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活字中毒R。
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2005年12月31日(土)
「活字中毒R。」2005年総集編

本年も、「活字中毒R。」におつきあいいただき、ありがとうございました。
大晦日ということで、今年僕の記憶に残っていたり、反応が多かったものを10個挙げて、2005年の締めにさせていただきたいと思います。
(番号は便宜的につけたもので、「順位」ではないです)

(1)友達を必要なのは、大人になった今なのに。(1/30)
 ほんと、大人になると、友達つくるのって難しいですよね…


(2)ある「書店員」たちの、憂鬱な日常(3/13)
 大好きな本に囲まれて、いい仕事だよなあ…とお客としては思うけど…という話。でも、自分の好きなものを売れるのは、ちょっと羨ましい。


(3)インターネットはテレビを殺すのか?(3/28)
 まだインターネットはテレビを「殺す」というレベルにまでは達していませんが、少なくとも「テレビにとっての脅威」にはなってきていると思います。


(4)「日記」を書くときに、してはいけない2つのこと。(5/26)
 結局、僕もこの「してはいけないこと」をやり続けています。やっぱり、WEB日記というのは、純粋な「日記」ではないのかもしれませんね。


(5)プロの作家になれる人の見分けかた(6/15)
 実は、大事なのは「内容」よりも「形式」なこともあるのだ、という話。


(6)人生経験が豊かな人というのは、基本的に嘘である。(7/11)
 別に、派手なのだけが「経験」じゃないんだよね。「地味な人生」にだって、それなりの「経験」があるのです。


(7)『ファイナルファンタジー』誕生秘話(7/20)
 「誕生秘話」シリーズ(?)こんな個人的な理由で名付けられたゲームも、もうすぐ「12」が出ます。


(8)荒木飛呂彦さんがマンガ家になった「奇妙なキッカケ」(8/11)
 なにがキッカケになるか、人生ってわかんないものだなあ、というか、荒木先生らしいなあ、というか。


(9)「全国高等学校演劇大会」の閉会式での悲劇(8/22)
 この「修学旅行」という作品、ぜひ一度観てみたいものです。確かに、これほどわかりやすくて身近に「人はなぜ争うのか」が描かれた作品って、なかなかなさそう。


(10)「のび太のくせに!」誕生秘話(10/8)
 今年いちばんたくさんの人に読んでもらった回。「善意」というのは、ときに、ものすごい悪意に感じられることもあるのですねえ。

〜〜〜〜〜〜〜

 というわけで、2006年も、「活字中毒R。」は続きます。
 「いやしのつえ」のほうも、ひとつよしなに。

 それでは皆様、よいお年を!





2005年12月30日(金)
口に入れたものすべてを写真に撮った男

「本の雑誌」(本の雑誌社)2006.1月号の鏡明さんの「連続的SF話・258〜365日目のシリアル」より。

【「everything i ate」は、先月、書いたと思うけど、タッカー・ショーというライター/ヤング・アダルト作家が、2004年の元旦から大晦日まで、365日、何を食べたか、食事だけではなく、間食からキャンディまで、すべてを写真に撮って、まとめた本。
 で、出版社に、出版をもちかけたときに、担当の編集者が「でも、それって、あまりにも個人的に、すぎるんじゃない?」と返事をする。タッカー・ショーの反応は、うーん、そりゃそうだ。たしかに個人的さ、でもさ、それで、何が悪い、何が悪いってんだ。これは、自分が、この人生でやった最も正直な作業なんだ!
 たしかに、そのとおりです。365日、すべてで、格好をつけるわけにはいかない。一応、食物のライターもやっているみたいだが、それでも、演出するわけにはいかない。とにかく、口に入れたものすべてを写真に撮る。それがルール。この「すべて」っていうのが、すごい。

(中略。1999年に出版されたという、こぐれひでこさんの「ごはん日誌」という本のことが書かれています。こちらのほうは、「すべてではないし、写真やその日の行動について、エッセイ風の短文がそえてある。つまり、ちゃんとした読み物になっている」そうです)

 タッカー・ショーの方は、データである。食べたものの名前と、場所、その場にいた人の名前が、書いてある。それだけ。だからこそ、すべての写真ということに意味がある。
 たとえば、2004年の1月1日。最初の日ね。写真は、3枚。午後2時34分。トウ・ブーツの冷たくなったピザ。ソーセージ&オニオン。次は午後8時47分。シリアル。家で。9時02分。トライアル・ミックス。家で。
 これだけ。おまえら、元旦なのに、しかも、この馬鹿げた企画の初日なのに、冷たいピザかじって、あと、シリアルで、終いなの?とまあ、言いたくなるほどの素気なさ。
 では、最後の12月31日は、というと、こちらは、なるほど、がんばってくれている。全部で11種類。朝9時50分ブリオッシュ。1時42分マッシュルーム・キッシュ。3時58分中華ちまき、以下時間他省略。ポークヌードル・スープ、小龍包、生クリームとキャビア、トリュフとマッシュルーム・スープ、ペッパーココナッツ・ソースのタラ・ステーキ、ホワイト・チョコレートとスフレ、で、最後の最後に何を食ったか。実は、もう真夜中を過ぎて、元旦に入っているんだけどね。2時36分。
 シリアルにミルクをかけて食っている。たしか、初日にもシリアルを食べていたわけで、リアリズムって、そういうことなんだ。

(中略)

 食物が、生きるための補給物資ということでも、楽しみのためでもなく、日常と、その記録になるということだと、言ってもいい。タッカー・ショー自身の言葉でも、「この写真を見直していると、そのとき、どこで、誰と、どんなことを話していたのか、みんな、思い出すことができた」ということになる。読者である私には、そんなところまではわからないが、それでも、タッカー・ショーの生活がわかるような気もするし、自分自身との対比を、無意識に行っているようにも思う。極めて、個人的な試みであるけれども、それが、コミュニケーションを拒否しているわけではない。かえって、そのことによって。共有できるものがあるように、思える。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ネット上にも「食べたものを淡々と記録するよ」という有名サイトがあるのですが、確かに「食べたもの」と、そのときのイベントや生活パターンというのは、密接に関わりあっているんですよね。例えば、ここに引用されているタッカー・ショー(Tucker Shaw)さんの「食生活」の一部だけでも、けっこういろんなことを想像してしまいます。新年というイベントにはあまりこだわらない人なのかなあ、とか、キャンディまでというのは、けっこう几帳面な性格の人なんだろうなあ、とか。
 有名な美食家であるブリア・サバランという人に、「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間か当ててみせよう」という言葉があるのですが、確かに、「ヒルズ族」の若き社長たちの食べているものを見るとなんだか同じ位の年なのに、自分が日頃ラーメンとかカレーとかばっかり食べているのとくらべて、とても悲しくなってきます。
 それに、食べ物の好みとか食べかたって、ものすごくキャラクターがあらわれるのです。いつも同じようなものしか注文しない人がいれば、新メニューを見つけたら頼まずにいられない人もいるし、好き嫌いの有無というのも、なんとなくそれまでの人生を反映しているような気もしますし。
 僕は高校生くらいのころ、筒井康隆さんの日記で「中華料理店でカエルを食べた話」がごく普通に書かれていて、「ええっ、カエル!?」とびっくりしたことを今でも覚えています。「おいしいから」とカエルを平然と食べている筒井さんに、当時は「やっぱりこだわりのない、革命的な人は違うなあ!」なんて感心していたのですよね。僕も今ではカエルが中華の優秀な食材であることは知っていますけど、実際に食べるときには、「やっぱりカエルだしなあ…」とか考え込んでしまいそう。
 この、タッカー・ショーさんの場合には、いろいろ説明を書かずに、「本当に食べた物を全部記録している」というのが重要なポイントであり、そういう「純粋な事実」というのは、ある意味、言葉よりもよっぽど雄弁なのかもしれません。そして、そういう記録の対象としては、着ていた服とか読んだ本でもいいのかもしれませんが、やっぱり、「飾れない」という点では、食べ物ほど、その「記録対象」としてすぐれたものはなさそうです。
 「他人が何を食べているか」っていうのは、どうでもいいことなんだけど、すごく気になるんですよね。最初のデートのお誘いだって、大概、「どこかに食事にでも行きませんか?」だし。



2005年12月29日(木)
元祖プレイボーイが断言「モテたい男の子は本を読むといい」

『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)2006年1月号の特集記事「5236人の本好きが選んだブックオブイヤー」より。

(「2005年、モテ男たちはこんな本を読んでいた」というインタビュー集のなかから、「元祖プレイボーイが断言『モテたい男の子は本を読むといい』」というタイトルの石田純一さんのインタビューの一部です。取材・文は岡田芳枝さん)

【石田純一「よく街を歩いてると『どうやったら女の子にモテるのか教えてください』ときかれるんだけど、モテたい男の子は本を読むといいんですよ。ファッションだってオシャレにこしたことはないけど、知性はアンリミテッドですから、飽きられることもないと思います。ほら、伊藤博文なんて、正直、醜男じゃない?でも、彼の世界は魅力あるからモテるもんね、結局。
 僕の場合は、ロマンと現実の差異を埋めていく読書の仕方なんです。経済でも、グローバルスタンダードを礼賛する本を読む一方で、マレーシアのマハティール首相の声にも耳を傾ける、みたいなね」

インタビュアー:なるほど……。ところで、こんなふうに女性とのデートでも本の話をされるんですか?

石田純一「相手にもよりますよね。でもね、よく友達にも『それ、石田の手だからさ』と言われるんです。『それでボーっとなったら引っかかってる証拠だから』と。僕としてはそういうわけじゃないんですよ。ただ、大事な人が聞いてくれればいいんです」】

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 このインタビューをした記者の方、さぞかし大変だったでしょうね。もちろん、笑いをこらえるのに。この石田さんの話、どこまでネタだかわからないというか、ネタであってほしいというか…
 そもそも、石田さんの場合、これが『ダ・ヴィンチ』だから「モテたい男は本を読め」になっているだけであって、ファッション雑誌だったら「○○を着ろ」、グルメ雑誌だったら、「××を食べろ」とかになっていそうですしね。まあ、こういうのが、タレントとしての最近の石田さんの「芸風」ですから、いたしかたないんでしょうけど。
 でも、街で石田さんを見つけた男が「どうやったら女の子にモテるのか教えてください」なんていきなり聞くなんて、ちょっとありえないような…
 スピードワゴンのネタかと思いましたよまったく。
 さらに、「知性はアンリミテッド」と、リミッターかかりまくりのようにしかみえない石田さんが豪語し、「伊藤博文は醜男なのに…」なんて決めつけているのも凄いです。明治時代の美醜の概念なんて現代とは違うでしょうし、そもそも「伊藤博文の世界」って、いったいどんな世界なんだよ、と。著書は「大日本帝国憲法」?
 
 実際のところは、本を読んで内容を理解しようとするより、こんなふうにわかっていそうな薀蓄を傾ける技術のほうが、はるかに「モテるために役立つ」のかもしれません。でも、僕はとりあえず、こんな話に感心してしまう女の人にモテなくても、全然かまわないなあ、とは思います。



2005年12月28日(水)
名物「伊勢エビール」の味

「週刊SPA!2005.12/20号」(扶桑社)の特集記事「特選[マズい食い物]大図鑑」より。

(「餃子ようかん」や「いかチョコ」「ジンギスカンキャラメル」などの「珍しいけどマズい食べ物」を特集した記事の一部です)

【誰だ!?ビールジョッキに伊勢エビを突っ込んだのは!と思わず目を疑いたくなる代物が、「伊勢エビール」だ。実はコレ、『丸二ビッグドーム in 鳥羽』で名物メニューとして、実際に売られている。しかし、いったい何を考えてんだ?
「当店のメニューは健康をテーマに開発されています」
 と、大マジメに答える店長。あ、あのぅ……、子供のイタズラとしか思えませんけど?
「エビの殻には美肌効果のあるキチンキト酸が多く含まれていて、ビールに浸けることでキチンキト酸が溶け出します」(店長)
 で、実際に飲んでみたが、塩茹でした伊勢エビの香りがビール全体に広がって、はっきり言ってマズい! これなら伊勢エビをつまみにビールを飲んだほうがどれだけウマいことか……。しかし店長は、「アルコールと一緒に摂取すれば、血行がよくなって体内にも吸収されやすくなりますから一石二鳥ですよね」と、どこまでも大マジメ。一般客の反応が気になるところだが?
「テーブルに運ぶと、お客様は皆、大爆笑です。笑うことが健康には一番だとも言いますし、これからも出し続けます!」
 ビールとつまみが一つになった「伊勢エビール」。あなたには試す勇気、ありますか?】

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こちらがその「伊勢エビール」の実際の画像です。

 確かに、「お父さんに激怒されるような子供のイタズラ」にしか見えないですよねこれ。そして、実際に飲んでみたらけっこうイケる!というわけでもなく、エビくさいビールという、想像しただけで唸ってしまうような味。ちなみにお値段は3999円だそうです。
 ほんと、別々に食べて飲んだら無上の贅沢なのに…という気持ち、僕もよくわかります。いや、「アルコールと一緒に摂取したほうが、体内に吸収されやすい」って、そんなのわざわざこんなにどっぷりと浸けないで、別々に食べても胃の中では同じことになるだろ!と。
 この「伊勢エビール」の場合は、ある種のネタとして、店もお客も楽しんでやっているのですから、そんなに目くじら立てるようなことではないんでしょうけどね。見た目のインパクトは凄いし。そりゃあ、「なんでわざわざ美味しいものを不味くして食べるようなことをするんだ!」とお怒りの方もいらっしゃるのでしょうし、僕も勿体ないなあ、とも思うのですけど。
 しかし、この特集を読んでいると「アザラシカレー」だとか「甘口イチゴスパゲティ」とか、「亀ゼリー」とか、誰が一体こんなの売ろうと思ったんだ!というような食べ物って、けっこうたくさんありますよね。イナゴとかハブ酒のような、「とにかく体にいいということで許容されている食品」というのはたくさんありますけど、「伊勢エビール」に関しては、「そんなに健康が気になるのなら、そもそもビール飲むなよ!」という気もするし。
 でも、大手メーカーでも、「ピーチ風味紅茶」みたいな「えっ?」と思うような飲み物を開発し、発売してしまうのですから、「味覚」というのは、本当に人それぞれだということなのでしょうね。
 ところで、このリンク先の「伊勢エビール」の紹介コメントを読んでみると「体には最高の飲み物です」と書いてあるのです。この「体に『は』」というフレーズが、隠し切れなかった本音なのだろうなあ、きっと。
 



2005年12月27日(火)
村上里佳子を嘲笑うな。

日刊スポーツの記事「記者が振り返る05年下半期芸能界10大ニュース」より。

(記者たちの座談会の一部です。Aさんは芸能デスク(45歳)、Cさんは芸能記者歴4年の女性記者(33歳))

【A:暮れになって離婚発表が続いたね。吹越満と広田レオナ、渡部篤郎と村上里佳子、吉岡秀隆と内田有紀。ゴタゴタのまま越年したくない心理だろう。

C:里佳子といえば有名なのが2003年正月の芸能人ハワイ旅行取材。子供の顔なんか誰も撮ってないのに、ホノルル空港で「撮るな」「どきなさい!」と怒鳴りちらして大暴れ。その場にいた記者たちは「女性のあんな怖い顔初めて見た」って今も心の傷になってるらしい(苦笑)。渡部の苦労がしのばれる。】

