……嘘!?」って感じだったのかな。
おかげで雰囲気も何もあったものじゃない、動揺した返事をしたのが、
今では懐かしい思い出。

おかげさまで、大学生最後の日、数時間だけは恋人でいた。
「大学生のうちに彼氏が欲しい」という願いがギリギリ叶った(笑)

そしていろいろあって、今日に至りました(ぱちぱち)。
まぁある意味、1周年というのは単なる区切りに過ぎないけど、
それでも1つの節目の時期ではあるのかなぁ。

一巡して、「2度目」になる季節をこれから一緒に迎えられるのが嬉しいな♪
と思う1年後の夜でした☆


2006年03月30日(木) 年度末。

昨日の日記で書き忘れましたが、引っ越し後はプロバイダ変更します。
昨日、電気製品を最終的に買った時に、「ADSL申し込みで2万円引き!」
というキャンペーンに食いつくことにしました。会社はKDDIです。
つまり、今のぷららから、DIONに移行するということになります。

ぷららにもADSLのサービスはあるんですが、まぁいいか、と。
最近はスパムメールが鬱陶しいんで、これを機に変えてしまおうか、と。

50MBbpsの契約だけど、実際は25前後らしい(基地局との距離の計算)。
それでも、32kbpsからは飛躍的な進歩だなぁ。

ただ、HPの方はどうしましょうかねぇ。現時点では未定です。
引っ越し後即ではなくて、しばらくはぷららのままだと思われますが。
もし移転したら、また相互リンク先にはご連絡致します〜。
(でもメルアド変更のお知らせはどの範囲まですればいいんだ……?)

朝、退職されるNさんへの手紙を書いてた。
昨日の夜、ふっと「そうだ、手紙を書こう!」と思い立った。
昔の私を思い出そうとしてた時に、思いついた。

昔は、勢いで職場の11人分の手紙を書いたんだっけ。
(手書きじゃなくて、Wordで1人分がB5の4分の1の大きさのカード)
今はもうその熱意は持てないでいるけど、せめてNさんには、と。

一度メモ帳で文面を考えてから清書してったら、涙が少しにじんだ。
あぁ、今日でもう仕事でご一緒するのも終わりなんだなぁ、という実感。

12時少し前に大学に着いたら、ちょうど雨もやんだ感じ。
本日は私の年度末最後の仕事也。

来週の木曜は、歯医者に行くために午後は早退。
ところで、勤務時間は増えるけれど、有給休暇はどうなるんだ?
と思って庶務で尋ねてみたら「10月まで増えない」らしい。
今は残りが6日。まぁ何とかなるかなぁ……?

昨日、一騒動あった人とは今日は何事もなく、って感じだった。
普通に挨拶して、でもそれ以上昨日のことに触れることはなかった。

そういえば昨日は謝罪の言葉を言うべきだったのかな、ということを
帰ってから気付いたけれど(あの時はただ呆然としてて、
後で振り返ったら何も謝罪の言葉を言ってなかった……)。
機会があったら考えてみようか。

今日は「さて、いつNさんに手紙を渡そうかな」、とタイミングを窺ってた。
Nさん1人分しか書いていないため、目立ってしまうとマズイ。
こっそり渡せるチャンスはないかなぁ、と様子見。

そんなことを考えてたら、途中でNさんからハンカチをいただいてしまった。
「良ければ毎日使ってください」と。「うわそんな……!」。
手紙しか用意しなかったことが悔やまれたなぁ。
受け取った後、「後で読んでくださいね」と私も手紙を出して渡した。

Nさんには「私=手紙」というイメージでもあるのか、
「いつも手紙を書いてくださって……」と言われた。
Nさんに手紙を書いたのは、まだ2度目のはずだけども。

15時過ぎ、一時的に受付を頼まれた。
頼んだのは昨日の人ではなかったけれど、昨日の今日だしな、と思って
「はいっ!」と威勢よく返事して駆けつけた。

何かあった時に、私でも受付に出られるようになった、っていうのは
ちょっとうれしい。今まで歯がゆい思いを何度かしてきたから。

ただ、研究個室の貸出の手続きはまだまごつき中……。
部屋の決め方や、鍵と学生証と控えのやりとりが、スムーズにできないなぁ。
おいおい慣れてはいけるだろうけど。

座ってたら、学外から電話がかかってきたんで取ったら、
言ってる人自身が内容をよく把握してなくてややこしい話だった。。

Medline(メドライン)が何とか、って言ってたなぁ。
司書講習で何度か聞いた、懐かしい名前だった。
医学関係の資料だってこと以外何も覚えてなかったけど(-_-;)
(後で「Medlineとは」で検索して確かめてみた)

私じゃ収拾がつかなくなって、途中で掛長にバトンタッチ。
最終的には参考調査掛の方に振ったけど、元そっちの掛長だけあって、
何も見ずに話を進めてった掛長はやっぱりすごいなぁ、と尊敬の眼差し。

木曜は帰りが早いNさんに15時半過ぎに挨拶されて、お別れ。
帰り際、課長と課長補佐には自分からお別れの挨拶をしてった。
明日は私は仕事がないんで、今日のうちに、と。

またいつか会うことがあるのか、今生の別れとなってしまうのか。
それは今は何とも言えないけれど、それぞれの人に幸あれ、と願う。

久しぶりに、帰りは寄り道せずに18時過ぎに地元に着いた……のかな?

母に東海市のしまむらに行ってみた。
自分の趣味がこれでいいのかしら、と迷いながら枕カバーや布団カバーを買った。

その後、地元のマックスバリュ(イオン)とダイソーに初上陸。
もしかして、最初で最後になるのかもしれない。どうかなぁ。

夜にまた父と母が大ゲンカ。……何とかならんのかしらねこれは。
「頑張れトシ」、と一人家に残る弟を励ます、逃亡計画着々進行中の姉でした。


2006年03月29日(水) 仕事って何だろう〜初の挫折?

今日は朝から、退職されるNさんから引継ぎについての説明を受けてた。
督促に紛失本に不明図書に。それが私の4月からの担当の業務。
うがー頭がこんがらがる……、と話を聞きながら思ってた。

午後は、一昨日に続いて2度目の受付の当番。
前回とは別の人についた(仮にαさんと呼ぶ)。

αさんは以前「βさんにあまりプライベートなことは話さない方が」、
という忠告をしてくれてた人。

別に私はαさんを蔑ろにしたいわけじゃなかったけど、
それでも結果的に忠告を無視した形になってしまってたこともあって、
幾らか後ろめたく思ってはいた最近。

今日はたまたま、組合の回覧で来てた色紙2枚を最初受付の後ろで書いてた。
先週の送別会以降に異動が決まった2人の分。
この2人というのが、なじみの薄い人で、「何をどう書けば……」と
延々と悩んでしまってた。

どうにか書いて出し終えて、戻ってきたらαさんに「今何時?」と
時間を尋ねられ、他意があるとは少しも思わずに素直に答えたら。

私が色紙に時間を使い過ぎた、ということを言いたかったらしい。
まぁ確かにそうだとは思ったけど、他にそうやることもないだろう、
っていうのは私の勝手な思い込みだった、のかなぁ。

「組合のことを仕事中にやるなとは言わないけど、お昼休みにやるとか、
 もうちょっと考えてね。組合に入ってない人もいるんだから」と。

「もうちょっと考えて」、かぁ……。
母によく言われる言葉ベスト5に間違いなくランクインする言葉だな。
母に言われる分には既に耳タコなのだけど、他の人にも言われるとは。

割と考えナシに動いてしまう自覚はあるけれど、
こうも正面から言われると、事実である分、耳が痛かった。

ちなみにこの時は頭が真っ白になってて気付かなかったけれど、
私が回覧を受け取ったのは昼休みの終わりで、しかも今日中に回収、
って書かれてたんで、時間をかけすぎたのは事実だったけど、
どうしようもなかったことだけは付記。

でも、今日の話はそれだけに終わらなかった。

「美和さん、変わったね」と何度かに渡って言われた。
それはこの一年間、何度となく聞いた言葉ではあったけれど。
残念ながら、今回はマイナスの評価だった。

1つは、仕事中のおしゃべりの度が過ぎる、ってことだったらしい。
以前に比べて話すようになったという自覚はあったけれど、
他の人の目につくほどまでだとは思ってなかったな……。
仕事は仕事でちゃんとやってるつもりだったし。

しかも、これはαさんだけの意見ではなく、掛長も同じことを思ってた、
とも言われた。掛長自身からそれらしき指摘をされたことはなかったけど、
その話は大きなショックだった。

「悪いお手本が近くにいるから、流されるのかもしれないけど」とαさん。
βさんのことを言ってることはわかったけれど、βさんって、
そんなにダメな人なんだろうか。それとも私の人を見る目がないのか?
他の人から聞くβさんと、私の見るβさんと、若干のズレがあるようにたまに感じる。

更に、「美和さんは頼まれたことにすぐに“はい”って言わないね」と言われた。
……これは寝耳に水だった。「え、そうだっけ!?」と。

今までのことを振り返って、明確にこれ、と思い当たることがなくて、
(うーん、自分の作業が何か途中だった時にそうだったのか?)
とおぼろげに思ったくらいだったけど。

「そうですか……?自覚はなかったんですけど。。。。。」
と弱々しい声で返した。

かなり、この時には精神的にキてた。
誰かに批判されることに慣れてないんで、ちょっとしたことで、
すぐに落ち込んでしまう。というかこの時は胃が痛かった……。

他には、私は一昨年の4月以降に入った2人と違って、恵まれてるとも言われた。
今の時点ではその2人には期限がついていて、その時が来たら辞めなければいけない。
だから期限のない人はその分、期限のある人を思いやってね、ってことなのかなぁ。
αさんと私の他に、パートで期限のないのは今は2人だけど。

αさんはいろいろ言った後に、こう付け加えられた。
「美和さんのことを苛めたいと思ってるわけじゃないんだよ」と。

それは、一応私にも理解できてた。
私のためを思ってるからこそ、言ってくれてることが。
少なくとも、「もうあの人には言っても無駄」と思われるような
レベルに堕ちてしまったわけではないらしい、ということが。

一種の慢心、なのかなぁ。
職場にも長年いる所為で、たるんできてしまったんだろうか。

αさんは私の変化の理由を訊くことも言うこともしなかった。
αさんなりに「これだ」と思う答えがあったから、なのかな。

半分は当たってる可能性が高いんだろう。
でも、もう半分は誰も知らない……のだと思う。たぶん。
私には、思い当たる理由が2つあった。

どっちの理由も、「そんなことでだらけるなんて」と言われても
おかしくない理由ではある。人が同じことをやってたら
「何をやってるんだか」と思うんだろうな……と他人事のように思った。

ただ、確かに自分にとっての仕事の位置づけが変わってしまったのは事実。
ということを考えててふと、ホリエモンのblogのことを思い出した。

私は自分で訪れたことはないけど、以前はビジネスの話題中心だったのに、
後にどんな有名人と会っただとかどんなところに行っただとか、
ビジネスに関係ない話題に変わってしまったとニュースで言ってるのを聞いた。

私も一昨年の日記では仕事のことばかりやたら詳しく書いてたけれど、
今では結構はしょってしまうようになっちゃってるな、と思った。

振り返ると、一昨年はやたらがむしゃらになって仕事してたな。
あの時は職場が私にとっての一番の居場所だったから。
それが今では、二番目になってしまった。それが一つの変化。

でも今だって、前とは変わってしまったけれど仕事が嫌になったわけじゃ全然ないし、
人並みにやってるつもりでいた。……その考えが甘かったらしいけど。

もう一人、γさんも同じことを思ってるのかしら、と聞きたい気がした。
でも、残念ながらうまいタイミングを見つけられなかった。
聞いてみたいと思いつつ、αさんと同じことを言われたら、立ち直れない気もする。

ヤバいと思いつつ、この後は上の空状態のことが多くて、
引継ぎの説明は後半部分がある程度、頭の中を通り抜けていった……。

不意のことでひどく混乱してた。
一度にいろいろなことを言われて処理し切れなかった。

αさんは「ここはみんな仲が良いから」と言ってたけど、それなら、
さっきの「悪いお手本」発言は何なんだろう。
まぁ確かに表面上、誰かが仲が悪いようには見えはしないけれど、
水面下での状態を見てると、「仲が良い……?」と思えてくる。

そして、私は職場でこれからどうありたいのだろう。
初めてのことで、うまく受け止め切れていないけれど、
このままじゃいけない、というのはよくわかった。

だからこれからは、直すべきところは直さないと。
まだ、完全に駄目になったわけではないらしいし。

帰りの電車で読んでたが、 今日の件と近くて、「あぁ……」と思った。

それから、コジマで電気製品を最終的に決定。
使うのが楽しみだなぁ。取扱説明書に追われそうだけど。

眠くなってウトウトしてきたんで、今日はこの辺で。


2006年03月28日(火) 近付く終わり

今日は市役所に行って、転出届を出してきた。
転出の2週間前から受け付けてるらしい。

身分証明を求められて、出したのは保険証。
免許は落とすと怖いので(前科一犯←親切な人が連絡をくれて戻ってきた)、
運転をすることもない最近は机の上の引き出しに入れっぱなし。

最近、運転免許証は身分証明としての意味までも見失いつつある、
のかもしれない。。。何で免許とったんだろうな私。
4年前の春、バイト2つに新歓2つという超多忙の中、しんどい思いをしてまで。
しかも全額自腹切って。……若気の至り?(-_-;)

こういう時、誰か癒してくれる人がいたら、とか思ってたんだっけ昔は。
今は必ずしも会いたい時に会えるわけではないけれど、それでも、
「いてくれて本当に良かった」と思うこともいっぱいある(*^^*)

市役所の後はコジマに。
テレビは父が実家から持ってきたのをもらうことにした。
それで、録画機器をどうしようかな、と思って。

かなり前からの野望だった、HDDレコーダー購入を目論見中。
値は張るけど、本体に録画できれば、場所を取らなくて済むなぁ。
コジマの後にヤマダ電機に行って、値段を比較してみたけど同じ。

その後、隣のフィールに行って、母とバナナミルクの話をしてた。
私「そういや、引っ越したら飲めなくなるねぇ」
母「(ミキサーを)買えばいいがね」
私「でも高くない?3000円くらいはしそう」
母「ちょうどいいし、見てくれば?」

ってことでまた私はヤマダの方に戻ってミキサー探し。
今のミキサーは、氷を砕くこともできるらしい。
いいなー、夏にカキ氷☆シロップだけかければ家でもできるし。
他の機能も併せて考えて、4000円くらいのを買ってしまいそうかも(^_^;)

他のお店の値段はどうなってるんだろうと思って、昼食後、バイトの前に
ビックカメラに一人で行って、値段の確認。
何か、最初は店員が張り付くようにいて、かなりプレッシャーだった。
「今はいいです」と言ったら去ってってくれたけど。

金曜が休みの社員の人とは「一緒にお仕事するのは今日が最後ですね」と話してた。
この人の息子は私の母校を受けてたのだけど、無事合格したらしい。
しかも、部活は吹奏楽に入る可能性も無きにしも非ず、なんだそうで。

弦楽からも声がかかってて、迷ってるらしいけど。
もしかして、部活でも後輩になるのかなぁ……☆って面識は全くないけど。
でも何年かに一度、名簿がOBに配られるから、そうなればわかるかなぁ。

帰ってから、昨日Aさんに送ったメールの返事が来た。
勝手ながら、部分的に引用。

「ただ、22年間、最も大切な人として一緒に過ごした人の姿が
 突然見えなくなってしまったことに対しては、
 慣れるまで時間がかかりそうです」

22年かぁ。私の生きてきた年月に近いなー。
それだけの永い時を共に過ごしてきた人を突然喪ってしまうなんて。
心中を察するに余りある。。。。。。

「とりあえず、出勤する場所が出来ればそれだけでほっとできそう。
 家にいると寂しくて空しくて堪えられない感じで、これまで私は
 家にいて一人で何かすることが好きだったけど、それは、
 夫の存在が大きく自分を包み込んでいてくれたからだったんだなあ、
 と初めて気がつきました。
 息子の存在はもちろん支えになっているけれどね。。。」

どう表現すればいいのかわからないけど、読んでて少し泣けた。
喪わないと見えないもの、って誰にでもあるものなのかなぁ。
もっと早くに気付くことができてたら、と後になって思うようなものが。

幸い、Aさんは「今は落ち着きを取り戻しています。」と言われてたのが、
せめてもの救いだった。やっぱりしばらくはとても大変だったそうだけど。

生きている限り、何かを喪うことは避けられない。
あとは「如何に自分が喪失を受け止め、生きていくか」なのかなぁ。

そう思いながらも、できる限り何かを喪わないように、
手探りでも足掻くのが、人というものかもしれないな……
と思ったルゥでした。


2006年03月27日(月) 大学の卒業式〜1年前を振り返り

去年は25日の金曜だったけど、今年は2日遅く月曜の今日に。
街中で袴姿の人たちを見かけては、「あぁもうすぐ1年か……」と思い出してた最近。

4日に先生の講演会で、卒業式以来で237講義室に入った時。
当時のことが脳裡に蘇った。

豊講での式を終え、図書館に挨拶しに顔を出してから来た文学部。
かなり早くに私は着いて、辺りを見て「あぁまだいないんだ」と確認して、
「いつ来るのかなぁ……☆」とドキドキしながら待ってた。

入ってきた瞬間すぐに気付いて「うわースーツ姿かっこいいな(///▽///)」
と思ったけど、式の間じゅう、ずっと視線を合わせることができずにいた。

この前の講演会の時、私は割と後ろの方の席に座ったのだけど、
「確かこの辺に座ってたんだっけ?」と振り返ってた。
私は去年は真ん中辺りの席に座ってて、後ろのことがひどく気になりながら、
それでも振り返ることはできずにいた1年前を。

そのまま何もなく、学部での卒業式を終え、それぞれの研究室の謝恩会に。
私の方は一旦お開きになり、隣の研究室の友人を待ちつつ、
別の研究室の動向が気になりつつ、廊下で立ってた。

もしかして、もう終わって帰ったのかな、どうなってるのかな……。
期待と不安でドキドキしながら待ってたら、当人が出てきて。
もしあの時会えてなかったら、全然違う展開になってたのかなぁ。

実は同じ階の住人だったのに、学生時代に文学部の中で会ったのは、
この時が最初で最後だった2人。

ひとまず出会えはしたんで何か言わなきゃ、と思ったけど緊張の余り、
言葉遣いがですます調に戻ってしまってたんだっけ。
運良く、そこに助手の先生が通りがかって、初めて一緒の写真を撮れた。
そして、その後帰ってから……。

……という、去年の卒業式の日記では書かれなかった裏事情(笑)
最後の部分で匂わせる(?)程度には書いてあるけれど、肝心の式や
写真のことは、見事にカットして書いてありましたねぇ。ふふふ☆

