外国為替証拠金取引
JIROの独断的日記
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2003年05月30日(金) 「<副作用>市販用かぜ薬で間質性肺炎 厚生労働省」 大袈裟に騒ぐほどではない。

◆記事:
厚生労働省は30日、市販用かぜ薬を服用した計26人に間質性肺炎の副作用が生じたとして、似た成分を含む42品目のかぜ薬の使用上の注意の改訂を関係企業に指示し、空せきや発熱などの症状が悪化した場合は医師の診察を受けるよう呼び掛けた。対象品目には「パブロン」「ベンザブロック」など有名ブランドも含まれており、年間売上量は5100万箱、市販用かぜ薬全体の売上高の7割近くを占めるという。

 間質性肺炎は「間質」と呼ばれる肺胞の壁に炎症が起きるもので、放置すると肺全体に炎症が広がり、死亡することもある。同省によると、96年4月から今年4月までの7年間に、10〜80歳代の男性16人、女性10人について副作用の報告があった。一時入院した例はあったが、重症化したケースはないという。

 同省は(1)間質性肺炎は重篤な副作用(2)空せきや発熱などの初期症状が普通のかぜとよく似ている(3)対象となる薬は市販薬として広く服用されている――として、広く注意喚起することにした。

◆所感:
 原則的に副作用が無い薬は存在しない。インターネットにも「お薬110番」とか、「医薬品情報提供ホームページ」など、薬品に関する詳細なデータベースがある(検索すればすぐ見つかる)が、どの薬にも必ず「副作用」という項目があり、その中でも「重大な副作用」という箇所には肝機能障害とか、アナフィラキシーショック(顔面蒼白脈拍微弱、血圧下降、失神、チアノーゼ、無尿、呼吸困難など『命にかかわるような全身状態)とか、恐ろしい事が書いてある。

 しかし、こういうのは、ある薬を投与した患者に1件でも起きれば、製薬会社としては、免責のために、厚生省に報告するし、厚生省も監督不行届きだと云われたくないから、公に発表するのだ。

 それは、構わないけども、もう少し発表の仕方があると思う。つまり、確率でいったら、どれぐらいなのかを示すべきだと思うのだ。

 上の記事によれば、この風邪薬は年間5100万箱売れている。で、7年間で間質性肺炎になった人は、26人。大雑把に言って、1年当たり4人の割合である。確率は1000万分の1より、少し多いぐらい。

 因みに、去年1年間の交通事故死者数(24時間以内死亡)は8326人。日本の人口が1億2千7百万人だから、交通事故で死ぬ確率が1万6千分の1。

 ということは、風邪薬で間質性肺炎になる確率は、交通事故に遭って死ぬ確立の625分の1、ということになる。こう考えれば、いかに低い確率か、わかろうというものである。しかも、間質性肺炎で亡くなった人はいないのである。

 世の中には、医者に診てもらう事とか、薬を飲むことを病的といって良いぐらい毛嫌いする人がいる。こういう記事を読んだら、ますます、薬など金輪際飲むまい、と思ってしまうかもしれない。

 副作用よりも、このようにして、治療を受けるべきときに受けないで病気が悪化する方が、問題ではないかとおもう。

 また、自殺者は毎年3万人もいる。間質性肺炎どころか、交通事故の3倍もの人が自ら命を絶っているわけで、こちらは、一層深刻な問題だ。

 厚生労働省が医薬品の副作用を隠すよりは公開した方がいいだろうけれども、問題の優先順位を間違えないようにして欲しい。


2002年05月30日(木) ワールドカップもいいけどさ・・・・

2003年05月29日(木) 「独身主義、容認派増える=結婚観の変化くっきり−厚生労働省調査」そんなの、調査しなくたって分かるだろう。

◆記事:
「生涯独身だっていいじゃない」−。厚生労働省が28日公表した出生動向基本調査で、結婚に対する女性の意識の変化が明らかになった。国立社会保障.人口問題研究所は、1960年代生まれで少子化が進んだ背景の一つに、こうした結婚観の変化もあるとみている。

◆所感:
 いかにも役人がやりそうな、無駄な世論調査だ。「少子化が進んだ背景の一つに、こうした結婚観の変化もあるとみている。」って、そんなこと、誰だって想像がつく。

 で、「少子化対策の基本的視点」は「安心して子育てができるような様々な環境整備を進め、家庭や子育てに夢や希望を持つことができる社会にしようとするもの。」となっているのだが、こういうのを官僚的形式主義というのだ。

 これほど長期にわたって不況が長引き、将来に不安がある世の中で、家庭や子育てに希望を持てるわけがないでしょう。例え、いずれ景気が好転しても、結婚しない人はしないし、子供を作らない人はつくらないだろう。

 それよりも、既に結婚していて子供が欲しくても出来ない人をまず、考慮すべきである。不妊治療を行いたいが、保険が適用されないから、経済的な理由で諦めるケースが多い。体外受精なんていったら、すごい金が必要となる。まずそちらを改めるべきである。

 どうして、そういう当たり前のことがわからないのかなあ。役人ってのは。


2002年05月29日(水) 着メロを憎む

2003年05月28日(水) 不良債権を抱えた銀行だけが悪いのか? 債務者(お金を借りた人)には全然責任が無いの?

 りそな銀行は、公的資金が注入された事により、実質国有化された。りそな銀行の行員には、今年の夏も冬もボーナスが出ない上、給料を3割減らされるという。これに対して、世間はどう反応するか、殆ど、火を見るよりも明らかだったけれども、念のために、いろいろと、ネット上の掲示板などをのぞいてみた。

 案の定、「りそなに限らず、銀行員は無給料で働け!」とか、「銀行だけ、税金を使って救済するのはおかしい」とか、ありとあらゆる罵詈雑言が並んでいた。

 私は金融業界の人間ではないけれども、こういう感情的な世論には反発を覚える。

 まず、今のデフレ不況は、銀行の不良債権を処理しさえすれば、無くなるのか?という点が疑問である。不良債権があろうがなかろうが、本当に資金需要があれば、貸出金利はどんどん上昇していくはずである。

 そして、なにより、素朴な疑問として私の頭に浮かぶのは、不良「債権」といって、債権者である銀行だけが、悪者にされているが、「不良債務者」の責任は何故、問われないのか?ということである。

 不良債権とは銀行側から見た表現である。全ては相対的だ。反対から見れば、「銀行からおカネを借りているのに、返済しない人がいる」ということだろう。銀行がおカネを顧客に貸し出すのは、まぎれもなく金銭消費貸借契約であって、借りた人は期日に元金と金利を合わせた金額を返済する債務があるのだ。

 不良債権の金額が40兆円とかいわれている。それだけ、借りたおカネを返さない人(会社)がある。ということである。

 銀行は貸したおカネを回収できなくなれば、貸倒引当金を取り崩す。それが多額になったから、資本として積み立ててきたカネにも手をつけなければならなくなる。そして、自己資本比率が減少する。

 銀行が債権を顧客から強引に取り立てていれば、不良債権の金額は減っただろうが、その分、つぶれてしまう会社も多くなったはずだ。銀行からの借金を踏み倒したおかげで、今もつぶれないで済んでいる会社も沢山あるわけで、そんな会社の社員の中にも、きっと、理屈が良く分かっていなくて、「銀行は、けしからん」などと、平気で口にしている人もいるはずだ。それは、ひどいんじゃないか?

