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2011年07月31日(日)
『GAP(golden after play)』

DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN『GAP(golden after play)』@LIQUIDROOM ebisu

フジからとんぼ返りのDCPRG、「SOIL & "PIMP" SESSIONSのため居残りの丈青だけ部屋があった。俺たちはなくてそのまま帰ってきた。演奏後丈青は『じゃあ僕は部屋に帰るんで〜』と言って寝ちゃった」とのこと。千住くんがかけもちで、彼の演奏が全部終わるのを待って皆一緒にバスで帰ってきたそうだけど、その間他のメンバーって自由時間だったんでしょうか。遠足みたい(笑)。

と言う訳でフジのアフターパーティノリかと思えば、とんでもなかった。今迄観たなかで(前期含めてよ)いちばん熱いライヴだったように思う。毎回すごいすごいと言ってるのでそろそろ信用されなくなりそうだが、いやホント、今夜は格別。あんなに熱量の多いDCPRGの演奏は初めて観た。終演後「いないときにこんなんやられちゃ丈青どうすんのよ…」なんて話してたくらい。なんだかどんどん攻撃的になるね…すごいなあ、どこ迄行くんだろう。音もデカかった、特に低音。

なんだろう…フジでの持ち時間は50分だったそうだから、その欲求不満が爆発したか?と言うくらい。あと現メンバーでのリハを重ねてきたことで、ライヴ毎に楽曲の構成をガラリと変えても自在に対応、展開する余裕と集中力が格段に増している。キューへの反応が早い早い、これは演奏者だけでなくオーディエンスもそうなってるってところが面白い。膨大な緊張感を伴った視線と意識がコンダクターに集まっている。フロアに背中を向けていたとしても、あの意識の塊を感じない訳がない。プレイヤーとクラウドの狭間でコンダクターはハードコアに踊る。フロアを踏みしめるように、キックするように踊る。「HARDCORE PEACE」でフロアに振り返った菊地さんは、煽るようにクラウドへとキューを出した。とても珍しい光景。

櫻子さんも言っていたけど、あまりにも凄まじくて吐きそうになった場面すらあった。音に集中し過ぎて身体が動かなくなる本末転倒?と言うか贅沢と言うか損と言うか、な場面もちらほら。

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セットリスト
01. ジャングル・クルーズにうってつけの日
02. PLAYMATE AT HANOI
03. CATCH22
04. New York Girl
05. 構造I
06. CIRCLE/LINE〜HARDCORE PEACE
encore
07. MIRROR BALLS

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前述のとおり丈青が欠席、代役として濱瀬元彦 E.L.F Ensembleから成澤功章さん(いやー素晴らしかった)が参加。菊地さんを挟んで成澤さんと坪口さんが位置的にも演奏的にも真っ向からぶつかっているスリリングなさまと言ったらなかった。成澤さんのソロのとき坪口さんガン見してんのよ…自分のパート弾き乍ら。キーを一切見てなくてちょー怖い。今日の坪口さん面白かったなあ、お祭り好きな感じで。「PLAYMATE AT HANOI」アウトロソロとドヤ顔が素晴らしかったわ。あと「HARDCORE PEACE」のソロ、歯で弾くだけでは飽き足らず、菊地さんの背中にショルキー押し付けて音出してた。菊地さんグラーとなってた。このときのKeyの音がまたすんごいデカくて、「坪口のせいじゃなくて卓のひとが思わずおっきな音出しちゃったんだと思うけど、あまりにもデカくて演奏してる皆三半規管やられて身体が傾いた。地震がきたかと思った」だって(笑)。

それにしても、前回のリキッドで「成澤さんを迎える。リハもちゃんとやるよ!」と菊地さん仰ってましたが、代理(ってももうゲストですよね)迎えたうえでこの構成の変えっぷりって何なのと言う。変えると言うより進化になるのかな。毎回違うのはそうなんだけど…今度丈青戻ってきたらどうなるんだろうと言う興味もわきます。リズムも変わるし、ブリッジやブレイク部分の編成もどんどん変わっている。

「CATCH22」中盤、オバマ演説〜沈黙〜千住くん田中ちゃんアリガスをドドッと一気に走らせたブレイクはすごかったー。「構造I」アウトロ、千住くんのソロは今回ダブを噛ませた展開がとてもよく聴き取れて面白かった。て言うか「構造I」を最後迄ヒヤヒヤせずに聴けたの、新編成になってから初めてかも知れない。「CIRCLE/LINE〜HARDCORE PEACE」のブリッジ部分は大儀見さん千住くん田中ちゃんの3人で。ここらへん毎回違ってますね。そして前述したがこの日はとにかく低音がデカくて、「New York Girl」でのアリガスのスラップが腹どころか脳に響くような感じすらした。それにしても「New York Girl」、ホントジョン・ゾーンのコブラみたい。視覚的にも面白い。

菊地さんの、田中ちゃんへの愛のある先生っぷりはこの日も目に見え(笑)、田中ちゃんもっと動いて!オラオラオラもっとやっていいのよ!みたいな場面も。MCで「今日の田中ちゃんは叩いたり叩かなかったり(ムラがあって)まるで恋のよう」なんて茶化されてました。単に手数の問題ではないんですよね。こっからこう展開させようとしてるときにアナタが先導して!最初に走って方向決めちゃっていいから!くらいの任せ方。これ何げに大仕事ですよね…期待されてるわー。かわいがってると言うか鍛えてますねー先生。この手のバンドは練習が本番になっちゃうことも多いから、これから先現場で大化けする…田中ちゃんが教順さんに確変するのを目の当たりに出来ると思うと今からワクワクします。

よだんだが田中ちゃんはなんだかチェッカーズみたいな髪型になっていました(若者にはわからないたとえ)。それは恋ゆえですか。

アンコール前のMCは、バンドがImpulse! Recordsと契約したと言う話から。「既にwebでも書いたしマスメディアにも話しましたけど、やはりこういう場で皆さんを前に報告しないとちゃんと発表した気がしない」。そして契約もろもろに関わったeweスタッフへの謝辞。先日も話してたんだけど菊地さんてこういうとこホント筋を通す。ある意味ヤクザみたいなひとですよね。て言うかヤクザですよね(もうそれでいい)。「webにメディアにここ、って、ここがいちばん人数少ないんですけどね」なんて言ってたけどね、確かに(笑)。でもいつでも現場を尊重するその姿勢は本当に尊敬するし、リスナーからするととても嬉しい。この時代では特に。

その後いろいろ面白おかしいメンバー紹介、告知等が続き、「それでは最後に、っていっつも同じ甘いもんですけどね、『MIRROR BALLS』をレイ・ハラカミさんに捧げます」。大歓声と拍手が沸き上がった。「十年近く前ですけどね。ハラカミさんと、今日オープニングDJを務めてくれたDJ QuietstormがDCPRGのリミックスをやってくれて。人数は多いし、皆バラバラのリズムで演奏している、リミキサーとしては最もやりづらいであろう部類の依頼をふたりは快くひきうけてくれた。ちなみに○○○○は逃げました。あのひと自分たちでもバラッバラに演奏してるのにね(爆笑)。…そして、とてもいい仕事をしてくれた。その『PLAYMATE AT HANOI』の素晴らしいリミックスは、初期DCPRGの作品として残されている」。……ここらへんモヤッとしてえーとどうだったけ?と帰宅後調べてみたら、「PLAYMATE AT HANOI」のリミックスを手掛けたのはDJ Quietstormで、ハラカミさんがやったのは「Pan American Beef Stake Art Federations」ですね(・『DCPRG3/GRPCD2』に収録。現在入手しやすい音源はこちら→・『あさげ ―selected re-mix & re-arrangement works』)。こういうそそっかしいところも菊地さんらしいですね(微笑)。

「彼とちゃんと話したのは、映画みたいな話ですけどホントの話、パリのシャルル・ドゴール空港でした。よくあることだけどフライトが長時間遅れて。彼は別のフェスに出ていて、同じ便で帰る予定だった。あっちにレイ・ハラカミがいるよ、ええ〜っ?って。フライト迄の4時間をハラカミさんと過ごした。ワタシよりも8歳も若い。……しかし、ワタシも、あなたたちも、ステージの上にいるひとも下にいるひとも皆、いつかは必ず死ぬんです。これだけは間違いない。それ迄楽しくいきましょう」。

「MIRROR BALLS」であんなに泣いたことはなかった。27日以来初のライヴが、DCPRGでよかった。

いやーホントすごいライヴだった。9月にリリースされるライヴ盤(Impulse! Recordsからのデビュー盤にもなりますね)『Alter War in Tokyo』は先月の『ALTER WAR & POLYPHONIC PEACE』からの音源だそうだけど、そして自分も音源出せ出せ言ってたし嬉しいけど、今回のを出したらいいんじゃないのなんて思ってしまう程であった…いやでも正規メンバーが揃ってる音源は『Alter War〜』だしな……今回の音源もどっかから出してほしいなー。そういえば再始動してからのDCPRGのライヴ、3月のピットインと今回のフジ以外全部音源出てますね。有難いことです。



2011年07月30日(土)
『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』『ムカデ人間』

気力が出たら書き足すかも

『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』@新宿ピカデリー スクリーン1

大団円。スネイプ先生不憫すぎる、乙女のように一途な恋だわね…。
最後くらい一瞬でもいいから善人になったヴォルデモートが人間らしい風貌に戻って、レイフ・ファインズの美貌が拝めないかなーなんて思いましたが甘い考えでした。
学校を守るため先生たちが魔法でバリアを張るシーンの美しさと悲壮さが素晴らしく、ここでいちばん泣いた。気丈な「この呪文使ってみたかったのよ」と言う台詞がキたなあ……。
3Dで観たが2Dの方が煩わしさなく観られたかもなあと思った。