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 ちなみに、このランキングの1位は「渡辺謙、南果歩電撃結婚」、2位が「安達祐美できちゃった婚」、3位が「本田美奈子.さん逝去」だそうです。
 ここで紹介されている、村上里佳子さんの恐怖エピソードなのですが、まあ、現場にいた記者側からすれば、「誰もお前のところの子供になんか興味ねえよ!」という感じで、村上さんの自意識過剰っぷりに閉口したのかもしれません。でも、芸能記者ではない僕としては、このエピソードで「渡部の苦労がしのばれる」とか言ってしまうこの態度は、なんだかすごくイヤな感じでした。取材する側の立場からすれば「子供を撮らないのなんて、取材者の常識」なのでしょうけれど、実際にカメラを向けられて何重にもフラッシュをたかれる側からすれば、そのすべてのカメラのファインダーにうつっているものが何かなんて、絶対にわからないはずです。
 そして、わからなければ、「もし自分の子供の写真が公開されて、犯罪にでも巻き込まれたら…」というような「過剰反応」に村上さんがなってしまったのも、致し方ないのではないかなあ、と思います。「過剰反応にも程がある」のだとしても、取材者として、もう少し取材される側の気持ちに配慮できないものなのでしょうか。
 そりゃあ、芸能人ですから、取材されるのも仕事のうちなのでしょうけど、万が一子供に何かあったら…と心配する親の気持ちなんて考えもしないで、「あんな怖い顔の女の人は、見たことない」とかネタにしてしまう芸能記者というのは、いったい何様なんだろう?と僕は感じるのです。
 犯罪被害者に対する報道などにも、こういう「取材してやっている」というような傲慢さが反映されているのではないかなあ、とか、つい考えてしまうのですよ。確かに、村上さんは気性の激しい人だとは言われていますが、そんな「見たことがないほど怖い顔」にさせてしまったのは、いったい誰のせいなのでしょうか?
 いや、もちろん記者というのは大変なんだろうけど、こんな傲慢な記者たちが同情すべきなのは、渡部さんよりも、自分たち自身に対してだと思いますよ。「ペンは剣より強い」と信じているのなら、どうしてそんな「凶器」を面白半分で振り回して平気な顔をしていられるんだろう。



2005年12月26日(月)
腹話術のテクニックで、いちばん難しいのは?

「週刊アスキー・2005.11.8号」の対談記事「進藤晶子の『え、それってどういうこと?』」より。

(「ボイス・イリュージョニスト」こと、腹話術師のいっこく堂さんのインタビュー記事の一部です。)

【進藤:腹話術のテクニックで、いちばん難しいのはどういう点ですか?

いっこく:口を動かさないこと。実は、これがいちばん難しい。

進藤:えっ!?

いっこく:だから常にそのことを、1本の柱として意識していないとダメなんです。油断すると動いてしまうものなんですよ。

進藤:最初は腹話術入門という本を読んで、1日8時間も練習されていたそうですが、今はどうですか。

いっこく:声慣らし程度で20分〜30分くらいかな。実は練習しないと出ない声もあるんです。

進藤:たとえば?

いっこく:「(コップの中から聞こえてくるような声で)おぉ〜い!」といった、こもったような声は練習しないと……って、今、本当に出なくなってますね(笑)。だから、ある程度ウォーミングアップしないと出せない声は、日ごろからちょっとずつ練習しておくんです。

進藤:寝る前に、ベッドでとか?

いっこく:そんな感じです。みなさんがよくマネをする”衛星中継”は、練習しなくてもできるんです。(衛星中継ふうに)「……こうやって、……口を動かして、……あとから、……声を、……出すわけです」。

進藤:うわっ! ホントに遅れて聞こえる!】

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 いっこく堂さんは、もともと喜劇俳優を目指して上京したものの、参加していた劇団での宴会芸がきっかけで「ひとりで芸を磨いてみよう」と思い立ち、腹話術の道に進まれたそうです。顎関節症に悩まされたりしつつも、現在では、日本を代表する腹話術師として活躍されています。先日、北京語での中国公演も行われたのだとか。
 この話のなかで僕が興味深く思ったのが、あれだけ「腹話術」という芸を進化させたいっこく堂さんが、「いちばん難しい腹話術のテクニック」として、「口を動かさないこと」を挙げられていることでした。「腹話術なんだから、そんなの当たり前じゃないか!」とも思うのですが、その一方で、あれほどの腹話術のテクニックを極めた人でも、「気を抜いてしまうと、口が動いてしまう」らしいのです。これはもう、テクニックというより、いかに集中力をキープできるか、ということなのだと思います。
 ステージに慣れてくると、つい、レベルの高いテクニックにばかり意識が向かってしまって、そういう基本中の基本を忘れてしまいがちになるというのは、なんとなく僕にもわかります。「そのくらいのこと、目をつぶってでもできる」なんて、熟練者を自負している人は言いたがるものですが、本当は、熟練しているからこそ「基本の怖さ」を知っているのですよね。

 それにしても、「傍からみた印象での難しさ」と、実際にそれをやる人間にとっての技術的な「真の難易度」というのは、けっこう違うもののようです。「衛星中継」なんて、ものすごく難しそうなのに、いっこく堂さん本人に言わせると、「こもったような声のほうが、練習が必要」だったりするのですから。
 そういえば、中学生のころ、教育実習に来た先生が、音楽の時間に、ショパンの「革命」を格好良く弾いているのを聴いて、僕たちは、「なんて凄いテクニックなんだ!」と感動したものです。でも、その先生は僕たちに、「この曲は、そんなに難しい曲じゃないんだけどね」と言っていました。そのときは、先生の謙遜だと思っていたのだけれど、今考えてみると、ピアニストにとっての「真の難易度」というのは、素人の聞き手が「スゴイ!」と思うような曲のスピードや派手さとはまた別のものなのでしょう。もちろん、そういう「一般の人へのインパクト」だって、プロにとっては大事なことには違いないとしても。



2005年12月25日(日)
「リアル」と「嘘」の狭間にある名前

「三谷幸喜のありふれた生活4〜冷や汗の向こう側」より。

【歴史ドラマを書いていて嬉しいのは、登場人物の名前を考えなくていいこと。これだけ膨大な数の名前を自分でひねり出さなくてはならないとしたら、気が遠くなる。
 だいたい僕の書く作品は、登場人物が多いので、毎回ネーミングには苦労している。
 田中勉さんとか斉藤洋子さんといった、リアルな名前はまず出て来ない。鬼瓦権八や綾小路トト子みたいな、作り物めいた名前もない。「リアル」と「嘘」の狭間にある名前をいつも探している。大宮十四郎、二葉鳳翠(共に古畑の犯人)といった、凝っているんだけど、そこはかとなくリアリティーも感じさせる、そんな名前。
 古畑任三郎は、国道246沿いにある「古畑医院」の看板を見て思いついた。別のドラマでは知り合いの薬販売業の方の名前が、あまりに響きが良かったので、本人の了承を得て丸々使わせてもらった。ただ実在の人物の名前を借用することはほとんどない。自分で考えたのに、「なぜ私の名前を勝手に使うのか」と苦情が来ることもあるくらいなので。
 逆に僕自身の名前が他の人の作品に登場することは、滅多にない。そんなに珍しい名前ではないのだが、見た目が淡白だからか、作家のイメージを喚起させないのだろうか。僕の知るところでは、川島雄三監督の「しとやかな獣」の若尾文子さんの役が三谷幸枝だった。尊敬する川島監督の作品なのでこれは嬉しかった。】

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 これに続いて、最近登場した「三谷」が主人公の映画の話になるのですが、【やっぱり、名前が三谷である以上、どうしても感情移入してしまう。ある意味、これほどのめり込んだ作品はない】と三谷さんは書かれています。
 冗談交じりに「なぜ三谷にしたのか、ぜひ原作者に訊いてみたいところだ」とも。
 実際にやってみると、物語の架空の人物に名前をつけるというのは、とても大変なことのようなのです。以前、田中芳樹さんが『銀河英雄伝説』の作者あとがきのようなところで「ドイツ風の名前のストックが尽きてきて大変だ」というようなことを書いておられました。作家ではない僕たちからすれば、ストーリーを紡ぐことの難しさに比べて、登場人物の名前なんて、簡単なものなんじゃないかと思うのですけど、やっぱり「それらしい名前」を考え出すというのは、意外と難しいみたいです。さすがに「山田太郎」ってわけにはいかないだろうし(『ドカベン』もあるしね)、あまりにもどこにでもいそうな名前では読者のインパクトに残らず、あまりに奇をてらってしまえば、「そんな名前のヤツ、いないだろ!」と名前が出てきた時点で興醒めされてしまいます。主人公だけではなく、脇役にも「それらしい名前、役柄にふさわしい名前」をつけていかなければならないとしたら、それはもう、本当に大変な仕事ですよね。馬みたいに、ナリタさんちのブライアンズタイムの子供だから、ナリタブライアン、というわけにはいかないものなあ。
 それにしても、小説や映画、TVなどで、自分と同じ名前が呼ばれていると、良かれ悪しかれ感情移入してしまいますよね。この人、どこかで僕と血が繋がっているのだろうか?とか。子供時代は、悪役キャラと名前が同じだと、翌日の学校でイジメのネタにされたりもしていましたし。
 とはいえ、【自分で考えたのに、「なぜ私の名前を勝手に使うのか」と苦情が来ることもあるくらい】というのは、本当にお気の毒な話です。「あなたのことじゃないです」って言って、簡単にわかってくれるような人は、そんなクレームはつけてこないでしょうし。
 まあ、名前に限らず、ネット上に書いたことを「これは私のことですね!」と思い込んでしまう人、ときどきいて困惑することもあるのですが…



2005年12月23日(金)
「電車男」から、ヲタク男性へのアドバイス

『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)2006年1月号の特集記事「5236人の本好きが選んだブックオブイヤー」より。

(総合ランキング1位に輝いた『電車男』さんへのメールインタビューの一部です)

【編集部>あの、電車男さんはもうオタクではないんですか?

電車男>ヲタクじゃありません!(`・_・´)

編集部>じゃあ本のなかでも電車男さんがエアチェックを怠っていなかった『ふたりはプリキュア』『ケロロ軍曹』は、もう見てない?

電車男>そういえば見てないです。

編集部>実は、『ダ・ヴィンチ』編集部には、23歳、彼女いない歴23年・童貞という、オタク編集者がいます。彼は、電車男さんにエルメスさんという彼女ができたことを羨ましいと思う反面、「裏切り者!」という気持ちもあるようです。彼のような感情を抱くオタクは少なくないと思うのですが、これに対して、電車男さんはどうお考えになりますか? 所詮、負け犬の遠吠えでしょうか?

電車男>多くのヲタクは趣味や萌道を極める為に、収入や時間をつぎ込んだり、萌えキャラに全てを捧げたりするのが当たり前なので、それ以外の事に気を移すのはヲタにとってよろしくないことなんですね。今は特にそういう傾向が強いと思います。でも、全てのヲタがそういう訳じゃないんですしね。普通に恋愛して恋人がいたり、結婚してたりするヲタも世の中にたくさんいます。もし三次元で好きな人が出来たりしても、ヲタだから恋しちゃいけない、しない。とか諦めるとかはすごく勿体無いことだと思います。

編集部>では、恋愛をしてみたい!というヲタク男性にアドバイスを。

電車男>勇気を持って行動することでしょうか。他にも自分を磨くことや、誰かに相談することなど。他にも相手に迷惑をかけないように心がけるとか。あと、自分の話ばかりしないで、相手の話をよく聞いて関心を持つこととか。】

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 今年、2005年に社会現象になった「電車男」。その真贋については、いろいろと言われてはいるようですが、「女性に縁のない男が、努力して素敵な女性の心を射止める」という純愛ストーリーは、王道であるだけに多くの人々の心を捉えました。ネットや書籍の「電車男」に比べれば、テレビや映画の「電車男」は、よりシンプルなラブストーリーになりすぎているような気はしますけど。僕は電車男とエルメスの「純愛」よりも、「電車男」がエルメスとの恋を成就させたあとに延々と書き込まれている、「名無しさん」たちのたくさんのアスキーアートのほうに、より感動していたので。それでも、「電車男」によって、「ヲタク」という存在が、良くも悪くも注目された年にはなったと思います。
 「電車男」さんがここで言われていることは、「ヲタクにもいろんな人がいる」ということであり、それはもう、厳然たる事実だと思うのです。「電車男」を読んで、「うらやましい…」と思ったヲタクもいたでしょうし、「裏切り者!」と思ったヲタクもいたように。女性にだって、「浮気よりヲタク趣味のほうが安全」だという人だっているそうですし。もちろん、フィギュアに負けるなんて…という悲劇的な状況だって起こりうるのだけど。

 このコメントで僕がいちばん印象に残ったのは、【自分の話ばかりしないで、相手の話をよく聞いて関心を持つこと】を電車男がヲタク男性たちにアドバイスしていることなんですよね。僕にもその傾向があるのですが、ヲタクの弱点というのは、「コミュニケーション慣れしていないために、『自分が何か面白いことを言わなければ!』と気合が入りすぎてしまう」ということなんですよね。実は、コミュニケーションで大事なことは「自分が面白いことを言う」だけじゃなくて(というよりむしろ)、「相手の話を面白そうに聞いてあげる」ということなんですよね。そりゃそうですよね、どんなに話が面白くても、こちらの話に全然聞く耳を持ってくれない人とは、長時間話すのは辛いもの。
 でも、【電車男>ヲタクじゃありません!(`・_・´) 】って、そのリアクションは、やっぱりヲタクだろ!と思ったもの事実なんですけどね。
 ヲタクの魂、百まで、だよなあ。



2005年12月22日(木)
嘘つきな「ビーチ・ボーイズ」

「意味がなければスイングはない」(村上春樹著・文藝春秋)より。

【僕は当時、神戸の近くの海岸沿いの町に住んでいた。静かな小さな町だ。毎日夕方になると犬を連れて近くの海岸を散歩したが、その海にはたいした波は立たなかった。瀬戸内海でサーフィンをするのは、「相当に難しい」と「不可能である」の中間あたりに位置する行為だ。実物のサーフボードを僕が目にしたのは、ずっとずっとあとになってからだ。つまり僕は、サーフィンとはまるで縁のない場所に住む、サーフィン・ミュージックの熱心なファンだったわけだが、そのような地域的ハンディキャップによって、彼らの音楽の理解が阻害されるというようなことは、おそらくなかったと思う。だって――これはあとになって知ったことだが――ビーチ・ボーイズのリーダーであるブライアン・ウィルソンは、南カリフォルニアに生まれたものの、海に入るのが怖くて、サーフィンなんてただの一度もやったことがなかったくらいだから。】