 とにかく、不況が長引いているので、誰か(銀行)を悪者に仕立てて、そいつに怒りをぶつけてしまおう、というのは、いかにも起こり得る大衆心理だけれども、物事を一面的に見てはいけない。いろいろな角度から考えなければいけない。


2003年05月27日(火) 「<曽我ひとみさん>朝日新聞がおわびの文書 曽我さんらは不満」当然だ。朝日社長が直接謝れ。

◆記事:
 拉致被害者の曽我ひとみさん(44)の北朝鮮にいる家族の住所を朝日新聞が掲載した問題で、同社は26日、曽我さんと家族会、救う会に対して、おわびの文書を提出した。曽我さんらが同社の調査結果の不明点などの公開を求めた社長あての書面への回答だが、曽我さんらは同日、内容などを不満として、前回と同じ趣旨の質問と曽我さんの取材拒否継続を伝える文書を再度社長あてに提出した。

 朝日新聞の回答は、松本正・広報宣伝本部長兼広報部長名。社外からの質問、要望などに答える部門の責任者として回答するとし、報道機関として公表できると判断したものは「(18日朝刊の)調査結果」として、すべて公表した、などとした。そのうえで、編集幹部が直接、曽我さんに会っておわびしたい、などと記している。

 これに対する曽我さんらの文書は、社長あての質問に松本氏が回答したことに不満を表明し、「質問に一切答えない不誠実きわまりないもの」としている。そのうえで、住所を盗み見した記者や原稿をチェックした新潟支局や本社デスクの名前、曽我さんの同意を得ずに掲載した理由など20日に出した7項目の不明点の公表や、曽我さんの共同会見への朝日新聞記者の参加拒否を継続する意向を伝えている

◆所感:
 新聞屋などというものは、自分では何も作り出しもしないで、人のやる事に文句をつける商売である。他人のやる事を批判する以上、新聞記者は高い倫理的・道義的基準を満たした行動をするべきである。

 それが、どうだ。朝日新聞は、自分で海中のサンゴに傷をつけて、写真を撮って、「破壊される自然環境」などという記事を紙面に載せた、大嘘つき新聞社である。しかも、それだけでは懲りなかった。

 朝日の不祥事なんて、多すぎて思い出せないが、つい今月も、女子高生に猥褻行為をはたらいて、捕まった記者がいた。

 以前、テレ朝のニュースステーションに出ていた、当時の朝日新聞編集委員は、実はとんでもない女好きで、変態行為を永年にわたりつづけていた事を、週刊誌にすっぱ抜かれて、姿を消した。碌でもない奴ばかりだ。

 今回、曾我さん達が激怒するのも無理はない。自分が日本に帰ることが出来たのは良かったけれども、帰国した拉致被害者は北朝鮮に家族を残したままである。子供を残してきて、半年以上も膠着状態が続いている。本当は、心配で気も狂わんばかりであろう。

 ただでさえ心配なのに、バカな朝日新聞が、また、とんでもない事をしでかした。そして、これだけの大失態を演じながら、最高責任者である社長は、曾我さんに名指しで質問されているのに、自ら応じようとしない。卑怯だ。早く出てきて、謝れ。


2003年05月26日(月) 「青少年のためのバッハ入門〜広くクラシックに興味を持つ聴衆も対象に」←おすすめ。

◆記事:
 6月23日に、バッハの演奏にかけて定評のあるバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)音楽監督:鈴木雅明が「青少年のためのバッハ入門」レクチャー・コンサートを開く。講師の鈴木雅明がバッハの様々な側面から、やさしくその魅力を語る。バッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーも演奏で参加する。

 青少年向けにプランニングされているが、最近クラシック音楽に興味を持ったばかりの人、クラシックに関心はあるが、コンサートには大きな壁があって行けないという人も出かけてみてはいかが?親子連れも大歓迎!

【第13回NEC古楽レクチャー】
〜青少年のためのバッハ入門〜
2003年6月23日(月)19時 東京オペラシティ リサイタルホール
講師:鈴木雅明
実演:バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)
全自由席2000円 学生1000円
問:03-3226-5333
NEC社会貢献活動 (NEC EARLY MUSIC SERIES)
http://www.nec.co.jp/community/ja/mecenat/early_m.html


◆所感:
 なんだか、世の中には妙な勘違いをして、物事に偏見を持つ人がいる。クラシック音楽などというのは、最も誤解と偏見を受けやすいもののひとつではなかろうか。

 勘違いの典型的なものとしては、クラシックを聞くのなら、何か予め「お勉強」(作曲家の事を調べるとかね・・・)をしておかなければならない、とか、楽譜を読めなければいけない、とか、聞いた後で、何やら教養がありげな感想をのべなければいけないとか、とにかく、七面倒臭いものだ、というようなことである。

 そんな考えは全く馬鹿げている。音楽とは、「音の流れの美しさ以外の何物でもない」(ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮者。故人)のであって、「この音楽は何を言おうとしているのか」なんて、余計な事を考える必要は全く無い。

 言葉による解説が必要な音楽などというものがあったとしたら、それは、駄作である。音楽でも絵でも、優れた芸術は、その作品の力だけで人を感動させる。

バッハの音楽のかなりのものは教会音楽であって、聖書に関係があるけれども、仮にキリスト教に関して全く無知であっても、十分に楽しめる。

 このようなことを書くと、上に載せた記事に文句をつけているようだがそうではない。4月23日の日記に書いたので、詳しくはそちらを読んでいただきたいが、この鈴木雅明氏とバッハコレギウムジャパンというのは4月にアメリカ各地でバッハを演奏して、絶賛された、もはや日本はもとより、世界的なバッハ演奏家集団なのである。

 バッハは、要するに西洋音楽の開祖みたいな人だ。そして、彼の作品は美しい旋律の宝庫である。それを、こういう超一流の演奏家が2,000円で聴かせてくれるっていうのだから、行かないと損だね。これは、いいよ。

 世の中、本当に柔軟な思考の持ち主というのは、実に少なくて、どうしても、自分が日頃興味を持っているもの以外は敬遠しがちだけれども、ちょっと違った世界に触れてみるのも、悪くないと思う。


2003年05月24日(土) 「集団自殺」と「通り魔」は報道しない方がよいのではないか。

 数日前に、群馬県の山中で、また、インターネットで知り合った若者が自殺した。今日は、千葉県で女子高生が刃物で切りつけられて大怪我をした。

 最近、とみに目立つようになったこの2種類の事件と犯罪に関しては、マスコミが報道することによって、後に続く者たちを産みだしているように思える。

 ブロークン・ウィンドウズ理論という犯罪学の定説がある。NYの地下鉄の落書きや、窓ガラスが割れた状態を放置しておくと、続けて同じような行為に走るものがいるが、落書きを消して、窓ガラスもきちんと修理しておくと、模倣犯が減る、という、統計的事実に基づいた学説なのだが、これを応用できないか。

 同種の犯罪や自殺が次々に起きている、という情報を、シャットアウトすることにより、後に続く者が減るのではないかと、思うのである。

 勿論、通り魔が、ある地域で連続しているときは、地域住民には伝えておかないと、危険である。しかし、何も、全ての事件を日本中の人間が知る必要は無い。

 集団自殺に至っては、報道する事により、国民が特段の利益を得るわけではなく、報道されない事により、不利益を被ることもない。マスコミの、悪しきセンセーショナリズムとしか言いようが無い。

 また、集団自殺に関して、私ははじめのうちは、うつ病の人間が集まったのかと思ったが、どうも、やる事が計画的で、実行に移すまでの労力を考えると、うつ病とは考え難い。本当に鬱なら、そこまでの行動を起こすエネルギーがないのである。

 いろいろ、辛いことがあるもの同士が集まるのだろうが、それなら、一緒に死ぬのではなくて、一緒に生活したらいいのに、と、思う。

 抑うつ状態の辛さはお互いに分かっているし、自殺に向けたエネルギーの方向を少し変えて、一緒にどこかに部屋でも借りて、パソコンを使って、SOHOみたいなことをするとか、交替でバイトに行けば、何とか食えるだろう。集まって死ぬ人の中には、家族から離れたい人も多いだろうから(家族の理解が得られないで苦しむうつ病患者や抑うつ状態の人間は多い)、似たもの同士で暮らした方が、辛さを訴える事も出来て、気が楽だろう。

 死ぬしか道は無いと考えるのは、認知の歪みの一種なのである。


2003年05月23日(金) 正しい日本語。「とんでもございません」は誤り。

 私自身、文法的に全く誤りの無い日本語を書いたり、話しているかと問われれば、否、と返答せざるを得ない。だから、日本語の文法にかなった正しい表現は何か、慣用句を間違えて使っていないか、という意識をできるだけもつように心掛けている。

 テレビを見ていて、或いは新聞を読んでいて、いつも気になる表現があるので、思いつくままに書き留めておこう。

×「とんでもございません」
○「とんでもないことでございます」

 「とんでもない」は「とんでも」+「ない」ではなく、「とんでもない」でひとつの形容詞であり、「とんでもな」までが語幹、つまり活用しない部分である。それなのに、勝手に「ない」の部分を切り離して「ございません」に言い換えてはいけない。それは、たとえば、「きたない」という形容詞を「きたございません」と言うのとおなじことである。

