2011年10月29日(土)  「日常はドラマの宝庫」三原台中学校講演

母校の堺市立三原台中学校で「日常はドラマの宝庫」と題して講演。両親とたまと30分前に到着すると、授業参観の最中だった。正門脇には講演の看板。そこを抜けると体育館。


正門と体育館の間のスロープを下ると、校舎。驚くほど変わっていないが、年はとったなと感じる。中学校が出来たのは、わたしが生まれた翌年、昭和46年だという。


玄関で一年のときの担任だった吉田恵子先生と、理科の武田先生と再会。吉田先生はわたしに多大な影響を与えてくれた恩師。今日の講演をぜひ聞いてもらいたくて、教頭先生から連絡を取ってもらったのだった。吉田先生も武田先生もわたしが脚本を書いていることを知らずに「てっぱん」を観ておられたそうで、同じくてっぱんファンという武田先生のお嬢さんも来てくださった。

校長室に顔を出した後、受付中の会場へ。「ビターシュガー」の葉書を配っていただく。先日の三国丘高校での講演は生徒向けのセミナーで、今日は父兄と地域の方向け。わたしの同級生たちは若いほうで、その親世代の方の姿が目立つ。何年ぶりかに会う同級生や、誰々ちゃんのお母さんらと次々挨拶を交わす。

妹の同級生で、『ブレーン・ストーミング・ティーン』の点字訳を完成させたばかりのおーちゃんが、本を持って来てくれた。ちょうどブレストの話をするので、講演の間借りることに。

PTA会長さんの挨拶に続いて、11時前に講演開始。小説『ブレーン・ストーミング・ティーン』に登場する三人の大人をわたしの出身小学校、中学校、高校から高倉さん、三原さん、三国さんと名づけた話で、笑いを取り、滑り出しは上々。


ドラマでは佐藤藍子さんが演じた三原さんの台詞、「宝物はあなたの中にある。それを宝の山にするのも、宝の持ちぐされにするのも、あなた次第」から今日の講演タイトル「日常はドラマの宝庫」をつけたと話し、「脚本家はつなげるのが仕事」「では具体的にどうつなげてきたか」とこれまでの作品がどう生まれ、次の仕事にどうつながったかを話す。


「つなげるというのは、ネタの引き出しを使いこなすこと」「では、その引き出しをどうふやすか?」ということで、「好奇心(何?)×想像力(なんで?)=感動(おもろい!)の法則」を紹介。この積み重ねがネタの蓄積になる。


「つなげる力は筋トレできる」ということで、おすすめしたのは「日記」をつけること。わたしが小学6年生の頃から中学3年ぐらいまでにつけた日記と交換日記約80冊の画像を披露し、中学一年生で最初につけた4月某日の日記の内容を紹介した。


掃除の時間、クラスの男の子X君に「お前、アニメーターになんかなられへん」と言われたことを根に持って大学ノート2ページにわたって恨みつらみを綴ったもの。実はアニメーターになりたいと卒業文集に書いたのは、わたしの隣の子だったのだけど「Xはわたしの夢が何であってもバカにするつもりだったのだ」と怒ること怒ること。感情はこんがらがってるのに、最後には「こんなことも、きっと、いつの日にか、よい思い出となるだろう」とまとめている。

なんだか面倒くさい中一女子なのだった。

その頃日記は担任の吉田先生に見てもらっていて、吉田先生からは「X君は今井さんに興味があるのですね」と楽天的な赤字コメントがあった。

講演では触れなかったが、わたしが9割5分書いて吉田先生が数行のコメントを返すアンバランス交換日記は、一学期の終わりに終わりを告げた。先生がわたしの日記を面白いよと他の先生方に見せたことに憤慨して、見せることをやめたらしい。

先生はその後何度も催促してくれたのだが、わたしは意地になって拒み続けた。

まったく、なんと融通のきかない中学生であったか。今のわたしなら、喜んで広めてもらうところなのに。

そんな吉田先生とのいざこざも、数十年経って日記(先生に見せなくなってからも続けていた)を読み返すまでは忘れていたのだけど、先生には謝っておきたくて、講演前に話したら「わたしは覚えていましたよ」。いつもう一度日記を見せてくれるかと待ち続けてくれた先生と、裏切り続けたわたし。でも、わたしの日記を楽しんでくれた先生のおかげで、わたしは書くことをやめなかった。

わたしと数十冊単位の交換日記をしたのんのんも聞きにきてくれていた。あの頃の不器用で悩んでばかりだった自分たちに、今日みたいな日が待ってることを教えてあげたいねと、講演の後、感想を交わした。

話を講演に戻して、6年前に開いた「高倉台小学校、三原台小学校、三原台中学校合同同窓会」の日の日記を最後に読み上げた。2005年10月30日(日)同窓会は最高のセンセイを今朝携帯メールに送っておいた。日記を何年もつけていると、同じ日付の日に似たような出来事が起きている偶然に気づくことがある。6年前の今日はプレ同窓会で6時間しゃべり、6年前の明日は同窓会本番だった。

中学校時代はとくに愛校心もなく、迷いと悩みの真っ只中にいたわたしだけど、あの同窓会で、同級生という宝物を見つけたのだった。

面白い人生、ドラマティックな人生は求めて手に出来るものではないけれど、今自分が生きている「人生を面白がる」ことはできる。その気持ちがあれば「日常はドラマの宝庫」になる。

質疑応答では、「英語の勉強のコツは?」「子どもを甘やかす今の子育てについてどう思うか?」「母校の名前を他の作品の登場人物につけたことは?」といった質問が出た。たまは講演の間わたしに抱きついたり、わたしの足元に寝そべったりで、これぞ甘やかしの悪しき例なのだけど、「叱ってくださる子育ての先輩がいらっしゃるのはありがたい」と答える。

地区の防犯担当の方が「三原の先生方がいかに一生懸命やってくださっているか、ぜひ知っていただきたい」と話され、会場から大きな拍手。マイクを奪ったたまが絶妙なタイミングで「ありがとうございます」。

今日の内容を聞いてまとめられた素晴らしいお礼の言葉と立派な花束を頂戴し、無事終了。聞いてくださった方々から感想をいただいている間に、吉田先生は姿を消していた。

校長室でPTA新聞と泉北コミュニティの取材を受ける間、たまはPTA役員さんの3歳の娘さんと仲良く遊び、校庭に出た後保健室で遊んでもらい、終始ご機嫌。
教頭先生が「取材は15分ほどで終わらせます」と事前に言われていたのだけど、そんな短時間に終わるはずはないので「時間はたっぷり取ってください」と伝えておいたが、気がつけば2時間経っていた。

同級生たちがお昼を食べているファミレスに3時前に合流。そこから6時過ぎまでサラダバーとドリンクバーで粘る。中学校時代はほとんどしゃべったことのない子もいて、それが面白い。

そろそろまた同窓会したいなあと言って別れた。

追伸。11/13に書いた漢字一文字日記。

〈母校・堺市立三原台中学校で「日常はドラマの宝庫」と題して講演した10/29を漢字一文字で表すと「宝」。同級生やその家族もたくさん聞きに来てくれ、悩みと戸惑いの中にあった中学時代が時を経て自分を支える宝物になったことを実感。〉

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