::schema 2009年08月25日(火)

どうしよう、最近誰かと話すことが怖い。
でも、誰かと一緒にいたくて仕方ない。

会話って、わたしどうしてたっけ?

会話って、考えながらするものだっけ?
顔色を伺いながらするものでいいんだっけ?

とっくに塞がったと思っていた傷痕が、今更瘡蓋が剥がれおちて膿んできたみたい。

こんな時、誰かに助けを求めて泣き叫ぶことが出来ればいいんだろうけれど、
今更一体誰に本音を吐き散らしていいのかわからない。

それだけ、わたしは虚勢を張りすぎた。

素直なフリして全然素直じゃないんだよ、わたしは。

『もっと誰かに頼れ。でないと、誰もお前に頼れないんだぞ!』って、漫画の台詞にあったけれど、実際どのくらいまで頼っていいのか計ることができないから、頼れないんだよね。

人によって、その尺度が違うから。
(わたしはどれだけ頼られたっていいけれど。むしろ、頼られるような人になりたい。)


わたしにとって、わたしを取り巻く全ての人々が善いものであるように、
嘘でもいいから、誰か、わたしの存在を善いものとして、肯定してくれる人が、ほしい。





::大きく創りすぎた 2009年08月11日(火)

mixiって、本当怖い。
疎遠になっていた人と再会出来て、かつその人の状態を知れる良いコミュニケーションツールだとは思うけれど。

自分が記事を書いて投稿して・・・コメントがつかないっていうことだけで、自分には友達いないんだなと勘違いしてしまう。自分だって、人の記事読んで「へー」と思って、特にコメントなんてしないけれど、ちゃんと友達で大事な存在だと思っているのに。わたしに対しては、本当にそうなのかなと疑心暗鬼。逆にコメントがつくと安心する。そして、今度はコメントが付きそうな記事を投稿してみる。コメントがつかなくて落ち込む。の、悪循環。

わたしは今安心を求めすぎている。
逆に今の状態で落ち着いてしまえば、もう当分この先このままなんだろうなとも思う。はたしてどっちがいいんだろう。

年齢的なこともあって、最近は実家に帰ると必ず「そろそろいい人出来た?」と聞かれる。そんな、たしかに前回は運よく二か月そこらで新たな安心を手に入れることができたけれど、普通はそううまくいかない。

昨日友人に借りて読んだ「荒川アンダーザブリッジ」の巻末で、

創造主というものがいたとして
きっと 彼は この星を 大きく創りすぎたのだ

おかげで 小さく怖がりの人間は困っている
『こんなに星が大きくては』
『人との距離の測り方がわからない』

60億もの人間がいるのに 皆それぞれ とても一人で

皆 必死で 探している

距離のいらない もう一人を


という文句があった。
本当に、そう。本当そのとおりだ。


2003年08月11日(月) 家族総出。

::escape 2009年08月06日(木)

誰かとメールをする。誰かと遊ぶ予定をたてる。

ただそれだけで、わたしは一人じゃない、少なくともわたしという人間を好いてくれるひとがいると実感できる。

ひとりでいると、わたしってほんとう性格悪いし、わたしなんかを好きになってくれる人なんてもういないなんて、わたしなんてわたしなんてって、自分を卑下することしかできない。自分のいいところが見えてこない。

やっぱり、ひとは誰かに好きと言ってもらえる、実感させてもらうことで初めてじぶんを好きになれるんだなと思った。わたしは基本的に自分が大好きだけれど、今ばかりはちょっと嫌いになりかけている。

ゲームは大好き。でも、たぶんわたしはゲームに逃げている。ゲームにのめりこむときって大抵、何かから逃げたい時。頭をただそれだけに集中させて、他のどうしようもない思考にまわしたくない時に逃げ込む。思えば、この春からかなりの量のゲームをこなしてる。それまでの二年間、プレイしたゲームの本数は本当に少ないもので、この三か月でその本数を軽く追い越してしまったくらい。

今、わたしにはどうしようもなくのめりこんでいるゲームがある。仕事から帰るともうずっとそれをしている。


わたしは何かから逃げている?


そう、逃げている。



2003年08月06日(水) 花が繰り返し咲き乱れては枯れる様に、人も生を繰り返すのでしょうか
2002年08月06日(火) 心理ゲーム(フルーツバスケット)

::幸福の印*追記 2009年08月04日(火)

ひっそりこっそり好きだった写真家の方が亡くなられたことを知った。しかも、それは半年も前のこと。

知ったきっかけはmixiの足跡から。恐らく写真関係のコミュから足跡を残してくれたのだろう、そこから彼のページへ行ってその作品と感性に触れて、震えた。それと同時に、日記から癌に侵されていること、抗癌剤の影響から時折カメラを持つ指が震え撮影もままならなくなることも知った。それでも彼は最後まで写真を撮り続けたそう。

わたしも、写真を撮ることが大好きな一人として、自分がそこに存在した証を残せる人になりたい。
写真の中で幸せそうに笑っている人になるのではなくて、その人を撮る人になりたい。