 次は世論調査の質問項目などにしばしば見られる文法上の誤り
×「憲法を改正すべき」
○「憲法を改正すべし」又は、「すべきである。」

 「べき」は助動詞「べし」の連体形であり、文末に置いてはいけない。

 次は慣用句の語法上の誤り。
×「大の大人が」
○「大の男が」
これは、文法ではない。語法、慣用表現の問題である。「大の大人」という表現はかなり当たり前のように使われているが、本来、そういう日本語は、無い。

 最後は漢字を勘違いして用いている例。
×「独壇場(どくだんじょう)」
○「独擅場(どくせんじょう)」
広辞苑には、独壇場(どくだんじょう)も見出しとして載っているが、独擅場(どくせんじょう)の誤読から出来た語、と記してある。

 「独擅場(どくせんじょう)」の擅(セン)とは「ほしいままにする」の意味。つまり、ある場で、独りで思うままに振舞うさまをいう。

 誰かが、独りで壇、つまりステージ上で好きなことをするから、「どくだんじょう」だろう、と勝手に勘違いして使い始めたものと思われる。

 母国語は、誰でもよくわかっていると思いがちだが、案外、このような間違いを犯しながら、話したり書いたりしている。正しい日本語を運用するためには意識的な努力が必要である。

 PCや電子辞書で英和辞典を使う人は多いが、国語辞典はあまり使わない。しかし、国語辞典は暇なときに気のおもむくままに読んでいると、色々な発見があって、非常に興味深い。


2003年05月22日(木) 不世出の名手、モーリス・アンドレ(トランペット奏者)

 以前、ある掲示板に表題のとおり書いたら、多分若い人だろう。思いがけない反応が返って来た、「不世出って、モーリス・アンドレ、もう、めちゃめちゃ有名ですよ!?」

 この頃の人は分からない言葉を国語辞典で調べるという作業をしないのであろうか?PCもっているなら、広辞苑ぐらい入れておけばよいのに。「不世出の」とは、「滅多に世に現れないほど優れている」という意味である。

 それは、ともかく、うっかりしていた。以前から書こうと思っていたのに・・・。昨日5月21日は今世紀最高のトランペット奏者、モーリスアンドレ(1933年〜)の誕生日だった。

 最近の若いラッパ吹きの諸君は、ウィントン・マルサリスだ。いや、ナカリャコフこそ、最も上手い。といって、この百年に一度現れるかどうかというほどのトランペットの神様、モーリス・アンドレのことをあまり評価しないようだ。

 しかし、トランペットなどという、古典派でこの楽器のためにコンチェルトを書いてくれた人といったら、ハイドンか、フンメル(ベートーベンの先生)ぐらいしかいないような楽器がソロ楽器として注目されるようになったのはひとえに、モーリス・アンドレという天才が、この世に生まれてくれたからである。

 モーリスアンドレは、トランペットを咥えて生まれてきたのではないかと思われるほど、全く疑いようが無い、天才である。

 モーリス・アンドレは数々のバロックの協奏曲(他の楽器のために書かれた作品をアレンジしたものも多いが)を発掘して、その恵まれた、肉体的能力によってのみ可能となる、輝かしい高音を豊かに鳴らして、トランペットの表現力の大きさを世界中に知らしめた。彼がいなければ、いまだに、オーケストラの中ではともかく、クラシック音楽の中でトランペットがソロ楽器として扱われる事は無かったかもしれない。マルサリスもナカリャコフもアンドレがソロ・トランペット奏者として先鞭をつけていてくれたからこそ、デビューできたのだといってよい。

 モーリスアンドレの音に魅せられた私はトランペットの先生に付いて練習した。そこそこには上手くなったが、アンドレは全く次元の違う存在であることが痛いほどわかった。しかし、だからといって、嫌になったことは無い。ますます尊敬の念がつのるばかりであった。

 クラシック。しかも、トランペット協奏曲、というと、かなりマニアックな部類になってしまうけれども、試しに聴いてみてください。お薦めは、カラヤン・ベルリンフィルと録音したフンメル、テレマン、ヘンデルなどのトランペット協奏曲のCD。EMIから。今でも入手可能なはずである。

 もう一つは、本来フルートのために書かれた、管弦楽組曲第2番を全曲トランペットで吹いてしまったもの。エラートという会社から出ている。最後のバディネリなんて、もう、神業。

 そういえば、思い出した。皇太子妃殿下の雅子様が婚約時代、いろんなマスコミが雅子様の持ち物などを取材していて、私は、服やハンドバッグなどどうでもよいので、関心が無かったが、ある写真を見て、非常に驚いた。

 雅子様がカーステレオで聴くテープ(当時はカーオーディオといったら、まだ、テープの方が一般的だったのだ)のなかに、この、モーリス・アンドレによる、「トランペット版 バッハ 管弦楽組曲第2番」が混じっていたのだ。

 妃殿下は相当、クラシック通であられることが、一瞬にして分かった。


2002年05月22日(水) 外人は、謝らない。

2003年05月21日(水) 「松浪議員「暴力団と知らず」=給与肩代わりを陳謝、辞職は否定−政倫審」知らない訳が無いだろう。

◆記事:
 衆院政治倫理審査会(奥野誠亮会長)は21日午後、保守新党の松浪健四郎衆院議員の秘書給与の肩代わり問題について審査した。松浪氏は、暴力団組員(当時)が実質経営する会社に肩代わりさせていた事実を認め、「政治不信を増幅させた」と陳謝。ただ、「暴力団関係者だと確認する手段がなかった」と釈明し、議員辞職する考えのないことを強調した。

◆所感:
 松波議員が、相手が暴力団とわかった後も、支払を受けつづけ、問題が発覚するまで、政治資金の報告もしていなかったことは、すでにこれまでの調べで明らかである。もはや、議員の地位にとどまる事は許されない。

 これほど自明のことがさっさと処理できないところを見ると、他の国会議員の中にもやましい者が大勢いるのであろう、と想像せざるを得ない。

 この男、普段は、「自分はサムライだ」と豪語していたそうではないか。これが、昔の武士ならば、切腹ものである。ちょんまげを切ったぐらいで誤魔化そうとするのは、国民を愚弄している。


2003年05月20日(火) 「校長が「ドはどくろのド」 授業で替え歌、注意処分」公立小中学校の教師のレベルは確実に低下している。

◆記事:
さいたま市南区の市立小学校校長(58)が、授業で「ドレミの歌」の歌詞を替え「さあ死にましょう」などと歌い、市教委から注意を受けていたことが20日、分かった。
 校長は「ざわついていた子供たちを集中させるために歌ったが、授業で口にすべきことではなく、軽率だった」と話している。
 市教委によると、同校4年のクラスで15日、出張した担任の代わりに校長が1時間目の図工授業を担当。約40人の児童を前に「ドはどくろのド、レは霊きゅう車のレ」などと節をつけて歌い、最後は「シは死人のシ、さあ死にましょう」と歌った。
 関係者から指摘を受けた市教委は19日、校長を呼び「保護者の誤解を招く不適切な行為だ」と口頭で注意した。

◆所感:
 上で採り上げた事件自体はどうでもよいのだが、要するにこの程度の男が校長になっているのであり、それは、埼玉県に限った事ではない。

 学齢期の子供が公立小学校、中学校に通っている人でなければ、分からないだろうが、今の義務教育はひどいものである。東京では子供が公立小学校に通っている人の多くが中学受験させようとしているが、それは、学歴社会云々ではなくて、公立の教師のレベルの低さがあまりにもひどいことを身をもって知っているからである。どんなに偏差値が低い私立中学校でも公立よりはまだましだ、と言われているほどである。

 私の子供が通っている小学校で以前校長を務めていた人物は、人生の目的は何か?と訊ねられたら、「責任を逃れる事」と答えるのではないか、と思われるほどの小人物だった。

 子供が放課後、校庭で遊ぶときは、一旦自宅に戻ってからにして欲しいという。何故かというと、一旦家に帰ったあとであれば、例え校庭で遊んでいて怪我をしても、それは、帰宅後の時間の出来事であり、自分の責任ではなくなるから、と公言していた。そんなバカな論理は通用しない。校長は、その学校の教育はもちろんの事、学校という施設を管理する最終責任者であって、学校内でおきたことは、子供が一旦、帰宅しようが、しまいが、全て、校長の責任である。そんなことも分からない男だった。