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『ムカデ人間』@シネクイント

つながってたー。アホやな〜いやはや面白かった。前振りがすごい長かった。
ハイター先生途中からヨシダ朝さんに見えてきた。



2011年07月28日(木)
『山羊…それって…もしかして…シルビア?』『荒野に立つ』

気力が出たら書き足すかも

文学座7月アトリエの会『山羊…それって…もしかして…シルビア?』@文学座アトリエ

青年団のものとは(当然なのかも知れないが)翻訳、美術、演出、役者の演技プランが結構違う仕上がりで、面白かったし興味深く観た。家庭をリングに模したかのよう。

参考:日本初演を観たときの感想→・青年団国際演劇交流プロジェクト2004『山羊―シルビアってだれ?―』@こまばアゴラ劇場

文学座のアトリエには初めて行った。歴史を感じる構えの建物、心地よい空間。また行きたいな。

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阿佐ヶ谷スパイダース『荒野に立つ』@シアタートラム

観劇前にハラカミくんの訃報が入り、ガセなのか何なのか判らないまま観たので著しく集中力に欠けた。集中力と想像力が不可欠のこの公演、致命的だ。一所懸命観たけど多分とりこぼしがいっぱいある。



2011年07月27日(水)
『CLOUD ―クラウド』上演台本

7月22日に『CLOUD ―クラウド』の上演台本が公開されました。公式サイトからPDFファイルでダウンロード出来ます(『CLOUD』(「download」をクリック))。公開に際してのスズカツさんのコメントはこちら→・-suzukatz-cloud『CLOUD/上演台本公開について』

嬉しい。有難うございます。

536KBのファイル、出力すると44枚の紙の中に、あの世界の設計図が記されている。

個人的に興味深かったのは、テキストを通して、実際に舞台で観た際のリズム感とタイム感の記憶が掘り起こされると言うところ。例えば「#プロローグ」〜「#1」、暗転寸前から台詞の第一声迄に、“テキストに書かれていない”さまざまな情報と時間を思い起こし乍ら読むことが出来るのだ。

空から降ってくるような街のノイズ、心地よい速度のグラデーションで暗くなっていく視界、音楽が入ってくる迄の身体が浮きあがるような完全暗転の数秒感(多分2秒もない)、その直後耳に飛び込んでくるだけでなく音の粒子が頬にぶつかった感じすら覚える大音量のサウンドと、光による色彩で鮮やかに染まる空間、中央に歩み出るひとりの人物の佇まい、向かい側にゆったりと現れるもうひとりの人物の穏やかな表情、“I know a girl who's like the sea / I watch her changing every day for me”と言う歌詞、新たに現れた対角線上に立つスーツ姿のふたりの人物、“One day she's still, the next she swells / You can hear the universe in her sea shells”と続く歌声。“No, no line on the horizon, no line”のフレーズのあと弾かれたようにステージに駆け込み、踊るようにクラウドをつかまえていくスーツのふたり、“I know a girl with a hole in her heart / She said infinity is a great place to start / She said "Time is irrelevant, it's not linear"/ Then she put her tongue in my ear”、一歩退いた場所から彼らを見渡すひとりの謎めいた人物、繰り返される“No, no line on the horizon, no line”のフレーズ、高揚する音楽。それらが断ち切られ、軽快な第一声が投げ入れられる。「朝!」

約2分40秒。このシーンを説明するト書きは26行、テキストを読むだけなら十数秒と言ったところ。目で文字を追っているその十数秒の間に、脳内ではこれだけの情報と時間が高速で再現されるのです。このタイムラグが面白い。ここらへん、オガワの記憶にあるイタバシとウサミの「ノッキングやスローモーション」を思い起こさせる感覚でした。

そして「#1」冒頭。「朝。トースト、ソーセージ2本、アメリカンレリッシュ&タバスコ、ラズベリージャム、有機豆乳、野菜ジュース、エスプレッソ」…記号的な単語の羅列。何が始まるのか?彼は何について話しているのか?一瞬このシーンをどう捉えようかと、観客は台詞を発している人物を注視し言葉に聴き入る。……そして「ポトフなんか作れるんですか?」ダイアローグが始まり、観客はストーリーにランディングする。

……濃いーわ!情報多いーわ!「イタバシとウサミ、ゴミ袋を扉の外に運び出す」と言うたった21文字のト書きひとつとっても、そこからあれだけ芳醇な情景が立ちあがると言う舞台のマジック。「#2」終盤のDD使用中のオガワの挙動にしても同様だし、「#3」のテキストの並びをあの声、あのリズム、あのテンポで展開するMCオガワとMCアマリのやりとりもそう。台詞を叫ぶか、呟くか、と言う演者の選択からしても、その多様さは限りがない。

ごく簡潔に記されたこのスクリプトからあれだけの舞台空間をたちあげるカンパニーの想像力と、それを具体的に形にする実力を思い知らされました。これ100分前後で助かったわ…長かったらもちませんて集中力が。空調が寒いとか椅子が小さくて腰にくるとかして身体からくずおれるわ……(笑)とは言うものの、ダイアローグに比重があるシーン、演者の身体能力に注目するシーンというように、情報提示の振り分けと緩急が絶妙なのです。そのピースのハマりっぷりには爽快感すらある。そしてどこを、何を選択するかの判断と、それ以外のものをいかにノイズとして舞台上に残すかあるいはカットするか、は演出家のキューになるのでしょう。そして出来上がったのがあの舞台。キャースズカツさんカッコ☆E!

( )内に示される、実際には声に出されない台詞の心情、解説も簡潔に要点が押さえてある。想像が拡がるトピックがいくらでも潜んでいる台本ですから、舞台を未見のひとが読んでも存分に楽しめると思います。そして逆に言えば、今後『クラウド』を他のカンパニーで新たに上演することがあった場合、この“テキストに書かれていない”部分をいかようにも違うものに出来る訳です。

と言う訳でご本人言うところの「設計図」としての面白さが満載の台本ですが、勿論台詞そのもののキラーラインも地雷のように仕込まれていますよーう、うえーん。キャースズカツさんカッコ☆E!(だいじなことなので二度言った)

あと、『クラウド』以外のスズカツさんの作品から思い起こされたことを含め興味深かったところなどをおぼえがき。

・このオープニング、『LYNX』でも『欲望という名の電車』でもそうだったなーって。このふたつに限らないけど。ゆったり暗転、上空からの音と光。円形劇場って音も照明も降ってくるような感覚がある。大好きな劇場

・そういえばイタバシは「スマートフォン」、ウサミは「携帯」指定なのが面白かったな。当て書きの要素もあるかな

・エンドウの心情寄りで読んでしまいがちなのでしょんぼりする。うえーん

・オガワのある台詞がテキストにはなかったんだけど、これは最終稿の後にスズカツさんが書き足したのか、トモロヲさんがアドリブ的に言った言葉をスズカツさんが残したのかどっちなのか気になるなー。ここ自分にとってかなり大事なとこ。オガワの“ゆれ”が見えるので

・スズカツさんの作品にはよく“不在の女性”が出てきます。『LYNX』初演のエリコ、『ウェアハウス』初演のハスミの奥さん、他にもいろいろ。今回はオガワの元奥さん≒エンドウの奥さんがそれに当たります。「心に穴の空いた、無限が出発点なんて最高、時間なんて無意味だと言う海みたいな女の子」。『LYNX』初演のテーマは「都市生活におけるオリジナルとコピー」だったと記憶していますが、エリコと、ハスミの奥さんと、オガワ、エンドウの元奥さんが同一人物だったら?とふと思う。いや、同一人物ではなくコピーと言った方がしっくりくるか。彼女たちは誰かのコピーで、時間など意に介さず生きている。どこにもいなくて、あらゆる場所に偏在している

・なんてことを妄想するのも楽しいものです

・と言えば「あらゆる場所に偏在している」って矛盾していて、禅問答みたいだよね

・そうそう、イギー・ポップとデヴィッド・ボウイのことをオガワとエンドウに重ねあわせちゃったりもしたわー。どっちも死ななくてホントよかったよねー!でもエンドウは(泣)それ言ったらヒレルとアンソニーのことも思い出すわー!(もうすぐ来日記念)

だんだん使用曲の深読みみたいになってきた…あかんわー台本関係ない!そこをリセットしてまっさらから読める楽しさもある筈。忘れたり思い出したりし乍ら読んでいこう。そして新しい『クラウド』の世界にまた触れられることに感謝しよう。といったん〆ますが、いろいろひっかかりが出てきたらまた感想書きたいな(まだあるんかい)。



2011年07月25日(月)
『chaotic, exotic tour 2011 final』

『chaotic, exotic tour 2011 final』@Shibuya O-WEST

途中地震あったみたいだけど全く気付かず…てかこのライヴ、す、す、すごかったよ!!!!!いやー行ってよかった、って言うかチケットとれてよかった……。

kowloonのレコ発ツアー『metallic, exotic tour 2011』。mouse on the keysと一緒に回ってて、この日のファイナル『chaotic, exotic tour 2011 final』(metallicがchaoticになりました)にはtoeも参加。まータイトル通りカオスな凄まじいライヴであった。ライヴを控えての、3バンドのインタヴューはこちら→・SMACK『INTERVIEW 中村圭作(kowloon)×川崎昭(mouse on the keys)×山㟢廣和(toe)』

トップバッターはtoe。流石の兄さんの貫禄であり乍らすんごい緊張感とあやうさでよかった…。山㟢さんが痩せてて、顔つきもなんだか変わっていて、それに反して(即して?)演奏の入り込みっぷりもすごかった。心配ではあります。いっぺんにいろんなことがあったものね……。すごくいい演奏だった。

二番手mouse on the keys。行けないイヴェントやオールでのライヴが続いていたので結構久し振りに観たんけど、すごいことになっていた。様子が変わったらしいことはwebからの情報や映像でうっすら知ってはいたけれど、実際観ると腰が抜けますわ。セッティングや編成は変わっておらず(この日も映像や照明に独自の美意識があった)、登場こそ皆さんスーツでバリッとクールだったものの、そっからがまー!か・な・り!アグレッシヴなパフォーマンスになりました。川崎さんあっと言う間に汗だくになってジャケット脱いでるし。Dr側から観たもんで(いやー堪能したー)Keyふたりの様子はあまり見えなかったんだけど、音はバキバキ正確に届いた。サポートのホーンふたり、ネモジュンと佐々木くんもソロ吹きまくり。

演奏のラフさはむしろ減ったくらいなんです。なのに何故にこうも攻撃的に聴こえるようになったのか…気合いが目に見えるようになったから?基本川崎さんの指揮が行き渡ってる進行なんだけど、そのなかでどんだけ暴れるかみたいな不文律がメンバー間に出来た感じ。あとやっぱり川崎さんが以前にも増して(って、これ迄でもあんた音デカいよ!だったのに・笑)ジャイアンドラムになったこともあるのか。それがすごくいい。てかこの1〜2年で川崎さん太ったと言うより体重増えた?増やした?馬力上がった+音がより太くなった感じです。もーあれよ、そりをひく犬みたいよ。フロアから「アキラー!」と野太い声が飛んでおりました。いやーあのドラムは男も惚れるよね。

MCでハンドマイクを掴んだ川崎さん(しかも立って喋るからなんか政治家みたいなのよ・笑)が「3.11のときは欧州ツアー中でリバプールにいて…」と言う話を始めた。9月リリースのDVDについて「タイトルの『irreversible』は、自分たちが3.11以前にはもう返れないと言う意味を込めた。それと僕、この欧州ツアーでヘッドバンギングし過ぎて、て言うかヘドバン歴20年なんですけど、頭痛が酷くなって、MRI撮ったら脳の上の方の毛細血管が切れてきてるんでもうヘドバンはやめなさいって言われたんです。だから以前の僕には戻れないと言う意味もある(笑)」と言っていた。「もうなりふりかまってらんない。何するかわかんないよ〜?」なんて言い出して、最後の曲ではフロアにダイヴしてしまいました。おまっ頭に気を付けて!