まだあの時はどうなるかわからなくて、迂闊には書けなかったので。
私にとっては、いろんな意味での節目の一日だったのでした。

(続く)(そして、続き)
職場に行ったら、館内の全員の異動が確定してた。
「へぇこの人が動くのか」と思ったり「あぁこの人は動かなかったのか」と思ったり。

今日は13時〜15時で初めて受付の仕事をやってみた。
来たるべき4月に備えて、まだ時間のある今のうちに担当させてもらうことに。

まだ最初ということで、当初の当番の人についてもらっていろいろ説明を受けてた。
ざっと挙げると、研究個室の貸出・語学資料や視聴覚ブースの利用・
博論の閲覧・落し物や遺失物・学外者の利用証の交付申請書、などなど。

一番多かったのは学外の利用証の新規や更新の申請。
まぁ年度末だしなー。4月入ってからも来るんだろうけど。
また水曜日にもやらせてもらうんで、ちょっとずつ覚えていこうっと。

途中で、夜間で先月まで働いてたSさんが挨拶に来た。
私も去年はここに挨拶に来て、皆さんと写真を撮ったんだよなぁ。

今日は職場の人に「好奇心や知識欲があっていいね」と言われた。
言われてたのは、主に仕事の内容について、だったのだけど。
確かに、ジャンルにかなり偏りがあるけど、いろんなことに興味はある。

でも今日はふと、「好奇心は猫を殺す」って言葉を思い出してしまった。
何でもかんでも、知ろうとすればいい、ってものでもないのかもしれない。
To know or not to know...that's question.
ハムレット風に、そんなことを思うこともある。

帰宅後、去年の3月末まで一緒に働いてたAさんに年明け以来のメールを送った。
昨日の夜、別の人からのメールで、ご主人が亡くなったことを知り、衝撃を受けた。
1月25日のことだったらしい。……もう2ヶ月前だったのか。
しかもまだご主人は43歳という若さだったんだそうで。
それで、ずっとメールが途絶えてたのか、と納得はしたけれど。

Aさんの気持ちを思うと、何か自分が泣きそうになってしまった。
私のショックなんか比較にならないことはもちろんわかってたし、
どう言葉をかけていいのかわからなかったけど、頑張って書いてみた。

命って大事だよなぁ、ということは日頃はあまり考えない。
でもふとした時にこうしてはっと気付かされる。

昔、車と接触事故を起こした時、全然何ともなかったけど、ぶつかった瞬間は
「私は死ぬんだろうか?」と大袈裟に考えてたんだっけ。
あの時も「命は大事にしなきゃ」と思ったけど、時間が経つと忘れてしまう。

先月、ちょっとした知人が交通事故に遭った(命に別状はない)と
いうことをblogに書いてた時、昔の事故のことを思い出したのだけど、
もう当時のことをすっかり忘れてた自分に気付いて「喉元過ぎればだな」と思い、
コメントを書けなかったりした。

大事なものは、身近すぎることが多くてつい忘れてしまいそうになるけれど。
時々は振り返って見直していたいものだなぁ、と思った一件でした。


2006年03月26日(日) 錯綜する想い

夜は途中で力尽きて眠ってしまい、8時半過ぎから祖父宅の話のところまで日記を書き、
洗濯物を干して、10時半過ぎに図書館に行って、良品生活(セリア)へ。

ここは100円ショップで、いろいろ買ってった。
食器・洗面器・三角コーナー・バケツ・ゴミ箱などなど。
全部で51点にもなるとは思わなかったけど。

でもまだ「ここのは良くない」という母の意見により、
後日別のお店でも見てくることになってしまった。
総計、100均で幾ら買うことになるんだろうな……。

どうしようか迷いつつ、箸とお茶碗は一応、誰かさんの分も用意。
ていうか、母は「本当は買わないんでいいんだけどねぇ」とのたまった。
……アノ、昨日と言ってること違いマスガ?何なんだ一体。

13時に、入院してた祖母が退院することになってて、母と向かった。
先に父が行って先生の話を聞いてたのだけど、その後退院手続きを
何もやってなくて、「何やっとるの!!」と母がキレてたな……。
父は頼りにならないことばかりで、母は気苦労が絶えないらしい。

家族全員の世話を見ないといけない母って大変だな、と理解はしつつ、
「あんたが一番父さんに似とる」と言われてる私です……。

父の車のノアで、祖母と私が後ろの席に乗ってった。
道すがら祖母の手を握ってたけど、力強かったなぁ。
ガリガリの腕とは思えない力強さだったけど、ここまで体力があるのなら
大丈夫なのかなぁ、とも思った。

特養で祖母を下ろした。
父が車椅子を借りに行ってたら、祖母が「トイレに行きたい」と言い始める。

どうしよう、と思ってひとまずは父に相談しに行こうとしたけど、
ドアのロックの解除の仕方がわからなかった……(-_-;)
全然、この車には乗らないから、勝手がわからない。
今日も、後ろの戸が両側開くことをわかってなかったし。
仕方なく、運転席から出てった私でした。

そして、祖母が車椅子に乗ったのを見送って、今度は私は母の車に移って出てった。

今日は私の予定がはっきりしなくて、15〜16時の間に名駅かなぁ、
という漠然とした待ち合わせの仕方になってた。

昼食を母と食べるべきか、Yu君と食べるべきかどうしようかと思って、
車内から電話して相談してみた。
母の手前、夕食を家で、とかいう話は「そっちで」とか
代名詞に置き換えたり、濁して話さざるを得なかったけど。

電話した時は今は家で、宅急便が届くのがいつかわからない、という話だった。
場合によっては、名駅には行かないってことになるかも、と言われた。
私はひとまず母とびっくりドンキーで食べて、出ようとした時、メールが。

「荷物は来たけど、どうしようかな」という内容が14:50に。
どうしようかな、の理由がわからなくて尋ねたら、返ってきた内容は……
「レポートを書いてて、気分が乗ってきた」って。

今日は自転車の鍵が見当たらなくて持ってこなかったことを私が告げて、
そこでしばらくやりとりが止まってた。

結局、私が地元の駅に着いて、「どうするの?」という内容のメールをしたけど、
もう今日はたぶん名駅を一緒に歩くのは無理だな、と内心では思ってた。

来てくれたら嬉しかったけど、Yu君は定期があるわけでもないし、
わざわざ出てきてもらうのも悪いかなぁという気もして、感情と理屈の間で揺れてた。

届いた直後に即、仕度をして出てきたのなら私より先に着けただろうけど、
今から出たんじゃ16時を過ぎてしまって、時間が足りないな……。
頭ではそうわかってたけど、やっぱり寂しかった。

今度、私がバイト先の本屋に最後にお菓子の差し入れをしようと思って、
今日はデパ地下巡りでもしながら決めようかな、と思ってた。

Yu君の方は今回は名駅にはこれと言って用事はなかったけれど、
私に合わせるよ、って言ってくれて、それが嬉しかったのに。
今日はちょっと泣きそうになった(そろそろ不安定期、なのかもだけど)。

前にYu君の友達と話してた時に「期待値」という言葉を聞いたように思うけど、
期待値を上げさせられといて、ガクッ、と下げられることが時々あるんで、
(ドタキャンはこれで何度目だっけ……?)余計に反動が大きくなるのかなぁ、と思う。

昨夜、「頭が痛い」ということを聞いて「それなら名駅まで来るのは無理かな」と思い、
でも今日のお昼には「体調はなかなかいい」と聞いて喜んでた。

だけど結局はこうなったのかぁ……、と悲しくなった。
元気になってくれたことだけでも喜ぶべきなのかな、と思いつつ、
今回は純粋に気持ちの問題だったのに、と割り切れなくて。

私にとって、恋愛は時に感情と理屈のせめぎ合いだな、と思う。
理屈ではわかってても、心が逆の方向に走ってしまうことがしばしばある。
おかげで、以前よりもかなり優柔不断になってしまった気がする。
どっちを選べばいいのか、わからなくて。

私が今まで会う時間のためにはどんな労力も惜しんだつもりはないけど、
だからって「私がしたんだから、当然あなたも」というのは単なる押し付け。

「誰がそんなことを頼んだ?」って言われたら返す言葉は何もない。
私が母の干渉を時にありがた迷惑だと思ってるのと同じように。
(まぁ母だったら「何言っとるの!!」と逆ギレかな……)

それは頭ではわかってるけれど、どうかすると心では求めそうになってしまう。
でも一方で、「じゃあ何のための恋人?」と思ったりもする。
更に、「でも恋人だからってワガママばかり言ってたらやってけないな」とも思う。
相手のための思いやりと、自分の欲求とで、時に板挟みになる。

最初っから「来て欲しい」ってことを強く言わなかった私も悪いのかなぁ。
でも最初はそこまで強く思ってたわけじゃないし……というと矛盾するのかな。
叶わなくなったことが、単に惜しいだけなのかなぁ。
自分でも、自分のことがイマイチよくわからない。

相手のために何かをすることを「面倒」と相手に言うのは、
「気心が知れてるゆえ」と肯定的に見るべきか、
「それを言ったら終わり」と否定的に見るべきか、複雑な気分を抱えて迷う。

どっちかと言えば、やっぱり言わない方が良いのかなぁ。
自分的には「ウザい」や「邪魔」と同じ系列にある言葉だと思う。
妹がよく使う言葉だけど、何かイヤな気分だし。

そして話し言葉にすると順序立てて話すのが苦手なんで、
つい書き言葉に頼ってしまうのは、良いのか悪いのか。

……こんな感じで、思考が袋小路に入り込むことが多い私。

不安定な時に激情に走るとこんな感じでいろいろとあるけれど、
それでもやっぱり根っこのところでは、嫌いになったわけじゃないし、
「こんな私だけど、これからもよろしく」に落ち着くのかなぁ。
(「私で良ければ」、じゃなくて「私だけど」、なのは前と少し違う)

名駅に着いてからは、さっさと何にするか決めて買った。
2人で見るなら、あちこちのお店を見て楽しみながら選ぼうと思ってたけど、
1人で見るのに(この後待ち合わせなのに)時間をかけるのが勿体無かったし。

自分の予想以上に早く済んで、16:20過ぎには大学に着いてしまった。
Yu君は夕食の買い出しに行ってるところだったし、
歩いて先に行こうかなと思ったら電話があって、待つことに。

とりあえず、会ったら「ごめんね」「いいよ」ということで。
上ではいろいろ書いたけど、一応この時には私なりに完結してたから。

夕食は材料が冷蔵庫にいろいろあったんで、家でと決めてた。
今夜はご飯と豆腐&ジャガイモのお味噌汁と、ワカメと、納豆&卵と、
豚のさいころステーキ。

私がやったのは味噌の味の調節と、大根おろしくらい……?
今日はほとんどやってくれてた♪

ちなみにお味噌は、お婆様が手作りの麦味噌を送ってくださってた。
自家製か、すごいなぁ……☆とちょっと感動。

かなり前に持ってきたままだったはっさくも剥いて食べた。
はっさく専用のカッター、新居用に今度100均で買おうかなぁ。
家で長年、重宝してる。

今日はスギ薬局で、会員カードで購入だとポイント6倍、ってことで帰りに母と買い物。
体温計・バンドエイド・シャンプーやボディーソープ、洗剤などなど。
合計で1万円以上飛んでしまった……ま、いっか。
貯まったポイントで、ドライヤーとデジタルスケールをもらうことにした。

母に、(Yu君が)「何時くらいに名駅に着いた」のか訊かれて、
「うーん……、大体私と同じ?」と事実に反することを言わざるを
得なかったのが、今日は少しばかり虚しくもあった。

帰宅後に探してみたら、自転車の鍵は無事に見つかった。良かった〜♪
ということで、とりあえず今日は締めときます。


2006年03月25日(土) 祖父の家と帰国祝い

朝食の時、母がコーヒーのミルクのオマケのフォークとスプーンを出してきた。
「良かったら、どう?」と私に。でも、同じのが2セットあった。
「???」と思ったら、「たまには来るんでしょう?」と母。……あ。

いや、“たまに”程度になるのかどうかはわからないんだけどな。
どっちの家がメインになるのかはまだ何とも言えないけれど。

弟や妹は、割と好き勝手なことを言ってる。
妹「趣味(嗜好、って意味かな)を直した方がいいんじゃない?」
私「別に、取り繕ったり着飾ったりするつもりはないよ?」
弟「……フラれるに賭けよう。それが自然の摂理だって」
妹「私もー。」
弟「やっぱり賭けにならないね」
私「人の将来を勝手に賭けんな!!」

まったく、失礼な者ども(?)です(^_^;)
部屋の整頓を3〜4倍くらい頑張る以外は、特にどう、ということはしない
つもりなんだけどな……(さすがに部屋は現状を移したらヤバい)。

11時過ぎ、父以外の家族で母方の祖父宅に。
父は、実家に置いてあるものを持ってきてもらう予定でもあったけど、
同級生に不幸があったそうで、葬儀に出席することにもなったらしい。

祖父の家では、父の実家の養老郡上石津町のことが話題になった。
合併するって話は聞いてたけど、それはもう明後日のことだった。

これからは大垣市になってしまうらしい。
でも大垣と上石津は接してるわけじゃなくて、飛び地らしい。
そんな合併もあるんだなぁ。

大垣で覚えてるのは、小学生の頃に一人でJRで行ったこと。
祖母が元気でまだ一人で暮らしてた頃に、訪ねようとして。

それから、大垣は市民病院にも行ったことがある。
祖母が通ったり、入院したりしたことがあるんで。
確か、私が大学に入る以前の話で、うっすらと覚えてる程度なのだけど。

私は本籍が今のところ上石津になってるんだけど、新住所は何だろう。
そのまま、「大垣市上石津町」になるのかな……?
免許はそのままで良いのかなぁ。

スーパーで買ってきたお寿司を食べ終わった後は、功名が辻を見つつ、
コタツでウトウトしてしまった。

今秋、祖父の家(名義は伯父?)は新築することが決まってて、模型があった。
見てみたら、2階建てで、すんごい広々してるなぁ。
羨ましいことに、書庫のスペースがあるらしい(そこに食いつく私・笑)。
伯父は名古屋市の職員(母より3つ上で、今は係長らしい)で独身。
贅沢をするような人じゃないし、お金は確かに貯まるのかも。

今日は妹と弟が祖父と伯母(これは祖父が預かってたらしい)から
入学祝いをもらってたけど、何故か私まで祖父から個人的にもらってしまった。
名目が何かは知らない。引っ越すことは言ってないし。
でも、おかげでかなり助かるな〜。今はとにかくお金が要りようだし。

16時半に、自宅に戻った。
(続く)(そして続き)

祖父宅に行った時に着てたのは普段着っぽい感じだったんで、
別なのに着替えて、やや慌しく17:01の電車に乗った。
刈谷で名鉄に乗り換え、知立で乗り換え、豊田市駅に17:59着。

家でやってたら間に合わないかと思って、駅の化粧室で軽くメイクをして
出てきたら、集合時刻の18:15にちょうどいい時間になったけど誰もいなくて、
あれ?と思ってたらしばらくしてミツルさん登場。
まだ会うのは2度目だったけど、何とかわかった。

それから陽菜さんと文子さんが一緒で、その後に水無月さんが。
今回は、文子さんの帰国パーティーという名目での集まり。

祖父宅からの帰りの車の中で、母に今日会うのがどういう人なのか訊かれてた。
ミツルさんやTakakoさんは大学が違うことを言ったら、
どうしてそれなのに知り合いなのか、疑問に思われた。

友達の友達ってことで、と言った(それは決して嘘じゃない)。
正確に言うと、文子さんのBBS経由で親しくなって、って経緯があるけど、
そんなことは口が裂けても母には言えない。
ネット上での交流そのものに不信感を抱いてる節があるから。

駅の近くの「飛鳥」という焼き鳥屋に、陽菜さんが予約を入れたはずなのだけど。
行ってみたらば、「入ってない」ということを言われた上に、満員状態……。
一時はどうなることやら、と思ったけれど何とか入れた。

近況報告というか、「何か惚気は?」みたいなことを言われましたが、
咄嗟には出てこないものかもしれないですね(笑)
大体のことは、日記やblogの方で書いちゃってますしねぇ。

私は酔ったらぼーっとしてしまうタチで、話題に引いてるわけじゃないんで、
構わずにどうぞお好きなだけお話してください♪という心境ですね。

ゲームの話題になって、私自身は今(大学入学以降?)は全くやっていない、
と言ったら、彼氏の方はどうなのかと訊かれて、
「プレステはあるけれど、私のいる時にやってたことがないですね」
と言ったら、「美和さんとの時間を大切にしてくれてるんだねぇ」と
冷やかされてしまったり(実際どういう意図なのかは知らないですよ?)(笑)

料理はみんな美味しくてばくばく食べてたらおなかいっぱいで、
最後に出てきたジャガイモは私だけがギブアップ。

そうそう、帰り道、陽菜さんと文子さんだけで話してた時の質問。
「……ありますよ(///▽///)」って私が答えた(といえば通じますかね)。

前はこれと言って夢や憧れ?(笑)があったわけじゃなかったんですが、
ドキドキしたというかワクワクしたというか、そんな感じでした。
今日振り返ってみて、バカと煙は高い所に上りたがる、ってのに近いのか?
と何となく思ってしまいましたが(笑)

その後、成り行きで、陽菜さんと一緒に車で帰ることになってしまった。
陽菜さんの彼が、豊田市駅まで車に迎えにきてくださって。

電車で帰るのと、乗せていただくのと、しばらく迷ってた。
迷惑じゃないかなぁという思いと、電車賃が浮くなぁという思いと(汗)、
ぜひ一度、陽菜さんの彼にお会いしてみたい、という思いで。

……と迷ってるうちに、陽菜さんの彼が到着。
事前に何も話をしてなかったけれど、了解してくださって乗ることに決定。

第一印象は、「眼鏡の真面目そうな人」でしたね〜。
「落ち着いた、渋い感じの人」、とも言えそうです。
「お噂はかねがね♪」と言いたいのを必死で抑えてました(笑)

陽菜さん情報からのイメージと比べて、「あぁ、なるほど」と頷けたり、
「へぇ、そうなんだ」と意外に思ったりしてたのはここだけの話です(笑)

うちの大学のOBだそうで、図書館で働いてることを言ったら、
いろいろ昔の話をされたり今の様子を訊いてくださったりして、楽しかったな〜♪
退屈や気疲れとはおかげさまで無縁でした。

ちょっとだけブレーキを強く踏んだ時(だったのかな?)に何度も、
謝ってくださって(全然大したことないのにわざわざ)、
気遣いのできる人だなぁ☆と思いましたよ♪
さすが年上、って感じですねぇ☆☆☆

そういえば陽菜さんを苗字で呼んだら何か新鮮がられてましたが、
実は私もちょっとそんな気分だったかもしれません。
HNの方で呼ぶのに慣れてしまってるんで、オフで会った時に
本名で呼ぶと、何か物珍しい気がしてきてしまったり。

母にはメールで連絡しといたのだけど、気付いて「今どこ?」って
返事を寄越してきたのが、もうあと家まで2分ばかり、の薬局前の交差点。

自宅に着いたら、はっさくを袋いっぱいに詰めて門のところで待ってた。
後で聞いたら「慌てて準備した」とのこと。さすが母、やるなぁ。
お二人には喜んで頂けたようで、母も私も何よりでした(^^)

ていうか、アレが噂(?)の私の母上でした。
最近は日記での登場頻度もかなり高いですね〜。

ちなみに私と母の印象では「なかなか素敵な人ですね」でしたよ〜☆
ちなみに(その2)、誰かさんについては「とても素敵な人」だと思ってるんで、
そこんとこヨロシク☆ということで(*^_^*)
(ってこれは惚気なのか他の人を褒めたことのフォローなのか何だろう……?)