 また、同じ校長はクリスマス直前の「音楽の集い」で、「ジングルベル」を歌うことがプログラムに記載されているのを見て、顔色を変えた。それは困るという。何故かと問うと、「宗教色があるから」という、唖然とする答えが返って来た。今時、ジングルベルを聴くたびに、イエス・キリストとその教えに思いをはせる者などいない、神経質すぎると反論したら、「では、プログラムには記載しないでほしい」という。証拠を残さないため、だそうだ。

 こういう事柄が数え切れないほど、全国の学校で毎日のように起きているのである。担任の指導能力も自分が小学生だった頃の先生方と比べると、悲惨なほど乏しい。当然子供の学力は低下する。それなのに、ゆとり教育などと余計な事をして、授業時間を減らし、殆ど無意味な自習時間のような「総合」などという時限を週に2度も3度も行っている。

 これは、日本政府が、国民をなるべく愚かにして、支配しやすいようにする、長期的な国家的謀略なのではないか、と勘繰りたくなるほどである。

 国会で、こうした問題が取り上げられたことは無い。まず、小泉首相自身、子供がありながら、きちんと育てたことがない人物であり、教育になど、関心がないこと。代議士の多くは、自分の子供は私立小学校に入れており、自分の子供さえ質の高い教育を受ければ良い、と考えている節があること、がその主だった理由であろう、と勝手に推察する。

 とにかく、より優秀な人材を公立学校に割り当てる事。早い話、今は、給料が悪すぎるのだ。子供のエネルギーは物凄く、これを統率してきちんと教育する事は大変な労力を要する。そういう大変な事を他人に任せておいて、金をケチる、というのは、一番良くないことだ。

 デフレ不況もさることながら、教育水準の低下は大問題である。このままでは、日本は、滅びる。


2003年05月19日(月) 「<新型肺炎>日本への謝罪談話、台湾政局に波紋」 他人の迷惑も考えろ バカ。

◆記事:
日本への観光旅行から台湾へ戻った男性医師(26)が新型肺炎「重症急性呼吸器症候群」(SARS)に感染していた問題で、台湾外交部門のトップ、簡又新・外交部長(外相)が謝罪の談話を発表したことが台湾政局に波紋を広げ始めた。最大野党、国民党の有力幹部は「限度を超えている」と批判。10カ月後の次期総統選を視野に、野党側はSARS問題で駆け引きを活発化させそうだ。
問題の医師自身は17日夜、日本への旅行前、「SARS感染を知らなかった」と話している。軽率な行為とはいえ、台湾では故意ではなかったとの認識から日本国内の反応は過剰との受け止め方もある。


◆所感:
とにかく、非常識の1語につきる。「SARS感染を知らなかった」と当の医師が言っているって・・・・。知っていて日本に来ていたら、傷害罪だ。バカ。

全く、この台湾人医師には、どれだけ多くの人に迷惑をかけたのか、という発想がないのだろうか。ホテルや観光地にはキャンセルが殺到している。下手をしたら、つぶれる。

本人は勿論、この医師の渡航を許可した台湾の病院や当局はいくら謝っても謝り足りないぐらいである。故意じゃなかった、ではすまない。感染者が既に多数発生している国の医療従事者が、潜伏期間を待たずに来日して、発熱した。

この時点で、観光を自粛すべきだった。当然SARSを疑うべきである。にも関わらず、旅行を続けたということは、自分がSARSに感染しているかもしれないという自覚があり、日本人に感染しても仕方がない、と考えていた、という事を意味する。

最も感染の危険が高いバスの運転手の検査結果が陰性だったのは結果論に過ぎない。

損害を被ったホテルなどは、医師本人又は台湾に対して損害賠償を請求すべきだ。


2002年05月19日(日) 日曜の外食

2003年05月18日(日) 悪い事は続けて起きるのか。 月と人体

 数学の確率論の専門家に言わせると、なにか説明がつくらしいのだが、あまりにも難解で私には理解できそうにない。しかし、私の経験でも、重大な事件が続けて起きるという傾向は確かにあるように思う。

 今回は、りそなホールディングスへの資本注入と、SARSに感染していた医師が解熱剤を飲みながら日本に来ていたという2つの厄介な事が同時に起きた。

 しかし、私が一番鮮明に記憶しているのは、1982年2月8日に東京赤坂のホテル・ニュージャパンで火災が発生して、多数の死傷者を出し、その騒ぎがまだおさまらない、翌、2月9日に羽田沖で、日航機が機長の異常な操作(飛行中に逆噴射した!)により、墜落したという歴史的事実である。あのときは、本当に驚いた。こんな事があるのかと思った。

 また、これほど時間的に接近してはいないが、1995年には1月に阪神・淡路大震災があり、3月には地下鉄サリン事件が起きた(当時の首相が、間の悪い事に、危機管理能力など、全然無い、社会党の村山だったのだ)。

 今、天文ソフトを用いて確かめて、驚いたのだが、1982年2月8日(羽田沖日航機墜落事故)も、1995年1月17日(阪神大震災)も、昨日も満月なのである。昔から満月の日には事故が起き易いといわれているのは、迷信だけではなさそうである。

3月20日の日記にも記したが、月が人間の精神や行動に影響を及ぼす事を科学的、統計的に研究したアメリカの精神医学者がいる。「月の魔力」という本で、日本語にも翻訳されている。

 日本でも月を非常に詳しく、しかし、易しく解説しているThe Moon Age Calendarというサイトがあり、ここでは、過去の交通事故と月のデータとの相関関係を調べた結果が説明されている。

 それによると、かならずしも、満月・新月に事故が多いというよりも、月と太陽の距離・月と太陽の角度差(水平・垂直の両方)4つの要素の合成された変化に最も高い相関関係が得られたとのことである。

 月の人体への影響が完全に立証されたわけではないが、人間のメンタルな面に影響を及ぼしていることは、どうも間違いがなさそうで、満月や新月にはついキレ易くなることが多く、そうした原因による事故が増えるという。

 人間の身体の80%は水分で出来ているのだから、月の引力により人体の水分に潮汐が生じて、それが人間のメンタルな部分に影響を及ぼすという考え方は、さほど、無理が無いように思える。

 ただし、上で述べた事件の中で、阪神・淡路大震災は天災、すなわち自然現象であって、人体への影響とは無関係であるが、月と地球と太陽の位置関係により、地球にかかる引力は絶えず変化しており、それが、地殻変動等に影響を与えて、地震にも関係するとする説がある。これはより純粋に天文物理的な現象だから、十分ありうることだ。

 意識しすぎてもいけないが、「今日は危険日だ」と自覚する事により、人間の起こす失敗のうち、いくらかは減らす事が出来るかもしれない。そのサイトでは、毎月危険日はいつなのか。もっとも危険な日の危険度を10として、ある特定の日の危険度がどの程度であるのか、知ることができる。

 運命と諦める前に、できることがあるのだ。


2002年05月18日(土) セカンドスクール

2003年05月17日(土) 「りそなに公的資金注入」超弩級の事態だが、マスコミはやたらと煽らないことだ。

 りそなHDに対する公的資金注入が確実となった。今年の2月頃から大手金融グループには金融庁の特別検査が入っていたから、政府は大分前からこうなる事は予想していたはずである。

 ウィークデーに事実を公表すると、株式も短期金融市場も為替も、マーケットがパニックに陥るので、今朝まで発表を控えるように、政府はりそなとマスコミに指示していたのだろう。

 ただし、こうなると、国際金融市場はりそな一行の問題とはみなさないで、日本の金融システム全般に対する信用の問題と考えるのである。その結果、邦銀各行はマーケットにおいて、外国の銀行から資金を調達することが難しくなる。他の銀行まで、迷惑を被るわけである。資金を他に貸しているのに、自分が調達できなくなることを資金繰りがつかなくなる、という。本当に資金繰りがつかなくなれば(銀行に限った事ではないが)、その会社はつぶれてしまう。

 しかし、そうなったら大変なので、日銀は流動性資金を潤沢に用意していざという場合に備えている。そういう点は日銀は抜かりがない。だから、りそなに預金を持っている人も、他の大手行にもっている人も焦って預金を引き出そうとしてはいけない。そういうのを取り付けというわけで、国じゅうがパニックになる。

 昨晩はマスコミも政府要人も寝る暇もなかったであろうが、特にマスコミは必要な事実を伝える事に徹して欲しい。

 先に述べたとおり、大手金融グループには2月頃からずっと特別検査が入っていたから、東京三菱、みずほ、三井住友、UFJの大手4グループの自己資本比率がどうなっているか、国はわかっているはずである。これら大手グループには公的資金を注入する必要が無い、つまり、経営危機におちいっているところはない、ということを日本政府は強調するべきである。また、マスコミは、「りそなが国有化された」ことばかりを騒ぎ立てるのではなくて、「4大グループは安定している」ことを冷静に報道することが肝要である。

 下手な騒ぎ方をすると、日本経済がひっくり返る。


2003年05月16日(金) 「国税庁、高額納税者番付公示」 プライバシーの侵害という以上に、生命の危険がある

 以前から、長者番付を公示する事に関しては、反対論が唱えられている。実際に、これを利用した犯罪が後を絶たないというのに、何故、公示をやめないのか?