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 『サーフィンUSA』という大ヒット曲があるビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが、実は【サーフィンなんてただの一度もやったことがなかった】というのは、イメージからすれば、かなり意外な気がします。いや、それであんなにサーフィンの曲をたくさん作って大ヒットさせるのってどうなんだ?と。
 しかしながら、そういう「実体験」の無さというのは、必ずしも「サーフィンに関する曲を作る」という点においては、マイナス面ばかりではないのかもしれません。
 マンガ家・永井豪さんの「伝説」に、「一度『経験』してしまうと、自分のエロスが描けなくなるから、一生童貞を通している」というのがあります。実際のところはどうなのかわかりませんが、確かに、そういう「美しき幻想(あるいは妄想)」こそが、創作者にとってのモチベーションであり、重要なモチーフになっているという面は、否定できないと思います。ビーチ・ボーイズの例で言えば、本格的にサーフィンをやっている人は、「サーフィンって、そんなに明るくって楽しいことばっかりじゃないんだよ…」なんて、「現実」に引きずられてしまう場合だってあるでしょうし。僕たちにとっての「医者からみた医者ドラマ」がそうであるように。
 むしろ、人々が望むものは、「真実」よりも「幻想」の中にあることが多いのでしょうね。もちろん、その「幻想」を、みんなが納得するような形でうまく取り出すのは、誰にでもできることではないのですけど。



2005年12月21日(水)
吉岡秀隆さんの「成功」と内田有紀さんの「孤独」と

日刊スポーツの記事より。

【俳優吉岡秀隆(35)と内田有紀(30)が21日夕方、代理人を通して都内の区役所に離婚届を提出した。2人は02年放送の人気シリーズドラマ「北の国から2005 遺言」の共演をきっかけに交際がスタート。同年12月7日、同ドラマの舞台だった北海道富良野市で、雪が舞う中の幻想的な結婚式を挙げた。結婚後、内田は家庭に入り休業していた。だが、吉岡はドラマ、映画に立て続けに出演。長期ロケなどで家を空けることが多く、擦れ違い生活が続き、内田が家で孤独を感じたことが離婚の原因とみられる。内田は11月末に同居していたマンションから引っ越し、今月11日に離婚届にサインした。そして21日、3年間の結婚生活に終止符を打った。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ちょうどお昼ごはんを食べているときに、このニュースを聞いてびっくりしました。不仲だというような噂は聞いたことなかったし。
 先日の渡部篤郎さんと村上里佳子さんの離婚に関しては、「ああ、とうとう離婚したのか…」という感じで、とくに驚きはなかったのですが…
 それにしても、あの幸せそうだった富良野での結婚式から、もう3年なんですね。
 しかし、思い出してみれば、この2人が結婚して内田さんが仕事を辞めて家庭に入るという話を聞いたとき、僕は正直、「えーっ、内田さんのほうが売れてるのに…吉岡秀隆って、『北の国から』が終わったら、もうオシマイなんじゃないの?それで食べていけるの?」と失礼なことを思ったものでした。
 もちろん、僕たちの世代のアイドルであった内田さんを射止めたオトコへのやっかみ成分も大量に含まれていたのですが。
 ところが、吉岡さんは、内田さんとの『北の国から婚』で注目されたためか結婚後は露出が増えて、『Dr.コトー』という新しい当り役にも恵まれました。最近では、映画『3丁目の夕日』も大ヒットしています。そして、この内田さんの「別れる理由」をそのまま信じるとするならば、こうして吉岡さんが売れっ子になってしまったことで2人は「すれ違い生活」になってしまったんですよね。要するに、「内田有紀と結婚したこと」は、吉岡秀隆を役者としてステップアップさせた一方で、「家になかなか帰ってこない男」にしてしまった、ということになるのです。
 結婚した当時の状況ならば、比較的親密な生活を送れるはずだったし、2人とも、そのつもりだったのでしょうに。
 これって、ものすごく皮肉な話です。
 よく、売れる前に自分を応援してくれた人と結婚したのに、成功したとたんにそのパートナーを捨てて他の異性に奔る、なんていう話があります。そういうのって、他人の目でみれば「恩知らず」だとしか言いようがないのですが、当事者にとっては、鎌倉時代の主従関係じゃあるまいし、「御恩と奉公」で結婚生活が維持していけるわけもないのですよね。成功した側からすれば、いつまでも「昔のあなたは…」なんて頭を押さえつけられるより、無条件に自分を尊敬してくれる相手のほうに惹かれるというのも、よくわかりますし。
 「結婚」によって、孤独から解放されるはずだったのに…
 3年間でも結婚生活を送ったことは、人生にとってけっしてマイナス面ばかりではないとは思うのだけれど、やっぱり、結婚って難しいものだなあ、と、僕もつくづく感じました。家で内田有紀が待っていても、やっぱり「仕事」があれば、帰るよりも仕事のほうが大事なのかな、とかね。
 



2005年12月20日(火)
人生を変えた『キング・コング』

「週刊SPA!2005.12/13号」(扶桑社)の「トーキングエクスプロージョン〜エッジな人々」第413回・ピーター・ジャクソン監督のインタビュー記事です。取材・文は、森山京子さん。

(映画『キング・コング』へのジャクソン監督のこだわりについて)

【インタビュアー:どのシーンからも完璧を期すあなたの情熱が観ていて伝わってきました。そこまで『キング・コング』のリメイクに入れ込んだのはどうしてなんですか。

ピーター・ジャクソン(以下PJ):僕の人生を決定した映画だからだよ。テレビでオリジナルの『キング・コング』を観たときのことは今でも覚えている。僕は9歳で、金曜日の夜だった。そこにはアドベンチャー、ロマンス、エモーション、すべてが揃っていた。僕は完璧にファンタジーの世界に連れていかれ、最後にコングが死んだときには泣いていた。そして、自分も映画監督になろうと思った。それからずーっと、『キング・コング』のような映画を作ることが、僕の夢だったんだ。

インタビュアー:オリジナルは何回くらい観たんですか。

PJ:多分、20〜30回は観てるだろうね。つい最近も、デジタル修整されたDVD版を見た。ティーンエイジャーのころは、小遣いをためて買った8ミリ映画版の『キング・コング』を見ていた。まだビデオがなかった時代で、とても高かったけどね。自分の部屋の壁にシーツをかけて、繰り返し観ていたんだ(笑)。

インタビュアー:12歳のころに、スーパー8で『キング・コング』を撮ったんですってね。スゴイですねぇ。

PJ:そうだよ。すべて手作り。コングの模型はワイヤーでフレームを作って、それをフォームラバーでくるんだ。そして母からいらなくなったキツネのストールをもらって、その毛皮をはがして貼りつけた。ニューヨークの街並みはシーツに描いて、エンパイアステートビルは段ボール製。紙で木を作って緑色に塗り、粘土製のブロントサウルスが葉っぱを食べているシーンも撮ったなぁ。あのキング・コングやエンパイアステートビルはまだ持っている。幸運のお守りとして編集ルームに置いてあるんだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ピーター・ジャクソン監督は、1961年にニュージーランドで生まれています。オリジナルの『キング・コング』が公開されたのは、1933年。ジャクソン監督よりひとまわりくらい下の年齢の僕からすれば、監督の『キング・コング』熱というのは、ちょっと不思議な感じがします。そのくらいの時代だったら、もっとこう技術的にスゴイかったり、カッコよかったりした映画があったんじゃなかろうか?と。でも、監督にとっては、とにかく『キング・コング』だったんですよね。
 それにしても、このジャクソン監督の12歳のころのエピソードには驚かされました。いくら『キング・コング』好きでも、まだホームビデオも無かった時代に8ミリを使って、ここまでいろんなことにこだわって撮影するなんて、ちょっと信じがたい。この人には、本当に「映画監督の血」が流れているのだなあ、とか考えてしまいました。まあ、いくら小遣い貯めたとしても、それが許される、恵まれた環境にいたというのも事実なのでしょうが。
 その一方で、「一流の映画監督になるような人は、ここまで『違う』ものなのか…」と僕はちょっと寂しい気持ちにもなったのです。ここまでの「才能」と「こだわり」が、映画監督として成功するのに必要であるならば、高校生くらいで映画監督を目指して勉強をはじめたような人は、到底ジャクソン監督に追いつくことはできないのではないか、と。
 映画監督という仕事は、いろんな人の夢とか希望をブラックホールのように吸い込んで、ごく一部の人間にだけ大成功を、そして、多くの人間には落胆とか絶望をもたらしているのかもしれません。
 『ロード・オブ・ザ・リング』で名声を得たジャクソン監督が、この『キング・コング』で受け取る「監督料」は、史上最高額の2000万ドルなのだとか。このジャクソン監督の人生もまた、ファンタジーだよなあ。
 



2005年12月19日(月)
作者の「気分転換」だった『こちら葛飾区亀有公園前派出所』

「このマンガがすごい!2006年・オトコ版」より。

(来年(2006年)30周年を迎える『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の作者・秋元治さんのインタビュー記事の一部です。秋本さんが勤めていたタツノコプロを辞めて、マンガを描きはじめたころの話から。インタビュアーは奈良崎コロスケさん)

【インタビュアー:タツノコには何年勤めたんですか?

秋本:2年半くらいですね。

インタビュアー:辞めた当時でも20歳ソコソコ。

秋本:それからは自宅で戦争モノを描いていました。『そして死が残った』(のちに『平和への弾痕』と改題して刊行)って作品なんですけど。引きこもって描いているから世界にどんどん入っちゃって。気分転換に次は楽しい作品にしようと思って描いたのが『こち亀』なんです。

インタビュー:反動だったんですね。

秋本:そうです。振り子みたいにフラーッと。絵は劇画調のままギャクを描いて、ヤングジャンプ賞に応募したら、変わっているということで目にとまって入選して。

インタビュアー:じゃあ29年前に描いたベトナム戦争モノの反動だけで、ここまで来ちゃったようなものじゃないですか!

秋本:そのとおり(笑)。で、運よく読み切りが載って、連載することになったんですけど、とにかくすごい重圧で……。ギャグなんてほとんど描いたことがないし、中年が主人公っていうのもジャンプに合わないと思ったし、行き詰るのは目に見えていた。

インタビュアー:タイトルも長いし(笑)。

秋本:ハハハハ。表紙に入らないから迷惑だって言われて(笑)。あのタイトルも賞に応募するときに目立つように、わざと長くしたまでなんですけどね。

インタビュアー:そうやって、なかば見切り発車的に始めた連載に反響があったんですね。

秋本:どうせ10話で終わるって思っていたんですけど、編集長から「このまま続けたい」って言われて。さすがに続けられるのか悩みましたね。でも最初の担当さんが、「下町云々にこだわらず、どんどん広げていこうよ」って言ってくれて。それで中川も再登場させて、趣味のミリタリーとかクルマを出していくようになったんです。】

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 来年で連載30年目を迎えるという『こち亀』こと、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』なのですが、記憶をたどっていくと、このマンガって、僕が小学校の頃友達の見よう見まねで読み始めた、二十数年前の「週刊少年ジャンプ」にも載っていたんですよね。もちろん、当時から連載が続いている週刊誌のマンガなんて、他にはありません。あの頃、小学生の僕にとっては、『キン肉マン』や『北斗の拳』『Dr.スランプ』などの人気漫画と同じ雑誌に載っていたこのマンガに、けっこう違和感を持っていたような気がします。なんだこの地味なマンガは…という感じで。
 それが、今となっては、ジャンプを手に取ったときに「ああ、もう『こち亀』しか読めるマンガが無い…」なんて思うようになってしまいました。
 このインタビューを読んでいると、両さんこと「両津勘吉」が生まれたのは、「ベトナム戦争モノなどの重いものばかり描いていた秋本さんの気分転換」だったそうなのです。まあ、その一方で、「目立つと思ってタイトルを長くした」なんて、「売れるために」計算されている部分もあったりするのですけど。
 それにしても、秋本さんがここで仰っているように「ギャグなんてほとんど描いたことのないマンガ家が気分転換のつもりで描いた、中年が主人公のマンガ」が、まさかこんなに大ヒットして、長く連載が続くなんて不思議ですよね。「こんなマンガが子どもにウケるのか?」という疑問は当時の編集者にだってあったでしょうし。今となっては『こち亀』が載っているのが「週刊少年ジャンプ」なのですけどねえ。
 いままで、「10週とか20週で打ち切られた、超大作のつもりのマンガ」をたくさん見てきた僕としては、こういう「描いているほうも10週のつもりだった」作品のほうが長く人気を博しているのは、ちょっと皮肉な気もするのです。でも、サイトのコンテンツなどにしても、意外とそういう作品のほうが人気になったりもするものなので、読み手にとっては、肩の力が抜けていて心地よい作品になるのかもしれません。
 ところで、あらためて考えてみれば、「両さん」って、日本で最も有名な「オタクの先駆者」ですよね。
 



2005年12月18日(日)
今は、観客が許さないんです。

「週刊SPA!2005.12/13号」(扶桑社)の鴻上尚史さんのコラム「ドン・キホーテのピアス・547」より。

【『トランス』が終わりました。キャンセル待ちをしながら、入れなかったお客さんがたくさんいらっしゃって、心痛みました。
 いつもなら「補助椅子」というヤツを出して、座ってもらうのですが、今回は一切の「補助椅子」が出せませんでした。
 劇場は、定員というのが決まっていて、消防法という法律では、それ以上の観客を入れることが禁止されています。
 といいながら、演劇を大切にする劇場・ホールでは、その法律は、しばしば破られます。
 と、ミもフタもないことを書いています。残念ながら、今回に関しては、こちらには、正当性はありません。
 法律は法律です。
 けれど、全国の演劇を大切にするホール・劇場は、補助椅子を出したり、通路に座布団でお客さんに座ってもらったりしています。
 劇団や演出家や制作者やお客さんと仲良くなった劇場・ホールのスタッフは、必死になって入場したいと何時間も前から並んでいる人たちを帰すのがしのびなくなるのです。
 最終日、楽日だけ、そういう観客を認めるという劇場・ホールもあります。
 ふだんは絶対にだめだけど、楽日だけは、お客さんを入れるのです。
 それは、いい意味での”日本的いいかげんさ”だと僕は思っています。建前と本音を、いい意味で使い分けている日本人の知恵だと感じるのです。
 みんなが法律違反しているけれど、演劇を見たいと熱望しているお客さんにだけは、特別に対応する。
 観客のことを一切考えないホール・劇場は、そういうことをしません。公立のホール・劇場は、特にしません。もちろん、公立だから消防法を厳守しようという姿勢があるのでしょう。けれど、民間の劇場はします。人情としてするのです。
 僕は初めて第三舞台の公演として、紀伊國屋ホールを使わせてもらった20年前は、通路に二枚ずつ座布団を敷いて観客に二列に座ってもらいました。
 まさに、場内、びっしりという感覚で、熱気に溢れた会場になりました。
 やがて、10年前くらいから、観客自体が通路に座ることを嫌がり始めました。
 代わりに、補助椅子という代用の椅子が登場しました。
 通路に座布団だと100人近くの人が入れましたが、補助椅子だと50人ほどになりました。
 法律で、通路は最低90cm開いていないといけないとなっています。椅子を置くと、50cmほどになります。歩くと、少しぶつかります。
 で、今回、この補助椅子が一切だめだと紀伊國屋ホールさんから言われたのです。

(中略:通路に椅子が置けなくなった理由を、鴻上さんは消防署の署長が代わって、取り締まりが厳しくなったのだと推測するのですが…)