立ち止まってこもってばかりいないで、もっと外に出て行こう。ちゃんと見つめてみよう。そうすれば他に見えてくるものがきっとあるはず。

今この瞬間は過去で、1秒後は未来。もしかしたら10秒後に、10分後に、10時間後に、10日後にわたしは死んでしまうかもしれない。人間人生のうち幸福であると感じる回数よりも不幸であると感じる回数の方が多いと思う。けれど、いつまでも心に残るのは幸福の方。だったら、少しでも幸福の数を増やす努力をしなければ。

どんな病におかされようと、たとえ短い生涯だろうと、「わたしは幸せだった」と確信を持って死にたい。



*********



考えることをやめたいのに心の中渦巻いて仕方がない。どうしてこんなに気にしてしまうんだろう、人の目を。もっとひとりで上手に生きてこれたはず。家族がいて、友人がいて、趣味があって、それだけで満足していたはず。なのに、どうして求めてしまうんだろう。三年前は平気だったでしょ?じゃあどうして今はダメなんだろう。どうしてこんなに安心を求めてしまうんだろう。環境がそうだから?年齢がそうだから?ひとりだって大丈夫、ひとりだって大丈夫と必死に自分へ言い聞かせている姿が滑稽で仕方がない。それがすべてじゃないことくらいわかっているはずなのに。

あと何か月過ごせば、大丈夫になるんだろう。焦ったっていい結果を生まないことくらい身をもってわかっているはずなのに。

誰かと一緒にいられる安心感を知ってしまったから、守られる幸せを知ってしまったから、ひとりでいることに幸せを感じていたあの頃にもう戻れないのだろうか。けれど、たとえ「戻してさしあげましょうか」と神様に言われたところで、それを選ぶかどうかはわからないけれど。

行き来できれば、いいのにね。


2003年08月04日(月) 梅雨明けしたそうで。

::気付いてしまった 2009年08月03日(月)

HHからいらっしゃった方いるようで、ちょっと驚きました。どこにもHHへのリンクは貼ってなかった気がするんですが・・・まぁいいか(笑)すみません、せっかく読んで頂いたのにネガティ部で。。。





人の口を縫い付けることなんてできないのわかってる。人に相談するということは、その人がどんな人だろうと他に漏れる可能性があることをある程度覚悟しなければならない。悲しいけれど。でも、実際にそうなったとき、湧き上がる感情というのは怒りではなくて寂しいという気持ち。悲しいという気持ち。わたしもうっかり言ってはダメと言われていることを口走ってしまうことがある。その時激しく後悔する。人に信頼されるには、自分が信頼に足る人物にならなければ。わたしは特に、考えるよりも口が出てしまうから尚更。わたしはついつい楽しい方に流れてしまうから、ダメなんです。何度も反省するのに学習しない頭脳。だから愛想つかれるんですよね。


もう、放っておけばいい。こちらからは何も言わず、聞かれれば違うとただ一言言えばいい。だって、今この瞬間、それが心からの真実だもの。悲しいことに、時間と共に消えるもの、気がついてしまうものがある。ただそれだけのこと。


そして、わたしはまたそんな自分を罵倒する。


2003年08月03日(日) 三つ目の穴

::誇張された噂 2009年08月02日(日)

ただでさえ頭が痛かったのに、昨日聞かされた衝撃の事実に更に痛みが増した。

あーあーそういうことか・・・そりゃそうなるわと。
原因はわかったけれども、いかんせんどうすればいいのか。
ものすごい話が肥大化している上に、間違えた伝達のされ方をしている。

直接本人から聞かされたわけではないのに、「〜らしいよ」でそれがあたかも真実であるというふうに捉えられてしまうと非常に迷惑。これだから、小さな世界は怖い。

かといって変に誤解を解こうとするとかえって怪しく見えてしまうのも事実。そんな気持ちはないんだけど、というのも失礼な話。そもそもそういうふうにとれる行動をしたのだろうわたしに問題はあるのだから、それはわたし以外の誰を非難することなんてできないにきまっているのだ。

でもこのままそうだと思われ続けて、このままの状態が続くことだけは避けたい。
手っ取り早い解決法はあるけれど、今のわたしにはムリ。できる気がしない。作ろうとがんばる気も起らない。この状態をしばらく楽しもうと思っている以上、特に無理な気がする。

別に当人同士が何とも思わなければ、周りにどう思われたって構わないと思うのだけれど。もし聞かれたら、「違うよ」と一言言えばそれで済むのだから。一方がそれを嫌だと気にして避けだすのだとするならば、それに合わせてしばらく放置しておいたほうがいいのだろうか。この先なにもないのだったらそれも構わないのだけれど、構う問題があるからまた困る。

なんだか、もう、ここまでくると、何もかもが面倒くさくなってくる。
折角楽しくなってきたと思ったのに、また地の底に落ちた気分だ。

人付き合いって本当に難しい。
誰に本心を打ち明けていいのか本当にわからなくなってきた。
わたしはこの先どういう風に人と接するべきなんだろう。


2003年08月02日(土) 昼夜逆転生活

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