 納税額は、納税者本人と税務署が知っていれば良い事であって、日本中に誰がカネをたくさん持っているか言いふらす必然性は、認められない。

 空き巣に入られるぐらいならば、まだ、良い方で、最近の日本はどんどん物騒になっているのだから、公表された納税者は命が危ない。

 こんなことは、子供でも分かるような簡単な話なのに、何故国税庁は止めないのか。理屈は抜きで「慣行」を変えたがらない、役人気質の象徴のような現象である。


2003年05月15日(木) 「酒鬼薔薇聖斗」を社会復帰させてしまって良いのか。

◆記事:
神戸連続児童殺傷事件の「酒鬼薔薇聖斗」(現在20歳)がこの秋、“社会復帰”する。どこでどんな生活をするのか。
 本人の「迷惑をかけた家族の元には帰れない」という意向を受け、法務省が受け入れ先を探している。

「都内の閑静な住宅街にある更生保護施設が候補になっている。都内の方が匿名性を保ちやすいからです」(法曹関係者)

 更生保護施設とは親族の元に帰れない出所者を一時的に預かる施設。宿泊費や食費は無料で、就職の斡旋もしている。都内に20施設あるが、少年院の仮退院者を専門に受け入れる施設は2カ所、うち1つは女子専門だ。有力な受け入れ先とされる施設は23区の西部にある。緑が茂る閑静な住宅地の中の白壁の2階建ての建物。外観は企業の寮のようで、施設の名前を書いたプレートがあるだけだ。

 溶接工の免許を取得している元少年は、ここで“新たな人生”を歩み出すのか。ちなみに施設の滞在期間は長くて数カ月程度。ずっといられるわけではない。

 元少年の保護観察期間は04年末まで。それを過ぎれば、誰からも監視されない“自由な生活”が待っている。

◆所感:
まず、個人的なことだが、この記事のとおりになるとすると、少年は私がいるところから、あまり遠くないところに来る事になる。こういう人物が近くにいると思うだけで、正直言って、不快である。

この男(もう、成人である)は自分の犯した罪を反省しているというが、私は疑わしいと感じている。犯行後のマスコミへの手紙からも分かる通り、知能は比較的高い。そして、人格というものは、医療少年院で何年過ごしたところで、完全に別のものになるとは信じられないのである。

彼は、小学生を殺した時も、これが、一般社会では受け入れられない「悪い」行為だと知っていた。その上で犯行に及んだのである。悪いと分かっていてもあえてそれを実行にうつしてしまう、そういう人格の持ち主なのである。

酒鬼薔薇聖斗は、出所後、しばらくは平穏な市民生活を送り、「真人間」になったように振舞うであろうが、それがずっと続くという保証はいかなる専門家でも出来ない。

一旦世間を安心させておいて、ある日再び悪魔のごとき残虐な事件を起こして、世の人々があっと驚く様子を、彼はほくそ笑みながら想像しているような気がする。

これぐらい危険な要素を持った人物を一般社会に出すかどうかということを国家機関だけで決定してしまってよいものであろうか? 私は、多分、世の中の多くの人は彼や、西鉄バスジャック事件を起こした少年は、一生、檻の中にいるか、さっさと死んで欲しい、と考えているのではないか、と思う。少なくとも、私はそう希望する。


2003年05月14日(水) 「<米大統領>サウジの爆弾テロ 首謀者らを摘発する決意示す」あれ?イラクを攻撃すればテロを防げるといっていたのは、誰だったっけ?

◆記事:
ブッシュ米大統領は13日、サウジアラビアで起きた爆弾事件をテロ組織「アルカイダ」の犯行と見ていることを強く示唆した。また、この事件に「テロとの戦争」の次元で対応し、首謀者らを摘発する決意を示した。この方針に従って、米連邦捜査局(FBI)はテロ分野の捜査官をサウジに派遣した。

◆所感:
 ブッシュ大統領は、イラクがテロリストに大量破壊兵器を提供するのを未然に防ぐために、イラク攻撃を行うのだ、と言った。イラクは米国の攻撃により滅茶苦茶になったが、大量破壊兵器はイラク内でいまだに発見されていない。しかしテロはあたかも米国を嘲笑するかのように、起きた。

 米国がイラク攻撃の必要性を強調していたとき、世界中の誰もが、「テロリストがアメリカを攻撃しようとしているのであれば、何故、イラクの前にテロリストそのものを壊滅しないのか?」と考えたと思う。世界中の人々の考えの方が正しかった。イラクが大量破壊兵器をテロリストに供給しなくても、テロリストは武器や爆薬を入手し、テロを実行することができる。

 今回、サウジアラビアで起きたテロがそれをはっきり証明している。むしろ、イラクを散々攻撃したことにより、米国は、イスラム世界から一層恨まれるようになった。一般人でもそうなのだから、テロリストはより一層、米国に対する復讐を心に誓っているに違いない。米国本土のみならず、サウジのように米国の権益がある場所は、どこの国であろうと、テロリストの標的になりうる。

 米国はこのようにして、世界をより大きな危険に晒してしまった。


2003年05月13日(火) 人間は覚える事は意識してコントロールできるが、忘れる事はコントロールできない。

 人間は何かを覚える事に関しては、努力により、かなりコントロールできるが、何かを忘れることはコントロールできない、と、ある薬理学者が書いていた。なるほど。確かにそのとおりだ。

 何か嫌な事があっても、すぐに忘れることが出来れば、問題にならない。中にはそういう「能力」を持ったひとがいる。一方で、かなりの人はストレスを引きずる。それは、言い換えればいやな体験の記憶を忘れる事が出来ない、ということだ。

 嫌な事を忘れようと思えば、忘れる事ができたら・・・あたかもパソコンのDeleteキーを押すがごとく・・・どんなに楽だろう。

 いろいろな「ストレス解消法」が雑誌や本で提案されているが、要するに、いずれの方法も究極の目的は、いやなこと、不快な記憶をいかにして消し去るか、ということに尽きる。いろいろな方法が提唱される、ということは、つまり、決定打がない、ということだ。

 冒頭の薬理学者は、面白い事をいっていた。専門家だから、悲しいときや辛いときに、脳のどの部位が働いているかを知っている。それを意識すると、少し楽になるという。いかにも、学者らしい。

 因みに、心理的ストレスに晒されると、視床下部、扁桃核、青斑核という脳の一番奥の方にある三つの部分から、大量のノルアドレナリンが放出される。三つ合わせても指先でつまめるほどの大きさなのだそうだ。わずか数センチの脳の一部の働きで、人間の情動が左右されているとは・・・。

 私の場合は、栄養学のサイトをいろいろと見て回った結果、ストレスが加わると大量のビタミンCとビタミンB群が消費される、と知ったので、ヤバそうなときは、これらを大量に飲む。そして、ストレス時には血液中のコルチゾールというホルモンの濃度が高くなるのだが、最近の研究でウーロン茶にはコルチゾール値を下げる効果があることが分かったという情報を得たので、ウーロン茶も沢山飲む。飲みながら、ストレス物質が消えていくところを想像する。そうすると、大分、楽になる。


2003年05月12日(月) <睡眠指針>「昼寝は午後2時が理想」厚労省が“快眠のこつ” 日本でも「シェスタ」の時間を作るの?