帰ってきてから、明日の予定について相談しようと思って電話してみた。
本当に事務的な用件の時はぱぱぱっと話して終わるのだけど、
それ以外に何か話そうと思うと、時々、微妙に間が空いてしまう。

うちの電波状態が良くないのも悪いと思うけど、そうじゃなくても、
話すことが思いつかなくて、でも何かまだ切りたくなくて、
「………………………………。」ということが時々。
弟辺りに言わせたら、「ならさっさと切れよ!!」と言うのかなやっぱり。

電話中、一時的にネットがつながらなくなってて、それが復旧しなくて焦った。
何度か再起動を繰り返して、ようやく復帰したら意外にもMSNのメッセがつながった。
この半年ぐらい使えなかったのに、一体何が起こってるんだか。
でも最近は友達は誰も使ってないのかなー。

今日は書こうかどうしようか、ひどく迷いながら書いた部分が一箇所。
じっくり読んでもどうということのない普通の文だから、当てられる人は
誰もいないような気がしつつ、覚え書きでその旨を記しておきます。

願うことは、私に関わりのあるともないとも言える人の幸せ、なのかな。
「どこか遠くで幸せでいてくれれば、それでいい」と。
たとえそれがとても利己的な理由だとしても、願うことは悪くない……はず。


2006年03月24日(金) 目的の違い

目が覚めて、スタンバイ状態にしてあったノートPCを開いたら
残ってた「百井いるんだね。」という言葉。
……何だろうなコレ。我ながらさっぱわかんない。

別に怪奇現象(笑)が起きたんじゃなく、日記を打ちかけで眠くなり、
フォームはそのままにしてPCの蓋を閉じたのだけど。
「白夜行」と打とうとしたのだと思われるけど、半分寝てたために
タイプミスしたのに気付かず、という状態だったらしい。

余談だけど、mixiの訪問者が前日はゼロだった……。
最近は全然更新をしてないからかなぁ。
11月から始めて、今はまだ540ばかりのカウンター。

何千とか言ってる友人の話を聞くと「すごいなぁ」と思う。
まぁ私はこのサイトと同じく、細々とでいいんで良いのだけど。

今日は洗濯物を干してから、母と最初にアピタに行った。
鍋を2つ決めた。16cmの片手鍋と、20cmの両手鍋。

お昼は「くくる」で桜海えびのたこ焼きと、明石焼きを食した。
途中で母が駅に妹を迎えに行き、妹も合流。

今日は諸事情でスーツ姿で出かけていたのだけど、見てびっくり。
普通に高卒でバリバリOLやってそうな感じだなぁ。
私よりはスーツが似合うと思った。

カーマでは、やかんを買い(別についてなくても良かったけど沸かすと音が鳴る)、
緑区のしまむらではタオルとバスタオルと台拭きを買った。

本当はしまむらでは布団と枕を買おうと思ったけど、とりやめ。
母が「東海市の方のしまむらも見てきてから」と言ったため。

サイズがまだわからないんで今は買えないけど、カーテンの色は
淡いグリーン■とかかなぁ。今の私の部屋もそんな感じの色。

ちなみに、今のやつの前がピンクだったんで、母に「ピンクとか?」
と言ってみたら「一目で女の子の部屋だってわかるでいかん」と却下された。

そんな感じでいろいろ見てたのだけど、母にはいろいろ怒られてる。
私がしっかり計画を立てて準備していないために。

布団とか大型のものは、確かにある程度こっちで買って持ってくべきだろうけど、
細かいものは後で現地の100円ショップとかでもいいのに、
っていう意見は受け容れられなかった……(-_-;)

母によると、私は「甘く見過ぎとるよ」らしい。
……そうなのか?よくわからんけど。

先週の日曜、台所のマットがしまむらで45%オフだったらしいけど、
私が行かなかったことを「何をやっとるの」と思われてるし。

「この前は、ホワイトデーだったしゆっくりしたかったんだもん!!」
というのが私の内心の主張だったけど、母には言ってない。

まぁ別に台所のマットなんて要らないんじゃ、という思いもあったけど、
母にとっては必須のものらしい。そんなもんなのか?
床が濡れる、っていうのはわかるけど、拭けばいいんじゃないだろうか。
そんなことを言ったら「借り物なんだし、傷めたらどうするの」って。

でも現に、某所(笑)の台所には置いてないんだけどなー。
……っていうのは今は言わない方が無難かと思って口を閉ざしたけど。

実際は、台所のマットだけじゃなくて他にも幾つかセールをしてたらしい。
……と言ってももう後の祭りだな。

相変わらず、休みの日は遅くまで寝てることも含めて、こんなやり取りがあった。
「しっかり自分で生活できるようになるための一人暮らしなのに、何やっとるの!
あんたはただ、“親の目が届かんから、それでいい”ってだけだがね!!」
「そんなの、目的は人それぞれでしょう?」と返したら、
「何言っとるの!そんなんだったらもう引っ越すな!!」と一蹴された。

おまけに「そんなんじゃ結婚してもやってけんに」とか、
「妹の方がずっとしっかりしとるがね」とか、
(大きなお世話!!)な発言まで出てくるし。
まぁこの2点については(勝手に言ってれば)と思って聞き流してたけど。

それにしても何故、目的を母に決められなきゃいけないんだろう。
(そんなの、私の勝手じゃんか)、と私は思う。

ちなみに私の目的としては、
1.もっといっぱい会えるようになりたい
2.親から離れたい(干渉されたくない)
3.通勤時間を短縮したい
4.自分の裁量でやれる場所が欲しい(自立したい)

順位としては、こんな感じ?
母には引越しの手伝いはしてもらうけど、お金は私持ちなんだし、
何でそこまでとやかく言われなきゃいけないんだ!?……はぁ。

まぁ母も、弟と妹の入学手続きに妹の引っ越しに、入院中の祖母の面倒に、
とピリピリしてるのはわかるけど、何か理不尽な気がした。

ていうか、母は自分が正しいと思ってることに反する意見を言われると、
頭ごなしに否定するところがあるからなー。

父も似たところがあるけど、父の場合は「正しいと思ってるのは本人だけ」、
っていう場合がほとんどなんで、「もうちょっと周りの声を聞けばいいのに」。

母は、どちらかといえば言ってることが正しいことの方が多いと思うけど、
「何でこうしないの?」を押し付ける傾向があるように思う。
祖父のように、母が言ってもどうにもならない人を除き。

私はそこまで自分に自信が持てないんで、「こうしたらいいんじゃ?」程度だけど。
逆に臆病で、自信があっても引っ込めちゃうところもある……かもしれない。
それとも、年をとれば私も母みたいになるんだろうか。はてさて。

どっちにしても、今は母の助けがないとどうにもならないんで、
できるだけ母に合わせるようにしないとな……、ということを
後で弟に漏らしたら「うわ……」と何とも言えない表情をされたけど。

その弟は、土日にバイトをしようと思い、一応軽く父に話したら、
「そしたら一緒にいる時間が減ってしまう」ということを言われたらしい。
(な、何なんだその恋人のような思考は!?)と後で聞いて絶句したな。
ちょっと鳥肌が立ちそうになった。

父の執着の対象は、妻でも娘でもなく、息子に向かってるらしい。
兄弟の真ん中で、気遣いには優れてる弟は、父をはねつけることができず、
結果として、父は弟に一番まとわりつくようになった……のかな。

でもそれは弟のことを思いやってのことではなく、飽くまでも自分の都合に過ぎない。
そんな父をいい迷惑だと思い、多大なストレスを溜め込みながらも、
弟は自分からは父に対して真っ向から刃向かうようなことはしていない。
……後で私や妹のところに愚痴りにはやってくるけれど。

まったく、噛みあっていない我が家の家族たちだな。
……と、時に醒めた気持ちで思ってしまう私。

私にとって、今の家族は「拠り所」ではなく、「ただ離れたいもの」。
自分勝手な理由も多く入ってはいる自覚はあるけど、でもそう思う。

こんな私でも、いつか「拠り所」となる家族を作れるのかな。
というか、いつかそんな家族を作れたらいいな。

ということを思い始めたのはいつの頃だったっけ。
それは今後の夢であり、課題だな、と思う。

夕方は本屋バイト。やや慌しかった。
あと2回、と思うけれどこっちはまだそれほどの感慨はない私でした。


2006年03月23日(木) 別れを意識する瞬間(とき)

午前中はコジマに行って電気製品の買い出し。
妹と母と3人で行ってきた。

炊飯器が、先週の金曜日にあった第1と第2希望の機種がなくなってたりもして、
途中で「もう何でもいいや」、の心境にもなりつついろいろ決めてった。
今回買ったものの一覧はコチラ

私は12時には大学に行かないといけなくて、11時前に途中で抜けて、
値引きの交渉と精算は母に任せてった。

今日のお昼は課の送別会。
会場はレストラン花の木で、歩いて向かうことになった。

その道すがら、聞いた話に仰天したなぁ。
何と、掛長が動くことになった、って……!!
動くと行っても館内で、別の課の課長補佐に昇進なのだけど。

まだ去年うちの掛に来たばかりだし、それだけはないかと思ってたのに。
うちの課の課長補佐は、医学部に異動が決まったらしい。

上の役職から先にポストが決まっていくため、うちの掛長が誰なのか、
掛員の異動はあるのか否か、ということは今日の時点では不明。

食事はネギトロ・鰻・茶碗蒸し・フライなどなどでやや豪華。
でも量は私にとっては適度で良かったな〜。

今回はうちの課長(東北大に)とNさん(退職)の送別会で、
課長への花束(というか鉢植え)贈呈は、私からってことになった。
事前に何も聞いてなくて、座ってたら頼まれた。
今朝異動が決まった掛長と課長補佐には、鉢じゃなくて花束が用意されてた。

図書館に帰ってからは書架整理。今日は休館日なので。
今月は掛長と課長が誕生日で、15時の休憩にはお祝いのケーキがあった。
今日はダウニーという名前のお店のだった。

サイズはちょっと小ぶりだったけど、いろいろあって迷ったなぁ。
お店が幾つかあって、最寄は八事日赤の辺りらしいんで、
また今度、機会があったら行ってみたいなぁ……♪

休憩の後で帰宅のNさんに、来週は31日まで来るのか確認。
もしかして有休消化で早めに休みに突入するのかな、と思って。
来週は仕事のある日は毎日来る、ということがわかった。

「あと1週間よろしくお願いします」と言われて帰られた後、
唐突に無性にさびしさと悲しさで胸がいっぱいになってしまった。
ちょっと泣きそうにもなった。喪失の自覚、なのかなぁ。

頭では、今月いっぱいで退職されることはずっと前からわかってたけど、
気持ちの面でそれを改めて意識した、とでもいうか。
「あぁ、あと1週間で会えなくなってしまうんだな」と。

良いことでも悪いことでも、頭で認識するのと心がそれを受け止めるのには
結構時差がある私だなぁ、とよく思う。

仕事後は料理を作ろうかと思ってたけれど、なんか途中で力尽きた……。
毎日仕事の日々になったら、どこまでやっていけるかな……。
でも家にいるよりは、精神的には充実できる、のかなぁ。

21時からは「白夜行」の最終回を観てたのだけど、家族と観るのって微妙?
母は、亮司が刺されて倒れてるシーンで「何で誰も悲鳴をあげないの(笑)」と、
(それは確かにそうなんだけども)「それは言っちゃダメ!」なツッコミ入れるし。

……でも私も時々その手のツッコミは弟や妹と観てる時に入れちゃうから、
あんまり人のことは言えないかな(時々鬱陶しがられる……)。

更にその後、弟と妹が同時に学生になるために、お金のやりくりが
キツイらしく、母と父(隣の自分の部屋)で借金の話題に突入。

借金と言ってもアイフルみたいな消費者金融に借りるんではなくて、
奨学金やら教育ローンとか、安全(?)な方向の話だけど。
やっぱりうちってお金ないんだなぁ……。

こんな状況なんで、一人暮らし後も、援助は全く見込めない。

まぁ今までだって車校やら司書講習やら大原やら年金やらのお金は、
基本的には自分で捻出してきたから、「今更」ではあるのだけど。

と、完全にドラマに没入できたとは言い難かったけれど、
最後の2006.11.11の切り絵が出てきた辺りは少しだけ泣きそうになった。
久しぶりに、シビアで考えさせられたドラマだったなぁ。


2006年03月22日(水) それぞれの、プライド。

今朝は2度寝したら、8時になってた。……きゃあ!!
何とか根性で、8時25分の電車に乗って間に合わせた。
最近の朝は、栄で座って、それから寝てしまうことが多いかなぁ。
本を読みかけで、ウトウトして手から落としてしまうことも(^_^;)

今日は、職場の人に「引っ越し祝い、何がいい?」なんて訊かれた。
いえ、そんなの結構ですから!!と思うのだけど。

この人はプレゼントが好きなのか、私にプレゼントをするのが好きなのか、
どっちなんだろう……?ちょっと何とも言えない。
過去にも、リボンの髪留めとか、MIKIMOTOのリップブラシとか、
不要になったものではあるのだけどMP3プレーヤーとか。

気持ちはとてもあり難いのだけど、お返しに困ってしまう。
MP3プレーヤーのお返しで、128MBのUSBフラッシュメモリを贈った以外、
特に何もしてないのだけど(堂々巡りになる気がして)。

息子さん2人(私より年上)で、娘がいなくて、母気分で……?
真相はわからないけど、今度はどうしようかなぁ。

お昼は組合の送別会。
この前の講演会のI先生が筑波に行ってしまわれるのと、
うちの掛のNさんが退職されるので、そのお別れ会。

Nさんは平成2年から、15年間勤めたんだそうで。
私が小2の頃からかぁ。遠い遠い、昔だなぁ。

13時に弟の後期試験の合格発表があったのだけど。
……残念ながら不合格という報せのメールが母からあった。
結局、国公立は受からなかったのか……。

私大が受かってるから、浪人にはならないけれど。
弟だけ、家から出られないことをとても不憫に思った。
本当は兄弟の中で誰よりも、家から出るべきなのが弟なんだろうに。

今日は、館内で何か撮影をしてて「何だろう?」と思ったら、
豊講で新入生向けに行う図書館ガイダンス用だったらしい。
何でも、パワーポイントで上映するんだとか。

雑誌掛のAさん(男)と図書情報掛のMさん(女)が参考掛長に撮影されてた。
AさんとMさんは、たぶん私とそんなに年は変わらないと思う(幾つか上?)。
その2人が、学生のふりをして撮影に協力してた。

この時、私は当番ではなかったけどたまたまカウンターにいて、
危うく(?)豊講の大画面に登場することになるところだった……。

受付のところで、貸出手続きをしないで本を持ち出そうとしてるMさんを、
「ダメでしょ」という表情をしてたしなめる役どころとして。
ただ立ってればいいのかと思って、協力を頼まれて一旦引き受けたけど、
表情を作ろうとしたら、顔が笑っちゃって無理だった……。
うーん、私には演技は無理だな(^_^;)

ということで、「すいません、お願いできますか?」と別の人にバトンタッチ。
でも、別なところでもしかしたら少しは写ってるのかも……。

帰ったら、今日は弟が母と伯母の家に行って来たことを聞いた。
母に没収されてた(……)ゲームやマンガを回収しに行ったらしい。
しかも、回収したはいいけれど、母に全部売るように言われてるらしい。

それだけでもどうかと思うのだけど、弟は伯母宅で笑われることがあって、
いたく傷ついて、その場は何とかやり過ごしたものの、帰りの車の中では
「むすっとしてかなり不機嫌だった」と母談。……そりゃ無理もないだろう。

ていうか、その場で持ちこたえただけ弟は頑張ったと思う。
こらえ性のない私は、同様のことがあったらその場で不機嫌モード突入しただろうし。
「プライドが傷ついた?」と弟に尋ねたら「まぁ、ね……」と。

プライドと言えば昨日の帰り道、母と話してた時に、あることを
「父さんには言わんどき」と言われて「それってプライドが傷つくから?」と返した。

元より父にわざわざ言うつもりは全くなかったのだけど、
仲が悪くてもそんなことを気にはかけるんだ?、と思った。

この時話題になってたのは、主観の一切混じらない、純粋に客観的なとある事実。
まーでも、それを知ったら父としてはいい気分のしないものだろうか。
「自分は自分」と思ってれば、どうということはない気もするけれど。

……そんなことを書きながら、人のことを全く笑えなかったりする私。
今日はアサヒ・コムのある記事の見出しを見て「うわ」と思いながら、
クリックしてページを開いてみたら、「あ痛ッ」と思わされたし。

痛いほどわかってる「正論」がそこには書かれてた。
「わかっちゃいるんだってば、そんなこと!!」と逆ギレしたくなった。
でもそれが思うようにできないから、時に苦しいのであって。
それでも、少しずつ何とか克服していかないとなー。はぁ。


2006年03月21日(火) 新居周辺を開拓中

出がけに母に「引越しの準備や家のこともやらんと」と愚痴られた。
「やって欲しいことや、やらなきゃいけないことがあれば言ってくれれば」
と昨夜言った(つもりだった)ら、特に何も言われなかったんで、
午前中に出かけてしまおうとした時のこと。

「そんなの言われなくてもやるのが当たり前」と言われたのだけど、うーん……。
「そうかもしれないけれど……、すいませんね!」と濁した。

「やっぱり時間が作れるなら、できるだけ早く会いたくなるんだもん」
というのを言いかけて、やめた方が良いかと思ってやめた。

昨日の日記には「半同棲間近」とか書きつつ、母には絶対内緒だしな。
そうなることは、もうだいぶ見えてるのだけど、飽くまで母の手前は
「一人暮らし」でないと、却下されるのが目に見えるし。

始めてしまえばこっちのものかな、と思いつつ、今は大人しくしてよう、
ひとまずは母の言う「いい子」でいよう(見せかけよう)と画策を目論見中。
でも、家事を疎かにしてるという点では完全ではない……か(^_^;)

そんな母だけど、電車の時間に遅れそう、だと言ったら「送ってくわ」と言い張った。
「いや、別に自転車で行くからいいし!」と言い張った私。
車だと、帰り道に話す時間が必然的にできるのが面倒だしな……。

でも母に押し切られて、結局駅まで送られてしまった。
信号につかまったために、何だかんだ言って遅れはしたのだけど。

ていうか、当初の予定よりも実は元から遅れてて、最終的に1時間くらい
遅れたりもしたのだけど、今回は私がアパートに行くだけだし、
どこかで待ちぼうけを食らわせるわけじゃないから、まいっかという。