「なんという署長ですか?」
 と、紀伊國屋ホールのスタッフさんに質問すると、「鴻上さん、そうじゃないんです」と、悲しそうな声が返ってきました。
「署長が代わったからじゃないんです。通路に補助椅子を出していて、観客から『危険だ』と何度も通報されたんです。通報されたら、消防署も動かざるをえなくて、何回目かの時に、『これ以上通報されるようなことがあったら、もう、こちらとしても考えがある』って言われたんです」
 と、衝撃的なことを教えてくれました。
「今は、観客が許さないんです。通路に椅子があると、地震が来たらどうするんだとか、火事になったらどうするんだ、なんで消防署はあんな劇場を取り締まらないんだって、すぐに電話するんです」
 スタッフは、ため息をつきました。
「観客が変わっちゃったんです。昔は、観客同士が、一人でも多くの人が芝居を見られるようにしようって思ってたはずなんです。だから、通路に人が座っていても、問題にしないどころか、かえって盛り上がったんです。でも、今はそうじゃないんです。自分が安全かどうかが問題なんです。他の観客が芝居を見られるかどうかは、問題じゃないんです。
 今回は、冒頭に書いたように、こっちにはまったくの正当性はありません。けれど、それを承知であえて書けば、通路は90cm以上という数字は、絶対に正しいのか。】

〜〜〜〜〜〜〜

 このあと、鴻上さんは、「問題は、通路の幅ではなくて、避難手順じゃないか」と書かれています。でもたぶん、鴻上さんが悲しんでいるのは、50cmとか90cmとかいう問題じゃなくて、「観客の質」の変化に対してなのではないか、と僕はこれを読んで感じました。
 鴻上さん自身も「強弁」と書かれているのですが、「余裕があったほうが、いざとなったときに安全性が高い」のは事実ではあるのですよね。もし火事とかで場内がパニックにでもなれば、その50cmと90cmの差で、命を落とす人だって出るかもしれません。
 でも、送り手として「観たい人がいてくれるなら、ひとりでも多くの観客に観てもらいたい」という鴻上さんや劇場スタッフの気持ちや「補助席でもいいから、舞台を観たい!」という演劇ファンの気持ちも、僕にはわかるのです。僕も舞台は好きですし、よほどメジャーなものでなければ、演劇というのは、公演終了後に観ることはできません。演劇というのは映画以上に、「観客としてその場にいること」に意義があるものだと思うのです。舞台演劇がビデオ化されたものをいくつか観たことがあるのですが、やっぱり、生の舞台の熱気や緊張感とは全然違うものだし。
 これは本当に難しいというか、立場によって答えが変わってくる問題だと思います。送り手や劇場スタッフからすれば、「ひとりでも多くの人に観てもらいたい」のは当然だし、チケットが取れなかった人にとっては、「通路でもいいから、なんとか観たい」はずです。でも、すでに自分の席がある人にとっては、「いざというときに、自分の安全が脅かされるようなのはイヤ」なのも当然です。上演時間なんて2〜3時間くらいのもので、その時間内にものすごい自然災害に遭遇する確率というのは非常に低いと考えて良いでしょうが、だからといってお客さんを一杯一杯に詰め込んでしまって、その「万が一」のことが起こってしまったら、どうしようもないし…

 ただ、少なくとも「自分がちょっと危険になってもいいから、他の人にも見せてあげよう。同じ演劇ファン同士なんだし」というような、「連帯感」が薄れてきているのは間違いないようですね。
 これって「演劇ファン」に限った話ではなさそうだよなあ。



2005年12月17日(土)
「甘い言葉」しか受け入れられない「保護者」たち

毎日新聞の記事より。

【福岡県志免町の町立志免中学校(結城慎一郎校長)で社会科の男性教諭(48)が、授業で「臨時召集令状」を全2年生218人に配って戦争参加の意思を聞き、「いかない」と回答した女子生徒に「非国民」と書いて返却していたことが分かった。結城校長は「戦争の悲惨さなどを教えるためで、問題はない」と話している。
 町教委の説明によると教諭は10月27、31日に「第二次世界大戦とアジア」の授業をした。教諭は副教材に掲載されている「臨時召集令状」をコピーし、裏面に戦争に「いく」「いかない」の、どちらかを丸で囲ませ、その理由を記入させた。
 「いく」「いかない」の意思表示をしたのは208人で白紙が10人。「いく」理由は「当時としては仕方がない」「家族を守るため」など。「いかない」は「家の事情」「今はいきたくない」などだった。
 「いかない」と回答した女子生徒の一人が、理由に「戦いたくないし死にたくないから。あと人を殺したくないから」と書いた。これに対し、教諭は赤ボールペンで「×」印を付け「非国民」と書き入れて返した。
 女子生徒はショックを受け事情を知った女子生徒の保護者らは「社会科の教諭を代えてほしい」と話しているという。
 町教委は、非国民と書いたことについて「確認できず分からない」という。そのうえで授業の狙いを(1)召集令状の持つ意味を理解させる(2)生徒の歴史認識を把握する――としており「決して思想信条を調べるものではない」と説明している。】

〜〜〜〜〜〜〜

 うーん、僕は正直、これが「問題」として日本を代表する新聞に取り上げられてしまっていることに、ものすごく違和感があるんですけど。
 今の教育の現場というのは、そこまで、「口当たりの良い教育」だけを求めているのでしょうか?小学校低学年じゃなくて、中学2年生の話ですし…
 確かに「非国民」というのは強い否定の言葉で、言われたらショックだとは思います。でも、この記事の文脈からすれば、この先生が言いたかったことは、現代人が常識として持っているような【「戦いたくないし死にたくないから。あと人を殺したくないから」】という感覚が、完全に否定されていた時代が、そんなに昔でもないこの国に存在していたのだ、ということだと思うのです。
 そりゃあ、「非国民」なんて書かれたらショックだろうけど、言ってみればこれは「ショック療法」なんですよね。先生が「非国民」と書くことによって、書かれたほうは「なぜ?」と憤るでしょうし、そこから、「そんな時代になった理由」について、真剣に考えてくれることを期待していたのではないでしょうか。歴史の傍観者として「昔の人はバカだったんだなあ」と他人事にしてしまうより、「その時代の人間の立場に自分がなったら?と考える」というのは、ものすごく意味があることだと思うのです。生物としての人類はこの60年間で劇的に進化したわけではないのに、どうして60年前の人々は、戦争で人を殺すことを正当化できていたのか?
 僕は、「非国民」という言葉を使うことそのものがダメだ、というような発想は、「戦争反対を唱えること自体が罪だ」というのと、同じような性格のものだと感じます。どうして保護者たちは、そこで、「戦争が正しかった時代」のことを中学生の娘に話してあげなかったのでしょうか。ただ教科書を読み上げるだけの「安全な」授業より、こういう授業のほうが、はるかに「教育的」なのではないかなあ。あるいは、この先生が普段からよっぽど生徒に嫌われていたとか…
 「うちの娘が泣かされたからとにかくクレームをつける」なんて、この保護者たちは、子どもを「温室栽培」することだけを求めているのですかねえ。そんなの、社会に出たらすぐに枯れちゃうよ……



2005年12月16日(金)
あるベストセラー作家の「読書のキッカケ」

「2006年度版・このミステリーがすごい!」(宝島社)より。

(「半落ち」「クライマーズ・ハイ」などの作品で知られる、作家・横山秀夫さんのインタビュー記事の一部です)

【仕事、そして組織をテーマの中核とする作品を多数出している現在を見れば、その考えも納得がいく。
 では、横山氏が新聞社へ入社したキッカケはなんだろう。やはり多くの作家と同様、物を書き、書を読むことに傾倒した少年時代を過ごしてきたのだろうか。

横山「とくにマスコミに強い関心があったわけではないんです。ただ、子どものころから文章を書くのが好きで、本もよく読んでいました。小学校時代には誰よりも図書館で本を借りる子どもで、”図書館王”などと呼ばれて。実際に書いてもいて、たとえば『フランダースの犬』の結末がどうしても許せず、犬を生き返らせるために物語の続きを自分で書いたりしていました。中学、高校、大学となると、陸上やサッカーなど、部活のほうに熱中してしまい、いったん読書から離れてしまうのですが、小学生のころはまぎれもなく本の虫でしたね」

では、そこまで読書に傾倒するキッカケとなったものは何か?

横山「それがですね、小学校の低学年のときに駄菓子屋で万引きをして、それが学校や親にバレてしまって(笑)。周囲の子どもの親たちが。”横山君と遊んじゃいけない”という空気になり、友達が全然いなくなってしまったんです。遊ぶ相手がいないから、本を読むしかなかった(笑)。ホームズやルパンから入って、世界文学全集のようなものまで片っ端から読みました。
SFも大好きでせっせと読んで、ひたすら空想の中に生きてましたね」】

〜〜〜〜〜〜〜

 いまや日本を代表するベストセラー作家のひとりである横山秀夫さんが、読書にハマったきっかけを語ったものです。まさか、「万引きがバレて、誰も遊んでくれなくなったから、本を読むしかなかった」とはねえ。
 まあ、この話が100%事実かどうかはわからないのですが、子どもにとっては学校での交友関係が世界のすべてみたいなところがありますから、そのときの横山少年の心境としては、まさに「本を読むしかなかった」のだと思います。学校で遊んでくれる友達がいなかったら、僕もきっと、空想の世界に生きるか、学校に行くことそのものを止めるかのどちらかを選んでいたと思うし。もちろん本が好きだからこそ、”図書館王”なんて呼ばれるほどになったのでしょうけど、もし、この「万引き」がなかったら、横山さんの読書体験は、ここまで切実なものにはならなかったのかもしれません。いくら本好きの子どもでも、やっぱり、友達に誘われれば、全部「お断り」というわけにはいかなかっただろうしね。
 この話を読んでいると、結局、「切実な読書体験」というのは、孤独な状況でないとできないのではないかな、とか考えてしまいます。そういう意味では、横山さんの小学校時代の万引きは、結果的には、「半落ち」を生み出すきっかけになった、ということになりますね。
 万引きをすればベストセラー作家になれる、なんていうものではないんだけど。

 



2005年12月15日(木)
今の若手はネタはいいけど、フリートークができない。

「Quick Japan/Vol.63」(太田出版)の「総力特集・ラジオ」より、明石家さんまさんのロングインタビューの一部です。取材・文は、礒部涼さん。

(さんまさんが25年以上続けているというラジオ番組「MBSヤングタウン(ヤンタン)」について)

【インタビュアー:さんまさんにとって、「ヤンタン」とはどういう場所ですか? 例えば、自宅とか、あるいは実家とか……。

さんま:いや、オレの中ではトレーニング・ジムみたいなイメージですね。TVが球場。ラジオではオチまで辿りつくのにゆっくり40分かけられるから、その間に振りをひねったり、脱線したり、いろいろ試して筋肉を鍛えるという。

インタビュアー:さんまさんが今年の6月、「小堺一機のサタデー・ウィズ」(TBSラジオ)に出演されたとき、「今の若手はもっとラジオをやるべき。ラジオをやって、しゃべらないといけない状態に追い込まれなければいけない」と仰ってました。これはようするに、「ジムで極限まで自分を追い込まないと身につかないことがある」という意味ですよね。

さんま:そうですね。芸人はラジオをやらなきゃいけない、というのがオレの持論なんです。何しろ昔の「ヤンタン」は3時間でしたからね。3時間、フリートークで引っ張る苦労はもの凄かった。やっぱり鶴瓶兄さんとか、ラジオで揉まれた世代を観てると、フリートーク上手いなぁと思いますもん。今の若手はネタはいいけど、フリートークができない。

インタビュアー:いま、とくに若い人のラジオ離れが進んでいると言われていますが、さんまさんはどう思いますか。

さんま:今日、ラジオは実験場だとか、ラジオはジムだとかいろいろ言いましたけど、オレに限らず、芸人なら誰でも、ラジオでしゃべっているうちにいろんなことを思い付いて、それをTVで披露するということはあると思うんです。だから本当に野球好きなひとはトレーニングも観に行くみたいにね、本当にお笑いが好きならもっとラジオを聴いて欲しいと思いますね。

インタビュアー:では、最後に。さんまさんは「ヤンタン」をいつまで続けますか?

さんま:毎日放送さんが許してくれる限り。いや、「恋のから騒ぎ」は結婚するまで続けるって言ってるから、「ヤンタン」も結婚するまで続けることにしようかな。てことは、いつまでも続けることになりそうやね(笑)。】

〜〜〜〜〜〜〜

 自他ともに認める、「しゃべりの名手」明石家さんまさんが語る「ラジオ論」、最近車での移動中くらいしかラジオを聴くことがなくなった僕にとっても、かなり興味深いインタビューでした。
 僕が中高生の時代には、「オールナイトニッポン」などの深夜放送がまだまだ盛んでしたから、よくラジオを聴きながら勉強していましたが、実際のところは、ラジオを聴くために勉強しているフリをしていたことも多かったような記憶があります。試験前日に聴くラジオって、不思議なことに、いつもよりものすごく面白いような気がするんですよね。それこそ、「勉強どころじゃない!」というくらいに。
 それにしても、送り手側から考えれば、「マイク1本で、パーソナリティの話と音楽だけで2時間も聴取者をひきつけ続ける」というのは、シンプルなだけにごまかしが効かない、非常に怖いものなのではないかな、という気がするのです。さんまさんが仰っている「しゃべらないといけない状態」っていうのは、パーソナリティにとって、やりがいがあるのと同時に、すごいプレッシャーであるにちがいありません。とにかく、自分が何かをしゃべらないと「放送事故」になってしまうのですから。
 そして、「フリートークの申し子」であるさんまさんでさえ、「実験場としてのラジオ」を必要としているというのも、けっこう意外でした。傍からみていると、条件反射のようにすらみえるトークのために、日頃からラジオでトレーニングをしている、ということなんですよね。まあ、それは一種の照れ隠しみたいなもので、たぶんしゃべるのが大好きなさんまさんにとっては、「テレビではなかなかできない、自分にとって新しいことを存分にできる場所」でもあるのかもしれませんけど。

 【今の若手はネタはいいけど、フリートークができない。】というさんまさんの言葉、読んでいてなるほどなあ、と思いました。フリートークだけが芸人の武器ではないでしょうけど、息が長い芸人や司会業などで稼いでいる人たち、たけしさんとか、タモリさん、ナインティナインなどは、みんな「オールナイトニッポン」などで、2時間くらいの長時間ラジオのパーソナリティの経験があるんですよね。もともと「フリートークが上手いから起用された」という面もあるのかもしれませんが、経験を積むことによって、技術が向上することは間違いないでしょうし、少なくとも、アドリブで場をつなぐのは上手くなるだろうな、と。さんまさんは、【昔、テレビの台本に「ここでさんま登場。キャラクターを生かした楽しいトークで、5分スタジオを盛り上げる」としか書いていないことがあって、さすがにそのときは放送作家をどついてやろうかと思った】とある番組で話されていましたが、そんな芸当、誰にだってできるわけじゃありません。さすがにその放送作家は手を抜きすぎだとは思うけど、確かに、ヘタな台本より「おまかせ」のほうが面白くなりそうだという判断も、わからなくはないですし。

 現代は、夜になったら、ラジオを聴くか本を読むかの二者択一だった20年前ではなく、ビデオやDVDもあれば、ゲームやネットだってあるし、「夜はヒマ」なんていうことはない時代なので、ラジオというメディアにとっては、本当に難しい時代なのだと思います。でも、だからこそ、より「実験的な」ラジオというメディアには、まだまだ可能性がたくさん隠されているのかもしれません。
 それにしても、さんまさんでも、やっぱりしゃべるのに「苦労」することもあるんですね。
 



2005年12月14日(水)
おもしろいことに、女は男の顔を殴ってもいいけど、男が女の顔を殴るのはいけないの。

「週刊ファミ通」(エンターブレイン)2005.12.16号の映画『Mr.&Mrs.Smith』の紹介記事より。

(主役のスミス夫妻を演じる、ブラッド・ピット(ジョン・スミス役)とアンジェリーナ・ジョリー(ジェーン・スミス役)のインタビューの一部です)

【まずは、ブラッド・ピットさん。

インタビュアー:郊外に住み『Mr.&Mrs.スミス』と同じように退屈な結婚生活を送っている夫婦は、映画を観たあと暮らしに希望を持てると思いますか?