◆記事:「8時間睡眠にこだわる必要はない」「昼寝は午後3時前の20〜30分に」「寝酒はいびきを助長する」――。こんな内容からなる“快眠のこつ”を厚生労働省の「健康づくりのための睡眠指針検討会」がまとめた。国民健康づくり運動(健康日本21)を推進中の同省は「指針の内容を広く普及させたい」と話している。

 検討会のメンバーは医師や薬剤師、精神保健の専門家ら10人。睡眠指針によると、睡眠時間は個人差があり、高齢になるほど短くなるのが普通。「無理に長時間眠ろうとすることで、かえって睡眠の質を低下させることがある」と述べ、一般に理想とされている8時間睡眠にこだわる必要はないと指摘している。

 また、就寝4時間前にコーヒーやスタミナドリンクなどのカフェイン飲料を飲むと、寝つきが悪くなる。睡眠薬代わりの寝酒も、眠りを浅くする。特に睡眠薬を飲んでいる人の飲酒は、失禁や記憶障害などの副作用が出ることがあり、避けるよう求めている。

 昼寝は人体が眠気を感じる午後2時ぐらいが理想で、長い昼寝や夕方以降の昼寝は「夜の睡眠に悪影響を及ぼすことが多い」。十分眠っても眠気が強い、激しいいびきなどの症状は「体や心の病気」のサインの可能性があるとして、専門家への相談を呼びかけている。

 同省生活習慣病対策室は「最近は生活習慣病の予防に睡眠が重要な役割を持つとの科学的データもある。指針の中から、自らの生活に取り入れられそうなものを実践してほしい」と話している。

◆所感:
 いや、仰ることはもっともなのですが・・・。

 「昼寝は午後2時が理想」ね・・。それはそうだろうとおもう。2時頃は一番眠い。しかしねえ。サラリーマンや、商売をやっている人にとって、実際に実行するのは無理でしょう。だめだなあ。役人というのは。無理な事なんか百も承知でしょう?どうしてそういうことをいうのかなあ。専業主婦なら出来るかもしれないけどね。

 本気で国民の健康を考えるならば(日本人の国民性を考えると実現可能性は限りなくゼロに近いが)、スペインみたいに、国全体が「昼寝=シェスタ」の時間をもとう、と提案するべきではないのか。そこまで、やる気はないのだろう?

「自らの生活にとり入れられそうなものを実践してほしい」なんて、無責任すぎる。結局、寝る前に、寝つきが悪くなるようなものを飲むな、というだけではないか。寝酒が良くないのは分かっているが、ならば、「ストレスで眠れない人は専門家に診てもらって、適切な睡眠薬を使用することが望ましい」とか何とか書かなければ、一般の人はわからない。ところが迂闊に薬を勧めるのは良くないと批判されるのを恐れて、わざと、書かない。

お役所のレポートっていうのは、どうも、このたぐいの、役に立たないのが多いね。


2003年05月11日(日) 格調高い日本語

 現在の小学校の音楽の教科書には、昔なら誰でも知っていた「文部省唱歌」が、載っていない。不満である。

 「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川、夢はいまも巡りて、忘れ難き故郷。」(故郷)

 「卯(う)の花の 匂う垣根に 時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ」(夏は来ぬ)

 何という格調高い日本語であろう。子供が歌う歌であるにも関わらず、断じて幼稚ではなく、日本語の美しさに感銘を受ける。

 最近の歌を見てみる。

「花屋の店先に並んだ  いろんな花を見ていた  人それぞれ好みはあるけど  どれもみんなきれいだね  この中で誰が一番だなんて  争うこともしないで  バケツの中誇らしげに  しゃんと胸を張っている  それなのの僕ら人間は  どうしてこうも比べたがる  1人1人違うのにその中で  一番になりたがる  そうさ僕らは  世界にひとつだけの花  1人1人違う種を持つ  その花を咲かせることだけに  一生懸命になればいい」(世界にひとつだけの花)

 この歌詞の内容は真理をついているかもしれない。しかし、如何せん、万人が一度聞いてわかるように、極力易しいことばのみを用いて書かれている。だから、説明的な、冗漫な日本語になる。言葉は出来る限り短い方が印象的である。この歌は私にはどうしても幼稚に聞こえて、物足りない。最近の日本語は大抵、このレベルである。

 文部省の役人が唱歌を教科書からなくしたのは、言葉が難しくて、小学生には意味がわからないからだという。そんな馬鹿な話があるか。

 そもそも、分からない事を分かるようにするのが教育ではないか。子どもの頃に出来る限り格調高い日本語に触れる事が、高い言語表現力を身につけるために必要である。たとえ、子どもの頃は意味がわからなくても、いずれ分かるときが来る。

 教育は、低い方にレベルを合わせてはいけない。迎合してはいけない。


2003年05月10日(土) 宜保愛子さん逝去。 「死後の世界」は・・・

 いま、表題を書いてから気がついたが、ENPITUに執筆している若い人は、彼女のことをあまり、知らないかもしれない。苗字は「ぎぼ」と読む。

 かつて、「霊能者」として一世を風靡した人物である。スタジオで芸能人などと相対してじっと相手を見つめ、相手の先祖のこととか、その人がどんな悩みを持っているか、とか、「あなたの守護霊は、お祖父さんです。この方は生前こんな事をしていた方ですね」とか言い当ててしまう。こういうことを信じない人は、絶対に「やらせ」だと信じていただろう。

 しかし、興味深かったのは、こういうたぐいのことを絶対信じそうに無い人が、何人も宜保さんを信じて高く評価していたことである。あの、理屈っぽい映画監督の大島渚氏や、何でも茶化してしまうビートたけしが、自分や先祖の事を言い当てられて、殆ど完全に信じていたのである。大島氏などは先祖供養のやり方を教えられるときに、本当に真剣な表情で「宜保さんの仰ることは、いつも具体的で、実に素晴らしい」などと言っていた。へえ、意外だな、と思った。

 私自身は、半信半疑であったが、「霊視」してもらった人たちが、図星を言い当てられた人間特有の、ギョッとしたような表情をするのをみて、本当かもしれない、と思っていた。半分信じるのには他にも理由がある。

 一般の人は余り知らないと思うが、医者や看護婦などは意外に「死後の世界」や「霊」の存在を信じている人が多いのである。私は身内に医者が何人もいるのだが、病院の霊安室のあたりで「霊」らしきものを見かけたことが何度もある、というのだ。1人ならまだしも、バリバリの科学的実証主義的思考の訓練を受けている筈の医師が、何人も同じような事を言うので、びっくりした。

 勿論、断じて信じないという人もいて、その筆頭は早稲田の大槻教授である。彼は、現代の科学で「死後の世界」があることは証明できないのだから、宜保さんの言っている事は全部、口からでまかせだ、という立場である。

 まあ、「死後の世界」は、いずれ、みな経験(?)することだから、今、ムキになる必要はない。

 しかし、現時点で存在が証明できない事柄は、存在しないのだ、という論理は変だと思った。存在を証明できないと同時に存在しないことも証明できないからである。

 宜保さんが世に現れ、彼女にまつわる論議を聞いていて感じたのは、何事も柔軟に思考する姿勢が大切だ、ということである。世の中、「絶対に断言できる」という場面は、少ないのである。


2002年05月10日(金) 危機管理

2003年05月09日(金) 巷にあふれる「プラス思考のすすめ」への反論

 本屋へ行くと必ず、「プラス思考で万事うまくいく」とか、「楽観主義のすすめ」とか、「ポジティブ・シンキング」(Positive thinking)いう類の本を見かける。こういう本を見るたびに、この著者はアホではないか、と思う。

 人間には性格というものがあるし、また、人間の情緒はうつろいやすいものである。いままで、何事に対しても悲観的にしか物を考えられなかった人が、「プラス思考をしよう!」と決心することによって、以後、死ぬまで楽観的になるということはあり得ない。

 そもそも、人生において物事が順調に運んでいるときには、自然とプラス思考になっているから、こんな本を買う人はいない。「プラス思考のすすめ」の類を読もうという人は何か人生で問題、悩みを抱えているはずである。

 まず、試験に落ちた。商売に失敗した。詐欺に会って大きな借金を抱えてしまった。というような現実に厳しい状況にあるときに、物事を明るく考える、ということには無理がある。それは自己欺瞞の一種である。無理に明るく考えて、なおかつ問題が解決しないときには、反動で余計に大きく落ち込む事になりかねない。

 また、大した問題に直面していなくても、すぐにクヨクヨしたり、起きるかどうかわからない、未来の出来事を想像して勝手に心配する、というタイプの人がいる。こういうのを「自動的否定思考」というのだが、要するにそういう「考え方のくせ」が身についてしまっているのである。言い方を変えると、事実を正しく認知していない。「認知の歪み」があるのだ。こういう人には、ただ、「物事をプラスに考えろ」といっても、それは、無理な注文である。大切な事は自分の認知の歪みのパターンを認識する事である。

