浅間日記

2012年09月27日(木)

帰り道。

新幹線に乗って、在来線に乗って、家路をたどる。

都会を離れ、山並が近づき、空気がすんでくるにつれ、
Yから力がぬけていく。

駅にFさん夫妻が迎えに来てくれて、車で家に着いた時には、
すっかり眠りそうになっていた。

初めてに近い都会の経験は、思いのほかYを疲れさせた。
それはもっともだろうとおもう。

2006年09月27日(水) 消費税のゆくえ
2004年09月27日(月) 不在善哉



2012年09月23日(日) 晴れ舞台

父と母が続けている市民オペラの発表会。
Hと子ども達を連れて観に行く。

ロビーで子どもを見ながら、Hと交代で鑑賞。
「歌劇団結成から6年、満を持して取り組みます」と、
パンフレットには指導者の言。

そう、満を持しての「魔笛」である。
そして私達も今回初めて、本番の舞台を見に行くのである。

九官鳥が首を絞められたような声で歌う父に、
頼むからやめてくれ!と心の中で懇願した6年前。
何も今さらその年で歌など始めなくても、と心底思った。

けれどもどんなに仕事で疲れても毎回欠かさずに練習に通い、
団の理事にまで引き受け、今や舞台も6回目になる。



他人が観れば恥ずかしい学芸会である。サムイ、と言われるかもしれない。

還暦もとうに過ぎたジジババが、厚化粧をして、ヒラヒラのドレスを着て、
日頃耳にするプロの歌声とは程遠い声で、パミーナだのタミーノだのとやっているのだから。

なのにどうしてか、舞台で両手を広げて王子になりきっている父は、
今や、九官鳥ではなく立派なテノール歌手である。

パパゲーノと二重唱を歌う母はお姫様になりきっていて、
確かにそういえば、私が小さかった頃にはこんな娘の片鱗を残していた。

涙なくしては観られないのである。
この人達が自分の両親でよかった。

2009年09月23日(水) 
2006年09月23日(土) 
2004年09月23日(木) 気づいてしまう日



2012年09月22日(土)

家族全員で電車にのって移動。
我が家においては、非常にめずらしいことだ。

ただし帰路は、私1人で赤ん坊のHと小さいYを連れて帰らねばならない。

2011年09月22日(木) 
2009年09月22日(火) 物見遊山者
2004年09月22日(水) 先達はあらまほしきかな



2012年09月16日(日) 押し付けられた未来

中国のデモが、抑制できない状況になっているのらしい。

「2012年に地域の不安定により日本が戦力(防衛力)の強化に動く」
という予測が、2003年にされている。

これは、アメリカ国防総省の委託を受けて2003年に民間コンサルティング会社がまとめた、「突然の気候変動シナリオと合衆国安全保障に与えるその影響」というレポートで、加藤三郎という元環境庁地球環境部長である人が、某専門誌で紹介している。もっとも、特別な情報ではなく良く知られたものであるらしい。

この日記で、2006年に備忘録として書いていた。

嫌な予測である。

米国から発信される予測というのは、とりわけ日本にとっては、
予測といっていいのか、何か押し付けられている将来目標なのか疑わしい。
そうした不信感がある。

2009年09月16日(水) みんな同じ
2005年09月16日(金) 人の世で仕事がしたい
2004年09月16日(木) ワークアウト実感



2012年09月14日(金) 煮えたぎる子ども達 その2

何かの風物詩のように、いじめの問題は時折世の中を席巻する。
親心は何かを躍起になって変えようとするが根本的な解決に至らない。

いじめは、煮えたぎった釜の、突沸した一滴にすぎない。

明治大学の内藤朝雄という方の弁。
「学校に限らず、人々を外部の社会から遮断された治外法権の閉鎖空間に閉じ込め、強制的にベタベタと共同生活をさせることでいじめは蔓延する」