ピット:それはわからないよー。でもそれを喩えている映画だし。本当の”映画のおもしろさ”を、コメディータッチの下に隠している、人間関係をうまく表現した愉快な作品だとは思うよ。お互いを殺し合う状況に置かれたふたりが、自分をさらけ出し、相手を理解していくんだから。

インタビュアー:映画の中に、愛と人間関係についての、目に見えないレッスンがあると思いますか?

ピット:そんなのない、ない。僕はレッスンとやらからは離れたいと思っている。これは人間の本質を暴露し、そのプロセスが笑える映画だ。自分を見失うことは簡単だし、夫婦を結びつけた最初の想いも失われやすい。そして、それに対するマニュアルなどないってことだよ。

インタビュアー:なるほど。共演のアンジェリーナ・ジョリーについて、コメントをください。

ピット:ただただすばらしい女性だとしか言えない。偉大な女優で、本当に素敵な人です。

インタビュアー:映画のどこに惹かれて出演を決めますか?

ピット:それは、誰が準主役になるかによるね。スポーツだと、1着の人だけが栄光と賞賛を手にする。でも僕はいつも2番の人に魅了されるんだ。それがいちばんおもしろいと思ってね。


続いて、アンジェリーナ・ジョリーさん。

インタビュアー:この映画の観どころを教えてください。

ジョリー:すべてよ!最高なの。互いにもう愛情が冷めてしまった倦怠期の夫婦が、いつも隣にいる人を改めてよーく見るの。笑えて、男女の関係を表現していて、ブラック・ユーモアがあって、アクションに発展していくんです。

インタビュアー:ご自身は仕事をしやすいタイプだと思う?

ジョリー:共演者に聞かないとわからないけれど、やりやすいほうだと思う。映画制作はチームワークで成り立つし、それが大好きなんです。

インタビュアー:アザや傷を作ったそうですね。

ジョリー:ふたりとも傷だらけよ。いちばんたいへんだったのは家の中での戦いのシーン。不自然とか間抜けにみえないよう、それでいて恐ろしさも表現しないといけない。だから撮影に何日もかかったわ。ソファの影で殴り合っているシーンは、動きを再三考えた。おもしろいことに、女は男の顔を殴ってもいいけど、男が女の顔を殴るのはレーティング上(暴力描写などで異なる映画鑑賞の年齢制限)いけないの。だからちょっと矛盾があるかも。女は蹴っ飛ばしたり、物を投げつけたり、銃で男を撃ってもいいけど、男が女に攻撃するときは鏡越しとか、ソファで隔したりとかして、実際に女を蹴っている姿を見せてはならないの。その動きはおもしろいと思うけど、演じるときはとても面倒だったわ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 先日この『Mr.&Mrs.スミス』を観たのですが、このインタビューでブラッド・ピットさんが話されているように、【本当の”映画のおもしろさ”を、コメディータッチの下に隠している、人間関係をうまく表現した愉快な作品】だと思いました。冷静に考えれば「ありえない!」と思うような展開もあるのですが、主役2人存在感もあり、素直に楽しめる映画です。
 そういう意味では、ブラッド・ピットさんの「レッスンとやらからは離れたい」という言葉には非常に好感を受けたのです。だって、「レッスンさせること」を志向した映画って、基本的に何の感動もないような気がするから。

 実は、僕はこのアンジェリーナ・ジョリーさんの「レーティングの話」を映画を観に行く前に読んでいたのですが、そういう視点で観ると、この映画のアクションシーンの「観せかた」は、ものすごく興味深いものでした。ダグ・リーマン監督は、アクションの演出には定評がある方のようなのですが、この映画の「夫婦の対決シーン」は、まさに「レーティングへの挑戦」だったのではないでしょうか。
 この映画の内容からすれば、スミス夫妻は「互角」の戦いをしてみせなければなりません。でも、「女性から男性への攻撃シーン」は問題なしでも(映画のなかでも、そりゃあもう「痛い!」というシーンの連続でした)、「男性から女性への攻撃シーン」には、厳しい制限が加えられます。そこで監督は、「直接傷つけるシーンを見せずに、いかに『痛み』を観客に伝えるか?」という目的を達成するために、さまざまな「直接は見えないけど痛そうな観せかた」をしているんですよね。こればっかりは、実際の作品を観ていただくしかないと思うのですが、そういう目でみると、「レーティングに合わせるのも大変なんだなあ」とあらためて感じます。あるいは、「アニメの『北斗の拳』かよ!」とか。
 まあ、考えようによっては、こういうのも「男女差別」なんじゃないかな、という気もするんですけどね。
 たぶん、世界の女性がみんな、アンジェリーナ・ジョリーだったら、こんな「レーティング」なんて必要ないだろうなあ…



2005年12月13日(火)
「千葉の顔だね」と言われた女

日刊スポーツのインタビュー記事「日曜日のヒロイン」第493回・市原悦子さんの回の一部です。

【何げない一言が、忘れられない言葉になることがある。市原にとって、往年の二枚目スター森雅之さんの一言が、今も記憶に残っている。俳優座養成所時代、森さんが俳優座公演に客演した。ある日、あこがれのスターから楽屋に呼ばれ、どきどきしながら入っていくと、森さんは市原の顔を見つめて聞いた。「どこの生まれ?」「千葉です」「千葉の顔だね」。

 「どんな気持ちでおっしゃったんでしょうかね。悪意はなかったと思うんですけど。まだ、18か19でしょ。傷つきました。当時は顔に劣等感がありました。きれいに生まれたかったなと思ってましたから。でも、今考えると、何か欠陥がある方がバネになると思う。劣等感を乗り越えるために、何かを身に着けないといけないでしょ。だから、劣等感もマイナスじゃない。劣等感や欠陥というのがなければ、さらに上を見られないこともあるでしょう。満たされないものを満たしていきたいという思いが原動力になる。人の批判も同じ。どうしてそんなことを言うの、って怒ってしまえば終わりだけど、それをどう克服するかが大事なんじゃないかしら」。

 俳優座に入団し、初めての舞台「りこうなお嫁さん」で主役だった。共演は平幹二朗。「ハムレット」のオフィーリア、「三文オペラ」のポリー、「セチュアンの善人」の主役と、大きな役を次々と演じた。

 「若いからジタバタしながら、やってました。急性すい臓炎になった時も15日で退院して舞台を続けたし、足のつめがはがれてもやってました。ほかのことに目がいかなかったですね」】

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 20歳前の自分の役者としての未来に大きな希望を持っていた市原さんとしては、いきなり大先輩に「千葉の顔」なんて言われたら、さぞかしショックだったことでしょう。千葉の人には失礼ですが、この文脈だと、褒め言葉だとは思えないでしょうし…
 言われてから50年経っても、まだ覚えている言葉なんて、そんなにたくさんはないですよね。
 「悪意はなかった」というのも、そういう言葉って、悪意が感じられないほうが、かえって自然な感想なのだという気がして、かえって嫌なこともあるだろうしなあ。
 それにしても、この市原さんの【満たされないものを満たしていきたいという思いが原動力になる。人の批判も同じ。どうしてそんなことを言うの、って怒ってしまえば終わりだけど、それをどう克服するかが大事なんじゃないかしら】という言葉、何か言われるたびに、すぐ頭に血が上ってしまいがちな僕にとっては、「そういう考え方もできるのだなあ」と、あらためて考えさせられるものでした。そんなの「誹謗中傷」だとしか思えないような言葉なはずなのに。そういう「満たされないもの」に対して、自分の武器を磨いてきた結果、現在69歳になられても「市原悦子の世界」を維持していけるのでしょうね。どんなに若いころ美しかったからといって「家政婦は見た!」を22年間も続けてこられる役者なんて、そんなにいないはずだから。
 コンプレックスがあればこそ、それを乗り越えようとすることもできるのですよね。まあ、だからと言って、他人に「千葉の顔だね」とかいきなり言うのは、あまりに失礼だとは思うのですけど。
 それにしても、あらためて考えると疑問になってきたのですが、「千葉の顔」って、いったいどんな顔?



2005年12月12日(月)
「使わない」という「すき屋」の選択と戦略

共同通信の記事より。

【牛丼チェーン「すき家」を展開するゼンショーは12日、輸入再開が決まった米国産牛肉について「残念ながら日本の消費者に安心して提供できる段階ではない」「使いたいが使えない」などと、当面、使用を見送るとする見解を発表した。
 ゼンショーは独自の現地調査を踏まえ、(1)危険部位の完全除去が日本の基準から見て不十分(2)飼料規制も不十分(3)全頭検査をしなければリスクを取り除けない−などと指摘。「米国は感染牛がいないことを証明してほしい。それが生産者の責任だ」と訴えている。】

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 今日、アメリカ産牛肉の輸入再開が決定したわけですが、【米国産牛肉の使用をめぐっては、吉野家ディー・アンド・シーが輸入再開後1カ月半―2カ月で復活させる方針のほか、松屋フーズも品質と価格を考慮し、現在の中国産から米国産への切り替えを検討するとしている】のだそうです。アメリカ産の牛肉にこだわり、ごく一部の店舗を除いては主力商品の牛丼を販売できずに苦戦していた吉野屋にとっては、まさに、待ちに待った決定に違いありません。
 しかし、この記事を読んでいると、「牛丼受難の時代」にオーストラリア産牛丼で売り上げを伸ばした「すき家」は、「安全性重視」で、今後も当面はアメリカ産牛肉を使用しないことにしたようです。吉野家の社長が、「安い牛丼を復活させるためには、アメリカ産牛肉の輸入再開が必要」と、やや経済効率に重きを置いた発言をしていたのに比べたら、かなり好感度は高そうです。ちなみに、今回の輸入解禁の条件としては、【禁輸解除の対象はBSEの危険性を抑えるため、生後20カ月以下で、病原体がたまりやすい脳などの特定危険部位を除去した牛の肉に限定。
 米国は日本向けに輸出できる食肉処理施設の認定などに着手する見込みで、早ければ年内にも輸入牛肉が日本の消費者に届くことになる。ただ月齢条件などがあり供給量が限られるため、牛丼に使われるばら肉、牛タンなど、部位によっては品不足が続きそう】ということで、それなりの科学的根拠に基づいた判断なのでしょうが、その一方で、「政治的判断」もあったのだろうな、とは感じられます。「統計学的にはBSE感染の可能性が低い」としても、日本向けに輸出するのなら、国産牛と同程度の検査基準にするのが自然なのではないか、とも思いますしね。
 ただ、この話を読んで僕が感じたのは、この「すき屋の見解」というのは、おそらくアメリカ産牛肉で牛丼を再開するであろう吉野家をはじめとする競合各社に対する「差別化戦略」でもあるのだろうな、ということです。
 アメリカ産牛肉が入手できなくなったことで牛丼が出せなくなった吉野家に対して、オーストラリア産牛肉を使って牛丼を販売してアドバンテージを得た「すき屋」にとっては、今回の輸入再開を契機に、今度は「安全性」をアピールポイントにしようという戦略なのだろうな、と思われます。
 食べ物に関しては、最も重要かつ基本的なはずのことまで、「競争のためのアピールポイント」になってしまうという状況は、ある意味嘆かわしいことではあるのですけど、こんな時代ですから、確かにそれなりの説得力はありそうです。「そのほうが売れるんだったら、安全性重視!」みたいな印象もなくはないんですけど。
 最近、松下電器の「謝罪コマーシャル」が延々と流れていますが、あのCMにだって、「松下は安全性に気をつけていて、悪いことはちゃんと謝ってスジを通すメーカーですよ」という、積極的な意図も見え隠れしていますし。
 こういう記事を読んでいると、ビジネスの世界というのは、本当に「生き馬の目を抜く」ような世界なのだと実感させられます。昨日のハンデキャップも、今日のセールスポイントだものねえ。
 まあ、僕は忘れっぽい消費者なので、そういうのに対して違和感を抱きつつも、結局、再開されれば吉野家の牛丼を「だいじょうぶかなあ」とかブツブツ言いながらも、食べているような気もするんですけどね。
 



2005年12月11日(日)
メイドさんが家にやってくる!