 人間が感じている事が、事実を正しく反映しているとは限らない。例えば、一回何かに失敗しただけなのに、「私は、いつも失敗ばかりしている」と言う人がいる。こういう考え方のパターンを「過剰な一般化」という。よく思い出してみれば、だれでも生まれてこの方、失敗ばかりしているということは、あり得ない。必ず何かに成功した経験があるはずだ。しかし、悲観的な人の頭の中ではそういうことは消えてしまっている。これが「認知の歪み」である。

 「過剰な一般化」以外にも、認知のゆがみのパターンは「全か無か思考」「拡大解釈と過小評価」「独断的推論」など10種類に大まかに分類できる。クヨクヨが始まったときに、自分がどのパターンに陥っていて、それは合理性に欠けたものである、という自覚が生じると、無理にプラス思考をしなくても、苦労が減る。詳しくは認知療法のところで述べたので、読んでみていただきたい。


2002年05月09日(木) 北朝鮮からの亡命者

2003年05月08日(木) 威張りたがる人間はサル並みである。

 学校のクラブでも、大学の研究室でも、企業でも、役所でも、政治家の世界でも、およそ人間が集まってグループを作ると、威張りたがる人間が出現する。

 威張るからには何らかの「権威」という根拠を必要とする。ある場合には、他の人間よりも年をとっているということだけがその根拠となる。会社では、「肩書き」が根拠となっている。課長は係長よりも、部長は課長よりも偉いということになっている。

 しかし、それらは、人間がかってに抱いている幻想である。年をとっている人間が自動的に「偉い」のであれば、現代人は永久にクロマニヨン人に頭が上がらないことになる。

 また、係長や課長、部長といった肩書きは、人間が作った会社という集団で、かってに作り上げた虚構、つまり、ゲームのようなものである。その証拠に、如何なる大会社の大取締役といえども、一歩会社の外に出ればただの人である。渋谷のハチ公前で、自分は○○株式会社専務取締役の何某である、と叫んでも誰も一顧だにしないであろう。せいぜい、頭がおかしい人と憐れみの目で見られるのが関の山である。

 それでも、人間はそれらの幻想にすがって威張りたがる。それは、同種の生物の中で他の個体よりも秀でていることを示したがる動物的本能なのだろう。高崎山のサルにもボスがいて、そのご機嫌を伺うサブリーダーがいる。その様子を見て、なるほど、サルは人間に近い、高等動物だ、と考えるのは滑稽である。

 進化論が示すところによれば、人間はサルが進化して誕生した。つまりサルのほうが進化の過程では人間よりも原始的なのである。そのサルですら、権力を根拠に威張ろうとする。人間がそれと同じ行動をとるならば、サルから進化していないに等しい。

 権力を手にして威張れる、しかし威張らない。これこそ人間にして初めて可能な行動である。だから、威張る人間がいたら、その人物はサル並みなのだ、と思っていれば良い。


2003年05月07日(水) 何故、小泉首相は何もしないのか?

 最も近いところでは、4月23日の党首討論で、民主党の菅直人代表に「首相になるにあたって掲げた公約で実行したのはただひとつ。公用車を低公害車に替えたことだけ。」と辛らつに批判された通り、今の内閣総理大臣は本当に何もしない。

 何故、これほどまでに、無為無策で平気な顔をしていられるのか、新聞を眺めていたらわかった。マスコミ各社には首相の番記者がいて、毎日朝から晩まで首相が何をしたか記録している。どの新聞にも「首相動静」という欄がある。例えば、今日(5月7日)は次のように書かれている。
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「首相動静(5月7日)

 午前8時現在、公邸。朝の来客なし。
 午前9時37分、公邸発。同50分、官邸着。同51分、執務室へ。
 午前10時9分、執務室を出て、同10分、官邸発。同15分、皇居着。勲一等親授式に出席。
 午前10時50分、皇居発、同55分、官邸着、同56分、執務室へ。
 午前11時54分、執務室を出て、同55分から同57分まで、大会議室前で報道各社のインタビュー。「与党3党のプロジェクトチームが株価対策をまとめるが」に「あしたは経済財政諮問会議。それを受けて状況を見ながら…」。同58分、首相会議室へ。上野公成官房副長官が同席。午後0時20分、首相会議室から執務室へ。
 午後1時46分、執務室を出て、同47分、官邸発。同53分、皇居着。勲二等伝達式に出席。
 午後2時24分、皇居発。同30分、官邸着。同31分、執務室へ。
 午後3時10分から同20分まで、安倍晋三官房副長官。同43分から同4時8分まで、竹中平蔵金融・経済財政担当相。
 午後4時34分、執務室を出て、同35分、特別応接室へ。同36分から同50分まで、地方分権改革推進会議の西室泰三議長、水口弘一議長代理。同51分、特別応接室を出て、同52分、執務室へ。
 午後5時19分から同35分まで、自民党の大村秀章、塩崎恭久、下地幹郎各衆院議員。安倍官房副長官が同席。同36分から同59分まで、亀井善之農水相、竹中美晴農水審議官。
 午後6時から同24分まで、公明党の神崎武法代表、北側一雄政調会長ら。
 午後6時25分から同45分まで、日韓経済協会会長の瀬戸雄三アサヒビール相談役。
 午後7時2分、執務室を出て、同4分から同8分まで、特別応接室で報道各社のインタビュー。
 「6月に中東を訪問する考えは」に「6月じゃなくてね、サミットを前にアメリカを訪問して(ブッシュ大統領と)会談するでしょ。その後エジプトとサウジに行くことを検討している」。
 同9分、官邸発。同15分、東京・丸の内のパレスホテル着。同ホテル内で経済評論家の田中直毅氏、海老沢勝二NHK会長、豊田章一郎トヨタ自動車名誉会長らと会食。
 午後8時54分、同ホテル発。同9時8分、公邸着。「会食では参考になる話は聞けたか」に「いろいろ参考になったよ」。「たとえば」に「うん。(新型肺炎の)SARS」。(了)」
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 つまり、首相というのは、自分で仕事を見つけなくても、一日が埋まってしまうのである。閣僚、議員と会う。官房長官・官房副長官、各省庁の役人が報告にくる。セレモニーに出席する。財界やマスコミのお偉方と会食をする。それらが、分刻みで決められている。

 だから、小泉君本人は「非常に一生懸命に仕事をしている」つもりなのだろう。毎日の雑事に終われていると、構造改革の進捗状況は?これから何をすべきか?というような面倒臭い事を考えなくてすむ。忙しくバタバタを動き回っていると、自分は首相なのだ、という「感覚」だけは得られるであろう。

 そして、内閣総理大臣として本当にやらなければならないこと、公約として掲げた数々の政策は眼中になくなってしまうのであろう。

 この人に国を変えようという、真の情熱があるとは思えないが、首相を勤める限り、何もしないでは済まされない。マスコミも国民ももっとこの人物にプレッシャ―をかけなければ、だめだ。「貴方は、何にもしていないのですよ」ということをマスコミは紙面や画面で繰り返し訴え、国民は、皆、PCから首相官邸にメールを送ろう。

「貴方は一体何をボヤボヤしているのですか?」と。


2003年05月06日(火) 「人間、本当に悪くなると、他人を傷つける事にしか興味を示さなくなる」(ゲーテ)

 インターネットは原則的に匿名の世界であるため、何事もはっきり云いやすい。生身の人間と相対した場面では、何もいえないような気が弱い人間でも(というか、多分そういう人間ほど)ネット上では口汚い言葉を平気で吐いてしまう。

 また、話し言葉による会話では、相手の言葉を十分吟味するヒマがないが、ネットは文字で記録されるから、他人の発言を何度も読み返して、論理が破綻している部分や、言葉尻をとらえて、ねちねちと反撃する事が可能となる。これが、インターネット上の口論が過熱しやすい原因の一つである。

 自分がどこの誰であるか、誰からも知られない、という状況では、確かにいくらでも乱暴な言葉、相手が一番嫌がりそうな言葉を云ってしまいたくなる衝動に駆られる。しかし、そこが、その人間の品性の分かれ目である。そのまま行動したのでは、ゲーテが云うところの、人間が一番悪くなった姿を晒してしまう事になる。

 匿名でありながら、なお、見知らぬ他人に対して丁寧な言葉を使い、礼儀を保とうとする態度は、とても上品に見える。それこそが、人間のインテリジェンスだ。


2003年05月05日(月) 「人間の存在を少しでも明るく照らし出すことが、芸術家に与えられた使命だと信じています。」(カール・ベーム)