母には「図書館前で待ち合わせるから、時間はつぶせるし」と誤魔化したけど。
ついでに、この時間なら寝てる可能性大かな、と思って今回は遅刻の連絡も入れず。
……まぁそれで正解だったんで良かったけど。

お昼ごはんは、一昨日のミートソースの残りを食パンに乗せて、
パルメザンチーズをかけて焼いて食べてみた。

へぇ、こんな食べ方もするんだ(・o・)

ちなみに、オーブンレンジにトースター機能はついてるのだけど、
言われるままにガスコンロのグリルで焼いてみた。
時間の調節ができないんで気とつけないと焦げるけど、割といい感じ♪

食後は、自転車屋さんに出かけた。
Yu君は鍵を壊して新しい鍵を設置してもらってた。
私はペダルを漕ぐと、何か変な音がするんで、どこがおかしいのか見てもらった。
……反射板(?)がはみ出しててこすれてただけだったらしい。なぁんだ。
あんなにあっけなく直るとは思わなかったなー。

その後は2ヶ月ぶりくらいで、2人でサイクリング♪

最初の行き先は、トヨタのお店。ヴィッツの購入を検討、なのかな。
長々と2時間くらい居座ってしまったな……。

店員さんが自宅が「知多半島」と言われて、私も知多半島だと告げて、
ちょっと地元ネタ(武豊線とか)で盛り上がった(向こうは半田だったらしい)。

一応(?)、恋人同士には見えたらしく「一緒に住んでるんですか?」
なんてちょっと突っ込んだ質問をされたりした(笑)
かるーくその辺の事情は説明してみた。

テレビが置いてあって、野球の中継をしてた。
そういえばWBCとかやってたんだっけ、と思いながら合間に見てた。
そしたら日本が勝って、イチローのインタビューが始まった。

スポーツ観戦は嫌いではないけれど、さほど関心はないんで、
(テレビで観てる時間があったら寝てるかネットをやってる気がする……)
日本がどういう状況にあるのかは、この時まで全然知らなかった。
私は微妙に非国民かもしれないけど、まぁおめでとう、とは書いておこうかな。

今日は購入を決めたわけじゃなくて、とりあえず見に来ただけだったけど
いろいろ面白かったというか、ワクワクしたなー。
自分は運転しないだろうけど、見て話を聞くだけでも楽しかった。

前に携帯ショップに一緒に行った時もそうだったけど、
多少事務的(?)な場に付き添うのってちょっと身内っぽい感じがして、
ドキドキする……かもしれない。

その後、川原通りのブックオフに入ってみた。
こんなとこにあったんだなぁ。今後はちょくちょく来るのかしら。

それから南の方に向かい、新しそうなカーマとナフコに入ってみた。
カーマとナフコが案外近くにあったことに驚いた。
ホームセンターが近くにあるのは良いなぁ。

ちなみに自宅に帰宅後に、昨日はK地君もこっちの方に来たらしいとわかった。
予想はしてたけど、昨日の遭遇事件(笑)についても書かれてた。
まぁこれはお互い様、かな?(昨日はそんなに驚いたつもりはなかったけど>私信)

夕食を作って食べて、いつもよりは少しだけ30分くらい早めに帰った。
早く4月にならないかなー、という思いは日一日と強くなる今日この頃。


2006年03月20日(月) 旅立つ人

日中、眠くなくするには何時就寝が望ましいんだろうな。
2時半まで起きてて寝たら、やっぱ眠かった……(-_-;)

月曜のお昼は組合のパートタイムワーキングに出席中。
役員をやってる隣の掛の人に声をかけられて、去年の6月くらいからずっと。
でもイマイチわけのわからないまま、自分の出席意義を見出せないまま、
何となく行くだけは行ってるような気がする最近。

このところ、途中で意識が飛んでウトウトしてしまうこともしばしば。
貴重なお昼休みをつぶして行かないといけないのも億劫な理由の1つ。
かと言って、断るのも断れないしな、とずるずると。

そんな感じで、今日も出席した後、13時間際に工学部2号館から出てきたら、
図書館の方からこっちに向かってやってくる人に「ん?」と思った。

私は眠かったし、コンタクトが乾いてきて目がぱちぱちしてて、
(事務室に戻ったら目薬差さなきゃ)と思ってたところで、
あんまりしっかり目を開けられる状態じゃなかったゆえに。

「何か似た人がいるけど、時間からしても、きっと別人だろうな」
……と思ったら当の本人だった。

今は滋賀の方の市役所職員であるところの(笑)、K地君。
K地君の方が先に私に気付いてたらしい。

今日は平日だったし、別人だと思ったのに本人だった。
「今日は休みとったの?」とか、軽く話して終わった。
私の方はもう仕事に戻らないといけない時間だったし、
お互いの近況についてはお互いの日記で大雑把には知ってるし。

昨日もらったチョコは、食後のデザートと、15時のおやつの2度に分けて食べた。
写真の方も、カードリーダーを捜索してアップしてみました☆
(いや、普通に机の上にあったのだけど←現在カオスと化し中……)
http://messouvenir.seesaa.net/article/15180625.html

出願は4月1日からだったけど、大学職員の試験の願書に記入してみた。
初めて、新しい住所を自分の手で書いてみた。
一応、郵便番号を含めて既に頭の中には入ってる。

今日は微妙に憂鬱モードになってたな……。
まだ不安定になる時期ではないはずなのだけど。
「はぁ」と溜め息をついて「あ。」と自分で思ったことがきっと10回以上。
自分の大嫌いな自分の性格について、葛藤してるところがあって。
仕事後は少しだけうたた寝をして、気分を切り替えるように努めてみた。

帰宅したら、妹がいなかった。
友人と3人で草津に1泊しに行ってたんだった。高校の卒業旅行。

去年の3月20日(日)の私は、と日記を読み返してみたら、
1人で名駅のジュンク堂で、森博嗣の「四季 秋」を読み返して、
「そっか、こんな話だったんだ」と思い出しながら、
今後の自分に想いを馳せてたらしい。あぁ、そういえば(回想中)。

その翌日の、3月21日(月)に、宇治&姫路&神戸に旅立ってった。
(当時の写真はコチラにまとめて載せてあります)

20日の個人的な日記では、こう締めくくられてた。
頑張れ私。応援してるから、どんな結果が待ってたとしてもくじけないように。

間もなく付き合い始めて1年が過ぎようとしてるけど。
去年のあの時は、卒業式が終わったら想いを伝えようとは決めてた。
でも、受け容れてもらえる自信は全然なかったなー。
もうこれで終わってしまうんじゃ、という思いがかなり強かった。

今までに出会ったことのないタイプの人だったために、
何を考えてたのかが、あの時は全然わからなかったし。

だから、MK2☆の家で「ハチクロ」こと「ハチミツとクローバー」に出会って、
山田さんの言葉につい心を打たれてしまった。
また、人生何度目かの失恋を繰り返すのかな、と。
(ちなみに今は微妙に真山君に近い……のかもしれない。とても微妙に。)

それが、1年後には半同棲も間近、ってなってるんだから、
人生何があるんだかわからないもんですね〜。と思った1年後でした。


2006年03月19日(日) 5日遅れのWhite Day

なのですが。

肝心のプレゼントを、昨夜大曽根の友人宅に置き忘れてきたそうで。
相手側の都合で、朝7時に大曽根に取りに行ってくるとのこと。

それと仕事でやることがあるから、って徹夜をすると聞いて、
ノリで私も5時まで起きていてしまった。

日記や徒然blogで書きたいことを溜めていたんで、少しずつ更新。
バトンとか本の感想とか、突発的に思いついた話とか。
最近、時間と気力が足りてないことをよく感じる。……眠い。

5時過ぎに寝たのに、7時過ぎに目が覚めてしまった。
目が覚めた直後、無事に回収完了の連絡が来た。お疲れ様〜。

私は10時頃に着いて、その回収されてきたプレゼントを受け取った。
何だろう、と思ったら1つはチョコだった♪
また(既に一部は食べてしまったけど)写真はblogに載せたいけれど、
最近PCのSDカードリーダーが行方不明で更新途絶え中……(-_-;)

もう1つはラッピングされてて、「何だろう……?」と思いつつ、
裏を引っ繰り返してみたら「旭屋書店」のテープが。本だとすぐに判明。
(後でよく見たら、シールには本が描かれてもいたけど)

ところどころ包装紙を破ってしまいながら、中を見てみたら、
君のためにできるコト」っていうクマのキャラの絵本。
どうしようかな、と思いながら目の前でページを少しずつ繰っていった。
いろいろ考えさせられる絵本だったなぁ。

その後、仕事の関係でPCに向かい始めたのを見て、私は家事に勤しんでみた。
付き合い始めて1年で、既に「所帯じみてる」?と思わなくもないけど、
私はこういうひとときは好きだなぁと思う。

ただ、私の方が作業を済ませてしまうとちょっと手持ち無沙汰。
こういう時にどう時間を使えばいいのかは、よくわからない。

お昼は本山のココイチに行った。ここに入るのは初めて……かな。
私は味覚がお子様なんで、甘口(時に更に卵を入れて辛さを緩和させてる)。

おなかいっぱいになりながら、隣の和菓子屋さんに入って桜餅とお団子を買った。
おじいさんが対応してたけど、計算が間違ってたらしい(少なくなってた)。
そんなんでやってけるんだろうか、って話してた。

それから食料品の買い物をし終えて、風が冷たい中、帰宅。

途中で母からメールが来て、強風でJRが止まったことを知ってびっくり。
私が帰る頃には元に戻ってるのかなぁ。

今日は去年の9月末で退職した人の誕生日で、長い間ご無沙汰してたんで、
お祝いと近況報告のメールを送ってみたら、現在妊娠8ヶ月なんだそうでびっくり。
去年の6月に結婚式だったから、できちゃった結婚ではなかったけれど、
割と結婚後間もなく赤ちゃんができたんだなぁ。
予定日は5月だそうで、元気な子が生まれてくると良いなぁ☆

夕食は、今日は私は机の周りの片づけくらいしかせずに、作るのはお任せ。
スパゲッティミートソースを作ってくれた♪
美味しくて、おなかいっぱいになったなぁ。ふぅ。
料理のできる人ってやっぱり良いですね(*^^*)

今日はここまで寒くなると思わなくて、薄着してきてしまって失敗。
大学までの道がちょっとだけ寒かったなぁ。
もうでもそれもあと数回のことかぁ。
3週間後はどうなってるのかなぁ、と想像するのが楽しみな今日この頃。

何はともあれ、今までにはないホワイトデーの1日で、楽しかった♪♪♪


2006年03月18日(土) 曇りのち雨。

9時半に美容院に行ってきた。
休みの朝はずっと眠りっぱなしになりがちだけど、たまには起きよう、
と思って昨日のうちに予約を入れといてみた。

……母に「9時過ぎとるけど、ええんかね?」と言われるまで、
眠ってしまったために5分ばかり到着が遅れたけど(-_-;)
この時は曇り空だったんで、自分で自転車で行った。

最近は再び伸ばし中なので、裾を少し切り揃える程度にしてもらって、
重たくならないように梳いてもらって、前髪が邪魔にならない程度にして、
っていうことを繰り返してる。

去年、卒業式の翌日の26日にばっさり切っちゃったんだっけ。
伸ばすところまで伸ばしたと思ったんで、「えいやっ」と切ってしまった。

切る前には誰にも何も告げてなかったんで、どういう反応が返って来るかな、
っていうのはちょっとドキドキしてたんだけど、褒めてくれて嬉しかったというか、
大いに照れさせられたなー(///▽///)、というのがちょっと懐かしい。

まぁでも最近は伸ばすのがご希望(?)らしいし、私も異はないんで、
再び伸ばし中だけど、今度はどこまで伸ばし続けようかなぁ。

帰宅後は一昨日の日記を書きつつ、本を読みつつ、眠くなってウトウト。

メールで火曜の予定について相談。
私の方が先約だったのだけど、「他の人からお誘いがあってどうしようか?」って。

4月からは私は毎日でも会えるけど、誘ってくれた人たちの方は
そう簡単に会える人たちじゃない、ってことは知ってた。
きっとそっちの方に行きたいと思ってるんだろうな、ってことも。
でも、私の方の予定がなくなったら、それはやっぱりさみしい。

うーん、複雑だな。。。
という心境をそのまま伝えたら、私の方を優先してくれたそうで。
「ありがとう」という気持ちと、「何か申し訳ないな」という気持ちが半々。

楽しんできて欲しいとは思うし、負担にはなりたくない。
そう思いながらも、会えないのはさみしい、という気持ちのせめぎ合い。

もしこれが友達だったら大抵、「そっか、残念だね〜。また次の機会にね☆」
と言うと思う。予定をキャンセルされても、そこまでは気にならない気がする。

なのに、恋人だったらかなりショックな気分になる。
1年余り前には、存在すら知らなかった人なのになぁ、と思うと不思議な気分。
あぁどっぷり依存してしまってるな……、とも思う。
それだけ、自分がこの1年で変わってしまった、んだろうな。
それが良いのか悪いのかは知らないけど。

午後に、また母に洗濯物を頼まれた。
今度は弟にも最初から手伝わせてみた。弟の家事練習計画進行中(笑)
「単に自分の仕事を減らしたいだけだろ」ってツッコミはきっと幻聴だ。うん。

「功名が辻」の再放送を13時から観てた。
一豊が浮気をしてしまい、それを妻の千代に告げるシーンがあった。

これって罪悪感から、なのかな……?
確かに嘘や隠し事は心理的な負担になるものだ、っていうのはよくわかる。
でも、話すことで自分の気持ちが軽くなっても、打ち明けられた方は。
傷つき、途方にくれることもあるだろうな。今回の千代がそうだったように。

話すのは「赦されたい」という願望がどこかにあるんだろうと思う。
楽になりたい、という気持ちのためだけに話すのはズルい気がする。
でも、相手の許容量がどこまでなのかは、蓋を開けてみないとわからない、
っていうのは事前に覚悟しておくべきなんだろうな。

「誠実」とは秘密を隠し通すことか、相手に全て打ち明けることか。
このドラマを観て考えてみたけど、私にはどっちとも言いかねた。
うーん、難しいな……。どっちなんだろう。
別に「浮気はバレなきゃそれでいい」と思ってるわけでは決してないけど。
ていうか、別に浮気がどうこう、って話では全然ないのだけど(笑)

秘密と言えば、母がややこしい状況を作り出してた。
父には、私に恋人がいることが秘密。
祖父には、私が一人暮らしを始めることが秘密。

今度、25日に祖父の家に行こう、って話が持ち上がって、母は頭を抱えてた。

父には、弟と妹の引っ越しが終わってから打ち明けるつもりらしいけど、
25日はまだ誰も引っ越しを終えていない。
祖父には、まだ当分は内緒にしておくつもりらしい。

この2人がそれぞれ余計なことを口走ったらどうしよう、と母は悩んでた。
考えた末、25日は父は同伴させずに養老の実家に追いやり(?)、
って方向で行くことにしたらしい。

母は母で、隠し事のために大変だなぁ。

25日が慌しくなりそうなんで、26日のバイトは休むことにした。
祖父の家に行った後、夕方は豊田で文子さんの帰国祝い♪
後者が一番の先約だったんで、最優先。

でもそうすると、一日潰れてしまう……?
日曜も夕方からバイトだと、あんまりのんびりできないしなー。
ってことで、思い切って休みをとることに。

これで、後は24(金)・28(火)・31(金)の3回かぁ。
何だか急に減ってしまったけれど、いつも通りにやっていくとしますか。

明日はいい天気になりますように☆


2006年03月17日(金) 電気屋さんめぐり

夜、母にお風呂のことで「あんたは勝手過ぎるよ」と怒られた。
大抵、最後に入るのは私か母で、私は後の方がいいと言ったのに、
母に先に入れと言われて入ったら1時間くらいかかってしまい
(少しばかり寝てしまった……)、遅くなったんで母が「もう寝る」、
ってことになったために。

冬場は眠くなって寝てしまうことがちょくちょくあるために、
つい「1時間だけじゃん」と口を滑らせてしまったら、
「何が“1時間だけじゃん”だ、アホ。みんなが1時間ずつ入っとったら、
5人だったらどうなると思っとる」と。

……仮に22時から入ったとしたら、最終は2時か。
まぁ確かにそれはそうなんだけども、それはありえないだろうな、
と思いつつも、それは口には出さずに内心にとどめといた。

時々、私って協調性がないのかなと思う。
(「“時々”程度か?」とどっかからツッコミの声が聞こえてきそうなのは放置……)
まぁでも自分がとてもマイペースで、それを乱されるのを嫌う傾向がある自覚はある。

ただ、外で生活してる分には、気になることはほとんどない。
問題は、家庭内の私生活(プライベートな時間)だと思う。
今までは家族以外に干渉されることはなかったけれど。

引っ越すとなるとあの近さである以上、自分の生活の内側に関わってくるというわけで。
果たしてうまくやっていけるかなというのは、まだよくわからないけど、
ここでうまくやっていけなかったらそれ以降も……。ってことになる。
だから何とかやってきたいなぁ、と思ってるところ。

朝は9時半くらいに一度洗濯物を干したような。
その後、11時前にもう一度やった。2度目は途中で母もやってた。

それから、弟と母さんと3人でヤマダ電機に行った。
洗濯機、冷蔵庫、アイロン、オーブンレンジ、掃除機、ガスコンロ。
この辺についてざっとチェックしてった。

先に妹が大雑把に決めてノートに機種と店ごとの値段を書き込んでたんで、
それを参考にしながら、自分も書き込んでいった。

途中で、メールが届いてるのに気付いた。
マナーモードにしてたわけじゃないのに、20分くらい気付かなかったけど、
私のことを気遣ってくれてるんだなぁ、と嬉しくなった。

昼食を食べた後、コジマとカインズホームとエイデンと3軒を見た。
何か最後の方はどうでも良くなってきたな……。
置いてある機種が微妙に違って、値段の比較がうまくできなかった。
ていうか、何に拘るべきなのかわからなくなってきた。

母は最終的には「コジマでまとめて買って負けさせる」と言ってたし、
それなら外であんまり見ても買わないなら、という気がしてきてた。

大雑把に見て、今日探してたものについては合計で12万程度。
まだまだ、他にも買わないといけないものはいっぱいだなぁ。

道すがら、ふと母に「父さんの年収ってこの年代の人としてはどうなの?」
と尋ねてみた「結構もらってる方だよ」と言われた。へぇ。
中の下くらいかと思ってたら、中の上、ってところなのか……?

この前ミニミニに提出した書類に父の年収を書く欄があったんで、
月給やボーナスの額は知らないけど、年収についてはわかった。
フリーターに過ぎない私には、及びもつかない額だったけど、
50代後半の人としてはどうなのかは、判然としなかった。

「じゃあうちにお金がないのは(奨学金とか教育ローンとか利用してるのは)、
やりくりが下手な所為か?」と言ったら、それもあるけど、と言われた。

今は誰も住んでない、養老の父の実家にもお金がかかってるから、と。
あぁ、そういえば。2軒分の維持費は確かに少しずつの出費になるだろうな。

それはさておき、私も早くまとまった収入を得られるようになりたいものだなー。
公務員だと、父の年くらいにはどれくらいの収入になってるんだろう?

