初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2005年08月22日(月)
「全国高等学校演劇大会」の閉会式での悲劇

「週間SPA!2005.8/16,23号」(扶桑社)の鴻上尚史さんのコラム「ドン・キホーテのピアス・531」より。

(鴻上さんが「全国高等学校演劇大会」の審査員を務められて考えたこと)

【閉会式で、最優秀校1校と、優秀校3校が発表になるのですが、会場を埋めた高校生たちは、演劇部ごとに集まり、発表の瞬間、祈るような気持ちで待っています。実際に、両手を合わせて祈っている生徒もたくさんいます。
 そして、作品名が読み上げられた瞬間、悲鳴のような歓声が上がるのです。僕は、全国大会の審査員をするのは、今回で2回目なんですが、この瞬間は、いつも、厳粛な気持ちになります。
 ぶっちゃけていえば、もらい泣きしそうになります。
 数十名の演劇部員が、いっせいに歓声というか悲鳴というか雄叫びを上げるのです。そして、次の瞬間は、お互いの肩を抱き合って、喜び合うのです。ただし、閉会式の最中ですから、みんな、ぐっと自分を抑えています。席に座ったまま、隣同士、握手をして、肩を抱き合い、泣きながら喜び合うのです。
 今回、発表の直前に、あっと思うことがありました。
 新聞やテレビのマスコミは、事前に、最優秀校を知らされています。たぶん、喜びの瞬間を撮りたいという要求なのかもしれません。
 結果、発表の直前に、その生徒たちの前に、カメラマンが集まり、テレビカメラも向いているのです。そして、カメラマンは生徒の間近で構えているのです。
 カメラを向けられた生徒は、もう興奮しています。そして、そのことに気づいた他の学校の生徒達は、一瞬、嫌な予感に顔を曇らせるのです。
 困ったことですが、ことはそう、単純ではありません。
 喜びの声を上げる感動的な表情を撮ることは、大会の感動と喜びを伝えます。そうすることで、2500校以上の高校が参加しているわりには、知名度の低い『全国高等学校演劇大会』を知らせることが可能になります。
 会長さんが、スピーチで、
「顧問の先生方、日頃の活動、ご苦労さまです。どんなに努力しても『好きでやってるんでしょ?』としか言われない苦労、よく分かります」と話されていました。
 演劇部の顧問は、「新卒の先生か、転任してきたばっかりの先生」に押しつけられるのがパターンだそうです。その中で、一生懸命やっている人は、「変わり者」とか「好き物(?)」と言われるのだそうです。
 なので、マスコミの報道は、理解の向上のためにとても必要なのですが(今回の最優秀・優秀の4校は、8月29日NHKのBS2で放送されます。どれも名作です)、それでも、困ったものだなあ、なんとかならないのかなあ、と思うのです。せめて、一台のカメラは、ダミーで別な方向を向いているとか、ニセモノのカメラマンを別な場所に立たせるとか、出来ないのかと思うのです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ちなみに、今回の最優秀作品は、こんな作品だったそうです。

 ここで書かれている鴻上さんの感慨に対して、読んでいる僕も「なんとかならないものかなあ」と思いました。いやまあ、実際にその場にいる演技者たちは、自分たちの作品の優劣を敏感に感じ取って、「いけるはず!」とか「今回は厳しいかな…」とか、ある程度の「予想」はできているのだとしても、せっかくのクライマックスに「一縷の望み」すら持てないような「暗黙の通告」がなされているとしたら、それはとても悲しいことですよね。
 スポーツの試合であれば、勝敗というのは現場で決まるわけですから、表彰式のときには「決着はついている状況」なのでしょうが、こういう「他者の評価で順番がついてしまうもの」の場合、その発表の瞬間まで「勝負はついていない」はずなのに。
 ただ、運営側からすれば、こうして事前に結果を知らせておいて、「感動の場面」を撮るというのは、この「全国高等学校演劇大会」を世間にアピールするためには「必要なこと」ではあるのですよね、たぶん。その場面に引き寄せられて演劇を始めようとする新入生だって、きっといるのでしょうし、何より、2500校も参加しているわりには地味な大会を世間にアピールするには、その「感動の場面」は、格好の題材になるはずです。
 各校ごとにカメラが密着でもしていれば、「最後まで希望が持てる」のかもしれませんが、実際、こういう「世間一般の関心がそれほど高くないイベント」のために、そんな大規模な製作スタッフを用意してくれるわけもなく、「取材してもらうためなら、当事者の多少の失望もやむなし」というのが、現実的な選択なのだと思われます。僕がその場にいる「負けてしまった高校」だとしたら、最優秀校の周りをカメラが囲んでいる姿には、けっこう傷つきそうな気もするんですけどね。
 それでも、この「お約束」は、「全国高等学校演劇大会」そのもののためには、プラスになることなのでしょう、きっと。なんだかせつない話だけれど。
 ダミーのカメラで撮られてぬか喜び、なんていうのも、それはそれで救われないだろうしなあ……