出囃子もよかったなあ、ミッシェルか!てなくらいにアガったわー。なんだっけあの曲…サントラの……『イングロリアス・バスターズ』で引用されてたやつだっけ?気になる!(追記:『続・夕陽のガンマン』ost「The Ecstasy Of Gold」でしたー!メタリカもカヴァーしてる、SOIL & "PIMP" SESSIONSも出囃子で使ってるあれです!『イングロリアス・バスターズ』で引用されてたのは「続・荒野の1ドル銀貨」で、『続・夕陽のガンマン』はタランティーノが大好きな映画だった。いろいろ混同)

と言う訳でフロア騒然(笑)こんなん直前にやられてどうすんの…いやでも一緒にツアー回ってきた訳だし、そもそも自分たちのレコ発ツアーだし、これは相当なんじゃないの?と言った期待感でパンパンに膨れ上がったところに出てきたkowloon、これまたすごいライヴを見せてくれたのでした。いやごめん、3年振りに観たのでこんなことになっていたとは…ちょーいい!ちょーいい!即新譜買いました!

1曲目、新譜にもゲスト参加している吉田一郎(!)が挨拶もせず出てきてゴリッゴリに弾いて挨拶もせず帰っていった。この無愛想っぷり最高でした。もうここからあっと言う間にひきこまれた。トリオなのに何この音の太さ!でもピアノはとても軽やか。て言うかこのグルーヴの上を自在に走るこのピアノ、圭作くんすごい。ベースラインは鉄兵くんが直にベースで弾くところとmicroKORGで鳴らすところがあって、この鳴りがいい!変拍子は基本かってくらいにあるんだけどバリバリに踊れるし、1曲ここでこう転調するか!てな曲があった。うわ、鳥肌。圭作くんは演奏に没頭するあまり何度もメガネを飛ばしていたので、ey吉野さんのようにバンドでとめるといいと思います(笑)。数曲ゲスト参加の、松村拓海さん(Fl)の演奏もよかったー。

アンコールは会場数量限定販売(即完だったらしく買えなかったよー・泣)のカセットテープ収録曲、motkの「最後の晩餐」をkowloonが演奏。ギャー!いやさ…先述のインタヴュー頁で何げに川崎さんが鬼発言してるじゃないですか、「(ラムダッシュのCM曲で)作ったのが難し過ぎて、うちのメンバーだと無理だと思ったんで、圭作君にお願いして」って。え、清田さんだって新留さんだってすごいじゃないの…圭作くんてどんだけ巧い子なのよと思っていたんですよ。3年前の印象があまり残っておらず(キャーごめんごめん!)。そしたら「最後の晩餐」のあのパッセージを独自の解体で聴かせたのにはたまげた。すごかった……。

kowloonライヴの途中から新留さんが圭作くんにドリンク持ってってあげたり袖から満面の笑みで観てたりしてたんですが、このアンコールでは川崎さんが出てきてフロアを煽るわまたダイヴするわでエラいことになっていた。何度飛び込んだか…川崎さんは大分デキあがっているようだった(笑)。二度目のアンコールでは両バンド入り乱れてもう一度「最後の晩餐」!もうむちゃくちゃですがな。川崎さんはクラウドサーフでフロア上をいったりきたり、ときどきステージに戻ってきて演奏。そのうちいきなり視界に清田さんが入ったかと思うと、走り込んだスピードのままフロアに飛び込んでしまったよ。予期しない方向からひとが降ってきたのでその位置のお客はギャーてなってた、よく落とさず支えたよ…えらい(笑)。ネモジュンも大暴れしておった。

そのうちどこから湧いたか(てかこんなにいたのかとビックリ)カメラマンが10人近くステージに群がって写真を撮っていた…ちょ、それ、どこに載るの!教えてー!映像も残してるよね、撮ってるよね?今回のツアー映像YouTubeで公開されてるんで、この日のも出してー!

それにしても、kowloonもmotkも大化けした印象である。いやこれ迄も好きだったけどさ…可能性っていくらでも隠れているもので、それはプレイヤーの才能とこころひとつでいかようにも拡がっていくものですね……。どちらも前に出る相撲を思い切りとったら角界が崩壊したみたいな勢いであった(もう少し洒落た例えを考えたい)。

本人たち「内輪感溢れる対バンですが」なんて言ってたけど、対バンはこうでなくちゃ!と言うライヴだったよ。なんつう大人げない対バン!内輪でこんだけしのぎを削ることの出来るレーベルって素晴らしいじゃないの(今回のkowloonの新譜はメジャーから出たけどね。圭作くんももごもご言ってましたが・笑)。3バンドともにドラムが大人げない程に音がデカく喧嘩上等なところも最高でした。そして川崎さんがトラ化するとチバなみだと言うのを思い知りました(わかるひとにはとてもわかりやすい例え)。

あまりにすごいもの観たんでこちらも脳からなんか出たようで、セッティング込みで3時間半くらいあったんだけど全然疲れなくて、終わった後も興奮のあまり買う予定ではなかったTシャツを買い込み(隣に「アンコールでやった曲が入ってるのはどれですか?」とmotkのCD買ってったひとがいて嬉しかった!)0時前だと言うのにガッツリラーメン食べてあー幸せーと帰宅してガーと寝て、起きたら身体中痛いわ胃もたれしてるわでなんなのと言う……いやあ、ホントすごかった。現場に居合わせた感ありありでした。観ることが出来てよかった!!!



2011年07月23日(土)
『KYO-MEIワンマンライブ 第二回夕焼け目撃者』

THE BACK HORN『KYO-MEIワンマンライブ 第二回夕焼け目撃者』@日比谷野外大音楽堂

七年振りの野音だそうです。新譜リリースに伴ってのものではなく、単発のライヴだったこともあるのか、かなりのレアセトリ。

後ろの席だったからか何なのか、序盤は音が小さく感じ、山田くんの声もあまり出ていないように感じたのだけど、曲が進むにつれどちらもどんどん伸びて拡がりが出てきた。栄純のコーラスもすごくよく通ってる。空を仰ぐと鳥が飛んでいる。「覚醒」のときだったかな、ちいさな鳥がすごいスピードでピューッと客席上を横切ったのには思わず笑顔が零れたなー。気持ちよい風が吹いて、バックドロップが美しいドレープを描く。曲間には公園外の車の音が遠く聴こえてくる。野音ならでは。

バックホーンのメンバーって、ふたりが福島出身、ひとりが茨城出身なんですよね。震災後、松田くんはご存知のとおり猪苗代湖ズ(昨年結成されたバンドだけど、こんな展開になるとは誰も思っていなかっただろう。流石の機動力)でいろいろな活動をしているし、他のメンバーも各々のtwitterやブログでそれぞれ発言しているし、具体的に動いている。バンドとしては「世界中に花束を」のリリースがあったが、ライヴでは敢えてそのことに触れずにきていた(水戸や郡山でのライヴとか、そういうのはあったけどMCでどうこう言ったりはしてなかった)。そして今日。

一曲目は「レクイエム」。深読みかも知れないけど、この日彼らが用意した曲たちには、いろんな思いが込められているように感じた。勿論どのライヴでもそれはそうなんだけど……。メンバー間で徹底的にやりとりがあったのだろうと感じられる、練られた構成に思えた。ミドルテンポの曲が続き、一歩一歩しっかりと進む。

派手な照明や演出はない、いや、いらないのだ。セットは栄純が描いたスサノオをモチーフにしたバックドロップ一枚。しかしその存在感と言ったらなかった。決して話すのが得意ではないであろう彼らはいつもよりよく喋った。「ライヴが出来ることが嬉しいし、幸せ」と言った岡峰くん(このツイート思い出した…)。栄純は「やられてばっかじゃねえぞ!!!」と叫んだ。ひとたび曲が始まれば、四人の一挙手一投足に釘付けになる。その場で鳴らされる音を必死で聴く、目の前で起こることを少しでも忘れないように、瞬きをするのも惜しんで見る。バックホーンって、メンバーのひとがらそのものが音になっているようなところがある。全てが素直に音に出る。悩みも、喜びも苦しみも。そしてその苦しみを突破するためにもがく様も。

目撃出来る筈だった夕焼けは雲でぼやけていたが、綺麗な色をしていた。リハでは雨が降ったそうだが、なんとか持ち直した。山田くん(ハードコアな雨男)はホッとしていたようでした、よかったね。

多分今生きているのは運なのだ。これからもそうだ。それだけは忘れないようにしなければ。

個人的には「蛍」「光の結晶」を聴けたのがとても嬉しかったです。蝉時雨、自転車、入道雲。夏だ、夏がきた。

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セットリスト

01. レクイエム
02. 蛍
03. 涙がこぼれたら
04. アポトーシス
05. セレナーデ
06. 羽衣
07. 舞姫
08. ジョーカー
09. 墓石フィーバー
10. 何もない世界
11. 水芭蕉
12. 夢の花
13. 覚醒
14. 真夜中のライオン
15. コバルトブルー
16. 戦う君よ
17. 世界中に花束を
encore
18. 光の結晶
19. 無限の荒野

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2011年07月22日(金)
『ア・ホール・イン・ザ・ヘッド』