家に帰ってきたのが17時過ぎで、給料日だったんで自転車でUFJに行き、
それから3度目の洗濯物干しに取りかかった。
5人家族の洗濯物の量はハンパじゃないな……。

母は再び外出し、妹は遊びに行っていて、家には私と弟の2人。
辺りは薄暗くなってきてた。弟は部屋で何をしてるんだ、と思い、
携帯を取り出して「少しは洗濯物手伝わん?つーか、手伝え?」とメール。

もう勉強をすることもないんだし、手伝わせても構うまい、と。
弟の部屋はベランダの斜め上にあるんで、呼べば聞こえるだろうけど、
(ちなみにベランダの真上が私の部屋だったりする)
近所に聞こえたらそれは恥ずかしいしな、とメールを使ってみた。
弟は寝てたらしく、でも起きてしばらく後に来て手伝ってくれた。

干し終わったあとは何だか疲れてバテテたな……。
母も今日はさすがに疲れたのか、夕食は全部お惣菜とかすぐに食べれるものだった。

何だかんだ言って、母ってすごいなと思う。
今日は帰ってきてからも妹宛の郵便物を受け取りに行き、祖母の入院する病院に行き。
私ももっと母のことを気遣うべきだとは思いつつ、疲れててそれができなかったな……。

とりあえず、またこれから少しずつ引越しに向けて準備していこうっと。


2006年03月16日(木) 春の風の強い日

風の強い日は、空を飛ぶクジラの話(小学校の時の国語の教科書)と、
「風は、嵐」という枕草子の一節を思い出すルゥです。

9時くらいに家を出ようと思ってたら、9時半過ぎまで寝てしまい、
11時に大学の方に到着。7時頃は明るかったのに、この時は小雨が降ってた。

洗い物を軽くこなして、再び12時に大学に戻ってきて北部で昼食。
今日は、職場の人と一緒に行ってきた。
10月から来てる人で、北部に来るのは全く初めてなんだそうで。

今、昼間働いてる人ではこの人が一番年が近くて、2つ年上。
まだ知り合って半年足らずだけど、「すごいなぁ」と尊敬してる。

電話の応対ぶりが、すごく落ち着いてて丁寧で「私もこう話せたらな」と思う。
今は他に人がいない時以外は避けてるけど、4月以降は私も積極的に電話に出ないといけないし。

しばらく前、彼女はお昼前に終わらせないといけない仕事があるのを私が知らずに、
非常勤の待遇で聞きたいことがあって話しかけたら、ざっと話してくれた後、
「すみません今は終わらせないといけない仕事があるので」と言われて、
それとは知らずに悪いことをしちゃったなとその時の私は謝ったのだけど。

後で、「あの時は慌てててすみません、また今度資料を持ってきます」とフォローが。
いや、忙しいのを知らずに話しかけちゃったのは私の方だったのに。
それを気にかけて、わざわざ改めて話をする、という気遣いに感動した。

何となく、異性だったら惚れてたかも、と思ったり(笑)
前に「無条件バトン」で書いたけど、気配り上手な人にはときめきます♪
自分には足りないな、と日々思ってる要素なので。

「自分と似てる人」でイメージする人は、「……(-_-;)」と最初に思ってしまう。
自分、ってイメージして思い浮かぶのが短所の方が先だからなのかなぁ。
もし仮に自分の性格をそのままコピーした人がいたとしたら、
たぶん好きにはなれないんじゃないかな、と思う。

話を元に戻して。
お昼を一緒に食べた人も非常勤なんで、彼女は派遣も登録してるらしい。
それで少し前に、南山の図書館で時給1300円でフルタイム、ってのがあったそうで。

「かなり揺れたんですけど、ここもまだ半年も経ってないですし」と彼女。
うーん、私でも、その条件だったら天秤にかけたくなるなぁ。
その給料だったら、一人暮らしでも不自由はしなさそうだし。
でもひとまずは、今の仕事を頑張るということで。

一人暮らしの話は、積極的に自分から話してるわけではないのだけど、
少しずつ職場でも広まっていってるところっぽい。

ただ、2つのアパートの距離はまだそんなに公にはしてない、かな。
でもいずれ(少なくとも掛の人は)全員に知れ渡るのかな……?
どうなんだろう。

今日は、「引っ越したの?」と訊いてきた1人には話してみた。
そうそう、たまに既に引っ越したものと勘違いされてる気もする。
引越はまだこれからだということと、彼氏の家が目の前だってことを説明したら、
「(同棲じゃないのは)ケンカした時にはいいかもね」と言われた。

うーん、ケンカ、ねぇ……。
まだ今も、ケンカらしいケンカはしてない、と言って良いのかな。
お互いに同時にカッとなることがないというか。

でもこの近さだと、離れるという観点では意味があるのかどうか微妙な距離かも。
まぁできればそんなケンカはしないことを祈りたいものだけど。

別の人が今朝、再びYu君っぽい人を見たと言ってた。
時間と様子を聞いた感じでたぶん、人違いではないだろうなと思う。

ただ「カッコイイ人だよね」と言われて、どう答えたものかと思って、
今日は「こういう時は恐縮です〜、とでも言えばいいんですかね?」と返した。

「いえそんなことないです」っていうのは違うけど、だからと言って、
「えぇ、その通りなんですよ〜♪」っていうのは私が恥ずかしくて言えない。
さすがに職場でそこまでは惚気てられない(と言いつつここでは書くけど)。

そうそう、今日は採用試験の願書を入手した。
普通の人は郵送を頼むか本部まで取りに行くんだろうけど、
私の場合は図書館に届いてたのを庶務の方でもらってきた。
出願は来月だけど、そろそろ勉強にも真面目に取り組まないと。

今日は天気も悪かったしやりたいこともあったんで、
いつもより1時間くらい早く、20時過ぎには帰宅した。

そしたらちょうど、仕事が終わったところだったそうで電話をくれた。
何だかテレビで時々観る、すごい風の実況中継、って様相だったな(笑)
別にテレビ電話ってわけじゃないんだけど、伝わってくる音の様子が。

私は強風だと木造の我が家が揺れるんで少し怖いけど、この時は気分が少し和んだ。
昔は「こういう時に好きな人と一緒にいられたら良いのに」、と思ってたな。
会えたわけじゃないけど、心細い時に声を聞けたのは良かったな☆。

でも引越後は、木造じゃなくて鉄筋コンクリートのところなんで、
もう怖い思いをすることもなくなるのかしら。

とりあえず明日は引越のために下調べをする予定。


2006年03月15日(水) 春近し?

昨日一昨日と寒かったのと打って変わって、今日は暖かかったらしい。
昼間の時間帯に外に出なかったから、自分の実感はないけれど。
こういう日に洗濯物を干したいのになぁ、明日は良くないらしいし。
……そんなことを考えてしまう最近の私。

昼食の時、KKちゃんから手作りの生チョコをもらってしまいました(*^_^*)
先月の15日、余ったケーキを1切れずつお裾分けしただけだったのに、
可愛らしい箱にラッピングしてあるのをもらってしまったな〜(^_^;)
何だか3倍返しをされた気分かもしれない。

「いいねぇ、頭も良くて、料理もできて。天は二物を、で」と
私とKKちゃんのことを褒めてくれた人がいた。
うーん、私はそんなこともないんだけどな。

幾つかの長所(らしきもの)を相殺してもまだ足りない、
人としての欠陥が私にはあるんじゃないだろうか。
たまに、そんなことを考えてしまう。
この前、母に「あんたは父さんに似とるところがある」とも言われたし。

話を変えて。
KKちゃんともう1人の人に、新居の場所を地図サイトで見せてみた。
簡単な登録をすれば、地図をマウスでドラッグしながら見ることができる、
マピオンラボ、っていうサイト。

最初、ここのIDとパスワードを思い出せなかったけど、2度目で何とか成功。
そういや、私ってIDやパスワードを何パターン持ってたっけ。

ネットの接続・プロバイダのアドレス2つ・Yahoo!メール・gooメール・
Hotmail・エキサイトメール・本やタウン・seesaaブログ・この日記・
「憩い再び。」のBBS・アクセス解析。

ざっと思いつくだけでこれだけ、全部違うIDやパスワードを使ってる。
この辺はちょくちょく使うんで何とか覚えてるけど、
マピオンは稀にしか使わないんで、すぐには思い出せなかったな……。
実はエキサイトメールと全く同じにしてたことが判明したけど。

もうお金も振り込んだことだし、住所や郵便番号をちゃんと覚えようか。
正式に引っ越したら、お知らせメールを何人かに出さないとなー。
郵便物の転送手続きは取る予定だけど。

今日は5階の目録の人が妊娠中だってことを聞いて驚いた。
えっと、7月が予定日らしいから、今は5〜6ヶ月目?
たまに顔を合わせて一言二言仕事について話すこともあったのに、
全然気付かなかったなー。

その話を聞いてから、今日は本人を見かける機会があって、
「あぁ、確かに言われてみればおなかが」って感じだった。

確か彼女はフルタイムだけど、正規ではなくて契約だったんだっけ。
今後、産休をとるのかなぁ。それとも退職するのかなぁ。

私自身は将来について明確なヴィジョンをまだ持ってない。
でも、今からそう細かく考える必要もないんじゃないかな、とも思う。
あれこれ考えても予想外のことは常に起こるものだし。

そんなことを考えてしまうのは、自分自身の行動や感情が、
自分の予想や推測を(良くない意味で)裏切ってしまうことが
多い所為なんだろうか。考えすぎて疲れる傾向があるな、とよく思う。

仕事後に本山に行ってみたら、今日は生協が定休日だった。
いつが定休日になってるんだろうな……?

今日は何ヶ所かで17時以降のバイト募集のポスターを見かけて、
「私はどうしようかなぁ」と少し悩んでた。

4月から、図書館だけじゃ微妙に赤字になってしまう気がする。
貯金を幾らかは残す予定だから、それでしばらくは何とか、と思いつつ、
他に仕事は何かないかなぁ、と思ってた。平日17時半以降にできるもので。
でもバイトを増やすにしても、試験が終わって一段落してからかなぁ。

夕食は味噌汁と鮭のバター焼きを作ってみた。
今日で仕事が一段落したそうなんで、これからしばらくは仕事後は
採用試験の勉強もしようかな、と考え中。もうあと2ヶ月ばかりだし。

今年こそ、何とかなるのかなぁ。


2006年03月14日(火) 少しずつ、少しずつ。

今日はミニミニに契約書を持ってく予定だった、のだけど。

朝、10時半まで起きられなかった上に、起きた後も全然出かける準備を
しなかった私に母がキレてた……のかな。

準備をしなきゃと思いながらも、やる気が全然起きなかった。
できることなら一日中、布団の中から出たくなかった。
吐き気の一歩手前って感じ。

原因が精神的なものだってことは自分がよくわかってた。
それが自業自得だってことも。

けれど、その事情を母には口が裂けても言えなかった故に。
「毎日毎日、休みの日になる度に家のこともやらずに遅くまで寝てばかりおって」
と、また今日も言われた。

更に私のことを、「弟と同じで何考えとるかわからん」と母。
そう簡単に人のことってわかってしまうものなんだろうか。
自分でさえ、自分のことがよくわかってないというのに。

浮上するには、一旦最低のところまで落ち込んでみようか、と思って、
とあることをしてみたら……嗚呼やっぱり痛いな、と思った。
本当は、それを痛いと感じなくなる自分になれたら良いのに、と思いつつ。

結局12時半頃、最初に母と市の勤文(勤労文化会館)に行った。
印鑑証明と住民票はこんなとこでも取れるのかー。へぇ。

そのまま、本山のUFJまで行って、通帳から家賃等の諸経費の振込み。
振込先が本山出張所の口座だったんで、手数料がゼロ円♪
銀行で振込みをするのは初めてだったけど、何とか一人でできた。

ちなみに、手付金1万を除外して、今回は19万6508円。
日割りの4月分の家賃・礼金・内装工事費負担金・水道等の精算預かり金・
媒介手数料・住宅総合保険料・消毒料・入居安心サービス料の合計。

次にミニミニに。
契約書、いきなり一枚目で実印を押し忘れてた……(-_-;)

割印を押す箇所があって、それが綺麗に押せなかったんで、
「これじゃあ駄目でしょ」と母が言い、父の実印は私には持ち歩きを
任せられない、ってこともあって付いてくることにしたらしい。

その母は、最初四谷通りに路駐をしてたのだけど、
店の人に聞いて専用の駐車場に車を動かしに行ってた。
でも、15分くらい(?)は戻ってくるのにかかった気がした。
1人で待たされる私は「早く〜!!」と焦れてた。

割印の方は問題なかったらしく、一枚目に押しただけで終了。
また、向こうの方でも記入して送り返されてくるらしい。

これで後は、少しずつ引越に向けて準備に入ってくんだなぁ。
金曜には電気屋さんで幾つか家具をチェックしてみる予定。

そうそう、保証人の父のサイン。
母の説得の甲斐もあって、日曜の夜に書いてもらったのだった。
説得というか、父方の祖母の世話を手にとって脅した(?)のだけど。
一応、父に書いてもらったのを受け取る時は、ぶっきらぼうながらも、
自主的に「どうもありがとう」とだけは言っておいた。

ミニミニを出た後は、新居前まで行った。
母が自分の運転で道を覚えたかったんだそうで。

母はまだこの辺は不慣れだからか最初道を間違えて、
東山公園方面に行きかけたりもしたけど(^_^;)

いつも大学から行く時に通る途中の道が進入禁止、ってことを発見。
うーん、歩きや自転車だと車の標識には注意を払わないからなぁ。

母は新居の前まで行ったら、それで満足したらしい。
近くを少しは見てくのかと思ってたんで、少し拍子抜け。

ただ、車の中から見て、Yu君の部屋がどこか尋ねられた時、
「えーっと、あそこ?いや、こっちだっけ……?」と説明に手間取った私。
これ、母の手前のフリじゃなくて素だった辺りが何とも(^_^;)
途中で、ベランダのハンガーを見て「あぁそっか」と気付きはしたけど。

「何回来とるの?」と呆れられた。
「だから、そんなに大して来てないんだってば(大嘘)」

ほら、外からベランダの方を見ることって滅多にないしなぁ(言い訳)

その後、母は帰ることになり、私は「大学に寄ってく」と言って車から降りた。
母の車が交差点を曲がるのを見届けた後、私はUターンして、鍵で入った。

この時、14:40過ぎくらいだったのかな。
15:36の電車に乗らないとバイトに間に合わないから、
大した時間はないけど、やれることがあったらやっていこうと思って。

朝食から5時間経っても、さほど空腹を感じてなくて昼食をとってなかった。
でも、ここで食べとかないとバイト中にきっと死にそうになる。

そう思ってコンビニでサンドイッチを買って、何とか食べた。
おなかが空いた感じはしなくても、食べられないわけじゃなかったんで。

社員の1人(40代男性)にホワイトデー事情を聞いてみたのが面白かった。
義理のお返しは日曜に渡したけれど、奥さんには何も、だそうで。

「バレンタインには何かなかったんですか?」「何かはもらったな」
「でも何もお返しはしないんですか?」「だってお財布が一緒だろう?」
「えぇまぁ、それはそうなんですけど……」

でも奥さんだってほんの気持ち程度のものだって良いだろうから、
何かは欲しいんじゃないかなぁ、と思ったんだけど……どうだろう。

やっぱり、結婚したとしても自分は自分なりに収入が欲しい、
って思うのはこういう時かなぁ。
プレゼントを買う時に、相手のお金で買うのは何だかなぁ、という気がするし。

今日は途中で、そういや学参のレジの方に他に人がいないことに気付いた。
そのことを社員の人に言いつつ、自分の話を少しだけしてみた。

「じゃあ今日は来て良かったんですね〜。
 ホワイトデーなんで来ようかどうしようか少し迷ってたんですけど、
 向こうが仕事があって……」と言ったら、
「バカヤロウ、(人手不足の忙しさで)殺す気か!?(笑)」
と言われたもので、「す、すみません(^_^;)」と私。

本当は休むのは私の自由のはずだけども、何となく勢いで謝ってしまった。
まぁこの人とは気を遣わないで話ができるんで、バカヤロウ、も
本気で怒ってるわけじゃないのはわかってた。

ここでのバイトも、残すところあと5回かぁ。

気分の悪さは断続的に続いてたけれど、バイトは普通にやってた……と思う。
それでもいろいろあって、ひとまず気分は立ち直りかけたらしい。

だからって、自分のしでかしたことは消せるわけじゃないし、
何よりもう私の心に鮮烈に焼きついてしまってる。
しばらくはそれに囚われて、いろんなことを思ってしまうんだろうけど、
今後はそれにどう向き合ってか、が問題……なのかな。

どうかもう、これ以上の過ちを自分が積み重ねることがありませんように。


2006年03月13日(月) 3月の雪

朝、自転車を漕いでたら外はかなり寒かったなー。

昨日のごたごたで、やや不安定な気持ちを抱えつつ仕事に行った。
さすがに職場でそれについて話す気にはなれなくて、
ホワイトデーのこととか、明るい話題に努めてみた。

お昼過ぎに、他の人の話で雪が話題になって、「え!?」と思って
事務室の窓から外を見たら、確かに。ていうかすごい勢い?

天気予報の確認不足だったのかな。
雪が降るなんて全然思わなくて傘は用意してなかったし、
服もコートじゃなくてジャケットにしてきちゃってたんで、
「帰りは大丈夫かなぁ」と心配になった。

雪は降ったり止んだりを繰り返してた。
私自身は昨日、去年の日記を読み返した時に雪についての記述を発見した
後だったから、「あぁ、今年もなのか……」と思ってた。

そう、ちょうど去年の3月13日(日)にも雪が降ったらしい。
昨日、去年のことに触れた時に寒かったことは覚えてたと書いたけど、
雪のことは全然覚えてなかった。

あの日は、当時は少しも予想しなかったけれど、自分にとっては大きな転機だった。
今の私の「ある部分」を形作り始めたのは、あの日があってこそ。
事あるごとに自身で持て余し、葛藤に陥っている「ある部分」。

あの日がなければ、今の自分は全然違ったものになってたんじゃないか。
それが良いことか悪いことかはわからないけれど、そんなことを今は漠然と思う。

仕事後、少し雪の舞う中で買い物に出かけた。
交差点で信号待ちをしてる間、寒さで歯がガクガク言ってた。
もうちょっと暖かい格好をしてくれば良かった、と後悔。

風邪引きそうかな、と思って夕食の後に母にネギ味噌ショウガを作ってもらった。
これでちょっとは身体が温まるのかなぁ、と気休め程度に。

身体は少しは温まったけれど、今日の気分はすさまじく最悪だった。
自分で自分に「もう今後はやるまい」と誓ったことを破ってしまった。
まだ1ヶ月余りしか経っていないことだっていうのに。

その結果、激しい自己嫌悪と後悔に襲われた。
なんてバカなことをしたんだろう、と思ったけど既に遅かった。

「こうありたい」と願う自分とは逆のことをしてしまった。
それについて自分に言い訳をしてしまいたくなる自分が嫌だった。
自業自得とか因果応報とかいう言葉をひしひしと感じたけれど、
その言葉をもっと実感するのは、更に後のことになる可能性が高いかもしれない。

一時の感情で動くと碌なことはない。
……進歩のない私に泣きたくなった、3月半ばの雪の一日でした。


2006年03月12日(日) 人生論な一日?

