2011年10月28日(金)  30年前の日記

明日は母校の堺市立三原台中学校で講演。たまを連れ、5時間かけて東京から移動。新大阪からさらに1時間。「たまちゃん、なごやあたりにすみたかったよ」。わたしも帰省のたびにそう思う。

中学校に入学してから、来春で30年。昔つけてた日記帳が眠りダンボール箱を開ける。小学6年生のわたしも中学1年生のわたしも大学ノートにびっしりと書きつけていて、その量と熱に圧倒された。

変質者からのいたずら電話を取った後、ふるえながら書いた日記。恥ずかしさと悔しさと怒りと、なんでガツンと言い返さなかったんだという後悔。人生の酸いも甘いもわかってきた今のわたしなら、やり過ごすか、ネタにするような出来事を、十代前半のわたしは全身で受け止め、反芻し続ける。

今よりも昔のわたしのほうが喜怒哀楽が激しくて、不器用で、嫉妬深くて、ひねくれていて、暑苦しくて、面倒くさい子で、だからこそひとつの出来事について大学ノートの何ページにもわたって孤独な演説を続けている。

その引っ掛かりの強さと深さが、脚本家・今井雅子の土台を作ってくれたんだと思う。あの頃の、空回りな感情やエネルギーをノートにぶつけていたわたしが、今の地続きのわたしを助けてくれている。

日記は「脳みその出張所」だと思うのだけど、すっかり記憶から抜け落ちていたこともたくさん綴られていた。日記を読み返し、ああそんなことがあったなと思い返し、それを書き留めておいた自分をほめたくなり、やはり日記はつけるべしと思った。

結婚式の日の日記は書いていないけれど、そういうハレの日のことは時間が経っても覚えているものだし、列席者という脳みその出張所と答え合わせも出来る。でも、てのひらからこぼれ落ちる砂のような些細なこと、さざなみのような小さな感情の揺れは、書き留めておかないと時間に洗われてしまう。

そんなわけで、忘れないうちに日記を記す。

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