『ア・ホール・イン・ザ・ヘッド』@UPLINK FACTORY

トレパネーションのドキュメンタリー。日本では山本英夫さんの『ホムンクルス』から一気に認知度があがったようです。自分も『ホムンクルス』からトレパネーションのことを知りました。

トレパネーションとは頭蓋穿孔のこと。歴史を遡ると石器時代から行われており、人類最古の手術とも言われているそうです。当時は悪魔祓い等の呪術的な意味合いもあったようですが、穴を空けることにより頭蓋内圧が変わり脳内血流量が上がるのは事実で、現代では脳梗塞等の治療の一環として行われているそうです。映画はそのトレパネーションの歴史から実践者の体験談、科学的根拠を探る医療関係者や学者のインタヴューで構成されており、55分と言う中編乍らかなり濃く多岐に渡る内容。詳しい解説はこちら→・VOBO『ア・ホール・イン・ザ・ヘッド』

今作に出てくる実践者と言うのは、トレパネーションを病気の治療としてではなく、未知の才能を解放するためであったり、ハイになるために穴を空けたと言うひとたちです。目的が目的なので保険も利かず、自力で空けた(!)ひとばかりで(ひとりだけ事故による怪我の治療のため一時的に穴を空け、その後塞ぐ施術を行った女性がいました)、皆「自分でやるのはオススメしない」と言う(笑)。そりゃねえ…。で、オススメしないので合法的に、保険の範囲内で手術が行えるようになればいいねーと言っていました。今では医師を斡旋するネットワークも出来ているそうです。

で、実際効果はあったのか?常にハッピーだとか、走るのが気持ちよくなった、とのこと。前述の穴を塞いだ女性は「以前の気分のよさはもう取り戻せないでしょう」と言っていました。狂信的な雰囲気はなく、「すごくいいよ!空けなよ!」みたくまくしたてるひとは皆無。皆さんとても落ち着いてインタヴューに応えている。これは興味深かったー。バート・フーゲスやアマンダ・フィールディングは'60〜'70年代に穴を空けて、今も元気に暮らしている訳です。学者さんたちによると「科学的根拠はない。プラシーボ効果としては考えられる」とのこと。しかし思い込みと言うものの力は大きいですからね。

うーむ、これは「死ななきゃオッケー」とファッションで空けるひとが出てきてもおかしくない。と言うかもういるんじゃないかな。タトゥーやボディピアス等の身体改造の延長と考えられなくもない。極端な話、審美歯科やネイルサロンに行くのとそんなに差がないような気もする。それはひとそれぞれですねえ。派閥とかありそう……。「そんなのはロックじゃない!」みたく「そんなのは正しいトレパネーションじゃない!」とか(笑)なんだ正しいって。

閑話休題。ジョン・レノンがヨーコとともに「チャクラを開きたい、トレパネーションを実践したい」とフーゲスのもとにやってきたエピソードも印象的でした。フーゲスは「あなたのチャクラはもう開いているから新たに穴を空ける必要はない」と断ったとのこと。これはスピリチュアル的な意味合いもあったのでしょうが、実際にジョンがメトピックだったかも知れないと言う解釈もあるそうです。赤ちゃんって頭蓋骨の縫合部が閉じてなくて、押すとぺこっとへこみますよね。成長するにつれ閉じていくのですが、塞がりきらないひともいるんだそうです。これがメトピック。

果たしてジョンがメトピックであったとして、それが彼の音楽の才能に影響を与えていたかは判りません。しかし身体に何らかの改造を施すことで(脳も身体の器官ですからね)新しい可能性が増えるかも、とジョンが思ったのは確かなのでしょう。第三者からすると「あなたそんなことしなくても充分でしょうが!」て思うけどね…(笑)。ポール・マッカートニーのインタヴューもちょっと引用されていました。「ジョンにトレパネーションに誘われたんだけど、僕は懐疑的だから『君がやってみてよかったら知らせてくれよ』って応えたんだ」だって(笑)。

クンダリーニの話も出てきたし、ペリー・ファレル辺りが興味を持っててもおかしくないなあ。ドラッグもそうだけど、アーティストは自分の未知の可能性をどんな手段を使ってでも探りたいのかも知れないですね。そこには快楽もあるのだろうけど。

ああっ全然まとまらない!いやしかし非常に興味深い内容でした。術中の映像もあるのでグロいの苦手なひとにはオススメ出来ませんが面白かったです。逆にショックメンタリーを期待してきたひとには物足りないと思います。

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よだん。

・山本英夫さんがいらしてて場内ざわっとなる。以前見たときよりも随分痩せた印象(普段から細いのにね)だったが相変わらずイケメンであった。こんなイケメンが何故あんな話を思いつくのか……(いや顔関係ないから)

・トークは皆さん噛み合わなくて進行の方が大変そうでした(苦笑)。アナウンスされていたゲストのひとり、エリック・ボシック(『鉄男 THE BULLET MAN』の主役さん)が出てこなかった。それについての説明がなかったのが残念だったな…時間の都合で途中で出てしまったんだけど、後半出たのかな?



2011年07月18日(月)
『猫背シュージ』

『猫背シュージ』@下北沢SHELTER

シェルター昼の部来たの初めてだよ…椅子入ってるのも初めて。「猫背椿×オクイシュージのミニトークライブ&猫背椿の美味しい料理をいただく会=『猫背シュージ』!!!」です。「構成とか雑務とかトークお手伝いとか」はプロペラ犬の座付作家、楠野一郎さん。猫背さんもオクイさんも大胆な芝居をする方ですが素はとても繊細でひとみしりな感じ。ときには鬼、ときには天使のようにボケツッコミを入れる楠野さんの司会進行で和んだイヴェントになりました。面白かったー。

殺し屋の目をしたオクイさんとエプロン着用+食品衛生責任者名札を掲げた猫背さんが登場、きゃー。カッチリとしたテーマを設ける訳でもなく、告知がある訳でもなく(強いて言えばオクイさんも出演する、来年のプロペラ犬の新作についてくらいか)、ゆるくまったり進行。ステージ上には炊飯器がふたつ(猫背さんと楠野さんの私物だそう)置いてあり、トーク開始とともにスイッチが入れられました。おお、と言うことは炊き立てのごはんが食べられるのだな。

で、まあふたりが知り合うきっかけとか、初共演だった5月の『欲望という名の電車』でのエピソードとか、事前にtwitterで募集していた質問に答えているうちにごはんが炊けてくる。炊飯器から蒸気がシュンシュン上がる。それがオクイさんの真後ろにあったもんだから、オクイさんの背中から煙が出てるみたいな絵面になり場内大ウケオクイさん逆ギレ。かちかち山みたいであった。

それでは準備しまーすと猫背さんが席を立ち配膳に。その間の客席の浮き足立った雰囲気はなかなか楽しいものでした。あれだね、ごはんと言うものはなんつうかひとをわくわくそわそわさせるものですね。知らないひと同士がどうぞーって紙皿リレーとかして、どちらも笑顔。よそってるうちにごはん(白米)が足りなくなり、シェルター厨房から五穀米を分けてもらうことになると言うゆるさも楽しかった…。大人計画の新人井上尚くんが近くの席にいたんですが、彼もフツーにお皿渡しあったりごはん食べててそれもなんかよかった(笑)。

ごはんに添えられたのはきゅうりのひとくちお惣菜。猫背さんによると「きゅうりの皮をしましまに切ったあと乱切りにして、カイエンペッパー、塩昆布、お酢(我が家では千鳥酢だが米酢であればなんでもいいと思うとのこと)とあえてジップロックに入れてもんでしばらくおいておく」と言うもの。酢のものぽいけどピリリと辛く、塩昆布のうまみも効いていておいしいのー。ごはんがすすむ。皆黙々と食べる(笑)。早速翌日作ってみた。米酢切らしててりんご酢にしたけどおいしかったよ!この夏の定番にしよう。

そのうち楠野さんが「僕の作ったものをそんなに食べたいと思うひともいないと思うけど…」と5〜6人分の自作ナメタケを持ってきたと言い出す。皆食べたがる。楠野さん反響に戸惑う。いやそりゃ皆食べたがるっておいしいものは(笑)。オクイさんをネタにしたクイズの正解者に配られました。友人が当てたのでいただけた。おいしかったー。ちなみにレシピはこちらです。おお、ちゃんと分量も出してある→12

それと前後してだったか?twitterを使うコーナーがありまして、オクイさん、猫背さん、楠野さんが相互フォローをしている平田敦子さんに話し掛けてリプライがいちばん遅かったひとが罰ゲームをすると言う。携帯をスマホに替えたばかりで操作のおぼつかないオクイさんキョドるキョドる。しかもひとりだけ圏外で、会場を出て送信する羽目に。しばらくすると戻ってきて「こっちでも入んない!さっき楽屋では通じてたから行ってくる!」とステージ裏に行こうとした際、出入口の桟に頭をしこたまぶつけると言うマンガのような期待の裏切らなさ。そのうえ相当あわあわしていたのか、最初@付けないで送る(爆笑)フロアから「オクイさん@付けてない!付けてない!」と声が飛び、泣きそうな顔で「そのまま送っちゃった!」とまたキョドる。笑いの神が降りている……。結果はオクイさん楠野さん猫背さんの順にリプライ。平田さん稽古の合間に返信してくれてたそうです、いいひと……。

罰ゲームとして猫背さんのエアもんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」が観れました。キャー素敵ー!

あとはオススメYouTube動画紹介とか…。お題は「観ると元気が出る動画」だったんだけど、心理分析が出来そうな程、各々選んできたものの色が違う。その場でも言われてたけど、オクイさんの選んできたもの、なんか怖いんだよ…笑えるんだけど。これを面白い、元気が出ると思う感覚がなんか…怖い!

なんだかとりとめなくなってますが、イヴェントそのものがとりとめなかったの!そこがよかったの!いやー面白かった。次回あったら是非行きたい!