週刊誌に掲載されていたこの言葉に、その通りだと思う。

2006年09月14日(木) 施設と店と部屋
2005年09月14日(水) 予想的中の無責任
2004年09月14日(火) 情報とコミットメントのバランス



2012年09月12日(水) 不自然な教育を受けることなく能力を開花している

数日前のこと。

中央線快速の広告で、目を引く写真があった。

アフリカのどこかの国だろう。
小さい女の子が赤ちゃんを抱いてじっと見つめている。

「お母さんは毎日4時間かけて水汲みに行くために、5歳のダマリスちゃんは一人で小さな妹の面倒を見ています」、とキャプションがついている。

その下に、貧困から救おうというメッセージが添えられている。
セイブチルドレンという団体の広告らしい。




私は、その後ずっと考えて、今も考え続けている。

セイブチルドレンの志は立派だし、そのことに水をさすつもりはない。

ただ私は、その写真をみて、すごいなあと感心したとしても、
ちっとも貧困であるとか不幸せには見えなかったのだ。

愛おしそうに妹を見つめる姉さんと、すっかり安心しきって甘えた顔をしている妹。

5歳にして、小さい母の顔になっている。
自分に責任があることに誇りをもっているし、責任を果たす能力に誇りをもっている。
水汲みから帰った母は、きっと優しく誉めてくれるだろう。

いったい何がいけないのか。
スナック菓子やゲームを買ってもらえないからだろうか?



女の子は、不自然な教育を受けることなく、成り行きの中で能力を開花させている。
子守りの風景は、遠い昔の日本でも当たり前のことだったし、
そうして助け合って大きくなった子どもたちが、日本を創ってきた。
おそらく、今までは。



4時間の子守りは、おそらくは楽ではない。
生きるか死ぬかの厳しい局面をかかえて暮らしていることは、間違いない。

ではその厳しい局面をすっかりなくしてしまえば、人は幸せになれるのだろうか。

電車の乗り降りや飲み食いの仕方までアレコレ指図され、
世の中全体が知能の低下みたいなことになっているこの国だって、
貧困で不幸なのではないのだろうか?

アフリカを救うにせよ、自分の国を立て直すにせよ、
新しいバランスが必要なんじゃないか、と思う。

2007年09月12日(水) 政治的残渣
2006年09月12日(火) 
2005年09月12日(月) 僅差
2004年09月12日(日) あるベクトル



2012年09月11日(火) 僕らはみんなで生きている

東日本大震災から −福島第一原子力発電所の事故から− 1年半。
そして、アメリカ同時多発テロ事件から11年、である。



ある場所では自然の脅威を、またある場所ではテロという人の暴力を、
悲しみとともに、静かに振り返る。

どちらにも共通しているのは、我々は、
−望むと望まざるに関わらず−
すっかり損なわれてしまったその後を、
なんとかやっていかなければならない、ということだ。



我々は孤立した存在ではない。
人と人が手を携え支えあうことは、希望に結びつく。

そして日本人は、困難に直面した時、それがとても上手だ、と最近思う。
おおげさでないし、作為的でなく、驚くほど自然にそうなる。



我々は、孤立した存在ではない。

震災に同時多発テロを重ね合わせた時、
つまり「人の暴力」が加わる時、
私はこのことについてもう少し深く考える。

私達は、歓迎されるものも歓迎されないものも、一緒にやっていかなければいけない。
嫌だからといって排除することは不可能だ。

受け入れられないものを排除せずに共存していくことも、日本人は上手だ。
それは、全てを排除できないということ、矛盾するものをそのままにしておいても大丈夫だ、ということをよく知っているからだと思う。

そうだから、未来への希望のよすがとするのは政治や国家ではなくて、
私達が個人として他者と手を取り合って在ることだけなのだと思っている。

2010年09月11日(土) 
2009年09月11日(金) その神様の管轄は
2007年09月11日(火) 馬謖を斬れ
2006年09月11日(月) 他動詞との戦い
2005年09月11日(日) 生は希望
2004年09月11日(土) 死と悲嘆の必要性



2012年09月10日(月)

夕方帰宅。

久しぶりに家族全員揃うも、慌しく就寝。

2010年09月10日(金) 
2008年09月10日(水) 死んで何が悪い
2007年09月10日(月) 
2006年09月10日(日) 
2004年09月10日(金) 雑踏行進



2012年09月08日(土)

乳飲み子を実家に預け、都内某所で仕事。
育児ボケの頭でうまくいくかどうか、不安である。

ビルの25階からぼんやり窓の景色を見ていたら、
スズメバチが窓際を飛んでいる。

皇居が近いから、スズメバチがいても不思議はないのだが、
地上から100mもの高さまで飛んでくるのに驚いた。

風に巻き上げられてきたのだろうか。


2008年09月08日(月) 大衆交響曲
2007年09月08日(土) 伝説と心
2006年09月08日(金) 静かなみずうみ
2005年09月08日(木) スルー投票
2004年09月08日(水) 認識させなければならない


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