朝、家を出る時に空は曇り空だったけれど、大学で外に出たら
少しばかり雨が降ってた。うーん、また天気があっちとこっちで違うな……。

午前中はささやかに家事をやってみる。
この5ヶ月で、少しずつ自分のやれることを増やしてってる、のかな。

時にふと、「私がいなかったらどうしてたんだろう?」ということを考える。
いなければいないで、何とか一人でやってたのかなぁ、とか。
23年近く、私が恋人なしでも過ごしてきたように。
でも、一度得たものはやっぱり手離せなくなるんだよなぁ。
ちょっと会えないだけで、ひどく寂しくなってしまうように。

午後は名城線で伝馬町駅まで。
Yu君が14:40開始の、とある資格の試験を受けに行くということで。

私は受験会場の前まで行って、見送りをしてから、熱田のブックオフに。
今日は買ったのは文庫1冊とコミック1冊(どっちも105円)。

それは良いのだけど。
以前、バイト先で配ってたコミック紹介の小冊子を読んで興味を持ってた、
僕等がいた」に手を伸ばして、置いてあった1巻と2巻だけ読んで。

……不覚にも、泣いてしまった。

ここには諸事情で書けない、幾つかのキーワードが、胸に突き刺さった。
それはちょうど1年前の、日曜の夜に起こったことを思い出させた。
あの時はただ頭が真っ白になって、事態を受け止めようということだけに必死だった。
けれど、それは時が経って、私にとっては別の意味を持つようになった。

今日がそれから1年だということは一応覚えていた。
いや、一応という言い方は正確ではないのかもしれない。
最近、時々思い出してはいたことだったから。

そして本の所為で、その後いろいろ変化した感情が生々しく甦ってしまい。
じわり、と涙があふれた。

何とか立て直しを図るべく、他の本を読んで気を紛らわせた。
16時頃、2時間の試験を早めに終わらせて退出してきたYu君が来た。
ちょうど、私が本を買い終えた少し後。
この時にはひとまず、気持ちの立て直しができてた……のかな。

2人で店内を少し見た後、私の足が疲れて休みたい気分になってたんで、
どこがいいかな、と相談して熱田のイオンに行くことに。
金山からシャトルバスに乗ってった。

入ったらすぐのところでホワイトデーコーナーが。もう明後日だなぁ。
仕事の都合で、私自身のホワイトデーは19日の予定だけど。

最初にビアードパパで、フォンダンショコラとエクレアとシュークリームを食べた。
ちなみに私がフォンダンショコラの存在を知ったのは今年のこと。
最初に陽菜さんから聞いて、7ちゃんがmixiに写真を載せてて、って感じだった。
どんなものなのか気になってたんで買ってみたけど、美味しかった♪

この「フォンダン」もチーズフォンデュの「フォンデュ」も、
元はフランス語の「fondre(フォンドル)」。溶かすとか溶ける、って意味。
フォンダンが現在分詞で、フォンデュが過去分詞。

それから何を買うでもなくいろいろ雑貨を見て、リブレット(本屋)に。
blogのデザインとかアフィリエイトの話をしてたなー。

私は昨日バイトで気になってたan・anをしばらく見てた。
バイトって、買ってかれる本に気を惹かれることがあっても、なかなか読めないし。
今回気になったのは「さびしい気持ち」についての特集。
興味深くもあり、笑える部分もあり、って感じだった。

夕食はラケルでオムライス。
5〜6年前、吹奏楽の友達とパルコのお店で入ったことがあった。
でも、自力じゃパルコの名前が出てこなかったな……。記憶力ヤバし。

余談だけど、女性店員の赤と白のチェックでフリルつきのエプロンが微妙(笑)

食べ終わって、出てきて金山に着いたのが19時半頃。
まだ帰りたくなくて……しばらくその辺を歩いた後にサンマルクカフェに。
私は紅茶だけ頼んだ。

コミックを読んだ余韻を引きずってた所為、かな。
私の好きな人が……私を好きでいてくれる人が目の前にいるのは
ちゃんと頭ではわかってるのだけど、一人になりたくなかった。
紅茶を飲みながら、また、どうかすると泣きそうだった。

母のことさえなければ、「今夜は帰りたくない」と言ってたかもしれない。
今そんなことをしたら元も子もないのはわかってるから、抑えたけど。
あと1ヶ月弱の辛抱なんだから、と。

でも、そのことを上手く口で説明することはできなくて、
何も触れないままだった。

今日は実は、Yu君との100回目の出会い、だったりした。
告白前に会った回数を数えてて(10回もなかった)、それ以降何となく、
会った後は手帳に数字を振ってってたんで。

まぁだからってお祝いも何もなく、帰り際にギリギリ、
ムードもへったくれもない(?)言い方で告げただけだったのだけど。
(こういうことの演出って苦手だな私……)

金山のホームで電車待ちをしてるのがすごく寒くて、
そういえば去年もものすごく寒かったっけ、と思い出してしまった。

そして20時半過ぎに帰ってきたら我が家は我が家でいろいろと。

昨日、弟が泊まろうとしてたのはネットゲームで知り合った人のところだったとか、
母が思い余って泣いてしまっただとか、父はその様子を見ても弟を咎めるどころか、
「彦根の方はどうだった?」とか関係ない話をしだす始末だったとか。

そんな話を、帰りの車の中で母から聞かされた。
自分自身のことと、母の気持ちとが心の中で飽和してしまい。
帰って部屋で一人になったら、本格的に泣いてしまった。
でも、泣いたことで少しはスッキリもできたのだけど。

母は、自分が辛い思いをしてる時に少しも気遣ってくれない父に失望してた。
後で、私の部屋で父以外で話をしてた時に「父さんに期待するだけ無駄だよ」
という兄弟3人の結論で落ち着いたりしたのだけど。

妹が弟のことを思いやって、「もうちょっと自由にしてあげたら」とも言ってた。
母の言葉によると、母の家系は「小心者で、レールからはみ出るのが怖い」んだそう。

だから、弟に「まずは大学に行かないと」ということを強いている。
そして、勉強が好きになれない弟は、ストレスを溜め込んでしまってる。

弟のことを思って母に説いている妹の方が私よりも姉みたいだった。
そして、妹も感極まったのか、話してる時に泣き出した。

弟は弟で泣いてたしなー。
「僕なんていない方が良かったんじゃない」とか「何のためにいるんだろう」とか。
本人曰く、「別に死ぬつもりじゃないから、心配しなくていいけど」らしい。
今日は我が家の人々にとっては涙の一日だったらしい(父のことは知らないけど)。

その後、母方の伯母夫婦を巻き込んで、父が電話で一騒動起こして。
母は(父のことを差して)「こんな親の子に産んじゃってごめんね」とか、
「(結婚前や初期は)こんな人だとは思ってなかったんだけどね」とか、
「もう一緒にやってくのが本当に嫌だ」とか言ってた。

私は私で、後で弟と幾らか話してた。
母に対して私が抱えてる秘密について、とか(弟は概ね知ってる)。
今日は今までになく、いろんな人生論が飛び交ってたな。

私としては、一度みんな距離を置いた方がいいんじゃないかと思う。
近すぎて、お互いのことを傷つけるしかできてない気がするから。

……と思うのだけど。
私の思考がいまいちまとまってないんで、とりとめのない文章でスミマセン。
ひとまず、いろんな意味で今が正念場らしいです。頑張れ私(と家族のみんな)。


2006年03月11日(土) 人それぞれではあるけど

明日は弟が後期試験ということで、10時過ぎに滋賀に旅立って行ったのだけど。
14時半過ぎ、我が家に電話がかかってきて、それから一騒動。

「先程、ホテルの方にキャンセルの旨の連絡がありましたが、よろしいでしょうか?」
旅行代理店から、そんな連絡があったものだから、母は大慌て。
もうお金は振り込んであるんだし、「ひとまず確保しといて下さい」と頼んだ後。

何度か弟にコールした末に、ようやく電話でつかまった。
この期に及んで、まだ最初は弟はすっとぼけようとしてた。

母が電話があったことを告げて「本当のことを言いなさい」と問い詰めたら、
「ホテル代が勿体無かったから」とか漏らしたらしい。

それを聞いて「バカだろう!?」としか言いようがなかったけど。
そんなことを気にするくらいだったらゲームとか買うなよ、と思った。
気を遣う場所が完全に間違ってる。

第一、ここでホテルをキャンセルする意味が何もない。
もう払ってしまってあるんだから、返って来るわけでもない、
ってことぐらい考えられなかったんだろうか。

ホテルをキャンセルしたと聞いて、母も私も真っ先に、
「このまま受験をすっぽかすつもりなのか!?」と危ぶんだけど、
電話では「ちゃんと受けるつもりはある」と言ってた。

信じていいものなのかは、測りかねるところもあったけれど、
ここは信じるしかなかった……のかな。
我が家では、誰を信じていいものなのかわからないとも言い得る。

家を出る前には「これで3年間の受験生活も終わる〜」と言ってた弟。
一応、押さえの私立(ただし県内)は受かって入学金も払い込んであるんで、
このまま浪人ということはないことになってるし。

ひとまずはほっとしたけど、母はだいぶ消耗した様子だった。
……どうもお疲れ様デス。

一段落したこともあって、私は16時からはバイトに行った。
今日は雑用を山のように持って来られて大変だったな……。

社員の1人が、中3と中1の息子がいて、兄の方は私の高校を受けるそうで。
で、弟は弟で、自分が思ってたよりはできるらしい、と言われてた。
ほぼ均衡してるなら、そっちの方が良いのかなぁ。

やっぱりうちの弟は肩身の狭い思いをしてるんだろうな、と思う。
姉も妹も県下で有数の進学校に進学してストレートで大学に合格したのに、
弟は(一般的な言い方をすれば)地元のさほどランクの高くない高校で、
しかも二浪してしまっている身だし。

同情する部分もありつつ、でも傍から見て努力を怠ってた部分には
「自業自得でもあるな」と思いつつ。
自分の運命は自分で切り拓いてくしかないからなぁ。

20時を過ぎた頃にはかなり空腹で、「おなか空いたおなか空いた……」と、
エンドレスで思ってたなー。空腹は切ない。
切ないつながりなのか(?)、仕事中に空腹になると、
好きな人のことを考えて「……はぁ」と思う習慣のある私(って変?)。

そーいや、好きな人が一緒にいて空腹になったらどうなんだろ?と思って、
場合によっては空腹を抑えることもあるかなー、と振り返った。

前に栄でトンカツを食べに行った日、ものすごくおなかが空いてたけど、
仕事の本を見てるのを邪魔したくなくて、頭は空腹で半ば上の空だったけど、
何も言わずにじっくり本を選ぶのを待ってたことがあったな、とか。
今のところ、恋愛感情の方が空腹に勝つ……のかしら。

バイトが終わって、修論提出後の東南アジア旅行(笑)から帰ってきてた
うちの大学のM2の人に、辞める報告をしてみた。バイト仲間では一番しゃべる人、かな。
彼はドクターに進むそうなんで、また図書館ででも会うかもしれない。

実は昨日もバイトしてたんで(特筆すべきことがなくて書かなかったけど)、
2日連続、1日で5時間立ちっぱなしでちょっとばかり疲れ気味。

明日は天気はあまりよろしくないみたいだけど、のんびり過ごせるといいなぁ。


2006年03月10日(金) 楽しかったこととつまらないこと

大学と高校と親戚がわらわらと出てくる夢を見た。
相変わらず、脈絡の全然ない夢だなー。

夢の中で1番印象に残ったのは、ちょうど3年前の3月に会ったきりの人。

そうか、もう最後に会ってから3年になるのか……。
と目が覚めてから思った。夢では、もっと前の姿で出てきてたけれど。
日付は頭の中に入ってたんで、過去ログで当時の日記を読み返してみた。
懐かしくて、そして、今はもう遠い遠い日に感じた。

またいつか会うことはあるのか、相手はどう変わってるのか、
会ったら私はどうすればいいのか、そしてどうなるのか。
ありそうなのは、3年前の繰り返し、なんだろうか。
それでも、どこかで会えたらなと思ってしまう私。

10時半頃、祖母の入院する病院に母と行った。
「もしかしたらこれで見納めになるのか……?」と思いながら向かった。
祖母は眠ってた。母が声をかけたら少し目を覚ましたけど、また眠ってしまった。

点滴の管が幾つも伸びてるのを見て、足が竦んだ。
この感覚は、高い所に上って下を見下ろした時と同じかなと思った。
看護師さんの話によると、何度か点滴を自分で抜いてしまうんで、
ナースセンターのすぐそばで注意して見てるらしい。
結局、私は祖母と言葉を交わすことのないままだった。

後で担当医の先生に少しだけ話を聞いたら、良くなってると言ってた。
今日はアポをとってなかったんで、また明日詳しい話を聞くらしい。

その後、ハローヅというスーパーで昼食の買い物。
場所は緑区で、私は始めて入った。結構広いなぁ。
こういうお店が大学の近くにあれば良かったのに、と最近よく思う。
安くて品揃えが豊富なお店ってなかなかない。
車があればちょっと遠出でもできるんだけど、それも無理だし。

去年の3月9日が、ラシックがオープンした日だった。
オープン翌日の10日に2人で行ったのは、私にとっては印象深い出来事だった。

午前中は図書館で仕事があって、終わってからYu君といろいろ歩いた。
母に以前、「最初のデートはどこ?」って訊かれた時は4月のお花見を答えた。
それは「付き合い始めてから」のことを尋ねられてたから。

でも、付き合う前に最初にしたデート(っぽいこと)っていうとラシックかと思う。
大学の外で男の人と2人で、お店を歩いたり一緒に食事をしたりしたという定義で。
あの時はHARBSでケーキを食べたのだけど。

あの時点で、既に私は好意を抱いてはいたけれど、それにしても。
まさか1年後にこーゆー状態になってるとは思いもしなかったな(笑)
やっぱりいろんな展開が早い、と我ながら思う。

4月からはどうなるのかなぁ。
毎日会えるようになったら、今よりも満たされるんだろうか。
少なくとも現状を鑑みて、週1〜2のペースというのは、
私にとっては全然足りてないからなー。

「いつも会えるようになったら、1人の時間が貴重に思えるかもしれないよ」
と、ある人に言われたけど、どのみち1人の時間はいやでもできると思う。
24時間一緒というわけにはいかないんだから。

さて、一人暮らしに向けて。
契約書に記入をしてたけど、これには保証人のサインや印鑑証明も必要で。
父に頼まないといけなくなった。

嫌々ながら、夜、リビングから隣の部屋にいる父に話しかけたら。
今後は態度を改めるか、と言われた。

具体的に言うと、「朝の挨拶をちゃんとするか」ってことだった。
もうここ数年、父が朝「おはよう」と私に言っても無視をし続けてる。

本当なら口を聞くのも嫌なんだけど、同居してるとどうしても、
話さざるを得ないこともあるから、挨拶をしないのは、
私なりに「父さんのことを許していない」っていう意思表示。
些細なことだけど、一度「こう」だと決めたら私は頑固だから。

父が、私と心からコミュニケーションをしたいというのならともかく、
あれは「子供が自分の言うことを聞かないと気が済まない」だけだ。
ただの支配欲だとか、そんなものなのが見えるから、私も応える気がない。

母が「もしルゥが嫌だって言ったらどうするの?」と言うと、
「その時は考える」という父。サインを認めない、ってことか。

母自身、というか母の方が先に父のことを無視しだしたからか、
私に「ちゃんと父さんに挨拶しなさい」ときちんと言ってきたことはない。

話はこじれて、途中で父は怒り出し、「さっさと出てけ!」とか、
「もう娘とは思わん!」とも言ってた。

(私だって父さんのことを父親とは思っとらんけどね)、と小声で母に言った。
縁を切りたいと言うなら上等、という気分だったけど、サインがないと
どうにもならないんで、隣の部屋にいる父には聞こえないように小声で。

ていうか、「そんなこと言うならお金は自分で返せ!」という父。
私の入学時、国民生活金融公庫(通称は教育ローン)を200万ばかり借りてた。
何かあるとすぐにお金か、とうんざりしながら聞いてた。

国立に行った私の授業料さえ、父の給料だけじゃ払いきれなかったらしい。

うちが貧乏なのは私だってわかってたけど、それにしても、
子供の心中を思いやる言葉は何一つなく、最初から頭ごなしに
「私立は受けるな」、と受験生だった私に言ってた父。
もし本気で私が私立に行きたかったら、どうしてたんだろう?と思う。
子供の将来より、自分の懐の方を優先させようとした姿が目に見える。

これだけじゃないけど、こういうことの積み重ねで、私は父親を
生物学上の父としては認めても、「育て」の父とは思っていない。
子を愛さない親を、子は愛せないと思う。

母が「ルゥだって奨学金を返さんといかんのだし、これから一人暮らしで
お金も要るんだし、そんなの無理に決まっとるがね。出てくだけ出てけ、
って言ってサインはしん、って言ったらどうにもならんがね」と言った。

……そう、私は去年の秋から毎月、1万円弱の奨学金の返済をしてる。
学生時代、利息付きで月3万の奨学金を受けてたから。

最終的には一応、父の方が折れたのかな。
ただ、捨て台詞っぽく、私のお風呂に入る時間が遅いのを非難して、
「これから1時過ぎてから入ったら1000円の罰金だ」とか言ってたけど。
まぁそれに関しては、罰金はともかく、母も同意はしてたけど。

……何か愚痴りだしたら、長くなってしまったけれど。
家での私はこんな一面も持ってたりするのですね(苦笑)
好きな人は好き、嫌いな人は嫌い、って両極端だからなー。
まぁもちろん、中くらいやどっちでもない人もいるけれど。

あと1ヶ月したら、もっと住みやすい生活が待っているのかしら。はぁ。


2006年03月09日(木) 巡る季節

2時過ぎまで起きてたら、昨夜は母察知された。
で、朝に何をやってたのか問われた。
最初は「何だっていいでしょ」と言ったんだけど、粘られたんで、
とりあえず勉強してたことにしといた(日記書いてたとは言えない……)。

ていうか、こんな些細なことにまで「隠し事はするなよ」って母。
そんなことまで親に逐一報告せんとあかんのだろうか、と思った私。

今日は仕事は午後からだったけど、朝からあるのと同じ時間に出かけた。
またせっせと家事をしに(笑)、9時過ぎに行ってみた。

最初に洗濯機をスタートさせてから、夕食を昨日は多めに作っといたんで、
持参した自分のお弁当箱に詰めつつ、食器洗いをしつつ、洗濯物を干した。
全部終わったのが9:57。