 カール・ベームは、とっくの昔に故人となった、オーストリアの指揮者である。1975年3月に手兵であるウィーンフィルハーモニー管弦楽団と来日した。それに先立ち、クラシック音楽雑誌、「音楽の友」がベームにインタヴューをした。その記事の中に載っていたベームの言葉である。当時中学生の私には、ピンとこなかった。

 雑誌を読んで暫くして、いよいよ、ベームとウィーンフィルが来日した。最初の東京のコンサートで、あまりにも有名なベートーベンの交響曲第5番「運命」ハ短調を演奏した。中学生の私には高額のチケットはとても買えず(大人でも、なかなか入手できなかっただろう。ものすごい人気だったからだ)、自宅でNHK・FMがライブで放送するのを夢中になって聴いた。

 「運命」のフィナーレ(終楽章)は激情の嵐のような音楽である。聴いていて、あまりに壮大な音の響きの素晴らしさに息を呑んだ。心臓をぎゅっとわしづかみにされたように胸が苦しかった。正体がわからぬ、熱い思いで胸がいっぱいになった。最後のC(ド)音を全オーケストラの楽器がすさまじいフォルティッシモで鳴らし終えたときに、涙があふれた。

 音楽を聴いて泣いたのはそのときが初めてである。

 その夜は興奮で眠れなかった。カールベームが云った言葉の真意が分かるようになったのは、暫く経ってからである。

 「人間はこの世のものとは思われないほど素晴らしい音楽を書くことができる、人を泣かせるほど素晴らしい演奏をする事ができる、素晴らしいものだ。」一度、それを知った人間は、心から人類を憎む事ができなくなる。音楽なり、絵画なり、文学なり、優れた芸術にはそういう力がある。ということを云いたかったのだと分かった。

 今のように暗い時代こそ、芸術家の存在価値を発揮して欲しい。人間は感動するものがあれば、生きていける。


2003年05月04日(日) マスコミの実態

 何やら、得体の知れない「白装束集団」が現れて、これに関するマスコミの報道が増えているが、やや、不安を煽りすぎのような気がする。確かにオウム事件があったから、日本人がこの手の集団に神経質になるのも、無理は無い。

 しかし、この集団が要注意であることは、警察庁も百も承知であって、公安と呼ばれる部署が以前から監視を強めているから、マスコミは逐一生中継で現場から報道しなくても、何か新たな問題が起こりそうなときに、要点をまとめて報道した方が、適切なのではないかと思う。

 昨日、白装束集団が一時滞在していた現場付近の住民が、「白装束集団もさることながら、マスコミが大量のゴミを捨てていったり、辺りで立小便をしたり、夜中でもライトを照らしている事の方が迷惑だった。今は静かになってホッとしている」と述べていたのはマスコミと呼ばれる連中の特質をかなり端的に表している。

 私の会社にも、バブル華やかなりし頃には何度も、新聞やテレビが取材に来た。そのときに知ったのは、まず、新聞記者というのはやたらと態度が悪い、ということだ。彼らは「ジャーナリスト」であって、「真実の報道」のためには、礼儀などどうでも良い、と言わんばかりであった。

 人に物を訊ねるときには、まず、自分が何者であるかを名乗り、「お仕事中恐縮ですが、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」と相手の了解を取るのが、常識ではないかと思うのだが、ある全国紙の新聞記者は、自己紹介をせずに、いきなり、人が見ているモニター画面にニョキッと指を差し出し、「これ、何すかー?」と云うので、唖然とした。他の社の記者も大同小異であった。

 それでも、新聞というのはタチが悪くて、こちらが彼らをぞんざいに扱えば、必ず、記事で悪口を書かれる。仕方が無いので取材される側は「こんちくしょう」と思っていても丁寧に応対せざるを得ない。そして彼らはますます増長する。

 そのことと、ゴミを捨てるのと直接に結びつけるのは、やや強引だが、要するにマスコミというのは、新聞やテレビを見ているだけではわからない、そういう横柄な連中がかなりの部分を占めるということである。


2003年05月03日(土) ハッブル宇宙望遠鏡、打ち上げから13年。天文サイトのすすめ。

 インターネット上では、様々な画像を見ることが出来る。最近はPCの性能が向上して、パソコンでテレビを見たりする人もいて、まあ、それは各人の自由なのだが、テレビなどはテレビで見ればよいのであって、折角ネットに接続しているのであれば、ネットでしか見られない画像をたまには見てみてはどうだろうか?

 ハッブル宇宙望遠鏡というのは、1990年4月24日ににスペースシャトルによって運ばれ、宇宙空間に設置された望遠鏡である。ハッブルというのは宇宙が膨張している事を突き止めた、アメリカの天文学者の名前である。

 地上では、いくら高性能の望遠鏡を設置しても、雲が出ればおしまいであるが、ハッブル望遠鏡はそのような遮蔽物がないので、極めて鮮明な画像を捉えることが出来る。この望遠鏡のおかげで天文学者が受けた恩恵は計り知れない(といっても、こちらは素人なので、その真価を本当に理解しているとはいえない)。

 それでも、ハッブル・サイトで公開されている数々の天体写真(壁紙用にダウンロードできる画像も用意されている)を見ると、理屈抜きに感動する。宇宙の神秘とはまさにこのことか、と直感できる。

 地上の人間の世界は嫌な事ばかり起きるが、そういうときに、壮大な宇宙の画像を見て、天文学の研究の成果を読むと、人間という生き物は、そう捨てたものではないな、と思うことができる。それが、私が天文サイトを見るのが好きな理由だ。


2003年05月02日(金) 「<イラク戦争>戦闘作戦の終結を宣言 ブッシュ米大統領」←大量破壊兵器はどうなったんだよ?

 何度でも書く。

 アメリカがイラクに戦争を仕掛けたときに、その理由として挙げたのは、「イラクが大量破壊兵器を所持しており、それがテロリストの手に渡り、明日にでも米国が攻撃されるかもしれない」ということだった。

 アメリカは、イラクが大量破壊兵器を所持している証拠も持っているといった。いまだに、大量破壊兵器は見つかっていない。

 1月末に国連査察チームが「イラクが大量破壊兵器を保有している証拠はない」といっていたのに、ゴリ押しして戦争を始めたのである。その結果、多くの無辜の民が死んだ。

 この落とし前をつけずに、戦闘作戦の終了もへったくれもないだろう?アメリカは間違っていたのだ。世界に向かって謝れ。


2003年05月01日(木) SARS用のワクチン開発には「数年」かかるのだそうだ。

◆記事:
「グラクソ、SARS用ワクチンの開発を加速

 欧州最大の製薬会社、英グラクソスミスクラインのジャン・ピエール・ガルニエ最高経営責任者(CEO)は、新型肺炎、重症急性呼吸器症候群(SARS)用ワクチンの開発を加速しているが、開発には数年を要すると警告した。 」


◆所感:
 この記事を読んで、卒倒しそうになった。数年だってさ。そういうのを「手遅れ」というのではないかな。警告されたって、困るんだよ。

 ワクチン開発はもはや、一企業の問題ではないだろう。製薬会社だけではなく、世界中のウィルス学者、薬理学者等が結束して研究に当るべきだ。そもそもインターネットは大学の研究者たちがデータを共有するために考案されたものだというではないか。活用してくれよ。

 それにしても、中国は悲惨だ。病人が出たところはなんでもかんでも「隔離」。感染者の2割は医療関係者だが、辞職することも許されずに治療を続けているのだという。

 中国人は人命をあまり重視していないように思う。何せ人が多すぎて困っている国だ。13億人、世界の4人に1人は中国人なのだ。だから、というのは乱暴かもしれないが、ちょっとした犯罪でもすぐに死刑にしてしまう。パンダを密猟した男が1ヶ月も経たないうちに処刑されたりする。中国史を読むとすごい話がいくらでもある。始皇帝は何百人という儒学者を一日で生き埋めにした。これを「坑儒」という2文字で言い表してしまう。同じ東洋人でも日本人とは明らかに人命に対する感覚が違う。

 しかし、SARSに関してはちゃんと対策を講じてもらわないと迷惑なのだ。中国は言うまでもなく大陸にある。中東、ヨーロッパに地続きなのだから、どこまでこの病気が広まっていくのか、予想がつかない。


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