::初めの一歩 2009年07月31日(金)

昨日、大学1〜2年ときとかに書いてた日記を読み返して、あー、わたし若いなぁと思いました(笑)考えていることはあまり変わっていないんだけれど、行動とか態度は、少しは大人になったかなぁ・・・少しは成長したのかしら。

この月曜日にS子と会って、仕事MTGを軽くした後に相談。相談っていっても、ずいぶん前からグチグチ言っていたのでまだ解決してないのかと軽くあきれられたけど・・・まぁ、あきれますよね。

彼女ははっきりわたしの短所を的確に突いてくれる。すごく目からうろこ。いや、わかってはいたんだけれど、あえて見ないようにしていた。そしてそれすらもわたしの悪い点。

相手の出方をうかがってしまうのが、わたしの悪いところ。
苦手なくせに回りくどく計算してしまうのがわたしの悪いところ。
兎に角も、ネガティブ思考なのが悪いところ。

自分が動けば、何かが変わるだろうことはわかってる。いい方に転ぶかもしれないし、悪い方に転ぶかもしない。その50%&50%の中で、悪い方へ転ぶかもしれないと考えただけで足が止まる。同じだけの確率でよい方へ転ぶ可能性があるというのに。わたしは、100%の安全がほしいのだ。たった1%でも不安要素があると行動に移すことができない。唯の弱虫。

時が解決してくれるとそのままにして、たしかに解決したこともあるけれど。それでもかなりの月日を要した。すぐにでも解決したい、だったら自分から動けばいい。


わかってはいるんだけど。


もしダメだったら。その考えが頭をよぎるだけで、足元の影が地面に縫いつけられる。




強くなりたいんだったら、立ち止まって祈るのをやめて、一歩踏み出せばいい。

同じようなことを、かつてS子に言ったことがある。
今度は彼女がその言葉をわたしにくれた。



たかが一歩なのに、なんて重いんだろうね。
想像もつかなかった。


2003年07月31日(木) こいのうた
2002年07月31日(水) クロノ・クロス(CHRONO CROSS)

::沈黙 2009年07月25日(土)

わたしは、おしゃべりが大好き。
それと同じくらい、ひとの話を聞いているのが好き。

自分が知らないことはもちろん、その人がどういう思考で嗜好の持ち主かを知ることができるから。

夢中になっているそれに口をはさむなんて、もったいないと思ってしまう。ので、基本黙っている。わたしが口をはさむことによって、それが中断されてしまうのが非常にもったいないと思うから。
もちろんその場が意見を言い合う場だったら、そのひとの主張がひととおり終わった瞬間感じたことはそのまま伝えるけれど。

でも、そうしていると、つまらないんじゃないかと思われてしまう率が非常に高い。そりゃ、知らないだろう話をひたすら展開して、会話に入れないでいるところを見ると、そう思われてしまうに違いない。
大多数の人はつまらないと感じるだろう。それは正しい。
でも自分はそうじゃない。全くつまらなくない。なんて言っても、気を使っていると思われて終了するんだろうけど。

わたしは基本的に人と一緒にいることが好きなので、その場に入れて話を聞けるし話もできるということがもう満足なんですが。楽しい話はみんなでおちゃらけて、真面目は話はしっかり聞きの姿勢で。そして時々発生する沈黙の時間だとか。その沈黙の時間も好きだったり。空気感とか。相手が沈黙を苦手とするならば、成立しないけれど。

人間って、つくづくめんどくさい生き物だなぁ。。。


2003年07月25日(金) ちこちこと。

::ネガティ部長 2009年07月21日(火)

時々、わたしってひとりぼっちなんだよなぁと思う。
風邪ひいてる時だとか、生理前だとか。

どこか弱ってるときって気持ちも不安定になるから、自然と誰かを求めるんだろうけれど。こういうとき、一人暮らしって切ない。こういうとき、一人って辛い。


三年前と違うのは、どこだろう。年齢的な問題?たかだか三年ぽっちで?