10時から図書館で「名古屋大学学術機関リポジトリ 公開記念講演会」が開催。
急がないと遅れるのは承知で、10分ばかりくてん、と横になってた。
何かこのまま出て行きたくない気分だったけど、一応、申し込みはしたし、
出向くことにしてみた。

図書館に着いたら、管理課の課長が出てきてた。あれ?
しばらく見て、どうやら総長をお見送り、らしいとわかった。
最初に総長のの話が予定されてたし、いかにも、な黒塗りの車が前に停まってたし。

5階の小会議室に行ったら、館長が話してるところだった。
他に2人の人の話があった(1人は3年前にうちの掛にいた人だった)けど、
3分の2は寝てたな……。あああ。まぁ仕方がないか。

12時過ぎに講演会が終わり、お昼ご飯、の前に。
持ってこなきゃと思ってたのにうっかり忘れたものを買いに、南部購買まで。
大学でコレを買うのは2回目かしら。普段は薬局で買うのだけど。
鞄に補充しとかなきゃと思いながら忘れたな……。

それから、郵便局に行ってみた。
南部食堂に新入生生活総合センターがあったのと、豊講を見て、
今日がうちの大学の合格発表だったんだとわかった。

私は前期は番号がなくって呆然としたんだっけ、と思い出した。
大学にいると、季節ごとにいろんなことを思い出すのは良いのか悪いのか。
ということをふと思った。

カウンターにいたら、周辺でいちゃつくカップルがいた。
どうということはないのだけど、何かべたべたしてる人達だった。
何か大学生っぽくない感じだった(幼いというか)。
「何なんでしょうね」と隣にいた人と話してた。

あの人たちは果たして名大生なのか否か、とか。
数年前までは、学外者の出入りについてはかなり厳しかったらしい。
ちゃんと紹介状を持ってきてないと、門前払いを食らわせてたそうで。
簡単な書類の記入だけで入れるようになったのは最近のことなんだとか。

「大学図書館なんだから、もうちょっと権威みたいなのがあってもいいんじゃないかな」
話してた人は、そう言ってた。私も多少頷けなくもなかった。
有象無象の人たちがやってくるのは、職員としてもちょっと大変だし。

今日はご飯はやや手抜きして、その代わりに伝言をだーっと書いてきた。
手書きの分、余計に時間がかかるな(ノート2ページとか書くと)。

帰ったら、ミニミニから契約書が届いてた。
これを出せばいよいよ、かなぁ。さてと、頑張りますか☆


2006年03月08日(水) 今日もいい天気

また寝てしまった……(-_-;)

とても微妙な夢を見た。
これが正夢になることがありませんように、と目が覚めてから思った。

今日は6時半から朝風呂。
その後に日記を書こうと思ったのが失敗だったかな……。
思った以上に時間をくって、ギリギリの電車に乗ったら、
5分遅れてきたんで、危なく遅刻するかと思った。

電車も不便な時は不便なんだっけ、と再認識。

仕事は割と平和に終わった……かな。
じわじわと、引越しの話が職場で広まりかけてるっぽい。

今日は、「冬に鍋とかいいね」と、来る気満々(?)な発言が(笑)
まぁそういうのも良いのかもなぁ。
中学以降、誰かを家に上げた記憶がない私だったりするけど。
誰かに見られると思えば、部屋も人も綺麗になる(かもしれない)し。

今夜はかに玉と野菜炒めにしてみた。
1ヵ月後には引っ越し……なのかなぁ?
そしたら、作った後はそのまま帰りを待ってるんだろうか。

今日読んだ小説に、かなり感情移入してしまった。
私が情緒不安定になった時の気分がそのままだなー、と思いながら読んだ。
切り捨てるべきか、受け容れるべきかで悶々としている感情。

夜はお風呂の順番でモメた。
私なりに母を思いやって「先に入ったら?」って言ってたのに、
横で聞いてた妹に「何でそこまで自分勝手でウザいの?」とまで言われた。

状況の詳細を省略してしまってるんで、発言の意図がわかりづらいのは承知。
でも何にしても、妹の言い方は時に「何だかなぁ」と思う。

家を出ちゃえば、お風呂の時間だって誰にも文句を言われないで済む……のかな。


2006年03月07日(火) サクラサク☆

また夜に力尽きてました……。続く時は続くのかな。
眠さとバイオリズムとの関係は何かあるのかしら、と思いつつ。

8時45分頃に妹が部屋にやってきた。
本日は大学のHPで妹の合格発表が9時になってたからPCを使いに。

見られたくないんで私に出てけと言う妹。
……ここは私の部屋なんだけども。

そう思ったら母が来たんで、「母さんがいるなら私も」って粘る。

妹が「人の不幸は蜜の味?」と言うんで、
「“悲しみは半分に、喜びは2倍に”、って言うじゃん」と私。
これって誰かさんの好きな言葉だったなと内心で意識しつつ。

「えー、喜びが2分の1だ。いや、(母がいるから)3分の1?」と妹。
やがて、弟もやってきたんで思わず言ってしまった言葉。
「あ、4分の1になったぞー、へっへっへ♪」
こーゆーこと言うから嫌われるんだろうな、とわかりつつ言ってしまう私(^_^;)

まぁ弟は、「どうせ自分の部屋にいても声でわかるから」と戻ってった。
うむ、根はいい奴だ(たぶん)。

そ・し・て。
9時になっても、最初は回線が混み合ってたのかなかなか表示されなかった。
いざ、番号が羅列された画像が表示され始めると……少しは私も緊張。
こういう時、エアーエッジだと表示が遅くてドキドキ感も倍増?

数瞬の後、無事に妹の番号を発見☆☆☆

その後、妹は学校に報告に出かけ、母は銀行に家賃の振込みに出かけた。
私はご飯の後に、軽くお風呂に入ることにした。

そしたらここでも眠くなりかけた……。
母に洗濯物を頼まれてたけど、それどころじゃなくて再び布団でばたんきゅう。
こんなんじゃダメだなとわかっちゃいるんだけど。

お昼は母がイオンで買ってきたたこ焼き。
昨日、私がいない間にアピタのくくるのを食べられたから、
「何がいい?」と訊かれた時にリクエストしてみた。

弟と妹にも残しとくのか尋ねたら、肯定された。
「昨日、それを言っといて欲しかったなぁ」
「あんたは可愛くないから、って?(笑)」
「母さんが可愛くないって言っても……と今ちょっと頭の中で思ったけど」
「彼が言ってくれるからいい、って?(笑) で、言ってくれるの?」
「こっちの予想以上に言ってくれるんで、どうしようか困る時もあるけどね」

たまにはこれくらい母さんにも惚気とくか、と何となく思いつつ。

「あんたにはその分、アイスを買ってきたげたがね」
安売りしてたらしく、ハーゲンダッツのストロベリーが1個。
普通は262円で売ってるけど、200円切ってたんだそうで。
ちなみに、私の大好物♪♪♪
喜んで、1人で全部食べ切ってやりました。ふふふ☆


私は14時に刈谷の矯正歯科に。
上下とも、ワイヤーを1段階強化版に交換。
また痛みが出てくるのかなぁ……。

早めに着いたのと、早く終わったのとで、この時間なら休まずに
普通にバイト行けたじゃん、と思ったけどまぁいっか。

次は4月6日木曜。まだこの日は家から通うのか。
栄に同じ系列の病院があるけど、母は刈谷まで来いと言う。
自分も経過を見たいし、お金を出してるのは母さんだから、と。

場合によっては母が車で送り迎えをしてくれるらしいけど、
電車だったら結構交通費がかかるんだよなぁ……うぅ。

それから、思いつきで金山のダイエーに行ってみた。
この前買ったニットがほぼ半額になってたけど、あの時欲しかったしな。

春物の上着が990円でセールをやってたんであーでもない、こーでもないと見てた。
サイズが合わなかったり、気に入らなかったり。最終的に1点だけ買ってみた。
引っ越したら、交通費をかけずには服を買えなくなっちゃうのかなぁ。

それからパンを買って、金山駅に戻ろうとした。
もうここにこんな時間には来られないのかなぁ、と思ったらちょっと悲しくなった。

高校入学以来8年に渡って続いた電車通学・通勤は大変なこともあったけど、
いざなくなってしまうと思うと、意外に愛着が深かったことに気付かされる。
まだ今日は違うけど、「見納め」という言葉を最近時々思う。
大学卒業の時よりも、もしかしたら感傷的なのかもしれない。

得るものと失うもの。光と影。不可分で紙一重のものたち。
微妙に情緒不安定なのか、そんなことについて考えてた。
精神が安定してればあまり考えないで済むことだけれど、
拘り始めると抜け出せない、私にとっての泥沼のようなもの。

帰ってきてから、洗濯物干しをようやく手伝った。
今日は3回くらいやってたのかしら。5人家族で溜め込むと大変だな……。

土日にアパートに行ってベランダに出た時、私の部屋がよく見えるなぁと思ってたけど。
母は、引っ越したら下着は室内に干しなさい、と言う。
私がその言葉に何を思ったかは……伏せた方が賢明かしら。

そういえば、合格がわかった妹が朝起きなくなると、母も遅いのか?
と思って尋ねてみた。尋ねた理由を訊かれて、「私の朝食の準備が」、
と言ったけど、それは自分で何とかなるし、本当は別にどうでも良い。

問題は、モーニングコールの内容を聞かれたら困るかなー、ってことで。
母は隣の部屋で寝てるんで、声が伝わってしまうんじゃないか、と。
料理とか洗濯とか、家事の話題は避けないとダメかしら。あぁ面倒。

さっさと自由になりたいものだけど……でも完全な自由ではないんだろうな。はぁ。


2006年03月06日(月) 虫は起きても私は眠い

本日は「啓蟄」で、冬眠してた虫が起き出す日らしいのだけど。

2時半過ぎまで起きてたのがやっぱりマズったな……。
いろんなことを書いてるとあっという間に時間が過ぎる。

もっと早くアウトプットできたら便利かな。
思ったことが片っ端から文章になっていくとか。
でも、公開したくないことまで書かれたら後悔するかな(なんてね)。

仕事でも2度、眠たいピークが来た。
10時半前後と14時半前後。ま、まぶたが重たい……。
「今日は眠そうだね」とも人に言われてしまったし。

新着図書の装備をやってると、たまに「どうしてこれが大学図書館に?」
と思うような本にいち早く(?)遭遇することができる。
順序で行くと目録の作業をしてる人たちの次、くらいなのかな。

今日は「千と千尋の神隠し」の中国語版。
留学生コーナー用だったけど。

うちの図書館は文庫・新書以外は基本的にはカバーを取っちゃうんだけど、
これは捨てるのが勿体無かったんで、つけとくことにしといた。
全体をビニールで覆うのは手間なんで、カバーの端だけテープで止めた。

カバーをつけるかどうかを決める権限は、装備を担当する人が持ってる、のかな。
良くも悪くも、誰がどの本をやるかによって変わってきてしまう。

お昼は15分だけ、机に突っ伏して眠った。
どうせそのまま行っても寝ちゃいそうな気がして、組合には遅刻した。
来週辺りは私が議事録係かなぁ。ああ面倒……、と思いつつ。

14時半過ぎから蔵書点検。
先週の続きの311〜。午前中に掛長が少しやってて、私がその続き。

そういやこの前ちらりと話題になって思い出したけど、数年前までは、
2月の終わりの方で1週間くらい図書館を閉めて、その間に
蔵書点検をやってたんだよなぁ。
今はその期間をなくして、普通の開館日にやってるけど。

そして、まだあの腹立たしい出来事から1週間なんだなぁ。
もっといっぱい時間が経ったような気がしてた。
とりあえず今日はズボンだったけど、やっぱり多少警戒してしまう。

今朝は雨が降ってたけど、帰りにはすっかりやんでた。
買い物に出かけなきゃ思いながらも眠くて、ちょっとうたた寝を30分ほどzzz。
全部作り終えて、伝言を残して気付いたら20時になってしまった。
洗いものは少し途中だったけど、今日は帰ることに。

帰ってきても何か眠くて、blogや日記を書こうと思いながら、
PCを机の上でひらきっぱなしにしたまま、食後は布団の中でウトウト。

23時半過ぎに携帯の音に起こされて、半分くらい眠った頭でメールを送る。

ていうか、返事を送ったらぱたり。
音が鳴ってむくっ。

……これを何度か繰り返してた私は偉いのか怠け者かどっちだろう(^_^;)


2006年03月05日(日) 想像と現実

今日は私が少しばかり力尽きてた。
日記とblogが寝る前には書けなかったな……。

朝は市の図書館に寄った。
ここに来るのも、あと4回くらい、なのかなぁ……?

母が父のことで愚痴ってた。
今日は、あろうことか祖母のところではなく、岐阜の親戚のところに
(私は会ったことのない、よく知らない人)行こうとしてたんだそうで。
「自分の親とどっちが大切なんだろうね」とは母談。まったくだな。
祖父が父が3歳になる前に亡くなった後、女で一つで育ててくれた人なのに。

他に、母が妹の下宿先ばかり気にしてて、弟のことを何一つ言わないのを、
何とも思ってないのはどうなんだろうね、とも言ってた。

父は弟がミスで受験資格を失ったことを知らされないまま、
前期の合格発表の日にただ「落ちた」とだけ伝えられる予定。
このことは私と弟と母だけの秘密。

父のことをとやかく言う私も、祖母の病状を知りながら見舞いに行かなかった、
という点については同類かしら。親と祖母という違いはあれど。

このまま祖母を失ったら私はどうなるんだろう、と想像してみる。
でも想像は所詮、想像に過ぎないんだよな、ということを思った。
祖母の場合でも、想像してた以上にショックを受けるんだろうか。
私にとっての祖母って何なんだろう、とふと考えてしまった。

父に関しては、「あの人に何かを期待するだけ無駄だね」というようなことを、
確か母に言った気がする。とてもキツイ言葉だけれど、それが私の本音。

今の父には、最低限の(仕事をして生活費を稼ぐ等の)こと以上に何かを
求めようとは思ってないというか、思わないのが身のためというか。

「あの人は、子供のことより自分の都合の方が大事なんだ」
今までに、何度そう思わされたかしれないから。

そんな感情しか持てないでいても一緒に暮らしているのは、
ひとえに血がつながった父と娘、たる所以なのかなぁ。
まぁ子供の側の経済力のなさ、もあるんだろうけど。

昨日、グリーンベルトの横を歩いてる時にキャッチボールをした人を見かけて、
「昔は小学校の時くらい?までお父さんと休みの日にやってたんだけどね」
という話をYu君にした。昔は、父のことを「好き」とまでは言えなくても、
ここまで関係が悪くはなかったのに。

中2のある時点以降から、どんどん悪化の道を辿って今に至るのかなぁ。
父が自ら、私の信頼をぶち壊した事件以降。

今日の昼食はラシックの「エビフライ食堂 まるは」。
エビフライが、何と1匹420円もする。贅沢だなぁ。
まぁその値段に見合うボリュームと味ではあったなー。

その後は、旭屋書店と丸善をふらふらと。
丸善でネックレススタンドを見かけて「いいなぁ」と思った。

今はひっかけてるのがあるけど、数が足りなくて1箇所に幾つか下げてるのが
気になってて、「もう1つこんなのがあってもいいかな、でも……」。

でも、高かった。
2種類あって、高さが高い方が長いネックレスでも良いかなぁと思ったけど、
ちょっと3360円は出せないし。うーん……。と一人考え込んでたら、
気付いたら同行者は文具売り場を物色中だった(^_^;)

それから地下のキハチでアイスを食べて、私は16時からバイト。

今日は一度に参考書を32冊買った人がいて大変だったな。
37000円くらいしたんだっけ。すごいなぁと思いながらレジを売ってた。

聞いた話によると、先週は春日井で雪が降ったらしい。
何か信じられなかったけど……そんなに寒かったっけ?

今日は2度、地下鉄の車内でリクルートの中吊り広告を見かけた。
去年も見かけたんで、あー、1年が経ったんだなぁと思った。

あの頃に想像してた1年後と、現実はやっぱりかなり違う。
来年の今頃は、私はどうしてるんだろうな……?


2006年03月04日(土) 久々なことたち。

怖い夢を見て目が覚めた6時半。

男の人が女の人を次々に殴ってボコボコにしていく、
っていう設定が我ながら謎だけど(何の深層心理?)。
私はそれを目撃してしまった……のかな。

目が覚めて、しばらくドキドキしてた。
もう少し眠っていようとは思ったけど、「今日は早く出かけよう」と思った。

……と思ったら母に「階段に掃除機をかけてきなさい」と言われ、
あんまり印象を悪くするのも悪いかと思ったんで引き受けた。
それから出かけた。

少しだけコンビニに寄ったら、どうもお釣りが少ない気がした。
その場じゃなくて、店を出て気付いたんで、どうしようもなかった。
帰宅後に出納帳と付き合わせると、やっぱり100円少ない。

悔しく思ったけど、自分もレジで今までに何万人(1日のバイトで200人計算で)かに
対応したけど、一体何度、お釣りを間違えたんだろな、と思ってしまった。

到着したら、かなりすごい状態で力尽きてる御仁を発見。
「一人暮らしも大変だな」ということを思った後に、
「それでもやれないことはないんだな」ということを思った。

もし私が同様のことをやったら(似たことはたまにやらかす)、
母が「そんなんじゃ一人暮らしなんて」というのが目に浮かんだ。

昼食は久しぶりに北部に行って食べた。
書籍で一人暮らし生活についてのムックを買ってみた。
昨日、バイトの時にそういう本があるのをレジで知って、
でも何種類かあって帰る間際のわずかな時間じゃ選べなかった。
今日はぱらぱらと見て、比較して決めてみた。

13時から私は文学部の237講義室での講演会に行った。
以前にちらりと書いた、指導教官の先生の源氏物語についての講演会。
3人の先生が、「源氏・賢治・ジュリエット」のテーマで話してた。

本当は今日はYu君は東京のセミナーに1泊2日で行く予定だったけど、
体力的にそれは無理、ってことで取りやめてた。

2日間会えなかったら、私にとってはきつかったんで、
東京に行けなかったのは同情しながらも、助かりはしたなと思った。

恥ずかしがりやの御仁(笑)は文学部には来ないで図書館で勉強。
卒業式以来で237講義室に入ってみたら、研究室の友人2人を発見!!
同じ教材関係の出版社に就職した2人。卒業式以来だなぁ。
空いてたんで、隣の席をゲット☆

源氏の話は、基本的には授業で聞いたことだった。
やっぱり楽しかったけど、ほぼ1年ぶりに教室に入って、
卒業式のことをいろいろ思い出してしまってた。
その後の展開にドキドキしながらも、講義室では何もしなかったっけ、とか。

今回の講演会で驚いたのは、ジュリエットは13歳だったってことかな。
もっと年だと思ってたなぁ。

前半が終わって休憩になった15時に出てきた(それでも25分の延長)。
一緒に出てきた友人に、非常勤に決まったことと、引っ越すことは話した。
彼女たちはそのまま帰るそうで、私は文学部前でお別れ。

私も試験勉強をしようと思ったけど、問題集と解答が別々だってことを
すっかり忘れてて、答えを持ってくるのを忘れた……(痛

書架で図書館関係の010の辺りに行ってみると、007.64の辺りがごちゃごちゃ。
気になってついあちこちを直してしまった……。

ページの取れた本を見つけて、帰り際にカウンターに持ってったし。
ああ職業病だな……。

16時過ぎに出てきて、地下鉄で本山のミスドに。
Yu君の自転車は一度自転車屋さんに持っていかないと使えないけど、
このところ金土日が休みになってて使えない。

それから食料品の買い物をして、戻る途中……「あ!!」と気付いた。
さっき書籍で買った本がないじゃんか。……講義室だな。

アパートに戻ってから慌てて自転車を飛ばしたら、無事に発見。
講演会は終わって後片付けをしてる最中だった。

母から電話がかかってきてるのをみてかけ直した。
祖母が入院したということを聞いた。
「あぁ、またか」ということしかこの時は思わなかった。
7月で88になる祖母は今は特養にいて、年に1〜2度、体調を崩すと入院するし。

夕食を作って食べて帰ってきたら、母から私だけに話をされた。
祖母は急性膵炎で急変の可能性がある、と。

明日はいろいろと用事があるので見送るけど、近々妹たちとお見舞いかなぁ。
まだ弟と妹には急変の可能性については話してないらしい。

人生って何なんだろうな。なんてね。


2006年03月03日(金) ひな祭り、か

最後に雛人形を出したのはいつのことやら(遠い目)。
中学生か、小学生か、って感じなのかなぁ。

友人の1人は、今でも毎年人形だけは出してるんだそうで(すごいなぁ)。
我が家では私の部屋の押入れに眠ってるんだっけか。

何か以前に1ヶ月以上出しっぱなしにしてたことがある気がするけど、
果たして私はお嫁に行けるんでせうか……?(誰に訊いてるんだか謎)

「結婚したらまたいいのを買えばいいんだから、今は古いので済ませとき」
母は一人暮らしの家電について、そんなことを言うのだけど。
……先のことは未定デスヨ?