2011年07月17日(日)
『NANO-MUGEN FES. 2011』

『NANO-MUGEN FES. 2011』@横浜アリーナ

初めて行きましたナノムゲン。独自のルールがあるとても整った至れり尽くせりのフェスで、運営側の指針がすごくハッキリしっかりしている印象でした。立派だなあと思ったし感心した。当日配布のタイムテーブル+案内記載の出演者プロフィール文も、オフィシャルで配布されたものをただ転載するんじゃなくてちゃんと新たに書き起こしてる感じだったなあ、愛がある…そんなところにも好感を持ちました。

BOOM BOOM SATELLITES、星野源、THE YOUNG PUNX! & PHONAT、佐野元春 and The Hobo King Band、THE RENTALS with ASH/GOTCH、MANIC STREET PREACHERSを観ました。

昼到着くらいでのんびり行こうかと集合場所決めていたのですが、前夜「しらゆきのtwitter見て!」と言うメールが届く。慌てて見に行くと「明日、来れる皆は朝一集合で…」「自分より皆の遅刻を案じています」等と弱気っぽくつぶやいている。予定変更、トップから観ることにする。ナノムゲンのタイムテーブルは当日発表なのです。と言う訳でアジカンのメンバーによる開会の辞から見ましたよ。果たしてブンブンがトップバッターであった…いやーよかった、しらゆき有難う。

さてそのブンブン、1曲目がもう「DIG〜」で、気合いの程が見てとれる。衣裳は思ったより普通でした。盛り上がったなー、朝イチなのにしらゆきの声すごいよく出てたし、よかったよかった。「Moment〜」に「Push Eject」の音混ぜたのっていつからだったっけか…。yokoさんとのコンビネーションもピタリとしてきたし、こちらも今の3人の音に徐々にではあるが馴染みは出てきたので、楽しんで聴けました。

星野くんのアコースティックセットすんごいよかったー。ハマケンの踊り付きとか中納良恵さんとのデュエットはザンジバルで観ているけど、まっさらのひとりソロ聴いたのは多分大人計画フェス以来。短くて、シンプルな言葉で、どれも心にじわりと刺さる曲。しんとしたアリーナに、ちょっとハスキーで色気のある声が綺麗に通りました。いい光景。

佐野さんは新旧織り交ぜ「SOMEDAY」迄聴けちゃって嬉しかったなあ。高音が出なくなっていたけど、歳を経てどう唄っていくかと言うものを見せてもらえた感じがして、それはアーティストの人生も反映されているもので、観られてよかったなあと思った。MCにもじんわり。

スタンドでのんびり観ていて、ここからアリーナ。

レンタルズ+ゲストはアコセットと言っていたのにパーティ仕様になってて結構グダグダだった(笑)。ASHのティムは誕生日でもないのに誕生日おめでとーなんてステージ上でケーキ迄出されてニコニコしておった。いい子……。てかこの子ももう30代半ばですよ!1977年生まれが!時の経つのは早い。しかしティムはずっとチャーミングで瑞々しい歌を唄ってくれるよねえ…ASHの「Jack Names The Planets」もやったんだけど、これもかなりグダグダであった。マット・シャープってステージ上だとああなるんだ〜(笑)。

で、マニックスです。ジェイムズがまた丸くなってて曲間ぜえぜえ言うようになってた…ライヴ久し振りだったのかな?そして「Faster」も「Slash 'N' Burn」(!)も年々遅くなっている…一緒に唄い出した自分が走ってるかのようです……いやいやいや。どこがファスターか!(笑)しかしね、そういうとこももはや愛おしいですわ。曲、詞そのものの切っ先は鈍ってねえぜ。ジェイムズの歌はどこ迄も伸びひたすら強いぜ。初来日チッタのことや、リッチーのことをMCで話す。ステージ袖にミッチさんもいる。

「復活は、ノスタルジーでも同窓会でもなくて。僕らと同じく40代や50代になった人間が、いま何を考え、いかに生き抜こうとしているか。そこにちゃんと向き合い、描きたい」と言うのは今秋第三舞台を復活させる鴻上さんの言葉。自分の見て来たバンドが歳をどう重ねどんな音を出して行くのか、歳を重ねた自分が向き合えるってなんて幸せなことなんだろう。「目の前に人間がいて、そいつがどう生きて、あがいて、泣いたり笑ったりしているのかを、直接目撃できる。その息づかいや、成長や、ひいては人生までをも共有しあえる」。これは音楽を通した関係にも言えることだ。ベッタリではない、依存でもない。一方的な思いを伝える訳でもない。節目節目でただただ目撃し、自分が今どう日々を暮らしているかを確認し、また会える日迄に自分も成長していようと心に刻む。

そんなバンドに出会えたことを幸せに思う。

セットリストはこちら。後藤くんありがとー。

ちなみにチケットとれなかった単独公演(OAはASH+サポート喜多くん…そりゃ激戦ですよ……あんまりだ)@BLAZEのセットリストはこちら。あげてくれたひとありがとー!それにしてもこの選曲…もぎゃー!(泣)

ごはんはウワサのラコスバーガーがおいしかった!



2011年07月16日(土)
『破天荒の浮世絵師 歌川国芳』

『破天荒の浮世絵師 歌川国芳』@太田記念美術館

後期『遊び心と西洋の風』、戯画・狂画、美人画・風俗画、洋風画の3セクション。ねこ!きんぎょ!たぬききつねねこねこキャー!わあーいたまらん、武者絵・妖怪画と同じひとが描いたとは思えんよ……。前期と後期で展示内容を変えたのは、同時期に静岡美術館で開催されている『没後百五〇年 歌川国芳展 幕末の奇才浮世絵師』と展示作品を入れ替えるためと言う実質的な都合もあったのでしょうが、テーマの分け方からして上手い!と言う感じでした。

洋風画のセクションは、今回新しく見付かった資料として、国芳が洋風画を描いたときに参考にしたと思われる蘭書『東西海陸紀行』の図版が並べて展示されていました。これがもう、なんつうかもう憑依か!てくらい同じなの。パクりってのとは違うんだよ…もはやその図版と同じ線、タッチになっちゃってるの。国芳が他に描いているものと全然違う線がそこにはある。こういうの見ると、もう器用を通り越してなんでも描けちゃうんじゃね?このひと…とか思う訳です。でも、それが日本の風俗、景色に折り込まれているので、やっぱり国芳の絵になっているのです。この引き込み力と言ったら!

画力としての腕もだけど、とにかく目がよかったんだろうな……見たそのままを描けるんだ(これ実はなかなか出来ない。手に目は直結しない、手が目に追いつかない)。空間も込みでちゃんと見えてる。で、その境地迄到ると目に見えないもの=見たことないもの迄自在に描けるようになるんだ。だから妖怪とかあんな、見てきたんか!てなレベルで描けちゃうんだな……武者絵もこれはこのひとの特徴でもあるけど、かなりエグいし血みどろだったりする。これもハーイすぐそこで見てましたーみたいな臨場感でシレッと描いてあって相当怖いんですよ…すごいな……。

そんなひとがねこ大好きで、擬人化されたようなきんぎょを描いて、かわいらしー絵も沢山残している。福禄寿あたまのたわむれシリーズとか、井上雄彦はここらへん影響受けてそうだなあと思われるユーモアさ。そのユーモアは時代の苦難、政治的な圧力をかいくぐるための重要なツールにもなっている。奇才と呼ばれる人物のタフさ、ひしと感じ入りました。

肉筆画も結構観れました、嬉しい。夏なのできんぎょシリーズもちっとあればよかったな、なんか新しく見付かったものもあるそうですし。複製画販売しててすごくほしかった…い、いつかきっと……!と、今回は絵はがきを買い込みました。かわゆい……。

静岡美術館の展示は12月に東京にやってくるようなのでまた観られるのが楽しみ。



2011年07月15日(金)
『アノ窓、コノ窓、灯火トモセ。』

極東最前線/巡業2011『アノ窓、コノ窓、灯火トモセ。』@Shibuya O-EAST

イースタンユースのライヴはいつでもタイマンで、いつでもこのときこれっきり。今日で最後になるかも知れない、それはなにごともそうだけど、吉野さんのMCのこともあって、特にそれを強く感じたなー。

私の考えとあなたの考えが違ったとしても、お互いの考えは尊重する。そして、そのうえで、自分はこうする。必ずひとりで立っている。ときに照れくさそうに、ときに茶化しつつ、しかし感謝の気持ちは隠さずに、そしてお互い信じる道を行く。

二度と会えなくなったひとたちのことを思い出したりした。死んでるひともそうだけど、生きててももう会えないひとってのはいるものだ。時間が解決するとは言っても、その時間がもうないかも知れない。普段からそれは意識するようにしているが、それでもときどきうっかりする。しかしそのうっかりは必然でもあったりする。どうにもならないことは必ずある。それを忘れないように。

4月の極東のときはまだなんとも言えない空気がライヴ会場にあって、もやもやした思いをどうすればいいか考えあぐねていた様子がステージ上にもフロアにもあった。しかし今日は、その辺りがしっかりと形になってきていた。

もともと暑いのは苦手な上に、こないだ和田先生が亡くなって、アベくんの命日ももうすぐだし、昨年の夏は本当につらいことがあったしで、もう夏に対して恐怖感みたいなものすらあるんだけど、「夏の日の午後」を聴いたときほんの少しだけそれが緩和されたんだ。夏に聴けてよかったと思ったんだー。いいライヴだった、聴けたことに感謝。

あれだ、これから夏がつらくてイヤだなと思ったら、イースタンユースのこととクラウドのこととアルクマのことを思い出そう。今年は楽しい夏になるといい、そうしたい。素晴らしいライヴをありがとー!

それにしても地震、全く気付かなかった……。



2011年07月09日(土)
『おもいのまま』

『おもいのまま』@あうるすぽっと

飴屋法水さんが所謂商業演劇のフィールドで演出、美術、音楽デザインを手掛けた作品。飴屋さんの舞台にプロフェッショナルな役者さんが出演することも珍しい。嶋田久作さん、斉藤聡介さんくらいではないだろうか。石田えりさんの企画で、飴屋さんに声を掛けたのも石田さんだそうだ。出演者は4人。石田さん、佐野史郎さん、音尾琢真さん、山中崇さん。脚本は中島新さん。

石田さんは数々の映画で観ていて素晴らしい役者さんなのはひしひしと感じている。佐野さんもそう。佐野さんと飴屋さんは状況劇場からの仲で、3年前新転位・21の『シャケと軍手』で共演している。音尾さんはTEAM NACSの方。山中さんは舞台でも映画でも活躍中。役者陣には何の不安要素もない。となると興味はただひとつ、このひとたちが飴屋さんと組むとどうなる?