そして、ついこないだまでは、こういう暮らしも楽しいってすごく思えていたのに、あっという間にダメになって。理由もわからない。聞いたって教えてもくれないだろう。これから楽しくなりそうって思っていたことが、あっという間になくなっちゃって。どうしてくれよう。わけがわからない。なにが悪かったって探して、見つからなくて、うじうじ悩んで、挙句の果てに腹が立って。いや、見つけられない自分が悪いんだろうけど。わたしはいつも考えなしに自分の感情を優先させてしまうから、それがいけなかったんだろうと思うけれど。このままなくなってしまうのは、あまりにも悲しいなぁ、と思う。


いったい、あとどれくらいの人がわたしを友達と呼んでくれるのだろう。わたしが友達と呼びたい人は、たくさん、たくさんいるけれど。


2003年07月21日(月) 抜き打ちで君の愛、試します。

::人は家そのもの 2009年07月16日(木)

私とS子は、初めて出会った時はそれはもう腹の探り合いで。
それから三か月はうわべだけ仲良こよし友達な関係が続いた。

三ヶ月目、それぞれの仕事内容だとかお互いの振る舞いに、お互い腹立って水面下で大げんか。表には出さないけれど、こう、奥でお互いにらみ合ってる的な。それに気が付いた上司に、仕事中で構わないから話し合ってこいと諭され・・・終電まで話し合った。なんとか冷静になりながら、それでも自分にも相手にも言い聞かせるように思っていたことを全部吐き出して。

そのことがあったからこそ、今や彼女にだけはなんでも思っていることを伝えられるし、誰よりも、親よりも素の自分を見せることができているんじゃないかと思う。親にできない相談事も、彼女になら出来る。もう彼女との友情は一生ものだろうと確信が持てるほどの間柄。

わたしは事なかれ主義なので、少しでも喧嘩に発展しそうなことが起きればなんでも先に謝ってしまう。それで落ち着くこともあり、かえって火に油を注ぐことにもなり。どちらへ至っても、それでもどうして怒っているのか、どうしてそう感じたのかその原因がわかればなんでもいい。知ることさえ出来れば、直す努力が出来るから。少なくとも、この人はこういうことが駄目なんだな、ということを理解することができるから。それさえわかれば、その先その人の前ではそういったことをしないよう努めることができる。原因がわからないでなんか避けられたり機嫌が悪かったりすることが、一番気持ちが悪い。

この人はこういうことするから苦手だ。だから、この先関わることのないようにしよう、という考えに至ってしまうのもわかる。だって簡単だし。楽だし。イライラすることもなくなるし、モヤモヤすることもなくなる。でも、もったいないと思う。こういう部分さえなければ仲良くいられるんだけどなとか思うんだったら、それはどんどん伝えるべき、なんだと思う。もちろん言いづらいし相手を少しは傷つけるかもしれないけれど。上司と部下で先輩と後輩でとかだったら尚更だけど。もしかしたら直そうと努力してくれないかもしれないけれど。でも、そうして友情や信頼が続く可能性が少しでもあるならそんなリスク屁でもない。

人間は生まれた時は誰だって本能と体しか持っていなくて、家で例えるなら鉄骨と床しかない状態。これじゃあ誰も住めない。そこに、記憶だとか知識だとか感情という名前の壁を増やしていく。残る人間性は、いうなれば家具で。自分一人で用意することが出来ないもの。環境や人から与えられて初めて得ることができるもの、だと思うわけです。

かくいう私自身全然人間できておりませんが。自分の知らないところで、度々自分の言動で人を不快にさせたりしてしまっているだろう。知らないことは罪じゃないけれど、知ろうとしないことは罪だと思う。

まぁ、そんなのただ人に嫌われるのが怖いわたしの屁理屈で言い訳でしかないのかもしれませんが。でも、生きていく中やっぱり嫌われる人数は少ないにこしたことはないと思うんです。恋情には限りがある場合が多いけれど、友情には限りがないっていう、ね。


2003年07月16日(水) すっとばし

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