昨夜は力尽きて寝てしまい、夜中に何度か目を覚ましたけれど起きられず。
最終的に4時半くらいに電気を消したのかな……?

私は起きなきゃという意識があるとどうも深い眠りにはつけないらしく、
その後も何度か浅い眠りを繰り返したのに布団から出られなかった。
結局11時くらいまで布団の中にいてしまった。ああ。

起きてから「あ、メイク……」と気付いた。
昨日は軽くメイクをしてたのに、落とさないまま寝てしまった(-_-;)

更にコンタクトは24時間以上つけっぱなしにしちゃったな……。
これはわかってたんだけど、起きられなかった。
洗浄液で洗ってたら……右目の方が割れてしまったΣ( ̄□ ̄;)

これって、乾燥しすぎたから?
私の使い捨てのソフトコンタクトレンズは外して10数分放置すると
硬くなってきて、一晩も放置すれば触るとぱりっ、と崩れてしまう。
あー、まだ5日目だったのに……(2週間用)。

昨日はお風呂に入り損ねたんで、朝食後にシャワーを浴びた。
出た直後に電話が鳴り始めて、「もしや欠員の連絡」?と焦る。
この状態でリビングの電話のところまで行ったらあちこち
水浸しになっちゃうし、出るのは無理ー!!

今は家には2階に弟しかいないけど、出てくれるだろうか?
11回のコールの後に音が鳴り止んだ。

しばらくして弟が下りてきたんで「電話、出たの?」と尋ねたら、
父からだったそうで。……ちっ、大学からじゃなかったのか(八つ当たり)。

「シャワーするならそう言っとけよ」と弟に言われた。
言おうかと思ったけど「まぁいっか」と言わなかったら電話が、か。
得てして、物事は油断した時に限って起こるんだよなぁ。

16時からバイトに。
今日は新しい人が来てた。
でも私がいるのは今月限りだなー。話す機会はあるのかしら。

帰りの電車で、途中から妹を見つけた。
妹はほぼ毎日、学校のそばの施設(鶏頭君のバイト先)で勉強してきてる。

割といつも決まった時間の電車にいるんで、今日もいるかなー?
と思ったけど見当たらなかったんで、電車の時刻を書いて「同じ?」と
メールしてみたら、「うん」と返事が返ってきたんで、きょろきょろ……あ。

何となく、名前を呼んで振り向かせたい気がしたけど、それを実行したら、
妹の「姉ちゃん嫌い度」が10%増加するのが目に見えたんで代わりに
「一番前の席にいるよん。エミはっけーん☆」と送った。

まぁこれでも5%くらいは増加したのかもだけど。
たまに、妹が怒るとわかってることをやらかしてしまうダメな姉だな。
好きな人にはイジワルしたくなるという心理?(たぶん違

姉妹だからいいとして、これって一歩間違えたら文面がストーカーっぽい?
なんてことを自分で考えてしまった(^_^;)

夕食は散らし寿司と蛤のお吸い物。
そういえばお吸い物ってどうやって作ってるんだろう。
今度、味付けを聞いてみたいなー。

ふと、今までの3月3日の日記を読み返してたら、2002年のに「へぇ」と思った。

「その(結婚の)相手は……できるんかしら。まず好きな人を探さないと。
嫌いな人と一つ屋根の下で暮らしてても苦痛でしょうがないだろうし。」

嫌いな人、ねぇ。
ここ3日連続、夜に母と父が言い争いをしてて気が滅入る……。
今の我が家はいろんな意味で苦痛だと思う。

「本当に、弟と妹の受験が終わったらYu君のことを父さんに言うの?」とか、
「別に言わんくってもいいんじゃないかと思うんだけどなぁ」とか母に言ったら、
「何言っとるの!!(怒)」と怒られてしまった……。

仲がよろしくないくせに、変な(と私は思う)とこで筋だけは通さないと、
という母が私にはどうも理解できない。

父には私の一切に干渉されたくない、ってのが本音なんだけどな。

一番好きな人と、一番嫌いな人が同時に目の前にいたら、
私は笑顔になるのか不機嫌な顔になるのか、どっちだろう……。

いつかやってくる(のかどうか知らないけど)日のことを考えて、
ブルーになってしまうのは、どうすれば良いのやら。


2006年03月02日(木) 2度目の登山

11月にMK2☆のblogで話が持ち上がった「マウンテンの会」(笑)
それが本日決行されました〜♪(ぱちぱち☆)

待ち合わせは10時半に地下鉄のいりなか駅。
地図を見て、「八事日赤病院北」の交差点で右折するつもりが、
気付いたら八事のジャスコが見えるところまで来てしまった……(-_-;)

今までに杁中方面に行く時はいつもこっちの道で行ってしまってたのと、
信号は4方向に地名の案内がついているわけじゃなかったから、かな……?
(でも病院の前を過ぎた時に気付くべきだったな、私)

杁中方面に来るのはいつ以来だろう?
記憶にひっかかったのは一昨年の8月だけど、それ以後も来たっけ?
何かあの日々がものすごく遠い気がしたなー(やや感傷的に)。
道はやっぱり、坂を越え谷を越え、って感じだった。

遠回りの道を選んでしまったけど、何とか10分前に到着。

最初は誰もいなくて、次に到着したのはMK2☆。
それから10分遅れでDRとIばっちが同じ電車で到着。

MK2☆とDRは去年の7月の万博以来で、Iばっちは……えぇっと?
たぶん、一昨年の夏に名大前で、かな。

「DR、何かお嬢になってる!?」というのが私の感想(笑)
Iばっちは相変わらず白くてふわふわしてて何より(笑)

「美和っし地図まで持ってきてるの?」と驚かれながらも(笑)、
→だって久しぶりだったんで自信がなかったんだよ〜(汗)
無事にマウンテンに到着した私たち。

ちなみにこのメンバーの私の呼び方は基本は「みわし」?
初期は「美和ちゃん」だったのだけど、高校の時にいつの間にか。
それをアレンジして「みわっ☆C〜」にしてしまったのはMK2☆だけど(笑)

マウンテンでの様子の詳細は下のページをどうぞ。
http://messouvenir.seesaa.net/article/14060011.html

何かMK2☆とDRは相変わらずのノリで良いなぁと思った。
でも「変わらないもの」にほっとしてしまう、っていうのは年なのかしら。

私は午後から仕事なんで、12時半頃に八事日赤のところで3人とは別れた。
また一緒に遊びに行きたいものです。

仕事は眠いというか疲れたというか。
食べすぎ(少し苦しかった……)と、週半ばと、なのかなぁ。
あ、坂ばっかりの自転車も結構大きかったのかもしれない。
布団に横になりたい気分がひしひしとしててた。

(まだ続きがあるのだけど、それはまた後で)

疲れてる時って割と「会いたいなぁ」という気持ちが強くなる気がする。
でも現状だと会えるのはそういう状態から数日経ってから、のことが多い。
早く4月にならないかなぁ、と強く思う。

仕事後は、自転車でひとっ走りして本山のミニミニに。
今日庶務で受け取った、在職証明書を出してきた。
原本じゃないといけないのかと思ってたらコピーされた。へぇ。

この前の人は店長さんだったらしい。
最初はその人がいなくて、電話で呼び出される時にわかった。
「店長、●●●(アパート名)のお客さまが……」と言われてたんで。

大学に戻ってきたら17:20くらい。おぉ、いい感じ。
地下鉄だと10分間隔でしか出ないから、自転車を使って正解だったな。

図書館の前に何故かピザハットのバイクが停まってて、
「???」と思いながら入ってった。

それから、今年度で他大学に異動が決まったI先生の講演会に行った。
場所は図書館5階の研修室。よく組合の集まりで使われる小さな部屋。
先生も組合員だったから、ここを使ったのかな。

I先生は私が4年の後期に大学院生向けの図書館情報学を開講してて、
学部生でありながら、興味があって行ってみたらば受講者は、
何と東洋史のM1の男性1人だったという……。

それでも、内容が面白かったんで半年間ずっと受け続けた。
課題についてメールでやりとりすることも何度かあって、
おかげでI先生とはかなり気軽に話せる(大学の先生で1番親しい……?)。

今日のテーマは「図書館の明るい未来に向けて」だったかな。
「話してて明るくなるかどうかというと、なんとも言えませんが(笑)」
と先生は言われてたけど(笑)

基本的には組合員(?)の人が20人ばかり集まってた。
うちの掛からは、私より2つ上のKさんが来てた。
奇遇にも、彼女も学生時代(名大ではない)にI先生に教わったんだそうで。

いつもなら本当は仕事なのだけど(仕事の後に仕事ですごいなー)、
先生の話を聞けるのもこれが最後、ってことで今日は曜日を
変えてもらって出席したらしい。

さっきのピザはここで出された。わぉ。
他にもジュースや赤ワインや(!!)お菓子とかいろいろ。
食事が出るとは知らなかったんでちょっとびっくり。

一昨年の授業で聞いた内容がそのまま出たり、初めて聞いた話も出たり。
食べつつ聞きつつ、いろいろ楽しかったなー。
気付いたらおなかいっぱい。

当初は19時までの予定だったけど、終わったのは20分後。
時々携帯を見てたら「途中で帰ってもいいんだよ」と言われたけど、
最後まで聞きたかったんで、時間を気にしながらも居続けた。

先生の話自体も理由のひとつではあったけれど、実はもう1つ理由も。
最後までいたら、きっと余ったものを頂けるんではないかという目論見(笑)

予想は当たって、お菓子が結構大量に余った。
幾らかは、うちの掛のおやつ用にまわされたけど、個人的に持ち帰りも可だった。

少しだけそれをもらって、急いで出てきた。
今日は仕事前も仕事後も時間がとれなくて料理はできなかったけど、
寄るだけは寄ってみた。やっぱりこの近さって良いなぁ。

そしてギリギリ、20:08の電車で帰った。
何がギリギリかというと、21時前に家に到着できるという意味でギリギリ。

21時前に帰れば、大抵は母は気にしないから、っていうのと、
今日は「白夜行」を観たかったので。

観終わって自室に戻ってきて、PCにつないだのはいいけど、何か疲れが……。
ざっといろんなサイトをまわることはしたけど、自分が何かを書く気力がなく。

何か連絡があるかしらと思って一応23時半過ぎくらいまでは起きてたけど、
この日は何もないまま、気付いたら布団の上で力尽きて寝てしまった……。


2006年03月01日(水) 弥生朔日

3月の始まりですね。
カレンダーとしては2月と(28日までは)(閏年でなければ)同じだけど。

職場に着いたら、意外な回覧が回ってきた。
バレンタイン前と同じように、ホワイトデーの商品のカタログ。
女性向け、ってなってた。……何故(男性向けじゃなくて)?
今回はまぁいいか、って何も頼まないで次に回した。

蔵書点検ではないし場所も階が違ったけれど、書架で作業をしに行く時は少し警戒。
まさかとは思うけど……(月曜日の)奴はいないよな?と。
もしどこかで見かけて気付いたとしても、証拠が何もないのが悔しい。

作業をしてたら、掛長と庶務のYさんがやってきた。
Yさんが持ってきた、書類のための書類を書いた。
在職証明書のための申請書。

お昼に携帯を見たら、昨日と同じ番号から11:50に着信アリ。
かけ直してみたら、やっぱり金沢大学の人事の人だった。
こっちも遠方を理由に面接はお断りしてしまった。

一応、以前に提出した書類で勤務先は愛知県内を希望とは書いてたけど、
名簿に載ってる人には全員連絡をとってる、ってことなのかなぁ。

お昼はKKちゃんと2人で食べてから、組合でやってるバザーを見に行った。
ざっと見た感じそれほど欲しいものはなかったけど、半分義理で写真立てを購入。
まぁまぁいい感じだったし、100円だったし、新居に飾るのに良いかも☆と。

後で隣の掛の人に「新居にどう?」と急須のセットを薦められた。
あれ、私からはこの人には何も言ってないのに……もう伝わってる?

この後、カウンターにいた掛長に、2件の電話のことを報告した。
「え、受けなかったの?でもそれだとなかなか……」
「えぇ、機会が狭まるのはわかってるんですが、遠いんでちょっと……」
「とりあえず、こちらには遠慮しなくていいから、その代わり、
 決まったらすぐに連絡ください。こちらも迅速に対処しますので」
「はい、わかりました、ありがとうございました〜」

そんな感じで話をしてたのかな。
まだ欠員の有無は何もわからないけど、「遠慮はしなくていい」と
はっきり言われたのは嬉しかった。

午後の仕事中、先程の隣の掛の人に言われた言葉。
「断っちゃったんだって?勿体無いことしたねぇ」。

一瞬、何故それを知ってるんだと思ったけど、すぐに訊き返した。
「*さんから聞いたんですか?」と。当たってた。

掛長は言うような人じゃないし、他に言ったのは*さんだけだったから。
前に「*さんにはあまりプライベートなことは話さない方がいいよ」と
別の人に言われた忠告が頭の中でしばらく点滅した。

うーん、どうしようと思いつつ、今は「まぁいいか」と思ってる。
*さんは今一番私と仕事がかぶってる人でもあるけれど、
母と同世代で、娘(もう結婚して去年お孫さんが生まれたらしい)を持つ、
っていう意味で時々相談したくなる人だし。
職場の人なら、知られてもさほど困ることはない……と思うし。

ただ、あちらを立てるとこちらが立たない……のかなぁ。
それはどうしようかなと思案してるところ。

そして、話を持ってきた人は「勿体無い」の後に、こんなことを言われた。
「断っちゃったものは仕方がないけど静岡でも金沢でも、
 受けるだけ受けてみればいいのに。
 いざとなったら“結婚するんで”、って言っておけばかなり優先して
 異動させてもらえるんだから」

そう言ってその人は、何組かの職員さんの名前を挙げてたけど。
……そんなもんなのか?真偽のほどは定かではない。

ただ。それでもやっぱり私は県外には行きたくない。
こっちに戻ってくるのを前提として、他のところで働くのは気が進まない。

まぁでも何よりも大きいのは、恋人と離れたくない、って感情かな。
今の週1〜2、っていうのでも時々足りないと思ってて、そこに、
4月からはほとんど毎日会える、っていう状況が整いかけた。

なのに、いきなり「更に遠くに」?……無理。
給料が増えたとしても、私の心が満たされないのが目に見える。
1年であろうと、半年であろうと県外に行くのは嫌だ。
駄々っ子かもしれないけど、私の人生なんだし、私が決めて何が悪い?
勿体無くても、バカだと言われても、これだけは譲るつもりはない。

……ということを今日思った。


在職証明書は今日は整わなかった。
ちょうど庶務の人が事務室に来た時に訊いたら、「まだ」との返事が。
「ちょっとドタバタしてて決裁が下りなくて……もしどうしても今日必要なら、
今から急いで間に合わせるんですが」と言われた16時半過ぎ。

「まぁ今日はこの雨ですし、明日でいいですよ」と返答した。
行くなら自転車だけど、雨がかなり降ってたんで面倒だなー、
まぁ期限は言われてないし明日ということで良いか、と。


仕事後に、頼まれたノートを買いに北部購買に寄ってから夕食作り。
本日は、小籠包と白菜とお味噌汁(ジャガイモ・タマネギ・大根・ネギ)。
月曜のうちに買い揃えておいて正解だったな。

小籠包は、電子レンジで温めるだけのもの。
それに茹でた白菜(本当は蒸した方がいいのか……?)を添えてみた。
白菜が添えられてると、ちょっと本格的っぽい?(笑)

2週間前に買った白菜を丸々1個使い切るのってなかなか大変だなぁ、
と思いながら、残り物消化作戦を遂行中☆

今は同じ日に買った小松菜をどうしようかなぁ、と思案してるところ。
主婦っぽく、冷蔵庫の中身も見ながら日々の献立を考え中♪
食事に関しては一人暮らしでもあまり心配はしてない……かな。


帰ってから、驚きの出来事が。
「ルゥが近くに住むことについて、向こうのご両親はどう思われるかなぁ」
と今朝方、母が言ってたことを伝えといたら、早速直接尋ねたそうで。

別に反対されることはないだろうとは(私は)思ってた。
母みたいな考え方はまずしないというのはわかってたし、
近いこともまぁ別に特に気にはされないだろうな、とも予想してた。

そしたら気にされないどころか、大歓迎されたらしい……!!
さすがにそこまでは私も読めなくて、すごく驚いたなぁ。
でもやっぱりとても嬉しかったな〜♪♪♪

そんなワケで、後は開始まで一直線!!を目指したいものです。ふふふ☆

明日のお昼は一昨年の6月以来の登山計画が発動する模様。
うちの大学では名高い(?)、アノ“山”です。
またおそらくblogの方で写真付きでご報告するので、乞うご期待(o^-')b


ルゥ| pastwillMAIL