「週刊SPA! 2005.12/13号」(扶桑社)の記事「こんなものまで!?『宅配ビジネス』最前線」より。

(「メイド宅配ビジネス」の紹介記事です)

【オタク市場が急成長するなか、メイドデリバリーサービスの『キャンディフルーツ』が登場したのは昨年の6月。代表取締役・小野哲也氏は当時を振り返る。
「もともとは、メイド服のブランドがメインだったのですが、商品を着てもらうモデルを募集したところ、200人以上の応募があった。面接すると”将来は本物のメイドになりたい”というコが非常に多かった。そのときに”メイドはご主人様に仕えたい。客もメイドに来てもらいたい。つまり双方のニーズが一致しているから破綻はない”と、このビジネスを思いついたんです。求人にも困らないし、勝算はありましたね」
 当初は、萌え萌えなお兄さんたちからの注文がすべてと思っていたそうだが、最近では女性や一般家庭からの発注も多いという。
「メイド2人と執事の3人で伺います。大手のハウスクリーニングだと、2人来て半日で5万ほど。それに比べれば価格も手頃です。メイドを雇うとリッチな気分になれるからか、主婦の方が注文してくるケースもあります。収益は例年に比べて倍以上です。
 しかし、最近では競合店も登場。メイドブームも飽和状態か?
「正直、ブームは今がピークですが、どんな時代になっても決してニーズがゼロになることはない。隙間な業種だからこそ、信用あるサービスと新しいアイディアを提供することが大事なんです」】

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 ちなみに、この『キャンディフルーツ』では、メイド2人に執事1人が掃除に訪問してくれて、2時間3万円から、だそうです。純粋に「ハウスクリーニング」として考えたら、さて、「2人で半日5万」という大手のハウスクリーニングとどちらがお得かというのは、けっこう微妙なところかもしれませんね。このメイドさんたちの掃除のスキルがどの程度かはわからないのですが、少なくとも「専門家より上」とは考えがたいような気はします。結局は、「メイド服を着ている」という点に、その人が、どのくらいの「付加価値」を見出せるか、ということなんでしょう。それでも、「萌え萌えのお兄さん」以外の一般家庭からの発注がけっこうあるというのは、けっこう意外でした。「リッチな感じ」だからというより、単に「大手のハウスクリーニングより安いから」という理由だけなのでは…
 それにしても、この内容からすれば、女性のなかにも「メイド志願者」がけっこういる、ということなんですね。正直、あんまり面白そうな仕事だとは思えないのですが、マンガ「エマ」(森薫著)とかの影響なのでしょうか。「将来は本物のメイドになりたい!」なんていう女の子がそんなにいるなんて、ちょっと信じがたいような話です。
 この雑誌に載っているメイドさんの写真を観ていると、確かに「萌え萌えなお兄さん(というのはちょっと苦しいか…)である僕としても、ああ、こんなメイドさんが家に来るのか…と感慨深いものがあるのです。
 でも、このメイド服って、どう考えてもあんまり一生懸命掃除をするのには向いていないような気がするし、こんな女の子たちを、僕の汚い部屋に入れるのは恥ずかしいなあ、とか思うんですけどね。
 先に部屋を綺麗にしてからじゃないと呼べないハウスクリーニングって……
 



2005年12月10日(土)
年賀状の1枚も寄こさない男

「野村ノート」(野村克也著・小学館)より。

【監督をやった人はみな、選手が活躍したり成長すると、「誰のおかげだ」という。
 親の心子知らずといわれるが、これはもうどの世界も同じだ。
 ヤクルト、阪神と監督をやって、多くの選手が年賀状くらいはちゃんと寄こすが、古田からは年賀状も来ない。2000本安打を達成したときに古田がインタビューを受けているのをテレビで見たのだが、アナウンサーがもう無理やりそういうふうに言いなさいと仕向けているような質問をして初めて「野村さんに感謝しています」と答えていた。しかもただそのひと言だけ。いかにも無理やりいわされたという感じで、私はいい気持ちがしなかった。
 感謝というのは大事なことだが、難しいものでもある。口に出していわないほうがいいのか、心の中で感謝していればいいのか。なかには口では何とでもいうが、心のなかでは舌を出している者もいる。ただ、黙ってたらわからない。短い言葉でも人を感激させ、感動させることができる。まさに「言葉は力なり」。言葉がなければ、何も伝わらない。
 日本では年賀状や暑中見舞いといった風習がある。お中元やお歳暮を贈る風習もあるが、簡単な年賀状をもらうだけでも気持ちは通じる。しかし古田からはそれが一切ないから、正直彼が私のことをどう思っているのか私にはわからない。
 私が育てたと自負する選手のなかでは、石井一からも年賀状1枚来ない。ただ彼の場合はわかる。年賀状だけで人を判断してはいけないかもしれないが、彼の性格とでもいうのだろうか、常識を心得ないところがあって、人と感覚が違うのだ。私にはそれがマナーの欠如と映ることもある。彼に対しては私の心のなかで「自分の教育が足りなかった」「試合で使いたいばかりに人間教育を怠った」という反省がある。結婚もしていることだから、奥さんが内助の功を発揮して夫の支えとなるべきである。
 しかし古田に関しては、「教育した」という達成感があるだけに、なかなか納得できない。まあ彼に関しては、私も人間教育以外にも全身全霊をこめてあらゆる指導をし、超一流まで育てあげたという気持ちがあるため、求めるものが大きいのかもしれないが。】

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 まさに年賀状準備シーズン。ほんとうに、ついこのあいだまで、「年賀状なんて、気が早いねえ」とか思っているうちに、今年も残り3週間になってしまいました。いただくのは大好きなのですが、自分が出すのはひたすらめんどくさくて、例年ギリギリにならないと準備を始めない僕も、そろそろ不安になってくる時期。ただ、不安になりはじめてから実際に手をつけるまでに、また時間がかかってしまい、結局は紅白歌合戦を観ながら年賀状を書き、初詣で投函、というパターンに陥りがちなのですけど。だいたい、あの年賀状という風習も、そろそろメールとかに切り替わっていくのではないか、と言われはじめて早何年か…実際は、やっぱり年賀状くらいは葉書で、と考える人のほうが、まだまだ大多数のようです。でも、あれって、僕にとっては、お正月にコタツでチラッと見て「あいつの子供も大きくなったなあ」なんて感慨にひたり、あとは1年後の翌年の年賀状のときに住所を確認するくらいのものなんだけどなあ…

 この「野村ノート」という本には、智将・野村克也の野球理論が散りばめてあって、僕も目から鱗が落ちるような気持ちで読んでいたのですが、さすがにこの部分には、ちょっと絶句してしまいました。
 あの古田選手も、けっこう冷たい人なのだなあ、と思ったのも事実ですが、いくらなんでも、こんなこと著書に堂々と書かれては、古田さんもたまらないと思います。公然と「アイツは恩知らずだ!」と誰もが認める「恩師」に批難されているわけですから。しかし、こうして読み手側に立ってみると、「年賀状の1枚も送ってこない」というのは、確かにものすごく恩知らずな人だというイメージを与えてしまうものなんですね。さすがに、年賀状の有無だけで「人間教育の失敗」とか言われてしまうのは、あんまりだと思うのだけど、あらためてそういわれてみると、「年賀状を送ってこない」という事だけで、「この二人には、なにか感情のしこりがあるのか?」と外野は考えてしまいます。野村さんと古田さんといえば、その師弟関係は誰もが知るところで、今の古田さんがいるのは野村さんのおかげだというのは周知の事実ですが、こんなことをわざわざ著書に書かずにいられないような人にいろいろとものを教わるというのは、古田さんにとっては、すごくストレスだっただろうな、と思います。芸能界でも、「売れたとたんに、昔から応援してくれたマネージャー役の妻を捨てて、若い芸能人と不倫」なんて話はよくありますし。その原因は、「恩知らず」なだけではなくて、いつまでも「私のおかげで」と言われ続けることへの反発もありそうですけどね。少なくとも、今の古田さんにとって、野村さんというのは「煙たい存在」ではありそうです。俺だって超一流プレイヤーになったのだから、と。
 ほんと、野村さんがもうちょっととっつきやすい人だったら、野村さんのすばらしい野球への情熱と知識が、もっと多くの人に伝わっていたのだろうと思うのですが、世の中というのは、なかなかうまくいかないものですね。

 さて、来年の元旦には、野村さんのもとに、古田さんからの年賀状が届くのでしょうか?
 こんな野村さんみたいな人もいるんだな、と思うと、たかが年賀状だと甘くみずに、とりあえずお世話になった人には出しておいたほうがよさそうですよね。「人間教育の失敗」とか、言われるのはさすがに悲しい。
 しかし、そう考えてみると、たかが葉書一枚のことなのに、年賀状って、けっこう怖いものですね。



2005年12月09日(金)
指輪が抜けなくなって困ったときの対処法

「とらちゃん的日常」(中島らも著・文春文庫)より。

(中島らもさんが、指輪が抜けなくなって困ったときの話)

【しかしおれには、これだけ腫れ上がった指にはまった指輪が、氷水とサラダオイルで抜けるとはとても思えなかった。
 スタジオからの帰りぎわ、ギターの山内がぽつりとおれに言った。
「消防署だと、とってくれるかもしれませんよ」
「え。消防署?」
「ええ。むこうにある工具で切ってくれるんだと思うんですが」
「よし、わかった」
 氷水とサラダオイルより、そっちのほうが楽チンなような気がした。どうせはまっているのは1200円くらいの安ものの指輪だ。切られたからって、どうということはない。しかし、ほんとうに消防署でそんなことの対処をしてくれるのだろうか。
 疑心暗鬼のまま、事務所に一番近い消防署「東雲分署」へ行った。
 ガラス戸の窓口があって、そこの署員が1人いる。松本人志に少し似ている。
 コンコンと窓を叩いて開けてもらい、指を見せて事情を説明する。するとその人は、「ああ、指輪ですか。申し訳ないんですが、うちは分署なので、リングカッターを置いてないんですよ。中央署の方に行ってもらえませんでしょうか。内本町6丁目です。こちらから連絡を入れておきますので」
 中央署? リングカッター? 何やら由々しき事態になってきた。タクシーをとばして内本町の中央署へ行った。するとカーディガンを着たおじさんが、ほいほいと二階からおりてきて、
「ああ、指輪の人ね。そこに坐ってください」

 丸椅子に座ると、おじさんはパッケージから「リングカッター」を取り出した。曲線を描いたハサミのような形をしている。平べったいハサミの一辺をおれの指と指輪の間に差し込み、ネジでキリッキリッキリッキリッと締めていくと、やがてパツンと指輪が切れた。おれはついに指輪から解放された。
「こんなこと、よくあるんですか」
「うーん、月に1回くらいかねぇ」
 それにしても、その人たちはなぜ消防署に行けば指輪を切ってもらえるということを知っていたのだろう。不思議だ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 確かに、あらためてこう言われてみれば、消防隊は、さまざまな事故現場で救助活動をすることも多いのですから、「金属製のものを切れるような工具」を常備しているのは当然ではあるんですよね。でも、僕もこれを読んではじめて「そうか、消防署に頼めばいいんだ!」ということを知りました。正直、「指輪が抜けない」ということで病院に来られたらどうしよう、なんて、ドキドキしながら読んでいたんですけど。
 それにしても不思議なのは、この「指輪が抜けないときには、消防署に行けばいい」という「生活の知恵」が、どこから伝播していっているのか?ということなのです。この文章からすると、中央署でも月平均1回くらいしか使用される機会はないのですから、そんなにしょっちゅう利用されることもないはずなのに、なぜか身のまわりにその「情報」を知っている人がいるなんて。「月に1人くらい」というのは、いかにも「都市伝説的」で、なんだか不思議な気分にもなるのです。まあ、指輪をしたことがある人は、誰でも一度や二度は「抜けなくて困った」という経験がありそうなものですから、多くの人は「氷水とサラダオイル」でなんとか対処して、実際もそれでなんとかなってしまうものなのでしょうね。
 こういう「日頃役に立ちそうもない知識」にもかかわらず、「知っている人は知っている」ということって、けっこうあるものなんですね。こういう話を耳にしてしまうと、これ以外にも、ひょっとして、世の中には自分だけが知らないで損していることというのがたくさんあるのではないかな、とかいう気もしてくるのです。

 それにしても、最初にこの「指輪が抜けないときは消防署へ」というのを広めたのは、いったい誰なんでしょうね。その「パイオニア」は、どんな人だったのでしょうか。本人にとっては、けっして「武勇伝」にはならないことなのですけれど。
 でも、とりあえず「知っておいて損の無い話」ではありますよね。
 もちろん、「切られたら困るような指輪」の場合には、この手は使えないのをお忘れなく。



2005年12月08日(木)
『第9中隊』の悲劇

「クーリエ・ジャポン」001.創刊号(講談社)の記事「アフガン侵攻を描いた超大作が、ロシアの世論を真っ二つに」より。記事を書いているのは、ロシア人のイトーギ記者です。

【『プライベート・ライアン』では、米軍が一兵士の救出に全力を注ぐ。ところが『第9中隊』では、アフガニスタンで闘う隊員の救出に、ソ連軍は戦車1台、ヘリコプター1機はおろか、歩兵の1人もよこさない。混乱のなか、第9中隊は完全に忘れ去られてしまったのだ。政府が軍に即時撤退を命じ、軍事介入は終結したにもかかわらず、第9中隊の若者たちは死んでいくしかなかった。これが実際にあった「忘れられた連隊」事件の顛末である。
 ボンダルチュク監督がアフガン侵攻を取り上げたことに驚いた人は多かった。ソ連・アフガニスタン戦争を題材にした映画といえば、駄作・愚作の代名詞のようなものだったからである。金髪の「ランボー」たちがイスラム戦士ムジャヒディンの一団と一掃するプロパガンダ映画を、我々ロシア人は何本観せられてきたことだろう。いずれもハリウッドのB級映画を思い起こさせる、お粗末なものばかりだった。
 だが、『第9中隊』は、ありきたりの戦争映画とは一線を画している。戦争映画にお決まりの戦闘シーンよりもむしろ、18歳の無邪気な兵士たち7人の運命が淡々と語られる。誰にも顧みられることなく、名も知らぬ高地に置き去りにされた若い兵士たち。一中隊の犬死にを見届けたのは、高くそびえるアフガニスタンの山々だけだった。

 月並みな表現だが、「正義のための戦争」にしても「民族紛争」にしても、戦場で戦う人間は自分が何に命をかけているのか、わかっていたはずだ。
 しかし第9中隊は、まったく不条理な死に方をした。彼らの無駄死にの責任は、誰もとってはくれない。この犯罪の指導者であるソ連の指導部は、とっくに消滅してしまっているのだ。
 見逃してはならないのは、この映画の「正義」の裏にある「陰の面」だ。確かにソ連の指導者たちは、若い兵士たちの悲劇に目を向けることはなかった。ボンダルチュク監督は自分の映画づくりの技術、政治意識、才能を総動員して、そのことを指摘しようとしていたのだ。
 だが、ボンダルチュク自身も敵側の視点、つまりアフガニスタン人の苦難についての視点を完全に欠いている。
 別に公表を禁じられているわけではないので明らかにするが、ソ連軍がアフガニスタンに駐留していた期間、実に150万人におよぶアフガニスタン人の命が奪われているのである。これはソ連側の死者数(公式発表では約1万4000人)の100倍にものぼる数だ。
 また政治学者が指摘しているように、現在の惨憺たるアフガニスタン情勢が、ソ連のアフガニスタン侵攻に起因しているのも事実である。

 『第9中隊』の観客は、ロシア兵の死には声をあげて泣く一方、ソ連のミサイルが報復攻撃でアフガニスタンの村全体を焼き尽くす場面では快哉を叫ぶ。映画がそのようなつくりになっているからだ。
 はるか遠くから炎の中の村を俯瞰するシーンは、政治的野心に汲々としてアフガニスタンを眺めるソ連指導者の近視眼的視点と重ならないだろうか。
 確かにこの映画は型どおりの戦争映画とは一線を画しているが、加害者としての戦争認識が甘いという側面は、否定できまい。
 つまり、この映画にアフガニスタン側の視点が欠けているために、反戦メッセージが弱まっており、それが観客を困惑させるのだ。
 これは愛国者の映画か、非国民の映画か。ソビエト的なのか、反ソビエト的なのか。公開直後、映画評論家のあいだで論争が生じたのも、その辺に理由があるのだろう。】