おおこうなるんだ、と言う部分とおお全然変わらん!と言う部分。すごく面白いし、すごく刺さる作品でした。

穏やかに暮らす夫婦のもとにふたりの記者がやってくる。ふたりは取材と称して、夫婦の秘密を暴いていく。抵抗し、ときには無視する夫婦。だが事態は悪くなるばかり……。以下ネタバレあります。

家にあがりこんだ記者たちは、夫の会社の経営が危ないこと、数年前から行方不明になっていた息子の遺体が数日前発見されたことをネタに夫婦を追及する。彼らは保険金目当てで父親が息子を殺したのだろうと踏んでおり、多少でっちあげでもスクープをあげようと息巻いている。妻が息子のために買い込んだ大量のおもちゃや服、夫が金庫に隠していたSMプレイのDVDと筋弛緩剤を見つけ出した彼らは、暴力的に夫婦を問いつめるのだが、決定的な証拠が得られない。業を煮やした記者たちは、夫婦を殺すことにする。

遺体処理準備のためブルーシートを敷かれた部屋で、夫婦が刺し殺されて一幕が終わります。

重苦しい空気に包まれたまま休憩に。舞台をぼんやり眺めていると、スタッフが散らかった部屋を片付けて開幕前の状態に戻していきました。……???

果たして二幕、同じシチュエーションが繰り返されたのです。しかし今度は様子が違う。一幕で息子は実家に預けている、死んでいない、と言い張っていた妻も、記者たちに高圧的な態度をとり続けていた夫も、物腰が柔らかい。床にばらまかれたDVDを目にした妻は「言ってくれれば私もそれなりに努力してみるのに…」と言い(ここ、石田さんの写真集を連想させるニクい台詞ですね。それなりにどころじゃないよ!ちょー素敵だよ!笑)、夫はSMクラブ通いをしていたことを正直に告白し、力を合わせて現状を打開しようとする。懸命な彼らの姿は時にユーモラスに映り、切羽詰まった状況は一幕とは違う表情を見せ始める。

こどもを失ったと言う事実は夫婦に深い傷を与え、それが癒えることは決してありません。二幕で「もうおもちゃや服を買い続けるのはやめるね」と言った妻に夫はこう声を掛けます。別にいいじゃないか。誰に迷惑をかける訳でもないんだから。

死んだ子の歳を数えてもいいじゃないか。あの子が小学校、中学校にあがり、大人になり、結婚しこどもに恵まれ、その後自分たちの葬式を出してくれる。忘れなくてもいい。

一幕終盤、包丁を手にした記者1は「わるいことばかり考えているとわるいことが起こる、結局それは自分が望んだものなのだ」と言う暗示的な台詞を吐きます。命を落としたであろう夫婦は、二幕で違う望みを叶えるのです。まさに“おもいのまま”。つらい現実を抱えているひとがそれとどう向き合うか、勇気を与えられる作品でした。

飴屋さんは以前インタヴューで自殺を考えたことがない、と話していた。生まれてきたので生きている。どんな状況であってもひたすら前を向き、状況を冷静に見極める。生きることが前提で、そのために死んでしまうことがあると言う危険性も承知している。ここが全然変わらない部分。そしてその作業に、生きるも死ぬも自在に演じられるプロフェッショナルな役者さんが参加すると、観客は演者の身体に不安を感じることなく一緒に生死の淵を覗き込むことが出来る。これがこうなるんだ、と思った部分。実際はかなり激しいアクションも多く、怪我人を出さずに千秋楽を迎えられることを祈るばかりです。

音響オペもzAkさんと飴屋さんがやっているそうで、ひょっとしたら音も毎日違うのかも知れないと思う部分がありました。同じものなど決してないからね。卓にハナタラシのCDRも置いてあったけど、どこに使ったかわからなかった。殴打音かな。

カーテンコール。拍手が随分長く続いたのに誰も出てきません。卓から飴屋さんがすごい勢いで走り出て、舞台に駆け上がって出演者を呼びにいきました。あたふた出てきた彼らを見て安心したか、自分は挨拶もしないで袖に引っ込んでしまった(笑)。髪を短くした飴屋さんは、岡本敏子さんを思い出す風貌になっていました。

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■よだん
前にも思ったけど、全く方向性は違うように見えるけど、飴屋さんとスズカツさんには通じるものがあるなあ。「ひたすら見る」演出、音への信頼感、生きること、死ぬことに対する目線。今回近い時期にふたりの作品を観て、改めてそう感じた



2011年07月08日(金)
『ゲヘナにて』

サンプル『ゲヘナにて』@三鷹市芸術文化センター 星のホール

三鷹市芸術センターのシリーズ『太宰治作品をモチーフにした演劇 第8回』。松井周さんの、岸田戯曲賞受賞後第一作になります。太宰の「トカトントン」「女神」が主なモチーフですが、いやはや流石、一筋縄ではいきません。

入場すると、ホールが横使いにされていた。本来ステージがある場所を潰し、そこを下手側としてある。そこから本来の客席最後列迄を舞台とし、30度くらいの傾斜にさまざまながらくたが並べてある。ホール後方の音声室?のような部屋も演技エリアとして使われていた。スピーカーが各所に仕掛けてあり、思いもしないところから音が聴こえてきたりする。この音の飛び方はかなり面白かった。牛川紀政さんの音響でした。

のらねこに餌をあげ続ける母親に手を焼く息子、息子と別れたタクシー運転手と、自分の踊りを模索するダンサーの今カレ、妻に浮気され逃げられた夫。そこに「自分のことを太宰治だと思っている男=太宰男」が介入する。男はとことんだらしなく優柔不断で、女はそんな男をこてんぱんに叩きのめす。そんな男女の光景がスケッチ的に描かれる。無理心中で死なせた女は彼らの女神と成り得るか?相当トホホな光景が、ゲヘナ=地獄へと通じている。演者たちは何度も傾斜から滑り落ち、どこ迄が意図的な転落なのか判らなくなる。

ストーリーは連綿とは続かない。シーン毎に分断され、収束もしない。スムーズに流れ出したかと思うと突如鐘が鳴り、客電が灯る。少しの間を置いて「続行します」と言うアナウンスが流れる。これは「トカトントン」の流れのようだが、ここ数ヶ月開演前の劇場で頻繁に聴く「上演中に地震がありましたら、係の指示がある迄席でお待ちください」と言うアナウンスを連想させもした。

このようにこちらの集中を削ぐような演出が仕掛けられているのだが、何故か目が離せない。目のまえで起こることをそのまま鑑賞する態勢が不思議と整うのだ。そのうち、バラバラなスケッチが交錯する瞬間と言うものが現れる。そこで、どこをどうやっているのかは理解出来ずとも、この作品はデタラメではないのだと気付かされる。しかし相当狂っている…きっとこれは理路整然としたテキストになっている。それを書き切る作者の頭はどうなっているんだ?

配置されたサウンド――タクシー(台車二台を繋げたもので、演者が自力で動かしている)のカーステレオ(ラジカセがくくりつけてある)から流れるニューオーダーの「Krafty」、タクシー運転手同士と配車センターの無線のやりとり、ねこたちの声、妻が奏でるヴァイオリンと、朗々と唄い上げる夫の声――はスピーカーを通してのものと、その場で鳴らされた生音が混在する。遠い位置で鳴ったものは、台詞であろうと聴き取れないものがある。

単純に演劇と言う枠ではくくりづらい。自分がいた位置からだけ体験出来るインスタレーションと考えるとしっくりきた。

太宰男を演じたのは外部出演や映画でもご活躍の古舘寛治さん。今回も怪演。いやあもうキモい!めんどくせえ!(役が!役がね!)なのにときどきすんごい含蓄のあることを詩的に言ったりすんのよ、イーヤー!いやあ流石「あの玉川上水でどうやって死ねたんだろう@山田詠美」太宰の生まれ変わりです、やりきる男だよ……。一応弁護しておくと(あんな男のこと弁護しなくていいけど!といろいろ混同中)「現在は流れがゆるく、穏やかな玉川上水だが当時は人喰い川と呼ばれるほどの急流だった」そうです(笑)。弱気なのに都合がわるくなると激高するダンサー岩瀬亮さんも面白かったなー。恥ずかしい衣裳でニジンスキーよろしく踊るシーン、かなり失笑ものだったのですがそれが続くにつれ「いや…これはこれでいいんではないか……?」と思わされてしまう奇妙な説得力!タクシー運転手の野津あおいさんも格好よかったです。

太宰モチーフは端々に散りばめられており、「八幡」を「やばた」読みにしてタクシー運転手同士の隠語「やばいお客様」=「やばたさま」と呼んでいたのが面白かったです。三鷹八幡大神社は芸術センターのすぐ近所。

それにしても…

Just give me one more chance (one more chance)
Give me another night (just another night)
With just one more day (one more day)
Maybe we'll get it right (You know I'll get it right)

この歌をopとenのテーマとして使うとは、相当にブラックなユーモア。松井さん怖い。



2011年07月06日(水)
『ベッジ・パードン』とか

SISカンパニー『ベッジ・パードン』@世田谷パブリックシアター

三谷さん曰く「僕にとっての初のラブストーリーです。照れずに書いてみました」。開幕前に「こんなときだから笑える芝居を。前作の『国民の映画』はこんなときなのに重い芝居を打ってしまって…」というようなことを話してもいた。実際たくさんたくさん笑った。しかし、苦い苦いお話でした。この心の晴れなさっぷりは『国民の映画』と張るよ三谷さん……(泣)。

『ろくでなし啄木』の啄木、『国民の映画』のゲッベルス、そして『ベッジ・パードン』の漱石と、『三谷幸喜生誕50周年 大感謝祭』は実在の人物にまつわる作品が続いている。どれも「その後どうなったか」を知られている人物だ。今回も夏目漱石=金之助が帰国後作品を発表し“文豪”と呼ばれるようになったこと、その周辺のこと――家族について、その後ずっと抱え続けたもろもろの病について――はよく知られている。だから劇中、金之助とベッジの仲が親密になればなる程つらさも増す。

