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JIROの独断的日記
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2013年05月29日(水) 「ブラームスって、割とこの頃の人よね」←26年前に91歳で他界した祖母の言葉です。

◆今まで、書いたことがないので、一回ぐらい書いておきます。

書くのを避けていたのはですね。祖母のプロフィールを書くと、自慢めいてしまう、ということが

あったのですが、まあ、もうとっくの昔の死んだ人間だから良いでしょう。ご勘弁下さい。


私の祖母は、19世紀生まれなのです。1895(明治28)年8月23日−1987(昭和62)年5月29日。

今日が命日なので、少々記憶に残っていることを書きます。


祖母は孫を溺愛するタイプの人ではなかったので、私もさほどなついていたわけではないのですが、

なにしろ、同じ家に住んでいましたから、記憶は鮮明です。


明治28年(1895年)に仙台の、元来は武家だったらしいです。そういう家に生まれた所為もあり、

また、後述する経歴もあり、気位(きぐらい)の高い人でした。


明治に仙台とはいえ、東北に生まれた祖母がどうやって勉強したのか、今から思うともっとよくきいておけば

よかったのですが、とにかく西洋音楽に魅せられ、芸大音楽学科の前身、東京音楽学校声楽科にはいりました。

入試で、ピアノも楽典もソルフェージュもあったんです。どうやって東北で勉強出来たのか不思議でなりません。


もちろん、技術的水準を単純に現代と比較したら、話になりませんが、それでも驚いた事に祖母は確かに声楽的発声の訓練を

受けていました。子供の頃から、祖母は近所の子供にピアノなど教えていましたが、ピアノの上には、ドイツ人の声楽の師匠の

写真がずっと飾ってありました。


◆女子学習院教授という大層な肩書きの人でした。

その当時は「東京音楽学校声楽科」の人数がとても少なかったでしょうから、割と簡単だったのでしょう。

首席で卒業した祖母は、どういういきさつか、昔の、本当の学習院、皇族や華族の娘しか、入れない、

「女子学習院」という今なら高校から大学だとおもいますが、肩書きが「教授」だったのです。

それが、多分、生涯誇りだったのだろうと思います。昭和天皇のお后、昭和の皇后陛下も、そのお嬢さん

(つまり、昭和天皇のお嬢様方)の「音楽の先生」なんですね。

昭和の皇后陛下は、ご自分も、お嬢様方も一応、祖母に音楽を習ったので、お目にかかると、祖母に

娘がお世話になります。

とおっしゃっていたそうです。こちらが冷や汗をかきます。

祖母が亡くなったときには、昭和の皇后陛下のお使い。天皇陛下のお使いは「勅使」ですが皇后陛下のお言葉を伝える人はなんというのでしょうか?

とにかく、非常に緊張するはめになったのですが、祖母が他界した際、皇居からお使いがくるというのです。宮内庁から電話があるんです。

待っていると、やがて、両手に大きな桐の箱を持った人が来宅し、玄関で直立不動のまま、
皇后陛下におかれましては、故・〇〇〇〇(←祖母の姓名。「家来」だから、呼び捨て)の死去に際し、お菓子を賜りました。ここにお届け致します。

という調子ですから、こちらも直立不動なんです。何だかんだいっても、皇后陛下からじきじきに・・・といわれたらアガります。


◆とても不思議なのですが、私が初めてのオペラを観て、帰宅してしばらくしてから亡くなりました。

実は、私はその何ヶ月も前に、NHKホールでのメトロポリタン歌劇場来日公演のチケットを買っていました。

5月29日の公演です。それが生まれて初めてのオペラ鑑賞でしたが、祖母がもう時間の問題なので、諦めようと言ったら、

今はこちらも死んでから随分経ちますが、父が構わんから行け、と申します。

これも何かの偶然だろうと。声楽に情熱を注いだ祖母の(まだ生きていますが)供養になるかもしれんから、

行ってこいと、いうので、行って、全部見終わって、帰宅したその夜遅くに、祖母は私のオペラ鑑賞を待っていてくれたかのように

息をひきとりました。不思議が気がしました。


◆ブラームスと祖母の生涯は2年だけですが重なっているのです。

前置きが大変長くなりました。要するに、私の祖母が西洋音楽に関してド素人ではなかった、ということを

申しあげれば良かったのですが、余計なことまで書きました。

当時といえど、やはり訓練を受けた人はそれだけの「耳」がありまして、私がN響の第九など

テレビで聴いていたら、祖母が「この人は、音程がとてもいいわね」とか「このティンパニの方、正確ね」とか。

そういうことが多かったです。

「ダメよ、こんなところで間違えちゃ」とか、コンチェルトでソリストが合わないと、

「ダメだ。そんな勝手なことをしたら」とかいうんです。的を射ているのです。

自分が若い頃、ショパンの「幻想即興曲」を聴いたときに「この世にこれほど綺麗な音楽があるのかと思った」とも

言ってましたが、とりわけ衝撃的だったのは、ブラームスの交響曲を聴いていたら、何気無く祖母が発した、

ブラームスって、割とこの頃の人よね。

という言葉でした。一瞬、呆けたのかとおもい、唖然としましたが、調べたら、ブラームスの生涯は

1833年5月7日 - 1897年4月3日なのです。祖母が生まれたのが1895年ですから、2年弱ですが同時代を生きています。

ということは、祖母が、音楽学生だった頃、ブラームスはまだ、没後20年足らずの作曲家。私の年齢でなぞらえると

ヒンデミットとか、イベールとかと同じなんです。

なるほど。「この頃の人」というのも無理は無い。

時代は繋がっている、という当たり前のことですが、それを非常に強く感じました。

完全に私事で失礼をいたしました。

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