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 公開1週目で12億円近い興行収入を記録したという、この『第9中隊』、製作には、ロシア映画史上空前の10億円が費やされ、50万ドル(=約6000万円)がかけられた飛行機の爆破シーンが、大きな話題になっているそうです。ハリウッドの「超大作」に比べれば、金額的には微々たるものではあるのですけど。
 この紹介記事から、この『第9中隊』という映画の魅力が伝わってくる一方で、「戦争を語ることの難しさ」みたいなものを僕は感じました。
 「この映画は、アフガニスタン側からの視点に乏しく、反戦映画としてのメッセージが弱い」とイトーギ記者はここで書かれていて、それは確かに「戦争というものを俯瞰する」という立場からは「正しい」のだと僕も思います。でも、その一方で、そういう「神の視点からのメッセージ」というのは、ストレートに観客に伝わるのだろうか?という疑問もあるのです。
 例えば、原爆について描かれた映画に、「日本軍がアメリカ兵を虐待するシーン」が含まれているとすれば、はたしてそれは、「反戦メッセージ」を強める効果があるのだろうか?と。
 戦争を語るための「視点」には、本当にさまざまなものがあります。当時の指導者の立場からみたもの、双方の状況を歴史的に俯瞰したもの、翻弄される個人・あるいは家族の実体験…
 そしてこれらは、どれが「正解」というわけではないのです。そこには、「それぞれの立場からみた光景」があるだけなのだから。
 そして、戦争の「怖さ」というのは、「そこで生きている普通の人々は、そんな『神の視点』なんて持てるはずがない」ということなんですよね。
 この映画でフョードル・ボンダルチュク監督が描こうしたものは、「置き去りにされた若者たちの目を通しての戦争」だと思いますし、多くの観客にとっては、その彼らの「立場」は、「もし自分がその立場に置かれたら…」と想像することが可能なものでしょう。しかしながら、そのリアリズムというのは、公平な視点で描こうとすればするほど、伝わりにくくなってしまうものなのではないでしょうか。
 人間なんて身勝手なもので、『黒い雨』を観ればアメリカの横暴に憤っていた人が、『パール・ハーバー』を観れば、日本の奇襲に激怒するのですよね。そして、そういう影響されやすさこそが、「真実」なわけで。「正義」なんていうのは、所詮「立場の違い」だけなのではないか、と僕は考えてしまうのです。でも、それを認めてしまったら、世界に「正しいこと」なんてなくなってしまうのではないかという恐怖もあって。
 見捨てられた若者たちに涙ぐむ人たちが、報復攻撃で焼け野原にされた「敵国」の姿に、快哉を叫ぶ。まさに、これが「戦争」なのです。その炎の中に、同じような青年や子供が焼かれていたとしても、それを想像する感覚が、マヒしてしまっている状態。でも、その場面で快哉を叫んだ人たちのなかには、家路の途中で、違和感を感じる人もいるはずです。僕は、それでいいというか、わざとらしい「公平さ」を劇中に入れるよりは、そのほうがいいんじゃないかと思うのですよ。それこそ、観た人にとっての「戦争体験」なのだから。
 
 ちなみに、この映画はロシア国内でもまさに賛否両論のようで、この文章のなかにも、「やっと真実を教えてくれる映画に出会った!」という女性の感想や「このくだらん映画には、真実のひとかけらもない」というアフガン帰還兵のコメントが引用されています。

 それにしても、本当に「戦争を語ること」というのは難しいものですね。結局、どんなに小さな声でも、「その人なりの視点から、語り続ける」しかないのかもしれません。



2005年12月07日(水)
ふたりのミキがいる。

「Number.633」(文藝春秋)の記事「安藤美姫 ふたりのミキがいる。」(文・宇都宮直子)より。

(安藤美姫選手の最初のコーチであった門奈裕子さんが、安藤選手の子ども時代を振り返って)

【門奈と過ごした4年を、安藤は自分の原点だと言う。いちばん楽しかったと表情を崩す。
「先生のことを忘れたことは、一度もありません。先生はいつでも愛情を注いでくれた。一緒にはしゃいでくれたし、抱き締め泣いてくれた、お母さんのような先生でした」
 では、幼い日、彼女はどんな少女であり、どんな選手だったのだろうか。
 門奈が指導を始めたのは、安藤が小学校3年生のときだった。
「最近は演技内容も変わって、強いって感じがしますが、小さいときは、いつもなんだか寂しそうにしていましたね。人といると嬉しくってはしゃいじゃうような子って言えばいいのかな」
 子供だった安藤を連れ、門奈はイチゴ狩りや食事にも行った。
「美姫に何が食べたいって聞くと、毎回、焼き肉なんですよ」
 と門奈は笑い、続ける。
「美姫は、(浅田)舞や真央と3人姉妹のようでした。トイレに行くのも一緒で、お揃いのコスチュームを色違いで着ていることもあった。とても仲がよくて、練習でもいつも同じことをしてましたというか、私がさせてました」
 練習メニューまで同じだったのは、彼女たちの能力がそろっていたからに他ならない。
 門奈はジャンプを習得させる際、生徒何人かを組ませ、同じ種類のジャンプを跳ばせるが、それを全員クリーンに降りなければ、先には進ませない。
「だから、結果的に3人でやらせるしかなかった。よく、美姫の才能について聞かれますが、私にはあの子が特別っていう感じはなかった。たしかに、練習熱心でしたが、舞や真央も上手でしたから。あの3人は、ジェットコースターに両手を離して乗るんですよ。まだ小さいのに、落下のときも『ばんざい』している。そういう感覚だから、トリプルも簡単に跳べるんだろうなって思ったことも覚えています」

 安藤はリンクにいちばん先に来て、いちばん最後まで練習していた。悲しそうな顔をしているときも、リンクに乗れば笑みを浮かべた。
 一方、試合では強気な面も見せている。
「普通の子は1本目のジャンプがだめだと、投げちゃって跳ばないんですけど、美姫は絶対に最後まで跳ぶ。その辺はもう本当にすごい。強い意志を感じました」
 安藤は中学1年生のときには、すでにトリプルルッツ、ループという高難度のコンビネーションを跳んでいたが、そこで失敗しても、もう一度、必ずルッツに挑んだ。プログラムの後半のいちばん苦しいところであっても、決してあきらめなかった。
「ただ、あの子、エキシビションは嫌いだったんですよ。小学6年生のときだったかな、プロの試合のエキシビに出してもらえたんですけど、ずっと泣きっ放しで超ブルー。まずいことになったと思っていたら、本番ではトリプルを跳んでケロッとしている。不思議な子ですよね」
 幼少の頃の安藤には、主役を嫌う傾向があった。たとえば、幼稚園の遊戯会でも、美姫はその他大勢でいるのを望んだ。端役を得ることに強くこだわるのである。
「で、村人1とか2を一生懸命に演じる。主役だと1人じゃないですか。美姫はそれが嫌だったんじゃないかな。あの子は、とにかくみんなといっしょにいるのが好き。だから、今は本当に頑張っていると思います。期待とか重圧とか、あの弱い美姫がしょっていけるのだろうかって感じることもあります。なにしろ、1番滑走を引いたって言っては泣いていたような子ですから」】

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 「ミキティ」こと安藤美姫選手の幼少時代の話です。いや、「幼少時代」とか言っているのですが、今もまだ17歳なんですけどね(ちなみに12月17日が誕生日だそうなので、もうすぐ18歳)。
 僕が安藤選手にはじめて注目したのは「トリビアの泉」の「フィギュアスケートの選手は、何回くらいぐるぐる回ると目が回ってしまうのか?」というお題に挑戦したときで、その可愛さと、物怖じしない飄々とした雰囲気に、すっかり魅せられてしました。このインタビューの中での「ジェットコースターで平然と手を放している姿」からすれば、ああやってくるくる回されることなんて、彼女にとっては朝飯前だったのかな。
 でも、テレビの画面を通して観る安藤選手は、あくまでも「演じている彼女」なのではないか、と僕はこの文章を読んで思ったのです。もちろん、年を重ねて、たくさんの大舞台を踏んだ彼女は、もう小学校3年生のときの、1人が嫌いで、主役を嫌っていた少女ではありません。でも、その一方で、彼女がそんな少女だったのは、自分が「自然に主役になってしまう存在」だということを、子供心に薄々気づいていて、だからこそ、1人になってしまうのが怖かったという面もあるのかもしれませんね。先日、「あまりに周りに騒がれてしまうので…」ということで、取材規制宣言が出されたことを考えると、あんなふうに「物怖じしない現代っ子」に見える安藤選手の心の中にも、いま、さまざまな葛藤があるのでしょう。トリノ五輪も、もうすぐですしね。
 それにしても、このインタビューの時点(2005年7月)では、まだ「想定外」だった話なのですが、年齢制限で出られないはずだった浅田真央選手の「特例によるトリノオリンピック出場の可能性」も取りざたされており、安藤選手は、「姉妹のようだった」浅田選手と代表の座を争わなければならなくなりました。浅田選手の出場は、試合結果と同時に「特例」としての許可が必要という「狭き門」ではあるのですが、それでも、お互いが「勝たなければならない相手」になってしまったことは間違いありません。スポーツの世界には、ときにこういう残酷な状況がつくられてしまいます。

 もうすぐ18歳の安藤選手にとっての「4年後」は、あまりに遠く、そして、選手としての能力もピークを過ぎてしまっている可能性も高いのですから、まさに、このトリノが「勝負」のはず。そして、今、彼女には、「日本代表」という大きなプレッシャーがのしかかっているのです。
 1人で勝負の世界に生きるアスリートと、17歳の孤独が嫌いな女の子。
 僕たちが知らない、ふたりのミキがいる。
 



2005年12月06日(火)
みんな世の中では、こんな恋愛をしている。

「増量・誰も知らない名言集」(リリー・フランキー著・幻冬舎文庫)より。

【小学校5年生の時。クラスの中で席替えをすることになった。それまでは、クジ引きとかで決めていた席替えも、その時は担任の先生の提案により、こんな方法で決めることになったのだ。
 生徒全員に小さな白い紙が配られた後、先生は言った。
「その紙に、男子は好きな女子を一番から三番まで3人。女子は男子の名前を好きな順に3人書きなさい。後で先生がそれを見て、みんなの席を決めます」
 今思えば、まるでねるとんパーティである。斬新というか残酷というか、先生の下世話なセンスによって、10歳のボクらはあまりにもエグい方法で自分の席を決められることになった。教室は静まっていた。みんな、その紙を見つめて長考に入っている。ボクも考えていた。一着二着の欄には、クラスで人気の女子ふたりを流した。人気の女子。かなりオッズもハネあがっているだろう。自分で書きながらも、この2頭は入るまいと知っていた。そこで悩むのは三番である。できるなら、ここは見したいとも思ったが、結局ちょっとだけ気になっていた女子の名を書いた。H子。人気者グループにはいるが、かなりの脇役を張っているくらいの女子だった。むしろ、ギャグにされている系統である。
 次の日、結果が発表された。やっぱり、人気ナンバーワンの女子と男子が隣同士に配置されている。このあたりが小学生。奥行きがないというか、ストレートなのである。
 そして、ボクの隣にはH子が机を並べることになった。第三希望合格。入試なら、もうココは蹴って来年に懸けたいというくらい微妙な当たり。照れながら隣で微笑むH子の顔がマトモに見れなかった。自分で選んだ道なれど、なぜか釈然としないこの想い。こんなことならいっそ、ドラフト外選手同士、行きずりな席順で、ふてくされながら暮らす方が自由という意味では幸せ。
 でも、オトナになって気付くのはみんな世の中では、こんな恋愛をしているんじゃなかろうかということだ。

(中略)

 自分の気持ちに素直になって。人はそんな無責任なことを言うだろう。しかし、すべての人が日本シリーズで出会える訳じゃない。淋しさを埋め合うためのウインター・リーグだって立派な恋愛ではある。ただ、切ない負け感はいなめない。一番好きな人と一番好きな人が付き合う。当たり前すぎて、出来る人が少ない。
 小学生のボクはH子に冷たくした。一番好きな女の子の席が気になってモヤモヤした気分が充満した。H子はそんなボクの態度を察したらしく、微笑まなくなった。
”冷え切った席順”。そんな空気の中、H子はおもむろに言った。
「わたし、リリーくんの名前書いてないんだよ……」
「え、オレ書いたよ……」
「わたしは、書いてない」ショーック!! アンド・ピエロ!! 淋しさ∞!! 太平洋ひとりぼっち!! この所在なさと切なさ。今でもあの時のことがボクのトラウマになっている。ボクはドラフト外選手だった。
 もう、こうなると人間は子供でも卑屈になる。H子を見る眼がおびえていた。”キミじゃなくてもよかった”と思っていたのに、今や”あなたに会えてよかった”に曲は変わった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 これって実話なんでしょうか?こんな「席替え」なんてアリなのかよ!書いているのが、リリー・フランキーさんだからなあ…と思いつつも、リリーさんが現在40代前半であることを考えると、そのくらいの時代なら、まだ、このくらい前衛的な方法も許されたのかもしれない、という気もしなくはありません。まあ、この話がフィクションであろうが、ノンフィクションであろうが、「恋愛」というものの一面が、この中に含まれているのはまちがいなさそうなのですけど。
 思い出してみると、小学校の高学年くらいで、「好きな女の子は?」という話を同級生としたときに、そんなに多くの人の名前は挙がらなかった記憶があります。せいぜい、クラスで5人といったところでしょうか。これはたぶん、女子に「好きな男の子は?」と尋ねても、同じくらいなのではないかと思います。当時の1クラスはだいたい40人くらいでしたから、30人くらいは「ドラフト外」になってしまう、ということになります。
 しかしながら、実際にオトナになって結婚する人の割合は、これらの「ドラフトで指名される人」よりかなり高くなっています。これは、世界が広がって、自分に合った人が見つかるとか、大人になると好みが多様化するとかいうのももちろんなのでしょうが、その一方で、やはり、「妥協」している面があるのも間違いありません。少なくとも「自分にとって世界でナンバーワン間違いなし!」と言い切れる相手と付き合えるような幸福かつ幸運な人は、ものすごく稀有な気がします。付き合っていくうちに深まる愛情というのが、当然あるのだとしても。【一番好きな人と一番好きな人が付き合う。当たり前すぎて、出来る人が少ない。】とリリーさんは書かれていますが、確かに、そうなのでしょう。そんななかで、人は、自分なりのパートナーを見つけて生きてくわけです。そう考えてみれば、「中途半端な恋愛結婚」よりも、いっそのこと「親が決めた許婚」のほうが、はるかに諦めがつきやすかったりする可能性もありそうです。どちらがいいかは、その人次第でしょうけど、「それでもなんとかやっていける」のも人間なのです。
 「恋愛に妥協してはいけない」のか、それとも「妥協しなければ、恋愛なんてできない」のか?
 でも、みんなが「本当に素直に」なったら、たぶん、世界の人口は、激減していくでしょうね……
 



2005年12月05日(月)
「生協の白石さん」というファンタジー

「生協の白石さん」(白石昌則と東京農工大学の学生の皆さん・講談社)より。

(岡田有花さん(アイティメディア記者)が書かれたこの本の序文「白石さんという魔法」の一部です)

【農工大生の癒し役だった白石さんには今、全国にたくさんのファンがいます。農工大の学生が、白石さんの名回答をインターネットで公開したことがきっかけで、雑誌や新聞に載り、テレビにまで紹介され、そのたびにファンが増えました。「こんな人がうちの生協にもいてくれたら」「人柄にあこがれる」「白石さんに癒されて、つらかった仕事も乗り切れた」――白石さんを応援する人は、そんなふうに言います。
 白石さんは、ネット上では、「謎の生協職員」であり続けました。多くの東農大生は、白石さんの素性を知っていたし、ネット上で白石さんが話題になっていることも知っていました。でも、誰も白石さんの正体――性別すら明かさなかったので、人々は、自分なりの白石さん像を自由に想像して、楽しむことができました。
 東京の郊外にある、緑あふれる大学で、学生たちは「白石さん」というファンタジーを大切にし、本物の白石さんのプライバシーを守りました。そんな学生の気持ちに応えるように、白石さんは頭をひねって楽しい回答を考え、ひとことカードに書き入れました。自然な思いやりに守られた人と人とのつながりが、白石さんのひとことカードを彩ります。】