そして今回、腑に落ちないというかひっかかるところも多かったのだ。

先日「ストーリー展開を優先させるために登場人物に残酷なことを強いる」ホンが苦手だと書いたが、まさにそれを感じてしまった。これが作家の業だ、これくらい酷い結末にしないと説得力が出ない。だからとにかく酷い結果を持ってこよう、そうすれば金之助はベッジのことを忘れられなくなり、悔恨は一生消えないだろう。と言うのが透けて見えるように感じた。金之助が小説を書こうと決意するきっかけとするにはあまりにも乱暴だ。惣太郎が金之助に嫉妬を抱いた結果到った行動も理由付けとしては頷けるが、これらはどうしても避けられないことだったのか?と言う疑問がわく。これらの出来事を経たため金之助が言葉を扱う作家と言う生き方を決めた、と言うにはいまひとつ説得力に欠ける。

母国語が違う、なまりが強いことで気持ちを伝えられないもどかしさ、孤立感。これらの描写はとても感じ入るものだった。それだけに残念。

あとこれは邪推でしかないが、現在の三谷さんの心情、言いたいことはここだ、と言うシーンがあり、それは「観客はそのことを知りたいだろう」と思ってのことなのか、無意識に滲み出てしまったものなのか考えてしまった。人間は言葉でしかコミュニケーションのツールを持たない。大切なものが目に見えないなら、だからこそ言葉にしなければならない。黙っていて伝わるなんて思ってはいけない。話さなければ、言葉で伝えなければ。作家としての自負と意地すら感じさせる思い。

さてその作家が言葉という言葉を尽くして書いたものを、言葉以外のもの――表情であったり、仕草であったり――を駆使して観客に届ける役者陣。いやもう深津さんが素晴らしかった…このひといつもすごいけどねえ。「私のことを下に見ているからだ」のところなんか、あの笑顔、あの仕草のままでいきなり爆弾落とす訳ですよ。だからこちらが受ける衝撃も大きい。あの声が存分に活きていた。萬斎さんを古典ではない舞台のストレートプレイで観たのは初めて。これ迄観たことがなかった表情を沢山目にすることが出来た。困惑、逡巡、愛しいものを見る目。そして強烈だったのはラストシーン。笑顔を浮かべ意気揚々と原稿を書き始めた金之助が、ふと思索に耽る。暗転寸前の一瞬に見せた表情…2秒もあっただろうか?彼は鬼のような、悪魔のような表情を見せたのだ。あれはもう忘れられない、本当に恐ろしかった。ものかきの業を顔で表現するとこうなる!としか言いようのない顔。冷や水を浴びせられた気分だった。これはすごかった……。

大泉洋さんは陽性な面と、その背後に見え隠れするコンプレックスを緩急自在に見せてくれました。日本人を見物に来た牧師夫妻を追い返すシーン、とてもよかった。ネイティヴから完璧と言わしめる英語力を相当な努力(だっただろう)で獲得し、ロンドンでやっていくと決意している惣太郎の心根が伝わった。浦井さんはとてもよかったけど、役柄としてはかなり損をしているように思いました。これは本人のせいじゃないと思う…と言うか、あのキャラクターをここ迄憎めないものとして見せたのは演者の力が大きいのではと。歌も素晴らしかったです。

そして浅野さん!11役!こーれーはー浅野さんにいろんな役をさせようと言うのが前提としてあったとしても、それをやってのけてしまうのがすごい。神経をすり減らした金之助が「イギリス人が皆同じ顔に見える」設定も見事に効いていた。途中から出てくる気配がするだけで「くるぞくるぞ浅野さんがくるぞ」と言った期待感が劇場に満ちるあの空気、たまりませんでした。いやはやおつかれさまでした。

そういえば途中、出演者が笑ってしまって芝居が崩壊しそうな程あやうくなった箇所があったのですが(弾丸ロスがみそ汁のサイコロ飲み込んじゃいそうになるところ)、あれ狙って毎回のことなのか?だとしたらすごいよな……萬斎さんの困惑笑顔はとてもかわいらしかったです。

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■紙もの好き
『ウエアハウス-circle-』『動かない蟻』の本チラも手に入れてワーイ。おたくなことを言いますが、以前は『ウ“ェ”アハウス』だったの。別に拘らないでいいのかな。神経を逆なでするような配色でキモ格好いいです。最高。
『動かない蟻』の宣美は丸尾末広なんざますよ!キャー!ちょっと前にtwitterにも書いたんですが、これDMもすごかったの。グレー厚手のボール紙にBK1Cのバーコ印刷。印刷面の手ざわりは勿論、実際手にとると重さが感じられる。これは画像では伝わらん…実物が家に届く嬉しさもありました

■前回のつづき
使用曲と言えば、こないだ「人形の頭がふっとぶザズゥの芝居って何でしたっけ?」と言うメールを頂いて、これ『シープス』なんですが(いやー言われる迄忘れてたけど、指摘された途端そのシーンの画ヅラが浮かんだ!すりこみ!)、その『シープス』で使われててすっごい気になってる曲があってですね…もう19年前のことですけども(ひぃ)未だに憶えてます。大石さんが「やめろ!」って言った直後にかかる曲。口カラオケ出来ます、インスト+ラップ調の曲だったのに(笑)。
あーこれはもう一生判らないままかも知れない(笑泣)



2011年07月03日(日)
Music for Cloudbusters(『クラウド』千秋楽、『オール電化フェア』)

『クラウド』@青山円形劇場

千秋楽、Bブロック。

・opの照明、ホント綺麗だなー。今回のキーカラーになっている青と、LED使いのような白。光があたるだけで場全体があの色に染まる瞬間は何度見ても鳥肌がたった

・オガワさん、エンドウが来るとすぐ断線するのな…「本当に食べてるんですか?」とエンドウが言ってきたら「どうかな」とラインを放り投げる

・台詞にもちょくちょく出てきますが、登場人物たちの物理的距離が非常に「近い」。顔を近付けるにしても、身体を寄せるにしても。スズカツさんは役者の自主性に任せるひとだと言うのは有名な話だが、あの「近さ」は他の(と言うか最近のスズカツさんの作品を含む)芝居ではあまり見られないものだ。役者たちが自主的に近付きあったのだろうか?

・それにしても今日は役者さんたちの熱気がビリビリ伝わって怖いくらいだった。浩介さんがあんなに泣いたのも初めて見たし……マチネ公演で、外の暑さが劇場に迄しみ込んできたかのようだった。トモロヲさんも粟根さんも汗だく

・で、アドリブコーナーが10分は長くなってたんじゃないでしょうか。門人くんが定期預金と言うものを知らなかったことに客席全体がざわめきました(笑)いやあ、いい子だ…幸せになってほしい……

・幸せになってほしいと言うのはウサミにも通じる。潰れる心配のない職場勤務で、そこそこ悪くない給料もらって定年迄うまくたちまわって、楽しみは老後に。そのプランは多分一気に崩れた。呑気で素直ないいキャラクターだけに、知らないでよかったことを知ってしまったのは正直可哀相だとすら思った。彼がその後どう生きていくのかは気になっている

・もうお楽しみとなりつつあった門人くんかわいがりのコーナー(笑)は浩介さんも参加。役柄上、入り方と離れ方、切り替えが難しいだろうなと言うシーンですが、自然にふわーっと入ってきましたね。ウケた反面唸った、何あの自然っぷり

・と言う訳でヨタロウさん以外の4人のエグザイルぐるぐる(これホントはなんて言うダンスなの?)と言う貴重なものが見れました(笑)

・オガワのシーンから完全暗転、イタバシの顔が電源を入れたiPhoneの灯りで浮かび上がるシーン。これ20年前だったらタバコに火を灯すためのマッチかライターの光だったのかなと思ったりした。話逸れるが先日『欲望という名の電車』観たとき、ロビーにわざわざ「この作品には喫煙シーンがあります」って張り紙があったことに驚いたんだ…そういう世の中。でも今回の、iPhoneを灯りとして使う演出はストーリーにもドンピシャだったしとても印象に残る好きなシーンだった

カーテンコールは3回。1回目の正面はトモロヲさんだった。このひとがこんなに感極まった表情をするのを初めて見た。2回目でキャストが中央に集まり輪になって手を寄せあい、その後握手をした。皆いい顔をしている。平均年齢50は行ってそうな(門人くんがひとりで下げているが・笑)いい大人たちが、カーテンコールでこんな仕草、こんな顔をするなんて。こちらも胸が熱くなった。それ程手応えがある作品だった。本当にいいチームだったんだ。

3回目でキャストが客席にいたスズカツさんを呼んだ。ステージにあがってきてと言うジェスチャーをしたが、スズカツさんは席を立ち、その場でゆっくりと頭をさげ、あとはあなたたちで、と舞台上に手を挙げた。

考えるな、感じろ。なんてものを観ることが出来たんだろう。感謝しかない、感謝。感謝。本当に有難うございました。

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これからweb上で公開される上演台本パンフレットに載っているかも知れませんが、劇中使用された曲について自分の判る範囲だけ書いておきます。歌詞にも注目。ヒントが沢山隠れています。他にご存知の方いらっしゃいましたら教えてくださいな。今後も判ったものから書き足していこうと思います。

追記:ダウンロード出来る楽曲ファイルに直接リンクを張った方がクラウドらしくていいかな、と思いましたがアルバム(CD)の方にリンクを張りました。mp3よりはいい音で聴いてほしいと言うのと、アルバム単位で聴くと新しい発見もあるかなと思ったからです。いやmp3以上、CD以上の高音質ファイルってものもあるけど、探しだすとキリがないので(笑)
実際に劇場で鳴らされたものは、作品のために井上さんが設計した音の配置で、楽曲以外の音もミックスされています。自分ちで聴くものは音韻です。音響を体験するにはやはり劇場へ行くしかない。あの“音”を聴くには再演迄待たなければなりません(とか言って、曲変わってたらどうしよう笑)と言う訳で、もう再演が待ち遠しい。

・op
U2「No Line on the Horizon」(アルバム『No Line on the Horizon』収録)
(追記:ちなみに『No Line on the Horizon』には、ZAZOUS THEATER『シープス』で使用されたBrian Eno & Harold Buddの「Against The Sky」(『The Pearl』収録)をバックトラックに使用した「Cedars Of Lebanon」も収録されています。と、ザズゥおたくらしい小ネタでした)

・「荷物運ぶの手伝ってくれないか」の後
B.J.Thomas「Raindrops Keep Fallin' On My Head」(『明日に向かって撃て!』オリジナル・サウンドトラック収録)

(7月22日追加)・のわー何故これを忘れてた!DDでケイレンダンスのオガワのシーン!
Sex Pistols「Anarchy In The UK」(アルバム『Never Mind the Bollocks Here's the Sex Pistols』(勝手にしやがれ!!)収録)

・オガワ「誰かいる? 誰もいない」から暗転、イタバシがiPhoneの電源を入れる転換
Linkin Park「In Pieces」(アルバム『Minutes To Midnight』収録)
リンキンは他に、『A Thousand Suns』から「The Radiance」、「The Requiem」が使われていました

(7月12日追加)・泣くオガワ
Coldplay「What If」(アルバム『X&Y』収録)

・カーテンコール
Iggy Pop「Isolation」(アルバム『Blah-Blah-Blah』収録)

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スチャダラ2011『オール電化フェア』@日比谷野外大音楽堂

頭のなかが『クラウド』でパンパンなまま日比谷に直行、ラッキーにもソウルセット1曲目に間に合う。隣席のお嬢さん方がもうすっかりできあがっていて、席に着くなりカンパーイイエーとか言うて踊り倒して汗だくですがな。いやー面白かった。その後お嬢さん方は泥酔して完全に落ちていた(笑)。いや、あの暑さで野外でつったらそら呑みたくなるよね……。

この日は電気も出ていて、即完したという節電気グルーヴTシャツやレディー・ガガネタ、瀧本人による『おひさま』ものまね(笑)等、こういうときに見せる(それがこのひとたちの場合デフォルトなのだが)鮮やかな身のかわし方はやはりすごいなと思った。しかしSDPの辛辣さは効いた。やっぱりこのひとたち真面目と言うか実直なんだよね…だからこそ苛立ってる。新曲が続く。BOSEは「すいませんね、こういう場でこんな曲ばっかりやって」と言いつつ「来年はこんなふうにはやりたくない」と正直に話してた。

いろんな曲がこれ迄とは違うように聴こえた。あのリリックを前の気持ちで聴くことは出来ない。もう「サマージャム'95」は聴けない、「サマージャム2011」なんだ。「GET UP AND DANCE」でちょっと泣いた。

「小沢健二は出ません」発言にもいろいろ苦い気持ちにもなった。昨年のことを聴いていたからだ。どちらもわるくないのに、もう以前のようにはやっていけない。

そして電気はすごく格好よかった。思えばふたりきりの電気のライヴ観たの初めてだ。JKもまりんも、タサカくんもカガミくんもいない。

俊美くんはいつものようにイイ感じでした。「いつものように」、それも本当はいつものことではないんだ。

でも、すごくいいライヴだった。音楽はいろんなものを突破する筈だ。



2011年07月02日(土)
『血の婚礼』

大規模修繕劇団 旗揚げ公演『血の婚礼』@にしすがも創造舎体育館 特設劇場

Bunkamura改修工事に伴いシアターコクーンもしばらく閉鎖、その間蜷川さんのカンパニーが井上ひさしさん命名の劇団を旗揚げし公演をうちます。その第一弾。

『血の婚礼』はだいすきな作品。1993年銀座セゾン劇場、1999年ベニサン・ピットで観ています。初演も観たかったな。

もともと清水邦夫さんが蜷川スタジオに書き下ろした群像劇。セゾン劇場での再演は、清水さんの新作『ひばり』を上演する予定だったところホンが上がらず、この作品の上演に変更されたものだ。しかしそのおかげで、私はこの作品と出会うことが出来た。

しかし今回の上演は、1993年、1999年とは随分印象が違いました。群像劇に、窪塚洋介さんと言う、星と華を持った人物を主演に据えたことが大きいと思う。「何かを失ったことがある」北の兄の諦観がくっきりと浮かび上がる。丸山智己さん演じるハルキの諦観がその北の兄と絡み合い、爆発する終盤のシーンは際立って美しいものになっていました。窪塚さんも丸山さんもよかったなあ。あと、蜷川組初参加の公園くんも光ってました。

トランシーバー少年は過去寺島しのぶさん、高橋洋さんが演じた個人的に思い入れの強い役。田島優成くんは多分今迄の上演のなかではいちばん“少年”と言うヴィジュアルにふさわしいルックスで、それだけでアドバンテージがある。切実さに溢れる反面若さ故の暴走を抱え込んだチャーミングなトランシーバー少年でした。

雨は相変わらず、気持ちがよい程降る。雨音がかなり大きいので、出演者の皆さん結構声を張りますが、それでも後ろの方へ台詞は伝わりづらいかも知れない。2列目でギリギリ、と言う感じだったので。だからこそ、伝わるものが台詞だけではないと言うことを示さないとならない。なんたって清水さんの戯曲ですから、台詞が伝わらないなんてことは相当厳しいことなのだ。それでも蜷川さんはこの舞台にはあれだけの雨を降らさずにはいられない。

路地を抜け出せない鼓笛隊、喪服の男。いつ迄も路地の中をさまよい続ける。多分時間の概念はない。いつでも、そこにいる。

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・にしすがも創造舎にあるCamo Caféが好きで、この日もここでおひるを食べよーと早めに到着。すると付近の校庭や校舎前に役者さんがフッツーにいて、ウォーミングアップをしたり歯磨きしたり談笑したりしていた。芝居でくらしているひとたちの日常を垣間見たようで、それが廃校を利用して作られたにしすがも創造舎と言う場になんだかピッタリで微笑ましかったです

・帰りは昨年ここで行われた飴屋さんの『わたしのすがた』の跡地に寄ってみた。第1留の校庭の穴は、当然乍ら埋められてあとかたもない。第4留の診療所跡を昼間に見たのは初めてだった。誰もいないのになつかしい感じがした



2011年07月01日(金)
『クラウド』3回目

『クラウド』@青山円形劇場

本日Hブロック。トモロヲさんがポイントポイントで真正面になり、ああこのシーンではこういう表情をしていたんだ、と思う。そういうことに気付く度、テキストの印象がまた変わる。本当に円形は面白い劇場。門人くんが舞台上で迷子になるとツイートしていましたが、観る側もわけわかんなくなるときがあります。飽きないわー。

今日は精度をあげていく作業、と言うのを目の当たりに出来た感じがして興味深かったです。あれだけのメンバーが集まっているので最低限のラインでもきちんと見せられるものに仕上がるのだが、それを「毎日こなす」「毎日なぞる」作業に陥らせないための集中力、と言うものが必要になる。

個人的な印象ですが(っていつもそうだが)、今日は第一声から、あれ、今日何かいるな、と言う感じだった。と言うとオカルトぽいですが、そして円形には“いる”と言うウワサがありますが(笑)。ちなみに私に霊感はありません。でもなんだろ、なんかしら上演に影響を及ぼすなんらかの気配ってあるものです。観客の反応もしかり。芝居そのものにトラブルがあった訳ではありませんよ。ただちょっとぐらつく、普段スムースに走れる箇所に凸凹がある印象。そこを支障なく進めるため各自微調整をしていく様子が垣間見れたのがとても面白かった。

そしてその分、登場人物の激情が露になるシーンの迫力と言ったらなかったです。以下おぼえがき、ネタバレあり。

・開演前のスズカツさん。クラウドちゃんの整理整頓だけでなく、ステージ周囲を歩き回って撮影もしていた。いずれtumblr(SUZUKATZ CLOUD)にあがるかな

・日替わりネタがお題からして変わっていた、そしてネタも増えている。よって上演時間が延びています(笑)。本日はツチノコ、黒酢ダイエットなどなど

・はーツチノコ飼いたいなー

・ジャポニカ学習帳のじゆうちょう

・それにしても粟根さんと門人くんのアドリブキャッチボールはどちらもうまいこと投げるしうまいこと返すねえ。お見事

・そういや初日、サさんが「粟根さんにやる気のない刑事役をやらせるなんて、よくわかってるわー」つってた(笑)そして公務員の基本給と各種手当について熱く語り合ったんだったあはははは

・そんで丁度『誘拐の誤差』を読み終わったばっかりだったのでいろいろ考えたんだ…(苦笑)

・「誰かいる?」「誰もいない」のシーン大好きでいつも泣きそうになるんですが、実は『ドキュメント本能寺の変』の「たれかあるー!」を思い出すのは内緒です。いや信長もたいへんだったよね…ひとりでつらかったよね……

・実は今回いちばんこころが寄るのはエンドウなのだ。そして気になるのはアマリなのだ

・ここで『LYNX』の話を出すと、今回のアマリって『CLOUD』の登場人物中、唯一実体がないんだよね。そしてエンドウは『LYNX』で唯一実体がなかった。どちらもオガワの鏡とも言える

・告白によって背景がハッキリすることで、エンドウの孤独と焦燥が浮かび上がる。イタバシは「エンドウがひとごろしをしないであと15年くらい生きたらオガワになる」と言う。オガワもエンドウもコミュニケーションが下手と言う訳ではない。手段、方法論が他のひとと違うだけだ

・そんなエンドウが、「駅から歩いて50分」ののぼり坂を、オガワに会うためにやってきた。その後何度も会いにくる。それを考えるだけでも痛い程の切実さを感じるし、「誰かいる?」とクラウドをさまよっている彼の姿を想像すると、なんとも言えない気分になる

・トモロヲさんと浩介さんのやりとりが日々近い感じになってきてる印象(これはこちらがリピート故ストーリー展開を知っているからかも知れないが)。オガワとエンドウがそうなっている、と思うとこれがまたじんわりくるね

・ラストの解釈は分かれると思う。オガワが死を選んだと思うひともいるだろうし、外に出て行くと思うひともいるだろう。ラストシーンでの断線をどうとるか。使用曲の歌詞にヒントがあるようにも思える

・しかし、この作品は経過であるようにもとれる。今日、suzukatzcloud2に「いずれ「CLOUD」も「LYNX」のように再演したい。「LYNX」と同時期公演とか。新たなオガワの登場とか。ライフワークとして。などなど。(suzukatz.)」と言うツイートがあったのだ

・かつて『LYNX』でウサミを演じた浩介さんが今回エンドウを演じている。いつか門人くんがエンドウを演じるかもしれないなんて妄想も膨らむ。浩介さんがオガワになることも有り得なくはない。他にもどんな役者が出てくるか、それは舞台に限られるのか、アートとしてなのか

経過を観ていけるなんて、とても楽しいことだ。