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 実際にこの「生協の白石さん」という本を手にとって読んでみるまで、僕は、これって、なんかうまくネット発で時流に乗っただけなんじゃないのかな、と思っていました。もちろん、現実的にはそういう側面だってあるのでしょうが。
 でも、いろんな質問への白石昌則さんの回答を読んでいると、白石さんは、話題になっているような「面白い回答」ばかりをしているわけではなくて、生協の商品に対する真面目な問い合わせに関しては、きちんと調べて、誠実な対応をされているのです。だからこそ、「ネタ的な投稿」に対するウイットがきいた対応が、ものすごく面白く感じられます。
 僕はこの岡田さんが書かれている文章を読んで、今までなんとなく不明瞭だった、この「生協の白石さんの世界」の魅力がわかったような気がしました。
 そう、「白石さん」だけが魅力的なのではなくて、「白石さんの世界」が魅力的なんですよね。
 今の世の中、ちょっとしたミスに対しても、厳しいクレームがつけられることはよくありますし、むしろ「いかに相手の落ち度を見抜いてクレームをつけるか」「いかにそれを隔してクレームをつけられないか」ということに、みんな懸命であるような気がします。なんというか、サービスの提供者とそれを受ける側には、過剰なまでの緊張感があることも多いのです。
 でも、この「生協の白石さんの世界」には、ひとことカード」を送ってくる学生(あるいは職員)たちと、白石さんのあいだに「暗黙の諒解」というか、ここをお互いに気持ちの良い世界にしよう、という約束が感じられます。その一方で、実は、この「生協の白石さん」の世界というのは本当に脆くて儚いものだったのではないかなあ、と僕は思います。
 「協会員のため」の組織であるはずの「生協」では、もし誰かが「あんなふざけた回答を書くやつはやめさせろ!」とか、あるいは、「あんな質問に回答するな!」なんていうクレームをつけていたら、「それでも白石さんが、自由に答えを書ける」ということはなかったのではないでしょうか。
 もっと真面目に書くように、という「指導」を受けたり、担当者交代、なんてことになったかもしれません。
 この「生協の白石さん」が、ここに存在しているのは、まさに、御本人はもちろんのこと、周りの人たちも一緒になって「白石さん」というファンタジーを大切にして、育ててきたからなのですよね。今くらい有名になってしまえば、そう簡単に崩れるものではないだろうけど、そのプロセスには、危機だってあったのではないでしょうか。
 たぶん、多くの人がこの本を読んで、「こんな人がうちの生協にもいてくれたら」と感じるのは、「白石さん」だけではなくて、こういう「ユーモアに満ちたコミュニケーション」を大事に育ててきた、この東京農工大学という大学の空気の優しさ、温かさに憧れたり、自分が過ごしてきた「大学」という空間への懐かしさが呼び起こされたりするからなのだと思うのです。
 「こんなのは、ジャスコのお客様カードでは通用しない」
 きっと、そうなんですよね。でも、そういう、ちょっとした「甘さ」こそ、大学という場所の魅力なのでしょうし、こんな御時世ですから、せめて大学くらいは、そういう場所であってほしいな、と僕も願ってやみません。



2005年12月04日(日)
素っ裸で、鏡の前に立ったことがありますか?

「最後の晩餐」(集英社)より。

(「ニュースステーション」の中で行われた、久米宏さんとゲストが「人生最後の食事は、どんなものを食べるか?」について話すという対談コーナー「最後の晩餐」を書籍化したものです。葉月里緒菜さんがゲストの回より)

【久米:こんな質問しちゃ、怒られるかなあ。

葉月:なんでも聞いてください。

久米:全身大の鏡って、お宅にありますか。

葉月:あります。

久米:目が大切だって言ったんですけど、素っ裸で、その前に立ったことありますか。

葉月:あります。

久米:どんな体つきしてるんですか。

葉月:どんな体つき……。

久米:ぼく、最初にあなたのコマーシャルを見て、これは何者だって、こいつはなんなんだって思ったときに、ひょっとして、この人、人間じゃないんじゃないかって思ったの。

葉月:はははは。

久米:宇宙人じゃないかとか、あるいは人工的に作られたものじゃないかと。最初の印象って、ひょっとしてマネキンじゃないかと思ったぐらいなんです。だから、本当に人間の肉体なのかという疑問をいまだに持ってるんですよ。

葉月:普通の人間の肉体です。

久米:自分の言葉で描写すると、どんな肉体が映ってるんですか、鏡のなかに。

葉月:そうねえ……、なんでしょう……、セクシーさは感じませんね。感じないけれども、すごい好きですね、自分の体が。で、どんなって……。言葉で説明できないですよ。じゃ、久米さんは同ですか。鏡に、どういう体が映りますか。

久米:うん、年のわりにはお腹は出てないし、わりと膝から下、細いなあとか思うなあ。

葉月:はあはあ。

久米:で、腰骨が、もうちょっと張ってたらいいのになあと思うかな。

葉月:そういうのだったら、私は女のわりには、胸がないなっていうのがありますね。でも、あとは、教科書とかで、保健の時間に勉強するときに、女性の体と男性の体、分かれてるじゃないですか、あれの女性の体の、あのモデルっぽい体ですね、脚とかも。

久米:さっき、自分の体が好きですって言ったでしょ、どこが?

葉月:その胸のないところ、この体とこの顔には合ってるんですよ。この顔で、胸がDカップあったら、全然、山田麻衣、葉月里緒菜じゃなくなっちゃうんですよね。これは、もう22年間、ずーっとこの体を見てきているんで、全部好きです。

久米:でも、5歳のときとは、だいぶ違うと思うな(笑)。

葉月:それはそうですけど、たぶん、あのときも、鏡を見てて、自分のこと、好きだったと思います。両親から、常に自分のことを好きでいなさいと、いつも言われていたんです。何をしてもいい、いろんなことにトライしてみなさい。いろんな失敗も経験して、そうやって大人になって行くんだって。でも、そのとき、常にそのときの自分を好きでいなさいっていうふうに教えられたんですね。

久米:5歳の女の子が、全裸で鏡の前に立って、自分の体が好きって思うかなあ。

葉月:思いましたし、鏡の自分によく話しかけてましたよ。

久米:うーん、小学校に上がる前に、裸の女の子が全身を映して、好きだと思ったり、話しかけたりしてるのを見たら、やっぱり女は怖いと、男は思うかもしれないなあ。

葉月:そうですねえ(笑)。

久米:男は、そんなことするかなあ。する人いるのかなあ、最近は。

葉月:どうなんでしょうね。男って、まったく違う生き物だと思ってるんですよ、私。

久米:そんなことないよ。ぼくは、ほとんど同じだと思いますけどね。】

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 これは、1997年に行われたインタビューです。久米さんは「ニュースステーション」を引退され、葉月さんは…どうしているんでしょうねえ……
 まあ、それはさておき、このセクハラすれすれのインタビューを読みながら、僕は、女性の「自分の体へのこだわり」について、あらためて考えさせられました。そんな小さい頃から、自分の体を鏡に映して「鑑賞」するなんて、なんだかもう「えっ?」という感じです。女優になろうというくらいの人だからこそ、なのかもしれませんが…
 少なくとも僕は、そんな気分になったことは一度もないのですけど。
 もちろん、男だって「美しい肉体」のほうがいいに決まっているし、僕だって自分の顔や体に対する不満は腐るほどありますが、そういうのって、「見ないようにすれば、なんとかなる」のが男性であり、「どうしても見ずにはいられない」のが女性だということなのかもしれません。
 最近、テレビなどで「整形手術を受ける女性」が取り上げられることが非常に多くなっているような気がするのですが、こういう話を聞くと、葉月さんのように「自分の体を好きになれる」人はいいのでしょうが、「どうしても自分の体を好きになれない」という人にとっては、そういう体を抱えて生きていくというのは、とても辛いことなのですよね。いや、葉月さんもここで「胸がない」というコンプレックスを話されていますし、こういうものに「100%満足」なんて、ありえないとしても。
 その痛みで心が歪んでしまうくらいなら、整形したほうが良い場合だって、あるのかもしれません。
 



2005年12月02日(金)
三浦和良選手が、「サッカーはこれだ、W杯だ」と思った瞬間

日刊スポーツでの荻島弘一さんと「カズ」こと三浦和良選手(現・シドニーFC)との対談記事「W-VOICE」より。

【荻島:来年はW杯の年。今やW杯はすっかり日本サッカーに定着したけれど、最初に日本の選手でW杯を目標として口にしたのはカズでしたよね。

カズ:86年にキリン杯で来た時や、90年に読売クラブ(現東京ヴェルディ)移籍で帰ってきたとき、はっきりとW杯に出たいと思っていた。やっぱり、ブラジルにいたことが大きい。向こうで86年と90年の2回、W杯を体験したけれど、それはすごかった。ブラジル全体が盛り上がるの。でも、そこに日本は出ていない。寂しかったし、自分の存在が否定されているように思ったよ」。

荻島:やっぱり、ブラジルはW杯期間中は大騒ぎになるの?

カズ:試合時間に合わせてクラブの練習時間は変わるし、店は閉まる。銀行まで休みになっちゃうし、ゴールが入ると、花火が上がったりもする。仲の良かった女の子が、ブラジルが負けたときに泣くんだよ。サッカー好きなら分かるけど、普段はまったくサッカーに興味もなかった子がね。その時「サッカーはこれだ、W杯だ」って思った。】

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 38歳にしてシドニーFCに移籍し、先日2ゴールを挙げる活躍をみせた、「キング・カズ」こと三浦和良選手が語る、ワールドカップの凄さ。
 僕が「サッカー」というスポーツに興味を持ったのは、あの「キャプテン翼」の影響が大きかったような気がします。というか、少なくともJリーグ発足までは、それがすべてだったのかもしれません。実際にサッカーの試合のテレビ中継を観ても、オーバーヘッドキックもドライブシュートも出てこないので、ちょっと退屈な気分ではありました。
 それにしても、日本初のプロサッカーリーグであるJリーグが開幕してからわずか12年だというのに、「サッカー」というスポーツは、本当に日本に浸透していますよね。長年のサッカーフリークのなかには、「代表戦しか観ないようなヤツらは、真のサッカーファンじゃない!」と言う人もけっこう多いけれど、「代表戦では、日本国民の2人に1人くらいが、同じサッカーの試合を観ている」というのは、ものすごいことだと思うのです。
 そして、このサッカーというスポーツの人気の基盤にあるのが、この「ワールドカップ」。
 僕も、「代表戦しか観ないような怠惰なサッカーファン」なのですが、それでも、「ドーハの悲劇」も「ジョホールバルの歓喜」もリアルタイムで(もちろんテレビですが)観ていました。しかし、日本人の若者がこんなに喜々として「君が代」を歌い、日の丸を振るなんて、ある意味、すごいカルチャーショックではあるのです。そういう意味では、「スポーツによる国威発揚」というのは、けっして、旧共産国家だけの話ではないようです。
 それにしても、この三浦和良選手が「ワールドカップの凄さを知ったエピソード」、僕はけっこう面白いなあ、と思いました。店が閉まることや花火が上がることよりも、【仲の良かった女の子が、ブラジルが負けたときに泣くんだよ。サッカー好きなら分かるけど、普段はまったくサッカーに興味もなかった子がね。】というのは、ものすごく実感がこもっているような気がしたのです。「ツンデレ」じゃないけれど、そういう、日頃サッカーファンじゃない人も涙を流さずにはいられないような「ワールドカップ」というものの大きさを、三浦選手は痛感したに違いありません。それは、「ブラジル人としての血」みたいなものだったのでしょうか?
 確かに、「日頃興味がなかった人でも、負けたら涙を流すようなスポーツ」っていうのは、「ワールドカップ」が日本の手に届くところに来るまでは日本にはなかったし、たぶん、これからも「ワールドカップ」以外にはないでしょう。まあ、このブラジルの女の子の涙と、日本人のにわかサポーターが流す涙は、同じ涙でも、けっこう「重み」が違うような気もするのですけれど。
 



2005年12月01日(木)
ネコとイヌとどちらが可愛いか?

「とらちゃん的日常」(中島らも著・文春文庫)より。

【おれは事務所のとらちゃんの他に、自宅でネコ二匹とイヌ一匹を飼っているが、ネコとイヌとどちらが可愛いかと尋ねられたら、これはちょっと難問だ。寒い雪のちらつくような日に、ストーブのそばでうつらうつらしているネコたちを見ると、ああほんとにネコっていいなあと思ってしまうが、これはやっかみが半分だから、可愛いという感情とは少しはなれているかもしれない。ネコはいつもつんとしていてヒトの介在が許されないところに好感が持てる。
 逆にイヌの方)うちのイヌはシェットランド・シープドック)は、これはもう際限なくなついてくる。可愛い。が、そこにイヌとヒトとの報酬体系のようなものがかいま見えたりして、ちょっとなあ、と思うこともある。愛情に対していやしい、とでも言っておこうか。
 結局ネコとイヌとどちらが可愛いのかというのは設問自体がナンセンスなのであって、それは自分の娘と息子とどちらが可愛いか、と問われるのに似ている。答えようがないのだ。】

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 あなたはイヌ派?ネコ派?って、けっこうよく聞かれますよね。動物そのものが嫌いだという人たちを除けば、どちらかというと、というのを含めて、人は「イヌ好き」か「ネコ好き」に分かれるような気がします。
 僕は実家でイヌを飼っていたこともあって、「どっち?」と問われれば迷うことなく「イヌ!」であり、あの気まぐれで人になつかないネコに比べて、尻尾を全力でブルンブルンと振り回して親愛の情を示してくれるイヌという動物は、なんてかわいいのだろう、とずっと思っていたのです。もちろん、今でも、イヌ好きなんですが。
 でも、僕も年をとるにつれて、「ああ、ネコもいいな」と思う機会が増えてきたような気がします。確かに「やっかみ半分」なのですけど。
 そして、このらもさんの文章を読んで、イヌに対して抱いていた「人間の長年の友だち」としての素晴らしさとともに、「報酬体系」なんてものについても、あらためて考えさせられました。先日「トリビアの泉」で、「雑種のイヌは飼い主の危機を救うか?」というのをやっていたのですが、実際に飼い主を救ったイヌはおらず、みんな逃げまどうばかり。ああいうのを観ると、「所詮、訓練の効果とか、報酬体系なのかなあ」と思わずにはいられません。いやまあ、そういう「正直さ」も、それはそれで可愛くもあり。

 ちなみに、らもさんの愛猫「とらちゃん」のことを、らもさんの長年の盟友であり、らもさんのマネージャーでもあったわかぎゑふさんは、とらちゃん(メス)と中島らもさんのことを、こんなふうに書かれています。
(とらちゃんは、わかぎさんのお母さんの家の1階にある「中島らも事務所」で飼われているうちに、すっかりわかぎさんのお母さんのほうになついてしまったそうです)
【ところで……中島社長はこのとらちゃん日記を書いているが、すっかり母の猫になった彼女のことを分かっているのだろうか?
 最近の彼をみてると、お姫さまが赤ちゃんのときにお世話をしたじいやという感じがする。ちょっと哀れだ。】
 確かにかわいそうな気もしますけど、それでもお父さんというのは、娘がかわくてしょうがないんですよね、きっと。